1.エウレカ
―――奇妙な生き物を見つけた。
体長およそ5〜6cm。
細長い筒のようなカタチをした胴体に何本か生えた足。そして透明な翅が二対。
頭の先っちょについたつぶらな目(おそらくは)はくりくりしていてどことなく可愛らしい。
触ろうとしたらいきなり羽を大きく震わせて暴れたので少しびっくりして手を引いてしまった。
こらお前、せっかくこんな辺鄙な場所で出会えた縁を大事にできないのか。
執拗に羽ばたきを繰り返して暴れるそいつにそんなことを言ってみる。
しかし、羽根がついているくせに飛べないのだろうか。
ふと、そう思ったところでその生き物の様子がおかしなことに気がついた。
手を伸ばせば嫌がって暴れようとするのは変わらない。
けれども、その動きが秒単位で弱弱しくなっていくように見える。
おいおい、もうバテたのかい、お前。
まぁ、仕様がないかな。ここはこんなに寒いところだし、魔法士みたいに体温の調節ができるようにも思えない。
うん、と一つ頷いてI−ブレインに命令を送る。
(――情報制御開始)
ずくん、と頭の血流が一層激しくなるような錯覚。
I−ブレイン内、頭蓋の裏に表示されるメッセージに目を向けながら、手を伸ばす。
ほら、あまり暴れるなって。
掌がするりとほどかれる。
狙い過たず、その小さな身体を傷つけることなく包み込んだ。オッケー、捕獲完了。
我ながら完璧と頷いて、ぴょんっと先ほどまでいた”枝”から飛び降りる。
地面までの距離、6m。
普通の人間なら下手をうてば骨折の一つでもしそうな高さだけれど、わたしにとってはただの段差と変わりゃしない。
無駄にトリプルアクセル(この前見た戦前の映像媒体では氷の上でやるものらしいけれど、まぁ雪の上でも似たようなものだろう)
を決めながら華麗に着地。勿論手の中に衝撃を与えることなんてしない。
そのままえいやっと走り出す。
頭上はいつも通り灰色の雲。
地面もいつも通り白銀一色。
いつもとまったく同じ、変わり映えのしない散歩だと思っていたら、はは、面白い出会いもあるもんだね。
一跳びでおよそ6mを踏破しながら、一路暖かい室内へと加速する。
うふふ、みんなにもこの発見を見せてあげなくちゃ。
……しかしお前、ホントどんどん弱弱しくなっていってないかい……?
* * *
2.天国、のち、地獄
―――ほう、珍しい。
研究室に息せき切って飛び込み、丁度煙草をくゆらせていた先生にこの小さな生き物を見せると、少しだけ目を丸く
してそう言った。
その様子だとどうにも先生はこの生き物がなんなのか知っているみたい。
くそ、残念。せっかく驚かせてやろうと思ったのにな。
―――なにそのキモイの。
この心無いセリフは部屋の入り口から。
丁度わたしを追う形で入ってきたのか、ドアを閉めながら無表情で毒舌を吐くはこの研究室一番のツンデレ候補(これも戦前の文書
媒体から。はて、しかしどういう意味なんだろう)であるメリルさん。
む、わたしはけっこうかわいいと思うんだけどなぁ。
ところでわたしは結構変な物が好きというか、好きになったらのめりこむ、というような性癖があると言われている。
いや別に具体的に誰かに言われたとかそういうわけじゃないけどあのこにくたらしーぃ天樹錬に「水玉とパンダがあったら幸せなんで
しょ?」とか言われてもうむきぃーっとトサカにきたと言いますかっ。
でもフィアちゃんが軽く頷いてたのは結構ショック。がびーん。
いやいや別にわたしの話はどうでもいいか。閑話休題閑話休題。
ともあれわたしの見つけたこのちいさなちいさな生き物の評価は魔法士で言うならカテゴリーCクラスにも満たないようだ。ううむ、大発
見だと思ったんだけどなぁ。
そもそも”外”で見つかる生き物なんて、今となっては皆無に等しいのだ。
そんな中偶然見つけてきたんだからもっとこう、わたしのカタルシスに共感してくれたっていいと思う。いいと思う。大事なことなので二回
言いましたっ。
ともあれひとしきり先生に話を聞いてみたところ、このちいさな生き物は「セミ」というらしい。
むぅ、こんなに左右対称な造形をしているくせに「semi(半分)」とはどんな理屈なのかっ。
そしてさらに先生が言うには、こいつは土の中でなんと10年以上を過ごしてから地上に出てくる生き物だと言う。
なんとまぁ驚きである。
わたしなんて10分も部屋に閉じこもっているのが不可能だというのに、そのさらに4つも上の単位まで耐えきるとはおそるべし。というか、
お腹空かないのかな?
ちょいちょいとつっついてみるも、反応があまりない。あれれ?
そんなわたしをなぜか少しだけ悲しそうな目で見ながら、先生は次の煙草に火を点けた。
なんでも、こいつ、本来ならもう数か月前に地上に出てくる生き物なのだそうだ。
一昔、大戦の前ではそれこそ連隊飛行のように空を飛び交うこいつらを見ることができたらしい。
じゃぁ、こいつは遅刻したってことなのか。
そう考えるとかわいそうでもあり、またちょっと面白くもある。
なにせ10年以上――少なくとも15年以上前に地中に潜ったのなら、大戦がはじまる前だ。
華々しかった外の世界は灰色の世界に変わってしまっている。
ああ、それ以前に世界樹の根っこに押しつぶされなかった幸運を喜ぶべきなのかもしれない。
なぜか身動きをほとんどしなくなった蝉ににやっと口元を緩めてやる。
ほらほら、運良く地上に出てこれたんだから、もっとぱぁーっとはしゃいだ方がいいんじゃない?
そうからかうわたしに、先生は深く煙を吸い込むと、
「残念だが―――蝉は地上に出てから1週間も経たないうちに死んでしまう。
そもそもそいつは夏……もっと温暖な季節の生き物だ。
気候が変化し、こんな寒冷化した今では、おそらく1日ともたないだろう」
……………………え?
* * *
3.こえをきかせて
ふるふると、細い手足が震えている。
最早羽を振るわせる力さえ失ったのか。
枕の上に乗っけた蝉は、か細く身体を震わせるだけの存在だった。
…………なんだろう、このやるせなさは。
あれだけあった高揚感は既に無く、わたしの心を埋め尽くすのは紛れもない虚無だった。
せめて少しでもと部屋の暖房はフルパワーにしているから、わたしにとっては若干暑くて、汗が出そうで、ああいや龍使いのわたしが
そんな体循環を制御できないってことはないのに、でも、ああ、コントロールが、うまく、できなくて、それは、きっと―――
ベッドの上にばふっと寝転がり、枕の上に目線を合わせる。
水玉模様の枕の上、ちいさなちいさな命が今、失われようとしている。
暗い土の中で何年も何年も過ごし、幾千もの夜を越えてきた命が。
きっと世界はもっと暖かく、華々しく、美しいものだと信じて、耐えてきたのだろう。
自由に空を飛びまわり、太陽の光に祝福を受けながら唄を歌うために、生きていたのだろう。
その結果が、これだった。
寂寞にまみれ、命あるもの全てに厳しくなってしまった、この世界。
こんなのっておかしいよ。
どうして、どうして、どうしてこうなってしまったの。
涙がこぼれそうになる。
だって、そんなの嘘だ。
くらいくらい夜の底から這い上がってきたものは、あたたかな日差しを浴びなければならないのに。
なんのために住み慣れた場所を捨てたのか。
なんのために新しい世界に出てきたのか。
いやだよ、そんなのっておかしい。ゆるせない。
さびしさに凍えるためだけに、死ぬためだけに生きてきたと、そんなかなしいことがあっていいのだろうか。
空を飛びたいと願ったのに。
唄を歌いたいを願ったのに。
たったそれだけが許されないほど、つめたい世界なんだろうか。
……わずかに手足を震わせるちいさなちいさないのちに、かつての自分たちを幻視する。
その、いまにも枯死しそうな灯火に対して、
「……がんばれ」
口をついたのは、その言葉だった。
「がんばれ、がんばれ、がんばって、お願いだから……!!」
ゆるされていいはずがない。
そんなことがあっていいはずがない。
「お願い……飛んでよ! 歌ってよ! 一声でいいの、一飛びでいいから……!!」
なにもできないなんて、そんなのはいやだ。
たとえ変えられない結果だとしても、そんなのは認めてやんない。
「おしまいにしちゃ、むだにしちゃぜったいにだめなんだからぁっ!!」
わたしが見てあげる。
わたしが聞いてあげる。
あなたが生きた、その証を。
「―――歌ってよ……!!!」
わたしにあの人たちが残したように。
ものじゃなくてもいい、言葉じゃなくたっていい。
だからおねがい。あきらめないで。
手足の動きがついに止まる。
元から外を映していたのかも分からない。
黒光りする目は二度と動かなくなり、かぼそい羽根の痙攣にしか見えない震えもやがて見えなくなり、
―――――――――みぃん