■■天海連理様■■

風唄の行方
【第一章 風と獣と樹々の演舞(@)】



薄暗く、わずかな光源しかないその中を手に持ったライトの明かりだけを頼りにうろうろと歩き回る、正装の兵士や白衣の研究者達が目に留まる。
頼りなさ気だが、それでも一生懸命に働いている彼らを見下ろしながら、アトラス・ゼラニウムは怠惰なネコのようにくつろいでいた。
鈍い光を放つ、床から二十メートル上に渡されたパイプの上に片膝を立てて座り、その上にあごを乗せて、自分がいる場所の周囲を目を凝らしながら見渡した。
かなりの広さを誇る部屋だが、照明器具という物がまったく存在せず、光源となっているのはわずかな光を灯す巨大な演算機関のディズプレイと、起動していることを示す無数の点滅灯だけ。
すべて、シティの中ではほとんど馴染みのない物だ。
アトラスはグローブをはめた手で、自分が座っている強化カーボン製の太いパイプをゆっくりとなぞってみる。
中に液体が流れる、ゆったりとした振動が、アトラスの手に伝わってくる。
潮の満ち干きを利用した潮力発電というシステムを支える生命線とも言える直径三メートルのパイプはひどく丈夫で、アトラス一人が上に座ったところでびくともしない。
 
―― もっとも……魔法≠使えば、話は別なんだけどな

心の中だけでそう考え、アトラスは目の前をちらつく赤味の強い金色の髪をうっとうしくかき上げた。
元々ザンバラだった髪を切らずに放っていたら、いつの間にか伸びすぎてしまった。
はっきり言ってうっとうしくて仕方がない。ないのだが、任務に追われ、ついつい切るのを忘れてしまう。
この任務が終わったら絶対に切ってやる、といつもと同じ事を誓う。
誓ったところで、任務が終わる頃には忘れてしまうだろうが。
 
(情報制御を感知。危険度:F。対象との距離、一〇四メートル)
 
不意に、待機状態にしていたI―ブレインが弱い警告を発し、アトラスは髪をかき上げる事を止めた。
I―ブレインが感じ取ったのは情報の海≠ノできた情報の揺らぎ。警告レベルとしては低いが、それでも魔法≠フ兆候だ。
自分のそばで、魔法≠使った誰かがいる証拠だった。
……一体、どこのどいつだ?
半分ぼうっとしていたはずの思考が冴える。
心の奥底で何かがざわついた。

「ゼラニウム中佐!」
不意に自身に与えられた階級で呼ばれ、アトラスははるか下方にあるリノリウム張りのフロアを見下ろした。
パイプの下二十メートルの床から自分を見上げる顔。
黒と白を貴重としたモノトーンの制服に身を包んだ兵士――シティ・シンガポール自治軍の若い士官兵であり、アトラスが護衛してきた人の一人だ。
確か、今年軍に入隊したばかりの新米兵で、階級は二等兵。
性格は真面目だが少々茶目っ気があり……とそこまで思い出しかけ、今の状況を思い出して慌てて止める。
五回ほど軍の作戦で同じになった事があるが、私的な話は一度もしたことがない相手だ。今日は旧マレーシア沖の海域に駐留している母艦【ヘイロン】との連絡要員を受け持っている。
「ここだ。すぐに降りるから待ってろ!」
二十メートルの距離を埋める大音声で叫びながら、アトラスは身体の姿勢をわずかにずらす。
そしてそのまま、暗さを増す空間へとその身を躍らせた。
(I―ブレイン戦闘起動。思考の中心を『I―ブレイン中のアトラス』に移行。思考単位をナノセカントに固定)
百八十センチを超える長身が重力に捕まる直前に、アトラスは思考の中心を現実の自分≠ゥらI―ブレイン中≠フ自分へと移行する。
(ゴーストハックvine=A起動データ解凍。システムオートスタート)  
最後までパイプにかかっていた左手にプログラムを走らせ、強化カーボン製のパイプに仮想精神体を侵食させる。

―― 木の葉が風に揺れるざわめきが、
    木の葉が擦れ合う、幻の音が響いた。

突如現れたのは強化カーボン製のパイプとまったく同じ色をした蔦=B
幾枚もの葉を茂らせた黒色の蔦がアトラスに左腕に巻きつき、彼の身体を支えた。
数は全部で七本。直径一センチにも満たない黒い蔦は、それぞれが捩れ、絡み合い、アトラスの全体重を支えても切れない太さと強度を得ていた。
ゆるゆると伸びる蔦の動きに従い、アトラスの身体が下へと下ろされる。
十秒後、ゴーストハックが消滅すると同時にアトラスの足がリノリウムの床を踏んだ。

「何か問題でもあったか?」
「は。どうやら、われわれ以外の侵入者がいるもようです」 
若い士官は緊張した様子で直立不動の姿勢をとり、アトラスの問いに答える。
「我々以外≠ニいう言い方はどうかと思うが……侵入者か。……もしかして、魔法士か?」
「ツッコミどころはそこですか? あっ、失礼を……」
わずかに会話の言葉じりを捉えたアトラスに対し、すかさず士官がつっこむが、すぐに自分の役目を思い出して報告を続ける。
「……こちらに情報の乱れを観測する機器を持ち込んでいないので、判断しかねますが……このプラントのメインコンピュータにハッキングを仕掛けた後が見つかりました。時間はここ一時間以内。手口は巧妙で、痕跡を消した後なども見つかりましたので魔法士の可能性もあります。ゼラニウム中佐が情報の乱れを感知していたとすれば……侵入者が魔法士である可能性はかなり高くなるでしょう」
「可能性ありか……ハッキングが行なわれた可能性のある場所の特定はできたか?」  
「地下第一階層の……おそらくは壁に隠された配線からハッキングしたものと思われます。端末に接触した形跡はありません」
士官の言葉を聞き、アトラスはこのプラントの基本構造と作戦内容を思い起こす。  

この潮力発電プラントは旧シティ・クアラルンプールが所有していたものだ。
南シナ海を臨む海岸沿いにあり、地上ニ階、地下五階の全部で七つの階層から構成されている。
二一八七年にシティ・クアラルンプールがシティ・シンガポールの攻撃により、倒壊して以降、破棄されて等しい。
近くにも町はあったが、旧シティが残した防衛システム等の問題もあり、誰も近づけない状況だったようだ。
そんなプラントで、とある研究者の極秘資料が隠されていた事が発見されたのが二日前のことだ。
シティ内で作戦が計画されたのが昨日の午後一時四三分の事。
内容が練られ、実行に移されたのがその翌日、すなわち今日の午後一時三十分きっかりだ。
その後、シティ・シンガポールが保有する大型航行艦【ヘイロン】でこのプラントへと輸送され、次々に出てくる防衛システムを片っ端から破壊しながら、アトラスたちは最深部まで降りてきた。
プラント制御室に着いた時間は午後二時一七分。
そして、脳内時計が示す現在時刻は『午後三時二六分四二秒』。  
これらから考えるに、自治軍がプラントに入った後にこの潮力プラントに侵入した者がいるという事だ。

「近くの町から依頼を受けた『なんでも屋』……の可能性が高いが、軍に反発する組織であった場合が厄介だな。しかも、相手は魔法士である可能性すらある。ここに隠されていた研究資料の抽出はどこまで終わった?」
「少しお待ちを………………、えっと……向こうからの連絡によると、現在の地点で七五パーセントが完了。プロテクトが硬いため、難航しています。終了まで、後二十分はかかると」
自身が持つ通信専用の端末を用い、調査班と連絡を取り合った士官がすぐに答える。
「……了解した。俺が少し行ってみよう。艦で待機している大佐を出してくれ。この旨を伝える。あと、動かせる士官を使って侵入経路を特定させろ。第一階層に配備した兵から異常が報告されなかったという事は、他の場所から入った可能性が高い」
「はい! あっ……えっと……その……ずっと言う機会がなかったので言いますけど……ひとつだけいいですか?」  
今まで、直立不動の姿勢をほとんど崩さなかった士官がわずかに口ごもった。
兵士の目ではなく、未だ幼さを残す少年の目をした士官が、おずおずといった様子で口を開く。

「…………握手、してもらえませんか?」

アトラスは盛大に溜息をつきながら、額に手を当てた。  
「……俺はどこに行ってもこれをせがまれるのかよ。つーか、何でおまえのような若い一般の士官兵にまでlost vine≠フ噂が広まってるんだ?」
不機嫌さをまったく隠そうとしないアトラス。
だが、苦虫を潰したような顔をしながらも、アトラスは若い士官兵の手を握ってやる。

lost vine―― 失われし樹々の王は敵からの守り――
 
それが軍の中で広まっている一種のジンクスである事を、アトラスは知っていた。 
世界人口を百分の一にまで減らしたあの大戦を運良く生き残った魔法士であるアトラスは、シティ・ベルリンにいた頃から、『無事に帰る』ための幸運の象徴と噂されていた。
軍では、日常的に人が死ぬ。
そんな生活環境におかれている人間が、まじないにすがりたくなる気持ちも分からなくもない。
だから、アトラスは条件付で握手する。
その条件は……  
「絶対に一回だけだからな。」
たった一つ、アトラスが念を押すこと。
何回も来られるとはっきり言って仕事にならない。
アトラスの仕事は、あくまでシティ自治軍所属の魔法士だ。
「ありがとうございます! 感激です!!」
「感激と言う言葉を使う前に仕事をこなせ。大佐を……」
「あっ……すい…申し訳ありませんでした。ただいま、【ヘイロン】と通信を繋ぎます」  
慌しく準備をはじめた若い士官の姿を見て、アトラスはこの日初めて苦笑に近い笑みをもらした。


✽  ✽  ✽  ✽  ✽


 
軽く左足でシャッターを蹴ると、それは長年の腐食ともあいまっていとも簡単に外れてしまった。 
支えをなくしてしまった金属製のシャッターが、目の前でゆっくりと落下運動を始めてしまう。
とっさに手を伸ばしたがわずかに遅く、それは急激に速度を増しながら落下した。
(I―ブレインを覚醒モード≠ノ再定義。基礎プログラムを『エレメント』で固定。ゼフィ¥駐。対象物より半径五〇センチメートルの空間の分子密度を〇に調整)
ほぼ反射的に、通常モードで稼動していたI―ブレインの定義を変更。
一〇〇〇分の一秒で命令を走らせ、演算を開始する。
シャッターはその間も落下を続け、リノリウム張りの廊下と接して甲高い金属音を立て……  
(演算成功。『真空領域』完成)
I―ブレインから響く無機質な声だけが聞こえる。
シャッターは、まったく音を立てることなく八メートル下の床の上に転がった。
まるで、音声出力をオフ状態にしたビデオを見ているかのような光景。
そんな状況を、天井に近い壁に作られた換気口から見ていたキラル―― キラル・トキエダ・エアリアルはほっと一つ息を吐いた。
「一応セーフ……かな? 魔法℃gったけど、音を立てるよりも遥かにマシだろうし……」 
わずかに埃で汚れた髪をうなじで結いなおしながら、キラルはわずかに愚痴を漏らす。

キラルはアジア地区では上位を争う『なんでも屋』だ。
今は近くの町からの依頼で、このプラントに侵入し、内部を調査しつつ、最深部の動力制御室も目指している最中である。
旧シティ・クアラルンプールのそばにあったその町は、今まで使用していた地熱発電プラントがとうとう限界に来たらしく、新しいプラントを探していたところだった。
そんな折に見つかった手付かずの潮力発電プラント。  
しかし、旧シティが大戦時に仕掛けたトラップが未だに生きているために、中に入るどころか近づく事すらできず、『なんでも屋』キラルのところに『プラントのサルベージ』と言う依頼を送ったのだった。
その依頼を受けて、キラルは今ここにいるのだが……

でも……タイミング悪く、軍がいるんだよね…
 
換気口から、下をわずかに覗き込みながら内心だけで溜息をつく。
かろうじて円形に見える、直径一〇センチ位のいびつな穴をいくつも穿たれた、防衛システムに操作されていたはずの機械の残骸。
侵入した時から見慣れてしまったそれは未だに熱を失っておらず、つい最近やられたものだとすぐに分かった。
気になってプラントの地下一階層付近で通気ダクトの壁の中を通されていた配線を失敬し、プラントのメインコンピュータにハッキングした結果、自治軍がこのプラントを占拠していた事が判明、溜息の原因となったわけだ。
何かの調査団らしいが、キラルにとって見れば軍など『お近づきなりたくないものナンバー一』。 
はっきり言って、しゃれにもならない。
それでも仕事はこなさなければ報酬をもらえないので、こうして通気ダクトに隠れながら移動し、今に至る。
彼女がいる通気ダクトはかなり狭いが、標準体型よりも一回り以上体格の小さいキラルは余裕を持って動ける。
普段から防衛システムが生きている施設に侵入する際に使用する手段だ。
そんな利点から通気ダクトを移動手段として利用したのだが……出口のことをまったく考えていなかった。
いつも問題がなかったので、完全にこのような事態が起こる可能性を頭の中から切り離していた。

―― 次からはロープでも持ってくるべきかな?

多少的外れな事を考える。
しかし、はっきり言って遊んでいるヒマはない。
軍がいるなら、なおさらさっさと終わらせたい。
換気口からわずかに身を乗り出して、自身の感覚とI―ブレインの感覚を駆使して周囲の状況を確認する。

(『自我』と『情報の海』をリンク。知覚範囲を第三階層の構造体に限定)

長年人間が使用しなかった通路の電灯は気休め程度の光量しか持っていない。
人の視覚程度では、この闇を見通すことはできないので、周囲を探るのに視覚は不要。
キラルが頼りにしたのは鋭敏な聴覚とキラルのI―ブレインが持つ独特の感覚だ。

(思考単位をナノセカントに固定。I―ブレイン稼働率二〇パーセントに修正。〇度・一気圧の『標準状態』を基礎として解析開始。聴覚以外の全感覚制御をI―ブレインに移行)

唐突に聴覚以外の感覚が消滅。感覚がすべて数値化され、I―ブレインの中で感覚ではなくデータとして処理される。
索敵精度に関わる触覚や視覚は今の段階で必要ない。
むしろ余分な感覚は脳内演算上でのノイズとなるので邪魔だ。
本来なら聴覚も数値化してかまわないのだが、わざとキラルは残している。
それぐらい、キラルにとって聴覚は信頼できる感覚なのだ。

代わりに、I―ブレインの中には、半透明の線と点で構成された立体地図が表示される。
その中に周囲の環境を分子レベルで解析した結果が次々と付加され、立体図が解析結果の山で埋め尽くされる。
解析されるごとに立体図の精度が増すが、同時に小さな歪みが蓄積されてゆく。

歪みの原因は主に気体状態で漂う分子だ。

解析の基礎とした分子はあくまで理想状態の気体であり、現実に存在している気体ではない。
故に歪みが生じる。
そんな脳内状況と反して、現実にある身体が唯一感じているのは、通気ダクトの奥から聞こえるわずかばかりの空気の音だけ。簡素なものだ。
(解析完了。情報のノイズを減算。索敵情報提示)
一通りの解析を終えたところで、I―ブレインが解析結果を今の状況に合わせて演算しなおし、必要なしと判断した情報を削除、圧縮、減算していく。
『標準状態』での演算結果から現在の気温、湿度にあわせて知覚した分子構造体を修正。
同時に膨大すぎる量の演算結果を整理していく。
立体図から少しずつ結果が消去され、細かな歪みやズレが消失。
完璧な立体地図が脳内に出現する。
(索敵完了。I―ブレイン動作状態及び、周囲の環境に異常なし。肉体感覚復帰)
消失していた感覚がすべて復帰、作成した立体図を脳内に展開したまま、キラルは満足げにうなずく。

脳内時計の示す時間は『午後三時二〇分一二秒』。

複雑極まりない脳内演算は、わずか一〇秒足らずで終了している。
聴覚を遮断すればあと三秒は縮められるが、脳内演算に集中するあまり、接近するものに気が付かない事があるので、これでよしとしよう。
索敵範囲は第三階層のみだが結果は良好。
知覚範囲内にいる人間の数は今のところ一四人。
ただし、増えたところで、気体分子の不自然な動きを感知すれば、I−ブレインが速やかに警告してくれる。
地下第一階層以来、一階層移動するたびにこの作業を続けているため、立体地図はこれで三段重ね。
気体の分布や壁などの分子構造が変わらないため、ここまで演算が早くなったのだ。

危険がないと判断し、キラルはするりと換気口から抜け出て、静かに床へと降り立った。
足音をほとんど立てない手馴れた動作。
床との接触時にかかった八メートル分の衝撃のほとんどを膝のクッションで殺し、そのまま何事をなかったかのように立ち上がる。     
その直後、キラルの背後に別の何かが換気口から降ってきた。
金属のような光沢を持ち、銀に輝く影がキラルの後を追うかのごとく動き、彼女の傍らに従う。

―― 一見すれば、銀色の影は狼のような姿を持つ獣だった。
体長は一メートル強。柔らかで長い体毛は鮮やかな銀色で、動きと共に毛並みに微細な光沢の変化がみえる。
口から覗く牙と鋭い爪は冴えた金色。
狼のような、と言ったのは他でもない。その獣の額の部分には黒光りする角があったからだ。高さは三〇センチメートルほど。微細な文様が刻まれていて、飾り付けられた三つの宝石が付いた鎖が獣に妙な神々しさを与えていた。
低い唸り声を、キラルに付き従う獣が上げる。
知性をたたえた漆黒の双眸が、キラルに向けられていた。

「……黒曜」

キラルが巨狼の名を告げる。
『漆黒に光り輝くモノ』と言う名を、自らが与えた獣を、彼女はゆっくりと撫でた。
「行くよ」
その一言が合図。  
キラルと黒曜は最下層目指して廊下を駆け抜けた。



<作者様コメント>

すいません、かなり遅くなってしまいました(汗)
ようやく第一章、しかもまた最初の一部分です。
書き終わったのはもっと早かったのですが……
内容を付け加えたりするうちに書き直しになってしまって
次はもっと早く書けるようにします。

<作者様サイト>
Seiren Media

◆とじる◆