■■天海連理様■■

風唄の行方
【第一章 風と獣と樹々の演舞(A)】



最下層から逆に道をたどり地下四階層まで戻ったところで、アトラスのI―ブレインはわずかな情報の乱れを感じ取った。
抑えるようにI―ブレインを使用している魔法士が近くにいるという証拠。
しかもかなり巧妙に隠している。最下層で情報の乱れを感じ取っていなければ、気づかずに見過ごしていたに違いない。
「軍に反抗する魔法士か、それともアウトローか。じっくり見極めてみる必要があるな」
アトラスは好戦的な笑みを浮かべた。

強いモノが好き。
自他共に認めるアトラスの性格だ。
大戦のさなか、戦いのためだけに製造された先天性魔法士であるアトラスにとって、戦う事と生きる事はほぼ同義。自分が死んでいないという証拠だった。

そして……アトラスは何よりも、正体不明の魔法士に惹かれる。
アトラスにはどうしても逢いたい魔法士が一人だけいる。
ほんの小さな童女の姿をした最強ともいえる魔法士を、アトラスはこの十年間探し続けている。

「さあて、そろそろ拝ませてもらおうか。軍のいるプラントに侵入した魔法士さんよお」
さぞかし楽しそうにアトラスは言う。

(低密度情報体の接近を確認。距離は三二…三一…三〇……)

I―ブレインがはじき出す予測演算により、アトラスは相手の位置を割り出す。
相手の速度と距離、そしてI―ブレインが示す方角を元に、まったくの無音で近づく相手を待つ。
(目標、攻撃可能範囲内に進入を確認)
じっと待っていた言葉を受け、アトラスは自分の思考の主体を静かにI―ブレインへと移行した。
(『仮想精神体制御』発動)
I―ブレインの中で作っていた仮想精神体を、両の足を介して天井を構成している物質に干渉させる。
まだ行動を起こさせない。
普段のゴーストハックvine≠ニ違い、今やろうとしている事はあまりにも操作可能範囲が狭いからギリギリまで相手をひきつける。
慣れていない形の仮想現実体を扱うのは、一般に考えられているよりも難しい。
だからこそ、慎重に慎重を重ねる必要がある。

(対象構造感知。ゴーストハックスタート)

あらかじめ、「自滅しろ」と言う命令を与えておいたゴーストハックが、発動と同時に自らの構造を侵食する。
たったそれだけで、固い合金で作られていた天井がアトラスの前方四メートルにわたって崩落した。
白く煙が立ち込め、天井が瓦礫と化す。
安定しない視界の中で、アトラスはその塊の中にすかさず捕縛命令を与えたvine≠数本叩き込んだ。
ただの人間なら、最初の崩落で動きを封じ、次の捕縛行動で捕獲を完了させる事ができる。
もっとも、死亡する可能性も高いのだが、そんなこと、アトラスの知った事ではない。
しかし……

(大規模情報体感知。危険)

I―ブレインが警告を発すると同時に、もうもうとした煙が払われ、瓦礫の山の一部と共にアトラスが送り込んだvine≠ェはじき飛ばされた。


耳元で唸る風を感じる。
すべての音を飲み込むかのごとき轟音。
空気の循環などないはずの空間に、突風に近い風が吹き荒れた。
あまりにも強い風圧に、まともに目を開く事すらできない。
飛び散る埃や瓦礫の破片から瞳をかばいながら、アトラスは四メートル先にある天井の崩落地点に視線を向ける。  

陽炎のごとく揺らぐ空間に、一人の少女が片膝をついた姿でしゃがみこんでいた。
風に揺らめく蒼味を帯びた長い銀糸の髪に、冷たい光をはじく大きめの黒瞳。肌は白く、遠目に見れば間違いなく西洋人だが顔つきがどことなく違う。国籍不明とはこのことか。
体つきは小柄で年は十四から十六の間。
身体にぴったりとフィットしながらも裾がひらひらとはためく黒いハイネックのボディースーツに同色のズボンをはいていて、その上からおそらくは強化カーボンチューブ混合素材製であろう、紐で胸元を閉めた濃紺のロングコートを羽織っている。
首元には論理回路の刻まれた銀の飾りが、同色の鎖につながれて揺らいでいた。

そして、彼女の傍らにいるのはきらめく毛並みを持つ銀無垢の巨狼。
アトラスの方を睨みつけ、主人をかばうかのように少女とアトラスの間に割って入ろうとしている。ただの獣と違って頭はいいらしい。

風の勢いは収まらない。むしろ、少しずつ強くなってるようにも感じる。
巨大なサイクロンの中に叩き込まれたような気分だ。
風が、アトラスを吹き飛ばそうと荒れ狂う。
足元をvine≠ナ固めていなければ廊下の壁に叩きつけられていただろう。
風の中心にいる少女がゆっくりと立ち上がる。
彼女がいる場所は渦の中心部のように無風に近いらしい。
わずかにそよぐ蒼銀の髪からはこちらのような突風の気配などまったく感じられなかった。
少女の視線とアトラスの視線がにわかにぶつかる。
強者の目。
強い意志と力を持った瞳。
それが、強烈な吹雪の中で起こった奇跡の記憶を呼び覚ます。

……似てるな

記憶の中の魔法士と少女の容姿がわずかにダブるが、アトラスは一瞬でその可能性を否定した。
あの魔法士と会ったのは大戦中、二一八七年の夏。
確かに彼女も銀色に近い髪の持ち主だったが、彼女は十才前後だった。あれから十一年。どう考えても年が合わない。
アトラスはそう判断し、口を開いた。
「俺はシティ・シンガポール自治軍所属の魔法士、アトラス・ゼラニウム!! おまえは何だ!!」
風の中でかき消されないように大音声でアトラスは叫ぶ。

風は……わずかに力を弱めた。


✽  ✽  ✽  ✽  ✽


足に感じた感触に対し、I―ブレインが異変を感じた時にはすでに遅かった。
(情報体ゴーストハックを感知。回避不能)
I―ブレインが冷静すぎる事を言うが、もう少し早く知らせて欲しいと思ってももう後の祭り。
自己崩壊を始めてしまった床と共に、キラルと黒曜の体が落下する。
額の後ろ側で冷静な判断を下すI―ブレインは便利だが、さすがはコンピュータ。この調子だと致命傷になる攻撃を感知しても、今と変わらぬ調子で『回避不能』を告げてくれる事だろう。
キラルは現実逃避のごとき考えを延々と巡らせていた。
まあ、だからといって、何もしないわけではないが……

(ゼフィ∞シヴァ¥駐。下方八.二メートル地点の空間の構成分子構造を演算。大気密度・温度制御開始)

脳内に構築した立体図を元に床までの距離を測り、床スレスレの位置にある空間を捕捉。その場所に高密度に固めた空気の層を作って、落下の衝撃を打ち消すクッション代わりにする。
だが、わざわざクッションにするためだけに高圧の空気を使用しない。
不意を突かれたとはいえ、十メートル程度なら着地に失敗したところでそんなにひどいダメージにはならない。
ほぼ間髪おかずに、キラルは再び情報制御を開始する。
(半径五メートル地点の大気密度を通常状態の二十分の一に定義。温度下降。シヴァ≠ノより、温度調節開始)
分子密度を高め、高圧にした空気から出た熱量を低圧にした空気に送り込み、温度の微調節を行ないながらタイミングを待つ。
自身の足が高圧の大気層に触れた瞬間、

(発動)

キラルはゼフィ≠ェ持つ力を解放した。


【エレメントプログラム】ゼフィ
その力は分子密度制御能力。
局所的な空間の分子密度を自由に書き換え、支配下に置く力だ。
無論、一定範囲の空間の分子密度を書き換えればその空間の温度は変動する。 高温・高圧になった空気の分子は、エネルギー過多になってプラズマ化し、発光するので、演算の及ぶ範囲で温度を保ってやらないとやっていることがばれてしまう。
それ以前に、そもそもキラルのI―ブレインは分子を制御することはできても、プラズマを制御することはできない。
過剰に上昇・下降した温度を抑え込み、プラズマ化を妨げ、均衡を保たせるのがエントロピー制御能力を持つシヴァ=B
二つの能力の並列使用が、キラルに魔法を与える。 


ゼフィ≠ェ開放した大気の流れは、開放に喜ぶかのごとく唸りを挙げた。
空気は高圧から低圧に移動する。
その法則に従い、風が全方位へと吹き荒れる。
風速三〇メートルをゆうに超える風が狭い廊下を荒れ狂い、壁があまりの圧力に軋みだす。
同心円状に広がり、壁にぶつかっては向きを変えてゆく風の中心で演算を続けながら、キラルは最初に落ちた時に見えた男の姿を探した。
突発的に風がおきたために吹き飛ばされたらしく、六メートルほど向こう側に、かろうじて彼が立っていた。

一番最初に持った印象は夏=Bそして……黒い蔦。
夏≠ニいう印象は彼の容姿からだった。
赤味の強く出た、少しばかり伸びすぎと言う感じを受ける金色の髪に、よく日に焼けた褐色の肌は、共に南の島≠強く連想させる。
年はだいたい二十前後。
といっても、魔法士の年なんて見た目とはかけ離れている事が多いから不明だけど、だいたい目安だ。実際に外見年齢分の身体能力は持っているはず。
伸びすぎた前髪に半分隠されそうになっている瞳の色は、遠目からでも分かる鮮やかな青。失われて久しい、本当の空と海の色。
着ている白と黒のツートンカラーの制服とは対照的な色彩を、彼はまとっている。絶対に町とかを歩いていても目立ってしまうタイプだ。
灰色に埋め尽くされてしまった世界に残された太陽∞夏

もう一つの印象は、鮮やかなそれらの印象とは正反対に暗いものだった。
彼の左ほほ。
健康的に焼けた褐色の肌の上に刻まれた紫暗色の大きな刺青。
葉を広げ、蔓を伸ばした植物を模倣したようなそれは、遠目にもよく映った。
キラルはそのまま視線を映らせ、彼の足に巻きついているモノを見る。
廊下に敷かれたリノリウムと、その下のチタン合金を利用して作られたらしい蔦。
キラルが落下した時に攻撃を加えようとしたものとほぼ同質のそれは、自分達のあるじが突風で飛ばされないように支える役目を果たしている。

「vineタイプ……」

わずかに、キラルは呟いた。
それは、知識としてだけだが、彼の力を知っていたから。

人形使い≠ニ呼ばれるゴーストハック特化型魔法士。
その中でも広範囲戦闘特化型タイプが、仮想精神体として植物≠扱うvineタイプ≠フ人形使い。
大戦中に製造され、戦局にも大きく関わっていたが、そのほとんどが死亡したと記憶している。
生き残ったのは……確か世界で四人。

「俺はシティ・シンガポール自治軍所属の魔法士、アトラス・ゼラニウム!! おまえは何だ!!」

幾層にも重なった風に負けない声がわずかにキラルの耳を突く。
『何だ』よばわりに少しむっとしながらも、キラルはそれまで続けていたゼフィ≠ニシヴァ≠フ情報演算を止める。
もともと、ただの大気圧制御のみで作り上げた風は強い殺傷能力を持たない。特に何もない狭い廊下ならばなおさらだ。本来この風は、突風で吹き飛ばした物を相手にぶつける補助的な攻撃を主としている。
アトラスと名乗った相手が風にびくともしていない以上、演算するだけ無駄だというもの。
演算がなくなれば、情報の自然修復作用により自動的に気圧が元に戻り始める。
風は、徐々にその力を失っていく。

「……『なんだ』呼ばわりは失礼だと思うんだけどね。ただの何でも屋だよ。この近くの町で依頼を受けて、プラントのサルベージと防衛システムの破壊に来た」
なるべく冷静を装いながら、キラルは相手に情報を漏らさない程度にしゃべる。
無論、I―ブレインは覚醒状態のまま固定。すべてのシステムが無駄なく動かせるよう、何がおきても対応が効くようにコンディションを整えておく。
「フリーの魔法士でなんでも屋と言うわけか。現在、このプラントではシティ・シンガポール自治軍による作戦が展開されている。第一階層に兵を配置していたはずだが、どこから侵入した?」
職務半分、好奇心半分といった口調。
はっきり言って、軍人らしくない。
それでも、彼が着込んでいるのは、間違いなくシティ・シンガポール自治軍の制服だ。
「企業秘密。最上層である第二階層から侵入して、後は換気ダクトを伝ってここまで来た。……軍が作戦中なら、このプラントと防衛システムのデータさえもらえれば今日は引く。これでも仕事中だから、データを持ち帰らないことには報酬が出ない」
言葉を紡ぎながら前に足を一歩分進めようとして……

(情報体感知、危険)

I―ブレインの警告むなしく、キラルの首元に漆黒の蔦が突きつけられた。
肌を粟立たせる冷たい質感。
蔓の先端近くに付いた葉はご丁寧にもナイフのエッジ状になっており、数ミリでも動けば首を掻き切るという所まできている。
見るまでもなく蔦はアトラスの足元から生えている数百本のうちの一つ。
鎌首をもたげる蛇のようにうごめくそれらと、制御するアトラスの姿を、キラルはまっすぐに睨み返した。
(解析完了)
二重写しになった視界にI―ブレインが解析した結果が次々に付加されていく。
蔦の構成しているのは床に使われているチタン合金。この場にある物質の中では最硬度をほこる構造体。ゴーストハックの総数は約二百。
強度といい、数といい、ゴーストハックとしては申し分ない結果だが、キラルにとってはおもしろくもなんともない状況。
まあ、首に刃を突きつけられて楽しいと思う人間は、まずいないが……

「ただの一般人に対して、この仕打ちはないんじゃない?」
「あいにくと、こちらも仕事でな。おまえにはスパイ容疑がかけられている」
アトラスの口元がわずかに歪む。
皮肉めいた笑みにも、辛さを含んだ自嘲にも見える不思議な表情。

「捕まえておくに越した事はない。これが上の判断であり、命令だ」

覚悟しな、とアトラスが言った次の瞬間。
首元にあてがわれていた一本を除く、すべてのゴーストハックが、一斉にキラルめがけて襲い掛かった。



<作者様コメント>

まだ第一章で足掻いてます。
小説って書き始めると長くなっちゃって……
このままこの話、終わるんだろうか?と結構焦ってます。
終わりまでストーリーは考えてるんですけどね。

<作者様サイト>
Seiren Media

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