■■天海連理様■■

風唄の行方
【第一章  風と獣と樹々の演舞(C)】



頭の中で早口に二〇秒数えてから、キラルはほっと息を吐いた。
覚醒モード≠ノ設定していたI―ブレインを通常モード≠ノ戻して休ませる。
ゆっくりと、銀色の獣が押さえ込んだ敵、アトラスのそばに歩み寄る。
ブーツの下で、砕けた金属の欠片と薄青い氷の破片がガラスのような音を立てた。
そして……アトラスの方は、あお向け状態で床の上でジタバタともがいていた。
「おい、そこの犬、さっさとどけ! 重てえんだよ!」
肩を中心に黒曜が押さえ込んでるから、動くのは手足と口だけで……
面白いぐらいの暴れっぷりだが、その程度では黒曜を振り切る事はできない。

なにせ、黒曜には魔法士にとって都合の悪いおまけがついている。

「暴れても黒曜は放さない。無理にどけようとしたら黒曜があなたの頭にかぶりつくだろうし……」
アトラスの目と鼻の先(無論、指先が届かない距離をとってはいるが)にしゃがみ込んで言う。
その発言でアトラスが視線を上げ、ずらりと金色の牙が並んだ黒曜の口を見たとたんにおとなしくなる。
噛みつかれたら命はナイと理解してくれたらしい。
「ちょっといいか?」
「なに?」
―― なんで魔法が使えねえんだよ!」
「結界効力範囲にいるから」
問いかけに対して、素直に答える。
ほとんど間をおかなかった切り返しに、質問した相手のほうが驚く。

『結界』とは、周囲の空間に特異な情報構造を展開して、魔法の発言を阻害する効果を持つ論理回路の事。
ノイズメイカーよりも魔法阻害力は悪いけど、論理回路の形で扱える当たりがちょうどいい。
軍でも大きな施設の壁に掘り込むなどして使用しているケースが多いとか。

「いつの間に結界なんてもん作ったんだよ?」
「いつの間にと言うか、黒曜の爪の論理回路が結界の役割をしてるから、私自身が作ったわけじゃないよ。ちなみに効果範囲はすごく狭いから、こっちは魔法使えるのでお忘れなく」
証拠として、軽くI―ブレインを動かして二つのファイルを起動、右手の手のひらに弱い風と小さな空気結晶のナイフを作ってみる。
ほんの少し、相手の瞳が見開かれた。
不自然な反応だったが、論理回路の結界範囲の狭さか何かだろうと思い、特には気にしなかった。
魔法が使える魔法士と鋭い牙を持つ獣の存在に観念してか、アトラスがしぶしぶといった様子で「降参」と口にした。
さすがに命は惜しかったらしい。
「データでもなんでも、軍の仕事を邪魔しねえんだったら持ってけ!」
いや、むしろやけかも……。
「それじゃ、I―ブレインの中からいくつかもらう……って……黒曜?」

ポケットから有機コードを引っ張り出そうとして、脳内に現れた『Link』の文字に気づく。
自分のI―ブレインと有機コードを伝わせる事なくリンクを貼れるのは、キラルの外部接続ディバイスである黒曜だけなので、必然的にそうなる。
(外部端末からのデータ転送を容認、受信します)
メッセージと同時に複数のファイルが脳内に現れる。
適当な堅さを持ったプロテクトに守られたファイルは、すべて依頼達成に必要だったもの。どうやら、アトラスの攻撃で弾き飛ばされた後に、黒曜が仕入れてきてくれたらしい。
『サンキュウ、黒曜』
頭の中で言うと、アトラスの肩を押さえたままの狼が尻尾を振る。

獣の姿をとっているが、一応黒曜はサポート用外部接続ディバイス……大雑把な話、キラルの魔法士能力をサポートするために作られたコンピュータだ。
コンピュータなので、もちろん頭はいい。
そこんじょそこらの端末には負けない。
このデータも、独自の判断でその辺にあった端末にハッキングして、取って来たに違いない。
以心伝心。
さすがは長年連れ添った相棒。しっかりしている。

「おい、データ取らねえのか?」
まったく事情の飲み込めてないらしい彼が、不思議そうに聞いてくる。
「うん。黒曜が先にとって来てくれたからいらなくなった。」
「は?」
「えっと……」
どう説明するべきか――
というより、軍の人間に情報を漏らしてもいいのか?
「この子は黒曜。飛行艦艇につまれてる演算機関並みの演算素子持ってて、しゃべったりはできないけど、人の言ってる事なんかは分かるんだ。だから勝手に取ってきてくれた」
とんでもなく完結に、キラルは説明した。
かなり杜撰だと思うが、あくまで目の前にいるのは敵。
いつ、情報を悪用されるとも限らない。
「さてと、情報も手に入れたし、さっさとここから出なくちゃ……」
黒曜が押さえつけている男の事を放っておいて、しばし考えにふける。
とりあえず、ここからトンズラしなくてはならないが、どのルートでいくか、はたまた、ここに捕まえた捕虜をどうするか、様々な案を出しては却下していく。



別に、考えにふけっていたからといって、キラルは油断していたわけではなかった。
索敵のために作り出した空間座標を視界の端に出していたし、そこに、物理的な動きを示す値は現れていなかった。

しかし、ここにいたのが、キラルや炎使い系の魔法士でなければ、すぐにそれに気がついただろう。

世界の分子構造や気体分子の動きにより、世界を知覚するタイプの魔法士は、その情報に頼りすぎてしまう傾向が強い。
分子の流れで世界を知覚してしまうため、情報の面からなら容易に気づくような出来事を、時折見落としてしまう。
故に、キラルは致命的なミスを犯した。
アトラスを押さえ込んでいるはずの黒曜が目の前に飛び出して、はじめてキラルはそれに気がついた。
はるか前方、光の届かない廊下の突き当たりの壁。
沈黙しているはずだった自動銃座の銃身に走る紫電に……
(高エネルギー体接近。防御不能、回避不能)
この場になって、I―ブレインが警告を上げるが間に合わない。
出力を抑えられた荷電粒子の槍が、立ちはだかった黒曜ごと、キラルの左肩を貫いた。


†  †  †  †  †


急に肩にかかっていた重みが取れ、I―ブレインが機能を回復したと感じたとたん、I―ブレインが小さな警告を上げた。
頭の後ろに腕をつき、力を込めて体操の要領でその場から離れる。
下がっている最中、廊下に光が走った。
内壁を傷つけないレベルに出力を落とされた、しかしながら貫通能力の高い荷電粒子の槍が、黒曜と呼ばれた論理回路の塊と少女を貫く。
言葉にならない、甲高い悲鳴が上がる。
少女は攻撃を受けた左肩を押さえたまま、その場にしゃがみ込んでしまった。
うめくような声が切れ切れに届く。
傷口から溢れ出す鮮血を少しでも止めようとするかのように、少女の右手が、左肩を押さえつけている。流れ出た血は白磁の肌にべったりと張り付き、絹糸のような銀髪を赤く染め上げていた。
そんな少女の姿に、アトラスに視線が釘付けになる。いや、姿ではなく、その右手に……

さっき、少女が氷のナイフを作った時にちらりとだけ見えた右手。
長いロングコートの袖に隠れる形になっていたその手は、指が四本しかなかった。
ちょうど、中指の付け根に当たる部分にいびつな傷跡。まるでむりやり切り取ったかのような……
その手に、アトラスの神経が引っ掛かった。

(――まさか……いや、偶然だろ)

「ゼラニウム中佐! ご無事ですか?!」

ちょうど荷電粒子砲が打たれた方向から聞こえた声にアトラスは振り返った。
本艦【ヘイロン】との連絡役を受け持っていた二等兵を含めた警備兵が十数名が、手に電磁射出の小型自動銃を構え、少女を囲むように一列に並んだ。
そして……
(脳内エラー。I―ブレイン演算効率低下、『情報の海』と『自我』の接続遮断)
警備兵が運んできた装置を見て、アトラスは顔をしかめた。

電磁雑音放射ディバイス―― ノイズメイカー。
一定パターンの電磁場を放射することで、情報の海内部にコンピュータ・ウィルスに似た特殊構造を形成させ、演算機関及び、I―ブレインの機能停止を引き起こさせる、対魔法士戦用の兵器だ。

確かに相手の攻撃は防げるが……
コレを使われると、俺も魔法使えねえんだが――
「……俺は用済みかよ」
「相手の魔法士タイプが不明なんだから、仕方がないでしょうが」
不意に肩を叩かれて後ろを振り返る。
さまざまな作戦で運命をともにした大尉クラスの女兵士が「あきらめとけ」といった表情で口にした。
それに……と、すっかり顔なじみになってしまった彼女がむっとした顔で続ける。
「ゼラニウム中佐、あの女に負けてたじゃないですか」
「ほっとけ!」
確かに負けていたかもしれないが、あれは不意打ちというものだ。
「まあ、あなたの事は置いといて……、所属・正体ともに不明な魔法士一人を捕獲します」
大尉の命令で、銃を構えた兵士達が少しだけ少女に近づく。
そのとき、少女が伏せていた顔を上げた。
貫かれた肩を手で押さえ、びっしりと冷や汗をかきながらも、少女は気丈に前を向いていた。
射るような鋭い視線に、数人の兵士がたじろぐ。
決して視線をそらせることなく、少女がゆっくりと血の滴る左手を伸ばし、胴を貫かれて横たわる獣に触れようとする。
まるで、死んでしまったモノをいたわるかのように……



ふと違和感を覚えた。
身動き一つしない獣を見て、少女を見て、再び獣に視線を移してはじめてその正体に気づく。
論理回路を刻み込まれた体毛には、一点の穢れもなかった。
炭化した傷口は確かにあるのに、たった一滴の血すら流れていない。

―― 演算機関並みの演算素子持ってて……

アトラスは自分の思い違いに気がついた。
あの獣は、生きているものではない。
「油断するな。そいつはまだ何か隠して……」
隠している、と言おうとした言葉は途切れた。
少女の手が獣に触れた瞬間、圧倒的な強さを持つ光が辺りを支配した。
――
光に慌てふためく兵士達の怒号の奥で、澄み切ったアルトヴォイスが何かを呟いた。


†  †  †  †  †


肩が、肩から先にある腕のすべてが痺れる。
あまりに強すぎた衝撃と傷みに、すでに脳の感覚が麻痺を起こしている。
I―ブレインがうまく起動しない。
多分、何の予告もなく強力な電磁波を受けてしまったために、一時的な処理オチ状態になってしまったようだ。
痺れの奥で思い出したように走る激痛が不快。
流れ出し、服に染みてゆく血の重みが不快。
身体の方はぼろぼろなのに、頭の方は徐々に冴えていった。

ここで、死にたくないと思った。
自由を奪われたくないと思った。

(I―ブレイン再起動……システムエラー。システム稼動効率三〇パーセントに下方修正。プログラム展開効率低下。本体のみでの高位プログラム展開不可)
かろうじて再起動したI―ブレインが、強い電磁場に悲鳴を上げる。
それでも、再起動ができただけでも奇跡だ。
できる限りの努力で、傷口に溢れてくる血液の情報を液体から固体に書き換えて止血する。
顔を上げて、前にあるノイズメイカーと十数人の兵士をまとめて睨みつけて……
黒曜に、風使い≠フ外部接続ディバイスに手を伸ばした。
(情報体感知。「フェンリル」とのLink確立。起動パスワードを確認します)
遠くで男が叫ぶ声を聞きながら、キラルは言葉を搾り出した。

「システム起動。パスワードは……NOVEM……ノウェム」


†  †  †  †  †


視界を焼き尽くす光が消えたあと、アトラスの眼に飛び込んできたのは、少しだけ外見を変化させ、ゆらりと立ち上がった少女だった。
どこから出したのか、その手には、少女よりも頭一つ分は長い、騎士剣にも似た剣が握られていて、両の手首にはプリズムのような輝きを放つ、大きさも色合いもまちまちな光の破片が、花びらのようにぐるりと取り巻いていた。
周囲の兵士達も唖然としている。
「は……羽?」
隣にいた女大尉がかすれた声を上げる。
そう。
少女の背中には、三対六枚の……羽としか言えない何かが広げられていた。

長さは一枚三メートルから五メートル。
色はサングラスのように透けた紫暗色。
形は鳥の翼とも蝙蝠のそれとも異なっている。
最も近いのが蜻蛉(カゲロウ)やトンボ……つまり、昆虫が持つ、透明で薄い翅のようなもの。
色合いは均一ではなく、ところどころ、葉脈にも似た銀色の線が稠密に刻み込まれ、翅を縦横無尽に走っていた。
背の翅は、重力など吾関せずといった様子で、まるで硬さのない布のように宙を揺れている。
翅≠ニ表現したのはいいが、あれで空が飛べるとは普通の人間なら思わない……が、アトラスはあの翅が飛行能力を有していることを知っていた。

たった一度だけだ、アトラスはそれを見たことがあった。

ゆらゆらと揺れる翅に、金属色にきらめく剣に、視線が釘付けになる。
刹那……
「なっ……!?」
少女が、その場から掻き消えた。
視界から消えた事に気づくのにコンマ一秒、ノイズメイカーの効果で機能ダウンしたI―ブレインが警告を発するのに、更に千分の一秒の隙が空いた。
たったそのわずかな時間で、少女は自動小銃を構える兵士達の目の前にいた。
瞬間移動したようにしか、見えなかった。

「……ハデス・ブレス」

小さな囁きとともに、構えられた剣が横薙ぎに振られる。
たったそれだけで、半数の兵士が地面に倒れ、背後にあったノイズメイカーが真っ二つに切り裂かれた。
「い……いつの間にっ!」
大尉が叫び、手にしていた銃を少女に向ける……が、持つ手はカタカタと小刻みに震えていた。
まだ立つ事を許された兵士達にも、焦りの表情が見え隠れする。
そして、倒れた兵士達はピクリとも動かず、うめき声一つ上げない。

少女は、一秒にも満たない短時間で、この場の空気を制圧してしまった。

「まだ……間に合う」
この場の雰囲気に似合わない、少女の声音が廊下に響く。
背に昆虫の翅を従えた少女が、肩の傷を押さえながら、高くも低くもないアルトヴォイスで言葉を紡ぐ。
その表情は、先ほどまでの強い視線とは比べ物にならないほど儚げで、どこか悲しげだった。
「倒れた人達は、まだ殺してない。今の内に手当てをすれば助かるはず。死なせたくなければ、このまま見逃して」
(大規模な分子制御を確認)
ノイズメイカーが破壊され、機能回復したI―ブレインが告げるが反応できない。
少女は再び、アトラスの視界から消えた。



少女の姿が消えてたっぷり十秒の沈黙ののち、アトラスはようやく我に帰った。
「……大尉……被害状況の確認、及び兵士達の現状の把握、急げ」
喉の奥から、その単語を搾り出す。
呆然としていた大尉は、そこでやっと現実に引き戻された。
「えっ……は、はい! 無事な兵は負傷兵の手当てを急げ! 連絡兵はすぐに本艦に連絡、正体不明の魔法士が逃走した事を報告せよ!」
怒号のような命令に、普段の調子を取り戻せぬまま、兵が従っていく。
そんな光景を横目に見ながら、アトラスは脳の奥底に保存されていた記憶データを一つ再生させた。



灰色の、雲と言う名の天蓋に覆われた空。
何千と言う兵士と空中戦車部隊、飛行艦隊、そして十数名の魔法士が集結し、大規模な戦闘を繰り広げていた、北ヨーロッパ、ノルウェー会戦。
連合軍に随従し、数多くの一般兵士を亡き者にし続けていた自分の視界に飛び込んできた、一人の魔法士。
肩口で切りそろえられた銀髪を吹雪に舞わせ、闇に溶ける三対六枚の翅で空に浮いていた、十前後にしか見えない幼さにして、共和軍における切り札。
嵐を統べ、近づく者すべてに死の風をもたらせた死の御使い。
最強≠ナあると同時に、誰もが最凶≠セと噂した、正体不明の魔法士。



「黒翼だと?……そんな、馬鹿な話があるか」

慌てふためく雰囲気の中、アトラスの言葉だけが冷たく響いた。




<作者様コメント>

えーと……すいません。かなり開いてしまいました(汗)
書く速度が「亀の歩み」を通り越してデンデン並みですいません。
もう少しポンポンと書けるように努力したいです。

一応、ここで第一章は完結。
次から第二章に入り、
おなじみの「あの人」を含めた様々な人が世界に登場します。

P.S アイディア被ってしまった人、もしいたらゴメンなさい(汗)

<作者様サイト>
Seiren Media

◆とじる◆