蒼穹の天、真紅の地

忘れた物は数あれど


「――ゼフィロスは、どうしてるかな」
 ふと、そんな言葉が口をついて出た。
 真昼は、賢人会議の新拠点とした島の、海岸に腰掛けていた。
 ついてからすぐにエントロピー制御を開始したため、辺りには名残雪に彩られた地面があった。
「……真昼」
 声がして振り向けば、サクラがこっちを見上げている。
 少しの涙と、珍しい心配顔。
「……どうしたの、サクラ。そんな顔して」
 柔らかく微笑んで、「らしくないよ」と続けようと口を開いた。
「ゼフィロスと、本当に……別れて良かったのか……?」
 虚を突かれた。
「サクラ」
「私は……嫌だった。ゼフィロスと、フリーナと、離れたくは無かった」
 サクラの目に映るのは、二人との暖かい情景。
 ――サクラ、貴方は子供だな。
 ――体つきもね。
 ――ゼフィロス! 貴方は死にたいのか――!?
 そんな他愛もない掛け合いが、サクラの瞳には映っていた。
 その目に滲む涙にも、また違うそれが映っていた。
 ――僕は、人を殺したくない。皆それぞれに、命と生き方と大切な人がいて、皆誰かの為に頑張ってるんだから。……僕はそれを、全て踏みにじって進む。
 ――私は、ゼフィロスの悲しむ姿を見たくない。けれども私に出来ることなど、何一つない。……私は、強くなどない。
「私は……なぜ、あの二人をあっさりと受け入れられたのか。なぜ、ああも簡単に信じることが出来たのか」
 サクラの中でせめぎあう数多の自問と数多の自答、思い出と感情、そんな物が今、表面にまで表れ始めている。
「賢人会議の目的を知り、それでも仲間になりたいと志願したからか? あの度が過ぎた強さが欲しいと、私が思ったからか? ……私には、分からない」
 何故、何故、ナゼ、なぜ――
 見るに耐えなくなって、視線を逸らした。
 視線を逸らして、呟いた。

「……分かってたんじゃないかな」
「……なに?」
 真昼もずっと、引っかかっていたことだった。
 なぜサクラがああも軽く結論を出せたのか。
 答えは、単純明快で、確証などないのものだった。
「君には、分かってたんじゃないのかな。ゼフィロスが僕の弟だって事。敵に回るはずがないって事。君はたった少しの時間で、心の奥底で理解したんじゃないのかな」
 そのことに、今やっと気付いた。
「……こんな事、ただのこじつけだって言われたら、それまでだけど。僕は、そう思うんだ」
 真昼は顔を上げて、頬をぽりぽりとかいた。
「そうかも……しれないな」
 サクラの瞳が、すぐそこにあった。
「『本当のことなんか分からないんだから、僕らが勝手に信じててもかまわない』」
 サクラの細い指が、真昼の手に乗せられる。
「のだろう?」
 サクラは、小さく笑っていた。
「……そうだね」
 視線は逸らさず、ただサクラの瞳を覗き込んだ。
 水滴がサクラの頬を伝い、とけかけた雪に混じって消えた。


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「セラ、入るよ」
 ノックの後、ディーはドアノブを捻って、部屋に入った。
 やっぱり、セラは泣いていた。
「……ディーくん……」
 運びこまれたベッドに座り込んで、くずおれるようにして泣くセラ。
 その脇に腰掛けて、セラに微笑みかける。
「今、フリーナさんは……大丈夫でしょうか……」
 ……やっぱり。
 ディーは、一つ息を吐いた。
「ゼフィロスさんも、フリーナさんも、大丈夫」
 ディーのトレードマークとでも言うべき、一房だけ伸ばした髪はしかし、この前切り落とされて今はない。
 ゼフィロスとフリーナを助けたときに、騎士に切り落とされてしまった。
 同じように、セラのお気に入りのリボンもない。
 多少無茶な重力制御で、リボンが吹き飛ばされてしまったのだ。
「ゼフィロスさんは、僕らと勝手に約束していったんだ」
 自分の髪飾りも、セラのリボンも、全てゼフィロスが持って行ってくれた。
「『預かるから、いつか返す』って、そんな笑顔だった」
 でなければ、あんな物を拾っていくはずが無いと、ディーは信じていた。
「ディーくん……」
 セラの泣き顔に、かすかな希望が混ざる。
「いつか、絶対にまた会える。僕が約束する」
 セラの泣き腫らした瞳を見て、言う。

「だって、ゼフィロスさんと僕は同じだから」
 へ、と首を傾げるセラ。
「大切な人がいて、そのために戦えるのは、僕も同じだから」
 そう。
 多分、ゼフィロスさんもそうなのだ。
「だから、賢人に入ろうと決めた。『フリーナさんが幸せに暮らせる世界』が欲しかったんだ」
 自分だって同じ。
「僕と同じように、『大切な人の世界』が必要だったんだ」
 結局それだけのこと。他の理由は何一つ要らない。
 傍にセラがいて、自分はセラを守る理由があって。
 それだけで、ディーもゼフィロスも、人を殺せた。
「だから」
 だから、ディーは剣を取る。
 だから、ゼフィロスは刀を構える。
「だから――、僕らはそれまで、ずっと生きてなきゃいけないんだ」
 それが理由。
 ゼフィロスとフリーナが生きていると信じる、理由。
「それで、十分だよね?」
「……ディーくんっ!」
 セラに抱きつかれて、ディーはベッドに倒れこんだ。
「私、頑張ります。フリーナさんに会えるまで、ずっと頑張ります。だからディーくんも」
 セラの大きな瞳が、目の前数センチのところにあった。
「――私のためだけじゃなくて、ディーくんのためにも頑張ってください」

 セラの唇からは、涙の味がした。


++++++++++++


 ああくそ、とイルは拳を振り上げた。
「あたた……忘れとったわ、この傷」
 右の脇腹に鋭い痛み。
 あの事件のとき、賢人会議にやられた深い刺し傷。
 全く、とイルは悪態をついた。
 シティ・モスクワ、第二十階層。
 イルは老騎士とともに、極秘の研究施設の通路を歩いていた。
「『神』の入手には失敗やし、おかげで『唄』も分からずじまい。……世の中、うまくいかへんもんですなぁ」
「それはもう、どうしようもない。人が介入できる次元ではないからな」
 老騎士が相槌を打つ。
 程なく、目の前に分厚い隔壁が現れる。
 可能な限りの情報強化を施された強化チタンの隔壁を、指紋認証で開ける。
 一つ、二つ、三つ、四つ――合計十二の隔壁が開いて、周囲に張り巡らされたセンサーが機能を停止。同時にノイズメーカーが起動、T−ブレインを強制停止させる。
 防壁を展開して、Tーブレインの蓄積疲労を抑える。
「ここは厳しーなぁ。しょうがあらへんけど」
 ノイズの中をゆっくりと歩いて抜ける。
 端にたどり着いてから、再度指紋認証でドアを開ける。

 ――『神器』。
 人類の叡智を軽く凌駕した『  O  T  オーバーテクノロジー』の塊である、謎の武具。
 致命的なプログラムの欠損がある故に起動には至らないし、どのような能力なのか、具体的なことは何一つ分かっていない。
 分かっているのは、カテゴリーAの魔法士二人分に匹敵するほどの高出力演算を可能とし、マザーの代替品として、二十分に役立つ物。
 ただ、欠損プログラムを保有するのは『神』および謎の『五使者』であり、それは『唄』として分散されている、そういうことだった。

「やっと来ましたか。イル」
「遅れてすんません。色々あったもんで」
 脇腹を指差して、軽く頭を下げる。研究員は「いえいえ」と言って、表情を険しくする。
「……『神』の捕獲には失敗したようで」
「すんません。マザーにも逃げられよって、ホント惨敗でした、今回は」
 今回は、という言葉を強調して、イルはもう一度、今度は深く頭を下げた。
「しかし手がかりは十二分に残されている。今するべきことは、反省なんかではない」
 老騎士は頷いて、端末を叩く。
「イル、データを」
「わかっとります」
 有機コードをうなじの辺りに押し当てて、Tーブレインの過去ログを引っ張り出す。その中から一場面選んで、端末へ送る。
「……こいつです。『神』は」
 黒髪に透き通るような肌。銀幕から抜け出してきたかのような端正な顔立ち。目はやんわりとしているが、目に宿る光は鋭い。
「マサチューセッツんとこのうちの姉貴に頼めば、すぐに見つけてくれる思います」
 研究員は一つ頷いて、
「こっちも可能な限りでプログラムを構築してみます。……そっちは、」
「分かってます。はよう作戦案詰めて、とっとと追いかけますわ」
 上の方にもアプローチはかけときました、とイルは言って、立体映像に映る銀幕の中の少年を見やる。研究員は、奥のほうへ戻って端末を叩き始めた。
 それにしても。
「こいつ……なんで俺を殺さへんかったんや……?」
 ここのファクトリーの生産システムでの一戦。イルは、死を覚悟するところまで追い詰められながらも、逃げることが出来た。
 まるで、走り疲れたとでも言わんばかりに、攻撃の手を止めた少年。
 疲れた?
「……なるほどな。見えたで、『神』唯一の弱点」
「何?」
 老騎士が、問いかける。
 相手はもう、『虚無の支配』を持っていない。
 たとえ『世界の理』などという能力だろうと、自分の量子力学制御を破るためには、同じ量子力学制御がいる。
 たとえ相手が自分の能力をコピーできて、たとえ効果範囲が無限だったとしても、自分だけなら、いや局所的にだけなら。
「要は持久戦なんです。仮にもT−ブレインなら、蓄積疲労があるはずなんです。そしたら、俺の量子力学制御で我慢比べすれば、能力の強さぶんあっちのほうが不利なはずです」
 T−ブレインを超過稼動させて、どうにかしのげれば――ではダメだ。
「そのためにはどーしても、俺のT−ブレインを強化できる何かがいるんです」
 騎士剣、ごときでは足りない。
 もっと強く、もっと自分の能力を補える何かがいる。
「……イル! その『何か』、ここにあるぞ!」
 研究員が走りよってくる。
「たった今、『神器』の解析が終わった。プログラムの欠損のおかげで未だ能力は不明だが」
 研究員は端末を素早くたたき、ディスプレイを表示して、
「……これを応用すれば、作れるぞ。『幻影』専用のデバイス」
 装身具、と形容するのがふさわしいだろうか。腕と足を覆う、神々しさのあるそれが、映されていた。
 先ず目に付くのが、肩口を覆うように突き出た爪。拳の先にも、二回りほど小さな爪がつけられている。
 肩から肘、肘から手首、手の甲と、三ブロックに分かれた装甲。自分の動きを全く阻害しないつくり。
 足を覆うそれは、すねのあたりに一つ。軽量化の為に出来る限りの位置に穴を開けられて、しかし殺傷力はつけられた刃により騎士剣のそれと同等かそれ以上。
「本物の『神器』はこんな形はしとらん。お前の戦闘能力に合わせて形状を変えてみた。お前の能力をあわせれば、大体こんなことが可能になるぞ」
 研究員が端末を叩くと、装身具に覆われたイルが画面上に現れる。
「――いけるで」
 イルは感嘆の息を漏らした。
「待っとれよ、『神』。俺がぶちのめしたるわ」
 マザーだけでは、この町はいずれ滅ぶ。
 しかし、『神器』を付随してやれば、あるいは。
 性能のよいコアに、負担を緩和するサブコア。
 もう、ファクトリーの生産も間に合わないくらい、モスクワは窮地にいる。
 頼みの綱はあの少年少女、それとこの『神器』。
「この町の人間だけでも、俺が生かしたる」
 天井を見上げて、拳を振り上げた。

 ――轟音が響く。
「なんや!?」
 一歩踏み出しかけて、端末の通信素子を起動する。
「何があったんや!? 今の揺れは何や!?」
『……司令部に襲撃が……至急戦闘配備に……敵は……』
 それだけを告げて、通信は途絶えた。
「イル! 行くぞ!」
「分かってますわ!」
 叫んで、表示されたままのディスプレイに視線を向ける。
 両手を覆うガントレット、足のすねを覆うアンクレット。
 殺傷力と量子力学的制御を極限まで突き詰めた、唯一つ『幻影』専用のデバイス。
 『Ever Lasting Ruin:Tipe"Goddes" Light Tipe Ex,"Claw"』と表記されたその装身具を、その目に焼き付ける。
「……待ってろよ」
 そう、呟いた。


++++++++++++


 手にした斧で、手近な兵の手首を落とす。苦痛に呻く兵士を蹴り飛ばし、襲い来る銃弾の雨を鉄の盾でどうにかしのぐ。
 少女は、まだどこかで寝ているだろう。
 それとも、負傷者の手当てに忙殺されているだろうか。
 考えて苦笑し、銃弾の分子配列を変換。複数の刃へと変形させ、鎖で斧と繋ぐ。
 走り寄る騎士に向けて、鎖を一振り。
 騎士が刃を情報解体するのと同時に、脳内でスイッチを叩く。
(分子配列変換。論理式の破損した物質を収束、形状設定。生成『鎖鎌』)
 情報解体されたはずの刃が一瞬にして、大きな鎌へと形状を変更する。最初に与えた運動エネルギーに従って、鎌は騎士剣に深々と食い込み、そこで過負荷に耐え切れなくなってばらばらと崩れ落ちる。
 騎士剣もそれを追うように、崩れていく。
 大幅に速度を落とした騎士の胸辺りを、斧で切りつける。ほとばしる鮮血を振り払い、走り出す。
 目指すは司令室、『軍規』解除プログラムの入手。
 ……ここの階段を上がれば!
 雪崩を打つ銃弾をまとめて一つの鉄球にして、周りの強化チタンを集めてレールに変形、兵士たちの方へ返してやる。
 三段跳びに階段を駆け上がりつつ、通路をせり上げて隔壁代わりにする。
 大きく、息を吐く。階段をゆっくりと上っていく。
 Tーブレインの過去ログを引っ張り出して、隅々まで目を通して、
 ……よし、誰も殺してない。
 殺さなければいいというわけではない。誰かの一生が大きく変わることなのだから、そんな権利があるはずがない。
 けど、あの少年は教えてくれた。
 人を殺す権利など人にはない。けれども、『それは即ち悪』にはならないと。
 自分の命を差し出せる、自分の一生を血染めに出来ると、そう誓える大切なモノがあるのなら、それを成し遂げるのに権利の一つだって要らないと。
 必要なのは覚悟と力。死ぬ覚悟と生きる覚悟、心の力と体の力。
 守るべき者の為に、人を殺すのは『人として』自然なことだと、少年はそう説いた。
 だから、戦っていい。
 だから、殺して、いい。
 俺は、レイの為に
「待てや」
 ――意識が、現実に戻ってきた。
「お前の考えとることはよう分かる。アイツ連れて、こっから逃げるつもりやろ?」
 幻影が、すっと一歩踏み出す。後ろには、騎士の姿。
「……お前、何で『軍規』、破れるんや」
 肩に斧を担いで、ため息一つ。
「ここの『軍規』の解除条件が『死ぬこと』だから」
 あの少年は、自分を殺し、自分を生き返らせた。
 全てを見越して、神様はチャンスをくれた。
「俺は一度死んだ。だから頭の中に軍規がない。それだけのことだ」
 それで説明は事足りる。後は刃を交えるのみ。
「……『神』か……本当に何でもありなんやな」
 幻影が呟いて、奇妙な拳の構えを取る。
「ほな、とっとと片付けさせてもらいましょか」
 騎士の姿がかすむ。
(『鉄盾』発動)
 甲高い金属音。振りぬかれた騎士剣を、鉄の盾はしっかりと受け止める。
(形状変更『鉄鎖』)
 騎士剣に絡み付けて、隙を作り出す。
 騎士が剣を握る手に力をこめる。
(論理式の破損した物質を再構築。『鉄槍』)
 情報解体を受けて一瞬形を失った鎖が、形状を変更して槍に。そのまま突撃、騎士の腕に突き立つ。
 一瞬顔を引きつらせ、騎士が大きく後退する。
 ……よし。
(『遮視』)
 空気中の物質をちょっといじって、遮光性の気体を充満させる。
「くっ!」
 騎士の舌打ちが聞こえる。
(逆算完了。『雷光』発動準備。『避雷針』生成)
 足音、呼吸音、壁にぶつかる音、そのたびに漏れる舌打ち……そういった『音』即ち『空気中の分子運動』を読み取って、頭の中に仮想視界を構築する。
 移動を開始する騎士の通行ルートに避雷針を生成。同時に手のひらで空気中の物質の状態を変換、高密度のプラズマ状態に変更する。
 それを避雷針に放って、イオンは走る。
(『遮視』属性付与『電磁ノイズ』。自身の周囲に属性付与『ノイズ吸収』)
 幻影と騎士ののけぞる気配があって、空間に紫電が散る。
 ゆっくりと宙を漂っていたプラズマが、避雷針に触れ、
(プラズマ高圧縮、発動『雷光』)
 一瞬にして超高圧縮を受けたプラズマは計り知れぬほどの電圧を帯び、避雷針に触れた瞬間、稲妻となって放たれる。その稲妻は他の避雷針目掛け宙を駆け、大気中に充満する電気力を吸収しつつ避雷針に着弾、再拡散を開始する。
 イオンが捻りに捻って考え出した、対幻影、いや対魔法士専用の大技――『雷光』。
 ノイズ改変の間に合わない幻影を、痛みに頭を抑える騎士を、霹靂は貫き、弾き飛ばす。
 司令室の端末に手を触れ、今の大放電でイカレてしまったアクセス元をナノコンマ二秒で修復。有機コードを介してプログラムを発見、すぐさま脳内へ移す。
 完了のメッセージが出る前に、誰かの立ち上がる音。
 幻影であれば意味をなさないがそれは承知で、鉄球を無差別に撃ちまくる。
 打撃音があったところから考えると、どうやら騎士だったらしい。
(転写完了)
 脳内をメッセージが踊ったその瞬間、有機コードを引きちぎるように引き抜いて、司令室の窓を破る。
 幻影の怒声を背後に、イオンは闇へと飛びだした。
 闇にたたずむ、モスクワの町。
 これで見納めかと思うと、ちょっとむなしかった。
 慣性の法則に身を任せつつ、壁面からワイヤーを生成。彼女がいるはずの部屋にうまく降り立てるよう考えて、先のほうにフックを作る。
 同じように壁面のずっと下にもフックをつけて、ワイヤーを放つ。
 ガキンと引っかかる手ごたえがあって、すぐに体が方向転換を開始。流れるように、視線の先、一つの窓に向けて宙を行く。
 窓のガラスを変換、大量のビー玉に変えてやる。
 大きく開いた窓の穴へ身を滑り込ませ、ワイヤーを放り投げて、
「――イオン!?」
 レイが、目の前にいた。
「話は後だ! 逃げんぞ!」
 混乱する少女を抱え、負傷した兵士たちを尻目に、もう一度窓を飛び出す。
 悲鳴を上げる少女。
 心の中で謝罪しつつ、ワイヤーを掴みなおす。はるか上のフックを消去、自由落下を開始。
 ワイヤーを巻き戻して地表へ放ち、先を自分の足に巻きつけ、斧を引き抜く。少女を腕に抱えなおし、頭上を振り仰ぐ。
(『鉄盾』『大鎌』『蝋弾』)
 騎士の剣を盾で防ぎ、大鎌を一閃させる。金属音が響いたところで、高温のロウの弾を幾つもぶつけてやる。
 騎士が全て打ち落とそうと剣を振るう。しかし、流体のロウは分裂するだけで、勢いを止めはしない。
 焦る騎士の眼前に、先程の大鎌で一閃。
 辛うじてそれを情報解体した騎士は、迫り来るロウの玉を片っ端から情報解体。
(論理式破損物質を再構築。『蝋弾』。『鉄盾』形状変更。『鉄槍』)
 イオンに情報解体は通じない。物質が形状を失う前に、新陳代謝を行うように物質を分解、再構築。結果として論理式を破損するはずだった物質は情報解体を受けながらもその形を維持する。
 騎士の体を、高温の蝋が焼く、その寸前に幻影が量子力学制御を開始。騎士と幻影をすり抜けた蝋は、空中で形を失い、闇に解けて消える。
 それを合図に、盾が槍へと変わる。
 放たれた槍はまたしても二人をすり抜け、空中へ解けて消える。
(粉塵を生成。『珠炎』発動準備)
 大量の粉塵を球形に五つ、幻影たちを取り囲むように展開。
(熱量エネルギー収束)
 膨大な熱量が、肌を舐める。
 幻影が手を掲げて、自分たちの存在確立を限りなく0に近づける。
 全部、計算どおり。
(『鉄盾』生成。熱量放射『珠炎』発動)
 鉄の盾が出現、同時に熱量が移動を開始する。
 行く先は――粉塵。
「んなもんがオレに利く思うな――!」
 幻影の叫びとともに、粉塵に火がつく。
 瞬く間に爆発を起こす粉塵。
 それはイオンの前方に掲げられた盾を、容赦なく打ち据える。
 盾はそれに耐え切れず、大きく吹き飛ばされる。
 そして、イオンは、
(『遮視』属性付与『電磁ノイズ』)
「じゃ、色々お世話になりました、っと」
 地表へと吹き飛ばされるそれにしがみつき、幻影に敬礼。その一瞬で電磁ノイズを大量に放射する遮光性気体が幻影と騎士の視界を覆い、T−ブレインをノイズにまみれさせる。
 地表に激突する寸前で、鉄の盾を解体、無数のワイヤーにして、ばねのように衝撃を殺す。
「……イオン」
 少女の声には、涙の色が。
「こんなことして、よかったの……? 私なら」
「レイ」
 シティの外壁に手を触れて、ゆっくりと分子配列を変換、通路を作り上げていく。
「……俺は、レイをマザーコアになんかさせない。こんなところにも居させない」
 出来上がった通路のドアを開け、少女を引っ張るように一歩踏み出す。
「結局、あと数日でマザーコアになっちまうんだ。だったら、ゼフィロスとの約束なんか意味ないじゃんか。それに」
 少しずつ通路を元の外壁に戻しつつ、最後の扉の前に来る。

「俺は、レイが大好きだから」

 出迎えてくれた雪のヴェールは、見たことないくらい綺麗だった。


++++++++++++


 やれやれ、と一つため息。
 雪の積もる寂れた町を見渡して、それから一番近くの家に目を移す。
 開け放たれたドアの奥、確かに残る『天樹』の痕跡。
 どこへ向かったかなんてものは、欠片も残ってはいない。
「真昼も、面倒を押し付けてくれたね」
 再び、ため息一つ。
 『天樹錬』の所在について、今まで何か分かったことがあるだろうか、と頭を悩ませる。
「ゼフィロス、やはりダメだ。ここには証拠のようなものはない」
「やっぱりか、ありがとフリーナ。……また情報収集からやり直しだね」
「……面倒な話だな」
 ゼフィロスは、一つ唸った。

 賢人会議の、シティ管轄の研究施設襲撃事件。
 ゼフィロスは賢人として、フリーナ奪還の強襲作戦を敢行することとなった。
 辛くもフリーナを助け出し、賢人たちに別れを告げて、ゼフィロスは施設から脱出した。
 その際に真昼から言付かった『天樹錬を頼む』という約束。
 ……たぶん、心配だったんだろうなぁ。
 あれでも兄だ。表面では穏やかだが、やっぱり心配なものは心配だったのだろう。
 というか、自分の事も心配だから、互いを助け合う形にしようと考えたのかもしれない。
 自分に似た柔らかな笑みを思い出して、ふふっと小さく笑う。
「どうした、ゼフィロス」
「や、なんでもないよ」
 いぶかしむフリーナに、ひらひらと手を振って答える。
『ゼフィロス、こちらも手がかりは無かった』
「あ、おかえり、オーディン」
 自分とそっくりな顔をした少年を手招きして、小さく笑う。
「さっき計算室の方見てきたんだけど、ぎりぎり動かせそうなんだ。何日持つか分からないけど、とりあえずここでしばらく過ごそうか」
 天樹家を指差しつつ、ゼフィロスは言う。
「……まぁ、いいのではないか?」
『それで汝がよいのなら』
 ポンと手を打って、
「じゃ、決まりだね」

 それは、究極の魔法士の話。
 歴史から忘れられるはずだった少年が、自ら望んで進んだ道。
 この先、少年は何を見出すのか。
 この先、世界はどちらに転ぶのか。

 すでに運命は二つ。

 滅ぶか、甦るか。

 少年は蒼穹の天を見上げ、少女は真紅の地を嘆く。

 さぁ告げよう、始まりの言の葉を。




































あとがき。

 今回のお話は後日談となっております。デクノボーです。

 『蒼穹の天、真紅の地』いかがでしょう? ゼフィロスとフリーナ、二人のお話は。

 面白いと思っていただければ幸いです。


 すみません、実を言いますと、今回のお話はですね。

 七祈さんがくださったアドバイス、および残念なところを、可能な限りまとめて直したものなんです。

 直せなかったのものは、次の話で明かしていこうと思います。

 多分皆さん疑問に思われた部分ですので、お分かりいただけると存じます。

 それでは、次章は『天使たちの宴』。

 『神』は『悪魔使い』と出会い、『人間使い』『鳳騎士』は歴史の表へ足を踏み入れ、目覚めるは一人の『女神』。

 我らは唄う。天空と未来の唄を――

◆おわり◆