■■デクノボー様■■

 蒼穹の天、真紅の地〜真実の中の、その一つ〜



 賢人会議の拠点、かつてのマダガスカル島。
 今となってはいくつかの島々に砕かれた、その一つ。
 その島の中心にひっそりと作られた、宿舎のような場所。
 その一番角の、一つの部屋。
「ん……」
 先程まで安らかな寝息を立てていた少女が、唐突に目を覚ました。
「起きた……のか?」
 そしてその傍らで、少女の目覚めを待っていた少年。
「あ、おはよ。……ここどこ?」
「随分簡潔だなぁおい」
 そういって少年は、机の上の通信素子のスイッチを入れる。
『……どしたの?」
「ゼフィロスか? 起きたからサクラ呼んできて。よろしく」
『……何でその子の名前使わないの?』
「えっとー、まだ本人が承諾してないのに名前使うのはどうかと……」
『なら「こいつ」とか「俺の連れ」とか「俺の彼女」とか言いようはあるでしょ?』
「いや、すぐに名前決まるのにそんな抽象的なのもどうかと……って、最後のはなんだ! こいつは俺の彼女なんかじゃ――」
『じゃ、サクラ呼ぶね』
「あっ待てこら逃げんな! 前言撤回しろぉ――!」
 顔を真っ赤にして、通信素子に向けて大声で叫ぶ少年を無視し、ゼフィロスは通信を切った。
 やり場のない、怒りというか葛藤というか、なんだかよく分からない感情で、少年は拳をわなわなさせていた。
「……誰と話してたの?」
 その声で、体が凍った。
 とてもぎこちなく、首だけで後ろを振り返る。
「私が……あなたの……その……えぇと……」
 可愛らしく耳を桜色に染めている、少女が目に映った。
 ――頭の中が真っ白になった。


++++++++++++


 ゼフィロスは、机の上に突っ伏して寝ているサクラを、真昼に頼んで起こしてもらった。無論、真昼に起こさせたのはサクラが『心の奥でなんだか意識している青年がさわやかな笑顔でまるで白馬の王子様のように自分を起こしてくれたら』どうなるかを見るためで、後でゼフィロスもフリーナに同じ事を試す、ということにもなっていた。もしこれで同じ反応を示さなかったら、やっぱり似ているのは言葉遣いだけ、ということになる。
 サクラは、頭が爆発しそうなくらい顔を真っ赤にして、わけも分からず怒り出した。
 その後、未だ興奮冷めやらぬサクラを、どうにかなだめすかして、フリーナを起こしに行った。
 フリーナは、その日はおろか明後日まで顔が真っ赤だった。
「このことについてはまた後で」
「ゆっくりと、だよね」

 そんなことがあって、少年のいる部屋に着いたのが30分後。
 ドアを開けると、そこには少年と少女がいた。
 なんだか色々あったようで、少女は少年をじっと見つめていた。
 少年は少女に見つめられて、視線が泳いでいた。
「この二人についても、色々試してみないとね」
「右に同じ」
 ゼフィロスと真昼は、顔を見合わせてくすくすと笑った。
「――! おせーよ!」
「すまない、色々あった」
 少年は少女から逃げるようにサクラに叫んだ。
「じゃ、サクラ、説明よろしく」
 真昼が軽く言う。
「……珍しいな、いつもなら貴方が説明を始めるのに」
「こっちもやることがあるんだよ」
 といって、サクラに小さくウインクした。サクラは頬を淡く染めて、少女にここの説明を始めた。
「さて、今回の結果だけど……」
「やっぱり予想通りだったね」
「性格まで似てたら面白かったのに……」
「真昼、そこがあの二人の面白みだよ」
「それはそうなんだけどね。……で、研究課題が増えたけど」
「面白そうだから……僕は賛成」
「異議なし」
 ゼフィロスと真昼は、自分たちの『研究』について色々議論を始めた。

 それからサクラの説明が終わったのが、1時間後だった。
「私の名前、レイ、って言うんですか?」
 なんとも形容しがたい顔で聞き返す少女に、サクラは少し顔をしかめた。
「……気に入らない、か? それなら違うのを考えるが」
 とは言いつつも、サクラの顔は「もういやだ」と言っていた。
 少女は一息置いて、明るく、
「とっても気に入りました! ありがとうございます、サクラさん!」
 あからさまに嬉しそうな顔をする少女を見て、サクラも自然に口元が緩んだ。
「……サクラって、やっぱり結構単純だね」
 ゼフィロスが呟いた。真昼は頷いた。
「でも、僕らみたいにひねくれてるのもどうかと」
「そりゃそうだ」
 ゼフィロスは笑った。
「ま、単純な方がいいときもあるよね」
「それはそうさ。『どんな物でも必ず何か役に立つ』……って、作者が言ってたからね」
 ゼフィロスの発言に、真昼は怪訝そうな顔をして、
「『作者』って?」
 その一言に、ゼフィロスはしまった、と口に出して、
「なんでもないなんでもない。気にしない」
 と、視線を隣であくびしている少年に移す。
「……イオン、だっけ? あの子も単純そうだね」
 こっちの視線に気付いたのか、ん? とイオンが首を傾げる。
「……単純というより、無神経そう」
 なんだよーと、イオンが口を開く。
 なんでもないよ、とゼフィロスは手を振った。
「フリーナは?」
 真昼は、ベッドの方を指差して、
「サクラとレイとで遊んでるよ……あの子は中々大人だよね」
「そりゃ、生まれてからずっと虐待受けて親も殺して、それで大人になれなかったら人間じゃないね」
 ゼフィロスの声に、苦い物が混じっているのが分かった。
「……お互い苦労するね」
 ゼフィロスは嘲るように笑って、
「そうだね」
 一言、相槌を打った。
「でも、それがいいんだよ、ね?」
「そのとおり」
 顔を見合わせて、二人は笑った。


++++++++++++


 それから数日。
 イオンもレイも、ここの生活に慣れたようで、不自由のない日々が続いた。
 ある日、イオンが「俺たちも戦わせてくれ」と言い出した。
 自分たちだって十二分に戦えるのに、指をくわえて見ているなんて出来ないと、そう言って聞かなかった。
 それから、一ヶ月が過ぎた。

「今回の作戦は危険が大きい。……しかし今回の作戦は絶対に避けては通れない」
 そこで一つ息をついて、サクラは言った。
「シティ・モスクワの、マザーコア開発施設を破壊し、前回救出しきれなかった子供たちを連れて帰還。……まぁ、この前のリベンジだ。いいか、失敗は許されない」
 失敗は許されない、というところを殊更ことさら強調して、毅然とした態度で、
「決行は明日、正午に行う。集合は11:00。遅刻することの無いように」
 サクラは、七人にそう言って、会議室を後にした。
「こういう、いわゆる『サンプルの奪取』は久しぶりだね」
 サクラがドアを閉めるのを確認して、真昼は言った。
「『サンプルの奪取』じゃなくて『サンプルの救出』ですよ、真昼さん」
 ディーが言った。
「どちらにせよ、やるべきことは決まっている」
 と、フリーナ。
「そうです。魔法士さんたちを助けるんです」
 と、セラ。
 ここ最近、セラとフリーナは妙に仲がいい。二人して料理してたり、机を挟んで向かい合って話していたり。笑いあって楽しそうにしているときもあれば、なんだか恥ずかしそうに顔を赤らめたり頬を染めたりしている事もある。
 何しているのか尋ねると、フリーナは必ず「女の秘密だ」といって、それこそ一言一句だって教えてくれない。
 話を聞くと、ディーも同じように「乙女の秘密です」と言われているらしい。
 ただ、ゼフィロスは大体どんな話をしているのか、想像はついているのだが。
「……フリーナさん、またお料理教えてくれませんか?」
「もちろんだ、セラ」
 実を言うと、フリーナの料理の腕前は昔いた『一流シェフ』と呼ばれる人々に匹敵している。『ゼフィロスに習って、それから趣味でやっていたら上手くなった』と言うのがフリーナの意見。しかしゼフィロスは『凄い才能だよ』と、いつもいつも言っている。
 ゼフィロスも、セラぐらいの料理を作ることは出来る。なぜかは教えてくれないが。
 二人は、会議室を後にして、軽い足取りでキッチンに向かった。
 そんな中、会議室の端で、一つの喜劇が披露されていた。
「……こういうの、初めてだな、レイ」
「そだね、イオン。……緊張するね」
「ほやほやのお二人さんと違って、僕は慣れてるから平気だけど」
「……ほやほやって何だ、おい」
 レイとイオンが二人の世界に旅立つ前に、ゼフィロスが引き止める。この二人は放っておくと、たちまちラブラブモードに入ってしばらく現実に戻れなくなるため、こうして誰かがストッパーをかけるのだ。
 基本的に、真昼かゼフィロスが買って出る。もちろん、ゼフィロスたちの『研究』のためなのだが、ディーに言わせれば「からかって楽しんでるだけ」ということに帰結するらしい。
「何だって、そのまんまの意味だよ。新こ――」
「……それ以上言ったら、次は殺す」
 ゼフィロスが全て言い終える前に、イオンは鉄球を一つ、ゼフィロスに当たらないぎりぎりで放った。
「君じゃ僕は殺せないよ。……君が何かする前に、僕は君を消しちゃうよ?」
 ゼフィロス特有の、戦慄を呼ぶ笑み。
 少年の傍らで、少女が息を呑む。
「……いつかは超えてやる」
 イオンの呟きを聞いたゼフィロスは、意味ありげにフリーナのほうを見て、次に二人のカップルを見て、
「違う意味では、もうすでに超えてるかもね」
「その美形がぐちゃぐちゃになるまで殴り倒してやろうか」
 冷徹に言うイオンの言葉を全く無視して、楽しそうに唇を歪ませて、
「いやいや、『人気のない場所で二人して顔をくっつけて何かしていた』なんてのを、子供たちから聞いちゃってね、もしかしてそれって……」
「さーあ処刑の始まりだぁ、今日は地の雨が降るぞーぅ♪」
 どこからとも無く斧を取り出して、ゼフィロス目掛けて振り払う。ゼフィロスはそれを軽くいなして、ケタケタと笑って、
「やっぱり男の子だね〜ぇ」
 そのまま、斧を振り回すイオンとともにどこかへ行ってしまった。
 真昼は、傍観者としてそれについていった。
 ちなみに、あの後はサクラに「施設が壊れるだろう少し考えろ!」と起こられるのが常である。
 そんな中で、取り残された少女は、
「そんなこと……私……え、でも……あうあう」
 頬を両手で包む感じで抑えて、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに口ごもる少女が一人。
 そして、
「僕を忘れないで……ただでさえ出番少ないのに」
 悲しいかな、みなに忘れ去られたディーだった。
 ちなみに、ディーの耳に「仕方ないだろ設定上デュアルNO.33はオリキャラとかかわる立場じゃないんだから第一君は本編でも人気があるし可愛い彼女もいるんだからさぁ」という声が聞こえたらしい、というのはここだけの話である。


++++++++++++


「目標地点を確認。これより降下を開始。雲海突入」
 ゼフィロスの声が響く。
「……いつも思うのだが、なぜゼフィロスはそうやって口に出して操作するのだ?」
 サクラの、素朴な疑問に、ゼフィロスは笑顔で答えた。
「この船の演算機関が音声認識でしか動けないからさ。だから、どんなに僕が能力を増幅させようとしても、僕がそれを声に出して認めなければ、この船は飛ばないわけ」
 読者の皆さんに分かりやすく言うと、HunterPigeonの疑似人格『ハリー』と同じである。
 ゼフィロスが淡々と説明する間に、周囲の空間を暗闇が満たす。
「雲海脱出後、隔離状態を解除。FWeyeを使用しての索敵行動を開始」
 『認証』の文字が現れて、雲を抜けるまでの時間と、シティとの距離、進入経路とシティ内の兵の配置、戦力、その他もろもろが解析された立体ディスプレイが幾つも現れる。ゼフィロスはそれらを皆の前に動かし、
「手持ちの携帯端末に、そいつをDLして。真昼には、後でこの船と連動したタイプのやつを渡すから、少し待ってて」
 急に視界が晴れると、そこはいつもの白銀の世界。
 少しして、全員の前にあるディスプレイに、一つデータが追加された。
 シティの全体像。そして、着陸地点と進入、脱出経路が、どんどん書き加えられていく。
「……これは真昼のに仕込むから、他の皆には渡さないけど」
 手元のディスプレイを、軽く叩いた。
 すると、一瞬画面にノイズが走り、次の瞬間にはシティ内部の画像が、さらに目標施設の画像が、と画面が色々切り替わったり、時にはウィンドウが増えたりして、最後には元の画像に戻った。
「……シティの詳細な動きを探るなら、こいつが一番だ」
(ハッキング時間、限界突破。強制終了します)
 ディスプレイにメッセージが表示されて、先程のウィンドウが消える。
「これをこの船に仕込んでおいたから、真昼用の携帯端末でアクセスして。承認して、この船の制御権が君に移るから。特別に声無しで動かせるようにしといたよ」
「ありがと」
 簡潔に真昼が言う。
 気体が揺れて、視界の底に雪の絨毯が見える。
「ついたよ、行こう」
 最後に偏光迷彩を起動して、一行はシティへと足を踏み入れた。
 そういえば、フリーナはここ出身だったっけ。
 ゼフィロスは、そんなことを考えていた。

「イオン」
 レイが、何かをためらうように呟いた。
「……分かってるよ……でも、俺たちは」
 空高くそびえる塔を見上げて、
「……死にたく……無いんだ」


++++++++++++


 ゼフィロスは、施設内を縦横無尽に駆け回っていた。
(『虚無の支配・盾』)
 飛来する銃弾を、ことごとく打ち消す。
(『虚無の支配・剣』)
 手短な兵士の頭を切り落とす。
 今回のゼフィロスの役回りは、一般兵、およびシティ内の魔法士の掃討。
 そして、フリーナの幻影イリュージョンNo.17との一騎打ちを邪魔させないこと。
(虚無刀『紅覇』、合成処理『分子運動制御』『虚無の支配』。発動『虚無の支配・槍』。合成処理『分子運動制御』『虚無の支配』。発動『虚無の支配・銃』)
 兵士たちの足元から、幾多の黒い槍が突き出され、穴を開けた兵士たちが倒れる。刹那、それぞれの通路の奥へと黒い弾丸が数百個、打ち出される。それは現れた最後の兵士たちを打ち抜いて、消えた。
 本来ならゼフィロスが戦った方がいいのだが、それはあちらも想定済み。だとすれば、『絶対魔法禁止空間』で幻影の能力を封じれて、なおかつ単発銃という対個人向けの武器を有し、リーチの上で幻影に勝るフリーナが適任、というわけだ。
 無論、ゼフィロスはこの作戦に反対だったが、仕方なかった。
 組織にくみする以上、私的な理由や勝手な行動は慎まなければならない。
 生き残った一人の兵士を、頭から両断して、ゼフィロスは手を止めた。
「恨むべきは汝らの不運なり、天へと掻き消え、永劫に眠れ」
(殲滅完了。感情復帰)
 頭の中でメッセージが流れ、肉体に自由が戻る。
 ゼフィロスの言う感情消去は、実を言うと意味が違う。
 『感情によっての肉体の動作を阻害する』つまり、心と体を切り離す事が、ゼフィロスの感情消去に当たる。
 人殺しを望まなくとも、どんなにためらおうとも、体は動きを鈍らせない。
 今までずっと、そうしてきた。
 人殺しなんて、自分に出来ることじゃない。
「終わった……か」
 ゼフィロスが呟く。
 視界にあるのは、『かつて人だったもの』と、紅い液体。
 吐き気がこみ上げてきて、目を伏せる。少し収まったところで、吐き気をT・ブレインに押し付ける。
 目を開いても変わらない、死人たちの集まり。
 自分が殺した。分かっている。
 殺さなければならなかった。分かっている。
 自分は怯えている。分かっている。
「何度やっても……耐えられないな」
 築かれた死者の道を、ゼフィロスは駆けた。


++++++++++++


 フリーナは、マザーコア安置室の中にいた。
 今頃は、真昼が偽造データを流しているだろう。
 そう、ここはすでにもぬけの殻。
 ゼフィロスが動くずっと前に、すでに運搬を終えて、今頃はシティ外へと急いでいる頃だろう。
 私はここで、幻影を討つ。
 他の皆の方へ幻影が行けば、確実に苦戦を強いられる。下手をすれば作戦は失敗に終わる。
 それは避けなければならない。
 腰の銃に、弾が込められているか確認する。
 次に、予備のリボルバーに弾丸をあらかじめ込めておき、すぐに装填を終えられるようにする。
 大きく息を吸って、吐いて。
「……お? 姉ちゃん誰や?」
 モスクワ訛りの強い、明るめな口調。
「賢人会議、だ」
 リボルバーを軽く回し、銃身を敵に向ける。
「……運の悪りぃやっちゃのう……降参すれば、怪我させへんで? 美人のねーちゃん」
 フリーナは無言。
 敵は、しゃーないのう、と肩を落とし、
「ほな、覚悟しぃや」
 幻影は、中途半端に握った拳をこちらへ向けた。

 刹那、フリーナは右に飛ぶ。
 一瞬遅れて、幻影の位置が書き換わる。
 ……量子力学制御による短距離転移。
 T・ブレインの予測に、自分の勘を足して、三発放った。
 一発は幻影の体に当たり、主要な血管や筋肉をすり抜けて、傷をつける。
(『絶対魔法禁止空間』展開。アクセス検出)
 さらに続けて二発発砲。幻影は一発まともに受けて、その顔を歪ませる。
「お前のT・ブレインも、無茶な能力しとんのう」
 ……やはり分かったか。
 予想はしていた。空間にプロテクトがかかってたなんて言われれば、敵の仕業だと気付くのは当然だ。
 ……にしても、気付くのが早すぎる。
 構わず、引き金を引く。
 幻影は打ち出される銃弾を紙一重で回避、一気に接近する。体を捻って放たれる右回し蹴りを銃身でいなし、もう片方で幻影の頭に照準する。
 銃口が火を噴いて、弾丸が一直線に幻影を狙う。イルはそれを首の動きで避けて、続けざまに左の足を振り上げる。銃身を盾にして、それを受ける。
 華奢な体は、簡単に宙へ蹴り飛ばされる。イルはそれを見て、構えを取った。どうやら、落ちてきたところに攻撃を加えるつもりらしい。
 ……なめられたものだ。
 残りの弾丸、全てを幻影目掛けて一斉掃射。うち二発がイルの体に命中、しかし致命傷は愚か主要な筋肉を全て外されて、他の弾丸も避けられる。
 腰からリボルバーを取り出し、使用中のそれを捨てて付け替える。この銃はリボルバーに細工はしていないため、オートマチックの銃の弾倉と同じように付け替えることが出来る。
 着地と同時に一歩飛び退り、敵との距離をとる。
 幻影は舌打ちをして、血の滴る左手を振るって、
「……降参してくれへんか?」
 フリーナはため息をついて、冷たい目で敵を見据えた。
「……勝てないと分かったら今度は説得か、哀れな男だ」
 フリーナの中傷にも動じず、イルはやれやれと首を振って、ポケットを軽く叩いた。
「――なら、ちぃっとばかし卑怯な手、使わせてもらうで」
 瞬間、フリーナの脳内をエラーメッセージが駆け巡った。

「ノイズ……メーカー……!?」
「どや? 卑怯な手やろ?」
 イルは痛みに顔を歪めながらも、ジャケットから黒い塊を取り出して、自分のうなじに押し当てた。
 ノイズメーカーに対する、抗体デバイス。
 フリーナは、舌打ちを一つ。
 敵の意思でノイズが発生した、ということは、すなわち相手がノイズメーカーを保持していると見て間違いないだろう。そしてノイズ発生直前、敵はポケットを軽く叩いた。おそらくそのポケットの中だ。ポケットに入るくらいの大きさなら、多分距離をとればノイズは軽減されるだろう。
 T・ブレインの演算効率は、至近距離でノイズを食らったせいか、たったの10%。
 ……仕方ないな。
 イルが一直線に突っ込んでくる。相手の額に照準を合わせ、一発だけ撃つ。
 しかし銃弾はイルの額をすり抜け、床に当たって乾いた金属音を鳴らした。
(双銃『蒼閃』プロテクト解除。弾速を光速度の10%から35%に設定)
 イルの鋭い蹴り上げを銃身で受け止め、そのまま空中に身を躍らせる。奇妙な浮遊感の中、左の銃をホルスターにしまい込む。もう片方の銃口を幻影に向け、三発放った。
 確かな手ごたえと、強い反動。
 先程の三倍近くに加速された弾丸は、イルが量子力学的制御を発動する前に着弾、しかし筋肉や骨を透過して、床にくぼみを作る。
 反動で大きく後ろに跳ぶフリーナ。
 着地したときには、T・ブレインはノイズメーカーの効果範囲外であることを告げていた。
 弾速を元に戻しつつ、右の銃に残る弾丸を全て撃つ。指がかすんで見えるほどの速度で放たれる、神がかり的な連続撃ちクイックドロウ
 幻影はそれをすり抜けて、こちらへ近づいてくる。
(『絶対魔法禁止空間』展開)
 左の銃で、二発撃つ。幻影はそれを肉体的な運動で回避し、大きく跳躍。
(脳内防壁展開。特定ノイズをシャットアウト)
 頭の中がかすかに痛む。シャットアウトといえど、完全にノイズを無視できるわけではない。
 あれを使うか。
 一瞬の迷いの間に、イルはこちらへ蹴り付けていた。右の銃でそれを受け止め、左の銃でイルのすねに照準。銃口が火を噴く前に、イルの足は引き戻され、右の拳がフリーナの眼球を狙う。
 バックジャンプでそれを避け、そのまま左の銃を乱射。リボルバーに最後の一つが残されたところで攻撃をやめ、後退しつつ弾を込める。
 無論、指をくわえて見ているイルではない。穿たれた銃弾を無駄のない動きで避け、近づこうと走る。
 銃口をイルに向け、一度だけ引き金を引く。
 イルはそれを読み、照準から体を逸らす。
「がっ……!」
 しかし、放たれた弾丸は銃口を出たところで割れ、六つの小さな銃弾を撒き散らしていた。
 そのうち三つがイルをとらえ、ノイズメーカーを撃ち抜いていた。
「な、何や……?」
 ゼフィロス特製の、論理回路によって強化された散弾。
 そう言おうとして、そんなことに意味はないと思い直す。両の銃口をイルに向け、ハンマーを上げる。。
 幻影は右に跳び、再度照準から外れようとする。右の引き金を引き、同じように散弾を放つ。
「同じ手が二度も利くかい!」
 一挙動で振るわれた手がイルに当たる軌道の銃弾を掴み取って、そのままフリーナ目掛けて突き出される。
 ニヤリと、フリーナが笑う。
 左の銃から、三つ弾丸が放たれる。同じようにイルはそれを掴もうとして、弾丸の一つに指を触れる。
 それを合図に、銃弾が爆ぜた。
 イルの体が、痛みに引きつり、しかしぎりぎりの所で手を引っ込めたのか指は吹き飛んではおらず、まだ自由に動かせるレベルのまま。それを確認する間も無く、さらに左の銃を連射する。その全てを正確に当て、そこで一度跳躍する。
「……今ここで、私の勝ちは決まったが、まだ続けるか?」
 冷笑をはらんだ、フリーナの目線。
 その目には、明らかに勝利の色が浮かんでいた。
 それが、イルの癪に障った。
「ざけんなよ……俺が負けたやと? アホ言うな」
 激昂するイルは、ふらりと立ち上がると、
「俺はなぁ、お前みたいなお嬢様とは育ち方が違うんや! 自由なんてなかったんや! 大切なやつだってなぁ、この力じゃ守れへんかったんや! 何が幻影や! 自分を変えてくれた恩人すら自分のために死なせて! せめてシティだけでも守ったろ思て! それすら、お前らは奪うんか!」
 唸りを上げる獣のように、姿勢を低くし、
「んなこと、なんも知らんお前らに、俺がさせる思うな――!」
 瞬間、イルは跳んだ。


++++++++++++


「フリーナさん……ゼフィロスさん……大丈夫でしょうか……?」
 セラが、俯いて呟く。
「大丈夫だよ、そんな簡単に死ぬはず無いもの。それよりも」
 真昼が言って、フライヤーを飛ばす。
「今は僕らのことを考えよう。……ディー」
「はい」
 真昼の合図と一緒に、ディーはフライヤーの上から飛んだ。
「サクラも」
「分かっている」
 サクラは、外套の裏からナイフを掴み取り、投擲体勢に構えた。
「じゃ、行くよ」
 軍の人間たちの集まる検問所へと、四人と子供たちを乗せたフライヤーは突き進んだ。


++++++++++++


 もう何人殺しただろうか。ゼフィロスは、フリーナがいるであろう部屋の周辺を、駆け回っていた。
 魔法士も殺したし一般兵も殺した。
 血の臭いを一気に吸い込んだ。
(T・ブレイン、蓄積疲労68%。要二分休憩)
 20mm弾を撃ってくる掃除ロボットを素早く破壊して、手近な部屋に飛び込んだ。
「疲れた……」
 さすがに、ここまで長時間T・ブレインを使い続けると、頭が痛くなってくる。うまく制御しきれないため『虚無の支配・剣』は使えなくなっていて、槍も銃も狙いから大きく逸れてしまう。
 壁にもたれかかって、そのままずるずると座り込む。
 強化チタンの壁は、冷たくて気持ちいい。
 もっとも、それは今だけの話だが。
「お……?」
 ふと、淡い光を放つ端末に目をやった。
 興味本位で、足が動く。
 つくづく自分は好奇心旺盛だと思う。知識欲、と言うのだろうか、生まれつき自分の知らないことを知りたくなって、色々失敗もやった。
 有機コードが無いため、手で端末を叩く。次々に表示されるディスプレイを隅から隅まで目を通して、ふと、そのデータの存在に気付く。
 プログラムの一番奥、巧妙に偽装されたそのファイルには『マザーコア』と銘打ってあった。
 ……面白そうだね。
 開いてみると、いくつかのファイルがずらりと並べられていた。
 一番上のファイルを展開、先程と同じように次々とデータを読み漁る。
 そうして読み終え、次のファイルを開き、データを閲覧し……としばしの間それを続けていて、最後のファイルだった。
 ファイル名『次マザーコア候補』。最終更新日は、フリーナがここの軍を抜けた直後。
 軽い気持ちでファイルを開いて、読み始める。

 ――体の震えが止まらなくなった。
 もう何も考えていられなかった。気付いたときには、体が勝手に走り出していた。
 残された端末には、一つの画像と簡潔な文章が記されていた。
『フリーナ・エンデュランス』
 まだ幼い、淡く薄い緑髪の少女。
『マザーコア適正率、100%』


++++++++++++


 銃声が、室内を震わせる。
 空薬莢が、床に跳ねて乾いた音を奏でる。
 フリーナにためらいなど無かった。ただ、目の前の敵を打ち倒せば良いと、そう考えていたし、それ以外考えなかった。
 自分が殺す人々には家族や親友や大切な人がいて、自分はそれを打ち砕こうとしている、なんて考えてしまったら生きていけないから、それを見ないことにした。
 そうやって恐怖から逃げて、今目の前の敵に弾丸を放った。
 ――たとえ自分が間違っていても。
「んなもん当たるかい!」
 幻影は、右に飛んで避ける。
 しっかりと狙いをつけて、引き金を引く。
 刹那、イルの体は紙一重で銃弾を避ける。
 ……たとえ、自分が死ねば世界が救われると、そう言われても、この想いは揺るがない。
 イルはフリーナの眼前でいきなり方向転換し、華麗なステップで穿たれた銃弾をすり抜け、鋭い蹴りを放った。
 ゼフィロスと、ずっと一緒にいたい
「貴方に私の何が分かる――!」
(脳内容量、完全開放。『世界封陣・守護之型』展開)
 フリーナの顔の、僅か数ミリの所で、イルの蹴りは止まった。
「大切な人が苦しむ姿を!」
 驚愕に目を見開くイルのすねを右の銃で殴りつけ、ためらいも無く、装填されている全ての弾丸を撃つ。
「がっ……!」
 イルの口から、苦痛に満ちた声が漏れる。
「誰一人、殺したくないと願う姿を!」
 空になった右の銃を下ろし、代わりに左の銃を乱れ撃つ。
「ただ、傍で見ているだけしか出来ない、そんな苦しみが貴方に分かるのか!」
 痛みに歪む幻影の顔を、フリーナは鋭く蹴りつけた。
 銃身を折り、リボルバーを捨て、新しいものに付け替えて、
「分からないくせに、自分だけが不幸だなどと錯覚するな――!」
(容量不足。『絶対魔法禁止空間』強制終了。『世界封陣・磔之型』展開)
 怒気で放たれたその言葉とともに、幻影の『世界』は止まった。

 不自然な形で、イルは空中に静止していた。
(な……なんや!?)
 しかしその言葉も声にはならず、というより口の形が動かず、また他の音も一切合切聞こえなかった。
 それだけではない。
 世界が止まっている。
 物質の位置のひとつも変わらず、目の前に映る景色は全く同じ。時間の流れも、吹き抜ける風もない。
 ずっとそうしていても変わりはない、と考え、とりあえずT・ブレインに短距離転移のコマンドを叩き込んだ。
(プランク定数取得失敗。存在確立改変失敗。アクセス拒否。『シュレディンガーの猫は箱の中』失敗』
(……やっぱ、ダメみたいやな)
 多分ここは『絶対魔法禁止空間』に指定されているのだろう。
(なんなんや……)
 体が重い、なんて生易しい物ではない。まるでセメントか何かで塗り固められたかのように、周囲の空間が自分を拒否する感覚。
 ――いきなり視界が開けた。
 開けたが、その目に映ったのは、雪崩を打って襲い来る、幾多の銃弾だった。

 『世界封陣』は、フリーナの『空間に鍵をかける』能力、通称『鍵使い』の切り札。
 原子、分子、素粒子に、時間、空間、物理法則。
 それらは、物質でない物から同じ物質にいたるまで、全ての物質、情報と密接に干渉し合っている。
 世界封陣は、それら全ての物質・情報に鍵をかける。指定した物質、および情報が、周囲に影響されなくする。
 『干渉されない』ということは、つまるところ『何も起こらない』ということになる。
 そうして組み上がった『何も起こらない世界』の中では、全ての物質の動きは静止し、時間という概念は消え去る。
 それが、『世界封陣』。
 全ての攻撃を受け止め全ての動きを静止させ、自由に動ける物を使用者のみとする、フリーナの奥の手。
 この奥の手を知る人間は、ゼフィロスともう一人、亡き母だけである。
 せめて同じだけの苦しみを、と。
 ゼフィロスと同じだけの苦しみを、と。
 フリーナの一つの決意が、この能力を生み出した。
 誰かに砕けるほど、やわな物では、決してなかった。


++++++++++++


 イオンは、レイを連れてシティ内を駆けていた。
 一つ、自分たちのやるべきことをやるため。
「……レイ」
「うん」
 なんだか罰の悪そうな顔で、
「……死にたく……無いもんな」
「……うん」
 するべきことをすれば、自分たちは死ななくて済むから。
 どんなに人を殺しても、自分たちは生き残れるから。
「フリーナを見つけよう」
「……うん……」
 消え入りそうな少女の声が、少年の心を揺さぶった。
 けど、二人で生きていたいから。
 そのためなら何だってする。
 イオンは、フリーナのいる場所へと、ひたすらに走った。
 眼前にあるその扉へと、ひたすらに走った。


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 銃弾に指を這わせ、軌道を逸らす。
 銃弾を蹴りつけて、弾き返す。
 できる限りの弾丸は打ち落としたが、しかしイルはボロボロだった。
 がくりと膝をつき、だが口元は笑っていた。
「……もう、酌量の余地は無いなぁ」
 壊れたように笑う幻影を、フリーナは醒めた目で見下した。
「何がだ」
 右の銃を幻影に向けて、フリーナが問う。
「最後の奥の手、使ったろか」
 呟くようにそう言い放って、イルはゆらりと立ち上がる。
 そして。
「あ――……、敵増えよったわ」
 斧を持った少年と、杖を持った少女が、フリーナの後ろの扉から駆け込んできた。
「フリーナさん……大丈夫ですか?」
 レイが息を切らせながら、フリーナの安否を問う。
「私は大丈夫だ……それより」
 かちゃ、と音を立てて右の銃で幻影を示し、
「問題はこっちだ」
 血の混じった唾を吐き捨て、イルはフリーナを睨みつけていた。少年が身構える。
「……いくで」
 奇妙に握った拳を前方に構えて、幻影が呟くのと、
「なっ――」
 イオンが、フリーナを捕らえるのが同時だった。

「イオン! 貴方は――!」
 裏切り者、と叫ぶ前に、レイが口元を押さえる。
「……静かに、してくださいね」
 酷く冷たく、レイがそう言った。
「よくやったで、二人とも」
 こちらを見下ろして、幻影が二人を誉める。
「……これで、モスクワは安泰や。さんきゅーな」
「……自由」
 イオンが呟いた。
「これで……良いんだろ? ……さっさと、俺らを自由にしてくれ」
 殺気のこもった、強い口調が、部屋の中にこだまする。
「あー落ち着け。とりあえずこいつを施設に連れてって、それからや」
 さっきとはうって変わって、軽い口ぶりの幻影が、フリーナに黒い塊を押し当てる。
 ノイズメーカーの、それも最高級品。処理中枢を止めるタイプだ。
「……これでしばらくは、賢人会議の相手が出来そうやな……シティの安全は確保したわけやし」
 幻影がそう口にして、初めてフリーナは疑問を抱いた。
「なぜ……私を……モスクワは安泰……とはどういう……それに…………イオン、レイ……貴方たちは……なぜ……」
 ノイズメーカーのおかげで、言葉が途切れ途切れになってしまう。頭が異常に痛む。体が辛うじて動いている状態なのかもしれない。
「全部、作り話やったんや」
 え、とフリーナが聞く。
「この二人がお前らに連れて行かれたんも、俺がお前らを見逃したんも、なんもかんも、全部嘘や」
 幻影は、淡々と言葉を紡ぐ。イオンもレイも、傍らで頷いている。
「こいつらは、元々お前をとっ捕まえるための餌やったんや」
 そこで一度言葉を切り、幻影はこちらを見る。
 ここまで全て作り話だったと、それで十分驚きのはずなのに、フリーナはそんなそぶりはおくびにも出さず、目の前の敵たちを睨みつけている。
「で、なんでお前を捕まえたかゆう話しなんやけどな……」
 幻影が真実を口にしようとした瞬間だった。

「フリーナ――ッ!」

 壁を切り裂いて、その奥から誰かが駆け込んできた。
 心の中が暖かくなった気がした。

 黒髪に白い服の少年が、息を切らせてこちらを見ていて、手には紅色の長い刀が握られている。
 助けに、来てくれた。
 嬉しくてたまらなかった。

 地に倒れ伏し、涙を浮かべているフリーナを見た瞬間、ゼフィロスの中で、何かが音を立てて切れた。
 裏切り者だとか、そんなことはどうでもよかった。
 だけど、フリーナは渡さない。
「フリーナを――」
(虚無刀『紅覇』『身体能力制御』発動。運動速度・知覚速度・65倍)
 言い終えずに、ゼフィロスが飛ぶ。床を蹴り天井を蹴り、一瞬にして幻影の頭上に躍り出たゼフィロスは、フリーナを抱えているその腕目掛けて刀を振りぬく。
 幻影の腕が霞み、振るわれた刀が空を切る。平手返しにもう一度、今度は首を狙って一閃。
(『虚無の支配・剣』)
 紅く光を放っていたはずの刀身が、黒く変色する。首に迫るその一振りをイルは上体をのけぞらせて回避、フリーナを突き飛ばして空中で一回転、着地。その間にゼフィロスはフリーナを抱きかかえようとして、鉄の壁に阻まれる。
「放せ!」
 鉄の壁を消去、目の前の少年に蹴りを入れる。イオンはそれを斧身で受けて、一歩後退。変わりに少女が目の前に出てくるが、構わず虚無の弾丸を放つ。
「――ごめんなさい」
 少女がそう呟くと、黒い弾丸は唐突に掻き消え、刀に纏わせていたはずの虚無空間が薄れて消えた。
 そうか、君の力か。
 レイの能力、情報的治癒能力は、空間や情報の『元に戻ろうとする力』を急激に増幅することで発動する。そしてゼフィロスの能力『虚無の支配』は、強力な反面空間の『元に戻ろうとする力』によって自然消滅する。
 つまり、ゼフィロス自身の能力でこの少女に勝つことは不可能。
 そして、
「――っく!」
 幻影の攻撃を、辛うじて避ける。
 幻影の『量子力学的制御』を打ち破れるのは、ゼフィロスの手持ちでは『虚無の支配』だけ。
 『紅覇』は能力の創生が出来ないため、量子力学をコピーする、という手口は使えない。
 今現時点では、幻影を倒すことは叶わない。
 幸い、フリーナが健闘していてくれたおかげで、幻影の攻撃は格段に鈍っており、ゼフィロスも容易に回避が出来る。
 しかし、状況はこちらが圧倒的に不利。
 だが、それがどうした。
 たとえ世界が滅ぼうと、たとえ未来が掻き消えようと。
「フリーナだけは……何があっても、どんな理由でも!」
 拳を振りかぶる幻影に刀を叩き込むが、しかし幻影の体に傷がつくことは無い。
 それがどうした。
(作動効率・100%……120……150%。全警告無視。『虚無の羽』展開準備)
「たとえ君たちが生きるためだとしても! マザーコアの替えがなくなったのだとしても! 一千万の命が懸かっているのだとしても!」
 フリーナが、驚きと悲しみに目を見開く。
 敵の少女が、周囲の空間の再生速度をさらに上げる。
 それが、どうした。
「フリーナだけは、絶対に奪わせはしない!」
(『虚無の羽』発動制限解除完了)
 奥の壁が吹き飛んで、魔法士らしき人物が六人現れた。
「どんだけ理想掲げても、お前はここで終わりや、『虚無の支配者』!」
 幻影が叫び、後ろの六人が攻撃態勢に入る。
 窒素分子の槍が、強化チタンの腕が、銀色の剣戟が、人肌の拳が。
 それぞれ全てが、ゼフィロスを捕らえる軌跡を描いた。

 それが どうした

「フリーナだけは――この身に変えても守り通してみせる!」

(『虚無の羽』展開)

 全て、消えた。

 窒素分子の槍も強化チタンの腕も銀色の剣戟も、全て、ゼフィロスの視界から消えた。
 ゼフィロスを球状に囲むその空間は、まさしく虚無の空間。
 少女一人の力では、虚無の支配者を止め続ける事は出来なかった。
 きっかり五秒の間をおいて、黒い球体が掻き消えると、そこにいたのは、
「羽……やと」
 ゼフィロスの背中に、羽があった。
 生物とも無生物ともつかない、この世の物とは思えない質感を放つ、翼。
 ほのかに紅い銀の翼が、全てを消さんと羽ばたいた。
「そのためなら、世界を消したっていい」
 その声を合図に、闇が閃いた。
 一番近くにいた騎士の体に、穴が開いた。
 幻影が気付いたときには、ゼフィロスはいなかった。
 瞬間。
「邪魔」
 三人の騎士が、断末魔の悲鳴も残さず、掻き消えた。
 ゼフィロスは、翼を広げて宙を舞っていた。
 炎使いに刀の切っ先を向け、目を細める。
 はっとして幻影が振り向いたときには、炎使いの姿はもう、どこにも無かった。
「お前……何しよった」
 幻影の声は震えている。
「魔法士を四人、消した」
 酷く冷たく、ゼフィロスが言った。
「次は君かな? 人形使いかな? それとも、そこの二人かな?」
 ゼフィロスの目に映るのものは、『人』ではなく『物』だった。
「それ、次」
 脱兎のごとく逃げ出していた人形使いを見て、ゼフィロスは嘲るような笑みを浮かべた。そして、人形使いの足を消し、腕を消し、下半身を消し、それから頭を消して、胴を消した。
 もう一人の人形使いは、果敢にも立ち向かってきた。
「へぇ……君も逃げると思ったのに」
 次々と生えてくる強化チタンの腕を斬って、口笛を一つ。
 人形使いの四肢が、跡形も無く消し飛んだ。
「その勇気に免じて、殺さないでおいてあげるよ」
 幻影は、戦慄で背筋が震えるのを感じた。
「……と、遊びすぎたかな?」
 ゼフィロスの視線が一点に集中する。イルはその視線を追って、それを見た。
 がたがたと身を震わせて、それでもT・ブレインを限界まで起動している少女の姿。
 その隣で、マザーコアを抱えて毅然と眼前の敵を見据える少年。
 イルは、唐突に自分が馬鹿らしくなった。
 今まで、このようなことは何度もあったのではないのか。死ぬか死なぬか、その瀬戸際を走り抜けて、今自分が生きているのではなかったのか。
「……ほんと、馬鹿やな、俺は……」
 視線を、空にたたずむ少年へと向ける。
 小さく笑みを浮かべて、悠然とこちらを見下ろす少年。
 冷えた頭で考えたら、ある名案が浮かんだ。
「……もうためらわへんで」
 ジャケットの裏の、壊れたノイズメーカーを掴む。
 じりじりと後退して、斧を持つ少年にそれを手渡す。
 意図を理解した少年が指を触れて、すぐに手を放す。
「行くで、『虚無の支配者』」
 幻影は跳んだ。頭の中で閃いた、一筋の光明とともに。
 ゼフィロスは、それを見て黒い弾丸を、ざっと見て数千個ほど打ち出した。
 致命傷になる物だけを回避。あとはその体で受ける。
 体に数々の穴が開き、それでも幻影は止まらない。
 一瞬、ゼフィロスの目が驚愕に見開かれた。
 その瞬間。
(危険。抑制、作動効率10%。作動妨害・電磁波系統、確認。『虚無の羽』強制解除)
 ゼフィロスが、地に落ちた。
 イオンによって一瞬のうちに修復されたノイズメーカーが、ゼフィロスの脳内を駆け巡った。
 痛みに顔をしかめて、よろけながらも立ち上がるゼフィロス。
 しかし、幻影の放つ蹴りをもろに受けて、後ろへ大きく吹き飛ぶ。
 短距離転移を繰り返して、一瞬にしてゼフィロスの前へ現れた幻影は、正確に、本当に正確に、
「これで終わりや」

 ゼフィロスの頭を、T・ブレインを貫いた。

「いやぁぁぁ――――――――――!」

 フリーナの絶叫が、部屋中に響き渡った。

 そのとき。

「フリーナさん!」
 透明な正八面体の結晶と、金髪にポニーテールの少女が、一つのフライヤーを連れて、壁をぶち破った。
 セラはLanceを連発して、幻影の気をひきつけることに成功した。
 その瞬間、フライヤーから、銀光が走った。
 倒れ伏すゼフィロスを抱えて、ディーはフライヤーの中へと滑り込んだ。
 ディーとセラに気付いたのか、幻影がこちらへ向かってくる。
 幻影がフライヤーに着地。そこを荷電粒子の槍が突き抜ける。幻影はそれをすり抜けて、フライヤーの天板を透過させて、
「――ごきげんよう、幻影No.17」
 黒い刃が、幻影の足を貫いた。
 一瞬のうちに天板に上ったサクラが、硬直した幻影の体を蹴り飛ばす。
 そして、
「がっ……!」
 ノイズが、イルの脳内を焼いた。
 見れば、フライヤーの窓越しに、真昼の姿。
 ハンドル片手に、携帯端末を叩いている。その横には、即席で作られたとしか思えない、つぎはぎの機械が一つ。
 そのままフライヤーは急旋回し、セラをフライヤーに乗せて、空の彼方へ消えていった。

 後にはただ、泣き崩れるフリーナと、三人の魔法士が残された。



<作者様コメント>

はいどうも。デクノボーです。

途中で二つに分けようかな、と思ったのですが、なんとなくやめました。

まぁ内容が薄いことに変わりはありませんが。

そこをどうにかしていきたいと考えています。

それにしても……ゼフィロスが……。

T・ブレインに致命傷を受けて、ついでに脳内に損傷。

死に至るには、十分すぎるほどのダメージ。

果たして、ゼフィロスは?

そしてフリーナの運命は?

乞うご期待……してください(泣

<作者様サイト>
「http://plaza.rakuten.co.jp/tyeins/」とアドレスバーに入れてみると、駄文だらけのブログにたどり着きます。

◆とじる◆