少女達は明日へと歩む
〜Let's sing all〜













朝からの検査を終えたファンメイは、廊下を早歩きで進んでいた。

廊下を走るなとリチャード先生から言われていたので、走るのが駄目なら早歩きをすればいいのだという我ながら単純な理屈によって早歩きをしているのだ。

「んも〜、いつもの時間を二十分も過ぎちゃったよ〜」

頬を膨らませてぷりぷりと怒りながらも早歩きの歩調を緩めない。

ファンメイは今まで、いつもどおりに検査を受けていたのだ。

だけど、検査が嫌いというわけでは決して無い。

ファンメイの『龍使い』としての体はとても不安定な状態にさらされていて、いつ容態が悪化してもおかしくないって事くらい嫌というほど分かっている。

そういう訳で、その検査がファンメイにとって重要なものである事は重々承知の上なのだが、それでも予定通りの時間に終わってくれないとやっぱり腹がたつ。

廊下を走ったり飛んだり出来ないのも、ファンメイの苛立ちに拍車をかけていた。

…最も、廊下で飛んだりなんかしたら、翼が廊下の壁にぶつかって穴を開けてしまうのがいいオチだろう。かつて『島』で、『翼』によってついうっかりカードリーダーを壊してしまった時のように。












(だけどほんと、どうしてアルティミスちゃんがここに送られてきたんだろ…)

―――早歩きをしながらも、ファンメイは昨日の事を思い出していた。












昨日の夜の夕御飯が終わり、お手伝いさんに任せてアルティミスをお風呂に入れた後、ファンメイはリチャードに『ちょっと話があるんだ』と呼ばれた。

ほぼ十中八九、こうなるんじゃないかという予測は出来ていた。

だから、リチャードに言われる前に、リチャードが言おうとしていたであろう事を真っ先に言い当てた。

「…先生、それってやっぱり、アルティミスちゃんの事だよね」

その考えにいたった理由としては、ファンメイがアルティミスと話し合っていた時、リチャードはひたすら何かを考え込み、時折こちらの方を見ていたからだ。

その行動の理由はほぼ間違いなく、アルティミスに怪しいところが無いかどうかを探っていたのだろう。

だから、次に来るであろう言葉も、だいたいは予測がついていた。

リチャードは軽く息を吐いて、椅子に腰掛けて言葉を紡ぐ。

「…分かっているなら話が早いな。
 ―――単刀直入に聞こう。ファンメイ、お前はあの子に…アルティミスについてどう思う?」

その質問に対し、しばしの沈黙を保った後に、ファンメイは重々しく口を開いた。

「…ねぇ先生、アルティミスちゃん『魔法士』なんでしょ…」

とても告げづらい言葉だった。

それはつまり、ファンメイが『龍使い』としての病を背負っている事や、フィアが『天使』としてシティの人間達に狙われているのと同じように、アルティミスが何らかの業を背負っているという事だ。

だが最もな事実でもある。そもそも、アルティミスが至極真っ当な人間であれば、態々ヘイズがこのシティ・ロンドンまでアルティミスを送ってくる理由が分からない。それも箱詰めで。

そもそも、人間を箱詰めにして送ってきたりなんてしたら、運送中にほぼ百パーセント凍死する。今の『外』は零下四十度の世界なのだ。

その点魔法士なら、例え零下四十度の世界であっても、周囲の温度を調整して生きる事が出来る。

これだけで、アルティミスを魔法士と判断するのは十分に可能な事だ。

「…あの手紙を読んでいなくてもそこまでたどり着けたのか…」

リチャードが感歎の息を漏らす。

『あの手紙』とは、アルティミスが手に持っていたヘイズからの手紙だった。

しかし、その時のファンメイはアルティミスの事で頭がいっぱいで結局その手紙を読んでなかった。

だが、それでもファンメイはアルティミスが魔法士だという事を言い当てる事ができた。

「でも先生、どうしてあの手紙をすぐにしまっちゃったの?」

「ああ、それなら」

という言葉の後に、リチャードは続けた。

「もしかしたら、アルティミスが魔法士だって知らないまま楽しい気分でいるんじゃないかって思ってな。
 そんなお前さんの幸せを壊さない方がいいかと思った私は、あの手紙を閉まったんだ。
 ついでにいうと、アルティミスがここまで送られてきて無事だった理由も手紙に書いてあったぞ。
 …だが、その心配は杞憂だったようだな」

「そっか、そうだったんだ…ありがと、先生。  だけど、そういう事はハッキリさせておいて欲しかったな。何かが起こってからじゃ遅いんだし」

「その点は素直にすまなかったと思っているよ」

「…まあ、分かってくれればいいんだけどね。
 ところで先生、これからどうするの?」

「そう、それが問題なんだよな…。
 ここの研究室の連中なら、アルティミス一人増えたくらいで文句を言う奴は居ないだろうが…それでも、いきなり魔法士が一人増えたわけだから、何らかの問題が起こる可能性が考えられないわけじゃない…」

そう言って、リチャードは顎に手を当てて思索を開始する。

「わたしが来た時みたいに出来ないの?」

「…まあ、私の権限を利用すれば、彼女の事を外部に隠し通すくらいの事は簡単だ。
 だが、それ自体はさして問題ではない。
 私が本当に懸念する問題は、別の所にあるんだ」

「なぁに?」

「ファンメイ、前に私は言ったな。
 アルティミスにお前が『龍使い』であるという事を明かすな、と」

リチャードの発言に対して、ふぇ?と言う間の抜けた声をあげるファンメイ。

その後数秒ほど時間をかけてその事を思い出す事に成功する。

「…うん、そう言えばそんな事言ってたよね。でも何で?」

「何でって…いいか『万が一に』だぞ。
 アルティミスが実はどこかの組織のスパイとかだったらどうする?」

「そんな事ない!!」

リチャードの発言に対して、ファンメイは躍起になって言い返した。

「…何故、そう言いきれる」

「あんなにかわいい子がスパイな筈なんてないもん!!
 美女に悪人は居ないっていうじゃない!!
 だから、かわいい子にも悪人なんていないの!!」

「どんな理屈だ…」

リチャードの口からはため息がこぼれた。

「そーいう理屈よ!!」

それでも、ファンメイは己の意見を曲げようとはしない。

理屈でも何でもなく、ただ、曲げたくなんてなかった。

「漫画の見すぎだと思うが」

「そんなの関係ない!!」

冷静なリチャードと、ヒートアップして頑なにリチャードの意見を拒むファンメイ。

そんな押し問答がしばらく続いた後、リチャードは、はぁ、とため息を吐いた。

そのため息の理由を、心の中ではファンメイ自身も分かっていた。

こうなってしまったファンメイは、余程の事が無い限り考えを変えられない。

自分の考えが一番正しいなんて思っている訳では絶対に無いのだが、それでもファンメイは、自分の意見を通さないと気がすまないのだ。

だが、次に放たれたリチャードの言葉により、その考えが間違いだったと気づかされる。

「…こんな事、出来れば言いたくなんてないんだが…」

「なによ」

「―――今は一時の平和を享受出来てるから、最近では円遠い事なんだが…お前さんもまた『狙われている身』だって事を忘れるな。
 あの『島』の脱出の際に、ヘイズとお前さんにはモスクワ軍から捕獲命令が出ているんだ。
 もしアルティミスにモスクワ軍との繋がりがあったとしたら、連絡を取られないとも限られないんだぞ」

「そんなのわか…あ…」

分からない、と言おうとして、ファンメイはその言葉を途中で止めた。

「…そっか、その可能性もあるんだ…すっかり忘れてた…」

青菜に塩がかけられたように、先ほどの元気はどこへやら、がっかりしたファンメイはあっという間にしゅん、となってしまった。

本当ならリチャードの言う事に対して『違う』と否定したいのだが、生憎とまだまだアルティミスという少女に、魔法士について知らなすぎる為に、断定など出来なかった。

同時に、ファンメイは自分の迂闊さを知る。

単純な感情論だけでまかり通るような甘い考えなど、この世界で通じないって事は分かっていたはずなのに。

その場その場の考えで、手より先に口が動いてしまう。

生まれてからずっと分かりきっていた事だけど、それが自分らしさだってある程度は理解できているけど。

「………」

故にファンメイは、俯く事しかできなかった。

同時に、何も言い返せない自分が悔しかった。

…その時、そんなファンメイの顔を見ているのがいたたまれなくなったという感じの表情を浮かべたリチャードが、ちょっとばかり言葉を付け加えてくれた。

「…まあ、あんまり深く考えずに、普段通りに話してやることだな」

「…うん!」

その言葉に励まされ、さっきまでの『青菜に塩』な状態はどこへやら、太陽のような笑顔を浮かべたファンメイは元気良く頷いた。












リチャード曰く『きっと彼女もいろいろあったんだろうから、無闇に彼女の事に、特に彼女の能力については絶対に言及するな。下手をすればそのせいで、彼女が開いた心がまた閉じてしまうかもしれないからな』との事だ。

ヘイズと初めて出会った時のアルティミスは、それこそ、手の付けようが無いほどに怯えていた。

水も食事も受け付けないで、ただただ部屋の隅っこでじっとして震えているだけだった。

だけど、ヘイズが色々と手を打ったらやっと口を開いて、食事をしてくれるようになった。

それと、ヘイズは今、ちょっとばかり危ない事になってしまって、アルティミスまで守れる自信が無い。

でも、こんな時にシティ・ロンドンまで戻ったら、こっちにまで巻き添えが及んでしまうと考えた後に、ちょっとした知り合いに頼んで、アルティミスを荷物に偽装して此方に送る事にしたらしい―――と、手紙に書いてあったとリチャードは説明してくれた。

同時に、今更手紙なんて見なくてもいいや、という考えにファンメイは至った。正直、リチャードの口から聞いた方が早いかなと思ったからである。

「あっと、いけないいけない」

考え事と記憶の思い返しを行っていたら、いつの間にか目的地に着いていた。

よく途中で誰ともぶつからなかったなぁ、と、ファンメイは一瞬だけ思ったが、一瞬だけなのでその考えは次の瞬間には消えていた。

焦る気持ちを抑えて、ドアノブに手をかけてゆっくりと扉を開ける。

「ただいま〜、検査、やっと終わったよ〜」

いつもどおりの声でそう告げた。

「あ…ふぁ、ファンメイさん、お帰りなさい」

一昨日までは聞くことの無かった声が、それも、嬉しそうな声が返ってきた。

ドアを開けた先では、机に座って本を読んでいた一人の少女が、顔を上げてファンメイの方を見ていた。

因みにその本はファンメイのものである。

意外と知られていないが、ファンメイは読書が好きだ。

その為に、本は結構あるし、時には誰かに頼んで図書館から本を借りてきてもらっていたりもするのだ。











目の前に居るのは、昨日からここに新しく来た一人の少女。

彼女の名前は――アルティミス・プレフィーリング。先述したとおり、アメリカ地方に向かったヘイズが偶然にも発見して、安全を確保させる為にファンメイ達のところへと向けて届けさせた少女の事だ。

現状、リチャードの権限でファンメイの事を隠し通せているなら、魔法士がもう一人増えたところで問題はないと思ったとの事。

外見はといえば、ウェーブのかかった白い髪に、大きな真紅の瞳。

服装はといえば、紫色のケープと黄色を基調としたスカートを着用していて、そのスカートには水色のリボンが二つほど付けられていた。

因みにこの服、本来ならリチャードがファンメイの為に準備したのだが、ファンメイがあまりにもはねっかえり娘だった為に、破かれてはたまらないと判断した結果、今まで隠していた服だったとか。

無論、その事実を知った時のファンメイの怒りは言うまでもないだろう。

…だけど、今となってはそんな事はどうだっていい。

実際、こんな服をおてんばなファンメイが着たところで似合わないだろうと思っってしまったからだ。

それよりも、この服を着てくれる子が居たこと、この服が似合う子が居たことの方が嬉しかった。

ちなみに、アルティミスはいきなり大声を出されたりする事に弱い…つまりは内気な性格らしい。

初対面でファンメイが自己紹介の時に大声を出したら驚いてしまい、箱の中で丸くなってしまったほどである。

その為に、いつもなら部屋に帰ってくる時には大きな声で『ただいま―!』と叫ぶのだが、今日は普通の声で『ただいま〜』と言わざるを得なかったわけだ。

尚、検査の事はアルティミスに話してある。だから、アルティミスはこの部屋でずっと待っていてくれたのだ。

ただしその内容は『ちょっとした持病のせいなの』という事にしてある。実際、意味としては間違ってないから問題は無いはずだ。

ちなみに、アルティミスがあまりにも急な来客だった為に、昨日の就寝の際は、ふわふわのソファにまくらと毛布と布団をしいて眠ってもらった。

アルティミスの背丈はファンメイよりもちょっと低かった為、背筋を伸ばしてソファに横になっても大丈夫だった模様。

意外と朝には強かったらしく、ファンメイが朝七時に起きた時には、アルティミスは既に目を覚ましていて、ソファの上でファンメイが起きてくるのを待っていたらしい。











「さぁ、早速だけどちょっと出かけるよ。アルティミスちゃんも着いてきて」

「え?あ、はい…」

いきなりのファンメイの発言に愚痴一つこぼさずに、読んでいたページにしおりを挟んでぱたん、と本を閉じてアルティミスは立ち上がった。

その時、ファンメイとアルティミスには身長差があまり無いという事を改めて確認できた。

(でも、シャオよりはちょっとだけ高いよね。それとも、わたしが成長し…)

…シャオという名前が出てきた途端、心の中に何か熱いものがこみ上げてきたが、必死でそれを押し殺した。

アルティミスの前で泣き出す訳にはいかないから。

今わたしが泣けば、きっと、この子は心配する。

これ以上、周りの人に、周りの子に余計な心配なんてかけたくなかった。












「え…と、こ、これからどこにいくの?」

相変わらずのたどたどしい言葉だが、不思議と不快感とかそういったものは感じない。

寧ろ、初めてエドを見た時のような感覚―――つまりが『母性本能をくすぐられる』というようなものを感じるのだ。

だから、ファンメイは堂々と行き先を告げる。

「友達のところに行くの」









【 + + + + + + + + + 】








―――エドワード・ザイン。

その子がファンメイの『友達』である。

今や故人となっている『三賢人』エリザベート・ザイン…通称『エリザ』が、その生涯でたった一人だけ創り出した魔法士にして、現存する最強の『人形使い』だ。

エリザが「はい」「いいえ」「エリザ」の三つしか言葉を教えなかったため、出会った時には他者との会話を殆どしなかったが、錬・フィア・そしてファンメイと出会ってからは少しずつ話すようになった。

そして、世界に3機しかない雲上航行艦の一つである『ウィリアム・シェイクスピア』のマスターでもある。











無論ファンメイとて、エドの事を無闇に外部に漏らすのは危険だという事を、先ほどのリチャードの話で十分承知している。

だけど、検査が終わった後にエドの所に行くのは毎日の恒例行事と言うべきものになっているし、どれだけ疲れていてもエドと一緒に歌うという約束を破らないという事を、ファンメイは今までずっと守ってきた。

だけど、その為にアルティミスを放っておいていいという理由になど、絶対にならない。

検査が終わるまでの時間をずっと待っていてくれたのに、これでさらに『ちょっと用事があるからお部屋で待ってて』などと言える奴が居たら、そいつはよっぽどの冷血人間か、どうしてもそうせざるを得ない理由があるかのどちらかだ。

無論、懸念も無いわけではない。

だけど今は、目の前の白髪の少女の事を信じてあげたかった。

理屈も何も関係ない。

『アルティミスちゃんが悪い子な訳なんてない』という、ただただ純粋なる思いがあるだけだ。










何より、アルティミスの事が信頼できたからこそ、ヘイズはファンメイの方に彼女を送ってきた筈だ。

そのヘイズの思いを裏切るような事をやるわけにもいかないからと、ファンメイは己に言い聞かせた。











ファンメイはアルティミスの前をゆっくりと歩く。

半歩ほど間を置いて、文句一つ言わずにアルティミスがとてとてと歩いてくる。

まるで年下の子が自分の後をついて来てくれるような、そんな感じ。

そういえばアルティミスちゃんの年齢を聞いてなかったの。と思い出し、機会があったら聞いてみようかなと思った。

「え、えーと、ふぁ、ファンメイさん…」

ファンメイがそこまで考えた時、後ろから声がかかった。

「ん?」

振り向いてみると、立ち止まったアルティミスがおずおずとした様子で口を開く。

「『友達』…って、誰のこと?」

そう、ファンメイは、さっきの段階ではその『友達』の事を明かしていない。

(…出来れば、着いてから教えたかったんだけどな)

心の中でそう思うものの、聞かれてしまっては答えるしかないだろう。

「え―っとね、『エド』って子のところに行くの」

「エド…?」

「着いたらわかるから、ほら、急ごう!!」

ちょっとだけペースをあげて、ファンメイは早歩きになる。

アルティミスもファンメイに置いていかれないように早歩きにしようとして……。

「はぅ!!」

という声と同時に、ずてん、と音がした。

その音に嫌な予感を感じたファンメイが後ろを振り向くと、案の定アルティミスは前のめりに転んでいた。

「だ、大丈夫!?」

慌ててアルティミスに駆け寄って、手を差し伸べて起き上がるのを手伝ってあげる。

「あ、ありがとう…だいじょうぶ、だから」

「どういたしまして…さ、やっぱりゆっくり行こう」

「う、うん」

アルティミスを立ちあがらせた後、ファンメイは先ほどと同じペースで歩き出す。

そして、アルティミスもそれについて行く。

結構な音をたてて転んだにも関わらず、アルティミスは泣いていなかった。

その証拠に顔や手にそれらしい怪我は無かったし、それが不幸中の幸いだった。

アルティミスも特に痛そうな表情をしていなかったので、大丈夫だとファンメイは思っていた。












その内に、目的地へと到着する。

目の前にある巨大な建物らしきものの一角にある、白くて大きな頑丈な扉を開けると、それを合図にしたかのように操縦室全体に明かりが灯る。

そこは一つの部屋…厳密には『ウィリアム・シェイクスピア』の操縦室。

『世界樹』事件のせいで、『友達』は…エドワード・ザインは、少なくとも後半年間はここに住まなくてはならない。

だが、当のエドには焦りや悲しみといった感情は無い。それどころか、ファンメイが来る度にいつも笑顔を見せてくれる。

検査が終わった後に、ファンメイは此処に来ることが日課となっていた。

生命維持層の中の少年の姿を確認した後、ファンメイは生命維持層の前まで駆け寄る。

「エド!聞いて!!わたしね、新しいお友達が出来たの!!」

「…おともだち?」

「ほら、この子!!」

ファンメイは両手で隣のアルティミスの両肩を軽く掴んで、エドの培養層の前に押し出す形で紹介した。

「……」

が、当のアルティミスはいきなり紹介されて何がなんだか分からない状態に陥っているらしく、俯いて黙りこくったまま何も言わない。

「さ、アルティミスちゃん、お顔を上げてエドに自己紹介してみて!」

一欠けらの悪意も無い眩しい笑顔でファンメイはそう言い切る。

ここでファンメイの期待に答えられないと拙いと思ったのか、アルティミスは顔を上げて、小さな口をゆっくりと動かした。

「…は、はじめ…まして。アルティミス…っていうの。よ、よろしく」

お顔を真っ赤にして、消え入りそうなほどに小さな声で、お腹の前で両手をあわせて、もじもじしながらもアルティミスは何とかそれだけを言い切った。

気のせいかその顔にはちょっとばかりの陰りも見える。

(…もしかしたら、アルティミスちゃんって初めて会う人に対しては物凄い人見知りをするのかも)

自分とリチャードの二人に初めて会った時のアルティミスの様子を思い出したファンメイは、何と無しにそう思った。

「こんにちは、ぼく、エド…よろしく」と、エドも挨拶を返す。

「それじゃ自己紹介も済んだ事だし、今日は何して遊ぶ?」

ファンメイは、いつもと同じ質問をした。

少しの間を置いて、いつもと同じように「うた」という返答が返ってきた。

「分かった!!今日も歌うのね!!
 あ、アルティミスちゃん、ちょっと待っててね」

ファンメイは頷いた後に、操作端末を叩いて生命維持層のふたを開ける。

長く伸びている有機コードをうなじに繋いだまま、エドの体が羊水の外に運び出される。

…刹那、アルティミスに変化が訪れた。

「きゃ!」

「…アルティミスちゃん、いきなり目を瞑ってどうしたの」

声のしたほうを振り向けば、顔を赤くしたアルティミスが両手で両目を塞いでいた。

「だ、だって、エドさん、はだか…」

それでも何とか思考は働くらしく、片言だけどその原因を告げてくれた。どうやら、エドの裸を見て驚いたらしい。

まあ、確かに生命維持層の中に居る以上、裸でなければならないだろう。

刹那、エドの事をどうやって話すべきかと一瞬だけ迷ったが、あまり深く考えずに口を開くと、そんな言葉が結構簡単に出てきた。

「あ、エドはちょっと訳あって、こういう暮らししか出来ないの。
 今からお洋服を着せるから、ちょっと待っててね」

流石に『世界樹』の事まで話すわけにはいかないので、そう言い繕うしかなかった。

それに『こういう暮らししか出来ない』という点に関してはその通りの事実な訳でもあるのだし。

(それにしても…う〜ん、男の子の裸を見て目を瞑る子なんて始めて見たなぁ…)

ぼそりと、心の中だけでファンメイは呟く。

今やすっかり慣れてしまったファンメイはともかく…というか、或いはファンメイ自身が元々こういう事に関しては疎いのかもしれない。

で、先の反応を見れば分かるとおり、アルティミスはこういうのはとことん駄目なようだ。

とりあえずいつものようにエドの濡れた身体をタオルで拭き、いつものようにエドが服を着るのを手伝う。

「終わったよ〜」

「う、うん」

ファンメイの声が合図となったかのように、アルティミスは恐る恐る目を開けて、胸の前に手を置いて軽く息を吐いて、目の前の光景に安堵する。

(…アルティミスちゃんはこれでよし、と)

そしてファンメイは、今度はエドの方を振り向く。

「さぁて、それじゃ、いつもどおり歌おう」

「うん、うたう」

にっこりと微笑み、頷くエド。

「…歌う…って?」

アルティミスがきょとん、と首をかしげる。

「…あれ?もしかしてアルティミスちゃん、歌うって事を知らないの?」

「あ、ううん、違うの…。
 歌うっていう事の意味は分かるけど、でも、アルティミスのまわりで歌う人なんて、めったに居なかったの。
 だから、どうして歌うのかっていうのが…わからない」

それを聞いて納得する。

「あ、そっか。
 わたしね。検査が終わったら、いつもここで歌を歌うんだ。
 歌う事はすばらしい事だと思うの。
 どれだけ疲れていても、ふらふらで倒れてしまいそうでも、歌っちゃえばそんなの全部吹き飛んじゃうの」

「そう…なんですか」

力説するファンメイの演説を聞いたアルティミスは、はー、という感じで小さく口を空けて、ファンメイの言う事に納得したようだ。

「エドも早く声変わりすれば、もっと男の子っぽい声で歌えるのにね」

「こえがわり?」

どうやらエドは、また『声変わり』の意味を知らないようだ。

「うーん、まだ分からないか…。
 まあいいかな。それじゃエド、いつもどおりに歌おうよ」

「はい」

「じゃあアルティミスちゃん、先ずは見ててね」

「う、うん…」

「それじゃ行くよっ―――せぇのっ!!」

ファンメイは大きく息を吸い込んで、一瞬の間の後に声を張り上げた刹那、

―――アルティミスが「ひぅ」と小さな声を上げた。

「…ふぁんめい、まって」

歌い始めて間もないところを、歌うことを中断したエドに呼び止められる。

「ん?」

くいくい、と袖を引っ張られてファンメイが振り向くと、エドはアルティミスがいた方向を指差していた。

「…あ、れれ?」

その光景を見て、思わず苦笑いをするファンメイ。

その先には両手で両耳を押さえてうずくまっているアルティミスの姿があった。しかも、その瞳の端には小さな涙が浮かんでいる。

すぐに駆け寄って、手を差し伸べる。

またやっちゃった、と思ったファンメイはアルティミスに駆け寄る。

「ご、ごめんね、また大声のせいでびっくりしちゃったの?」

するとアルティミスはふるふる、と首を横に振り、

「…う、ううん、違うの。いきなりのすごい声・・・・)にびっくりしただけだから…」

「あ、ごめ…」

謝ろうとして、アルティミスの言った事に疑問が湧く。

―――すごい声?

その単語が示すのは、一体どういう意味なのか。

アルティミスのその発言に、ファンメイの思考がしばらく止まる。

が、数秒後にその意味を理解すると、過去の記憶が蘇る。

――かつてエド・フィア・錬・ファンメイの四人で一緒に歌おうとした時に、錬に頭をひっぱたかれた時の記憶が。だ。

あの時錬にひっぱたかれた理由は確か…と、其処まで考えた時、アルティミスが何故すごい声と言ったのかという理由にたどり着いた刹那、

「…えーと、要するに、わたしの歌が下手だって言いたいの?」

そう告げたファンメイの眉が、ぴくんとつりあがっていた。

「………」

無言のまま、アルティミスは一言も喋らない。否、寧ろどう喋っていいのか分からないのだろう。

今までファンメイが見てきた感じでは、アルティミスは無口で泣き虫だ。

しかし、アルティミスはファンメイを傷つけるような発言はせず、基本的にファンメイを庇護する発言をしてきていた。

つまりが、下手な言葉を口にすればファンメイを傷つけてしまうという事をアルティミスは理解しているのだ。と、ファンメイは結論付けた。

無邪気な純粋さがアルティミスの持ち味だという事を、ファンメイは昨日の時点で理解できている。

――だがこの場合、黙っているのはイコール肯定となるわけで。

「なんで黙るのよ―――っ!!」

沈黙に耐え切れず、思わずファンメイは叫んでいた。

刹那、アルティミスの体がびくっと驚いてすくみあがった。そして、次の瞬間には両手で頭を押さえて小さく縮こまってしまう。

「はぅぅ、ごめんなさい!ごめんな…さい…」

最初は驚きを示すいつもの言葉で、台詞が終わりに近づくのに比例して段々と尻すぼみになっていく。

加えて、アルティミスの口から発せられたその声は、誰がどう聞いても震えていた。

ついでに、上目遣いでファンメイを見つめるその瞳の目じりに涙が見えるのはどう見ても目の錯覚などではないだろう。

「…あ」

またやっちゃった、と思うと、ファンメイの心の中に罪悪感が湧き上がってくる。

今までアルティミスみたいなタイプの子が周囲に居なかったために、どう対応していいのかファンメイには分からない。

今まで近くに居てくれたのは、活発で口が悪くて不器用な少年と、おしとやかで世話焼きな少女と、いつも優しい笑みを浮かべている少年。

それに、ややぶきらぼうなところがあるけどいつもファンメイの近くに居てくれた青年と、感情表現がうまく出来なかったけど今は少しずつ変わっていってる少年と、年の割には柔らかい物腰をしている男性だった。

つまり『物凄く内気で泣き虫で無邪気な純真さを持つ子』を相手にした事がなかったわけである。そんな子に対していつもの調子で会話すれば、いつもと違う返答や反応が返ってくるのは当然の事と言えるだろう。

「ふぇ、そこで二度も謝られても困るんだけど…なんか、わたしが悪人みたいで」

冗談抜きで困り果てるファンメイ。とりあえず何らかの打開策を編み出そうと思考して模索するが、焦燥心からなかなかいい考えが出てこない。

で、ファンメイが思考を回転させている間にも、アルティミスは未だに縮こまったまま小さく震えている。このままにしておいたら間違いなく泣いちゃうだろうし、そうなったらファンメイとしてもかなり困る。

「ファンメイ、あくにん?」

…ファンメイが打開策を模索しているその横から、エドにより気にしていたところをダイレクトにつっこまれた。しかもかなり痛いところを。

「え、エドまでひどい〜!」

今度はこっちが泣きたくなってきた。最も、歌の件といい今の件といい、その根本たる原因はファンメイにあるから自業自得なのかもしれないが。

「だってファンメイ、アルティミス、なかせた」

弱点を狙い済まして放ったかのように正確無比なエドの言葉が『ぐさり』とファンメイの心に深く突き刺さった。

「いや…それはそうなんだけど」

僅かに痛む心を押さえて思わず苦笑いをするファンメイ。エドの言う事が事実なだけに反論できない。

だが、こうしていても状況が変わるわけも無いので、ファンメイはこの状況を打開すべき方法を何とか脳内で模索。

…とりあえず策になりそうなものを見つけたので、それを実行することにする。

「…ああ、もー!こういう湿った空気は嫌いなのー!
 アルティミスちゃん!一つ聞きたいことがあるんだけど!!」

刹那、最早開き直ったとしか思えない態度に切り替えるファンメイ。

「え?え?」

突然のファンメイの変化に、当然ながらアルティミスは困惑する。

エドは頭に疑問符を浮かべて、無言でファンメイを見つめる。

そんな中、ファンメイはアルティミスに一つの質問をした。

「ところでアルティミスちゃん…シーン・Dの『パーフェクト・ワールド』って歌、何かで聞いたことない?」

それは、この世界的に有名な曲。そして、錬達に教えてもらった曲だ。

周りに歌っている人が居なくても、ラジオか何かで流れたのを聞いた事があるかもしれないと思ったのだ。

少しばかり考える仕草をとった後に、アルティミスは答える。

「…ないの」

「あー、そうなんだ…」

先のアルティミスの答えからある程度は予想できていたが、やっぱり的中。

「じゃあさ、わたしはエドの声に隠れる形で小声で歌うから、それを真似してみて。
 もちろん、一回で覚えろなんていわないから、分からなかったら何回でも聞いていいからね」

「…覚えるって、どうして?」

「どうしてって…もちろん、三人で歌うため」

「…歌う?アルティミスが?」

「そう!!
 さっきも言ったでしょ
 歌を歌うってのはね、すごく気持ちがいいの。嫌なことも何もかも吹き飛ばしてくれる、まるで魔法みたいに素敵な事なの」

「…分かった、やってみるね」

「そうこなくちゃ!!じゃあエド、行くよ!」

「はい」












そうして、ファンメイとエドはいつものとおりに…厳密にはファンメイが声を小さくして歌を歌う。

でも、たまにはそれでもいいと思った。

だって、いつもは二人きりのこの空間が、今日はいつもとちょっとだけ違うから。

今日は、いや、今日からはお客さんが居るからだ。

そしてそのお客さんは、いつの日か、ファンメイ達と一緒に歌う事になるかもしれない人。













その『お客』であるアルティミスは、椅子に座って両手を膝の上に置いて、その大きな真紅の瞳で、歌う二人をずっと見つめていた。











…因みに一応言っておくと、エドはファンメイよりは歌の才能があったらしく、初めて錬と出会った時に比べれば見違えるほど成長していた。

だから、アルティミスが「はぅ」と言う事なく黙って聞き続けていられたのだ。

…まあ、もう片方については言うまでも無いのだが…。

















【 続 く 】


















【…おまけ】















ファンメイ
「エド―、新しい歌を覚えたって本当?」

エド
「はい」

アルティミス
「あ…じゃあ、歌ってみてください」

エド
「はい…うんと…









…おーれはジャイアーン、がーきだいしょーう…」



アルティミス
「!!」

ファンメイ
「ちょっとタンマタンマタンマ―――!!」

エド
「はい(ぴたっ)」

アルティミス
「はぅ…び、びっくりしました。
 …な、なんでよりによってそんな曲なんですか…」

ファンメイ
「ていうかどっからその曲を覚えたの!?」

エド
「ヘイズからもらったCDのなかにはいってた」

ファンメイ
「…ヘイズ、後で覚えてなさいよ」






…幕









―――コメント―――




















今回は歌の話です。

途中の一部だけジャイアンリサイタルのお話になってしまった気がするのは気のせいです。うん。




作者も元・吹奏楽部だったので、音楽によって人に感動を与える事を目標として頑張っていた時期があり、
それを思い出していたりもしました。

レクイエムさんが歌う事で人々に感動を与える人なら、私は奏でることで人に感動を与える人でした。

最も、私の歌唱力は…正直、自身なんてないですけど。

でも、歌も音楽も、その目的は同じものだって思っています。






ファンメイの歌唱力は本編で明かされている通りのモノなのですが、それでも、練習すればうまくなると思います。

そもそも、まじめに練習してうまくならない人ってのは先ず居ないと思いますよ。






しかし思うんですが、四巻(下)の最後で、エドはファンメイと毎日歌っているんですよね?

あの声を聞いていてよくもまあ耳が潰れないなとおも…って、かすった!!今何かがかすった!!




それでは、これ以上ここに居ると第二撃が飛んできそうなので、今回はこの辺で。




画龍点せー異




HP↓

Moonlight Butterfly