アルティミスがシティ・モスクワに来てから三日が過ぎた。
昨日と同じく、今日もまた、ファンメイの案内の元、アルティミスはエドワード・ザイン…通称エドの所に来ていた。
何度目か、ファンメイとエドが歌い終えた。
曲目は『パーフェクト・ワールド』。
何度か聞いた為に、歌詞は脳内にきっちりと覚えている。
「えーと、じゃあ、もう歌詞は覚えたよね?」
「おうた、かし、どう?」
ファンメイとエド、二人から同じ意味の質問。
だが、言い方や声の違いからか、とても同じ意味の質問とは思えない…というのは口にしないほうがいいだろう。
エドは基本的に片言で喋る子だというのはこの数日でわかった事だし、ファンメイはいつでもどこでも元気一直線だ。
「あ、う、うん、大丈夫。
で、でも…やっぱり自信なんてない…」
最初はやや明るめな口調で告げられた言葉が、終わりに近づくにつれてだんだんと尻すぼみになってしまう。
やっぱり、自信なんて持てない――そんな思いが、アルティミスの心の中に渦を描く。
昔から、こうだ。
確固たる自分の意思が持てず、周りに命令されるまま動く、さながらそれは機械仕掛けの人形(デウスエクスマキナ)。
そしてその次には、つい、両手を胸の前でもじもじさせてしまう。
怖い。
新たな一歩を踏み出すのが、とても怖い。
だが、その空気を打ち破ったのは、むー、と頬を膨らませたファンメイの叫びだった。
「だーかーらー。そこで詰まってちゃ駄目なの!
わたしが歌が上手じゃないって言うのは認めるけど、練習しないとうまくなれないんだもん
アルティミスちゃんはまだ歌ってすらいないんだから、やる前から可能性を摘んじゃ駄目だよー!」
「はぅ、ご、ごめんなさい…」
両手で頭を押さえて、やっぱり涙目になってしまうアルティミス。
「ふぁんめい、なかせちゃだめ」
横からエドによる突っ込みが入れられた。
「そんな事言われても…じゃ、じゃあ、どうすればいいのよ〜っ!!」
エドの方を向いて、エドに答えを求めるファンメイ。
「…ごめん、ぼくにも、わからない」
が、エドから帰ってきた答えはそれだった。
おそらく、アルティミスが泣きそうだったが為に助け舟を出したのだろうが、当のエド自身は何も考えてなかったのだろう。
こういう点では、エドは実年齢も外見年齢も本当の意味で子供である。
だがこの時、アルティミスは考えていた。
(また、こうなっちゃう…いつも、アルティミスのせいで…)
そこから来る答えは―――本当にこれでいいのか。いつも泣いてばかりでいいのか。というものだった。
ぐるぐるする思考と共に、自問自答が続く。
だが、答えなんてすぐに出てきた。
というよりは、アルティミス自身、薄々と気づいていた事だったのだろう。
(―――い、いい訳なんて無い。アルティミス、変わらないと…)
―――昨日、寝る前にした決意を思い出す。
ここは既にシティ・ロンドンであり、アルティミスが嘗て居た『あそこ』とは違うのだ。
アルティミスが笑おうが俯こうが泣こうが何をしようが何も変わらない世界とは、あらゆる意味で違っている。
失敗したって構わない。いちいち文句を言われたりする場所じゃない
故に、この時、この場だけでもいいから、先ずは勇気を振り絞ろうと、一歩を踏み出すべきだと思った。
エドとファンメイは、未だに二人で何かを話し合っている。おそらく『どうすればいいのか』で悩んでいるのだろう。
この場にはリチャードの様な的確なアドバイスをくれる年長者というべき人物が居ないため、尚の事なのかもしれない。
…そして、ファンメイも、エドも優しすぎる。
アルティミスが涙を流すたびに、いつも謝ってくれる。
その気持ちはとっても嬉しいけど、同時に、何かしらの罪悪感を感じる。
この先、泣いてばかりじゃいられない。
少しだけでもいいから、泣かないように努力しないといけない。
ルーウェンからも言われたではないか―――少しでいいから泣き虫を治した方がいいと。
例え直ぐには無理だとしても、少しずつでもいいから、と。
これも昨日考えた内容ではあるが、実際にその通りだ。
(うん、アルティミス、このままじゃ、ダメ―――)
そう思うと、自然と腹は決まった。
未だに話し合二人にかまわず、アルティミスは服の袖で涙をぬぐって、すぅ、と小さく息を吸う。
――歌おう、と思った。
その為に声をあげようとすると、喉の奥が震える。
怖い。
…怖い。
―――怖い。
未知なる領域に踏み込むのは、やっぱり怖い。
別世界へ行ってしまった自分が戻ってこれないような、そんな感覚すら覚える。
緊張感に襲われ、心臓がどくどくと高鳴り、足ががくがくと震える。
(――だけど!)
怖いと思う気持ちを無理やり引き締めて、凛とした表情へ。
勇気を振り絞り、アルティミスはその小さな口から、精一杯の音色を奏でた。
声帯が振るえる。
歌った事が無いが為に、今まで使った事の無い声が、アルティミスの喉から流れるように紡がれる。
頭の中は、靄がかかったかのようにただただ真っ白で、思考を働かせる猶予すらない。
自分が自分でなくなってしまったような、不思議な感じ。
だけど、その胸の中にある気持ちは唯一つ。
下手でもいい。うまく出来なくてもいい。
ただ、アルティミスの歌を、誰かに聞いてほしい。
――――それだけの思いが、彼女の全てを突き動かす。
―――旋律が聞こえた。と思った。
どこからか『パーファクト・ワールド』が奏でられている。それも、今まで聴いたことの無い歌声で。
元の歌い手であるジーン・Dのそれとは大きく違うのは当然の話だろう。何せ、オリジナルとなる歌手はもうこの世に居ない。
「え、エド…これ…」
「あるてぃみす、うたってる」
話し合っていた二人がその旋律に気づくのは、すぐの事だった。
とても綺麗な流れの中に、若しも手で触れれば消えてしまいそうなソプラノ。
奏でられるのは、強さと儚さが同居したような一つのメロディ。
「アルティミス…ちゃん…すごい…」
己の歌声と全く違うであろうその声に、ファンメイはすっかり聞きほれていた。
女性の声と言うにはちょっと語弊があるけれど、それでも、同年代の子にしてはとても綺麗な声。
「きれいな、うた」
エドが表情を僅かに緩ませて、静かに告げる。無論、その言葉に偽りなど存在しない。
「…なによお、歌おうと思えば歌えるんじゃないの…」
ふう、と小さく溜息を吐くファンメイ。
「うん、うたえる」
その隣で、エドも頷いた。
「ねぇ、エド…」
「はい」
「…もっと、近くで聴こっか」
「はい」
二人がアルティミスの方へと振り向き、歩む。
アルティミスからおおよそ二メートル近い距離をとった位置で腰掛けて、アルティミスの歌に耳を傾ける。
歌い続ける彼女は、まるでオペラ座のステージに上がって歌っているようにすら見えた。
「…」
「…」
もはや、何もいう必要なんて無い。
寧ろ、完全に聞き入っていたために、口を開く暇すらなかった。
全ては、アルティミスが歌い終わるまで。
「…お、終わった…の」
歌い終わると同時に、アルティミスは肩を深く落とした。
とても疲れたけど、とてもいい気持ち。
目の前にはファンメイとエドが並んで座っていて、アルティミスの歌をずっと聴いていてくれた。
そう考えると頬が赤くなる。おそらく、頭のてっぺんまで。
「―――凄いじゃない!!すごく綺麗だったよ!!」
今の今までアルティミスの歌に聞きほれていたらしいファンメイは、歌が終わった二秒後に我に返ったかのように飛び上がった。
一瞬の間を置いてアルティミスに近づき、その両手でアルティミスの両手をつかみ、ぶんぶんと上下に振りはじめた。
「は、はぅ…な、なに?」
「だって〜、すごいんだもん!本当にすごいんだもん!!」
ファンメイのいきなりの行動に驚きを隠せなかったアルティミスとは対照的に、ファンメイは満点の笑顔を浮かべている。
「…え、そ、そうなの?
エドさんは…ど、どうだった?」
アルティミスがもう一人の少年に対して、静かな声で問う。
刹那、ファンメイが手の動きを止めた。エドの発言を妨げてはいけないと判断したのだろう。
その問いを待っていたかのように、否、実際に待っていたのだろう。エドは即座に返答を返す。
「うん、とってもじょうず」
片言ではあるが、伝えたい事が集約された答え。
アルティミスの顔に、ぱぁっと花が咲いた。
「そ、そう…よかった、ほんとによかった…」
心の底から、アルティミスは大きく息を吐く。
「もう!こんなに上手に歌えるなら、どうして今まで黙ってたの!!
何て言っていいか分からないけど…うーん『可憐な旋律』って言えばいいのかな?」
それと…アルティミスちゃん、歌い終わってからの感想は?どんな感じだった」
今度はファンメイから問いかけられる。
アルティミスは三秒ほど考え込んでから、すぅっ、と小さく息を吸い、答えた。
「な、なんていっていいのか分からないけど…不思議な感じ。
とても気持ちよくて、とてもすっきりして、とても楽しい…」
その言葉を口にしていると、自然と、アルティミスの顔に笑顔が浮かんだ。
実際、こんなに気持ちがいいのは、本当に久しぶりだった。
「でしょ!でしょ!
歌っていうのはね、こうやって、みんなを元気にしてくれるの。
どんなにくじけそうになっても、どんなに疲れていても…だよ!」
「う、うん。
歌うって、とても楽しいの」
「よぉし!!わたしも負けてられないわ!!まだまだ練習するんだから!!」
ガッツポーズを取ったファンメイは、次の瞬間には我先にと姿勢を正す。
「エド!!アルティミスちゃん!!一緒に歌おう!!」
振り向いて笑顔を浮かべると同時に、ファンメイの台詞が終わる。
「はい」
いつもの調子で即答するエド。ただし、その顔に浮かんでいるのは紛れも無い笑顔。
「――うん」
エドに続く形で、アルティミスも頷いた。
その顔に浮かんでいたのは…『笑顔』とはいかないまでも、今まで見せたことの無い微笑みだった。
「じゃあ行くね!せぇーの!」
ファンメイのその一声と共に、歌が奏でられた。
――――エドが「あ」と口をあけた。
――――アルティミスが「はぅ」という小さな声と共に、泣きそうな顔で耳を押さえた。
しかしそれでも、ファンメイは空気を察することなく歌い続けていた。
が、流石にアルティミスもその声を聞くに堪えられなくなったのか、ファンメイに対し思い切った行動に移った。
口を開けて、再び旋律を奏でる。最も、両手は耳に当てられたままだったが。
この灰色の空の向こうに届かせるような気持ちで、歌う。
二人が奏でる歌声のワルツに、三人目の声が混じった。
その声が誰のものなのかは、説明をする必要なんて無いだろう。
そうして、三人は歌い続けた。
満足するまで、歌い続けた。
―――コメント―――
まず最初に…えーと、短くて申し訳ない。いや、長けりゃいいってもんでもないんですけど。
吹奏楽やってたくせに、歌の何たるかを表現するのは苦手な模様の画龍です。
楽器を奏でるのと歌を歌うのとでは、根底は同じですけど表現方法がかなり違いますから、その辺をどう表していいか…ってのが苦手なのかもしれません。
あ、レクイエムさんのLGOの七話目でも歌をテーマに扱っていましたが、別にそれに影響されたというわけではありません。
四巻の最後でファンメイがエドと一緒に歌っていたので『あの時よりはうまくなったのかな?』と思って書こうとしたけれど、やっぱり音痴として書いてしまいました。
なんか、歌のうまいファンメイはファンメイじゃない、とかいう妙な思いが心の中に浮かんだものでして…^^;
そういやエドもあんまり歌が上手じゃなかった気が…なるほど、音痴同士はだいじょ(殴)
…え、えーと、この話題やめときます。
では話を切り替えて…今更ですが、本作の舞台は四巻終了〜六巻開始前なんです。アメリカに飛び立ったヘイズが、六巻で錬達と再会するまでに何があったのか…ってな感じの物語ですね。
あと、ヘイズの出番ももう少しなので、しばしお待ちを。
因みに、アルティミスをあんな風にして送ったのにはれっきとした理由がありますんで、それもその時に明らかにします。
ってか、このままじゃヘイズがただの鬼畜野郎になってしまう^^;
いやまあ、WB六巻の口絵でかなりヤヴァイ事をやっちゃっているんですけどw
それでは、また次回まで。
画龍点せー異