少女達は明日へと歩む
〜Was this a correct judgment?〜























現在地はアメリカのヒマラヤ山脈の上空。

激しく吹きすさぶ吹雪に覆われ、肉眼ではとても見渡せない吹雪の中に、巨大な何かが浮かんでいた。

細く長い、抜き身のナイフのような形状。黒いライン状のスピーカーと荷電粒子砲を装備した、全長150メートルの巨大な船。

「Hunter Pigeon」―そのロゴが、その船の全てをあらわしていた。








その内部にある操縦席に、一人の男が座っていた。

腕を組んで難しい顔をしてうんうんと唸り、何かを考えている様子である。

服装はというと、黒いスラックスとシャツの上に暗い血色のジャケット。

身体的特徴は、薄茶色の左目に真っ赤な義眼の右目、見事なまでの赤毛には一房だけ染めた青い髪。

男の名はヴァーミリオン・CD・ヘイズ。人は彼を『空賊』と呼ぶ。

フリーの便利屋で、世界に3機しかない雲上航行艦の一つ「Hunter Pigeon」のマスターだ。

23歳という外見ゆえに立派な大人の顔をしているし、本人の性格も至って前向きなものだが、実はアルフレッド・ウィッテンによって生み出された先天的な魔法士の一人であり、I―ブレインの殆どの部分が演算素子のみという欠陥品だった為に『出来そこないの魔法士』の烙印を押されたという過去を持っている。

その後、他のシティに売り渡されそうになった際に空賊達と出会い、名前と家族を得た。が、その空賊達はシティに壊滅させられてしまった。

そして逃亡中にリチャードと出会い、生きていくための術を教わって、『龍使い』を巡る『島』の騒動と『世界樹』を巡る戦いを得て、今に。

情報の海への干渉こそ出来ないものの、そのI−ブレインは圧倒的な演算速度を持ち、情報解体攻撃である『破砕の領域』と『虚無の領域』を使用し、そして『圧倒的な未来予測』であらゆる攻撃を出来る限り回避して戦うという、一般的な魔法士には絶対にありえないバトルスタイルを持っている。

そんな大仰な人間が何故こんなところでうんうんと難しい顔で悩んでいるのかというと…。

『―――ヘイズ、本当にあれで良かったのですか?』

突如、半透明な四角い枠いっぱいに書かれた横線三本のマンガ顔が、操縦席の中央にでかでかと表示された。

150メートル級高速起動戦艦HunterPigeonの管制システムを司る擬似人格『ハリー』は、機械合成とは思えないやたらと抑揚の効いた声で、主であるヘイズに問うた。

『あの男の目は確かに真っ直ぐなものでしたが、それでも、出会ったばかりの、ましてや素性すらはっきりしない男の言う事を聞くのは危険極まりない事くらい分かっている筈です。にもかかわらずヘイズはあの男の提案を易々と受け入れました。
 ヘイズ、貴方という人は…』

「うるせぇ、黙れ」

放っておくと延々とヘイズに説教を垂れ流し続けそうな相棒に一喝して黙らせる。

その後、めんどくさそうに両手を頭の後ろで組み合わせて、操縦席のシートにもたれかかって溜息を一つ。

「んな事言われてもなぁ…あんな事言われちゃ、選択肢は一つしかねぇだろうが」

ヘイズの脳内では、今までの出来事が思い返されていた。















【 + + + + + + + + 】















『世界樹』を巡るあの戦いの後『探し物をしてくる、ファンメイを頼んだぞ』と、リチャード言い残したヘイズはアメリカ地方に向かって飛び立った。

離陸してから数分後、小さな紙切れをポケットから取り出し、てのひらに広げた。

ノートの切れ端か何かと思しき紙片に書かれた文字を、じっと見つめる。










『―――計画……大気制御衛星に偽装……天樹にはウィッテンから連絡。アリスを―――』










エドワード・ザインの件でロンドン周辺の研究施設跡を調査した際に見つけた謎のメモ。

魔法士の能力の根幹、情報制御理論の創始者である三人の科学者―――天樹健三、エリザベート・ザイン、アルフレッド・ウィッテン。

…最後の一人の名前を思い出した瞬間、吐き気と胸糞悪さを同時に覚えた。

失敗作の烙印を押されたあの十二年前の出来事を、ヘイズは一生忘れない。

「…しかし、なんでエリザベートがこんなのを所有してやがるんだ?」

その謎を解くために、如いては、大気制御衛星の暴走の原因を探る手がかりになるかもしれないと踏んだヘイズは、先ずはアメリカから探りを入れてみることにしたのだった。











とりあえず足りなくなった物資を買い揃える為、たまたま見つけた小さな街に立ち寄った。

だがこの街、何故かは知らないが全体的に暗い雰囲気が漂っており、人々の態度もどこかよそよそしかった。

誰一人ともヘイズと目を合わせようともしないで通り過ぎる。だが、時折刺さる視線は非常に痛いものだった。

つまりこの街は、外部からの来客を一切合切受け入れない事を徹底している。と理解できた。

これではまるで、人種差別を受けてしまった為に他人を信じられなくなった人間達のたまり場と言っても差支えが無いかもしれない。

(…難儀な街だな。ホント)

それが、この街に来てからのヘイズの第一感想だった。

ところが、商売をしている人間は話が別で、口調こそ『…何の用だ』とぶっきらぼうなものであったが、きちんと目は合わせてくれるし商売もちゃんと行っていた。

価格の方もちゃんと最新価格を設定しており、商売人としての魂とやらは失われていないようである。

しかし、ヘイズとしてはこんな陰気臭い街に長居するのは死んでも御免である。故に、とっとと用事を済ませておさらばしたいという気持ちが強かった。

(こんなとこに居続けたらこっちまで気が滅入っちまう…歓迎どころか邪魔者扱いされてるフシもあるしな…こんなとこ、こっちから出てってやるっての)

アルフレッドの時とはまた違う胸糞悪さを覚えたヘイズは、それでも上っ面だけの笑顔を貼り付けながら商売人と交渉し、なんとか目的を果たした後に街の外へと向かって歩き出した。

両手に抱えた荷物が重く、多少歩く速度が落ちる。

後ろから『早く出て行け』『二度と来るな』といった感じの視線が突き刺さるが、徹底的に無視を決め込んだ。










―――しかし、事は思い通りに進まず、ヘイズは予測だにしない事態に巻き込まれる事になる。









ヘイズが出口まで歩いた時の事だった。

「そこの男、少々待て」

…今まで誰にも声を掛けられなかった筈のヘイズに、初めて声がかけられた。

無視してやろうかと思ったが、同時に、この街で他者に話しかけるような人間が居た事に気づいて立ち止まった後に振り返る。

その先には、一人の男が立っていた。

短く切った黒髪に、鋭さを持つ黒い瞳。

全身を白を基調とした服で包み込み、腰には巨大な剣が鞘に入れられている。その外見からヘイズは男の能力を『騎士』だと判断した。

身長はヘイズより多少高く、おそらく180センチメートルは超えている。

「…こんな街でオレに話しかけるとは珍しいな。何の…」

「貴方は…ヴァーミリオン・CD・ヘイズだな?」

用だ、と言おうとしたヘイズの言葉は途中で遮られる。

そして、その男は、いきなりヘイズのフルネームを呼び当てた。

どきり、と心臓が高鳴ると同時に、目の前の男に対し急激に警戒心が高まり、それと並行して緊張感も高まっていく。

冷や汗が一滴、頬をつたう。

ヘイズのフルネームを知っているという事は、この男が只者では無いという事を示すのに十二分な証拠だ。

だがそれでも、ヘイズは飄々とした表情を崩さない。

「知らねぇなあ…オレはそんな名前じゃ…」

「くだらない嘘は聞きたくない」

惚けようとしたところをあっさりと切り捨てられる。どうやらかまかけではないらしい。

「…だったらどうだと言うんだ?こんな辺境の地で、何でオレに声をかける?」

最早誤魔化しなど無意味。ここは大人しく相手の出方を待つのが最良策だ。

「貴方に一つ、やってもらいたい事がある」

ほぼ予想通りの出方が来た。というより、ヘイズには『依頼』以外で他者から話しかけられるケースは殆ど存在しない。

世界に三機しかないHunterPigeonの操縦者であるなら当たり前の事なのだが、そうであるヘイズは普通の人間とは違うところに居るというのがどうしても板について回ってくる。

そのお陰で、今まで数々の面倒を重ねてきたくらいだ。そこいらへんはよく分かっている。

「…ま、そう来ると思ったけどよ…」

劣化カーボンの床に荷物を置いて、ヘイズはめんどくさそうに後頭部に手を回す。

「単刀直入に聞こうじゃねぇか。その依頼の種類はなんだ」

「…話が早いな」

「名前が割れちまってるんだ。そうなったら断ったところで無意味だろ?」

「粗暴な外見とは裏腹に物分りが良くて非常に助かる。その話は此方で行おう」

そう言って、男は踵を返して歩き出す。

向かっているのは、直ぐ傍にある一軒家の扉だ。

(つーか待て、誰が粗暴だこの野郎)

…しかし、粗暴な外見と言われるのは、ヘイズにとってどうにも納得できない。

おそらく、全身真っ赤に近いこの服装のせいで粗暴とか言われたのだろうけれど、個人のファッションセンスを侮辱などして欲しくないのが本心だ。

このまま後ろから不意打ちで『破砕の領域』の一発でもぶっ放してやろうかと思ったが、望んでもいない『依頼』だったので、心を落ち着けて冷静になる事で対処した。依頼を受ける前から依頼主に一撃見舞ったりなんてしたら、それこそ依頼が破談になる。

男が扉を開けて一軒家の中に入ったのを確認してから、ヘイズも後に続いた。

万が一の事を考えて警戒はしていたが、入り口にも室内にもノイズメーカーの類の反応は無い。最も、そのIーブレインの構想上、ヘイズには普通のノイズメーカーは全くもって効果が無いのだが。

室内はとても簡素なつくりで、まるで、何年も人が住んでいないようだ。

部屋の中央に置かれたテーブルには、木製のぼろぼろになった椅子が三つ。だが、ぼろぼろでも綺麗に磨かれており、見ずぼらしさなど微塵も感じない。

キッチンセットや戸棚なんかも殆どが年代モノで見た目こそ痛んでいたりぼろぼろだったりするが、それら全てが綺麗に磨かれている。

(全て…こいつがやったのか?)

ヘイズは顎に手を当てて考える。

目の前の男はどう見ても『そういった事』を自分からはやらなそうなタイプなのだ。逆に、そういう身の回りの事を召使辺りにやらせていそうなイメージが強い。

「座ってくれ」

考え事していると、淡々とした口調による機械のような言葉が告げられた。

一旦思考を止めて、男の言うとおりにする。何せ、こっちは相手の事を何も知らないのだ。下手に行動を起こすものではない。

テーブルの下に荷物を置いて、椅子に腰掛けた。無論、トラップらしきものなど何も無い。

「へいへいっ、と。
 …それにしても、随分と簡素な部屋だが、なんでまたこんなところに?」

とりあえず無言のままで居るのもなんなので、疑問に思ったことも含めて口にしておく。

「…一応、ここは我の家だった。
 だが、今となっては我はここには滅多に戻ってこないからな…戻ってくるとすれば、懐かしい気持ちに浸りたい時とかだ」

「あれか、所謂センチメンタルって奴か」

「そう取ってくれても構わない」

ちょっとした嫌味も混ぜてのセンチメンタルという単語だったが、それを聞いても男はぴくりとも動揺しない。

それと、どうでもいいが、その『我』という一人称がなんとなく鼻につく。

何となくだが、裕福な立場から下の世界の民を傲慢に見下ろす貴族のようなものを連想してしまうのだ。

しかし、今はそんな事を思っている場合ではない。早いとこ『依頼』とやらを聞いてHunterPigeonに戻らないとハリーが怒るだろうし、いつあの船が他人に見つかってしまうかも分からない。

「…で、『依頼』の内容は何なんだよ」

テーブルに肘鉄をついて、敢えてちょっとばかりぶっきらぼうな口調を使う。

「…最初に言っておくが、怪我とかそういった心配は無用だ。
 貴方にやってもらうのは、貴方名義でとある場所にとある手紙を書いてくれればいい。
 それに、どちらかといえば我は貴方の味方だ…今のところはな」

男は静かな声でそう告げる。

(…なんだそりゃ)

当然ながら、ヘイズの脳内は疑問で埋め尽くされた。

まず『我は貴方の味方だ…今のところはな』という台詞が疑問だ。

「今のところってのが気になるんだが…そりゃどういう事だ?」

とりあえず、真っ正直に質問してみる。

「決まっている」

即答。次いで、ヘイズを凍てつかせるような鋭い声で男は告げた。

「貴方の出方次第では、我は貴方の敵になるだけだ」

この瞬間、ヘイズは思った―――冷淡な顔でかなり物騒な事を言う男だ。と。

これでは此方の選択権など最初から存在しないも同義ではないか。まあ、ヘイズのフルネームを一発で当てた辺りから薄々感づいてはいたのだが。

「因みに、依頼を受けてもし裏切ったりしたら、地の果てまで追い詰めても貴方の首を斬りおとす。
 それを覚悟しておいて欲しい」

さらに放たれる物騒な言葉。

この時、ヘイズは悟った―――こいつは本気だ。と。

その言葉には一遍の嘘偽りも存在しない。もしヘイズが裏切ったとなれば、本当に地の果てまで首を跳ねに追いかけて来るだろう。

だが、こうもやたらと高圧的に物事を言われては流石のヘイズもキレる。

その為に、敢えて口調にドスを効かせて問い返してみた。

「…へいへい、ところで人様に物を頼む時には、それ相応の報酬が必要だって分かっているよな?」

「ふむ、まあ便利屋ならそこが一番気になるところだろうな。そうだな…此れを見てもらえばいいだろう」

男は懐から四つに折りたたんだ紙切れを取り出し、ヘイズへと差し出す。

紙に書いてあったその額を見て、ヘイズの意識が別な世界に飛びそうになった。

「―――おい、何だこの額は」

「…少ないのか?」

男は依然として真顔。

「逆だ逆!!高いって事なんだよ!!」

そんな男とは対照的に、ヘイズはテーブルに乗り出さずにはいられなかった。

今までのヘイズが請け負った依頼は、サンプル奪取や重要都市の襲撃などの、常に危険と隣り合わせのもの。

こっちが賭けるのは、代価の存在しない命。

にも関わらず、報酬を値引きされたりチャラにされたりなんてのは日常茶飯事。その為にヘイズは、フリーターに労働基準法は無いのかと、オレには生まれつき疫病神でも取り付いているんじゃないかと本気で問い詰めたい気持ちを常に持っていた。

で、そんなところに通常では考えられない報酬の依頼が振り込まれれば驚きだって数倍に増す。

この額ならば、借金の全額とはいかなくても、最低でも二割は返せる計算だ。

だが、それでも気になるのは依頼内容だ。

『貴方名義でとある場所にとある手紙を書いて、一つの荷物を送ってくれる事』と、目の前の男は確かに言った。

それは一体どういう事なのか。相手は誰なのか。

「我としては、貴方がその条件でいいならそれでいいが…どうする?」

「どうするも何も、受けざるを得ないだろうが…いろんな意味でよ」

「…物分りが良くてよろしい。
 では、肝心の依頼内容について補足しよう」

男はここで一旦言葉を切って、そして続けた。












「―――貴方の名義で、一人の人物をシティ・ロンドンまで送り届ける為の書類を書いてほしい。
 貴方名義なら、リチャード・ペンウッド氏も安心してくれるはずだ」











「…人物?」

先ず真っ先に、頭の上に疑問符を浮かべたヘイズはその言葉を口にしていた。

「そうだ、聞き間違えでも何でもなく、一人の人物の輸送だ」

無論、青年は至って真顔である。

…どういう事だ。と思った。

荷物ではなく、人間を送る…それはつまり、国外逃亡を企てているという事か。

依頼としては珍しい部類のものだが、まあ、ヘイズとしては頼まれた仕事をきちんとこなせばいいだけだろうという考えが真っ先に浮かんでいた。

だがそれよりも、問題は別のところにある。

…正直、リチャードの名前が出てきた時には本当に驚いた。

つまり目の前のこの男は、そこまで知り尽くしていたという事になる。

だが解せない。何故そこでリチャードの名前が出てくるのか。

そこまで考えて、初めて、ヘイズはこの男に対して戦慄を覚えた。

もしかすると、事態は思っていたより遥かに拙いものになっているのかもしれない。

心の中で冷静に落ち着かせようと己に言いかけるものの、頭はちっとも冷静になってくれない。

そんなヘイズの様子を見透かしたかのように、男が口を開いた。

「―――リチャード氏の名前が出てきた事に驚いているようだな…なら、もう一点ほど言わせて貰おう。
 …貴方は知っているんだろう?
 2198年6月8日、シティ・モスクワにより一斉射撃が行われ、高度12000メートルに存在した『島』が消えた。
 で、その時、貴方と共に『島』から逃げた『龍使い』が何処に居るかを。
 その『龍使い』の性別は女性で、名前は―――」

「黙れっ!」

男がその名前を告げる前に、ヘイズは割り込む形で叫んだ。

同時に、ヘイズは一つの悟りを得る。

どういうルートから情報を得たのかなんて分からないが、この男は『龍使い』について知り尽くしている。

ふと『もしかしたら目の前の男は、シティ・モスクワの人間かもしれない』という考えが頭に浮かんだ。

ヘイズに『島』のサンプル奪取を依頼したシティ・モスクワの連中なら『龍使い』を知っているし、FWeyeによって見られたであろう『龍使い』の少女―――ファンメイの姿も知っていても不思議はない。

だが、解せない。

この男がシティ・モスクワの者ならば、何故に良好関係とは言えないシティ・マサチューセッツに居るのか。

ならば、後顧の憂いを絶つためにも早々にそれをはっきりとさせておかなくてはならない。

「…おい、第一に聞いておきたいんだが、てめぇは一体どこのシティの人間だ?」

「…何故そんな事を聞く…我は正真正銘のシティ・マサチューセッツの人間だ」

「んじゃ、何でシティ・マサチューセッツの人間が、シティ・モスクワの極秘事項である『龍使い』の事を知ってんだよ。
 シティ・マサチューセッツとシティ・モスクワの仲は決して良いとは言えない状態の筈だ」

「貴方のいう事はもっともだな…まあ、シティ・マサチューセッツとシティ・モスクワ全ての人間がそうとは限らないんだが…。
 しかし、聞かれたことには答えておこう。
 先に申したとおり、我はシティ・マサチューセッツの人間だ」

「そいつは聞いたからもういいんだよ。
 オレが気になるのは、どうしてお前がシティ・モスクワの極秘事情を知っているかって事だ」

「シティ・モスクワの中に我らの同胞を送り込んでおいた。だから、その極秘情報とやらも簡単にとはいかなかったが手に入った」

つまりはスパイの投入か、とヘイズは判断した。

オーソドックスだが、それ故によく使われる手段でもある。

しかし、ヘイズにとっての最大の問題はそこではない。寧ろ、その程度の問題など些細な事でしかない。

ヘイズにとっての最大の問題は、その『シティ・ロンドンに送ってほしい人物』の事だ。

目の前の男が『龍使い』についてあそこまで知っているとなれば、その人物がヘイズの想定する最悪のパターンであるという事も考えられる。

―――つまりが、ファンメイに対して危害を加えるというタイプの人物であるという事だ。

そこまで考えた刹那、ヘイズは自分でも気づかない内に椅子から立ち上がり、男に向かって叫んでいた。

「…で、これからシティ・ロンドンにその『人物』とやらを送った後は何をさせる気だ?
 もしその内容があいつを…ファンメイを脅かすものだったら、オレはこの場でてめぇと決別する。さっき言った通りに、首を切り落としたければやってみせろ。
 やっと平和な暮らしを手に入れる事が…いや、今だって平和なんてとても言えた状態じゃねぇが、それでもあいつは今を生きているんだ!!
 誰にだって、それを脅かす権利はねぇ!」

ヘイズの脳裏に浮かぶのは、褐色の肌の少女の姿。

いつも笑顔で、いつも能天気で、でも、その裏では常に深い悲しみに耐え切れずに泣いていて、己を襲った不治の病の事を知っても諦めないで常に前向きに生きようとする、一人の少女。

怒気を孕んだ声を発しながらも、ポケットの中に突っ込んだ手で指パッチンの準備をする。ヒートアップした頭であっても、その程度の事なら考えることができた。

そして、いざとなれば『破砕の領域』で――。

だが、いきりたつヘイズとは対照的に、男は終始落ち着いていた。

そして、何の前触れもなく深々と頭を下げた。

「…すまない、我の説明不測だったようだ。
 あの言いようでは、貴方がそんな誤解を招いても仕方がないだろうな…だが、落ち着いて聞いて欲しい。
 我としてはそんな心算は毛頭無いし、それに、その人物もまた、そんな事をするつもりは無いと約束しよう。
 これは、貴方だから頼めて、貴方以外の人物には頼めない依頼なのだ」

そんな台詞が、静かに告げられる。

予測だにしないいきなりの謝罪に、流石のヘイズも驚いた。

同時に、心の中で思う。

おそらく、この男のいう事に嘘はない。無論それは、先ほどの物騒な発言も全て含めて、だ。

そう考えると、今までの怒りが既に何処かに飛んでいってしまった。

ぶん殴ろうとした相手が殴る前に倒れてしまったような、そんな感覚。

そしてそれは、他でもない、目の前の男の真摯な態度がそうさせたのだ。

頭を下げてからたっぷり七秒が経過した時、男は顔を上げてさらに言葉を続けた。

「そう…『龍使い』といえば、世界中を探しても一人居るかいないかの貴重な魔法士だ。
 大戦への投入が見送られていたから、生産数が少ないのは必然的と言えるだろう。
 故に希少価値は非常に高く、然るべき場所に連れて行けば大量の報酬が手に入り、シティもマザーコアとなる魔法士を得られて一挙両得という結果に終われたはずだ。
 だが貴方は、その『龍使い』をシティに差し出すような真似はしなかった。寧ろ、貴方にとって損を産むような選択肢を取った。
 しかし、我は貴方のその行動を、貴方が人徳的な行動を取れると判断したからこそ、貴方にこの依頼を頼む事にしたんだ」

…別にお前に判断された覚えはないんだがな、と思いつつも、ヘイズは大人しく話を聞いている。

「…話を戻そう。
 本当なら我がシティ・ロンドンに向かいたいのだが、門前払いを喰らうか戦闘になるのが関の山だ。
 そうなれば、当然、我の目的は果たせない。
 だから、貴方という仲介役が必要なんだ」

ここでヘイズはふと思う。

この男の依頼の全貌が、未だに見えてこないのだ。

何故、その人物を送る必要があるのかという明確な理由が、その人物がどんな者なのかが全くもって説明されていない。

だが、先の態度から、間違ってもファンメイに被害を及ぼすようなものではないらしい。

少なくとも、それだけは信じたかった。

(ん…待てよ)

…一瞬、『とある可能性』に気づいたが『いや、ありえねえな』と考えて、ヘイズはそれを即座に拒絶した。

「――――とりあえず、貴方の信用を得るために、今から此処に『その人物』を連れてこようと思うんだが、それでいいか?」

「ああ、かまわねぇ」

寧ろ、そっちから見せてくれるなら好都合だ。

「そうか、では今から呼んでくる」

立ち上がった男は、玄関とは正反対の方向にある扉の方に足を進めた。

この家の中に居るのかよ、という突っ込みが喉元まで出かかったが何とか留める事ができた。

「…と、いけねぇいけねぇ…おい、ちょっと待て」

刹那、ヘイズは今まで聞いてなかった大事な事を思い出し、男を呼び止めた。

第一印象がヘイズにとっていけ好かなかったために、この依頼が終われば縁なんて切れるだろうなと判断していた為に、すっかり聞くのを忘れていたのだ。

そう――――――男の名前を。

ヘイズに呼び止められて、男が振り向く。

「何か?」

「オレはお前の名前を聞いていないぞ」

男は『ああ』と何かを思い出したような顔をする。

「…と、すまない。すっかり忘れるところだった。
 ―――ルーウェン・ファインディスア…それが、我の名だ」











…えらくハイカラな名前だと、ヘイズは真っ先にそう思った。

最も、ミドルネームまで持ってる自分が人の名前の事を言えるのかという考えにも同時に至った訳だが










【 + + + + + + + + + 】











「…では、これからその子を連れてくる。だから、此処で少し待っていて欲しい」

そう言って、ルーウェンは扉の向こうに姿を消そうとするが、そこをヘイズが再び呼び止める。

何度目かの呼び止めだが、ルーウェンは嫌な顔一つしていない。だから、ヘイズとしてもそれほど後腐れが無く質問をする事ができた。

「…ちょっと待てよ、その子の名前くらい教えてくれてもいいだろ」

ヘイズの言葉に反応して振り向いたルーウェンが、軽く溜息を吐いた。

「…全く、貴方はせっかちな人だな…まあいい、何れにせよ直ぐに知る事になるのだからな…。








 その子の名前は…アルティミス・プレフィーリング…とだけ言っておこう」
















【 続 く 】























―――コメント―――











とりあえずこの話で、ヘイズの誤解が解けたと思います(笑)。

第一話を読まれた方の一部から『外道』だのなんだの言われてたもので…ごめんヘイズ。





ちなみにもうお分かりでしょうが、今回は前編のようなものです。

一話一話が短いのに前後編にする必要が何処にあるんだと問い詰められそうですが、TVの途中に流れるCMよろしく、こういういいところで続き形式にした方がいいかなと何となく思ったので。

だって、一気にばらしちゃったらつまらないじゃないですか。

…批判が来たらやめようかと思いますけど。






それでは、今回はこの辺りで。

あ、次のお話で、アルティミスがシティ・ロンドンに来るまでに何があったのかが分かります。

少なくともヘイズからしたらアルティミスは守備範囲外だと思うのでご安心を(何が!?)




HP↓

Moonlight Butterfly