DESTINY TIME RIMIX
〜決着の時〜













正義というものほど、人によって価値観の変わるものも無い。

それぞれが持つ正義の名の下に、すれ違いと忌むべき業が引き起こした悲しい戦い。






疲弊しきった者達は誰もが思う。



―――もう、終わらせよう。こんなこと。




















―――【 少 女 が 選 ん だ こ の 道 で 】―――
〜THE RESHUREI&SERISIA&EXITES&RAZIERUT〜


















レシュレイとエクイテス、二人だけだった筈の戦場に突如飛来した新たな攻撃。
その一撃は間違いなくエクイテスの左肩に突き刺さっていた。
そう、『超強化絶対的装甲』を持ち、ありとあらゆる攻撃を無効化する筈のエクイテスの身体に。
その武器の形状は鎌…とすれば、この攻撃の主は必然的に――――!!
「…まだ、勝負はついていません!!」
「なっ!!セリシア!?」
「何ぃ!!」
肩で息をしているセリシアの姿と、その刀身を紅く染め替えたように変色した『光の彼方』をその瞳で見て、レシュレイとエクイテスが同時に驚く。
予想外の死角から襲い掛かってきた攻撃。
誰しもが予測しなかった展開。
まさかセリシアにまで『神殺しの剣ダインスレイヴ』のような能力が備わっているなど、誰が予測したであろうか。
「何度も言いましたけど…レシュレイだけに――戦わせるわけにはいかないって決めたんです!!
 レシュレイの気持ちだって分かるけど、それでも、私にも譲れない時があります。今がその時だって、そう思うんです!」
意を決して、セリシアは叫んだ。
一歩踏み出せばもう戻れない道だと分かっていても、それでも尚、歩んでいきたい未来がある。
その隣には、此の世に一人しか居ない父親と―――誰よりも大切な青い髪の少年が居てくれる。
だから、セリシアは頑張れる。
例えこの手を再び血で汚す事になっても、それでも前に進めると思う。
すう、と軽く息を吸った後に目を瞑り、セリシアはIーブレインに命令を送る。
それがどういうことかという覚悟などとうに出来ている。










(『災厄を薙ぐ剣レーヴァテイン)』本格起動)











刹那、耐え切れぬほどの脳への負担から来る激痛が、セリシアのI−ブレインを直撃する!
「ああっあああっくああぁぁ!!!」
故に、声にならない絶叫がセリシアの口からあがる。
だが、この程度で!!
レシュレイの背負ってきたものに比べれば!!
これまで、レシュレイに背負わせてしまったものに比べれば!!
「セリシア!!やめろっ!やめるんだっ!!」
はっ、と我に返ったレシュレイが、I−ブレインの疲労と肉体のダメージにより起き上がれないまま叫んだ。
だけど、レシュレイのその言葉に従うことは出来ない。
「ごめんなさい…レシュレイを巻き込むわけにはいかないから、レシュレイが離れるまで待つしかなかったんです…。
 言ったでしょ、二人で戦おうって…痛ぅっ!!」
「セリシア!!」
だが、それを聞いたセリシアは、痛みと苦しみを堪えて無理矢理笑顔を作って、
「…大丈夫…です、この程度の痛みなら…大した事――ないんですからっ!!」
嘘だ。と一目で分かった。
レシュレイとて、『神殺しの剣』発動時には死ぬほどの痛みを味わったのだ。
セリシアだけが痛みを和らげて発動なんている都合のいい話があるわけない。
そしてこの瞬間、戦いに夢中でセリシアの気持ちを忘れていたレシュレイ自身への怒りが湧き上がる。
そうだ、彼女は――――。
彼女はいつだって、自分の隣に居たがっていたんだから―――。
「ッ!」
セリシアの言いたい事が分かってしまったレシュレイは、それ以上は何も言えなかった。
本当の事を言えば、今すぐにでもセリシアを止めたかった。
セリシアが戦う必要なんてない。
俺が兄さんを倒せば全てが終わるんだから―――そう言いたかった。
だけど、もうそれは出来ない。
『神殺しの剣』から来る脳への負担のすさまじさと、肉体へと負ったダメージのせいでろくに動く事すら出来ない。
『神殺しの剣』を強制停止すれば動けるようにはなるだろうが、それではエクイテスを倒す術を自ら失うことになるし、エクイテスの攻撃に対応できない。
それに―――、
「レシュレイは…少し戦い過ぎです。だから…休んでください。
 それに、これ以上無理してレシュレイが倒れたりなんかしたら…私…」
「…ああ」
セリシアの瞳の端に見た涙。
ああそうか。と思った。
―――正直、セリシアさえ守れれば、セリシアさえ傷つかなければ、自分はどうなってもいいと勝手に思っていた。
だけど、それだけでは駄目なんだという事に気づいた。
セリシアにとっての一番の希望は自分と父さんが居てくれる事なのであり、いくらセリシアを守る事だけが出来ても、その側に自分らが居なくては意味がないんだなという、当たり前すぎる事を忘れていた事を再確認させられた。
いつの間にか、レシュレイ自身が気づかぬ内に、セリシアを守るという決意に対して背負いすぎていたのだろう。
故に、セリシアの成長にも、こんな簡単な事にも気づけなかった。

――だから、目の前の全てを認めた。
「…ごめん、後の事を…任せた」
痛みをおして無理矢理作った笑顔で、その言葉を告げた。
「はい…今度は私の番ですね」
セリシアもまた、無理矢理作ったであろう笑顔で返事をくれた。
そう言った直後、表情を引きしめたセリシアは、
「行きますよ…兄さん」
「…まさかこんな展開になるとは…正直、ここまでは計算していなかったぞ!!」
「兄さんを倒せる剣を持っているというのは、レシュレイだけの特権じゃないんです!!」
「…少女…いや、ながらに見事な覚悟だ!!」
「お褒めの言葉、ありがとう…ですっ!」








『災厄を薙ぐ剣』を起動した時、脳内に注意事項が告げられた。
それは、『破壊力を最優先するために、『光の彼方』の射程を一定のものに設定します』といったものだった。
その為に、『光の彼方』の最大射程は僅か四メートル程度にしか出来なくなり、先ほどまでの遠距離牽制が事実上不可能になってしまったということだ。
だけど、それくらいの事で屈するわけにはいかない――――――!!!








今にも倒れてしまいそうな、砕けてしまいそうな足で地を蹴り、『光の彼方』の効果範囲内にエクイテスを捕らえるべくセリシアは疾走を開始した。
桃色の長くて綺麗な髪が、強化カーボンの壁により白く彩られた世界の中に踊った。
エクイテスは口の端に虚勢の笑みを貼り付け、白銀の鎌による攻撃を繰り出す少女の姿を睨みつけた。
(『自己領域』再展開。運動係数を二十倍、知覚係数を三十倍に定義)
エクイテスとてまた『騎士』。自己領域を所持しているのは当然の理屈。
目の前の少女より明らかに劣っている速度係数。
だが、それくらいで勝負が決する訳は無い。並みの騎士剣を遥かに凌駕する、別次元に位地する破壊力を込めた一撃、それだけで勝敗は決するのだ。
――最も、当のエクイテス本人としては、最早勝ちなど何の意味も無い。
どう足掻いても自我を失い殺人鬼と化す未来が約束されているなら、最後の最後で本気で戦い、そして散る。
目の前より来たる少女は、その望みを叶えてくれる最後の望み。
だが、自身の望みが死であろうとも、エクイテスは決して油断などしない。
これがエクイテスの最後の戦いゆえに満足する形で終わらせたい。それだけだ。
握りこんだ拳を胸の前に構え、重心を落として迎撃の態勢を取り、如何なる攻撃にも対処できるようにする。
聞き飽きたメッセージが脳内に映し出され、『超強化絶対的装甲プロディフェンシヴ)』が再び起動する。ただ純粋に身体能力の強度を強化するだけの能力だが、単純ゆえに純粋に強い。
『超強化絶対的装甲』によりエクイテスの皮膚は特殊な処理を得てダイアモンドに匹敵する硬度を得る。
無論、熱量に対する防御力や、寒冷に対する抵抗力も上昇する。
『神殺しの剣』を除き、ありとあらゆる攻撃を防ぎ、体内組織までは絶対に通さない筈の、最強の鎧。
―――だが。
これまで幾多の攻撃を無効化してきたその最強の鎧が誇る自信は、『光の彼方』の先端がエクイテスの右足に命中した時に脳内に出現したメッセージによってあっけなく崩壊した。
(肉体的ダメージを感知。右足の皮膚破壊率、四十パーセント)
在り得る筈の無いメッセージが脳内に表示される。
セリシアの能力が『神殺しの剣』を超える破壊力を持つ能力だという事を再認識させられる、素晴らしき一撃。
次の瞬間にはエクイテスが『光の彼方』の先端を掴もうとするより早く、セリシアは『光の彼方』を引き抜いた。
結果、一瞬遅れてエクイテスの手は何も無い空間を空振りする事になる。
だが刹那、エクイテスは今まで感じたことの無い違和感を感じた。その原因を探るためにI−ブレインを起動。身体構造のチェック程度ならI−ブレイン使用率は一パーセントも増えないから、脳への負荷はほぼ変わらないに等しい。
「―――む」
I−ブレインによって異変が発覚し、エクイテスの顔が微かに歪む。
『光の彼方』が直撃した右足だけが、身体全体とは違う速度へと、そして強度へと『書き換えられている』事へと気づく。左足とかは強度は通常のままなのに、右足だけが基準値を遥かに下回る強度へと知らずの内に下げられたような、そんな感覚。
無論、エクイテスとてそのような命令を送った覚えなど無い。となるとこれは―――外部からの干渉か。
しかしそうなると、この圧倒的装甲のどこから干渉したのかが分からない。
「――これは一体!?」
その疑念を口にしていた。
「…兄さん、貴方も『騎士』なら分かるはずです。『騎士』の中でも演算速度に優れているなら…使用可能になる能力があるじゃないですか……」
脳への負荷と激痛による苦しさによる息切れを隠さずに、エクイテスの疑念に答えるようにセリシアは口を開く。
「答えは『自己領域』!!その程度なら俺とて理解できているっ!!――っと!!」
刹那、飛来した白銀の一撃をぎりぎりで回避。先ほどの一撃で喰らった傷口から鮮血が吹き出たが、気にしてなどいられない。
それよりも、セリシアが言った事の方が気になる。
先ほどのレシュレイの『神殺しの剣』は『身体組織を書き換えて、身体強度を限界値まで上げる』だが、セリシアのこのありえない破壊力を持つ能力のベースは『自己領域』であると考えて間違いないだろう。
反芻するように、エクイテスは『自己領域』の原理を心の中で唱える。
―――『自己領域』は、騎士剣の補助記憶領域を限界まで使って情報制御を行う事で自分の周囲の物理定数を根本的に書き換え…。
…自分の周囲の物理定数を根本的に書き換える…だと…まさか!!」
そこまで考えてから思考すること百分の一秒足らずで、エクイテスは仮説を立てることに成功する。
「――だが、ありえるのか?」
しかし、仮説はあくまでも仮説の域を出ない。
そもそも、『自己領域』は、その中に入った相手にまで一緒に空間書きかえを適用してしまう為に、条件の差をなくしてしまう。そのために、自己領域を解除して身体能力制御を発動するという余分なプロセスを発動しなくてはならない。『双剣使い』ならこの弱点を泣くせるのだが、セリシアのカテゴリは純粋な『騎士』の筈だ。
だが、ここで一つ。
『自己領域』があくまでも『セリシアの周囲にだけ効果がある』と考えると――、
「…っ!!!」
エクイテスが、弾かれたように顔を上げた。
成程成程、それなら確かに『自己領域』の弱点を泣くせる。
つまり、普段のセリシアは『自分の周囲』にだけ『自己領域』を展開していて『光の彼方』に『自己領域』を展開していないという事。これにより、相手を『自己領域』の効果範囲内に入れることを防ぎ、セリシアだけが都合のいい速度で動ける事になる。
遠距離で鎌を振ってさえいれば、相手は近づいて来れないし、当たれば並みの騎士など絶命する。加えて、近づかれても即座に逃げる事が可能となる。と考えれられる。
―――しかし、全ては同時に時間単位を改変した空間の中で『普通に』動いているもの。
となると『光の彼方』とセリシア自身に流れる時間に差異が生まれ、矛盾許容を出来ずに『自己領域』は問答無用で消え去ってしまうと思われる。
故に、この仮説は没となる。
―――だが、そうするとエクイテスに傷をつけたことの理由が説明できない。
再び思考をめぐらせる。
『情報解体』があっても尚、エクイテスの肌に傷を付けることが出来ない――否、それ以前に『魔法士』の肉体を『情報解体』すること自体がほぼ不可能だったはずだ。当たり前の事実を今思い出す。
しかし、今は違う。エクイテスの肉体は確かに切り裂かれたのだ。
その原理を突き止める前に一つ大前提がある。
それは、『超強化絶対的装甲』には『龍使い』の能力が混じっているためにも、エクイテスが魔法士であるためにも、『情報解体』は効かないということ。
…そう、効かないのは『情報解体なら』だ――――。
そうなれば、残された選択肢は唯一つ。確認の意を込めて、エクイテスはそれを口に出す。
「―――『自己領域』の定理自体を書き換えたのか!!」
一秒経過と共に、一閃を振るわれるが回避。その後、セリシアは無言で頷く。その顔には苦痛がありありと浮かんでおり、『災厄を薙ぐ剣』が強力な能力であるが故の反動が痛いほど見て取れた。
…正解か…まあ、そうでなければ、説明がつかないんだがな。
心の中だけで呟き、己の立てた理論を確かめる。
「――しかしこれは、ますますもってありえない能力だな…」
「…口を開いている場合ですかっ!!」
少女の叫びと共に銀の一閃が襲い掛かり、エクイテスの左腕を切り裂いた。
鮮血が飛び散り、その痛みに顔をしかめたが、すぐさま体勢を整えて、エクイテスは声高らかに叫んだ。
「――なら説明してやろう!お前の『災厄を薙ぐ剣』の原理を!!!」






(以下の記述は、エクイテスの説明である)
単刀直入に答えを出すと、『災厄を薙ぐ剣』の論理は『一定空間の物理定数の固定』だ。
電子や光の流れを媒介せずに『情報』を直接操作する事が出来るならば、物理法則はたやすく乗り越えられる。
そうすれば『物理法則』事態を書き換えることも可能になる。
そう、『自己領域』が『その者にとって都合のいい時間、都合のいい重力』が支配する空間を作り出す能力ならば、『物理法則』を書き換える、あるいは制御する事が可能でもおかしくない。
さらに、『騎士』は物理法則の制御に特化された魔法士だ。出来ても不思議は無い筈。
ならば、結論としてはこうなる。
『周囲の物理定数を『災厄を薙ぐ剣』によって斬れない物が存在しないレベルまで強制的にダウンさせるという、セリシアにとって都合のいい物理定数』へと書き換えるという事――――――と。
だがそうすると、『騎士』にそこまでの芸当は可能なのか?という疑念が出てくるのもまた事実。最早それは『世界』に干渉するほどの強大な力であり、『騎士』一人が扱うには大きすぎる能力だ。
それは、右足に一撃を受けるまで気づかなかった。
―――今の今まで気づかなかったのも無理は無いと思う。
周知の通り、セリシアは一年前の事件から一人たりとも人を斬っていない。それは彼女が戦場とは程遠い場所に居たという事の現れであり、戦場に出ていなければ、相手―――すなわちエクイテス側からすれば、セリシアの能力が何に特化しているかなんて分からないという事だ。



そして今なら、今の今まで気づかなかったそれが分かる。



セリシアのI−ブレインは『『自己領域』により周囲の空間を書き換える能力』に対して特化している―――。
故に、通常の『騎士』ではありえることのないこの状況を作成できたのだ。



―――そして忘れてはいけないのが、世界はより上位の干渉に支配されるという事。
だが、エクイテスは多少だが『龍使い』の系列の能力も所持している。『龍使い』は『騎士』に対しての切り札ともされる能力で、身体と情報の両方の面から能力者を保護するために、『騎士』では『龍使い』には勝てない。
――そう、『騎士』が勝てないのは『完全な龍使い』ならだ。
エクイテスの持つ『龍使い』としての能力は、あくまでも『一部』。
故に、完全型と比較して到底足りない部分もあり、情報強度がオリジナルの『龍使い』に比べてかなり劣る。つまり、エクイテスは『騎士』としてなら完成しているが『龍使い』としての性能の部分は不完全であるということになる。
故に、セリシアの『災厄を薙ぐ剣』を完全に無効化出来ず、法則を書き換えられてしまったのだ。
尚、その実例として『天使』が『性能のダウンした龍使い』の心の中を読むのは不可能ではないことが確認されている。
以上の事を纏めると、エクイテスの『超強化絶対的装甲』がセリシアの『自己領域』による干渉の強さに打ち消されてしまい、『超強化絶対的装甲』が『災厄を薙ぐ剣』に絶対に打ち負ける強度にまで物理法則を書き換えられてしまっているという事になる。
―――これが、答えだ。



そして、今まで使わないで隠していたのは、起動時のI−ブレインへの負荷。これ以外には考えられない。
戦局を一変させて覆す程の強力な能力ゆえに脳にかかる負担がすさまじいものになる為に、迂闊に使えばフリーズ・アウトは逃れられないのだから。





「――以上が、俺の考えた論理だ。
 さて、これで正解か?それとも否か?」
そのまま百分の一秒が経過して、
「…正解…です。流石は…兄さんです。兄さんの言うとおり…私にとって都合のいい空間を作り出すことが、『災厄を薙ぐ剣』の原理です…」
I−ブレインへの負担で途切れ途切れにしか喋れないセリシアが、正解を告げた。
そして、全てのからくりが判明して、この状況が長くは持たないことを知っている少女が、再び疾走を開始した。
ならばエクイテスは、小細工も何もいらない真っ向勝負を挑むのみ―――。
「相手の…この俺の『騎士』としての能力すら書き換えるとは…妹ながら賞賛に値するぞ!」
その声と同時に、エクイテスもまた動いた。




視界の隅でセリシアの右手が音も無く動いた。
「―――ちぃ!!」
白銀の鎌が白銀の綺麗な軌跡を画いてその動きを加速する。
角度からして首を狙ったその一振りが画くであろう軌跡を経験と直感で見切ったエクイテスはとっさに体を大きく傾け、『光の彼方』の起動から上半身を逃がす。
刹那、回避される事を見抜いた『光の彼方』の軌跡が変わった。
突然の軌跡の変化にエクイテスの運動能力が追いつかずに、左足に激痛が走った。
「―――がっ!!」
銃弾すら遥かに上回る速度で放たれた『光の彼方』が放った一撃が左足を貫く感触に、エクイテスは苦悶の声を漏らした。
切り裂かれたエクイテスの血管と筋肉がエクイテスの体の内側に鮮血を溢れさせた。
苦悶を堪えて右足を振り回し、少女の体と『光の彼方』を遠ざける。
次の瞬間には体制を整え直して、エクイテスは荒い息を吐いた。
……この子は……。
最早疑念を挟む余地は無い。
セリシアの『光の彼方』は触れるだけでエクイテスの最強の鎧を軽々と切り裂く。
これによりエクイテスの持つ絶対防御は再び無敵の称号を失い、ただ普通のボディビルダーより少し死ににくいだけの不完全な状態になった。
だが、そんな事はそれほど重要な問題ではない。
『災厄を薙ぐ剣』は、先ほどレシュレイが使用した『神殺しの剣』を超える破壊力を持つ能力。
故に『災厄を薙ぐ剣』がセリシアに与えるI−ブレインへの負荷と、その華奢な身体を襲う激痛は、おそらく、死んだ方がマシかと言いたくなるほどのものであるだろう。
だが、セリシアの能力がいくら自分に対して絶大で致命傷とも言えるダメージを与えられるものであるとしても、エクイテスの持つ最強の鎧を軽々と切り裂くものだったとしても、場合によってはこのままではセリシアのI−ブレインが参ってしまうほうが先かもしれないのだ。
故に、セリシアがいくらとんでもない能力を持っていようが、エクイテスにとってそれは、目の前の戦闘の単なる一場面に過ぎない。
敵がどれほど強大であろうと、エクイテスはただ死力を尽くせばいいだけの事だ。
だからエクイテスは、セリシアが力尽きるまで戦い続ければいいだけの事。
Iーブレインの疲労でレシュレイももう動けない今、そうなってしまえばエクイテスの勝利は確定する。
―――だが、エクイテスが勝利したところで得るものは何も無い。
元より、レシュレイやセリシアに殺されなかったらば自分で命を絶とうと思っている。
地獄の神のお祝いにヘル・ゴッド・オブ・エデン)』が完全覚醒して、自我を持たぬ唯の殺し屋になるくらいならその方がずっといい。
だが、真にエクイテスを驚愕させたのは、断じてそんな物ではなかった。
……死が、恐ろしくないのか……。
少女の体は満身創痍。先ほどの瓦礫だったものの直撃のダメージとて大きいものだった筈。
加えて体中が傷だらけで、その中には打撲の後もある。
それらは戦闘中に偶然にも当たった一撃がつけた物だ。加えて『災厄を薙ぐ剣』によりI−ブレインの疲労率も常識を逸している筈。
並みの少女の体力程度なら、動けなくても無理も無いし、それどころか意識を保てない筈の重傷。
―――だというのに。
傷ついても、尚傷ついても、それでも少女は戦う事をやめない。
「…何故だ」
密かに刺客として送り込んでいたエージェント達から聞いた情報が正しければ、幼い頃に起こしてしまった大量虐殺により人を傷つける事を何よりも嫌っていた少女。
戦う事のうち、殺すことを全てレシュレイに委ねる形になった少女。
この世界で殺さずに生きるなんて、到底不可能な夢見事。
それが分かっているから、少女は再び殺すことを厭わないという事を決意した。
だが、その決意をしてからまだ日が浅すぎる。どう言い繕うが説得力も何も無い脆弱な決意でしかないのだ。
…だが、それなのに。何故。
鍛えぬいたこの拳は、何故、この少女を撃ちぬけないのか―――!!!
「言った筈です」
静かな声。
少女は毅然と顔を上げ、苦痛の色を全力で隠して言葉を紡ぐ。
「私はレシュレイと一緒に、罪も痛みも、二人で背負って行くって」
「…なら、何故だ!」
「だから私は決めたんです…生きる為に他者を斬る。私の命を奪おうというんなら、唯振り払わなくてはいけないって」
「それならば」
「殺したくないって言うのは本当です。ですが、誰が望んで戦場に出るのでしょうか?
 唯生きて生きたいという想いを抱くのは誰だって同じです。
 だから私は…未来を生きる為に、「敵」となる者―――命を奪いに来る者を迎え撃って、そして―――殺すん…です」

少女の言葉が、エクイテスの言葉を遮る。
少女の瞳の端から流れる、一筋の涙。
殺したくないのに殺さなくてはいけない矛盾。人を殺さなくて済む世界を作れないのかと、少女はいつも考えていた。
だけど、それが敵わないから今がある。
故に、現実を認め、今、エクイテスと対峙した少女。
だが、今殺す相手は実の兄に等しい魔法士。
それでも尚、戦わなくてはならないと分かっていて、今、血の気を失った唇に、少女は微笑を浮かべた。
「本当にいけないのはこの世界そのものだってことは分かっています。
 けど、それでも私達はこの世界に生きたいんです。こんな世界でも…いえ、こんな世界だからこそ私が私として生まれる事が出来たんだって、そう思いたいんです…兄さん」
その瞬間、エクイテスの中で何かが弾けた。
ああそうか、と思った。
この少女は、自分には無いものを持っているから、ここまで強くなれるのだ。
『未来』という名の、自分に持っていないものを持っているから―――――。
『未来』―――それは、エクイテスにとっては『地獄の神のお祝いに』により、永遠に失われたもの。
ならば未来の無い者として、未来ある者に全てを託そうではないか。
『兄』として何も残してやれなかった男が送る、最初で最後の贈り物を―――。
だから、叫んだ。
「―――ならば再び言おう」














「俺を超えていくがいい!!」













セリシアは無言で頷き、決着へと向けてさらなる疾走を開始した。













そして戦闘が再会された。
白銀の閃光が煌き、鮮血を散らす。
唸りを上げた拳が、一撃の元に叩き潰さんと吼える。
エクイテスの攻撃を回避しながら、エクイテスの腕・足・胴体・頭…あらゆる箇所へとセリシアは次々と攻撃を叩き込む。
だが、限界が近づいてきたセリシアの目が、ついに霞んできた。
これ以上、戦闘続行なんてしていられない。
このままでは、エクイテスが参る前にこっちが参ってしまう。
長いリーチから繰り出す、事実上防御不能の攻撃。
今この場においてエクイテス・アインデュートを倒せる可能性を持つ唯一の攻撃。
だが、それを繰り出しているセリシアとて無事で済む訳が無い。
事実、I−ブレインのエラーログはとうに六桁に達しており、手に力を込めるだけで、
「――い…うぁ」
気を失いそうになるほどの激痛がI−ブレインへと直撃する。比喩して言うなら、『天使』が同調能力中に相手を傷つけた時と同じか、それ以上の激痛だ。
耐え切れずに幾度と無く地に倒れ伏してしまいそうだが、そのたびに歯を食いしばって、足に力を入れて踏みとどまる。
もう何度目なのか、考えることすら意味が無い。
痛みに耐え切れず、瞳の端から涙が頬を伝って流れた。左腕でその涙をぬぐって、ぼやけた視界を元通りにする。
激痛の直後には、まるで風邪を引いているかのように頭がふらふらする。
息をするのもとっても苦しくて、一呼吸のたびにひゅうひゅうというかすれた音が僅かに聞こえた。
体がもうやめてと警報を発している。
だけど、それでも―――今は戦わなくてはならない。
故にセリシアは、心の中で痛みを伴う叫びをあげる。






















――――『光の彼方』が銀の閃光を放つたび、誰かの命を傷つけます。














傷つけたくないのに、争いたくないのに、世界はそれを許してくれません。













教えてください――――――。













私達は、どうしてこんな風にしか生まれてこなかったのですか――――――。
















―――だけど、いつまでもそんな事ばかり考えてはいられない。
―――世界が、現実が、今がここにある。



「…行きます!!」
襲い掛かる痛みの全ても心の叫びも意志の力で振り払い、セリシアは凛とした表情でそれを告げた。
今再び、少女はこの手で人を殺めんと鎌を振るう。
この世界に生まれた以上、他者を殺めるという事は、ほぼ確実に避ける事の出来ない事。
だけど、殺したいから殺したいのではない。
否、誰が望んで殺しに出るだろうか。
少女の望みは唯一つ。










―――これからの世界を、大切な人と生きて行きたい。





―――ただ、それだけなんです。









その想いに後押しされるように、セリシアは最後の一撃を、この戦いの終止符を打つ一撃を繰り出した。
エクイテスがその一撃を回避すべく身体を動かし、同時にI−ブレインに計算を委ねた結果――――、























( 回 避 不 能 )




















 
刹那、
セリシアの『光の彼方』の先端が、エクイテスのI−ブレインに正確に命中した。














―――【 天 使 墜 つ  】―――
〜THE BUREED&MIRIL&SHARON&KURAU&INTRUDER〜










 


シャロンの左腕を貫通しているのは、間違いなく『冥衣ブラックガーヴ』の先端。
触れることすら敵わぬ筈の、シャロンの絶対防御を不意に突き破った情報攻撃。
干渉不能の掟ロストルール・イリュージョナル』がイントルーダーによって発動不能になった事は理解できた。
だが、シャロンの困惑が完全に晴れた訳ではない。
そもそも、イントルーダーは『時空使い』であり『天使』の類ではない筈。
聞いた話によると、物理法則を無視して数キロの距離を移動する位なら出来るらしいが、シャロンの情報を書き換える事が出来るなどとは言われてなかった。
後は、『もう一つの賢人会議』に属する者の情報を知っている――シャロンはそれ位しか知らない。
困惑するシャロンの疑問を氷解させるように、イントルーダーは口を開いた。
「俺の能力は『管理者』―――『天使』が『同調能力』で対象を取り込んでそいつと同調するのと似たような能力だとでも言えばいいのか。
 で、事前に俺の脳内にそいつの情報を取り込んでさえいれば、触れるだけで一時的にだが『そいつの情報の一部を書き換えられる』っていう代物だ。
 但し、流石に死人の情報の書き換えは不可能だがな」
「…情報の取り込み…!?何時の間にそんな事を!!」
「お前と再会したその時に、既に脳内に取り込ませてもらった。しかも、相手に気づかれることが殆ど無いから、お前が気づかなくとも無理は無い。
 そして一番大事なのは、たとえ『堕天使』がついても、同一人物である限りシャロンという『情報』はあくまでもシャロンの物として認識されるということだ。だから、新たに情報を入れなおす必要も無かった」
「…じゃあ次の疑問。どうして貴方は私に干渉できたの!?
 そもそもの根底として、私に触れる事が敵わないなら、情報の書き換えも出来ない筈なのに!!」
その答えが来るのを分かっていたかのように、イントルーダーは即座に返答。
…触れられないなら、触れるようにするまでだ。
 『情報の賢者マネジメント・ウォーロック』による性能の一つ『情報持続時間の書き換え』でな」
「…情報持続時間の…書き換え…?」
自分でも気づかぬ間に、シャロンはその言葉を口にしていた。
その口調にわずかな震えが走っていたのを、イントルーダーは聞き逃さなかった。
「言葉通りの意味だ。
 『情報の賢者』は、俺の脳内に、俺が触れた魔法士の情報を取り込み、対象の情報を一時的に書き換えたり固定したりする能力だとさっき言ったな。
 『天使』の『同調能力』との相違点としては、規模は全くもって小さいが、書き換える相手を指定できる為に、強制終了を防げるといったところか。
 つまりが『対象の状態をある一定の状態から不変の状態にする』事も出来るという事だ――ただ、何故か俺自身の存在情報だけは書き換えることが出来ないのだがな。
 ―――但し、絶対条件として『相手に触れられる状態』でなければいけない事も述べたな。
 そこでまずは、その状態を見つけ出す事から始めるんだ…そしてシャロン、お前なら分かっているはずだ。お前自身が持っている能力の弱点を!!」
「…私の能力の…『干渉不能の掟』の…弱点…」
少しの間考えた後に、シャロンは何か大切なことに気がついたようにはっ、と顔を上げた。
「そうだシャロン、お前は言っていたな。『干渉不能の掟』の持続効果は無限ではなく有限だと。故に、即座に『干渉不能の掟』を再起動する事によりその弱点をカバーしていると。
 それはつまり、ほんの一瞬とはいえシャロンに『触れる事が出来る時間』が存在するということだ。
 ――なら俺はその『触れる事が出来る時間』が発生する瞬間にタイミングよく触れる事さえ出来ればいい。
 比喩するなら『騎士』が『自己領域』から『身体能力制御』に切り替える瞬間を狙いうちするようなものだと思ってもらえるかな」
「だけど…そんなのありえない!!
 タイミングよく、しかもばらつきのあるその一瞬をピンポイントで見切って、私の情報を書き換えるなんて…失敗すれば、下手すれば絶命しているのに!」
「ほう、検討はついていたが、やはりばらつきがあったのか」
「…しまった!!」
黙っていれば仮説で済んだその事実をつい口にしてしまい、慌てたシャロンは両手で口を押さえたが時既に遅し。
「…まあ、戦闘中、お前は途中から守りに徹することが無くなった事から、そうじゃないかと気づいていたけどな」
「…っ!!」
悔しげにシャロンは歯噛みする。
…そう、つまりはそういうことだ。
最初は『干渉不能の掟』が切れる瞬間のタイミングが一緒だったから、『干渉不能の掟』が切れそうになったら守りに徹したりしていたが、その内に『干渉不能の掟』が切れる瞬間にはばらつきがあると分かったから守る事をやめたのだ。
それに、いちいちそうしてしまっては『干渉不能の掟』が切れるという事を自分から暴露していることになるという事にも気づいたという点もある。
しかし、これだけやったにも関わらず、イントルーダーに『干渉不能の掟』が切れる瞬間を見切られてしまった―――シャロンの疑問はそこにある。
「何ていうか…世間で一般的な管理者ってのは『管理者権限』を持っていて、やろうとすれば対象を常時監視する事が可能だろ。
 で、俺の能力の『管理者』にはそれと同一のような性能の能力が入っていて、俺はこの能力をそのまま『常時監視』と名づけた。
 で、その『常時監視』により、お前を見張って『干渉不能の掟』が切れる瞬間をずっと待っていたんだ。
 そして訪れたワンチャンスに、先述した『情報持続時間の書き換え』で、お前に対し『触れる事の出来る時間』を引き伸ばさせてもらったということだ。
 ここまで言えば後はもう分かるだろう―――そう、後は『干渉不能の掟』を起動できないという風に『能力の情報の一部自体を書き換える』だけでいい。この時点で『情報持続時間の書き換え』は不必要になるから、解除してもなんら問題ない」
「――――」
シャロンは何も言えない。
有り得ないこの状況と、的をついているイントルーダーの能力と説明に、ただただ口を開いたまま呆然としていた。
「――たとえどれほどすさまじい能力だとしても共通する弱点がある―――発動不可にさえ追い込んでしまえばいい。それだけだ。
 …さあ、後は頼んだぞブリード!!」
「…待ってたぜッ!!」
「―――え」
刹那、シャロンは自分のI−ブレインの反応を疑った。
先ほどのイントルーダーの説明で心の中に焦燥が生まれているこの時に、さらなる追撃。
耳に届いたのは、間違いなく先ほどの氷の槍の集中砲火で絶命したと思った少年の声。
…ブリードの生命反応は完全に消え去っていたのに…そんな筈が!!
つい先ほどまでその『ブリードという人物の情報』が消え去っていたはずのブリードの存在が、今この時を持って再び現世に具現化する。
「…そんな!ブリードはさっきの氷の槍の嵐によって絶命したはずじゃ…まさか…それも!!」
驚愕するシャロンにブリードは絶対の自信を持って言い放つ。
「シャロン、多分、お前の思っている通りさ!!
 イントルーダーはさっき言っただろ?触れるだけで一時的にだが『そいつの情報の一部を書き換えられる』って!!
 そして、イントルーダーは俺の情報も脳内に入れていたんだよ!!だから、さっきの氷の槍の嵐を喰らってから今まで、俺は『この場に存在しない』というルールに書き換えられていた!!」
「――そんな…そんな事って…」
倒れたと思ったブリードが無傷で生きていた。
インチキとしか思えぬその能力の実態をさらに知り、恐怖に支配されたシャロンの声は震えていた。
「悪いが、終いだ!」
刹那、ブリードが刀を握るようにして二つの拳を縦に並べる。
そこから出現したのは、一瞬では確認のしようが無かった。
瞬く間に具現化した、巨大な氷の剣。
―――あの時、分子運動の方向を一定に揃えられた槍の群れは、銃弾に匹敵する初速度を持って全方位からブリードに襲い掛かった。
それは確かだった―――そう、それだけなら。
だが、次の瞬間には『舞い踊る吹雪スノウロンド』の形状の一つである『吸収』を発動。
刹那、ブリードを丸ごと包み込む水色の泡が出現。
『槍』は一本残らずその泡に吸収され、跡形もなく消えたのだった。
あらゆる氷の攻撃を吸収する、次に解き放たれるとある能力の為に絶対に必要な能力。
そう、この場に氷の攻撃を行える者がブリードしかいないなら、自身に攻撃を向ければいいだけの事。
そして下準備を終え、放たれる巨大な氷の剣の名前は――――倍返しの剣リフレクトフォース・ブレイドワークス
予め予測しての回避が不可能な絶対の一撃。攻撃感知を認識した瞬間には既に攻撃を喰らっている。
但しいつもと違うのは、その先端が六つに分かれているという事。
「くぁっ!!!!」
その先端はシャロンの六枚の翼を確実に捉えて貫通。
結果、シャロンは強化カーボンの壁に縫い付けられる形になる。
紅い翼から赤い血が流れた。
この紅い翼に痛覚など無い為にダメージは無いが、完全に拘束されて翼を動かすのが不可能になったのは事実だ。
具現化した瞬簡に相手を攻撃するこの強大な剣による攻撃は、前もって準備しておかない限り回避はほぼ不可能。
この未知の能力の前には、流石の堕天使も反応できなかった。
そして、ブリードは口を開く。
「思い出したんだ…シャロンは、俺の隠し持つ能力―――『倍返しの剣』を見ていなかったということに。
 以前、俺達はノーテュエルと戦った。
 そしてその時、俺は凶戦士と化したノーテュエルにそいつを喰らわせた。
 だが、ノーテュエルは炎使い。俺の持つ氷の能力とは相反する属性だ。
 んで、結果的には俺の能力が打ち消されて霧散したわけだが――今思うと、シャロンが来る前にそうなってくれてよかったよ。
 でなければ、今頃俺達は負けていただろうからな。
 全く、偶然とは恐ろしいもんだよ…」
「…そこまでは、知らなかったわ…!!」
悔しさに歯噛みするシャロン。
完全に詰んだ。
完全なるチェックメイトだ。
発生と同時にシャロンを捕らえた、この戦いに終止符を打つための一つであるこの強大な氷の剣。
イントルーダーによってI−ブレインに圧倒的な能力制限をかけられたシャロンには、この巨大な氷の剣を打ち砕く術が無い。
故に、敗北の味を噛みしめながら大人しく話を聞くことしか出来ない。
「…さっきの理由から、かつてシティ・モスクワで出会った時には、『倍返しの剣』の存在がシャロンには知らされていなかった。
 だからお前は知らなかったんだ!
 俺の『倍返しの剣』の発動条件を!
 勝敗が決した今だから今教えてやる…俺の『倍返しの剣』の発動条件は…『氷の属性に値する攻撃の威力を『吸収』によって無効化した後に、本来喰らうはずだったダメージを二倍にして巨大な剣へと変える能力』だ!!
 それが俺が『氷使い』と呼ばれるが所以だ!」
「!!」
今初めて、シャロンは全てを知った。
何重にも張り巡らされた最後の一手の存在。『炎使い』の劣化能力でしか無い筈の『氷使い』の切り札の存在を。
例え半分以上が偶然であろうとも、シャロンの知らぬ所で行われていた計算を。
今までシャロンと対峙していた四人は、これまでのシャロンの動きと思考と攻撃手段とその他諸々の全てを先読みしていた上で、この展開に持ち込めるように作戦立てしていたのだ。
先ほどの『フリーズランサー』の動きもブリードのミスなどではなく、全ては予め計算されつくした脳内展開の中で行われた一つの出来事に過ぎなかった。
大事の前の小事とはよく言ったものだ…少々、使い方が違うかもしれないが。
ずい、と一歩前に出たイントルーダーの口から、勝利への方程式が語られる。
「…この時を待っていたんだ。
 『槍』にしろ『一撃必殺超振動拳グラドニックウェポン』にしろ、お前にあの程度の攻撃が効くわけないし、元よりダメージなんざ期待していなかった。
 本当の目的は唯一つ―――唯一瞬、本当にこの瞬間にだけ訪れる勝利への瞬間まで持ちこたえて、勝利への手段を見切られないようにする必要があったんだ。
 だから、今までと特に戦法を変えないように『見せかけていた』んだ。
 もし、あからさまに戦法を変えればお前は間違いなく感づくだろう。
 それに、変に警戒させて時間切れなんか起こしてIーブレインの強制停止を引き起こした日には、俺達には本当に勝てる要素が無くなってしまう…。
 だから、敢えて変わらぬ戦法を繰り出す事で、お前の注意を逸らした。
 お前にとってはこここそが『最後に越えるべき壁だった』とでも形容すればいいのかな…。
 だけどお前は最後の最後で油断した。
 ブリードがあんな切り札を持っていた事を隠していたのも、俺が『管理者』としての真の能力を隠していたのも、全ては最後の、本当の最後の最後に逆転する為の『切り札』だったんだ。
 よく言うだろう…『切り札は最後の最後まで取っておけ』とか『敵を欺くにはまず味方から』って。
 …俺はクラウ達にも『管理者』としての能力を最後まで明かさなかった。
 かといって仲間を信頼していないわけじゃない。信頼しているからこそ言わない事だってある。
 お前の敗因は、最後の最後で油断した事だ。
 お前は常に、最後の最後、完全に勝利を掴むまで、気を抜いてはいけなかったんだ。
 慢心と傲慢と思い上がりが、お前の勝機を失わせた…そんなところだ…」
「…だからどうだっていうの?
 今、こうやって私を押さえ込んでいても、あれだけI−ブレインを酷使したんだから、あなた達のI−ブレインはもう停止寸前になんじゃないの?
 …加えて、イントルーダーが『情報の賢者マネジメント・ウォーロック』で私の足止めをしている以上、あなた達にはもう止めの一撃を放てる余裕すら無いはず。
 …その内にイントルーダーのI−ブレインが強制停止して『情報の賢者』が解除された時があなた達の最後よ…」
「…確かにそうだ。
 お前を止めるためには心臓か脳を貫くしかない…。
 だが、心臓を貫いたところで『慈愛の天使ラーズエンジェル』ですぐに回復するだろうから、必然的に脳のI−ブレインを穿たなくては決着が付かないことになる。
 でも、お前の情報を見て分かったんだが、お前はI−ブレインにシールドをかけているから生半可な方法じゃお前のI−ブレインを貫通できない。
 加えて俺はもうI−ブレインが停止寸前に達してしまっているし、ブリードだって『倍返しの剣』のせいで他の能力を使えない。
 で、クラウに至ってはさっきのでI−ブレインが強制終了してしまった。
 んで、『情報の賢者』の過負荷のお陰で残された時間は現実時間にしておおよそ七秒足らず…これは事実だ」
「あはは、なら結局私の勝ち…ん?」
微かな違和感。
今、イントルーダーは確かに言った…。
「…気づいたか?
 今俺は『三人分のIーブレインの状況』しか言ってないぞ」
そう、誰か一人、I−ブレインの状況説明をされていない人物がいる。
「!!」
それは明白だった。
まさか、という言葉は声に出てこなかった。
そうだ。
何故、気づかなかったのか。
何故、考慮しなかったのか。
「そういう事だ…ミリル!!」
「はい!!」
今の今まで、前方で三人が戦闘している間に後方に居てひたすら何かをしていた少女。
その名はミリル・リメイルド。今この場で唯一、まともな攻撃手段を持っている少女。
だが、ミリルの『無限の息吹インペリアル・ブレス』では、情報防御でコーティングされているシャロンのI−ブレインを貫けない。
その事は、ミリル自身が一番よく分かっているはずだ。
「…だけどどうするの?
 ミリルちゃんの『無限の息吹』じゃ、私のI−ブレインのコーティングを貫くのは不可能の筈よ」
挑発的なシャロンの口調。
そう、ミリルの『無限の息吹』の破壊力の低さをシャロンは知っている。
だが、ミリルはそれには答えず、静かに告げる。
「…一つ一つの風の力は、実は非常に微弱なものでしかないの」
まるで呪文の様なその言葉。
「――だけど、それは人間だって同じ事です」
その口調は、途中から段々と強くなる。
「―――だから、弱いから力を負わせて戦うの。友情の力の原理のように」
謳うように、ミリルは告げる。
「っ!!
 な、何、この、今まで感じたことの無い風の奔流は!?」
目の前の予測外の出来事に、シャロンは驚愕せずにはいられなかった。
ミリルの周りに『風』という名の情報が一転へと凝縮していく。
エメラルド色に輝く美しい風達は、マスターであるミリルを守るようににその周囲をたゆたう。
一つで駄目なら二つ。
二つで駄目なら三つ。
三つで駄目なら…。
それは単純明快な『数による暴力』の原理。
そして、団結の力の表れでもある。
ミリルが持つ唯一つの戦闘用の技である『無限の息吹』の破壊力を高めるために、周囲の風を操るための情報を集めていた事の表れ。
一つ一つは脆くて弱くて脆弱な『無限の息吹』。
だが、一つ一つの努力でも、積み重なれば大きなものになる。
考えてみれば、人間だってそうだ。
ずっと一人で戦っていてはいつか限界が来る。
だから人間は仲間を頼る。それは人間として当たり前の原理。
そしてこの原理を「無限の息吹」に応用する。
時間をかけてでもいいから「無限の息吹」を合体させることさえ出来れば―――!!!








―――シャロンがI−ブレインにかけたコーティングの壁を、破る事が出来る。








「…シャロンちゃん…もう、終わりにしよう」
戦いに疲れた銀髪の少女の声。
その瞳に涙を溜めて、今、銀髪の少女はこの戦いに終止符を打つ一撃を解き放つ。
こんな事、望んでいる訳じゃなかった。
だけど、今この時を逃したら、数分後にはミリル達の墓標が立ってしまうし、何より、シャロンを『外』に出してしまう事になる。
それだけは、絶対に防ぎたかった。
何よりも、ミリル達もまた、生きたかった。
だから謝った。
だから涙した。
こんな生き方しか出来ない自分達。
この悲しき連鎖はいつ終わるのか。
誰だって生きたいのは同じ。
だけど、この世界において、人は同じ人間の命を奪うべく戦う。
それは変えようのない悲しい事。
そして、今ここでも、一つの命を奪う行為が成される。
責めるなら責めていい。
侮蔑するなら侮蔑するがいい。






――例え何を言われようが、それもまた『生きる意志』なのだから――――。






集められるだけの『風の本流』を集めて、攻撃地点を完全な一点に集約したことで最大まで威力を高めた『無限の息吹』。
否、それは完全に『無限の息吹』と呼べる領域を遥かに超えた『無限の息吹』とは似て非なる全くの別のもの――。
「『無限のインペリアル』――ううん」











「―――――『烈風の女神アークゴッドネス』!!」












放たれた能力のその名は『烈風の女神アークゴッドネス』。
この戦いに終止符を打つための、最後の一手。
生半可な防壁など一瞬で切り裂く、エメラルド色に輝く美しい風の龍。
見るもの全てを魅了する、まるで幻想卿のような儚さと華麗さと強さを持った、今のミリルが放てる究極の大技。
…そう、元よりミリルには『実力』はあるのだ。
ただ、度重なる失敗の連続で、彼女は己に対する自信を失っていた。
それが『無限の息吹』にも影響し、『無限の息吹』の威力を下げていたという事だったのだ。
ブリードはそれを知っていたが、ミリルが傷つき、落ち込んでしまうことを防ぐために、今まで敢えて口に出さなかったのだ。
だが、後が無い事を知ったこの状況において、その禁忌を破ったブリードは、先ほどの相談中にミリルにハッパをかけていた。
案の定、イントルーダーの作戦を聞いて、最後の一矢を受け持つ事になって『そ、そんなの無理です…』と言っていたミリル。
―――失敗なんか恐れんじゃない。ミリルはできる筈なんだから。
落ち着いた口調で、ブリードはただそれだけの簡単な言葉を告げた。
だけど、それは確かな心の支えとなる。
無論、ミリルは無言で頷き返した。






そしてその結果、命と未来のかかったこの戦いの最終場面において、ブリードがミリルに与えたプレッシャーが起爆剤と化し、結果『烈風の女神』の発動までこぎつける事ができたのだ。












次の瞬間には、一点にのみ威力を集中させたミリルの『烈風の女神』が、シャロンのIーブレインのコーティングを見事に破壊し、











―――そのまま『烈風の女神アークゴッドネス』は、シャロンのI−ブレインを正確に貫いた。

















―――【 一 人 の 魔 術 師 】―――
〜THE RON&SHUBEEL&HINA〜
















この戦いの最初から最後まで、論の神経はフル稼働していた。
神経の全てを研ぎ澄まして、あらゆる方向からの攻撃に備える。
相手の攻撃がどこから来るか分からない以上、下手な行動は命取り。
遠距離技が全く通じない以上、隙を見て接近し、騎士刀の一撃を叩き込んで全てを終わらせるしかない。





振るうは真紅色の鞭。
近づかれれば全てが終わる。
だから、絶対に気は抜けないし、迂闊な行動も取れない。
倒れ伏すのは相手の黒髪の少年か、それとも水色ツインテールの自分か。
結末は運命のみが知っている。
この先に何が待ち受けていようとも、祈りは天に届かず、叫びが大地に届かぬとも、彼女は彼女の道を行く。
うだうだ言っていても仕方が無い。賽は投げられたのだ。








一撃必殺――それが、論もシュベールも代わらぬ共通認識。
全ては、たったの一撃で決着がつく。









強化カーボンの地面を蹴って駆け出した論は、そのまま真上方向に跳躍した。
…と思いきや、今度は『極限粒子移動サタンディストーション』で右側に移動…したと思えば今度は左に、さらに上下にと『極限粒子移動サタン』でひっきりなしに移動を繰り返す。
無論、何の攻撃も仕掛けないわけではない。
騎士刀『菊一文字』と『雨の群雲』による切り込み攻撃を、消えては出現したその時その時で繰り出してはいるのだが、当然ながらシュベールに当たるわけが無い。
だが、同様にシュベールの攻撃も論には当たらない。
当然だ。論は出ては消えて、また出ては消えてを繰り返している。
下手に『論が次に出現すると思われる地点』を先読みして攻撃したら、その時に『次の地点への移動を行わなかった論』の攻撃を避けられない可能性が出てくる。
故に、シュベールは先手を打たない。
幾度目かの『極限粒子移動サタン』を終えてシュベールの真正面に論が出現。
すかさず襲い来るシュベールの一撃を回避して、論は騎士刀『雨の群雲』をシュベールに投げつける。
無論、そんな攻撃はいともたやすく弾き返されるだろう。但し『爪』でだ。
何故『真紅の鞭スカーレットビュート』で絡め取らないのかというと、シュベールが論の攻撃を絡めとった瞬間の僅かな間に、論は『極限粒子移動サタン』で突っ込めるからだ。
結果、論の予想通りにシュベールは『爪』で騎士刀『雨の群雲』を弾き返した。
が、無理をしたために『爪』の一本が指先部分からへし折れた。
だが、そんなものには構わない。爪なんて後でいくらでも生えてくるし、いちいち気にしていたらいつ敗北するか分からない。
次に繰り出したシュベールの攻撃を、論は騎士刀『雨の群雲』の鞘を掴んで弾き返す事でやり過ごした。
そのまま論は騎士刀『雨の群雲』の元まで駆け寄る。
もちろん、そこ目掛けてシュベールは攻撃して来る。
故に論は防戦一方になる。騎士刀『雨の群雲』の鞘と騎士刀『菊一文字』本体を嵐のように乱舞させて、シュベールの『真紅の鞭』による乱舞攻撃をぎりぎりで凌ぐ。
「…直線的な軌道故に見切るのは簡単…ってね」
「それは確か棒手裏剣の原理だったな。だが、まだ終わりじゃない!!」
一瞬の隙を突いて騎士刀『雨の群雲』本体をその手に掴む論。
そのまま『雨の群雲』を鞘に仕舞い込んだ後に再び『極限粒子移動サタン』で移動して、今度はシュベールの真上に出現してから、今度は右側に飛翔した。
「わざわざ武器を仕舞い込んでどうする気なのかしら?」
無論、シュベールはそこを攻撃する。聞きなれた音と共に『真紅の鞭』は標的を仕留めるべく音速で飛翔する。
論はその攻撃を回避し、そのまま天井を蹴って慣性の法則に従って左方向へと移動。
瞬間的に過ぎていく景色の中に紅い物体の姿を確かに確認した。
攻撃サイクルが早すぎる、と思っている余地など無い。
「っと!」
『雨の群雲』の鞘の部分でその攻撃をはじき返す。
今までと違う行動に、シュベールは一瞬だが疑念を覚えた。
(…まさか、あのまま『雨の群雲』の鞘を投げ飛ばして攻撃してくるつもり!?)
その瞬間に、シュベールの脳内に浮かんだ仮説。
在り得るかもしれない。
論としては普通の手段で近づけない以上、何らかの手段で牽制をしてから近づくという選択肢を使ってくる筈だ。
今まで講じるだけ講じた手段を全て防がれている以上、そういった不意をついた戦法こそが有効になるケースも無くは無い。
『対戦の英雄』黒沢祐一も、ピストルの弾を足場にして跳躍して相手に近づいたという時があったくらいなのだから。
だが、その戦法の最大の欠点は、それも感づかれたら意味など無いということだ。
(さあ、来るなら来なさい。そして、あたしの期待を裏切らない戦法を見せて頂戴)
準備万端。
攻撃を再開するべく『真紅の鞭』を振りかざすために右手を動かした。









シュベールは、最後まで気づかなかった。
―――論が口の端に浮べた僅かな笑みに。










「っつぁ!」
戦場を自在に舞う『真紅の鞭』が論の左手へと命中し、その手から騎士刀『菊一文字』が地面へと落ちた。
論の左腕から先はまだ残っているが、手首が赤くはれ上がっており。『痛覚遮断』でも戦闘を続行できるかどうかはかなり微妙なところだ。
それを見逃さなかったシュベールは叫ぶ。
「…残念だけどこれで終わりよ!論!!」
勝利を確信したシュベールは「真紅の鞭」を振るい、論へとその一撃を叩き込む。
しかし、その顔に僅かな落胆が含まれていたのに、論は気がついた。
「いや…終わりなのはお前の方だ、シュベール!!」
シュベールの表情を見て顔を上げた論は、自信満々にそれを言い放つ。
「戯れ言を!この状況では全てが終わるのはどちらかというのは明確でしょうに!」
「状況は刻一刻と変化するもの…いつまでも変わらぬオレのままだと思うなシュベール!!」
論の言葉などお構い無しにシュベールが左腕を振りかざす。
風を切り裂く音と共に、論目がけて速度を落とす事なく襲いかかる『真紅の鞭』
シュベールが放つ『真紅の鞭』は、間違いなく論に命中するはずだった。
喰らえば間違いなく絶命する、I−ブレインへの狙いを込めた一撃。
それで、シュベールの勝利に終わるはずだった。











―――次の瞬間に起こった、予想だにしなかった事態さえ無ければ。













「な…」
勝利を確信していたシュベールの顔が、驚愕に歪んでいた。
『真紅の鞭』が、論の鼻先数センチのところでその動きを止めていた。
その次の瞬間には、『真紅の鞭』は事切れたかのようにそのまま地面へと軽い音をたてて落ちた。
それどころか、シュベールの左手には『真紅の鞭』を握る感覚が無かった。
見れば一目瞭然だった。今、シュベールの左手は何も握ってはいない。
シュベールの足元には、『真紅の鞭』の取っ手が空しく鎮座しているのみだった。
そのために『真紅の鞭』はマスターからの命令を失い、その動きを止めたのだ。
一瞬の間に疑問の嵐がシュベールの脳内に巻き上がる。
何が起こったのか、シュベールには理解できなかった。左手でしっかりと『真紅の鞭』を掴んでいた筈なのに、それがいきなり何の前触れも無く地面へと落ちたのだから。
(一体、何が―――…!!!)
その時初めて、シュベールは自身の変化に気づく。
シュベールの左腕の腱が切れていて、そこから血が流れ出ていた。
ちくんとした痛みすら感じなかったのは『痛覚遮断』により気づけなかったのだろう。
「嘘っ!」
驚愕せずにはいられない。
腕の腱を切られるということは、もう左手では『真紅の鞭』を持てないという事だ。『痛覚遮断』を使っても、腕の腱がすぐに治るわけではないし、無視できるわけがない。
だが分からない。論はどうやってシュベールの左腕の腱を切り裂いたのか?
戦闘中、シュベールは徹底して論を近づけないようにして戦っていた。
だから、論の騎士刀『雨の群雲』や『菊一文字』による攻撃はその一切合財が届かない筈だ。
それを差し引いても、十メートルという距離はいくらなんでも離れすぎている。
騎士刀をもってしてもこの距離を隔てて切り裂くのは物理学的に不可能だ。
騎士刀を振るった勢いで放たれた風を利用してかまいたちの原理で攻撃というのもありえない。その方法だと攻撃地点を一箇所に絞る事が出来ないために威力が分散されるために『真紅の鞭』に阻まれて終わりだ。
この条件を満たす為には、シュベールの左腕の腱をピンポイントで斬る事が出来て、尚且つそれをシュベール悟られないというかなり厳しい前提を必要とする。
だが、今まで論が使ってきた能力の中に、そんな都合のいい能力なんて―――。
「!!」
論の右手を見て、全てを理解した。
論の右手の中指の先端が赤く濡れていた。その赤が示すのは唯一つ、血だ。
そして、血は論の論の右手の中指の先端を守る爪にのみ付着していた。
加えて、論の中指の爪が指先より一センチも長く伸びている。
――シュベールの背筋を悪寒が襲う。
そうだ、何故忘れていたのだろうか。
「…論、まさか貴方、あたしの『爪』を!!」
最後の最後になって覆されたこの状況を理解したが故に、叫ばずにはいられなかった。
「ああ、そうだ」
驚愕したシュベールを見て勝利を確信した論は、声高らかに言い放つ。
刹那、論の右手の中指の血に濡れた爪が伸びた。
まるでサーベルのような鋭利な切っ先を持って、今確かに論の爪が『武器』へと変化した。
論が生み出した、新たな能力。
全ての力を取り込み、無限に成長する『自己進化能力』。
今のシュベールとの戦い、この爪の欠片、それらを元に、自分の内にシュベールの能力を再現したのだ。
狙撃する爪エイミングクロウ――お前の「爪」の能力、コピーさせてもらったぞ!!シュベール・エルステード!!!」







シュベールの肩がわなわなと震える。
驚愕に目を見開いたまま、シュベールは叫んだ。
「…そんな、そんな事が…そんな事がっ!!!」
「最後の最後で油断したな――騎士剣の欠片でもあれば『能力生成』は出来るんだ…。
 爪の一欠片程度なんてどうでもいいというお前の慢心が、勝利を敗北に変えた―――いや」
「…それでも、あたしは…あたしはまだ戦えるっ!!あたしに敗走は無いっ!」
論の言葉を遮るように紡がれたシュベールの声。
「…もういい…お前はオレには勝てないんだ。
 何故なら、オレは気づいてしまったんだ…だって、お前は…」
その言葉と共に、論の、戦場を駆ける戦士の瞳の中に、哀れみの色が浮かんでいたのをシュベールは見逃さなかった。
「うるさいっ!!うるさいうるさいうるさいっ!!そんな目であたしを見るなぁ――――っ!!!」
頭に血が上り、かっとなったシュベールは歯をむき出しにして声を張り上げ、論目掛けて『爪』を構えて突貫するべく地を蹴る。
「――説明している暇は無いか…なら、次の一撃で終わりにするっ!!」
凛、とした表情で論もまた地を蹴り、決着へと向けて疾走を開始した。









論がシュベールの『爪』をコピーしてきたのには、完全なる予測外の出来事だった。
先ほどの乱戦でシュベールの指先から欠けた『爪』。勝敗を分けたのは間違いなくソレだ。
今になって、論が何故接近戦を挑んできたのかが理解できた。
論は『爪』の能力のコピーを作るために無謀な接近戦を挑み、『雨の群雲』を投げつけてシュベールの『爪』を一本だけだが欠けさせる事に成功した。
論にとってはそれだけで良かった。
あの時、論は『雨の群雲』を回収しに行っただけではなく、シュベールの『爪』も回収していたのだ。
否、寧ろ『爪』の回収が本命だった。
おそらく、騎士刀の鞘を盾にしたのは本当にただの苦し紛れだったのだろう。よく考えれば、あの時の論は本当にぎりぎりで攻撃を弾いていた。
そして、『爪』を回収したその時に、論の逆転の術は動き出す。
『爪』が一本でもあれば、そこから『爪』の能力をコピーした何かしらの能力を作り出す。
既出の手段を全て使い切ってしまったならば、即席でもいいから新たな手段を作り出す。
生まれ付いて能力の方向性が決まってしまっている並みの魔法士では到底不可能な事。
だが、論は違った。
論は『悪魔使い』のさらなる進化系である『魔術師』だ。
I−ブレインの能力を後天的に書き換えることが出来る存在だ。
後はシュベールの隙を突き、一瞬の間に爪を伸ばしてシュベールの腕の腱を切る。
そうすれば『真紅の鞭』の使えないシュベールは『爪』しか攻撃手段が無くなる。
だが『爪』で騎士刀に勝てるわけもない。故にシュベールの勝機は無くなり、論の勝利が確定する。









無論、論の『狙撃する爪』は、シュベールとて普通ならまず気がつくであろう一撃だった。
それさえ回避できれば、シュベールはきっと勝てていた。
だが、最後の最後という大詰めの場所ゆえに、シュベールに一瞬の、それでいて確かな隙が生まれていた。
それこそが天樹論が得た、最後の逆転の機会にして、読まれたら即敗北の、超えるべき最後の壁―――――。









地面に落ちた『真紅の鞭』を右手で拾う事はしない。利き腕でない腕で『真紅の鞭』を振るっては、狙いが定まる訳も無いからだ。
刹那、I−ブレインによって感知された攻撃認定の情報。
騎士刀『雨の群雲』を構えた論が、シュベール目掛けて突っ込んでくる。
無論シュベールも『爪』で対抗する。
閃光と剣戟が響き渡り、一秒の間にありえない数の武器同士の交わりが行われる。
だが、リーチ差と強度の差を埋めることは到底敵わず、両手合わせて、先ほど折れた一本を除いての九本の『爪』は見事にへし折られた。 その瞬間、シュベールは悟った。
完全にシュベールの負けだ。という事を。




それでも尚『真紅の鞭』を拾おうとしたシュベールの視覚に、論の姿がはっきりと写った。
右手で騎士刀『雨の群雲』を構えていて、その瞳はシュベールにのみ向けられている。
その瞬間、シュベールは目の前の少年に敬意を覚えた。
先という先を見据え、己の画いた勝利への道を切り開く。
自らの犠牲も問わない論の捨て身の戦法。
不確定要素の入り混じった戦いの流れに対する引きの良さ。
背水の陣にありながらも博打とそう大差無い手段を取ってでも、唯一つの目的の為に、そこまで頑張れるという純粋な想い。
それら全ての歯車をかみ合わせて勝利への道を編み出した者の名は――――天樹論
大切な人の為に、人は本気になれるというのはやはり本当だったのか。
(…出来る事なら、その想いをあたしへと向けて欲しかったな)
だが、それはシュベールの呪われたその身においては酷く贅沢な望み。
だから、そんなのは望まない。
(やってくれたわね…論。最後にいい勝負をありがとう…そして、貴方なら…)
心の中でそれだけを思ったシュベールは、騎士刀『雨の群雲』を構えて迫り来る論の姿を一瞬だけ見つめて、目を瞑った。








刹那、









『雨の群雲』が、シュベールのI−ブレインを正確に貫いた。
刹那、背後からかすかに「論っ!」という声がしたのを、論は聞き逃さなかった。
(ヒナ…見ていてくれてありがとう…)
心の声と共に、振り向く。
最後まで論を信じてくれた、大切な少女の姿を見る為に。




―――その顔は、涙に濡れた笑顔だった。

















〜続く〜


























―【 お ま け の キ ャ ラ ト ー ク 】―

















ノーテュエル
「おおーっと!策士、策に溺れるとは正にこの事!
 つい数話前までは論が負けると殆どの方が思っていたであろうにもかかわらず論が勝利してしまいました―――っ!!」
ゼイネスト
「セリシアも勝利を掴んだか。
 …だが、本当にこれで良かったのか?」
ワイス
「エクイテスは殺されることを望んでいたのですから、これが最善の答えだったのではないでしょうか?
 文中にも書いてあったでしょう。
 もしもレシュレイとセリシアがエクイテスを殺す事が出来なかったら、その命を自分で絶とうとしていた、と」
ゼイネスト
「ああ、そうだったか…。
 という事は、いずれにしろ、エクイテスの運命は決まっていたのか…やるせなくなるな。
 そして後は、ついに堕天使が…シャロンが敗北してしまった…」
ノーテュエル
「戦いは終わったけど、これじゃ、素直に喜べないよね…」
ワイス
「何とも、後味が悪いですよね…ふぅ」
ゼイネスト
「だが、少なくともこの展開は間違いなんかじゃないって思いたいな。
 このままでは、世界に名高き殺人鬼と化したシャロンの姿を見てしまう羽目になりそうだった訳だったんだからさ…」
ノーテュエル
「そうなると、ブリード達がそれを止めてくれた事には、少しは感謝しなくちゃいけないって事なのかな…。
 それにしても、ほんと、釈然としないわね…」
ワイス
「誰かが生き延びて、そして誰かが死ぬ。
 だけど、すっきりするのは勧善懲悪が決まっていた場合のみ。
 この場合は、誰もがそれぞれの正義を持っていたから…はぁ、何か僕まで鬱になってきましたよ」
ノーテュエル
「一度に三箇所で決着がついたからね…。
 だけど、皆はまだ生きている」
ワイス
「ああ、よく考えてみれば、エクイテスもシャロンもシュベールも、I−ブレインの貫通こそされたけど、まだ死んだって訳じゃないですからね」
ノーテュエル
「てことは次は遺言ラッシュが待ち受けているのかな…はぁ」
ゼイネスト
「今、『あなたがいて、わたしがいて』の時の、俺達の状況を思い出したぞ…」
ノーテュエル
「うう、あの時はシャロンがあんなになっちゃうなんて思いもしなかったよー」
ワイス
「僕は遺言を言う暇すら無しでアッサリと殺されましたが…」
ゼイネスト・ノーテュエル
「「自業自得」」
ワイス
「…はぁ、やはりそうなのですかね…」
ノーテュエル
「あ、認めた。
 …そういえばさ、ワイスってどうしてシュベールに嫌われているんだっけ?」
ゼイネスト
「そんなの決まっているだろ。
 生みの親が連続拉致事件の犯人だったんだ。シュベールの行動もある意味では正しかったんじゃないのか。
 それに、ワイスの殺害は『もう一つの賢人会議』からの命令でもあったらしいからな」
ワイス
「…正直、過去の自分を殴りに行きたいですよ」
ノーテュエル
「ワイス、死んでから性格が丸くなったみたいね」
ゼイネスト
「だが、後悔先に立たずという事でもある」
ワイス
「ま、そんな事を言っていても仕方がないと分かってはいるんですけどね。
 …と、今回はこの辺で終わりにしませんか?
 言いたい事ももう無いし…」
ノーテュエル
「何か、今回のワイスは随分とリーダーシップ率いてない?」
ゼイネスト
「ま、悪人が更正したって事にしておこうか」
ワイス
「やっぱり僕は本編の行動のせいで、悪人呼わばりされるんですか…。
 ですが、それも僕が蒔いた種。受け止めるしかないですね。
 それでは次回『結末が告げる事実』でまた会いましょう」
ノーテュエル
「じゃねー」
ゼイネスト
「また会おう。
 …さて、今回も無事に終わったし、一眠りでもするか」
ワイス
「あ、それいいですね」
ノーテュエル
「言っとくけど、男女別部屋でね」
ワイス
「大丈夫ですよ。
 こう見えても僕は割りと節操はあるんです。
 幼児体系を襲うつも…」
ノーテュエル
天罰覿面――――ッ!!(ばきっ!!)
ワイス
「たわば!!!」
ゼイネスト
「…最後の最後でワイスらしさが出たな…」









<こっちのコーナーも続く>









<作者様コメント>







さて、ようやく全てに決着がつきました。
呪われた運命に抗うだけ抗い、結果、運命の前に倒れ伏した男。
悲しき能力と仲間との別れにより、世界を捨てた少女。
どうにもならない宿命を恨みながら、自分の心の中に押し留めた思いを、偽りの仮面で隠した少女。
書いている時、酷くやりきれない思いでいっぱいでした。


…だけど、これがこの三人が持っていた業なんだと、そう思っております。
そして、様々な思いの交錯した戦いの結末の果てにあるものは―――。





<作者様サイト>
同盟BBSにアドレス載せてるんでどうぞー。ブログですが。


◆とじる◆