DESTINY TIME RIMIX
〜結末が告げる事実〜











全ては終わった後の事。

今から何かを変えようとしても、変えられるものなんて無い

ただ、目の前の現実を受け止めよう。


たとえそれが、どれほど辛いことだったとしても。















―――【 最 後 に 家 族 に な れ た 者 】―――
〜THE RESHUREI&SERISIA&EXITES&RAZIERUT〜















額に開いた赤い穴。
I−ブレインへの直撃、魔法士にとっての致命傷。
「終わった…か。見事な一撃だったぞ」
百九十センチメートルのエクイテスの体躯が、仰向けに倒れた。
「にい…さん」
『光の彼方』を杖代わりにして、セリシアもまた地面に膝を付いた。
フルマラソンを終えたばかりのように、ぜぇぜぇと荒い息がその口から漏れている。
(『災厄を薙ぐ剣レーヴァテイン)』強制終了。I−ブレインの再起動には十二時間の休憩が必要)
セリシアのI−ブレインに圧倒的な負担を強いている『災厄を薙ぐ剣レーヴァテイン)』が、I−ブレインの過度起動と無数のエラーによる強制終了を引き起こして沈黙した。
「くぅ…ぁ!」
が、セリシアの体中を襲う痛みはまだ止まらない。
内出血を最初とする『災厄を薙ぐ剣』の発動に伴う痛みと、エクイテスから喰らった攻撃によるダメージの数々が織り成す痛みを、歯を食い縛って背中を丸めて必死に耐える。
痛みに全身がかたかたと震えている。
一瞬でも気を抜けば、たちまちのうちに気絶してしまいそうな痛み。
―――ふと、背中をさする、暖かくて優しい感覚。
「あ…」
その手が誰のものなのかなんて、言うまでもなく分かる。
『彼』も戦いの終わりを確信し『神殺しの剣ダインスレイヴ』を解除したのだろう。だから手があるのだ。
「…ありがとう」
「よく…頑張ったな…。
 ごめん…出来る事なら、その痛みを受ける役を変わってあげたいのに…」
「…ううん、その気持ちだけで嬉しいです」
胸のうちから湧き上がる「嬉しい」という気持ち。それと同時に自然と頬が紅潮する。
「…報告書通りに見せ付けてくれるな。
 …まあ、元々、お前達は別々の人間として生み出されたらしいから、法律的にも人道的にも大丈夫だと俺は思っているけどな。
 …正直、兄としては少々複雑な心境だが」
そこに飛来するエクイテスからの指摘。
その顔には、先ほどまでの険しさは無い。
「!!」
「!!」
刹那、全く同じタイミングで振り向き、顔を真っ赤にする二人。
それと同時に、離れたところから足音がした。
三人が振り向くと、ラジエルトがこの部屋の中に設置されたコンピュータ駆け出していたところだった。
「父さん!?」
疑念の意の入り混じったレシュレイの困惑の声。
ラジエルトの返答はすぐに返ってきた。
「待ってろ!
 今、『地獄の神のお祝いにヘル・ゴッド・オブ・エデン)』を取り除く方法を探している!
 エクイテスのI−ブレインに大ダメージがいっている今なら『地獄の神のお祝いに』も弱っているはずだ!
 …もしかしたら何とか出来るかもしれないだろ!!
 …くっそ、久々に走ると響くぜ」
言い終わる前に、ラジエルトはこの部屋の中に設置されたコンピュータへと到着しており、即座にキーボードへの打ち込みを開始。
その息は荒かったが、それでもラジエルトがキーボードに指を走らせるペースは寸分たりとも落ちていなかった。
「無理だ、父さん…俺だって散々調べつくしたんだがそれでも駄目だったんだからな…」
倒れていながらも顔だけをラジエルトの方へと向けてエクイテスは口を開いた。
もう何をしても遅いんだ。と、その瞳が物語っていた。
「何とか出来るかもしれないだろ!」
だが、エクイテスの言葉を聞いても尚、ラジエルトは諦めない。
コンピュータに接続されている有機コードをその手に掴み、こちらへと駆け出して有機コードをエクイテスのうなじへと繋ぎ、再びコンピュータの元へ向かい、キーボードに指を走らせる。
ディスプレイに表示される複雑怪奇なプログラムの数々を目の前にしても、ラジエルトは臆する事無く黙々と作業を続ける。
そんな中、セリシアがおずおずと口を開いた。
「父さん、それだったら…最初から調べてく…」
「それじゃあエクイテスの望みは適わないだろ!
最初から『地獄の神のお祝いに』を消す方法だけを考えてくれればよかったんじゃないかと反論するセリシアの言葉を途中で遮り、ラジエルトは叫んだ。
「父さん…?」
気迫に押されたらしく、セリシアの声は一気に小さくなっていた。
「エクイテスの思いを叶えたかったから、敢えて手を出さなかったし止めなかったんだ!!!
 父親である以上、たとえどんな望みでも子供の意思を尊重するのは当然だろ!
 ましてや、俺はエクイテスに何もしてやれなかったんだから!!」
――――殺してくれ。
エクイテスは確かにそう言った。
エクイテスの望みを適えるという事が何を意味するのかなんて分かっている。
頭では分かっているがそれでも尚、エクイテスの創生者として、そして父親として、ラジエルトはエクイテスの意思を尊重する道を選んだ。
世間一般的に考えれば間違っていると言われる行為。普通なら戦いを止めるのがセオリーだろう。
だが、ラジエルトはそんなものなど気にしない。
それがラジエルトの『正義』であり、貫き通すべき信念だからと信じたが故に。
「父さん…」
「何だ?エクイテス」
一瞬の間を置いて、
「…ありがとう、とだけ言おう」
ラジエルトの気持ちを汲んだエクイテスの言葉。
「…初めて、そんな事言われたな」
「最後くらい感謝しても、罰は当たらんだろう」
「はは…違いないな」
こんな状況下でも、笑いあう父親とその長男。
無論、その心の中に隠した言葉は、その行動とは正反対に位置するものであることは言うまでもない。
「…だけど…だけど!!」
首を振りながら、それでも納得できない、という気持ちを隠せないセリシア。
無理も無い。
もし『地獄の神のお祝いに』を削除する方法が見つかれば、エクイテスと戦わずに済んだのだし、こんな事にならなくても済んだのかもしれないからだ。
それに対して、エクイテスは諭すように口を開く。
「さっきから言っているだろうが…。
 もし『地獄の神のお祝いに』を消す方法が分かっていれば、俺だってさっさと消していたさ。
 …で、今こうなっているっていう結果があるってことは…もう分かるだろ。
 最早俺には、可能性も将来も何もかも無いんだ
「…」
それで、セリシアが言える事が無くなってしまった。
打つ手が本当に無かった事を理解してしまったのだ。
先ほどからレシュレイが何も言わないのは、それが分かっていたから。
ラジエルトがやっているのは、最後の無駄な足掻きに過ぎない。適わない事が分かっている望みに挑む事の愚かさくらい分かっている。
それでも動かずにはいられなかった。父親として動かずにはいられなかったのだ。
「気にすることは無い。お陰で下等な殺人鬼と化す前に止めてもらえたんだ。悔いなど…無いさ」
「…ほんとうに、ですか?」
その問いはセリシアからのもの。
「…どういう事だ?」
「魔法士として生み出されて、『もう一つの賢人会議Another Seer's Guild)』の手駒として動かされて、脳内に埋め込まれた削除不能のプログラムのせいでこんなことになって…兄さんは本当にいいんですか!?
 そんなの…そんなのは…うっ…く…
エクイテスの顔を覗き込んだセリシアの口から出た言葉。
最後の方に差し掛かった時、セリシアの瞳の端から流れた涙。
その瞳の端からぽろぽろと零れ落ちる涙が一滴、また一滴とエクイテスの顔に落ちる。
雨に打たれたのとはまた違う感覚。
目を瞑ってため息を衝き、独白するかのようにエクイテスは次の言葉を紡いだ。
「…ふう、シュベールにも言われたが、つくづく俺は嘘をつくのが下手なんだな…すぐにばれちまう」
「ッ!!
 …兄さん…やはり兄さんは…」
それを聞いて、レシュレイは弾かれたように顔を上げた。
次にエクイテスの口から告げられたのは、怒気を孕んだ声。
「――ああ、そうだ!
 …誰だって望んで死にに行くやつなんてこの世に居ない。マザーコアにされる魔法士しかり、戦争に赴く人間しかり…な。
 唯平和に過ごしたいと願うだけなのに、世界はそんな小さな願いすら叶えてはくれないんだ…これを無慈悲と言わず何と言う!」

最後の方になるにつれて、エクイテスの声に、段々と感情がともっていく。
死を間近にしたとは到底思えないほどの強い意志が、今確かに彼を突き動かしている。
「――俺とて本当は死にたくなど無かった!
 お前達と過ごせたら…一緒に家族のように過ごせたらどれだけいい事かと夢にまで見た!
 だけど、俺にはそれすら許されなかった!」

今の今まで胸のうちに隠していたエクイテスの本音が、この時になって初めてその仮面をはがす。
どうしようもない運命に弄ばれた一人の男の悲しみは、言葉となりて表へと出る。
「――誰かを憎んでも仕方ないということは分かっている!
 しかし、この胸のうちにある憤りや怒りといった感情をどこにぶつければいい!?
 ぶつけようにも真にぶつけるべき相手…神など最早この世界には居ないではないか!!」

一度あふれ出した感情が止まらない。
一言叫ぶたびに、胸の中のつまり物が消えていくような感覚。
「魔法士とて生きねばならぬ!生きたいという意思を持つ!
 だが、目の前の壁がでかすぎてどうしてもそれが出来ぬ場合はどうしたら良かったんだ!?
 壁を超える為にあらゆる手段を講じても、何も変えられなかった!」

人知も天命も尽くしても、尚越えられなかった壁。
エクイテス・アインデュートが超えられなかった、ただ一つの壁。
それさえ超えられれば、その向こうにはきっと―――。
「だから今がある!だから結果がある!こいつが最初から変えようの無い俺の運命だったのか!?この―――」
「もういい!!もういいんだエクイテス!!」
突如、今まで黙ってコンピュータのキーボードに必死で打ち込み作業をしていたラジエルトが、エクイテスの言葉を遮って叫んだ。
刹那、三人の視線がラジエルトへと集まる。
ラジエルトは手を止めず、それでも口を動かした。
「…くそっ!!これでも『地獄の神のお祝いに』を取り除くのは本当に不可能だって事かよ!」
画面に映し出された「No Data」の文字を見て、ラジエルトは拳を振り下ろしてコンピュータの台を叩いた。
「…やはり…無理だったか」
最初からその結果が出る事を分かりきっていたかのようなため息交じりの台詞。
当然だ。寧ろこうなるという結果を最初から知っていたのだから。
だが、それでも諦めないで『地獄の神のお祝いに』の解除方法を探したラジエルトに対し感謝しているのもまた事実だ。
「…だけど父さん、そう悲観するな。
 父さんの愛する人を奪った『もう一つの賢人会議Another Seer's Guild)』はもうじき消えてなくな」
「そんな事言うんじゃねぇ!」
エクイテスのそんな発言に、怒気を孕んだ声でラジエルトは叫んだ。
「…確かにそうだった…ワイスにセレニアを殺されて、俺は『もう一つの賢人会議』に復讐を誓った。
 …だけど、もしそれで『もう一つの賢人会議』を倒したらどうなる?
 その受け継ぎ手とも言うべき奴が俺達を狙うだろう。
 …そうなれば、憎しみの連鎖は一切消える事が無く続いてしまう…だから、そうならないようにする為に俺は『もう一つの賢人会議』への復讐をやめたんだ…。
 多分セレニアだってそれを望んでいた筈だ…って思いたい」
それを聞いた途端、エクイテスの表情が僅かに変わった。
「…まさかと思うが…レシュレイとセリシアを作った理由は…俺達『もう一つの賢人会議』への復讐のため…だったのか?」
「…ああ、最初はな」
一瞬だけためらい、答えを告げたラジエルト。
「父さん!?」
「とう…さん?」
知られざる事実を告げられ、レシュレイとセリシアは驚愕し、困惑する。
自分達が、人を殺す為の、如いては『もう一つの賢人会議』への復讐の為の道具だと知っての困惑。
だが、そう言われれば納得できる部分があるのも確かだ。
レシュレイとセリシアが持つ能力は、普通の魔法士が持つにはあまりにも強大すぎるもの。
そんな力を持っていて、戦闘用に作られていないという考えが出来る方が難しい。
しかし、ラジエルトが次に告げた内容は、『レシュレイとセリシアが戦闘用として作られた』という考えを覆すものだった。
「…だけど、この二人を見ていると、絶対に『もう一つの賢人会議』達には合わせたくないって思えてきたんだ。
 手厳しいが人の心が分かる息子と、泣き虫で怖がりで、それでいて芯の強い娘。
 ――――この二人は、俺にとってのかけがえの無い宝物だ。
 『もう一つの賢人会議』と会わせたら、ほぼ間違いなく戦わなくちゃいけない。
 それが、俺の不安だったんだ。だから、二人には『もう一つの賢人会議』の事とかは全て伏せておいたんだ…。
 …結局、その不安は、最終的に現実になっちまったけど…」
「父さん…」
「お父さん…」
レシュレイとセリシアは何も言えなくなってしまった。
ラジエルトが、本当に二人を想っていてくれたことを改めて確認したが為に。
さらにラジエルトは続ける。これまで心の奥底に封印していて、今まで言いたくても言え出せなかった隠し事を、素直な心から発するために。
「…そして、エクイテス。
 俺はお前の事を一日たりとも忘れた事は無い。出来る事なら今すぐにでも会いたかった。
 …だけど、怖かったんだ。
 …お前に会った時、お前は俺の事を何一つ覚えてなかった場合の事が…だから、お前が俺の事を覚えていてくれていた時は、本当に嬉しかった。
 たとえ、第一声が『殺す』であったとしても嬉しかった。
 殺すって言われても当然なんだ。
 俺は、そう言われても仕方の無いことをしたんだから…」
「…父さん」
これはエクイテスの声。
「そもそもの始まりは、俺が逃げたりしなければ良かったんだ。
 そうすればエクイテスだって『地獄の神のお祝いに』なんていうものを埋め込まれずに済んで、今頃は家族で仲良く暮らせていたかもしれない…。
 今更何をほざくんだって思われるかもしれないが、思うなら思えばいい。
 否定はしない。元より事実なのだから否定など出来ない」
ここで一呼吸置いて続けた。
「…俺はもう逃げない。逃げる方がより多くの犠牲を生むと分かった。
 だから、罪滅ぼしにすらならないかもしれないが、お前の最後の願いとやらを叶えてあげようと思ったんだ」
「…」
誰も、何も言わない。
言えるような空気ではなくなってしまったからだ。
だけど、それでも誰かが何かを言わなければ始まらない。
それを分かってなのか、あるいは残り時間が少ないことを感じたのか、
「…頭がぼうっとしてきたな…どうやら、お迎えが来たようだ」
沈黙を破ったのは、エクイテスの声だった。
「兄さん!」
反射的に出たこれはセリシアの声。
「父さん!本当に駄目なのか!?」
そのすぐ横で、レシュレイがラジエルトに問うた。
そして残酷な答えはすぐに返ってくる。
「…俺だって万能って訳じゃねぇ…無理なものは…無理なんだ!」
歯噛みしながら、本当に悔しげに顔を歪めてラジエルトは叫んだ。
自分の子供を救えない悔しさが、彼を苛立たせていた。
そんなラジエルトに語りかけるように、エクイテスは口を開いた。
「…父さん…もういいんだ。貴方が苦しむ必要など無い。
 だが、一つ約束してくれ…。
 この世に俺が…エクイテス・アインデュートが居たという事柄を決して忘れないで覚えておいてくれ。
 その想いがある限り、俺は絶対にこの世から消えない。
 真の意味での『死』ってのは、肉体の死滅ではなく人々の記憶から消え去る事なんだ…。
 だから…頼む」
最後のほうは、キリっとした真面目な顔になって発言した。
そして、レシュレイ達の答えも既に決まった。
だから、即座に返事を返した。
「…誰が、他ならない兄さんの事を忘れるものか!
 兄さんは、最後まで俺達の兄さんで居てくれた!!
 それが全てだ!!」

「私も…私も兄さんの事、忘れません!
 兄さんはずっと戦い続けた…。
 どうしようもないって分かっていても戦い続けていた!!
 そんな強い兄さんを、忘れるわけにはいかないんですから!」

「息子の事を忘れる奴なんざ、親の資格は無い…そうだろ、エクイテス」
それを聞いたエクイテスは、本当に嬉しそうな顔をしていた。
「ふ…最後まで世話をかけるな…。
 そして、ありがとう…」

「それくらい当然だろ!兄さん!
 …俺達は…『家族』じゃないか!!」

「家族…か、懐かしくて…暖かい響きだな…」
「はい、『家族』はとっても暖かいです」
「平和に…四人で…語り合いたかったぞ…」
「俺達も…だ」
「父…さん…」
目はちゃんと開いているはずなのに、エクイテスの視界は段々とぼやけてくる。
「くそ――目が霞んできやがった…ついにこの時が来たようだ…俺は、ここまでか…」
死が、すぐ近くまで来ていることをエクイテスは理解した。
「兄さん!」
「兄さんっ!」
「エクイテスッ!!」
レシュレイ、セリシア、ラジエルトの三者三様の声。
それを聞いて、独白するようにエクイテスは口を開いた。


「――さらば、この世界よ」



灰色の空に包まれた、滅亡へと向かい続ける世界。
だけど、こんな世界でも、エクイテスは確かに生きていた。
後は、目の前にいる家族達が、自分の事を覚えていてくれる。
だから…独り、寂しく死ぬことが無くてよかった――――。


「――さらば、この組織よ」



『もう一つの賢人会議』と名づけられたこの組織。
エクイテスはここで、色々な人物と出合った。
もちろん、いい奴も悪い奴も一杯居た。

…シュベール。
今頃、どうなっただろうか?
――おそらく、一番決着をつけたい相手と―――天樹論と戦っている。
たとえ違っていても、そう思いたい。
その結末に、何が待っていても、俺は何も言わない。
何故なら全ては、敢えて修羅の道を歩んだ、お前が望んだ結末なのだから。

…ワイス。
お前もまた被害者だった。
『賢人会議』の被害者だった。
性格が壊れても尚、お前の子供達を愛する精神には、正直、感服していたんだ。
…今頃は、空の上で子供達と再会しているのかもな…。

…ゲストラウイド。
もうすぐ、貴方の元へと行ける。
俺の行動は、貴方にとって救いとなれたか?

…ノーテュエル。
お前のトラブルメーカーっぷりは忘れられない。
空の上でも、その元気を振りまいているのか?

…ゼイネスト
ノーテュエルに振り回されっぱなしでご苦労だったな。
後、出来ればもう少し女の気持ちに気づけるようになっとけば良かったんだがな。
お前は、二人の女から好かれてたんだ。
案外、あの世でノーテュエルに怒られているんじゃないだろうな?

…シャロン。
お前は力を手に入れた。
だけど、その先に何を望むんだ?
それに気づけば、きっと―――。

…クラウ。
俺が認めた、格闘術のエキスパートよ。
出来る事なら、お前と一緒に戦いたかったな。

…イントルーダー。
紆余曲折あったが、結果的に、マザーコアにならなくて良かったな。
たった一つのお前の命、大事にするんだぞ。

…ヒナ。
大切な事実を隠していてすまないな。虐待されて、理不尽な世界を憎んだかもしれないが、それももうじき終わる。
そして、どう転ぼうと、シュベールはこの戦いで死ぬつもりだ…だから、お前は天樹論と一緒に生きろ。
…お前だけでも、幸せになるんだ。




そして―――これが最後の想い。




…俺はここでリタイアか――。
…腕をあげるのがやっとで、さらに、何も見えなくなってきた…。
だけど、俺は目の前の三人の家族の顔を、この脳に刻み込んだぞ…そして、死んでも脳内に記憶として留めておくから。
そして、これから先、この戦いよりさらに辛い戦いが、目の前の家族を襲うだろう。
だけど、きっと超えていけるだろう。そう思いたい。
レシュレイ。
セリシア。
父さん。

駄目な兄貴で、駄目な息子ですまなかったな。
俺はこんな風に、合理的じゃない答えしか出せなかった。
だけど、それが人間なんだって思っている。
合理的な答えなんざ出してたら、機械とどう違うか分からないしな。
俺は、魔法士で―――そして、人間なんだ。
それに、俺は今、とても嬉しいんだ。
俺を見送ってくれる家族がいるんだから―――。
俺を覚えてくれる人達が居るんだから―――。
だから、今こそ告げよう。
たった一つの、最高の感謝の言葉を。
大きく息を吸って、今まで出した事の無い声を出すようにして―――――。



















「―――さらばだ!!俺の大切な――家族達!!」





















その叫びを合図にしたかのように、意識が完全に飛んだ。
そのまま、エクイテスの瞳が閉じられ―――――、











―――エクイテス・アインデュートという一人の魔法士の命が、この世界から消えた。











エクイテスは動かない。
動くはずが無い。
そして三人は、全てを理解した。
最後の最後まで、命の炎を燃やし続けたエクイテス。
その炎が、ついに燃え尽きた事に。



響き渡るのは、耳が痛くなるような静かな静寂。
顔を俯けたまま、動く事すらしない三人。
その沈黙はいつまで続いただろうか。
そんな中、最初に声を出したのはセリシアだった。
「レシュレイ…」
「…何だ?」
「泣いて…いいよね」
「…当たり…前だっ!」
震えを含んだ声。
セリシアが視線を上に向けると、涙を必死に堪えているレシュレイの姿が目に入った。
「…うん…私…わたし…」
後は、言葉になんてならなかった。
少女の泣きじゃくる声が、静かな空間にただ響くだけだった。
レシュレイは、ただ、大切な少女を抱きしめてあげる事しか出来なかった――――。
レシュレイとて泣きたい気持ちで一杯だったが、セリシアの手前、それは耐えなければならなかった。
セリシアが、思いっきり泣ける為に――。
…だけど、そんな心配は杞憂だったようだ。
「レシュ…レシュレイ…悲しいなら…レシュレイだって…泣いていいよ…。
 男の子だって…悲しい時…には…」
セリシアは、やはり分かっていた。
レシュレイの本当の気持ちを分かっていたのだ。
レシュレイが思わずラジエルトへと視線を向けると、ラジエルトは無言で頷いた。
「―――っ!」






その直後、レシュレイもまた感情をぶちまけた。
気涙が枯れるまで―――二人は泣き続けた。
そしてその時まで、ラジエルトは二人を見守っていた。
















―――【 戦 い に 終 結 を、 天 使 に 花 束 を 】―――
〜THE BUREED&MIRIL&SHARON&KURAU&INTRUDER〜

















I−ブレインに致命傷を喰らい、最凶の堕天使は仰向けに倒れ伏した。
「結局、こうなっちゃったの…」
シャロンはそのまま、独り言を呟くように口を開いた。
「あなた達を相手にしないで、真っ向から軍と戦っていれば良かった。
 そうすれば、こうはならなかったのに…。
 思い上がりすぎていたみたいね。私…」
ミリルの『烈風の女神アークゴッドネス』の当たり所が良かったらしく、I−ブレインは機能停止にまでは至っていない。
そして『慈愛の天使ラーズエンジェル』により、I−ブレインにまでも修復が始まっている。傷を癒すことに特化したこの能力なら、出来ても不思議ではない。
だが、今しばらくは戦闘を再開するなど到底不可能。紅い翼も消えてしまった。
何より、その間に何らかの手段によって、目の前の四人によって止めを刺される方が早いだろう。
「折角手に入れたこの力も…存分に振るえないで終わるのね…。
 さあ、私を世界に放ちたくないんでしょう。
 さっさと殺したらどうなの?
 I−ブレインと傷が治り次第、私は再び行動を起こすつもりなのよ」
シャロンのその言葉に対し、眉をつり上げたブリードが辛辣な表情で口を開いた。
「…お前は本当にそれでいいのか?
 自ら殺し屋の道を歩む気か?
 他にやりようってもんがあるだろうが!」
無論、シャロンもすかさず反論。
「知ったような口を聞かないで!
 あなた達に何が分かるの?
 ノーテュエルやゼイネストの事をいとも容易く口に出さないで!
 私にもっと力があれば、あんな事にはならなかった!!
 そして、世界がもっと慈愛に満ちていれば、きっとこうならなかった!!
 だから私は決めた!世界を滅ぼすって!!それの何処が悪いのよ!!」
様々な大切なものを失ったシャロンにとって、それは純粋な感情の叫び。
だが、すぐに否定をする者が現れる。
「やれやれ…救われないな。ノーテュエルもゼイネストも。
 こんな子の為に命を掛けて、そして本当に命を掛ける事になってしまってな」
その台詞と共に、イントルーダーが肩を竦める。
「…ッ!!
 …何が…何が言いたいのよ!答えてよっ!!!」
癇癪を起こしたようにシャロンは叫んだ。
否、実際に今のは癇癪以外の何でもないだろう。
何故、そんな風に侮辱されなくてはいけないのかという想いが、その癇癪に込められていた。
わめき散らす子供を見て呆れるように、ふー、というため息を吐いたイントルーダーが言葉を続けた。
「…なあシャロン、どうしてあの二人が、お前に前線で戦わなくてもいいって言っていたか分かるか?」
「そんなの分かってる!
 私はいっつも後方支援ばっかりだった!
 私の能力がそういう系列の能力だったからそれに甘んじるしかなかった!
 だけど…いつか…いつかきっと、戦える力を手に入れてノーテュエルやゼイネストと…」
その台詞を最後まで言う事は出来なかった。
―――何故なら、









ぱぁん!!











…頬に痛みと熱さを感じたからだ。
同時に、『痛覚遮断』が切れていることに今更ながら気づいた。
「…うぇ?」
ひりひりと痛む頬を押さえて、シャロンは目の前の人物へと視線を向ける。
そこに居たのはクラウであり、今しがたシャロンをひっぱたいたその手が震えていた。
睨みつけるような目線でシャロンを見据えながら、クラウは口を開いた。
否、寧ろ吐き捨てるように言い放った。
「それが貴女の勝手な思い上がりだって言っているの。
 …貴女、自分が何でも出来ると思ったわけ?
 人には出来る限界っていうのがあるし、何より…そして何より」



一呼吸置いて、叩きつけるようにクラウはその言葉を吐き捨てた。







「―――人を殺した事の無い貴女には分からないでしょうね。人を殺すのがどれだけ辛いって事を」








感情のこもっていない、ぞっとするような声だった。




「…え」
クラウは確かに言った。「人を殺したことのない」と。
――『堕天使の呼び声コール・オブ・ルシファー』が発動した時からは、考えた事も無かった。
人を殺したら、その先に何が待つのか、その時に何が残るのか――それすらも考えた事が無かった。
力を手に入れた事で思い上がってしまい、いざ行動を起こしたらどうなるのかという事をすっかり失念していた。
そう、シャロンは人一人殺した事が無かった。
所持していた能力が戦闘に向かないという理由もあったが、それでも、ナイフ一本あれば人一人くらいは殺せるだろう。
しかし、シャロン自身『身体能力制御』を持ってはいるが、運動係数の最大速度は最高でも通常の五倍、知覚係数は二十倍が限界だ。
これでは、『騎士』はおろか、そこいらの一兵卒を殺すことすら無理難題だ。
さらに、シャロン自身が他人にナイフを向けたことすら無かった。向ける必要自体が無かったためである。
シャロンに危害を加えようとして向かってきた魔法士や夜盗なんかを返り討ちにしていたのは、いつもノーテュエルとゼイネストの役目だったからだ。
そこまで考えて、シャロンは自分の手を見つめる。
血で汚れた事の無い、小さな白い手が震えていた。
想像しただけで、手が震えてきた事に、今になって気がついた。
人を殺すということは、この手が真っ赤に染まるってことで―――。
「じゃあ…じゃあ、私…」
無意識の内に口から出る言葉。
――人を殺めるという事は、今までのシャロンには戻れなくなる。
――他者の命を奪い、重たくて、とってもやりきれない気持ちで、その罪を背負って生きていく。
『堕天使の呼び声』発動前までは、それはシャロンとは無縁の事柄。
もう少しで現実と化すところだった。
しばし呆然としていたシャロンの様子を見て、クラウはため息を一つ。
次の瞬間に、言葉を続ける。
「その様子だと考えた事も無かったみたいね。
 …シャロン、戦える力を手に入れるっていうのはそういう事よ。
 その白い手を血で汚して、殺したくなくても殺さなくちゃいけない状態に遭遇する事もあるのよ。
 貴女の手を血で汚したくないから、ノーテュエルとゼイネストは『貴女は今のままでいい』って言っていた…。
 それくらいの事が、どうして分からないの?
 あの二人は、そこまで貴女の事を想っていてくれたのに…」

それを言われた時、直感的にシャロンは思った。
クラウの顔が、ほんの少しだが泣きそうな顔に見えた。と。
「…あ」
そして、また一つ、気づけなかった事に気がつく。
ノーテュエルとゼイネストが言ってくれた言葉が、全てシャロンの事を想ってくれての事だったという事に。
下心も何も無い、ただ純粋な心遣いだったという事実に。
知らずの内に、シャロンの瞳の端から涙が溢れていた。
シャロンは気づいてしまったのだ―――ノーテュエルとゼイネストの思いを、踏みにじってしまっていた事に。
「私、何の為に生まれてきたんだろうね…私、どうしてこんな風にしか生まれてこれなかっんだろうね」
遅すぎる後悔。
しばし訪れる沈黙。
「…え、ええとね」
そんな中、ミリルがおずおずと口を開いた。
「…シャロンちゃんは、戦える力が欲しかったんだよね?」
シャロンは何も言わず、無言で頷いた。
それを確認してからミリルは続ける。
先ほどのおずおずとした様子はその面影を消し去っていて、その代わりに現れたのは凛とした表情。
「…その原因は、きっとシャロンちゃんの心の中にあったんじゃないかな?
 前にシティ・モスクワで出合った時に、ゼイネストさんとノーテュエルちゃんが喧嘩してて、シャロンちゃんはそれをぼうっと見ていたからまさかと思ったんだけど…」
「だけど…何?」
ミリルが言い放った次の言葉は、完全無欠に正解だった。
「シャロンちゃん、ゼイネストさんが好きだったんでしょ?」
「――――」
シャロンは何も言えない。
目と口を硬く閉じて、俯いているだけ。
「…その様子だと、正解みたいだね」
そのシャロンの態度を肯定だと確信したミリルは続ける。
「…だけど、ゼイネストさんの傍には常にノーテュエルちゃんがいた。
 そして二人はいつも一緒に前線で戦っていた。
 それを見たシャロンちゃんは、知らない内に考えちゃった。
 ――――このままじゃ、ノーテュエルちゃんにゼイネストさんを取られちゃうかもしれない…って」
「…」
シャロンは何も言わない。
これも肯定だという事を感じ取ったミリルはさらに続ける。
こう見えて、ミリルは他人のちょっとした心情の変化を察知するのが鋭いのだ。
「だからシャロンちゃんは思った。
 力が欲しいって。
 ノーテュエルちゃんには負けたくないって。
 二人の仲が進展する事を恐れていたから、その不安の解消の為に、ゼイネストさんと一緒に前線で戦える力が欲しいって思ったんでしょ?」
ミリルのその言葉を聞いて、シャロンは理解した。
無意識の内に、ノーテュエルに対して芽生えたモノ。
いつもは喧嘩ばかりしている二人。
だけど、それでもノーテュエルは女の子で、ゼイネストは男の子だ。
そうなれば、ある一つの考えが浮かんでくる。




それは―――ノーテュエルが恋のライバルという認識。



ゼイネストとノーテュエルがいつも通りに喧嘩している時に、第三者的立場でそれを見ていたシャロン。
その時のシャロンの心の中にあった感情を思い返してみる。


―――その答えは、すぐに出た。





・嫉妬。
・不安。
・羨望。
・妬み。




――人間が抱く感情の中では、醜い部類に入る感情ばかりだった。




それら全ての感情が合わさって、シャロンに抱いてはいけない感情を抱かせた。
力が欲しいという感情を抱かせた。
ノーテュエルに負けたくないという、乙女の想い。
だが、想いは時として凶器と化す。
今のシャロンがまさにそれだった。
力を求めたがゆえに暴走し、他者からの思いやりを思いやりとして受け止められなかったのだ。





ふう、というため息と共に、シャロンは瞳を開いた。
その瞳には涙が溜まっていて、瞳が開ききった瞬間に端から零れ始めた。

「…うん、きっとそうなの」
だから、シャロンは素直に認めた。
「私は、嫌な女なの」
「…一面から見ればそう見えるかもしれないけど、嫌な女って思うほどでもないんじゃないかしら?
 女であれば、恋のライバルを蹴落としたいと思うのって、結構当たり前だと思うわよ」
同じ女性であるクラウからの一言。
さらに、それに続いたのはミリル。
「シャロンちゃんのこの戦いは、全部、悲しいすれ違いと思い違いから起こったことなんでしょ。
 だから、もうやめようよこんな事。
 シャロンちゃんは、折角助かった命なんだよ。
 死んだらそれまでなんだよ。
 ノーテュエルちゃんとゼイネストさん、二人の分も合わせて生きていこうよ―――ね」
「…私を、許してくれるの?」
「完全に許すことは出来ないけど、シャロンだって人の子だもの。間違いくらい犯すわ。 
 大切なのは、その失敗を次に活かす事。
 それにシャロン、貴女はもう―――…一人ひとりじゃない
これはクラウの声。
「――ま、過ぎたことを言っても仕方ないし、本当に反省しているんなら、生きている限りいくらでも償えるだろ。
 言っとくが、何もしないでそのまま死んでいくなんて俺は許さねえからな。
 女で良かったなシャロン。もし男だったら、問答無用で殴ってるところだったからな」
物騒な言葉を平然と言うブリード。
「ブリード、物騒…」
「いいの、実際殴られて当然なんだもの。
 それがこれだけで済んでいる…こんな奇跡、もう二度と無いと思うの」
ミリルのその言葉を遮るように、シャロンが口を開いた。
「…やっと分かったか。正しい答えが。
 だが、クラウの言うとおり、人は間違いを犯す生き物だ。
 それが分かったなら、もう二度と同じ失敗を犯さずに生きる事…それがお前のするべきことだ、シャロン」
そして、最後にイントルーダーが告げた。
「み…んな…」
シャロンの心に、じーん、という、こみ上げるような感情の奔流が流れ込んできた。
シャロンの瞳の端から、涙が次々と溢れてきた。
忘れかけていた人間の優しさに久々に触れた、そんな感じがした。











―――だが、運命は時として残酷だった。












その時、異変は起こった。
戦闘中にシャロンが紅い翼で切り裂いていた柱が、今頃になって倒れてきたのだ。
その標的は―――確実にミリルを捕らえている!!





「ミリルッ!!後ろ!」
「えぇっ!?」
ブリードの叫びに応じて状況に気がついて、刹那、ミリルは柱を避けようと足を動かそうとした。
だがその前に、先行して落下してきていたミリルの腹部に直撃。
I−ブレインが強制停止してしまっている今では、逃げ切れなかった。
「あぐぅ!!」
かなりの痛みがミリルを襲う。
痛さに涙が流れた。
だが、それでも何とか倒れまいと足を踏ん張る。
そこに破片の第二撃が襲い掛かり、はミリルの胸に直撃した。
同じような痛みが襲い掛かる地獄に耐え切れず、健闘空しくミリルは体制を崩してしまった。
その近くにあったのは、先ほどの戦闘中にシャロンが空けた、奈落の底への大穴。
漆黒の黒しか見えないその大穴は、ミリルを飲み込まんと大口を開けているようにすら見えた。
最悪の状況だ。
無論、異変開始と同時にブリードもクラウもイントルーダーも動いていた。
―――だが、遅すぎた。
I−ブレインの補助無しでは、物理法則の壁を破ることなど出来るわけが無い。
後ろ向きに倒れていくミリルを助けることが出来ない。
右手を上に伸ばし、何とか落ちない様に頑張るミリルだったが、如何せん、奈落の底への大穴は大きすぎた。
そのまま、ミリルは奈落の底への大穴へと誘い込まれるように倒れて―――、




「だめ――――――――っ!!」
そんな中、響き渡った叫び声。
その次の瞬間には、脅威の瞬発力でシャロンが飛び出していた。
否、異変と同時に、ダメージをおしてまでシャロンも動いていたのだ。
そのまま、奈落の底へと落ちそうになったミリルを突き飛ばして、結果、ミリルは強化カーボンの床の上へと舞い戻る事が出来た。
尻餅を打ったが、それは必要経費と割り切った。
だが、すぐさま、それがどういうことか気がついて、ミリルはシャロンの居る方向へと駆け出す。
シャロンの姿は奈落の底への大穴の真上にある。
そして働く万有引力の法則。









そう、この状況は、奈落の底へと落ちるのがミリルからシャロンに変わっただけの事でしかなかった――――。










――そんな中、シャロンの声がはっきりと聞こえた。










「―――気にしないで、これでいいの。
 私は、ノーテュエルやゼイネストとは…同じところになんて行けないから…」










数瞬だけの、スローモーションがかかったような時間の流れ。
シャロンを除く四人は確かに見た。
シャロンが流した涙は目元から離れて、ゆっくりと水泡を作って空気中に浮いているように見えて、
シャロンは泣き笑いの顔を無理矢理作って、奈落の底へとその姿を消して、
その頭上に崩れ落ちてきた柱がシャロンを押しつぶさんと襲い掛かってきて――――、



崩れ落ちてきた柱は、先ほど地面に穿たれた巨大な穴にすっぽりとはまるように、下へ下へと落ちていった。
…その下に、天使の少女を道連れにして。



全ては一瞬の出来事だった。
四人とも、I−ブレインが完全に停止してしまっていた。
故に、普段どおりにI−ブレインさえ起動していれば出来た事も、行動に移す事すら出来なかった。
ミリルは助かったが、シャロンを助ける事が出来なかった。
刹那、スローモーションの流れが現実の流れへと引き戻される。
その時には全てが手遅れ。
崩れてきた柱は、シャロンを同行して、奈落の底への片道特急列車に乗ってしまっていたから。
奈落の底に到達するまでの間に柱の下から抜け出せれば、柱に潰される事だけは防げる。
だが、翼を失ったシャロンに、再び上へと舞い戻る力までは無い筈だった。
その前に、奈落の底の終着点へと到着するのが先になる。
つまり、これらが意味するものは――――。





「シャロ――――――ンッ!!」
もう聞こえないと分かっていても、それでも穴の奥の奥、暗闇が全てを支配する空間へと叫ばずにはいられなかったブリード。







「シャロンちゃぁ――――――んッ!!!!」
届かないと分かっていても、奈落の底の暗闇へと手を伸ばしたミリル。








「嫌ああああああああああああああああああッ!!!!!」
天を仰ぎ、泣き喚くクラウ。








「…何故だ!!
 折角生きる希望を見つけたっていうのに!!
 ―――何故シャロンがこんな目に遭わなくてはならない!!
 …神の馬鹿野郎が――――――――ッ!!!!」

居るはずのない神と、この残酷な運命を呪うイントルーダー。














…奈落の底からの返事は、返って来るはずも無かった。
さらに、誰もミリルを否定しなかった。
シャロンが奈落の底への大穴へと落ちた原因は、きっとミリルにあるのだろう。
だが、シャロンがミリルを助けなかったら、今度はミリルが間違いなく死んでいた。
誰かが死んで誰かが生き残ればいいとか、そんな単純な問題では無いから、誰も何も言わなかった。
何より、あの大穴を空けたのは他ならぬシャロンだった。





――そして、今更どうこう言ったところで何にもならないので、この話は早急に打ち切られた。











―――いずれにせよ、堕天使を巡る戦いはここで終わりを告げる。
かけがえの無いものをたくさん失っての、空虚しか残らない終結だった。


















―――【 剥 が れ た 仮 面、 彼 女 の 『本 当 の』 想 い 】―――
〜THE RON&SHUBEEL&HINA〜











決着がついたと思い、振り向いた論の視線の中に入ったのは、シュベールの姿だった。
「…そう関単に死ねないわよ、論」
「…な」
最初にその姿を見たとき、論は我が目を失った。
論の『雨の群雲』による一撃は、間違いなくシュベールのI−ブレインを貫いた。
だが、それでもシュベールは生きている。
まだ心臓が機能している分、生きていられるのだろう。
だが、論の一撃がI−ブレインを貫通しているということは、脳が深刻なダメージを受けているという事だから、いずれにせよ長くは生きられない。
現にシュベールの体を構成する組織はかなりの速度で破損していっている。
だというのに、
「でも…ありがとう、論…こうして、初めて自分に戻れたわ」
苦笑したシュベールの口から出た台詞は、それだった。
死を目の前にした魔法士のそれとは思えないほどの台詞だった。
何よりも『初めて自分に戻れた』とはどういうことだろうか?
分からない事が多すぎる。
そんな中、論が口を開いた。
「…よく言う…そもそも、お前はオレを殺すとか公言しておいて、結局殺せなかった…いや、殺そうとしてなかったじゃないか…
「…え!?」
論のその言葉を聞いて、ヒナは我が耳を疑う。
そんなことがある訳無い。
確かにシュベールは、言った筈だ。
シュベールが勝ったら、論を殺してから次いでヒナを殺すと。
だから、ヒナには尚、目の前の光景が信じられなかった。
あれだけヒナを痛めつけていて、あれだけ論に攻撃していたシュベールが、実は論を殺そうとはしていなかった――――!?
「…へぇ、どのあたりで…気づいたのかしら?」
そして、シュベールの答えも、論の解答を肯定するものだった。
「…どういう…こと?」
目の前の状況が信じられずに、おそるおそるその問いを口に出すヒナ。
ヒナからその問いが来るのが分かっていたかのように、論は答えた。
「…考えてみてくれ、ヒナ。
 …あの時…『そして時の流れは終結へクローズ・オブ・エターナル)』が命中して隙だらけだったオレに対して、不意を衝いたシュベールはオレの背中を狙っただろう。
 だが、ここでおかしい点がある。
 あれだけ『真紅の鞭』を自由自在に扱えるシュベールが、どうしてわざわざ背中に攻撃する必要性がある?
 本気でオレを殺すつもりなら、普通は真っ先にI−ブレインか心臓を狙うはずだ。
 そしてあの時のシュベールなら、間違いなくオレのI−ブレイン…又は心臓を一撃で貫いて勝利を得ていたはずだ。
 シュベールほどの実力の持ち主が、そんな些細なミスを犯すはずが無い」
ここで一呼吸置いて、論は続けた。
「―――そう考えた時に気づいた。
 シュベールには、オレに死なれては拙い理由がある。とな。
 だからこそ、オレは勝利を確信出来たんだ」

「――――っ」
唖然とするヒナに構わず、論はさらに続けた。
「そして、ヒナに対しての暴行だってそうだ。
 …気づいていたか?
 あの時、シュベールが主に痛めつけたのは致命傷にはならない箇所ばかり。
 …まあ、傷跡をもう一度攻撃したのは除いても、な。
 ヒナを苦しませたいならもっと他に方法があっただろう…ここでそれを口に出すのは気分が悪くなるだろうからやめておくが…。
 そして結論を言わせて貰えば、おそらく、シュベールはこの戦いで…」
「うん、死ぬつもりだったわ…」
論の言葉を途中で遮り、シュベールははっきりと告げた。
ヒナの口から「え…」という声。
「訳あって、あたしは絶対に助からない運命にあったの。
 どうせ死ぬならやりたいことをやって死にたいって思う人もいるだろうけど、これから死に行く身でそんな事望んでも仕方が無いでしょう…。
 もう打つ手も何も無かったの…もう、あたしの未来なんて無いも当然だったの。
 だから論、貴方の力を試させてもらったの…この先、ヒナを任せられるかどうかを。
 …その為に、論とヒナに話しておく事があるわ…いわゆる、最後の、遺言だけど…」
命の全てを壊れかけのI−ブレインと、かろうじて動いている心臓に全てをゆだねて、立ち上がることも出来ずに、確実に訪れる死の瞬間を待ちながら、それでも、シュベールは生きれている。
いつ死ぬか分からぬその身でありながらも、健気に純粋にひたむきに、ここに居る者達に送る言葉の為に。
「…ヒナを任せるとか、そういう点が気にかかるな…何故、そこまでヒナにこだわったんだ?
 …だから聞き届けておこう。そして教えてくれ、その答えを」
それを見て、論はただそれだけを言う。
どうせ死に行くのなら、遺言くらい聞いても罰は当たらないだろうし、やはりシュベールの発言や行動にはまだ幾つかの謎が残っている。
何より、今、この場でそれを聞き届けておかないと、何か、とっても後悔するような気がしたから。
「貴方の物分りが良くて助かったわ…実はね、戦闘前に言ったあの事実は、半分くらいしか正解が無かったの」
いきなり告げられた衝撃の言葉。
「な…」
「え…」
二人の口から漏れたのは、驚きの声。
「…何!?
 じゃあ事実はどうなっている!?
 お前の言っている事がどこまで事実で、どこまで虚言だか分からなくなってきたぞ!!」
ほぼ反射的に論は聞き返した。
そして次の瞬間、無理矢理笑顔を作ったシュベールが告げた台詞は、論とヒナの想像を遥かに超えたものだった。
















「今から言う事は、何一つ間違いの無い真実よ…。
 最初に、一つ言うわ…。


 




















 

…実はね、ヒナは最初、マザーコアにされるはずだったの」


























―――声が出なかった。
出る筈も無かった。
いきなり告げられた、知るはずの無い真実。
予測の範疇を遥かに超える事実に、二人の脳が数秒ほど思考を停止する。
背筋が凍る感覚が二人を襲う。
数秒の時を経て、その意識を何とか現実へと戻し、
「…それ、どういうこと…なの?」
体を小さく震わせながら、ヒナはシュベールに問うた。
微笑んだシュベールが、息絶え絶えに告げる。
「これだけ大きな組織…維持にはそれなりのエネルギーがいるでしょう…だから、マザーコアが必要だったの。
 最初はイントルーダーって奴がマザーコア用の魔法士として作られたんだけど、如何せん彼は戦闘能力を高く作られすぎたのよ。
 だから、生まれてからすぐに、イントルーダーは『もう一つの賢人会議』から逃げ出す事に成功したの。
 いくら綺麗事を並べても、生きるための活力なしじゃ人は生きていけない。
 それは『もう一つの賢人会議』とて同じ事。マザーコアという動力源無しでは、ここは生きられないのよ。
 だから、ゲストラウイド…かつての『もう一つの賢人会議』の長はすぐに研究班スタッフにイントルーダーに代わるマザーコア用魔法士の作成に取り掛からせた…。
 その結果、誕生したのがヒナなのよ」
「ああ、そういうことか…。
 言うならば『もう一つの賢人会議』は『賢人会議Seer's Guild)』とは違う存在だから、マザーコアを使用しても問題ないってことになるということか…。
 …しかし、それならば何故、未だにヒナはマザーコアにされていないんだ?」
論が思ったことをすぐに問うた。
そしてシュベールは、その質問が来るのを分かっていたかのように答える。
「そこもあたしとエクイテス…今の『もう一つの賢人会議』の長が一芝居打ったのよ。
 …あたしのこの能力から来る殺戮衝動を発散させる為に、ヒナを使わせてくださいって…。
 そして、ゲストラウイドはあっさり承諾したわ。
 これがどういうことか、もう分かるでしょう…。
 皮肉にも…ヒナはあたしが『処刑の乙女ディス・アイデンメイデン)』からくる殺戮衝動を発散する為に、痛めつけるだけの専属の魔法士にしたが為に、マザーコアとなる運命を逃れられたのよ…。
 最も、エクイテスがヒナを逃がすという事までは、あたしには知らされていなかったけどね…。
 でも、それは最良の選択肢だったと思う。
 …だって、その頃にはもう、あたしは壊れかけていたから。
 『処刑の乙女』のせいで、もう、元のあたしに戻れなかったから」
「…そうだ、それが疑問だったんだ…。
 教えてくれシュベール…『処刑の乙女』による殺戮衝動を発散しなかった場合、どうなるんだ?
論が口にしたその疑問を聞いた時、シュベールの顔色が真っ青な色に変わった。
「…すまない」
それがシュベールにとって触れて欲しくない事であったという事に論は言ってから気づいたが、今更後悔しても遅いと気づいて歯を食いしばった。
その時、論の頬に触れたシュベールの手。
「ううん…気にしないで…聞いてちょうだい…」
表情は笑顔だが、顔色はまだ悪いまま。先ほどの戦闘のダメージはまだ『痛覚遮断』で抑えられているから、まだ死の時間は来ないはず。
恐れを抱いているかのように身体を襲う震えを耐えて、シュベールの口から答えが告げられる。
「言いたくなんて無いけど、聞かれたら答えるしかないじゃない…。
 …前に『狂いし君への厄災バーサーカーディザスター』と『殺戮者の起動デストロイヤー・アウェイク』っていう二つの能力があったの。
 その二つは、戦闘能力が大幅に向上する反面、性格が残酷なものへと変化するの…一時的なものだけどね。
 だけど『処刑の乙女』はもっと酷かった。
 一定期間の間、殺戮衝動を発散しないとあたしは自我を失い、理性も何も無い、本能に全てを任せたただの人殺しと化してしまうの…。  だけど、調べたところ、この能力にはさらなる悪夢が隠されていた」
「悪夢…だと、何なんだそれはっ!!」
本能的に嫌な予感を感じ取った論は、焦りを含んだ顔でシュベールを問いただす。
シュベールは嫌な顔一つ見せずに、淡々と答えた。
―――最終的には絶対に、本能に全てを任せたただの人殺しと化してしまうって事。
 殺戮衝動を発散させるのすら、症状を一時的に引き伸ばす程度でしかないって分かっちゃったの。
 つまり、あたしは、最初から死ぬために生まれてきたって事になっちゃうのかな…。
 そして何より、この能力を埋め込んだ奴の名前は分からない…少なくとも、ワイスじゃないって事は分かってる」
「………」
再び、空間を支配する静寂。
論とヒナは、シュベールの『処刑の乙女』には、そんなとんでもない仕様が隠されていたのを、今初めて知った。
否、『狂いし君への厄災バーサーカーディザスター』と『殺戮者の起動デストロイヤー・アウェイク』の存在すら、今になって初めて知ったと言ったほうが正しいだろう。
「―――だけど、もちろん、そんなのはまっぴら御免だった」
静寂を打ち破る、シュベールの強い一言。
「もちろん、あたしは戦った。
 『処刑の乙女』を打ち消すために戦った」
ここで一呼吸置いて、シュベールは続ける。
「だけど、結果は今の通り、よ。
 如何なる手段を用いても、『処刑の乙女』は消えなかった。  最も、あったとしても、すぐには消していなかったと思うわ」
「どうして!!」
これはヒナの声。
「忘れたの?あたしがいなければ、ヒナをマザーコアにする事に反対する確固たる理由を持つ者がいなくなるから無理って事」
「…あ」
すぐにそれに気づき、口を閉ざすヒナ。
「…この『処刑の乙女』があってこそ、やっとヒナをマザーコアの魔の手から守れる理由になる。
 そして、あたしは結局『処刑の乙女』を消す事は出来なかった。  もう、どうしようも無かったのよ」
最後の方は、涙声になっていた。
シュベールの瞳に涙が溜まっているのを、論とヒナは見逃さなかった。
「…どうしても駄目だったのか?
 何か方法はあったんじゃないのか?
 『もう一つの賢人会議』の科学力を持ってすれば…」
論の叫びを途中で遮るようにシュベールは悲しそうに笑い、小さく首を振った。
それで、とうとう、論もヒナも何も言えなくなった。
もう、何をしても無駄だったのだと、シュベールの黄色の瞳が告げていた。
「運命ってなんて残酷なんでしょうね…お陰で、あたしの未来が無くなった…まあ、こんな風に生み出された時点で、あたしに未来も運も無かったってことになるんでしょうけど…。
 それと論、気にする事なんてないのよ…。
 今は結果的に貴方があたしに止めをさしたみたいな形になってるみたいだけど、さっきも言ったように、どっちにしろあたしは死ぬつもりだったんだから…」
「どういう…こと?」
震えているその声は、ヒナの口から出たもの。
「あたしは、論があたしを殺してくれなければ、自分で死のうって思っていたの。
 だってそうじゃない。このままじゃきっと、自我を失ってヒナを殺しちゃうかもしれないから…」
論とヒナは同時に――心臓が止まるかと思った。
「…なんでだよ」
「ん?」
搾り出したように呟いた論の声は、震えていた。
「…今の今まであんな態度とってて、死にそうになったらそれかよ…。
 悪いが、今となってはそれも演技にしか見えないんだ…
 それに、そんな重要な事を何でもっと早くそれを言ってくれなかった!!
 そうすれば、きっと何かが変わっただろうに!!」
その答えが来るのを分かっていたかのように、淡々とした調子でシュベールは答えた。
「あー、一度失った信頼ってのは、やっぱり回復し難いか…。
 だけど、さっきも言ったとおりこれは本当に事実。首をかけてもいいわ」
ここで一呼吸おいて続ける。
「…但し、論、もし貴方がヒナを任せられないと分かったら、私は容赦なく貴方を殺していたわ」
先ほどとは打って変わっての、感情を押し殺したような冷徹な声。
「…やはり、そこまで覚悟していたのか…。
 そしてその場合、お前もそのすぐ後に、オレの後を追うようにして死ぬつもりだった…さっきの話からして、そうなんだろ…」
「…正解だわ。論。
 論があたしの認めた器じゃなければ、ヒナを任せることなんて出来る訳が無かったからね…。
 ヒナにこれ以上の苦しみを背負わせないための、あたしからのせめてもの親切を送るつもりだった…。
 でも、この『親切』は送らずに済みそうね。
 …こうなってくれて、本当に良かった。やっぱり、論はあたしが認めたとおりの人だった」
最初はぞっとするような声で、最後のほうは声を和らげて。
最後まで言い切った時、シュベールの口からふう、という軽いため息。
刹那、ひう、という声がヒナの喉の奥から聞こえた。
論が負けていれば、自分が殺されていたのだという事実。
シュベールの告げたIFの未来が叶わなくて良かったと、本当に思う。
「それと…限りない矛盾に聞こえるかもしれないけど、さっきの…ヒナを痛めつけるのが楽しかったってのも事実だった。
 あたし、間違いなくサディストのケの持ち主だったんだって、思いたくないけど認めざるを得ないわ。
 だって、ヒナの事を心配しながら、その裏ではヒナをいたぶる事に快感すら覚えていたんだもの…これを偽善といわずしてなんて言うんだろうね」
次々と告げられる、シュベールの胸のうち。
ここで一呼吸置いて、さらに彼女は続けた。
「…でもね、それでもあたしはヒナを守りたかったの。
 あたしが信じた道を貫き通したかったの。
 この気持ちだけは絶対に、偽りじゃないって言い切れるわ」

今になってわかった、全ての真実。
そして今、目の前の少女は死への秒読みを開始している。
「…くっ、なら!!」
すかさず目を瞑り、論はつい先ほど強制停止したI−ブレインを無理矢理再起動させようとする。
しかし、I−ブレインは何の反応も示さない。
まだ、強制停止からの復帰時間に至っていないのだ。
それをみたシュベールからの返答は「もういいよ」だった。
「何故…くそっ!!I−ブレインが動かな…ぐがっ!!!」
無理矢理Iーブレインを動かそうとしてエラーが起こり、突如頭に襲い来る激痛に、論は頭を押さえて顔をしかめた。
「論!?大丈夫!?」
傷だらけの体を無理矢理動かして、ヒナが論へと駆け寄よろうとする。
ちなみに、これは論がシュベールの近くに居るわけだから、シュベールへと近づくということでもある。
「っく!!」
が、数歩と歩かぬ内に、黒い痣がいくつも出来たお腹を押さえてその場に座り込む。
論とシュベールが戦闘している間に一応動ける程度には回復しているが、それでも一歩毎に激痛が全身へと襲い掛かる。
「…まだまだ…動けます!」
歯を食いしばり、ヒナは立ち上がる。
「やめろヒナ!!そこでじっとしていてくれ!!」
「そんなわけにはいきません!!論の傷の方が深いんだから、論こそ無理しないで下さい!!」
論の静止の叫びに返答し、ヒナは一歩、また一歩と歩き出す。
しかし、ヒナがその体に負った傷は浅いものから深いものまで色々あった。
歩く度に激痛が全身を襲い、その度にヒナは顔を顰めて何度も何度も倒れそうになるが、ついにはそれに耐えて、論とシュベールの元までたどり着いた。
それを見届けたシュベールが、ぱちぱちぱち、と、笑顔で弱々しく拍手を贈る。
「よく頑張ったわね、ヒナ…。
 それに論、無理なんてしちゃ駄目。
 ついさっき止まったばかりのI−ブレインを無理矢理動かしたら、それこそ論の命に関わるわ。
 …それに、そのせいでもし論まで倒れたら…」
ちらり、と、ヒナを見て、
「ヒナ…本当に一人ぼっちになっちゃうわよ…」
論の口から出たのは、あ、という声。
それを聞いてひぅ、と息をのむヒナ。
「それにね、あたしがヒナを守りたいって思ったのには、確固たる理由があったの」
シュベールはさらに話を続ける。
死へと赴く前に、言っておくだけの事は言っておきたいがために。
その想いが、今のシュベールの行動原理なのだから。
「ありがちだけど…本当にすごくありがちだけど、ヒナは似てたの…あたしが数年前に無くした妹に。
 泣き虫で、人見知り激しくて、それでいて芯が強くて…ほんとにそっくりだった…。
 まるで、妹が帰ってきたみたいだった…。
 だから考えた。ヒナを殺さずに済む方法を考えたの。
 その結果が、今、ヒナが生きているということよ。
 …あたしなりに考えた結果、こうするしかなかったの…ヒナが助かる方法が。
 この方法が正しいなんて絶対に言わない。もっとましな答えがあったと思う。
 だけど、この選択肢が、あたしが導き出した最高の正解だったと思う…。
 だってそうでしょう、紆余曲折あったけど、ヒナは生きる事ができた上に、最終的には素敵な人に出会えたんだし…。
 そして、今なら言える。ヒナを任せられる人…それが貴方なら文句は無いわ、天樹論」
シュベールの一言一言に、彼女の意思が、彼女の想いが力強く浮き出るのを確かに感じる。
「…ッ!!!シュベール、お前は…お前は…」
彼女の想いが本物であるという事が、その言葉から十二分なまでに伝わってきた。
論は涙声になり、強化カーボンの床に手をついて、目の前の少女の顔を覗き込むようにして見つめる。
シュベールもまた、論を見つめ返して口を開く。
「論、あたしは今更ヒナにやってきたことが許されるとはこれっぽっちも思っていないわ。
 だけど、あたしがあたしなりに考えて行動した結果が今だってことを忘れないで…そうじゃなければ、貴方はヒナに出会えなかった」
素直で、それでいて強い言葉。
次の言葉には、より一層の感情を込めて、シュベールが口を開く。


「だから、その結論として言うわ。
 あたしは全力で振舞った。
 どれだけ憎まれてもいい。恨まれたって構わない。
 ヒナに対して手酷く当たる事によって、あたしが死んでも、ヒナが悲しまなくて済むようにって、だだそれだけを思ったから」



心の奥から何かがこみ上げてくるような感情の波が、ヒナと論に襲い掛かった。
そして、二人は気がついてしまった。
今までのシュベールの言葉が真実であれば―――いや、真実に決まっている。嘘でこんな事言えるわけが無い。
そして今、シュベールに対する見方が根本から覆る。
つまり、シュベールはヒナを想うが故にヒナを傷つけ、痛めつける事で、逆にヒナを守ろうとしていたという事になる。
それは何て残酷な――――――愛の表現。
「そ…んな。じゃあ、シュベールは…」
一秒足らずの空白の後に告げられたのは、とても小さくて、震えているヒナの声。
今明らかになった、シュベールの本当の心。
シュベールは、彼女自身が死んだ時の事まで考えていた。
それは、シュベールが居なくなっても、ヒナが悲しまなくてもいいという思いやりから来たもの。
だけど、シュベールの想いを知ってしまった今では――。
「―――っ!!」
そこまで考えた時、ヒナは俯いたまま、ぎゅっと拳を握り締める事しか出来なかった。
それは全てが分かってしまったから。
シュベールが、そんなとんでもない能力と戦っていた事。
そして、抗いようの無い運命の中で、必死で抗おうとして結局抗えなくて、自分を犠牲にしてまで――。
「…ヒナ、もしかして、泣いてるの…?」
ぴくりと、ヒナの体が震えた。
「…ごめんなさい…シュベール」
必死に搾り出した声は、ヒナ自身にも聞こえないくらい小さかった。
「泣く必要なんて無いのよ…全てはあたしの自業自得だもの…。
 所詮、今更こんなこと言う嫌な女なのよ。あたしは」
「けど…!!!」
ヒナは顔を上げることが出来ない。
「わたし、そんな事も知らないで、何も知らないで、貴女のこと憎み続けて…。
 本当は『もう一つの賢人会議』の中で、一番わたしの事を考えてくれていたのに…わたしを守るために…」
ヒナの瞳の端から涙が流れる。
一滴、また一滴とあふれ出した涙は止めようにも止められない。
「馬鹿ね…」
弱々しく動くシュベールの手が、ヒナの顔を上げさせる。
そのまま、かつて妹にしたように、髪の毛を撫でる。
「…と、いけないいけない」
シュベールはヒナのうなじに手を当てて、ノイズメーカーを引き抜いた。
(パスコード入力確認。ノイズメーカー解除。I−ブレイン、正常復帰)
ちくんとした感覚の後に、ヒナのI−ブレインがそれを告げた。
「…あ」
「こんなもの、いつまでも持たせておくわけにはいかないじゃない…これで『同調能力』による傷の回復が出来るわ。
 それにヒナ、貴女が謝る必要なんて無いの。
 …悪いのは、こんな大切な事をつまんない意地張って今の今まで黙っていたあたしなんだから…」
「シュベール…ううん、ねえさ…」
「シュベール、でいいわ。
 こんなあたしが、例え義理でも姉を名乗る資格なんて無い」
ん、と言おうとしたヒナの言葉が遮られる。
故に、ヒナは言い直した。
「じゃあ、シュベール…聞きたいことが…あるの」
「なーに?何でも言って見なさい?」
一瞬だが、ヒナは次の言葉を言うのを戸惑った。
だが、今を逃したら二度と聞けないという事を確信して、勇気を出して口を開いた。
「じゃあ、単刀直入に聞きますね。
 ――――シュベールは今でも、論の事が好き?
一瞬、シュベールの顔がぴくりと引きつった。
が、次の瞬間には笑顔を浮べて、
「あはは、何言ってんの、あたしが論の事を好きなわ―――」
笑い飛ばすように言い放ったその言葉を、ヒナは中断させるようにはっきりとした声で告げた。
「隠したって分かります。わたしだって女の子ですから。
 シュベールが論に向けた視線は――恋する女の子のそれ以外に考えられないです」
ヒナの前では、シュベールの偽りの仮面など通じなかった。
それを理解したシュベールは、刹那の間を置いて真面目な顔へと戻り、
「―――論の事、好きな訳……………あるじゃない
言いかけた否定をさらに否定し、正直な、心の中に秘めた想いを口に出す。
「…そうよ。
 論、あたしは今でも貴方の事が好き。
 さっき言ったわよね。『叶わない夢』って。
 それはね―――」
ここで一呼吸置いて、シュベールは告げた。













「あたしはね―――論、貴方の大切な人になりたかったの。
 論の隣に居たかったの。
 論の為に生きたかったの。
 あの時、あたしを助けてくれた論と一緒に生きたかったの」













あまりにも普段通りの口調で告げられた、シュベールの本当の気持ち。
シュベールの顔を見て一瞬で理解した。
シュベールが冗談でこんな事を言っている訳ではない、と。
「そして論、貴方の心の中に居るのは――」
論の気持ちを理解している上で尋ねているのだと即座に理解した。
そうであれば、はっきりと答えなくてはならないだろう。
論は一回深呼吸をした後に、他の誰でもない論自身の気持ちを告げた。
「…シュベール。
 だったら、オレも素直な気持ちで答えなくてはいけないな。







 ―――――ごめん―――オレが好きなのは―――ヒナなんだ」
ヒナの口から漏れる「あ…」という声。
その答えを告げるということは、シュベールの『夢』を完全に否定する事に他ならない。
だけど、ここで嘘偽りなんて言ってはいけない。
論にとっては、非常に辛い決断だった筈だ。
辛かったが故に、論は本当の気持ちだけを告げたのだ。
「――よく言ったわ、論。
 あ、そうそう―――もし、最後だからってあたしなんかに気を使って偽りを告げたら、死んでも貴方を許さないつもりだったから」
直後、ふう、とため息を衝くシュベール。
その顔は、重荷が降りて吹っ切れたような顔をしていた。
「…最後だから、もう言っちゃうね…あたしは、ヒナに嫉妬していたの。
 だって、あたしが欲しかったものを、簡単に手に入れちゃったんだから…。
 だけど、だからってヒナが遠慮する必要なんて全く無いのよ…だって、恋をするのは自由だから…。
 あたしが勝手に片思いしていた、それだけなんだから―――」
ヒナの顔が、たちまちのうちに泣きそうにゆがんだ。
「だから、気にしなくていいって言ったでしょ」
「で、でも…」
「いいから―――これで、あたしも完全に吹っ切れたし。  …最後に貴方に出会えて良かったわ、論。
 …だって、貴方のお陰で、最後は人間らしく死ねるんだもの…」
シュベールの瞳の端に一滴の涙が光っていたのを、論もヒナも見逃さなかっただろう。
シュベールは、明らかに無理をしている。
心の内を決して見せず、心を押し殺している。
想いの届かなかったシュベールの心は、今でも悲鳴を上げているはずだ。積み重ねてきた想いが、そう簡単に吹っ切れるはずが無い。
だけど、論もヒナもそれを指摘出来ない。
彼女の意思を尊重したい。
そして、その顔はすぐに笑顔へと変わる。
シュベールはヒナへと手を伸ばし、ヒナの頭を優しく撫でる。
…そのくすぐったさと気持ちよさにヒナは思い出す。
もう遥か昔のようで、すっかり忘れ去られていた一時の記憶を。
シュベールがヒナの事を『処刑の乙女』の殺戮衝動を発散させる為に痛めつける前の時期には、こうやって頭を撫でてくれた事があった事を。
あの時シュベールが見せてくれた笑顔は、偽りの仮面も何も無い、シュベールという一人の少女の純粋な想いから来ていた事だったのだ。
全てを知った今なら、素直に納得できる。
無論、ここに至るまでの過程も考えると、素直にシュベールを許す事は出来ない。
だけど、これがシュベールの選んだ最善の手段だった。どうしようもない現実を見て編み出した、彼女が信じた答えがこれだったのだ。
そして今、ヒナの中で確かな答えが生まれた。







――シュベールは、ただの処刑者なんかじゃない。
抗いようのない自らの宿命と戦い、ヒナを守る為に非情の決断をした、本当はとても優しい―――お姉さんだった。









ヒナの頭を撫でていたその手を止めて、今度はその手を論の方へと向ける。
握手を求めていると理解した論は、その手を握り返した。
死を間近にしたとは思えないほどの、強くて確かな力をその手に感じた。
「正解…握手だって分かってくれてありがとう」
その次に、シュベールはヒナの方へと視線をそらす。
「ほらヒナ…そんなに泣かないの。
 …貴女は今までずっと辛い思いをして生きてきたんだから、そろそろ幸せになるべき時なのよ」
そして今度は再び論へ。
「…論、ヒナは貴方に任せるわ…だから、ヒナの事を…泣かせないでね」
「…言うまでも…ないだろ」
知らぬ間に視界がぼやけている事に気がついた。
それで論は、自分が泣いている事を自覚した。
「…そうだったね。
 今更言う事でも無かったわね。
 貴方ははっきりと『ヒナはオレが守る』って言ったんだから、心配も何も無かったわね。
 …何はともあれ、色々な悩みも全て解決できた。
 叶わない夢の件はもういいわ。どんな形であれ、どんな結末であれ、あたしはやるだけの事はやった。
 …だから…もう悔いは無いわ。
 ふう、胸の痞えが取れたら…何だかすっごく疲れちゃった」
ふう、と軽く息を衝く。
疲れきったぼろぼろの身体が永遠の急速を望んでいるので、ちょっとだけ目を瞑る。








『…ねーね、待ってよ―――!』
『あはは…リリィ、こっちこっち――!!待ってるから早く――!』









「―――あ」
その時、シュベールの脳裏を掠めた言葉と情景があった。
数ヶ月前に起こった、シティと『賢人会議』との抗争に巻き込まれて、その幼い命を散らした少女の声。
ボーイッシュな外見とは裏腹に、いつも自分にべったりで甘えんぼ。だけど、時折こっちがびっくりするような、意思を込めた発言をする妹の姿を確認して、シュベールの心の奥を、じんとした思いがよぎった。
(…リリィの…声…そして姿。
 ふふ、これが死に際に見るっていう『走馬灯』ってやつなのかしら…。
 待っててねリリィ…あたしも…ううん、ねーねも、今からそっちに行くから…)






シュベールは再び目を開き、論とヒナの方を見て口を開く。
「…これで安心して、眠れる―――わ…」
その言葉の最後の方は、かすれる様に消えていった。
そして、シュベールの瞳から一筋の涙が零れて、











―――それが、最後だった。










シュベールの瞳が静かに閉じられ、論の手を握るシュベールの手から力が抜けた。










 
「………シュベール……?」
論自身の意思とは無関係に、気がつけば論はその言葉を口に出していた。
だが、答えは返ってこない。
――返ってくるはずが、なかった。
次に訪れるのは一瞬の静寂。
シュベールが死んだということを理解させられる、絶対的な状況。
「…っ……やあああああああああああ!!!シュベール…シュベール――ッ!!」
一瞬の間を置いて泣き叫ぶヒナ。
全てを知るのが遅すぎた。
人はいつも、大切なものが何なのかを気づくのに、その大切なものを失ってから気づく。
有史以来から変わる事のない、ヒトがヒトであることの絶対的証明。







「…何で…何でこんな時に…再起動してくれないんだ…オレの…オレのI−ブレイン!!」
立ち上がってぎり、と歯を食いしばり、目を瞑って頭を振って論は叫んだ。
つい先ほどのシュベールの戦いで強制終了した、論のI−ブレインからは未だに何の返答も無い。
今この場で、この場だけでもI−ブレインが再起動してくれれば良かっただけ。
そうすれば、『天使』の『同調能力』をコピーしてアレンジした治癒能力である『癒しの輝きリジェネレート』を使って、完全蘇生は無理でも、少しはシュベールを延命させられたのかもしれなかったのに。
そして、その想いは自らへの怒りとなり、論は、俯いて叫んだ。
「…何が『魔術師』だ…」
己を叱咤するように、怒りを込めた論の声。
「…何が『悪魔使いの進化系』だ…」
悲しみと悔しさで、肩が震える。握り締められた両手の拳に爪が滲み、赤い血が流れ始めた。
「逆境すら変えられる筈のこの能力が…世界に名を連ねる『悪魔使い』の系列としてのこの力が…たった一人の少女すら救えないっていうのか!!
 何の為の能力だよ…どうして、どうしてこの肝心な時にばっかり…オレは…オレは―――!!!」
「論…」
「――!」
小さな手が、論の肩に置かれた。
ゆっくりと振り向いた論の視界に入ったのはヒナの顔。
シュベールが妹に似ていると言っていた少女の顔は、涙で濡れていた。
それでも、ヒナは口を開いた。
「…もういいです…そんなに自分を責めないで…」
「だけど…オレは殺さなくてもいい命を殺してしまった!!
 それも、誰よりもヒナを想ってくれた人を!!
 オレは――オレは…」
「…シュベールは、シュベールは言っていたじゃないですか…もう、自分は戻れないって…だから、もう疲れたから…休ませてって…
 …それが、シュベールの望んだ結末…なんだ…から」 
はたから見ても分かる通りに、明らかに強がって言っている台詞。
嗚咽と共に咳き込み、呼吸困難になっても尚泣きじゃくるヒナ。
その小さな背中に手を回し、背中を優しくさすってあげる。
あ、という声と共に、ヒナが顔を上げて、
「ろん―――泣いて―――」
その時にヒナが見たものは、今まで殆ど見たことの無い―――論の涙だった。
「強がらなくていい…無理なんてしなくていい。悲しい時に思いっきり泣いても、罰は当たらないんだ――。
 正直な話、この状況を作り出してしまった一人であるオレが言うのは、間違ってるかもしれない。
 だけど、それでも言いたいんだ。
 …ヒナだけでも無事で、本当に良かった
そう言って、論はヒナの目元に溜まっている涙を指ですくった。
「―――ッ!!」
次の瞬間には、ヒナは論の腕の中へと飛び込んだ。
もう、止まらなかった。
枯れる事を知らないかのように涙が次々に零れ落ちて、今まで泣いた事が無いほど、ヒナは泣き出し始めた。
論はその手で、エメラルドグリーンの髪をそっと撫でる。
その腕の中で、少女は泣きつづけた。











――泣きじゃくるヒナを抱きしめながら、論は思い出していた。





論がこの世に目覚めた時から間もない頃に出会った、水色の髪の少女。
髪の毛がかなり短く、肩口にまで届いているかどうかすら分からない。
血塗れになって動かなかった、水色の髪の少女よりさらに幼い少女の死体にすがりつき、頬に、身体に血が付着しても、決して幼い少女の死体から離れようとしなかった。
その時、論は言った。
――大丈夫か?どうしたんだ?と。
論の声に、水色の髪の少女は初めて反応した。
その時初めて、涙で濡れてぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
その顔がとても酷かったので、気がつけば、思わずハンカチでその顔を拭っていた。
それでようやく、少女は少しは落ち着いたようだった。


その後に事情を聞いた。
妹は、どこかの抗争に巻き込まれて死んだ。と。


その時、論は言ってしまっていた。
何の考えも無く言った、たった一言。
―――オレがその組織を倒してやる。
それだけで、少女の顔に、ぱぁっと花が咲いた。


気分を治してくれてよかったと、論は思った。
だが、水色の髪の少女の心の中に芽生えた感情は、それを遥かに上回るものだったなんて、その時は思いもしなかった。
あの時の論には、色恋なんてものには興味が無かった。
ただ、目の前の目的―――錬を倒すことに対してのみ意識が向かっていたからだった。





――そう、この時、論は本当に気づいていなかった。
水色の髪の少女の頬が、赤く紅潮していた事に。





少女の妹の死体を埋葬してから、その敵となる連中を殺した後に、水色の髪の少女とはすぐに分かれた。
自分はやることがあるから、それを片付けておきたいと。
水色の髪の少女は、ただ頷いて、そのまま遠くへと走り去っていった。
どうせ会うことは無いだろうと思っていた。
しかし、論の予想とは大きく外れて、その後、論とその少女が再会したのは、長い時をかけて、シティ・メルボルンでの再会だった。
それ以降の事は、もう、言うまでもない――――。










「…あ」
思い返して、論は気づいた。
(あの時が、シュベールの、そしてオレの運命の分かれ道だったんだな…)
それは、ありえたかもしれない『IF』。
論が、あの時、シュベールの気持ちに気づいたか気づかなかったかという、やり直しの効かない人生の選択肢。
そして、その選択肢次第では、論の相手がヒナではなく、シュベールになっていたという可能性も十二分にありえた。
だが、シュベールの死という形で結果は出て、その可能性は永遠の闇に葬られた。
シュベールの想いに答えられないならまだしも、再開するまでシュベールの事自体を忘れていた己の愚かさに気づき、追想の最後に一言を付け加える。
(オレは、オレを想ってくれた少女の事すら忘れていたのか…ごめん、シュベール…)
そこまで考えて、論は論自身の情けなさが嫌になった。
やはり自分は、欠陥だらけの『人間』だと言い聞かせる。
――だが、こんな欠陥だらけの人間にも出来る事がある。
だから今、この場でそれをはっきりとさせておかなくてはならない。
「………」
もう目覚めない少女の遺体を見つめた論は、今更言っても遅いとは分かっていても、言いたいと思った言葉を口に出す。
「シュベール…お前の想いを…しかと受け取った」
論が止めを刺していないとシュベールは言ったが、それで納得する論ではなかった。例えどう言いつくろうと、論が止めを刺した事実は変わらない。
だから、その事実からは逃げない。
絶対に、逃げるわけにはいかない。
誰よりもヒナの事を想っていた、自らの運命に翻弄されたこの哀れな少女。
シュベールという名の少女にせめて償うために、彼女の最後の一言を胸に刻み、
「…泣かせるなって言われた矢先にヒナを泣かせたけど…お前を想ってくれての涙だから許してほしい…。
 だから、これからはその約束を守りきってみせる。そして、オレはこの大切な女の子を守る為に、これから生きていこうと思う。
 …それがきっと、オレの生まれた訳なのだから!!
そして論は、目の前に横たわる犠牲者に冥福を祈り、誓いをたてた。









ヒナが泣き疲れて大人しくなったのを確認してから、論は力を抜いた。
「それにしても…疲れた」
緊張の糸が全て切れたかのように、体が崩れ落ちるのを論は感じた。
冷たい強化カーボンの上に後ろから身を投げ出し、その時に騎士刀『菊一文字』がその手から滑り落ちた。
同じように右手も強化カーボンの上に投げ出す。
随所に大打撃を受けてぼろぼろの体が、休息と回復を欲しがっている。
これ以上この状態で戦おうものなら、比喩でもなんでもなく本当に死んでしまう。
強化カーボンの床の上で仰向けになり、白い天井をぼんやりと眺める。
何とか起き上がろうとして体に力を入れるが、体はまともに動かず、その命令を拒絶する。
「…論」
少女の声が頭上から聞こえた。
白い天井に少女の顔が出現する。
青い瞳には未だに涙が溜まっている。その状態で、少女は論の顔を覗き込む。
透明な雫が次々と伝い落ち、論の顔に一つ、また一つと跳ねる。
さっきあれだけ泣いたのにも関わらず、ヒナの涙は止まらない。
思わず、そろそろ涙を止めてあげようかな。という考えが浮かんだ。
静かな気持ちでそれを見つめ、少女の名を呼ぶ。
「ヒナ…」
ゆっくりと伸ばされた手が論の額に触れる。
刹那、少女の顔が視界から消えた。と思った次の瞬間には、論の真横で空気が動く。
ふと横を見ると、隣にはヒナが論と同じ格好で仰向けになっていた。それを確認した時、額に乗っていた手の感覚がなくなった。
次の瞬間には、論の左手に暖かい感触。
ぎゅっ、という音と共に、論の左手がヒナの右手に包まれた…最も、ヒナの手は論に比べてかなり小さいため、論の左手は大部分がはみ出す形になってしまっているが、それはこの際気にしないでおきたい。
「…あ」
「わたしも…疲れた…けど、これで本当に終ったんですね…」
そして、ヒナが論の方へと振りむいた。
お互いの顔が近くにある。
それを認知すると同時に二人の顔が少しだけ紅潮し、次の瞬間にはお互いが顔を背けることなく二人が同時に口を開いた。
「「あのっ」」
そして、お互い黙り込んでしまう。
気まずい沈黙。
「論、先にどうぞ…」
「レディーファーストだ。ヒナの方から先に言ってくれ」
「じゃあ、わたしが最初に…。
 これだとわたしの傷が治るほうが先かもしれないです…そしたら、わたしが治してあげます」
「じゃあ続いて、オレが言おうとしたのはコレだ。
 …そうだな…もう少し待っててくれ、I−ブレインが再起動するその時まで。そしたら、その傷を治してあげるから…だ」
一瞬の沈黙を置いて、
「ぷっ…あははは…はは」
「くすっ…ふふ…ふふ…」
お互いの顔を見て、お互いが小さな笑い声を上げた。
「お互い…考える事は同じなのか…」
「そうみたい…ですね…」
白い天井の下、一つの戦いを終えた者達は、一時の安息の時を得た。















―――――その一瞬だけ、
事切れたはずのシュベールの頬が緩んでいたのを、誰も知らない。



















〜続く〜























―【 お ま け の キ ャ ラ ト ー ク 】―
















ノーテュエル
「…う、うううぅ〜〜〜〜」
ワイス
「おお…ノーテュエルが…泣いている…。
 ですが、その気持ちは分かります。
 僕も今、凄くやるせない気持ちで一杯ですから…」
ゼイネスト
「…ああ、今回はとても悲しかった。
 誰一人として本当の悪人が居なかったんだ。
 そして何だ、この後味の悪さは…」
ノーテュエル
「…なによぉ、調子狂うわね〜。
 いつもなら『ノーテュエルが泣いている!?これは天変地異の前触れか!?』とか言ってきそうなのに…」
ゼイネスト
「こんなシリアスな話の中で、そんなつまらんボケをかませられる奴がいたら見てみたいぞ」
ノーテュエル
「―――まあ、その瞬間に『炎舞大炎上ミカエル』で燃やしてあげるけどね」
ワイス
「つっこんで欲しかったのかそうでないのか、どっちだったのやら…。
 いずれにせよ、その心配は杞憂ですよノーテュエル」
ノーテュエル
「さすがワイスね。
 いつも突っ込まれてその度に『あべし!』『ひでぶ!』『うわらば!』『たわば!』とか言っているせいで学習してきたって事かしら」
ワイス
「誰のせいですか!!」
ゼイネスト
「言わずもがな。って奴だな」
ノーテュエル
「私かぁ!」
ワイス
「それ以外に何の答えがあるんですか…。
 …と、今はそんな事で言い争っている場合じゃないでしょう!
 …しかし、いざ感想や意見を言おうとすると、何から言っていいか分からないですね…」
ゼイネスト
「エクイテスとシュベールは…結構幸せな死に方をしたと思うぞ。
 だが、シャロンが…」
ノーテュエル
「どうして…シャロンがこんな目に遭わなくちゃいけないのよぉぉぉぉぉ!!!」
ワイス
「分かりません…そんなの分かりませんよ!!!」
ゼイネスト
「…だけど、シャロンは人殺しにならなくて済んだじゃないか…。
 それだけでも、良かったって思いたい…」
ノーテュエル
「でも、これから罪を償おうとしていたのに…」
ワイス
「志半ば…だったでしょうね。
 希望というものほど、たやすく打ち砕かれるものは無い…そういう事ですか」
ノーテュエル
「…で、これからこの物語はどうなる訳?」
ゼイネスト
「いきなり話を変えたな…」
ノーテュエル
「これ以上、こんな話なんてしたくないよ…」
ワイス
「同感ですね。
 では…突然ですがここで重大発表をさせていただきましょう!



 …実は―――この物語は後編―――『FINAL JUGEMENT』があるんですよ」
ノーテュエル
「えぇ!?」
ゼイネスト
「何だと!?」
ノーテュエル
『最後の審判』―――ってこと?」
ワイス
「ええ。
 と言っても、これを書いている今この時では、最初の方しか出来ていないみたいですけどね。
 そして、この物語にもまだあるでしょう?
 解き明かされていない謎が!」
ゼイネスト
「…俺達に『狂いし君への厄災バーサーカーディザスター』や『殺戮者の起動デストロイヤー・アウェイク』を埋めつけた者…」
ノーテュエル
「ラジエルトの回想に出てきた『由里』…一体何者なの…?」
ワイス
「そして、僕がセレニアを殺した理由…」
ゼイネスト
「…待て、あれって理由があったのか!?」
ワイス
「当たり前でしょう!!
 あの時の僕は、まだまともな人間でした!!」
ゼイネスト
「いずれにせよ、全てはそこで明かされる。
 …んで、まさかとは思ったが…」
ワイス
「ん?」
ゼイネスト
「…新キャラが出てきたりするのか?」
ワイス
「…それは、もうじき明らかになると思います。
 それまで、大人しく待ちましょう」
ゼイネスト
「…いいところで話を切ったな。
 まあいい、おい、誰か次回予告してくれ」
ノーテュエル
「はいはーい!りょーかーい!!
 そして戦いが終わり、それぞれが戻るべき場所へと戻っていく…。
 次回『最終章―――今日の向こうにある明日』―――よろしくね―――!!」
ゼイネスト
「待てっ!!
 つ…次が最終話だというのかっ!!」
ワイス
「この話で全てに決着がついたわけですし…一旦、物語の幕が下りても不思議ではないですよね」
ノーテュエル
「ごちゃごちゃ言わないー。
 だから、後編のタイトルを明かしたって事だし」
ゼイネスト
「そして、物語は『FINAL JUGEMENT』へと続いていくのか…。
 全てが明かされる、真相の物語に」
ワイス
「それでは、次の時までしばしの休みを――――」










<こっちのコーナーも続く>









<作者様コメント>







大切な家族に見送られ、死んでいった男。
間違いを知り、それを正そうとした矢先に障害に出会った少女。
人の心が持っていた真摯な想いを仮面で隠した少女。




命の儚さと力強さ、どうしようも無い現実の中でも尚輝く人の想い。
これらを伝えたいと思って執筆してみましたが、うまく表現できていたでしょうか?
特に、シュベールが全てを語るシーンは、本作最高の場面へと仕上げたつもりでしたが、いかがだったでしょうか?
もし、本作を読んだ後に、何か少しでも皆さんの心の中に残るものがあれば嬉しいです。





さて、いよいよその名を明かした『後編』。
期待を抱いても抱かなくてもいいのでお待ち下さい。



<作者様サイト>
同盟BBSにアドレス載せてるんでどうぞー。ブログですが。


◆とじる◆