DESTINY TIME RIMIX
〜最終章―――今日の向こうにある明日〜












全てはもう、終わってしまった事。

欠如と虚無と葛藤と悲しみを胸に―――――この世界を生きよう。





そして、見えない糸に手繰り寄せられた者達の、数奇な運命の物語は、ここで一旦終わりを告げる―――。













―――【 今 ま で と こ れ か ら 】―――
〜THE RESHUREI&SERISIA&RAZIERUT〜












『もう一つの賢人会議』を巡る、全ての戦いが終わりを告げた。
この戦いが残したものは、言いようの無い悲しさだけだった。
何かを得た、そして何かを失った。
―――失ったものと得られたものとの差は、あまりにも大きすぎた。













白の強化カーボンの壁に包まれ、少女の泣いている声以外の音が無い、霊廊のように静まり返った『もう一つの賢人会議』の一室。
青色の髪の少年と、桃色の髪の少女、黒髪の男性。
そして、横たわる橙色の髪の男。
勝者が決まった。そして敗者が決まった。
だが、今となってはそんな事はどうだっていい。
橙色の髪の男は、たったいまこの世でその命を散らした、大切な家族だった。
心の中から湧き上がる、とても痛くてとても苦しくて、とても重たい感覚。胸が詰まるような感覚とは正にこのことだろう。
「う…っく、ひっく…ひっ…くぅ…ぅぁっ、うわああぁぁぁん!!」
大切な人の背中に腕を回して、その胸の中で、顔を俯かせて、肩を震わせて、声を張り上げるようにしてセリシアは泣いていた。
ぽろぽろ、ぽろぽろと涙が零れる。
体中の水分を流しつくしてしまいそうな勢いで、涙は後から後から溢れてきた。
兄を失ってしまった悲しみ。
そして何よりも、セリシアは兄を殺してしまった。
兄とて、自分が死ぬことを望んでいた。
だから、それを合意の上で再び人を殺す事も止むを得まいと決意したセリシアだったが、今や、その背中は鉛のように重い。
命を奪うという事がどんなことなのかを、改めて知った。
心が痛い。すごく痛い。軽く触れただけで壊れてしまいそうなくらいに痛い。
嗚咽のせいで、うまく呼吸が出来ない。
何度もむせ返り、激しく咳き込み、胃の中のモノが逆流してきそうな感覚を何度も繰り返す。
―――あ。
だけど、その度に、背中を撫でてくれる優しい手。それだけで、だいぶ楽になる。
その手が誰のものかなんて、言う必要なんて無い。
―――ありがとう。
目の前にいる大切な人の身体に抱きつく力を、ぎゅっ、とさらに強くする。
今、この手を、この腕を離してしまったら、二度と会えない気がしてきそうで――怖かった。
目の前の彼は、拒絶も何もしない。
ただ、ゆっくりと優しく背中を撫でてくれる。
それだけで、十分に嬉しかった。




泣きすぎて涙が枯れてきたのか、段々と止まってきた。
だけど、それでもまだ、完全に止まったわけではない。
でも、だからって、泣いてばかりもいられない。
やることが、まだあるのだから。
そう思い、気を強く持とうとした時に、やっと涙は止まった。
まだ嗚咽も残っていて、視界もぼやけて見えている。
だけど、それを我慢して、涙でぐしゃぐしゃな顔を上げた時、そこにあったのはレシュレイの顔だった。
レシュレイのベストは既にセリシアの涙でぐしょぐしょだが、レシュレイはそれを気にも留めていないような、何もかもを許すような優しい表情でセリシアを見つめる。
その口が、ゆっくりと開かれた。
「…無理しなくていいぞ、泣きたかったら、もっと泣いていいんだから…、そして、その為に俺は居るんだから…さ」
「はい…。
 だけど、あまり泣いてもいられません。
 だって、そうしないと、兄さんが安心できないから…」
「そう…か、そう…だったな。残された俺達が、もっとしっかりしないといけないんだったな…。
 …よっ、と…」
そういった後に、レシュレイは立ち上がった。
レシュレイのその顔には、涙の後なんてどこにもない。確かに一緒に泣いていたはずなのに。
その涙が収まったのは、何時の事だかなんて分からなかった。
だけど、この様子を見る限り、おそらく、セリシアが泣き止むかなり前に、レシュレイは泣くのをやめたのだろう。
無論、肉親を失った悲しみが、その程度の涙で収まるわけが無い。
男の子でも、泣きたい時は思いっきり泣いて良いのに。
だが、セリシアと違って、レシュレイはやっぱり男性。故に、彼女の前でそうそう泣いてもいられなかったのだろう。
「…………」
その全てを確認したラジエルトが、今初めて一歩を踏み出して、二人の元へと近づいた。
「…終わった、のか…。
 でも、本当にいいのか?もっと、感情のままに行動しても、泣いても良いんだぞ…誰も否定しないし、馬鹿にもしないし、咎めるわけでも無いんだぞ」
「ありがとう父さん…だけど、今は…」
「うん…兄さんの事、済ませなきゃ…」
ラジエルトの問いかけに、二人は静かな声で答える。
耳が痛くなるほどの静寂が再び空間を支配した。
誰も、何も言えない。
言いたい事が無いのではなく、言いたいのに言えない。
だけど、誰かが言わなくては始まらない。三人とも、それを分かっていた。
――――どれだけの時が経ったか、最初に口を開いたのは、セリシアだった。
「ねえ、父さん…」
まだ涙の後がいっぱい残った顔で、セリシアは顔を上げた。
「ん…どうしたんだ」
「兄さん…の」
「エクイテスが…何だ?」
そこまで言って、セリシアは言葉に詰まる。
だが、言わなくては行けない事だとふんぎりをつけて、再度、口を開いた。
「兄さんのお墓は…どうするの?」
墓、と聞いて、レシュレイは顔を俯かせて、ラジエルトは両手の拳を握り締める。
だけど間違いなく、それは今、ここにある現実だ。逃げてはいけないし逃げれない事だという事を、脳の中ではとうに理解している。
だが、それに感情が追いつかない――。
…それから数秒後に、ラジエルトは悲痛な表情で告げた。
「――――エクイテスが生まれたのは、この『もう一つの賢人会議』だ。
 出来る事ならこの建物の外に墓を作りたいのが本心――。
 だが、下手すれば誰かに荒らされる可能性がある。となると―――やっぱり、俺達の家の近くに作ろうと思う」
ラジエルトのその意見に反論する者は、誰も居なかった。
レシュレイもセリシアも無言で、ただ、頷くだけだった。




レシュレイは一歩、また一歩と踏み出し、エクイテスの遺体へと近づく。
安らかな、満足げな笑顔で眠る兄は、とても満足そうだった。
だけど、本当にそうだったのかと聞かれれば、一言、こう答えるだろう―――嘘だ、と。
エクイテスは言っていた。
死の直前、もっと生きたかったと、確かに言っていた。
普通の魔法士として一生を過ごしたかったと言っていた…否、もし叶うならば、人間として生きたかったと心の中で思っていただろう。
そして、自分達と、家族と平和に過ごしたいと言っていた。
だけど、それら全ては敵わぬユメとなり霧散し、跡形も残らない。




両手でエクイテスの左手を取り、まじまじと見つめる。
死後硬直のまだ始まっていない、その鍛え上げた肉体は、指の一本までたくましい。
鋼の意思を貫き、己の道を信じて突き進み、迎えた最後。
もっともっと、やりたい事があった筈なのに。
――何者かが埋め込んだ『地獄の神のお祝いに』が、全てを壊してしまった。
エクイテスの、未来も夢も家族の絆も失われ、全てが狂わされてしまった。
そう思うと、レシュレイの両方の瞳の端から、一筋の熱い涙が零れた。
二粒の涙はエクイテスの左手に音をたてずに当たり、そのままはじけて消えた。
「……もっと、この手に触れていたかった」
しばらくの間、レシュレイはエクイテスの左手を握り締める。
その内に、横に人の気配。
振り向くと、桃色の髪の少女が、エクイテスの右手を、その小さな両手で握って涙していた。
ぎゅっ、と硬く閉じられた口と、小さな肩が震えている。
ぽろぽろと零れる小さな涙が、エクイテスの右手の掌に当たってははじけて消える。
「兄さん…痛かったですよね…ごめんなさい…」
エクイテスが望んだ事とはいえ、どう言いつくろうとセリシアがやったのは『兄殺し』だ。
だから、それを否定はしない。
その罪を、これから償う。
セリシアは逃げない。逃げていい理由なんて無いのだから――――。




――だから、いつまでもこうしてなんて居られない。
涙を拭ったレシュレイは、エクイテスの左手を強化カーボンの地面に置いて、すくっと立ち上がる。
セリシアもそれに習うように立ち上がり、二人はラジエルトの方へと振り向く。
そして、レシュレイが目の前に手をかざして口を開いた。






「父さん…セリシア…俺達はまだ、やらなくてはいけないことがある。
 俺達が残された事には、絶対に意味がある」







無念を抱えたまま死んだ兄の為に―――やるべき事がある。
その答えに行き着いたレシュレイは、強い意志を込めて叫んだ。







「―――探すんだ。
 兄さんに『地獄の神のお祝いに』を埋め込んだ奴を!!
 たとえ、地獄の底まで追うことになっても―――!!!」







セリシアとラジエルトが、無言で頷く。
二人とも、同じ事を考えていたに違いない。
「私も一緒に探します――探し出して…どうして兄さんがこんな目に遭わなくてはいけなかったのを問いただします!!
 それに、私は…私は―――」
再び目元が緩んだが、涙が出る一歩手前で押し留めて、言葉を続ける。
「私は、兄さんを殺した事が、仕方のなかった事だなんて思いません。
 どう言いつくろっても、罪は罪です…。
 だけど――それでも、私はこの道を歩みます。
 そして、兄さんをこんな目に遭わせたその人を――――斬ります。
 如何なる理由があっても、その人を絶対に許すわけにはいかないんです!!!」
先ほどまで泣いていて、エクイテスの手を握って涙して、今この場でも再び泣きそうだったセリシア。
だけど、今のセリシアの表情は凛としていた。
だが、その目元には、まだ涙の後がくっきりと残っていた。
セリシアは、今でも胸の内から湧き上がる悲しみを我慢して、言っている事がどういう事なのかを理解した上で。また、人を殺すというこの苦しみをさらに味わう事を、全て覚悟の上でセリシアはこの決意を述べた。
それが分かったからこそ、レシュレイとラジエルトは何も言わない。
二人は知っている。
セリシアが、たとえ他人でもその人の死に涙する、優しい少女だという事と、人を殺しても何も恐れない殺戮マシーンと化す訳がないのだという事を。
そして、ラジエルトの口からも言葉が紡がれる。
「そんなの言うまでもねぇ…。
 円満家庭に水を差しやがった不届き者の顔に苦痛を刻み込んでやる…」
目つきを鋭くし、右手の握りこぶしをわなわなと震わせ、怒りを隠さないラジエルト。
当然だ。自分の息子を勝手にいじくられ、あまつさえ、死へと誘わされたのだから。
ぎり、という歯軋りの音。
加えて、握りしめた拳に爪が食い込んで真っ青になり、掌から血が流れていた。
それが、ラジエルトの怒りの全てを表していた。
「俺はこの怒りを決して忘れない。
 そして、犯人をぶっとばすまで、絶対に死ねねぇ…。
 首を洗って待っててやがれっ!!」





そして、最後にラジエルトが歩いて来て、三人がエクイテスの遺体の周りに集まる形となった。
三人は遺体を見つめた後に、各々の行動を取った。
「兄さん――見ていてくれ」
確かなる強い意志を秘めた瞳で、レシュレイは天を見上げた。
「必ず、無念を晴らします――だから、静かに眠ってください」
エクイテスの傍に座り込み、その右手に小さな両手を添えたセリシア。
「親より先に死にやがって…」
そして、消え入るような声で、ラジエルトが呟いた。










―――【 居 る は ず だ っ た 命 の 行 方 】―――
〜THE BUREED&MIRIL&KURAU&INTRUDER〜











そこは崩壊した一室。
元の綺麗さなど微塵も無く、部屋の半分が瓦礫と化してしまった。
強化カーボンの白い壁にかかる、四つの影。
それは、勝者も敗者も存在しない戦いを終えた者達の影だった。
「…ぜぇ…ぜぇ…」
「…終わったんですね…本当に、終わっちゃったんですね…」
「酷く…残念な結果に終わったけどね」
「…もう、言うな」
そのまま、四つの影の主――ブリード・ミリル・クラウ・イントルーダーは強化カーボンの地面に座り込む。
背後にある白い壁に寄りかかり、何をするでもなくぼうっとする。
最後のイントルーダーのその言葉を皮切りに、沈黙が続く。
戦いが終わったという安堵感。
体中が、鉛をつけられたように重たい。
緊張の糸が切れたように、どっと噴き出す汗。
その時、涼しい風が、四人へとやさしくそよいだ。
そのお陰で、身体に安らぎが訪れた。
だが、安らぎは心にまでは訪れては居なかった。
四人の心の中にくすぶっているのは、最後にやっと間違いに気がついて、そのすぐ後に悲劇に襲われた紅い翼の少女の事。
仕方がないと簡単に言い切れるわけが無かった。
だが、ここで言い争っても何にもならないのもまた事実。終わってしまった事は、もう、どうしようもないのだから。
無論、四人はそれを分かっていた。
――分かっていても、割り切る事なんて出来る訳が無かった。
ブリードとクラウは拳を握り締めて静かな怒りを態度で示していたし、ミリルは顔を俯かせて何も言わないし、イントルーダーに至っては悔しげに歯を食いしばっていた。




そんな中、沈黙を破ったのはミリルだった。
「ねぇ…ブリ−ド…」
「ん?」
「私…疲れちゃ…た…寝かせ…て…」
ブリードの隣に座ったミリルが言ったのは、そんな言葉だった。
その顔には疲労がありありと浮かんでおり、触れたらあっさりと壊れてしまいそうだった。
突如、ふらっ、とミリルの体がバランスを崩して、
「え?あ?おい!?」
ブリードの反論にも応じず、瞳を閉じたミリルはそのままブリードに肩を預けてきた。
閉じられた瞳の端から涙が流れていたのを、見逃しなどしなかった。
(辛かったんだな…こんな事になっちまって)
心に浮かんだのはその言葉。
その涙を拭った後に、ブリードは独り言のように呟いた。
そして、知らずのうちに優しい笑みがこぼれた。
「よ、色男」
そのせいで、横から茶々が入った。
「…うるせぇ」
イントルーダーの茶々に、ちょっとむくれた感じで答える。
まあ、実際は単に照れているのを隠しているだけなのだが。
ふう、というため息と共に、ブリードは静かに告げた。
「…なぁ、クラウ、イントルーダー…」
「ん?何かしら?」
「何だ?」
ブリードの声が段々と弱々しくなってきているのを、この時二人は初めて気がついた。
「実はさ…俺も…限界でよ…これ…以上は…」
最後まで言う前に、ブリードの意識は闇へと落ちていった。







――そして、ブリードとミリルは、お互いが肩を預けるようにして眠りに落ちた。







「ちょっ―――」
刹那の間を置いてクラウが駆け出そうとしたところを、
「待てクラウ…大丈夫だ、寝息が聞こえる」
イントルーダーに肩を押さえられて、足を止めた。
言われて見ればその通り、ブリードとミリル、両者から静かな寝息が聞こえる。
「…色々あったんだものね…疲れていても仕方がないわ」
「肉体と精神の両方から来る疲労か…答えただろうな。加えて、あんな事があったんだ…気絶して倒れても無理は無い」
「ねえ、平静を保って入るようだけど、ほんとは、貴方も辛いんじゃなくて?イントルーダー」
「黙っていればいいことをわざわざ口に出すな…それはお前とて同じだろう
 だが、たとえ外見年齢だけでも年上の意地がある。
 弱っているところを見せるわけにはいかないからな」
その言葉には重みがあった。
無論、クラウもイントルイーダーも疲れている。
しかし、疲れているという事を外面に出す訳にもいかない。
それに、まだやるべき事は残っている。
外見年齢だけが年上だと、こういう時にいらない苦労を背負ったりするから損だという考えが、クラウの脳裏に浮かんだ。
疲労を押し殺し、クラウが口を開く。
「それについては、同感ね…。
 じゃあ、イントルーダーは動けるってことでいいかしら?」
「ああ、何とかな。
 …しかし、何故そんな質問をしたんだ?
 …はっ、まさか、これだけ疲れているにも関わらず、まだもう一仕事やらせる気か?」
嫌な予感がしていたが故に、イントルーダーは半分とぼけた感じで答えた。
そしてその嫌な予感は的中する。
「鋭いわね、流石は『管理者』ってところかしら。
 ええ、あなたの言うとおり、まだ一つ、やりたいことがあるのよ」
破顔一笑。何の後腐れもなく、クラウは笑顔であっさりと言い切った。
それで、イントルーダーは諦めた。
もう何を言っても無駄なのだと、直感と経験で感じ取れたからだ。
だから、ここは素直に従っておくことにする。
「この場合、『管理者』云々はあんまり関係ないと思うが――寧ろ人間の持つ第六感と言う奴で察知したってのが正しいな…で、そのやりたいことって言うのは一体何なんだ?
 大前提として、I−ブレインを使わない事にしてくれ。それなら基本的には大丈夫だが…」
「ああ、その条件は十二分に満たしているわ。
 だって、もう皆してI−ブレインが強制停止しちゃっているから、I−ブレインが使える訳が無いじゃない。
 で、肝心の内容なんだけど、それはね…」








「ふぅ…」
ため息をつきながら、イントルーダーは歩いていた。
無論、クラウのいう事に従ったが故である。







「―――今から、シャロンを探しに行くのよ」







クラウの口から出たのは、そんな言葉だった。
今からあの深い溶鉱炉の底まで行くのだと考えるだけで憂鬱になる。
だが、今更何を言っても意味なんてない。賽は投げられたのだ。
何より、イントルーダーにはクラウに逆らえない理由がある。
それは、つい数日前に、イントルーダーはクラウの着替え中にうっか…
――思い出そうとして頬が紅潮した。
だが、何とか感情をコントロールして、クラウにそれを悟られないようにする。
悟られたが最後、容赦なくぶちのめされるのがオチだ。
その為にも、呟くように喋る事で話を逸らした。
「いくら低くても可能性に賭けろ…か。
 先人が残した言葉だが、まさか実践する羽目になるとは思わなかったな」
「人生なんてそんなものでしょう。
 諦めない事こそが、人間がいつ如何なる時になっても忘れてはいけないものよ」
「ああ、特にこの場合なんかはな…。
 そうそう、知っているか?
 五体満足でありながら絶望しながら生きるのと、病気をしていても希望を持って生きる者…どっちが幸せだと思う」
「そんなの決まっているでしょう…答えは後者。
 そして、そうやって希望を抱いて生きている人は、医者もびっくりするほど病気が速く治っていくんですって」
「そう、その通りだ。
 そして俺が言いたいのは…」
「今のこの状況が、それと同じだと、そう言いたいんでしょう。
 シャロンは死んでない、絶対に生きている。
 そう信じて探せばきっと見つかるって」
「正解…ってとこだな。いつの時代も、希望は失うもんじゃない」
「お褒めいただき光栄です…って答えればいいのかしらね。
 あ、そうそうイントルーダー」
「ん?」
「そんな事で話を逸らそうなんて、無駄ですからね。
 女ってのは、そういう事は覚えているんだから」
反射的に、イントルーダーは舌打ちをした。
―――どうやら、イントルーダーの思惑は、最初からばれていたようだった。









―――『いくら低くても可能性に賭けろ』
イントルーダーのその言葉は、今のクラウにはかなりありがたかった。
I−ブレインが強制停止してしまった今、クラウはただの二十歳の女性でしかない。
I−ブレインが起動していなくとも、まだ肉体は動けるのが救いか。
しかし、外傷こそ浅いが、戦闘で溜まった疲労の方はピークに達しており、気を抜けばすぐにでも倒れてしまいそうだった。
だが、目の前にそういった形だけでも希望を持っておけば、身体を動かす事は可能だ。
なら、力尽きる前に動けるうちにやれることをやっておこうと思った。
故に、イントルーダーとクラウは残った力を振り絞り、シャロンを探しに向かうことにしたのだ。
無論、可能性の大部分は嫌な方向で固められている。
だが、僅かな希望を抱いていたのもまた事実。
出来れば、希望の方が敵って欲しいと思ったのは言うまでもない。














その内に、今は使われていない溶鉱炉の最深部に到達した。







結果的には、ある意味では絶望は回避された。


















――――シャロンの姿が無かったから。


















…一瞬、目の前で起こっていることが信じられなかった。
「どういう…ことだ、何で、シャロンの姿が見えないんだ…」
「そんなの…私が聞きたいくらいよ」
予測だにしない事態に、二人は困惑する。
そう、シャロンの姿が『無かった』のだ。
溶鉱炉の中は酷く寒い。このままでいたら風邪を引いてしまう。
空気の乱れも、人の気配も何も無い。
ただ、静かな静寂だけが辺りを支配するだけ。
周り全てが無機質な機械的閉鎖空間。
この空間には、名実共に何者も存在しない。
だが、それ故に断言できる事が一つだけある。
それは、シャロンがあの巨大な柱の下敷きになった訳ではないということだ。
仮にそうであれば、赤い血の後などが生々しく残っているはず。
だが、血の後は元より、肉片も骨も何も無いという事は、少なくともシャロンがまだ死んでない事を確認するには十分な要素だった。
それに、そんな事にならなくて本当に良かったと思うし、見たくも無い。
しかし、しかしだ。
それはつまり、ここでまた別の問題が生じるという事でもある。
「…シャロンは、どこに行ったんだ?」
その問題を、今まさに口にしたイントルーダー。
「…おかしいわよね。
 シャロンが私達の目の前から姿を消す理由なんて無いはずなのに…」
首をかしげて疑問の意を露にするクラウ。
クラウの言っていることは合っている。実際あの時、シャロンは言った。生きて償うと、確かに言った。
ふと隣を見ると、イントルーダーの顔色が少しばかり青ざめているのを確認。
「…まさか、未だに俺達に負い目を背負っているんじゃないだろうな…。
 何せ、シャロンがやってしまったことは…」
イントルーダーの口から出たその言葉は、とても冗談とは思えなかった。
先の戦闘の件でシャロンが思いつめていたならば、その身を隠す理由としては理屈が通っている。
何より、自分達が納得していても、当のシャロンが納得していない可能性もあるのだから。
「イントルーダー、そういうのは思っていても口に出さないほうがいいわ…」
「…と、すまない」
「それよりも、この辺りをくまなく探してみましょう…もしかしたら、何かあるかもしれないじゃない」
今のクラウでは、その顔に浮かんだ焦りを隠すことは出来なかった。







結局、その後いくら探しても、シャロンはどこにもいなかった。
だが、収穫が無かったわけではない。
「一体何処に…ん?
 イントルーダー!!あれ!!」
何かに気づいたクラウが指差したのは、この溶鉱炉の非常口。
その周囲にはまだ新しい雪が残っていた。
そのま近くに聳え立つように存在する分厚い鋼鉄の扉が、溶鉱炉と外とを遮断しているのを理解した。だが、その付近には黄色い丸い小さなスイッチが存在している。
どうやら、見るからに重そうなその扉は、近くのスイッチにより開くらしい。成程、これなら非力なシャロンでもここから出ることが出来る。
「…ってことは、シャロンはここから出て行ったのか…」
「これ以外に何も見つからないとなると、そう考えるのが妥当みたいね…で、何してるのイントルーダー?」
見ればイントルーダーは雪に手を振れ、軽くかき回している。
が、すぐにクラウの方に振り向き、立ち上がった。
「…何、ちょっと面白いものがあったのでな」
「面白かったって…雪が?」
「違う…まあ、まずは上に戻ろう。話はそれからだ。
 ここは寒い。凍え死ぬ前に脱出したいものだ
言うな否や、イントルーダーは歩き出す。
「あ、ちょっと、待ちなさいよ!」
その後に、クラウも続いた。










そして、解決されないまま、一つの問題が残った。
―――シャロンはどこから姿を消したのか?
その疑問は、とうとう答えが出ることは無かった―――。
















―――【 一 人 の 少 女 が 残 し た 答 え 】―――
〜THE RON&HINA〜
















「傷――――これくらいで大丈夫か?」
「あ、はい―――痛ぅっ!!」
論がなんとなしにぽん、と手を置いたところに痛みが走り、ヒナは反射的に顔をしかめた。
「す、すまない…」
「いえ…わたしが大げさすぎたんです」
お互いがお互いに対して気を使っている。
今のヒナには、あちこちに包帯とバンソーコーが張られていた。
論のI−ブレインが一向に再起動してくれない為に『リジェネレート』の発動はもう少し後回しとなった。
背中の傷の為に、論の胴体には包帯が巻かれている。
ヒナは『同調能力』を持ってはいるが、いかんせんヒナ本人がダメージを負いすぎていた。これでは何の意味もない。
仕方がないので、ちょっと辺りを探してみたところ、幸か不幸か応急セットが見つかった。
それは、最後の戦いの前に、シュベールがヒナを手当てした時に使ったものだった。
シュベールが何のために応急手当セットを準備していたのかなんて、今となっては明白だ。
でなければ、ここまで手酷くヒナを傷つけていない。
一部、再生が不可能な傷があったのは、シュベールがヒナをマザーコアにされない為に、敢えて深い傷を残したと考えるのが妥当かもしれない。
ちゃんと直せる準備があったからこそ、シュベールはあそこまで偽りの仮面を被りとおす事が出来たのだろう。
その内に痛みが治まり、ヒナは口を開いた。
「…論…あのね」
「…分かってる。シュベールの事だろ…」
「はい…シュベールは、あんな形だけれどもわたしを助けようとしてくれていたんです。
 論としてはシュベールを許せないかもしれないけど…それでもわたし…わたし…」
ヒナが言いたい事は分かる。
分かるからこそ、論は答えた。
「シュベールの遺体…の事だろ」
知らずのうちにひっかかるような答え方になってしまった。
だが、それも仕方がない。そもそも、何の情緒も迷いも無く口に出せる話題ではないのだ。
同時に、『遺体』という単語を聞いた一瞬だけだが、ヒナがびくりと身をすくませた。
だが、次の瞬間には心と身体を落ち着かせて無言で頷く。
「安心してくれ…手厚く、埋葬してあげるから」
その言葉で、今まで影のあったヒナの表情が、少しだけ明るくなった。
「それにさ…」
一呼吸置いて、論は口を開いた。
「シュベールには、オレも感謝しているんだ。
 ―――確かにシュベールの行動は、一般的に見れば決して正しいとは限らない。
 悲しいけど、それもまた覆せない事だ。
 …だけど、それでも…」
ここで一旦言葉を切って、続けた。
「――それでも、シュベールは戦っていたんだ。
 どうしようも無い事だって分かっていても、決して抗えない事だって知っていても尚、戦っていた。
 そして今、結果がここにある。
 …シュベールは死に、オレが、そしてヒナが生き残った」
「うん…。
 だけど、だからって、わたしが居なかったら良かったなんて決して言わない。
 だって、そんな事で済むような問題じゃないし…何より、それはシュベールの想いを踏みにじるような事だから…」
それを聞いた論は、後味の悪そうな顔をした。
「参ったな…言おうとした事を先に言われてしまった…。
 だけど、ヒナのいう事は正しいとオレも思う。
 ――何より、シュベールは、出来た筈だった。
 ヒナを見捨てて、オレと一緒になって、死ぬ直前まで自分の幸せの為に生きる事だって出来たはずだったんだ。
 いや、普通の人間なら、他人を蹴落としてでも自分の幸せを優先しようとするのが当たり前なんだ。特に、こんな世界ではな。
 だけど、シュベールはそれをしなかった…何故だと思う?」
その答えなんて、決まっている。
だから、ヒナは答えた。
「…それについては、わたしはこう思うんです。
 シュベールは、自分の未来も望みも全部捨てたんです。
 残り少ない命と知っても尚、自分の事よりわたしの事を優先したの…。
 残されたわたしに、未来の全てを託したんです」
「―――そうだ。
 少なくとも、オレはそう思っている。
 シュベールには、正しいとか正しくないとか、そういう事なんて一切関係なかった。
 自分の命を捨てて他の誰かを庇って、そして最後に恨み言も何も言わないで、笑って死んでいった。
 …おかしいよな。恨み言の一つや二つ、こっちとしては言われて当然なのに…。
 だけどそれが、シュベールが自分が信じたモノのために戦ったって事だったんだ…。
 それと…いいお姉さんを持ったな…ヒナ」
「…はい。
 シュベールは…わたしの…わたしのたった一人の、本当はとっても優しいお姉さんです…」
瞳の端に涙を浮べて、ヒナは泣き笑いの顔で頷いた。
それを見届けた論が、続けた。
「だから、絶対に探そうな…シュベールに『処刑の乙女』を埋め込んだ奴をな…」
「…はい、絶対に…です」
そして、二人の新たな目的は、今決まった。











* * * * * *











結果的に、この戦いに参加した者達は、『もう一つの賢人会議』を舞台とした戦いの間へと一堂に集まったことになる。
それは偶然だったのか、それとも必然だったのか。
今となっては、もう分からない。









――そして戦いは終結し、それぞれが帰るべき場所へと帰っていく。









ブリードとミリルは、シティ・神戸跡地付近のプラントへと戻った。
ちなみに、とある戦いの中で知り合った錬とフィアは、シティ・メルボルンに向かうという事で家を留守にしているという話らしい。
「まあ、あのプラントに盗んでも金になりそうなものは無いと思うんだが、一応、留守番はしておかないとな」
とはブリードの弁である。






クラウとイントルーダーは、忽然と姿を消した。
ただ、手紙だけは置いていった。
その手紙によると、二人は、どこかへと消えたシャロンを探し出すために世界を周ってみる。との事だ。
とりあえず最初はフランスの辺りへと向かうと書いてあったので、そう心配する事もないだろう。
あれだけの強さを持っている二人だ。喧嘩を売る愚か者がどれだけいるだろうか。







論とヒナは、レシュレイ達と一緒にシティ・メルボルンのラジエルト宅にて住む事となった。
戦いの中で知り合い、戦いを共にした者達。
そして五人は『仲間』になれた。
エクイテスを失った空白を埋めるとか、そういう意味ではない。
ただ純粋に、この戦いで知り合えた。それ以外に理由は要らない。


「論と最初に出会った頃はこうなるなんて、思いもしていなかったな。
 見知らぬ者との協力関係というのは、大抵がその場限りだと思っていたんだが…今回ばっかりは例外だったらしいな」
「それはオレもだ…しかし、」
互いに握手を交わすレシュレイと論。


「ヒナちゃん、これからは一緒に住めるんですね」
「はい、わたし、今まで殆ど一人ぼっちだったんです。
 だから、皆さんと一緒になれて嬉しいです。
 …あ、あれ?何だか涙が…」
「あ、はい、ハンカチをどうぞ」
「は…はい」
手渡しされた白いハンカチで、ヒナは目元の涙を拭う。
セリシアは何も言わずに、その光景を見ていた。


ヒナの様子を見ながら、セリシアは思っていた。
(…私に妹が居たら、きっとこんな感じなんだろうなぁ…)
そう考えると、自然と頬が緩んでいた。


「ったく、うちはいつから孤児院になったんだか…」
苦虫を噛み潰したような顔で頭をかきながらぼやいたラジエルトだったが、心の中ではそうまんざらでも無いようだ。








* * * * * *









税関を抜けて分厚いゲートをくぐると。激しい喧騒が耳に飛び込んできた。
「やっと…戻ってきたな」
「生きて戻れる保障も何も無かったから、尚更そう感じるのかもしれな…」
ラジエルトの言葉に相槌を打つレシュレイ。
だが、その相槌は、彼が絶句した事により途中で止まる。
次の瞬間、五人が発した言葉は、全く同じ言葉だった。






「「「「「―――え」」」」」







――全く同じタイミングで、その瞳に写ったシティ・メルボルンの事態の酷さに驚愕した。
それを比喩にしてみるならば、第二次世界大戦後の日本という言葉がしっくり来るだろう。
瓦礫と化した数々の建物。
あちこちで点滅する警報ランプ。
アスファルトの道路にこびりついている幾多の血。
崩壊した建物の僅かな隙間から這い出る硝煙。
休む暇無く動き続ける軍の関係者。
嗚呼此れ即ち地獄絵図に候。
救急車とパトカーの赤いランプは絶えず周囲を赤に染め続け、途切れる事の無い指示と叫び声が当たり一面を支配する。



―――それら全てを合わせた時、何が起こったかを理解するには、そうそう時間はかからなかった。




「…う」
「か…は…」
顔面蒼白となった少女二人が口元を押さえて、その場に弱々しく膝をつく。
「ヒナっ!見るなっ!!」
「…父さん、急いでこの場を離れよう!!」
二人の少年がすぐに動いて、それぞれのパートナーの傍らへと歩み寄る。
最後に、レシュレイの声を聞いたラジエルトが無言で頷き、左側の通路を指差して駆け出す。
「…大丈夫か?立てるか?」
エメラルドグリーンの髪の少女の背中を擦りながら、黒髪の少年が少女の顔を上から覗き込む。顔でカバーする事により、目の前で起きている惨劇を見せないためにだ。
「…はい、な、何とか…」
「無理はするなよ」
「…はい」
エメラルドグリーンの髪の少女は立ち上がり、惨劇を見ないように意図的に視線を逸らしながら、黒髪の少年に肩を借りて、おぼつかない足取りでゆっくりと駆け出した。
セリシアだが、レシュレイが傍らに歩み寄ったその時に、ゆっくりと立ち上がった。
だが、その足はまだ震えており、無理をしていることが見て取れた。
「…大丈夫…ちょっと、眩暈がしただけで…」
だが、俯いたままのその顔はヒナ同様蒼白で、大丈夫などという言葉とはかけ離れたもの。
その瞬間、セリシアが、あの血を見て何を思い出したのかをレシュレイは察した。
彼女にとっては忌わしき記憶。シティ・マサチューセッツの刺客を大量虐殺してしまった時の――――――。
(―――いや、あの時と同じ思いを、これ以上させてなるものかっ!!)
セリシアに気づかれぬように首を振り、凛とした表情で、心のうちで決意。
「…まず、ここから離れるぞ」
心境を悟られぬように低い声でレシュレイはそれを告げる。
レシュレイの肩を支えにして、セリシアは立ち上がった。それを十二分に確認してから、レシュレイは駆け出す。
セリシアは無言で頷き、駆け出したレシュレイに続いた。





あの後、軍の関係者に聞いたりして情報を集めたところ、メルボルン跡地でモスクワ軍が戦闘を行い、町に相当の被害が出たという事だった。
魔法士達の脳内時計が『十月十日』を告げる。
という事は、戦闘からそれほど時間は絶っていないということだ。
モスクワ軍はメルボルンに隠れていたある魔法士を捕らえるために戦闘を行い、結果、第一階層の五分の一が大破。
だが、既に犯人は逃走し、今では世界の何処にいるかすら分からない。
――不幸中の幸いなのは、ラジエルトの家は被害地から離れていたために無事だったことか。
だが、軍の一部の部隊が戦闘から一ヶ月近くがたった今でもメルボルンに駐留して何らかの作業を行い、町は現在、外部からの避難民を受け入れる事は不可能だと言われた。
その後ろで、不安に駆られたヒナが肩を抱きかかえたが、ラジエルトは論とヒナの事を『従兄弟』という形で無理矢理ごまかし、三人は我が家へと、二人は新たな家へと帰ってきた。



















―――それから、二日の時が過ぎた―――



















シティ・神戸付近のプラントにある、ブリードとミリルの家。
形状としてはマンションのそれに近い。故に、二人は別々の部屋で暮らしている。
で、ミリルの部屋の中が、今日は珍しくドタバタしていた。
「ねえ、ブリード」
その手に厚みの無い本を五冊ほど抱えた状態で、ミリルが口を開いた。
「何だ?」
雑巾を動かして、テーブルの上の黒っぽい液体を拭き取っているブリードが返答。ちなみにその液体は、容器が破損して零れた醤油である。
「何で、帰ってきて早々にこんな事しなくちゃいけないの…」
ため息一つ、ミリルは手に持った本を元あった所へと背伸びして戻し、今度は赤い表紙の分厚い本を取ろうとして…重くて持ち上がらないのでブリードに任せることにした。
ちなみにその本には金の刺繍で『現代国語大辞典』と書かれている。
「…文句は俺じゃなくて地震に言ってくれ」
そのブリードの声に混じっているのは諦め。口を動かすと同時に手を動かし、ミリルが持ち上げるのを諦めた『現代国語大辞典』を手に取り、気合の入った声と共に両手に力を入れて持ち上げて、本棚の一番下の段へと突っ込んだ。



今、二人がやっているのは、家の中の掃除である。
言っておくが、掃除をほったらかしていたわけではない。お互い一人暮らし故に、掃除は定期的にちゃんとやっている。
では、何故こんな状況になっているのかというと、今回の事件は『自然現象』の仕業だったのだ。
ブリードとミリルがシャロンと戦っている間に震度四の地震に襲われたらしく、家の中はめちゃくちゃだった。
破損した家具や食器こそ無かったものの、本棚の本のほとんどが床に散乱していたり、テーブルの上の醤油なんかが零れていたりと、あちらこちらで小規模な惨劇が起こっていた。
相手が地震では逆らえないし、怒りの矛先を向けても意味が無い。
そんな事より、家の中を片付けるために、二人は行動を開始したのだった。



「えーと、これはこっちでこっちがここで…」
「とりあえず本はこれでだいじょ…ん?何だこの封筒?」
「あっ!!駄目――っ!!」
「…どらどら…ってヘソクリかよ!!お前は何処の主婦だ!?」
「だってー、ちょっとやってみたかったんだもん…」
「まあそれはいいとして………うわ、台所の下の砂糖が零れていやがった!!買い替えなきゃいけねぇじゃねぇか!!」
「わーん!お米の袋に湯のみ茶碗の入った箱の角が刺さってる―!!!」
「冷蔵庫の中身がめちゃくちゃじゃねぇか―――って、残った料理がありえない組み合わせでドッキングしてバイオハザード作ってやがる!!問答無用で捨てるぞこんなもん!!」
「洗濯機の近くの洗剤がぐちゃぐちゃだよ―――っ!」
「ああもうどうなっていやがるんだコレ――――っ!!!」







――この長い片付けは、当分終わりそうに無かった。







でも、それでも二人は思う。







生きて、現実に、自分達の家に生きて戻ってきたんだ―――と。














主を失った『もう一つの賢人会議』の一室に、二人の男女が立っていた。
紫の髪の男と、蒼色の髪の女。
紫の髪の男が目の前のディスプレイを見ながらコンピュータのキーボードを打ち込み、蒼色の髪の女が隣のディスプレイを見つめる。
めぐるましく変化する画面に写る『処理完了』の文字。
同時に、二人は安堵の一息を衝いた。
「―――とりあえず、まだパスワードこそかかっているが、解き明かされていないブラックボックスのデータ転送は完了したか…しかし、全く持って膨大な量のデータだな…。これ全部解析するのにどれくらいの時を必要とするんだか分かったもんじゃないな」
「愚痴りたい気持ちは私だって同じだけど、ぐだぐだ言っていたって何にも進展しないでしょう。
 ―――さっさと解析に取り掛かりましょう」
「ああ、もしかしたらこの中に、シャロンが何処へ行ったかを探す手がかりがあるかもしれないからな。
 俺達は諦めない。諦めたら、あいつらに合わせる顔が無い」
戦いの終わりと共に姿を消した、茶髪のポニーテールの少女。
忌むべき能力によって『堕天使』と化し、今は動いていない溶鉱炉に落ちた後、何故か忽然と姿を消した。シャロンという名の少女。
二人は、シャロンについては殆ど知らない。
そして、シャロンの事をよく知っている『あいつら』である二人は、もう、この世にいない。
だから『もう一つの賢人会議』のコンピュータ内に何らかのヒントが無いか、探しに来たのだ。







そしてこれから、難解なデータの解析作業が始まる―――。
その先に待つ結果が如何なるものかなんて分からない。
――にもかからわず、
「――嬉しそうだな。クラウ」
「ええ。だって、物事は難しいほうがやりがいがあるでしょう」
「ふ…違いない」
これから難題に挑むというのに、二人の顔には笑顔が浮かんでいた。
それは、明日への希望を見出せているものが浮べられる笑顔。









―――そう、まだまだ、絶望には早すぎる。
ヒトがそれを探すのを辞めない限り、希望は失われていないのだから。


















形と結果はどうあれ、戦いは終わりを告げ、生き残った者達は、いつも通りの日々に戻ってきた。
今の世界情勢に前進も後退も進化も退化も無い。
だが、人の人生はそれでも進んでいく。
一日、また一日と、前へと進んでいく。
命は限りあるもの。永遠など無い。





まだまだ、解決すべき問題はいっぱいある。
それらは、多くの人間の一生をかけても解決出来るか分からない。
だが、それでも前に進まなくてはならない。
後ろを振り向いても、思い出しか見当たらない。
目の前に立ち込めるのは、一寸先も見えない闇。
いつ死ぬか分からない人の身で、不安定な人生を送るしかない。
何が起こるか予測もつかない。











―――だからこそ、人生は楽しいのだ。











シティ・メルボルンから見上げる空は、今日も変わらぬ天気のままだ。
「どうしたレシュレイ、ぼうっとして」
朝食を終えての休憩中、窓辺に腰掛けて空を見上げているレシュレイの姿を見かけ、論が口を開いた。
「いや―――この空は、いつ晴れるのかと思ったんだ」
「空が晴れる時…か。
 その前に、人類がこのまま滅びるのかもしれないかもな。
 だが、それはお断りだ」
続けて、論も空を見上げる。
見上げる際に、二つの石碑が目に入った。
『もう一つの賢人会議』が生み出した、悲しき犠牲者達の眠る墓。
刻まれているのは、最後まで己の想いと信念を貫いた少女と、最後に家族になれた男の名前―――。
「…ッ!!」
「…」
二人は無言で視線を逸らす。
だが、数秒後には再び視線を戻し、
「…この現実から逃げるわけにはいかない。そうだろ、論」
「…ああ、全く持ってその通りだ」
二つの石碑に向かって、誓うかのように言葉を告げた。






未だ混沌としている、鉛色の黒に覆われた、太陽の昇らない灰色の空。
絶望の象徴たる、光の無い世界。
だが、コンクリートの隙間に雑草が生えるように、人々の希望が潰えたわけではない。
少しの沈黙の後に、もう一度空を見上げて、レシュレイは口を開く。
「――せっかくこの世界に生を受けて来たんだ。
 可能性を信じて、頑張るしかない―――そうだろ」
「そうだな――。
 そして、俺達は生きている。
 悲しませたくない、大切な人も傍に居る」
「加えて、オレには償うべき人も居る。尚更死ねないさ」
「―――まあ、お互い、しっかりやろうな」
「分かってるさ」
そうして、二人は灰色の空へと視線を向けた。
少しの間、沈黙が訪れて、
「レシュレイ――論さん――、台所のお片づけ手伝って―――っ」
その三秒後に、台所からセリシアの声。
エクイテスを殺した後に、悲しみに暮れていたとは思えないほどの明るい声。
だけど、レシュレイを初めとする皆は知っている。
その声が、周りに気を使わせないための、精一杯の努力だという事を。
心の中ではとっても辛いのに、それを表に出さない気丈さ。そこが、レシュレイがセリシアの事を好きになった要因の一つなのだ。
ちなみに、親しみを込めて、セリシアは論の事をさん付けしており、ヒナの事をちゃん付けしている。
「って、ああっ!ヒナちゃん!?」
「きゃああっ!お、お皿が滑っちゃいますっ…やっ、とっ、とと…」
「頑張って!!今私も押さえるから…あっ、せっ、洗剤のせいで滑っ…」
「きゃ―――っ!!お皿が花瓶にぶつかっちゃうです!」
「右にもってっちゃダメ―――ッ!!左に移動させて!」
「は、はい!!
 …って、左にはたくさんの箱があります――っ!!」
ちなみにその箱の中身は、殆どがいらないものだ。家族が二人増えたせいで、部屋の片付けなんかをしていたら、いつの間にかこうなってしまっていたのである。で、めんどくさいので箱片づけを今の今まで放置していたのだ。
念のために言っておくと、もちろん一人一人の部屋は別々である。
「何で誰も片付けていないんですかっ…あ、いけないっ…!!」
「も、もうダメ―――っ!!」
…何が起きているかは、明白。
額に手を当ててふぅ、と息を漏らしたレシュレイが、台所の方へと振り返り、
「――――行くか、大参事が起きる前に」
その声に答えるように論も頷き、
「ああ、そうだな…全く、退屈しない」







そのまま、二人は駆け出した。








―――台所への道を走りながら、論は考えていた。
シュベールと戦っていたあの時に、論を励ますように聞こえた少女らしき声。
透き通ったように綺麗でいて、それでいて可憐な声だった。
男にあんな声は出せるはずが無いから、少女の―――少なくとも女の声だと思って間違いないだろう。
結局、あの後もそれらしい人物は見当たらず、論の心の中に疑問を残している。
ただ単に脳内に仕組まれた何らかのプログラムだったのか、それとも―――。
だから決めた。
あの声の主と思える少女を、これからの人生で探し出すんだ、と―――。
「見えてきたっ!」
横を走るレシュレイの声で、意識が現実に引き戻される。
二人はそのまま、台所への扉をくぐった。























―――空は今日も、灰色のままだけど―――











―――いつかこの世界に、青空が戻ってくると信じている―――













―――だから、人々は前を向いて生きる―――










―――いつか起きる、奇跡の為に―――











――――そして、例えその時に出会えることが無かったとしても―――













―――その人にとって一度きり、死んだらそこまでの、世界に一つの人生を、悔いの無いものにする為に―――































『DESTINY TIME RIMIX』―――――END

























―【 お ま け の キ ャ ラ ト ー ク 】―















ノーテュエル
「…っ!!
 長き…長き時を経て…今…全てが終わりました―――っ!!!」
ワイス
「初めて書いてから、色々と修正を加えて、おおよそ二年半もかけて、やっと一つの物語が終わりましたよね」
ゼイネスト
「戦いは終わりを告げ、後に残るのは後始末のみ。
 そして皆は、それぞれの生活へと戻っていく。
 締めくくり方としては、これくらいがいいんじゃないのか?」
ワイス
「まあ、本当はもっと色々なパターンがあったらしいのですけどね。
 だけど、色々と考えた結果、こうなったらしいですけど」
ノーテュエル
「没になったEDとしては、私達の復活があったのよね」
ゼイネスト
「だが、それをやると白けるだろうから没にしたってことだ。
 元より一つしかない命だ。それがあっさりと生き返ったりなんかしたらどうなる」
ワイス
「…生命の尊厳も命の大切さも無くなってしまいますね。
 死にたくないのに死んだ、全ての人間に失礼では」
ノーテュエル
「…珍しく三人の意見が一致したわね…。
 まあいいか、最後だしね。
 んで、後言いたい事って何かある?」
ワイス
「…そうですね…一体、シャロンは何処へ行ったのでしょうか?」
ノーテュエル
「シャロン…」
ゼイネスト
「くそ…俺達がついていれば…今まで何度も言ってきたし、今更いっても仕方がないって分かっているんだが…。
 それと、イントルーダーの行動も気になるな…一体、何で雪なんか触っていたんだ?」
ノーテュエル
「案外、あの雪の中に何か混じってたりとか?」
ゼイネスト
「…まあ、その辺は明かされるまで待とうじゃないか」
ワイス
「お次は?」
ノーテュエル
「…うーん、新たなキャラ達とか?」
ゼイネスト
「また吹っ飛んだ疑問だな」
ノーテュエル
「だって、気になるものは気になるじゃない。
 特に、作者がどこかで公言したゴスロリ少女とか」
ゼイネスト
「あ、その件だが、ゴスロリでも外見年齢は十九そこいらとか言ってたぞ。
 何でも、作者曰く、セラみたいに十歳児とかを戦闘に参加させるとかはやりたくないらしい」
ノーテュエル
「十歳児ならシュベールの妹、リリィ・エルステードが居たんだけどね…。
 ( ゜д゜)ハッ!
 まさかリリィが死んだのって…」
ワイス
「さてさて、その件はそこまでにしておいて、と」
ノーテュエル
「あ、後、他に登場予定の魔法士は―――『闇使い』らしいわね」
ワイス
「…何か聞いただけで身震いするんですが…」
ゼイネスト
「その『闇使い』だが、敵か味方か――それすらも不明とか」
ノーテュエル
「まあ、もしかしたらこれから『賢人会議』側に関わるキャラが出てきて、シティ側のキャラと敵対したっていう流れになってもおかしくないわね…いずれにしても、目が離せないと考えたほうがいいみたい。
 でさ、他には?」
ゼイネスト
「いや、今のところは無い」
ワイス
「同じく」
ノーテュエル
「なら、宣伝といきましょうか!


 ついに物語の場を後編へと移し『FINAL JUGEMENT』が展開されます。
 一部の本家キャラと、『もう一人の魔術師』を初めとした新たな魔法士達すら世界を渦巻く運命に巻き込み、物語はどこで決着をつけるのか!?

 ――って感じでいいのかな?」
ゼイネスト
「八十点」
ノーテュエル
「え!?ウソ!?」
ゼイネスト
「三百点満点で」
ノーテュエル
「…ふっざけるなぁ――――っ!!!」
ワイス
「…えーと、話を進ませていただきますね。
 『もう一人の魔術師』は、間違いなくあの人でしょうね…」
ノーテュエル
「っと、脱線するところだったわ!!話に乗り遅れるわけにはいかないのよ!
 んー、それ以外にも―――」
ゼイネスト
「数々の未知の存在が居る…果たして、その者達はどんな出会いを…」
ノーテュエル
「って、人のセリフ取るなぁっ!!」
ワイス
「ナイスな乱入ですね」
ゼイネスト
「タイミングは心得ている」
ノーテュエル
「心得るなっ!!
 それと、なによその団結力は!!」
ゼイネスト
「気のせいだろ」
ノーテュエル
「どう見ても意図的じゃないの!!」
ワイス
「ふう、結局最後まで、僕らは僕らのままですね…。
 死んでから、何かが変わるかなーと密かに期待していたんですが…」
ゼイネスト
「三つ子の魂百まで。
 ヒトを構成する人格や性格なんてものはそう簡単には変わらないし、変わったら変わったらで、そいつが偽の人格を演じていたが、よほど自分に自信の無い弱虫だ」
ノーテュエル
「相変わらずのキッツイお言葉で」
ゼイネスト
「お褒めに頂き光栄だ(棒読み)」
ノーテュエル
「この話題はここまでで良し…。
 ―――後は、この物語と出来の悪いキャラトークを読んでくれた、目の前に居る皆様に感謝の言葉を述べなくちゃね。
 んじゃ――――、




 ――――ここまで読んでくれた皆様、どうもありがとうございました!!そして後編『FINAL JUGEMENT』でまたお会いしましょう!!
ゼイネスト
「うむ、綺麗にまったな」
ワイス
「では、幕を下ろすスイッチをぽちっと」

…ンゴゴゴゴゴゴゴゴゴ(幕が閉じる音)

ゼイネスト
「…待て、何だか幕が下りるのとは違う音がしているんだが」
ワイス
「あ、これシャッター閉めるボタンだった…」
ノーテュエル
「なんでこんなところにシャッターなんか常備してんのよ!」
ワイス
「火災用のシャッターですよ…と、今度こそ正解のボタンを…」

…スーッ(今度こそ幕が閉じる音)

ノーテュエル
「ああ、此れでお別れなのね〜〜!!でも泣かない!きっとまた会えるから!!」
ワイス・ゼイネスト
「それでは、紳士淑女の皆様方、しばしの別れを」













<END!!>








FOR NEXT STORY―――――『FINAL JUGEMENT』










<作者様コメント>







本作、未来を捨てて死に走った者が多いのではないか、と思う方もいらっしゃるでしょう。
ですが、その者達は逃げたのではありません。
生きている事の方が、辛い事もある―――と、誰かが言っていた気がします。






正直、作者はこの考えに対しては否定的です。
死ぬくらいなら生きて詫びろというのが基本的思考。
でも、実際そんな思いをした事の無い作者に、これを否定できる要素が無いのもまた事実。
償いきれないほどの失敗は、犯してしまったものにしか分からないのだと思うのですから――――。


―――さてさて、最終話なのに何やら暗い話になっちゃって失礼しました。
宣言通り、物語の舞台を『FINAL JUGEMENT』へと移動させて、決着をつけるための物語が展開されます。



<作者様サイト>
同盟BBSにアドレス載せてるんでどうぞー。ブログですが。


◆とじる◆