止むことを知らない吹雪が、灰色の世界を彩っている。
フライヤーから降りて一歩を踏み出すと、右足が積もった雪の中へとずぶずぶと沈んだ。
が、完全に沈みきることは無く、足元から八センチくらいのところで沈むのが止まる。すぐに脱出を図った後に、今まで歩いていたところを振り返る。
白い雪が、降り積もった先から風に飛ばされて平にならされていき、先ほどの足跡を綺麗に埋めつくした。
まるでその様は、自然が作り出すゲレンデのようだ。と、デスヴィン=セルクシェンドは思った。
昨日、眠りにつく前に散策範囲を広げてみようと思ったのが、そもそもの始まりだった。
こっちに来てから早速、過去の事件で滅びたシティ・神戸跡地も調べてみたが、居るのは使えそうな鉄塊やら金属やらを必死にかき集めている人間達ばかりで、『賢人会議』のけの字も見当たらなかった。
無論、シティ・神戸が崩壊した時から、そういった人種は数多く居たという話も聞いている。
あれから半年の時が経過しているだけあり、使えそうな鉄塊やら金属やらは殆ど採取されつくしてしまったようだ。
だが、それでも人々は意固地になって探し、取り尽くそうとする根性と共に、まるで一滴の燃料でも探しているかのように、目を皿のようにしてせわしなく動いている。
全ては、生きる為に。
…全くもってたくましいものだ、とデスヴィンは心の中で思った。
同時に、あれだけ人が居ては『賢人会議』が来ている可能性は最早ゼロだが、念には念を入れてそれでも調べてみた。何か他にも手がかりになるもの、或いは面白そうなものでもないかという期待が、心の中に僅かにあったからだ。
その為に、人々に混じって捜索を開始した。
…が、一通り探してみてもそんなものは見つからず、あるのは瓦礫、瓦礫、瓦礫、瓦礫、瓦礫。
その様は、まるで在庫処分の瓦礫の売り尽くしセールである。まるで、在庫処分品が倉庫いっぱいに重なっている業者のように。
で、その後に日本の地理を調べてみた所、新たに調べてみようと思った場所があったのだ。
その名はシティ・東京。
日本という国の首都というべき所に作られたものの、それ故に第三次世界大戦の被害を早期から被ったシティでもあった。
デスヴィンは当時の総人口については知らないが、日本の首都だけあって、きっとたくさんの人々が住んでいたのだろう。
今朝の午前五時からシティ・神戸付近のプラントを出発し、おおよそ二時間ほどでシティ・東京の跡地に到着した。
傭兵としてイルとの依頼を果たす為に、ここまで来てみたのだ。
『賢人会議』を探し、可能なら生け捕りにするという、その目的を果たすために。
移動手段は、街の業者からフライヤーを拝借して使った。
I−ブレインを使ったとしても、東京と神戸では流石に距離がありすぎる。ましてや、走っていくなど自殺行為もいいところ。
で、いざ調査に赴いてみたものの、
「予想はしていたが、これは酷いな…」
そこは最早、人一人いない廃墟だった。
シティ・神戸よりもさらに酷く、何も残っておらず、ただ、あちこちに強大な亀裂が走っていたり、地盤沈下を引き起こしたりしていた。
窓ガラスという窓ガラスはその殆どが割れており、建物の中に破片が散らかったままである。
当時の傷跡を痛々しく残したそこは、シティとしての面影はほぼ見つからず、寧ろ遺跡と形容するにふさわしいものがあるのかもしれない。
フレームしかなくなった窓を覗き込んだものの、何も見つからない。
せめて遺骨くらいは残っていてもいいのでは?と思ったが、それすらも、この環境下では厳しいかもしれないだろう。何せこの状況下、中には人の肉を喰ら…、
(やめだ!!縁起にもならん)
脳裏に浮かんだ嫌すぎる考えを、頭を振って打ち消した。
だが、過去にそんな人物が実在していたことも、事実なのだった―――。
感傷に浸る間もなく、デスヴィンは歩く。
足元から聞こえるのは、じゃりじゃりという、砕けた細かい鉄の破片を踏みしめる音。
ガラス程度なら踏みつけるだけで粉々に砕く特注製の戦闘用ブーツは、その程度の破片ではびくともしない。
だが、それと同時に、足元から返って来るでこぼこ感が新鮮に感じるほど、何の変化も無い世界を歩き回ってきたのだと実感する。
事実、世界は、どこに行こうが一緒だった。
吹雪が吹きすさび、白銀と灰色の似たような色のコントラストが織り成す死の世界。
人が住めるとは到底思えない、マイナス四十度の極寒世界。
顔まで覆う防寒マスクを含む対極寒用の完全装備がなければ、十秒足らずで即席の冷凍保存人間の出来上がりだ。
I−ブレインを使えば周囲の温度調整が可能なのだが、まさかの時に備えて常時I−ブレインを起動しておくというのは危険だろう。
何らかの形で戦闘が起きて、急激に容量を食う能力を発動しようとして、それまでの過負荷で思ったように動けなくなるという事態も想定すると、尚更の事だ。
「…特に目に付くようなものは無し、か…」
シティ・東京の内部を歩きながら一通り周囲を見渡して、デスヴィン・セルクシェンドはため息を吐いた。
あるのはシティ・神戸同様、風化した建物の残骸や瓦礫。後は、リサイクルしようにも用途がなさそうな鉄くずばかり。
家どころか小屋として機能しそうな建物すら何一つ存在しないように思える。
よって、ここで一夜を明かしたりなんてしたら、次の日の朝には死体の仲間入りは確定だろう…そんな奴が居るなら見てみたいものだが。
あちこちの壁を軽く叩いてみたりしたが、隠し扉や地下室の類も見つからない。
ちなみに、壁の材質は老朽化している強化カーボン。だが、腐っても鯛とはよく言ったもので、叩いた程度ではそう簡単には崩れるわけが無い。
…シティ・東京まで来てから、もう一時間の時が経過した。
だが『賢人会議』の尻尾の切れ端すら掴めない。
もしかしたら『賢人会議』の面々はここには来た事すら無かったのかもしれない、寧ろ、そちらの可能性の方が遥かに高いのだ。
元々、今の『賢人会議』は、世界のどこにいるかすら分からない。
シティ・メルボルンのアジトから逃走し、世界のどこかに居る―――分かるのはそれだけだ。
そして、デスヴィンに出来る事は、シティ・神戸付近、如いては日本方面の調査。
しかし、こうしていても始まらない。調査を続けなければ、貴重な時間がどんどん無駄に過ぎていく。
そう考えて、様々な場所を探してみた。
だが、この一時間の間に、一欠けらの収穫も無かった。
無意味な一時間だったと、今更になって少しばかり後悔した。
「…ここまで何も無いとなると、もう、ここには誰も来ないのかもしれないな」
歩いていけるところは、ほぼ全て調べつくした。
後は壁を壊すなどして調べてみるしかないのだが、迂闊に壊すと何かの仕掛けが作動しかねないとも限らないので、迂闊に行動する訳にはいかない。
半ば諦め気味に、なんと無しにコンコンと西瓜の実り具合を調べるように壁を叩いてみると――――、
「…む?」
…刹那、デスヴィンの表情に変化が訪れた。
先ほどまでは何の反応も無かったが、ここだけは確かな違いがあったに気づいたのだ。
壁の向こうで、かすかだが反響音が聞こえた。これが意味するのは、壁の向こうには空洞があるという事だ。
加えて、人間の気配が無い事を確認する…寧ろ、こんなところで生活できるような奴が居たら見てみたいものだが。
「調べてみるか」
その一言と共に、I−ブレインに命令を送る。
(I−ブレイン起動。戦闘プロセスを開始―――『ルードグノーシス』具現化)
同時に、腰の小さな特別製の携帯袋に触れる。
『霧』へと変化させた『鎌の形状をした騎士剣』―――『ルードグノーシス』は、普段は『粉状の霧』のような姿を取っているが、デスヴィンのI−ブレインが命令を下す事により、その形状を本来のものへと戻す事ができる。
これにより、普段から騎士剣を持ち歩く必要も無いし、何より、周囲の目を気にする事もない。
実際、白昼堂々と鎌を持って歩いている人種がいたら、普通に何事かと思うだろう。
今や失われた
尚、この技術を編み出した科学者は、残念ながら大戦中に死亡している。
一度でいいからお礼を言っておきたかったが、今となってはそれも叶わぬ事となってしまった。
すっ、と右手を上に上げる。
刹那、携帯袋から『粉状の霧』が飛び出し、デスヴィンの右手に向かってまっすぐに集約される、
『粉状の霧』は、タロットカードの死神が持つような巨大な鎌の形を画く。そこまでの必要時間は一秒にも満たない。
次の瞬間には、具現化された『ルードグノーシス』がその手に収まる。
金色を基調とした『人を、情報を殺す兵器』。
普通の鎌と違い、あちこちで曲形に歪曲した形状の鎌。
ちなみに、デスヴィンの命令を持ってしてもこの形状を変えることは不可能なので、諦めてこのまま使うしかない。
最も、別にこの形状が嫌いと言うわけでもないのだが、出来る事なら形状を自由にカスタマイズ出来る機能があっても良かったかもしれない。と、デスヴィンは心の中で思っている。
そのまま、具現化した『ルードグノーシス』を振り下ろし、一閃。
発動した『情報解体』により、目の前の壁に大人一人がぎりぎりで通れるような穴が開く。
トラップが無いか気を使いながら、一歩を踏み出し、
「…空部屋か…」
安堵の息を吐きながら、そう呟いた。
デスヴィンの真正面に扉があること以外、部屋には何も無い。無論、ノイズメーカーや警備ロボットの姿も存在しない。完全に時間の止まった空間。
念のためにとトラップを警戒しながら扉をくぐると、何も起きずに通路に出る。
その通路は一本道で、道に沿って歩いてみると、一枚の扉を見つける。
重量感のあるその扉をゆっくりと開けると、そこには白銀の世界が広まっていた。
来たばかりのときは吹雪で視界が悪くて見えなかったが、外に出るための入り口は確かにそこにあったのだ。
では、何故気づかなかったのか?
自問自答をするまでもなく、答えはものの数秒で出た。
隙間はほぼ存在しないように見える上、内側だけにドアノブを施している為に、一見するとただの壁に見える為に扉だとは到底思えないのだ。
崩壊したシティの外壁に手を出すような人間は滅多に居ないという、人間の心理を逆手に取った仕掛け。
「…手の込んだ…とはとても言いがたいが、それでも、この場においては立派な仕掛けだな」
とどのつまり、ルードグノーシスで壁を破壊する必要は無かったという事になる。
(早計だったか)
己の行動を、デスヴィンは反省する。
傭兵時代であれば、おそらくしなかったであろう迂闊な行動。
(…たった一週間と少しの間戦いから離れているだけで、ここまで勘が鈍るものなのか?
どうにも、あのプラントの住民達の影響が大きいようだ…)
と、デスヴィンは素直に思った。
事実、この一週間は、今まで感じた事が無いほど平和だった。そのせいで、戦いに対する緊張感がほんの少しでも緩んだのではないのか、という自問が脳内で行われる。
だが、今この場においてそれは重要な要素ではない。着眼すべき点は他の所にある。
こんなところで立ち止まっていても進まない。
即急に詮索を進める必要がある。
そう思ったときには、デスヴィンは動いていた。
部屋を調べながらも心の中に浮かぶのは、今までとの違いに対する警戒心。
どこのどいつかは知らないが、こんな仕掛けをするくらいだから、ここがただならない場所だという事だ。
吹雪が来ないというだけでも、部屋の温度は随分と違うものになる。
周囲の温度を書き換えることが可能な魔法士ならば、吹雪を凌げるどころか、食料と布団があれば十分に過ごす事は一応可能だろう。最も、その際は温度調整の為にI−ブレインを二十四時間フル稼働しなくてはならないが。
一通り調査を終えて、先ほどルードグノーシスで開けた壁穴の前に立ち、顎に手を当てて脳内で考える。
今まで見た『現状』を自己完結の形でまとめると、次のような結論に至った。
「…とりあえず、ここに誰かが居た…というのは確かだな」
今の調査で分かった事としては、あの部屋には誰かが住んでいたということだ。
用途としては、吹雪を凌ぐのにここに寄ったのだろう。
その証拠に、部屋の片隅に非常食を詰め込んだであろう空っぽの麻袋が転がっていた。その麻袋にはかすかだが食料の匂いが残っていた事から、これは間違いない。
そして、非常食を食べつくして、出て行ったのだと思いたかった。
間違っても、こんなところまで来て、餓死して干からびた死体など見つけたくも無いのが本心だったので、正直に言うとありがたかったのだが。
そして、それを上付けする為の一つの前提。
それは、ここに居た人物が、魔法士であるという事。
衣服や防寒着を使用しないと体温調節が出来ない人間では、いくら吹雪を凌げるとはいえども、こんなところに長時間居たら確実に凍死する。
さらに、ただの人間があの扉に気づくかどうかも疑わしい。
吹雪のせいで視界が悪い上に、人によってはミラーシェードで目を覆い隠すだろうから、ますますもってこの部屋の入り口を見つけるのは難しくなる。
以上の二点から考えると、ここに居たのは魔法士でなければならないのだ。
だが、デスヴィンが推測できたのはここまでで、それ以上は何も出てこない。
ここに誰が居たのかまでは、流石に推測の仕様が無かった。
だが、限りなく低い可能性として『賢人会議』がここに居た可能性は極僅かながら出てきた。
今は、それを覚えておけばいい。
そしてデスヴィンは、詮索の続きを開始した。
だが、さらなる詮索の結果、これといった収穫など無かった。
沈黙したシティ・東京跡地。
果たして、ここに何人の人間が居て、何人が逃げ延びたのだろうか。
東京は日本という国の中心部。その人口は多かったはずだ。
今更こんなことなど考えても仕方がないとは思っているが、この何もない白い景色を見ていると、自然と感傷に浸りたくなってくるのは人としての性だろうか。
「…こんなことでは、いかんな」
頭を振って考えを打ち消し、止めてあったフライヤーへと早足で向かう。
雪が積もっている以外は来た時となんら代わり映えの無いフライヤーに乗り、街へと帰還した。
戻ってすぐに業者にフライヤーを返却し、急いで自宅へと戻る。
自宅へと戻った後は、吹雪で濡れた防寒着をハンガーにかけた後に、ベッドの上に仰向けに転がる。
ちなみに、防寒着の中にはいつもの戦闘服を着ていた。シティ・東京跡地で戦闘が起こったときの事を考えての判断である。
ベッドの上に仰向けになった途端、朝からの疲れが一気に押し寄せてきて眠くなる。
睡魔に抗う事は敵わず、そのまま布団を被って一眠りすることにした。
―――夢を見ない眠りは、すぐに訪れた。
「―――ん」
そして、ぼうっとした意識の中目が覚める。
I−ブレインを確認すると、脳内時計が『午後一時五十五分』を告げた。
こちらに戻ってきたのが午後十二時半だったから、おおよそ一時間半ほど寝たことになる。
眠りにつく前に体に残っていた疲労感が少しは取れたが、それでも疲れが残っていないといえば嘘になる。
だが、ここで二度寝につくのも何か釈然としないので、外へと出ることにした。
折角の平和な午後だ。眠りで過ごすのは非情にもったいない。
家を出て歩く事十分…結局、いつもの商店街に来てしまった。
だが、今のところの目的は買い物ではない。もう少しこの街の事を知ってみようという考えからの散歩だ。
思えば、今しか得られないかもしれないせっかくの平和な生活なのだから、たまにはそれを満喫してみるのもいいかもしれないと思ったのが始まりだったのだろう。
雑貨屋の前を通らないようにして商店街を歩く。なぜなら、恭子に見つかると何かと煩いからだ。別段迷惑を被っているというわけではないのだが、今日ばかりは静かにさせてほしかった。
その際に、恭子から見えないであろう位置から雑貨屋をのぞいてみると、そこにはあの少女の姿が無い。
休みか何かだろうと思い、視線を逸らしてそのまま街の外へと歩みを進める。
別に何か特別な気持ちがあるというわけではない。
ただ、初見のインパクトが凄すぎて記憶に残っているだけだ。と己に言い聞かせて先を進む。
それにデスヴィン自身、いつここを出るかわからない身だ。先日の教師の件もそうだが、そうそうここに残せるものを作るメリットは殆ど無い。
数分後には、商店街のはずれに出た。
ぽつりぽつりと民家がある以外は、偽者の芝生と、薄い色の土が僅かに除いている道ばかりの、ある意味、中世の貧民街をモチーフとしたような景色だった。
まあ、デスヴィンが知っている限りでは、この街には飢えた子供などもいないようなので、貧民街よりはましかもしれないが。
時が止まったような静寂の中、デスヴィンは歩く。
人一人出歩いていないゴーストタウンを彷彿とさせるこの状況は、今まで何度も体験してきた。
そして、突如隠れていた伏兵が襲い掛かってくるというのも、こういう場所ではほぼお約束とも言えるシチュエーションだった。
まあ、ここは平和なプラント内部。そんな事は無いと信じたい。
そう思いながら、歩く。
ただ、気の向くままに歩く。
―――こうしてみると、思う。
これこそが、傭兵時代は決して味わえなかった平穏なのだと。
常に心を尖らせ、神経をぴりぴりさせていたあの頃とは違う何かがここにある。
何もないということはこういうことなのかと思いながら歩みを進めていると、
突然、一人の少女とばったり出会った。
少女の薄水色の髪の毛の先にはカールがかかっており、洋物のアンティーク人形を連想させる。
着ているものは派手さの無いブラウスとスカート。
アイドル歌手が、ステージ衣装を脱いで、普段着でプライベートをすごしている。そんな感じ。
だけど、それでも目の前の少女が誰なのかは分かる。
「…こんにちは」
とりあえず挨拶しておく。人と付き合う上で当たり前かつ最低限のマナーだ。
「はい、こんにちは」
少女も笑顔で挨拶を返す。
そして、デスヴィンには目の前の少女が誰だか分かっている。
普段とは違う顔、だけど、何度も見た顔。
だから、自信を持って言える。
「君は確か…アルテナ…でいいんだったかな?」
少女の顔に、ぱぁっと花が咲いた。
「…で、そういう貴方は、いつも雑貨屋に来てくれる方ですよね。
名前は――デスヴィン…そう、デスヴィンさんでしたよね」
「ああ、正解。
しかし、よく覚えていたな。俺はまだ、ここに来てから一週間程度しか経っていないんだが」
それを聞いた時「ああ、それでしたら」と、人差し指を立てて説明を始める。
「簡単ですよ。
先ずは貴方のその特徴的な髪型。右目をそんな風に覆い隠す人なんて、ここには貴方以外には居ません。
それと、二日に一回はいつも広場で焼き鳥食べてるじゃないですか。
その二つの条件を満たす人なんて、他にいませんから。だから分かるんです」
「ちょっと待て…髪型はともかくとして、焼き鳥で覚えられているのか俺は…」
今の話を聞いて、ちょいと複雑な気分になった。
髪型が少々特殊なのはデスヴィン自身分かっていたが、焼き鳥がアイデンティティ扱いされているとは思わなかった。
好きなものは好きなのだから仕方がないではないか。と思ったが、口に出すのは辞めておいた。
しかし、アルテナの言う事が本当であれば、デスヴィンは二日に一回は焼き鳥を食べているという事になる。
脳内の記憶を掘り返してみると…見事なまでに当たっていたので、ちょっと恥ずかしい気持ちになった。
「あたしだけじゃなくて、一部のプラント人達には、しっかりと覚えられてますよ。
それに、先日は大活躍したそうですし、それによる相乗効果も踏まえているのかと思います」
「…大活躍?」
一瞬、戸惑う。
即座にI−ブレインを起動させて、記憶領域に検索をかける。
デスヴィン自身、他者より目立ちたいというタイプではない。
それ故に、このプラントに来てからデスヴィンがそれほど目立つような活躍をした覚えは―――、
「…先日の、あの二人組み―――ブリードとミリルの時か?」
思い出されたのは、白髪の少年と銀髪の少女の二人組み。
銀髪の少女がこけて、手から離れて宙を舞う焼き鳥をキャッチした時の光景を思い出す。
二人の名前を聞いたところ、ブリードとミリルだと言っていた。
シティ・モスクワの、幻影No.17――イルとの知り合いだという二人組み。
そんな二人組みがどうしてここに居るのかということを聞いてくれと、イルから頼まれていた。中々二人に会えなくて聞く機会が訪れないが、いつか再び会った時に聞こうと思っている。
「そう、ブリードって子とミリルって子の時。
貴方って最初は『寡黙で近寄りがたい剣士』ってイメージがあったのに、その時、意外と他人に対しフレンドリーなところがあるって分かったから、皆さんは貴方に対して結構いい感情を持っているようですよ」
「………」
フレンドリーというとこになんとなく引っかかりを覚える。
確かに、あの後の質問攻めに全て答えたが、それだけでいい人扱いされるのが心外だ。
そういえば、あの出来事以来から、プラントの人々がデスヴィンに対し、以前よりではあるが親密に関わってくるようになった気がする。
何故だ、と思った。
何故、そうやって他人を信じる事ができるのだろうか。
そんなデスヴィンの疑問は、次のアルテナの言葉で氷解した。
「ここの人達は、お互いを信頼しあっているんです。
こんな世の中だからこそ、互いを信頼しあいたいって思っているんです。
だから、外来さんに対しても、心を開いてくれるんですよ」
「…たとえ軍のスパイであったとしても、友好的に接する。リスクの考慮はなし。状況判断が的確とは言いがたい…のだが、そんな答えを出すのが、ここの住民ってわけなんだろうな」
「はい、あたしもここに初めて来た時に驚いたんですよ。
こう言っては何ですけど、頭に一文字つくほどいい人達でいっぱいなんです。
…だけど、それには色々あったみたいなんです」
そこまで言って、アルテナの表情に陰りが表れた。
「料理店の店長さんは、ここに来る前に奥さんを亡くしています。恭子おばさんは旦那さんを亡くされています。
それ以外の人も、みんなそれぞれ辛い事があったんだと思います。
ここは、そんな人達が集まる場所。だから、皆が協力し合っているのです」
「…心に傷を持つ者同士が集まる場所…か」
一瞬、傷の舐めあい、という単語が脳内に浮かび上がったが、言うのは辞めておいた。
そんな事を言うメリットなどどこにも存在しないし、デスヴィンとて出来れば言いたくない言葉だった。
「…それはつまり、俺や君の事も含まれているって事か?」
他意などない、素直な疑問。
ここに集まる者が何らかの傷を持つ者ならば、自分達とて例外は無いのだろうという考えからのものだった。
「っ…!!」
だが、それを聞いた途端、アルテナが何かに耐えるように両手の拳を握り締めて暗い顔で俯いたのを見て、デスヴィンは「しまった」と即座に思った。
そういえば、雑貨屋の店主の恭子も言っていたではないか。彼女の―――アルテナの過去の詮索はやめておけと。
それはつまり、彼女の過去が凄惨なものであったという可能性だってあるという事だ。
「…すまな」
「謝らないで下さい」
デスヴィンの謝罪は、アルテナの声に中断させられた。
「…大丈夫。大丈夫ですから」
「そうか…」
どう贔屓目に見たところで大丈夫ではないと思うのだが、それについて言及する気など、今のデスヴィンには出来るわけがなかった。
気まずい雰囲気のまま、二人は立ち尽くす。
先ほどまでは沈黙を忘れられたのに、またもとの木阿弥に戻ってしまった。
この状況を作った者としてなんとか出来ないかと模索する。
だが、今までが戦いに明け暮れたデスヴィンの経験では、どうすればいいのかがわからなかった。
もとより、今まで女性と付き合うことなど無かったし、そんな暇など無かった。
だから、こんな形であっても、女性とどう接していいのかが分からない。
第三次世界大戦を生き抜いたという事実も、こんなところでは何の役にも立たない。
それが、何故か悔しかった。
「…あの」
デスヴィンが己に対し憤りを感じているところに、消え入るような声でアルテナが口を開いた。
「…どうして、何も聞かないのですか?
あたしの事を気遣っているなら、そんな心配は無用ですよ。
聞きたい事があるなら、話せるところまで話せます」
「だが、君はさっき、物凄いくらいの拒否反応を見せたじゃないか」
「あれは…ちょっと、嫌な事を思い出しただけです。
だから、それ以外なら大丈夫じゃないかな」
「…いや、例えそうだとしても、俺は君に対し君の傷を掘り起こすような真似なんて、俺には出来ない」
瞬間的に脳裏に浮かんだ『深入りしなければお互いに傷つかなくてもいい』という考えから、デスヴィンはそう告げた。
「…そう、ですよね。
ごめんなさい、変な事言っちゃって…分かってくれれば、それでいいんです」
「…俺の事を、攻めないのか?
俺は、迂闊だったとはいえ、君の」
「ですから!!」
急に強い口調になり、アルテナは叫んだ。
またしても、デスヴィンの台詞は中断させられる。
「貴方はここに来てからまだ一週間と少ししか経ってないから、この事が分からなくても仕方が無かったんです。それでいいんです」
アルテナのいう事はもっともだった。
先ほどの話から分かる事は、ここに集まる人は、何らかの形で『傷』を持っているという事。
だからといってわざわざそれを明かす必要は無い。黙秘していても構わない。そういうことなのだろう。
だが、デスヴィンはそれでは納得できない。
住民達の事を話すのなら、デスヴィンだって『一応は』ここの住民だ。
それに、ここに来た理由くらいなら、それほど重要視はされないはずだ。
アルテナがここに来た理由は『自分では話したくない事』―――それは分かった。
だが、デスヴィンがここに来た理由を話すかどうかは、誰も強制しない。
全ては、デスヴィン自身の意思で決まること。
(―――なら)
心の中で決意し、それを口に出す。
「―――そうか、なら、俺がここに来た理由を話そう」
「っ!!
そ、そんな事しなくていいんですってば!!」
刹那、アルテナは弾かれたように顔を上げて、必死で否定する。
「……」
ここまで否定されると、デスヴィンとて流石に心に苛立ちを覚える。
だから、この場を打開するのに効果的と思われる台詞を口にしてみた。
「否定するのは勝手だが、そうでなければ、俺はここの住民としては認められないと、そういう事になるのだが?
たとえ一時期だけでも今の俺はここの住民だ。それは違いないだろう」
「…うぅ、そ、それは…」
理論として成立しているデスヴィンの言葉に、アルテナは諦めたようだ。
「だから言うんだ。
あ、俺が言ったからって、君まで無理していう必要は無いぞ。
これは、俺が言いたいと思ったから言うんだ。それなら文句は無いだろう」
「…それは…確かにそうですけど」
ちょっと不服そうな顔ではあるが、アルテナ側としてもこれ以上の反論できる理由が思いつかず、言葉の最後の方は尻すぼみになっていった。
「なら、文句は無いだろう」
「…はい」
流石にアルテナも諦めたようだ。
これでいい。
この場の空気を変えるのには、何とか成功した。
…だが、そこでデスヴィンの心に、迷いが生まれる。
ここでアルテナに対し、馬鹿正直に『賢人会議』の事を話すのは得策ではない。
そこでデスヴィンは、ちょっとした嘘をつくことにした。迂闊な事を話して、アルテナを余計な混乱に巻き込むわけにはいかない。
…そもそも、どうして話したくなったのだろうか?という理由について、今更ながら考えてみたが、その結論はすぐに出た。
もしかしたらアルテナに『過去の話なんてしなくていいです』と言われて、ムキになっていたのかもしれない。
だが、例えそうだとしても、ここまで言いきってしまったものは言わなくてはならないだろう。
目の前では、アルテナが期待を含んだ視線でデスヴィンを見ている。
見たところ期待に満ちた―――というほどではないから、期待を含んだ、という表現がいいところだろう。
それに、知らない人間の事を知る時には、人は何らかの形で期待を抱くものなのだから。
「―――今まで、世界を回っていた。
ある時は傭兵として、或いは街の用心棒として、またある時は賞金稼ぎとしてな」
「…どうして、そんなに、戦いばかりの人生だったんですか?」
「…言って信じられるかどうかは分からないが、俺は、第三次世界大戦に参戦した経歴があるのでな。
だから、戦いが終わったら、急に、何をするべきなのかわからなくなった。
まあ、俺は元々戦うために生み出されたんだから、当然と言えば当然なのだが」
「そんなの…悲しいです。
だって、それ以外にも、人間として生まれたなら、生き方なんていくらでもあるじゃないですか」
「そうだ。
だから、俺はここに来た。
今まで分からなかった、俺がこれからどうするべきかを見つける為に」
「…そうだったんですか。
でも、それだったら何でわざわざここに?」
「…あまりいい動機ではないが、先日、崩壊したシティ・神戸を見て、その帰りにここがあった―――そんなところだ」
シティ・神戸と聞いた時、アルテナの顔色が変わった。
ここの近くにある建物なだけに、その名前を聞いただけでも驚きを隠せないのだろうと、デスヴィンは心の中で思った。
その後も、十年間の経歴―――その中の殆どが戦いに関することだったが―――を簡単に説明して、
「――――まあ、これが俺の履歴だ」
ため息と共に、締めの一言を言い放った。
「…そう、だったんですか」
「戦争は終わったが、世界はいまだ戦争をしているのと同じようなものだ。
パン一切れ、燃料一滴の為に毎日が戦争だからな。
八歳の子供に突然襲い掛かられたこともあったよ」
「大変だったんですね…」
「そりゃ大変だった…殺すわけにもいかないからな。
…まあ、何度も経験するうちに慣れてきて、どう対処するべきか分かってきたのだがな。
他に質問は?」
気がつけば、質問が無いか聞いていた。
おそらく、デスヴィン自身、こうやって自分の事を他人に話したのは初めてだったので、止めどころが分からず勢いに乗ってしまったのかもしれない。
「…じゃ、じゃあ、前から聞きたかったのですが…」
そこに来て、アルテナがおずおずと質問を切り出してきた。
「…これは、答えたくなければ答えなくて結構です。
ですが、やっぱり気になるので…。
―――貴方のその右目は…どうしたんですか?」
「…っ!!」
その質問を聞いた時、デスヴィンは少なからず動揺した。
「あ!い、嫌なら答えなくていいから!!ご、ごめんなさい!」
それを察知し、平謝りするアルテナ。
「…いや、大丈夫だ。
質問には答えるのが道理。だから…これを見たらこの話を終わりにしてくれ」
アルテナの返答を待たずして、デスヴィンは右手で髪の毛をかきあげる。
「――――これっ…て」
口に両手を当てたアルテナが息を飲む音が、ここまで聞こえてきた。
デスヴィンの髪の毛の下にあったのは、斜めに切り裂かれた、二度と開く事のない右目。
一生消える事のない痛々しい傷跡が、確かな形でそこに残っていた。
「…大戦の最中、いきなり襲われたんだ。
そいつはとても恐ろしい相手だった。気配を感じさせること無く、俺達の懐へと近づいていたのだからな。
いつ斬られたかも分からなかった。気がついた時には、右目はもう見えなかった。
最も、そいつはすぐに撤退したんだが」
「…恐ろしい…相手だったんですね…」
「ああ、今でも覚えている。
残念なのは、そいつの姿を全く覚えていないことだが…まあ、あの大規模な世界大戦だ。
生きている確率は…かなり低いだろう」
「…そう、だったんですか」
「ああ、これで、この話は終わりだ」
「はい、分かりました」
しのびやかな笑みを浮かべたアルテナの顔には、先ほどのような暗さは残っていなかった。
ただ、暗さが完全に取り除かれたわけではなく、まだ、アルテナの顔に影は残ったままだった。
こんな話を聞いてしまっては、無理も無いだろうけど。
…尚、襲われた時の武器の色だけは僅かながら覚えているのだが、デスヴィンは敢えてそれを口に出さなかった。
口にしてもどうしようもないだろうと脳内で判断したが故に。
「…それにしても、思ったのですけど…」
デスヴィンの話が終わってからたっぷり十秒後に、アルテナは口を開く。
「ん?」
「あの服を着ていないのに、あたしだってよく分かりましたね。
この姿で過ごしていると、出会った人の半分近くが聞くんですよ。『誰?』って」
そして、小さく舌をだして、右手を頭の後ろにおいて笑うアルテナ。
「服で着飾らなくても、君だと分かる人には分かるはずだ。
つまり、今の君を見て同じ君だと分からない奴は、服しか見て無かったって事だろう」
デスヴィン自身、確かに、ファーストインパクトのあのゴスロリ服は未だに脳裏にしっかりと残っている。
しかし、その服が無くなり『本当の』彼女が目の前にいる。
だけど、それでも、違和感は感じなかった。
「お店で働いている時は、そういう下心ばっかりの人は、ご注文を頼まれた時以外は徹底して無視ですけどね」
「それでいい」
ここは彼女に本心から同意する。
あの服装では、アルテナに絡もうとする軟派野郎はいくらでもいるだろう。
しかし、そういう軟派野郎など、いつの時代も無視するに限る。
軟派という人種が生まれた時からの、永久不変の対処法だ。
「それに、戦場だと相手のあらゆる所を見なくてはならなかった。
どこに隠し武器を持っているか、分からないからな。
見た目でしか理解できないようでは、戦場は生き残れない」
「…それとはちょっと違うんじゃ…」
その後のデスヴィンの追記に対し、苦笑いするアルテナ。
「…む、そうか」
ちょっと失敗したか。と心の中で呟く。
デスヴィンなりの『ジョーク』のつもりだったのだが、やはり、慣れない事はするものではない。
やはり今まで人と付き合ってきたことが無かったが故の未熟さか、と、心の中で反省しておいた。
「…そういえば、君はどうしてここに?」
心の中で考え事をしながらも、現実での口は動く。
会話中に思考で黙りこくってしまうのは避けるべきだと分かっていたので、会話を切り出したのだ。
「今日はお仕事がお休みだったので、これから買い物に行こうと思ったのです」
「…奇遇だな」
「はい?」
「いや、俺もこれから少しばかり買い物に行こうと思っていたんだが…」
それを聞いたアルテナは、胸の前でぽん、と手を合わせて、
「あ、ちょうどいいじゃないですか。
ここで会ったのも何かの縁だと思いますし―――ちょっと、買い物に付き合ってくれませんか?」
「―――何?」
この商店街に来るのは今日で二度目。自分はつくづくこの商店街に縁があるな、と思わずにはいられなかった。
「しかし、よく覚えていたな…」
「え?」
デスヴィンの独り言に反応し、振り向くアルテナ。
「いや、俺と君は、初めて会って…いや、あったというより見たという方が正しいか。
それから一週間と少ししか経っていないというのに、どうしてそこまで親しくしてくれるんだ?」
「あら、恭子おばさんは貴方の事をよく話してくれますよ。
焼き鳥食べながらいつもあたしの方見てるって」
「なっ!!」
瞬間、図星を突かれたデスヴィンの顔が赤くなり、心臓の脈拍数が大幅に上昇した。
隠し事をばれたのとはまた違う感覚と、心の中を支配する感情。
少なくとも、生まれてから今までには感じた事が無い感覚と感情だった。
自分でもよく分からない感覚と感情に流されながら、デスヴィンが出した言葉は、
「違う、断じて違う」
言い訳としてはとっても苦しいものだった。
「…とか言いながら、頬が僅かに赤いのはどうしてですかー?」
ちょっと意地悪な笑みを浮かべつつ問いただす。加えて、アルテナはデスヴィンに対する視線を逸らさない。
「あ、あんな格好してたら誰だって気になるだろう?」
自分より背の低い少女の視線にむずがゆさを覚えながら、デスヴィンは思いついた言葉を口にしていた。
―――刹那、今の言葉は軽率だったと言ってから気づいたが、時既に遅し。
「…やっぱり、みんなして、それしか見てくれないんだ。
…普段のあたしなんて、見向きもしないんだ」
うう、と顔を俯かせる。
アルテナの目じりには一滴の涙が浮かんでいる。
「…っ!」
直感で『拙い』と思った。
『普段』の彼女は、あの服を着ていての『普段の彼女』と認識されている。
『本当』の彼女は、初見では彼女と認識されないという思いを何度もしてきたはずだ。
だから、その事を気にしているのは当然であろう事だし、そうでなくても、大の大人が女性を泣かせるのは拙い。
そう思ってなだめようとして、中々いい言葉が出てこないで、どうするべきか迷っていると、
「…なーんて、冗談です」
小さく舌を出して、アルテナは微笑を浮かべていた。
「…何?」
訳がわからず一瞬困惑するデスヴィンだったが、何が起こったのかを即座に理解して頭を押さえて、
「…演技だったというのか?」
声に少しの怒りを孕ませて、静かに告げる。
「はい」
微笑みをうかべたまま、アルテナは正直に答えた。
「……」
無言で踵を返し、デスヴィンはつかつかと歩きだす。
「あ〜〜っ!待って待って」
慌ててそれを追いかけるアルテナ。
「待たない」
「…でもこれじゃ、あたし達、周りの人から特別な関係だと思われちゃいますよ」
「…何?」
振り向いてみれば、周りにいる人達の内数人が、こちらを見て小さく笑っているではないか。
そして思い返してみれば、何というかこれはまさに『ちょっと機嫌を悪くした彼氏を追う彼女』の図だと気づく。
「…違う、絶対に違う」
「だったら変にへそを曲げなければいいじゃない。
それにこの構図だと、まるであたし達…」
そこでアルテナは一呼吸おいて、続ける。
その声は段々と小さくなっていき、アルテナの頬に目に見えて赤みが浮かびあがっていく。
「そ、その、まるでこ…」
最後の方が聞こえなかったので、ちょっと聞き返してみた。
「こ?」
「な、なんでもないっ!」
するとアルテナは、首を左右にぶんぶんと振って否定する。
照れていたと思えば、急に自己否定。
ここに来てからアルテナの態度がころころ変わるな…それとも、感情表現が豊かだとでも言えばいいのか?と、デスヴィンはどうでもいいことを考える。
ちなみに、アルテナが言いかけていた事については、何となく追求しないでおいた。俗に言う『虫の知らせ』というやつを感じたからだ。
その裏づけをするわけではないのだろうけど、次の瞬間には、アルテナは微笑を浮かべてデスヴィンの方を向いて、
「でも、デスヴィンさんはそれだけじゃなかった。
こんな世界でも笑顔を振りまく…一体、この世界で何人の人間がそれを出来るんだ?って言ってくれたそうですね」
さっきまで自己否定をしたとは思えない口調で、そう告げた。
「…あ、あれか。
あれは、ただ単に俺が思ったことを素直に言っただけだが…」
「いえ、それだけで十分ですよ。
そう思ってくれる人がいるから、頑張ろうって思うんですよ」
笑顔で答えるアルテナを見て、穏やかな顔でデスヴィンは口を開く。
「…頑張ろう。か。
―――だが、どうしてそこまで頑張れるんだ?
何か、目的でもあるのか?」
それを聞いたアルテナは、五秒ほどの沈黙の後に、
「…頑張ろうって、思っただけですよ。
この世界は、滅びへと向かっている。それはどうしようもない事で、どうあがいても避けられない事なんだって思ってる。
――でも、生きている以上、死は絶対に訪れるもの。それも絶対に避けられない事だって、みんな分かってる。
ここに居た、ここで生きていたって事を虚しい事にしたくないから、頑張っている。
あたしは、そうだと思うのです」
はっきりと、告げた。
「あたしにできるのは、笑顔を振りまく事。
人々が笑顔でいられるようにすること。
あの服には、そういう意味があったのですよ」
「そうか―――」
成程、とデスヴィンは納得した。
同時に、どうして彼女がここまで街の人に好かれているのかが、分かった気がした――。
ついでに、気になった事も問いただしておく。
「―――というか、いつの間に俺はさん付けで呼ばれているんだ?
さっきまでは『貴方』って呼ばれていた気がするのだが」
『デスヴィンさん』と呼ばれた時に心の中に浮かんだ感情は、なんというか…むずがゆさ、だった。
それを聞いたアルテナは、あ、と口元に手を当てて、
「だって、デスヴィンさんは自分の過去を話してくれたじゃない。
それだともう『貴方』って呼ぶのはおかしいって思ったんです。
だから、いきなりですけど、さん付けで呼ばせていただきました。
…でも、そうやってすぐに気づいてくれるあたり、やっぱりデスヴィンさんの洞察力は凄いです」
「そ、そうか…」
見た目が年下とはいえ、さん付けで呼ばれるのは慣れないな…。と思いながら、デスヴィンは曖昧な返事を返していた。
買い物を終えて、アルテナが住んでいるという居住区の道端へと到着する。
買い物へ行く前となんら変わらず、人の姿は殆ど見えない。
「…今日は、ここでお別れみたいだな。
俺はこのまま真っ直ぐに帰る事にしてる」
「うーん、ちょっと残念」
そう言って、本当に残念そうな表情になるアルテナ。
今日一日で、彼女の表情がころころ変わるのも少しは見慣れたが、違和感などは微塵も浮かんでこなかった。
「また明日になれば会えるさ。きっと」
「そうですよね。だって、同じプラントに住んでいるんですから…」
「ああ、それじゃあ」
「また明日」
そして二人は、別れの挨拶を告げて、それぞれが帰る場所へと帰っていった。
「…ふう」
軽く息を吐いて、ベッドの上に腰掛ける。
今日の目的が達成できて、心の中には確かな満足感があった。
前から、デスヴィンと一度話をしたいと思っていた。
何だかよく分からないけど、デスヴィンという人間について知ってみたくなった。
きっと、恭子から聞いた話により、デスヴィンがアルテナの真意を汲み取ってくれた数少ない人間であるが故に、他の人よりは惹かれる部分があったんだと、そう思うことにした。
因みに、今までアルテナの真意を汲み取ってくれた数少ない人間達は、それぞれが持つ様々な事情によりもうこのプラントにはいない。
その為に、自分を分かってくれる人を求めたのだろう。
お仕事が無い日は普段着で過ごす。これはいつもの事。
だけど、今日はその『いつもの』に、『デスヴィンに会えるかどうか』という一つの運が絡む要素が追加されている。
今日会えるかどうかは、完全に運任せ。
街に行ったところで、デスヴィンがいなければ無駄足になってしまう。
だけど、その心配は杞憂に終わった。
会うことが出来た。
話すことが出来た。
デスヴィンという人間の事を知ることが出来た。
戦いに疲れて、ここに流れ着いたとデスヴィンは言っていた。
第三次世界大戦に参加して、大戦終了後も常に戦いに、死と隣り合わせの、命のやり取りをするところに身を置いていた。
奪った命は数知れずで、何度も死の危機に直面した事もあったと言っていた。
ここに来る人の例に漏れず、デスヴィンもまた、そんな過去を背負っていた人間だったのだ。
―――同時に、アルテナの心にちょっとした罪悪感が浮かぶ。
あの時、アルテナは、自分の過去を話すことを必死で否定した。
よく考えると、あそこまでムキになって否定することも無かったんじゃないかと思う。
そのせいで、デスヴィンが意固地になって自分の事を話すという経緯に至ったのだろう。
明日会った時に、謝ろうと思った。
―――だた一つ、それでも、アルテナの過去は出来る事なら誰にも話したくは無かった。
デスヴィンが過去を話せば、アルテナも過去を話さなくてはならない空気になってしまう。
それが、とても怖かった。
…『家族』の事を思い出してしまうから。
「…あ、もうこんな時間」
脳内時計が『午後十一時二分』を告げた。いつもならもう寝る時間だ。
ネガティブな考えに行き着く前に、現実に戻る事で踏みとどまれて良かったと、心のどこかで安堵している自分が居た。
家族の事は、忘れられない。
だけど、家族の事を思い出したら、自分は絶対に泣いてしまう。
故に、なるべく家族の事は考えないようにしてきたのだ。
布団をかぶって、横になる。
明日も朝から早い。
頑張らなくてはならない。これからの事の為にも。
眠りにつこうとして―――気になる点が二つあった事を思い出す。
…一つは、デスヴィンと一緒に歩いている時に、妙な視線を感じた事だ。
空気を壊さないために黙っておいたが、時折、突き刺すような妙な視線があったのを覚えている。こういう時の定番としてストーカーという単語が脳裏に浮かんだ。
しかし不思議なことに、度々振り向いてみても、姿は影も何もなかった。
また、この件についてはデスヴィンには何も言わなかった。変な勘違いで彼に余計は心配なんてかけさせたくなかったからだ。
それに、この街は基本的にみんなが一つにまとまっている筈の街であり、故に、団結の乱れは目に余る問題となるだろう。
その為、いくらなんでもそんな事をする輩がいないと信じたい。
…そして、もう一つは、かつて…………。
―――そこまで考えて、急に眠気が襲い掛かってきた。
もう一つの気になる点を考える前に、アルテナの意識は暗闇へと落ちていった。
―【 お ま け の キ ャ ラ ト ー ク 】―
ノーテュエル
「はーい、お約束のコーナーがやってまいりました〜」
ゼイネスト
「物凄い三行半な言い方だな」
ノーテュエル
「違うわよ。ノリよノリ。
そういうわけで―――」
ゼイネスト
「…」
ノーテュエル
「…あれ?」
ゼイネスト
「どうした?」
ノーテュエル
「…ゼイネスト、あんたどうしたのよ。
いつもならここで『どういうわけだ』とか言うはずなのに」
ゼイネスト
「それを先読みしての行動だ。
回を重ねたからな。裏の裏をかくことくらい容易い」
ノーテュエル
「うう〜ん、なんか悔しい気がするのは気のせいかしら。
…でも、ま、たまにはいっか。
というわけで、しょっぱなから一発ゲストを召還!!」
ゼイネスト
「さて、今回は誰なんだかな」
ノーテュエル
(やっぱ、いつもの台詞が来ないとなんか腹立つわね…次は私も台詞を変えてやろうかしら…)
リリィ
「…わ、何でこんなところにリリィがいるの?」
(※一人称が『リリィ』)
ノーテュエル
「ちょ!!待って!
シュベールの妹が出てきたじゃないの!!どうすんのよゼイネスト!!」
ゼイネスト
「何故俺に怒る!!お前が蒔いた種だろうが!!」
リリィ
「リリィ、あの時確かに体が冷たくなって、リリィの目の前でねーねが涙流して泣いていて…うーんと、ええーと…」
ノーテュエル
「ね…ねーね…って、あ、あのシュベールが凄い呼ばれようだわ…」
ゼイネスト
「なんというか、ギャップが凄いな。
―――というか、よくシュベールはその呼び方を容認したな…。
本編で見た感じでは、如何にもそう言われるのは嫌そうなキャラだと思ったのだが…」
リリィ
「ねー、だからリリィはどうしてここにいるの〜?」
ゼイネスト
「あー、このノーテュエルとかいうお転婆女が、この『ゲスト召還スイッチ』を押したからだ。
で、運良く…というか運悪くかもしれないが、今回は君が呼ばれたって訳だ」
リリィ
「ふ〜ん。
よく分からないけど、そんな仕掛けがあるんだね〜。
でも、今こうやって話せるから、リリィとしては嬉しいな。
だって…本編のリリィは…うぅ…」
ノーテュエル
「あーはいはい、泣かないの」
ゼイネスト
(実年齢は俺達よりも上だが、やはり外見十歳か…)
(※ちなみに、ノーテュエル・ゼイネスト共に実年齢三歳であり、リリィの実年齢は四歳である)
ノーテュエル
「…何?ゼイネスト。
にやにやしちゃってさ」
ゼイネスト
「別に…なんでもないさ」
リリィ
「?」
ノーテュエル
「それにしても、今日の私は驚いてばっかりよ…
予想外の人物が現れるわ、あのシュベールがねーねって呼ばれていたりとか…」
ゼイネスト
「俺はさらに驚いてるぞ。
目の前で有り得ない事が起こってるからな」
リリィ
「んー?
有り得ない事ってなーに?」
ゼイネスト
「火事が起こっても寝こけていられるようなノーテュエルが唖然としている事だ」
―――思いっきり頭を叩かれた(ゼイネストが)。
ノーテュエル
「…あんた、私を何だと思ってるの!!殴るわよ!!」
ゼイネスト
「だから、言う前に既に殴ってるじゃないか!!」
リリィ
「わ。いたそう。大丈夫?」
ゼイネスト
「あ、ありがとう…まあ、慣れてきたから大丈夫だ」
リリィ
「…?
よくわかんないけど、良かったって気がする。
あと、そっちの人も、あんまり人を叩いちゃだめ〜」
ノーテュエル
「…き」
リリィ
「き?」
ゼイネスト
「き?」
ノーテュエル
「きゃー!!私の事をつぶらな瞳で見つめてきた―――っ!!
あーんもう何て可愛いのよ――っ!!我慢できない〜〜〜!!」
ノーテュエル、リリィに抱きついて頬ずり。
その様は、某薔薇乙女のカナリアのマスターにも引けをとらない…って答え言ってるじゃんw。
リリィ
「な、何〜〜!?
というよりも、あ、あっついの〜〜。ま、まさつねつ〜〜〜〜!!」
ノーテュエル
「お人形みたいでちっちゃくて可愛くて愛らしくて、ああもう、どうしてこんな子が死ななくちゃならなかったのよ〜〜!!
世界ってホント理不尽だわ〜〜!!!うにゃ〜〜〜!!」
ゼイネスト
「やめい!!自然発火現象を引き起こす気か!!(ポカ!!)」
ノーテュエル
「…いった――――い!!
ちょっとなにすんのよ!!人の母性本能を邪魔しないで欲しいわっ!!」
リリィ
「ぼ、母性本能?
…り、リリィ、乱暴されたと思った」
ノーテュエル
「ががーん!!私の抱擁が乱暴扱いっ!?」
(ショックでしばらく落ち込む)
ゼイネスト
「…ふむ、BGMはベートーベンの『運命』で決まりだな」
リリィ
「ベートーベン?なにそれ?おいしいの?」
ゼイネスト
「…あー、昔の人の名前だ。分かりやすく言うと、たくさんの音楽を作った人のことだな」
リリィ
「そうなんだ―。
リリィ、てっきりバウムクーヘンの親戚さんだと思った」
ゼイネスト
「はは、違う違う。
でも、その発想もまた面白いけどな」
リリィ
「わーい、褒められた――」
ノーテュエル(復活)
「うん、えらいえらい」
(頭をなでようとする)
リリィ
「むぅー、乱暴した人、きらい」
(ノーテュエルの手がはじかれる)
ノーテュエル
(ズガーン!!)
「YOUはSHOCK!!!」
ゼイネスト
「何故にそこで北斗の拳かっ!!」
リリィ
「えーと…『哀で胸がぺったんこ』……だったかな?」
ゼイネスト
「………!!!」(必死で笑いを堪えている)
ノーテュエル
「―――『愛で空が落ちてくる』だわよっ!!
ええい、わざとやってんのかアンタは――――っ!!」
ゼイネスト
「待て!!子供相手にマジギレするな!!」
リリィ
「うわーん!怖い人が怒った〜〜!!
ねーね、助けて〜〜!!」
刹那――、
ノーテュエル
「う、う"にゃ〜〜〜〜〜!!
ど、どこからか鞭で百叩きれたぁ〜〜〜っ!!」
?????
「…今度、リリィを泣かせたら八つ裂きにするわよ」
(そのまま何処かへと逃走)
ノーテュエル
「は、はい…」
リリィ
「…い、今のは何?」
ゼイネスト
「あー、多分……天罰」
(…しかし、呼ばれてもいない『あいつ』がここまで来るとは…恐るべき妹愛だ…)
リリィ
「てんばつ、てんばつ〜」
ノーテュエル
「あ〜〜、痛かった。
あやうく新しい世界が見えるところだったわ。ったく、そっちの趣味は無いってのに…危ない危ない…」
ゼイネスト
「その前に、どうして今回のゲストがリリィなのか、そこに着眼点を置けと言っている!!」
リリィ
「今更言われても遅い気がするの…」
ゼイネスト
「そりゃ、いつもの馬鹿話で事が進んでしまったからな」
ノーテュエル
「…その件について考えてみたんだけどさ。
本編だとシュベールの走馬灯でしか出番が無かったから、作者が出してみようって思ったんじゃないかしら。ホント、今更だけど」
ゼイネスト
「へぇ…そいつは面白いな。
本編じゃ決して会えなかったキャラと話せるってのは、キャラトークの真骨頂じゃないか」
ノーテュエル
「そーそー。
…にしても、姉と妹が似なさすぎなのもどうかと思うんだけど…」
リリィ
「ひどいよ〜。
ねーねはいいねーねだよー。
いつもリリィと一緒に居てくれたんだから〜」
ゼイネスト
「…それは否定できないよな。実際」
リリィ
「でも、ねーねが想いを寄せていた論は、結局はヒナを選んじゃった…」
ゼイネスト
「仕方あるまい。
論には論の感情があったんだから」
リリィ
「むー、分かってるー。
…でも、もしかしたらリリィに新しいにーにが出来たかもしれなかったのに…って思うと…」
ノーテュエル
「に、にーにってあんた…」
ゼイネスト
「子供だから許される言い方だよな…本当に」
ノーテュエル
「…てか、大変な事に気づいたわ」
ゼイネスト
「どうした?」
ノーテュエル
「…もう時間が無い!!」
リリィ
「えぇ〜、リリィ、もっといっぱいお話したい〜」
ゼイネスト
「いらん前振りで時間を喰ったのが響いたな」
リリィ
「その原因はあなたです〜」
ノーテュエル
「はいはい、悪かったわよ、もー。
…あと、駄々をこねないの。お話はまた次回以降にね。
これで終わりって訳じゃないんだから」
リリィ
「うん!!」
ゼイネスト
「(すぐ納得するあたり、やっぱり子供なんだな)
んじゃ、次回予告して終わりか」
リリィ
「あ、それ、リリィがやる―。
…じゃあ、次回はね―――『そこに守りたい子達が居るなら』だよ〜。
次も見てね〜〜」
ノーテュエル
「さぁってと、んじゃ、お開き〜〜〜〜〜〜〜」
DTR時代に比べると、随分とキャラの掘り下げに力を入れてるなぁと自分で思います。
いや、オリキャラを扱う際には当然の事なんでしょうけど。
デスヴィンの仕事は…今回は見事に空回りに終わったようです。
まあ、この時点では世界の何処に潜伏しているか分からない『賢人会議』を探しているのだから、当然といえば当然なのですけど。
しかし実際、あの発言までは『賢人会議』はどこにいたのでしょうね?
ここまで来て、少しずつ物語が進んでまいりました。
いつ終わるか分からないけれど、出来る事ならば最後までお付き合いいただけると幸いです。
それではこの辺で。
○本作執筆中のお供
クノールのコーンスープ。
<作者様サイト>
Moonlight butterfly
◆Close With Page◆