FINAL JUDGMENT
〜剥がれた一つの事実〜











シティ・神戸跡地付近にある『街』の商店街から少し離れたところにある住宅街は、ゴーストタウンというほど酷くはないものの、それでも、滅多に人の気配を感じなかった。

何故なら、この街の人達は殆どの時間を商店街で過ごし、来るべき時間が来れば家の中へと入ってしまい、後は出てこない。

この街は夜になると寒い。プラントの温度調節能力にちょっとした欠陥があり、シティや他の『街』と比べると、夜の暖かさにはかなりの差がある。

故に、人々は夜の街を出歩かない。次の朝に凍死死体が出来上がっていたら嫌だし、凍死死体になりたくも無いからだ。

だが、今はれっきとした昼の時間帯である。故に、人々は喜んで街に繰り出している事だろう。













その住宅街から少し離れた一軒家に少女――アルテナ・ワールディーンは住んでいる。

今日はお仕事が早くに終わったので、溜まっていた洗濯物を洗うことが出来た。

「♪〜」

鼻歌を歌いながら、アルテナは洗濯物を干し終えて玄関口から部屋へと戻ってきた。玄関と彼女の部屋はカーボン製の扉一枚で仕切られており、普通の家のように長ったらしい廊下を歩く必要性が無い。

先ほど少女と言ったが、アルテナの外見年齢は二十歳前後である…のだが、やや童顔な顔のせいで歳相応に見られないのが悩みの種である。かといって、もって生まれたこの顔を変える気持ちなど微塵もないのだけれど。

薄水色の髪の先端にはくるっとカーブがかかっていて、所謂アンティークを連想させる。これでゴシックロリータなドレスがあれば完璧だ…とか言っておきながら、実は『そういう服』を持っていたりもするし、今は外に干してある。仕事に使う為の大切な服だからいつも綺麗にしておきたいし、この服には個人的に深い思い入れもある為、どんなに忙しくても手洗いで洗うと決めている。

その為に、今のアルテナは普段着として着ている清潔感のあるブラウスとスカートに身を包んでいる。どちらの色も黄色を基調としている為、静かでありながらも清楚なイメージをかもし出している。

「ふう、終わった」

部屋に戻ってきたアルテナの第一声がそれだった。

部屋の中にある白い椅子に腰掛けて、机に向かって頬杖をつく。

「一人暮らしだからそれほど洗濯に時間はかからないけど、やっぱり洗濯物は天日に干したいわ。
 例え偽者の太陽だとしても、乾燥機を使うよりはずっといいから」

小さなため息と共に一人ごちった。

シティの太陽など偽者だととうの昔に分かりきっているものの、それでも、あの日差しは最早『外』の世界では失われた輝きであり、こういった場所でしか味わえないものなのだ。

だから、乾燥機なんか使わないで天日に干すと決めているし、乾燥機では仕事用のあの服は痛んでしまうという懸念がある。

故に、アルテナは太陽の光が大好きだった。

因みに、洗濯物の周りには特別製のレーダーがあり、アルテナ以外の者が近づくとブザーの反応で危機を知らせてくれるようになっている。こんな街でもそういう類の人間がいる可能性は十二分に考えられるが故の仕掛けだ。

「…次は何をしようかしら。
 お夕飯にするにはまだ早いし、冷蔵庫の食材もまだしばらくは持つから買い物に行く必要は無いし…。
 読みたい本は特に無いというか、この街だと本自体扱っている店が無いし…」

頭の中で考えをまとめながら、それを口に出す。近辺には誰も居ないのだから、近所のことなど気にする必要は無い。

目の前にあるのは、机用の小さなライトといくつかの本。

本には『誰でも出来る節約生活』や『シティの誕生』などと書かれている。これらの本は既に読み終えており、時折読み返す事もある。

本を含めて、この家に最初からついているオプションだ。

にもかかわらず指紋の類が殆どついていないのは、勉強好きな者があまり来なかったという事だろう。或いは、読みすぎてぼろぼろになってしまったから買い換えたか――のどちらかだだろう。

最も、アルテナにはその真偽が分かるわけがないのだから、考えてみたところで仮説を立てる以降のフェーズには移行出来ないわけなのだが。












ここで一つ、説明を加えよう。

――この家は狭く、そして小さい。

玄関・台所・トイレ・自室・押入れ・浴室。

アルテナの住むこの家を構成する基本的要素はこの六つしか存在しない。加えて、アルテナの住む家はお世辞にも大きいとはいえない。玄関まで含めたとしても大よそ十四畳程度の広さしかないのだ。

しかし、一人暮らしならその程度で十分だという理由から、アルテナはここに居る。

因みに、元々この家は不動産屋が経営していた一人暮らし用の貸家だったらしいが、その不動産屋がとある事件で死亡してしまった為に空き家となった。

そして今、この家の管理権は街の方に回っている。

だが、その頃には家の数の方が住民の数よりも多かった為に、誰もここに住もうとはしなかった。

で、アルテナがこの街に来た時にちょうど誰も住んでいなかったので、アルテナはここに住むことにしたのだった。

この街のプラントがいつまで動き続けてくれるかは分からないが、それでも、アルテナはここに居たかった。

アパートやマンションなどの集団生活による騒がしさというものが存在せず、一人で考え事をしたい時にはぴったりの、この家が好きなのだった。










「…それで、後は…」

思考を始めてからたっぷり四分が経過したその時に、変化が起こった。

――――コンコン。

突然耳に入ってきたその音に、思考を中断する。

「…ドアを叩く音?誰かしら?
 はいはい、ちょっと待ってくださいねー」

こんなところに用がある人間などいるんだろうか?と思いながらも、玄関まで赴く。

だが、すぐにはドアを開けず、来客がどんな人なのかと思ってドアにつけられた訪問者用のレンズを右目で覗き見てみると―――、

「――っ!!!」

一瞬、背筋が凍るような寒気に襲われた。

ドアの向こうに居たのは、いかにも柄の悪そうな男が三人ほど。

その顔に浮かぶのは、下品な笑み。

服装はまばらだが、少なくとも、清潔とはかけ離れたものであることは間違いない。

そんな連中がどうしてこんなところにいるのかという疑問が真っ先に襲ってきて、次の瞬間に脳裏に浮かんだ単語は―――ストーカー。

まさか、という言葉と共に、脳裏に記憶が呼び起こされる。

ちょっとした心当たりがあったのを思い出したのだ。

つい先日、デスヴィンと一緒に歩いている時に妙な視線を感じた事だ。

空気を壊さないために黙っておいたが、時折、突き刺すような妙な視線があったのを覚えている。

確かあの時は、こういう時の定番としてストーカーという単語が脳裏に浮かんだのだった。

しかし不思議なことに、度々振り向いてみても、姿は影も何もなかった。

気のせいかと思いたかったが、突き刺すような妙な視線は何回も感じることがあった為に、気のせいではないと薄々は勘付いていた。

また、この件についてはデスヴィンには何も言っていない。変な勘違いで彼に余計は心配なんてかけさせたくなかったからだ。

でも、今になって思う。

「…どうしよう」

あの時の視線についてもっと詳しく調べておけばよかったと、今更になってアルテナは後悔した。

だが、すぐに頭を振って考えを切り返る。

落ち着け、と自分に言い聞かせる。

基本的にこの家は防音仕様で、アルテナの声は外までは聞こえて無い筈だ。

声自体は玄関に備え付けられているマイクから聞こえた訳で、しかも、距離的に家の中に居るアルテナの声がそこまで届くわけが無い。

だから、まだ対策の立てようはある。居留守を使うという手が残されている。

しばらく様子を見てみようと思ってドアの前で待機する。

「ちわーす、お届けものでーす。誰か居ないのですかー?」

ドアの向こうから、野太い声でそんな声が聞こえてきた。

(…白々しいっ)

分かっている。

嘘だと分かっている。

さっき見た限りでは、荷物の類なんて何一つ見つからなかったし、何より、誰かから何かを送られるなんていう事前連絡すら無かった。それに気づかずにのこのこと出て行っては、それこそ相手の思うツボである。

故に、誰も居ないという演出を行う為に、アルテナは無言を決め込んだ。

ドア越しでは相手の様子を見る事は出来ないが、それでも、気配があるかどうかまでは察知できる。ドアの前にある気配さえ完全に消え去ってくれればいい。

(このまま居留守を決め込めば、きっと…)

その結論に達したアルテナは、ドアを前にして足音一つ立てずに無言で立ち尽くす。

妙な緊張感が彼女を包む。例えるならば、敵地に忍び込むスパイの気分と言った所か…やったことなんて無いけれど。

冷や汗が一滴、頬を伝う。

早くこの危機が去って欲しいという願いをこめて、アルテナが立ちつくしていたところ、









「なんだ、誰もいないのか?
 それじゃあ代金は、あそこの服って事で…」









その言葉が聞こえた瞬間、とても大切な事を思い出した。

極度…という程ではないが、緊張感を必要とする場に立たされていた為に、とても大切な事をうっかりと忘れてしまっていた。

だが、その発言が嘘だとは到底思えなかった。もし相手が本当にストーカーの類なら、その程度の事は簡単にやってのける。アルテナの知識にあるストーカーという人種は得てしてそういう人物像になっている。

加えて、このままでは事態がさらによろしくない方向へと向かっていくのは、明白。

「だめ――――――っ!!!」

脳内でその結論に至った刹那、気がつけば、大きな声で叫ぶと同時にドアを開けて飛び出しているアルテナ自身の姿があった。

必死だった。

大切なものを守りたいという感情が、その顔にしっかりと表れていたかなと自分で思う。

だが、その行動がどういう結果を招くのかは、最早説明する悔した時には、既に手遅れだった。

目の前には、アルテナの進路を塞ぐように立ちふさがり、腕を組んで優越感に浸ったような笑みを浮かべている三人の男の姿があった。














先ず最初に口を開いたのは、先頭に立つリーダー格らしき男だった。

「―――は、思ったとおりの行動だな、嬢ちゃんよ!!」

「あ、貴方達は一体何者ですっ!?」

そういいながらもすかさずドアを閉じようとするが、既に遅かった。

女性の腕力で、しかもアルテナの細腕では、男性の筋力に敵う理由が何処にもない。

成すすべなくドアはこじ開けられ、アルテナは逃げ場を失う。

玄関と部屋は直ぐ隣だが、バリケードの類などある訳もなく、例え部屋まで逃げたとしてもおそらく無意味。

仮に部屋の方へ逃げた後に窓から逃げようとしても、窓の鍵を空けている間に捕まる可能性だって捨てきれないし、何より、男達がアルテナを追いかける際には土足で上がってくるだろうから、折角の部屋がこの男達の足で汚れてしまう。

だから、ここは最も被害の少ない選択肢である『玄関先に留まる』という行動に出ざるを得なかった。

最も、見知らぬ男三人に目の前に立ちふさがれるという事態に対応しきれずにぺたんと尻餅をついてしまったために逃げようが無かったのだが。

「おいおい、俺達が誰だか知らねぇのか?あの有名な『賢人会議』様だぜ!」

リーダー格の男の左右に控えた部下らしき男二人のうち、右側の男が口を開いた。

『賢人会議』という名前には聞き覚えがあった。

アルテナの記憶では確か、シティばかりを狙うテロリスト集団―――だった筈だ。

だが、そうなるとどうしても解せない理由が一つある。

「そ、その『賢人会議』が、どうしてこんな所に居るの!」

次の言葉で、その疑問を吐き出した。

そう、本当に『賢人会議』なら、こんな所より先ず真っ先にシティを狙うし、何より、こんな卑下た真似はしない筈だ。

「色々と事情があるのさ。面倒だから詳しくは説明なんてしねぇけどな。
 …しっかし、情報は本当だったな。こりゃ上玉だ」

だが、アルテナの言った事をあっさりと一蹴し、一番右の男は下品な薄笑いを浮かべる。

「だろ?そうだろ?おれって流石だろ?」

むふーという鼻息と共に、得意そうに胸を張る中央の男。

「嗚呼流石だ。頭はバカだが煩悩に関しては天才だな、お前」

「それは褒めてんのか貶してんのかどっちなんだ」

「たぶん後者だ」

「なんだとてめぇ!」

部下二人が向き合って小競り合いを始める。

「おいおい、喧嘩は後にしろ。
 今は目の前の事に集中するのが第一だろうが。
 このままマザーコア用の魔法士として差し出せばかなりの報奨金が返ってくるだろうが…その前に、やっておくべきことがある」

一番最初に口を開いた男が、部下二人を纏める。

「やって…おくべきこと?」

アルテナの背筋に、果てしなく嫌な予感が走る。

『やっておきたい事』とは一体何だ?

男達をただのストーカーと見てみるにしても、

「まあアレだ、折角のチャンスなんだから、しばらくは付き合ってもらわねぇとな」

「この街にはいい女がいなくてよ。ちょうど欲求不満に駆られていたところなんだ。久々にその為のはけ口が見つかったぜ」

「据え膳食わぬは男の恥…って言うしな」

(それって、まさか…違うよね。違ってよ…)

男達のその言葉を聞いたアルテナの背筋に悪寒が走る。

一つは『魔法士』という発言についてだ。

何故、ここでその言葉が出てくるのか分からない。

なぜなら、彼女自身、その事・・・)/RP>は誰にも言っていない筈だから、赤の他人であるはずのこの男達がそんな事を知っている筈がない筈なのだ。

そしてもう一つは、この状況だ。

『やっておきたい事』と言われて、考えたくない考えが脳裏に浮かんでしまう。

自分は一人、相手の男達は三人。人数的に圧倒的にアルテナが不利。

しかもこの家の立地条件の都合上、ここは中々人の来ない場所である。

つまり、助けを求めても誰も来てくれる人なんていない。

そうなれば、この状況からして、何をされるか。

「い…嫌…」

―――脳が、理解してしまった。

少なくともアルテナとて外見年齢はそういう歳だから、そういう事に対する知識がある。

嫌な想像が頭をよぎり、足ががくがくと震える。喉がからからになったような感覚と共に、頬を冷や汗が伝うのを確かに感じた。

「で…出てって!!」

追い詰められて後ずさりも出来ないこの状態では、そう叫ぶしかなかった。

「へっ、出てけといわれて『はい、そうですか』って言うほど、世の中甘く出来てないぜ!!
 いい機会だ。これを機に人生って奴を学んでみるのも一興じゃないのか?」

「…酷い…それが人間のやることなの!?」

「だとしたらどうする!!」

「この世界はな、そう簡単に綺麗事がまかり通るほどうまく出来てなんていねえんだよ!!
 秩序!?法律!?そんなものが今の世の中でどんな意味を持つ!!世界中に非合法が散乱しているこの世界でよ!
 だから俺達は、自分に正直に行動しているのさ!いつ死ぬかわかんねぇからな!!
 それに、あんたとしても、この事を公言出来る訳無い筈…いや、寧ろ言えるわけ無いからなぁ」

「…こ、来ないで!!」

その言葉の意味が分かってしまった瞬間、アルテナは反射的に叫んでしまっていた。

「来ないと言われて本当に来ない奴なんていないんだよ!!」

だが、男三人がそれに応じる訳も無く、じりじりと間合いを詰めてくる。

アルテナが動かなくても段々と距離が狭まっていくが、その度に、不思議とアルテナの気持ちは落ち着いていった。

無防備な状態の相手が近づいてくるというこの事態は、以前、どこかで経験した事がある。

そうだ。この感覚は、確か―――。










―――其処まで考えた時、アルテナの脳裏に言葉が浮かんだ。











――あたしは、何をしているの?

――戦えないわけじゃないし、『力』が無い訳でもないじゃない。

――でも、今ここで、その『力』を使ったりなんてしたら、最悪の場合、関係無い人まで巻き込んじゃう。














――だけど!!!










それは現状を打破する為の手段。

こうなったら一か八かでやってみるしかないと、アルテナは直感で決意した。

(なるべく被害を抑える為に、この三人との間合いが限りなく近くなるまで待たないと…)

凛とした表情を俯く事で隠す。こちらに反撃の手段があることを、相手に悟られてはならないからだ。

その態度は、男三人には降伏の意思と見て取れたようだ。

「健気だねぇ…まあ、普通ならそう来るよな…。
 だけど、世の中そんなに甘くなぶべらっ!!

そしていざ一歩を踏み出そうとした男の首が、ゴガッ!!という音と共に横に一気に八十度くらいずれた。そのままバランスを崩して仰向けに倒れる。

頬によっぽど強烈な一撃を叩き込まれたらしく、そこには拳の後がくっきりと残っている。

ただならぬ様子に、残り二名も即座に反応した。

「おい!何が起きた!」

「分からねぇ…!けど、あいつがやられた!!
 一体何の冗談だ?あいつは俺達の中で一番打たれ強い筈なんだぞ!!」

完全に予測すらしていなかった突然の事態に、慌てふためきながら男達の言葉が発せられる。

しかし、目の前の男三人(気絶している一名を含む)とは全く真逆に、アルテナは頭の中で今の状況に対して冷静に思考し、対処していた。

まず、状況を整理するとこうなる。

今しがた倒れた男が居たのは、ドアに最も近い位置。

で、今、ドアは開けていたわけである。

そうなると、誰かが来て、ドアに最も近かった男をぶん殴って気絶させたという事になる――という結論に達した。

だが、その人物はアルテナの視界の中には映っていない。

当然、アルテナの方を向いていた男達の視界の中にも映っていない。










否、映っていないのではなかった。

『其れ』があまりにも高速で移動していたが為に、肉眼で捉えられなかっただけの事だったのだ。










その一秒後に訪れた変化が、その答えを理解させてくれた。

「――えっ?」

刹那、何の前触れもなく、アルテナの腰に誰かの左手が回される。

次の瞬間には有無を言う余裕もなく抱きかかえあげられ、身体に浮遊感が訪れる。

気がつかない内にアルテナの両腕が動き、誰かの首らしきところ・・・・・・・・・・)/RP>に抱きつく。

そのまま、アルテナの意図しないままに景色が動く。

玄関を、男達の間をすり抜けて外へと移動し、通り抜ける。

『通常の時間軸の流れ』の中に縛られている一般人には決して気づかれない動き。おそらく、男達にとっては『自分達の周りを一陣の風が駆け抜けた』といった感じに認識されている事だろう。

突然始まった高速移動は、アルテナにとって見慣れた家の外観を目の前にして突然止まった。男達は未だにあの玄関の中に居る。

現実時間にして一秒にも満たない高速移動―――おそらくその原理は『騎士』の使う『あの能力』以外にありえない。

「…あ」

その時になって、改めて、アルテナは誰かに抱きかかえられている事を理解した。

刹那、途端に顔が赤くなる。咄嗟の事とはいえ、抱きついてしまった事は事実なのだ。

心の中に浮かんだ『こんな顔なんて見られたくない』という思いのせいで顔も上げられないため、相手が誰だか確認できない―――のだが、アルテナにとっては、正解なんてものは最初から出ていたのかもしれない。

この街で、アルテナが信頼できる数少ない存在で、且つ、こんな事が出来るのは―――。

「…ちょっと待ってくれ。今、地面に降ろす」

聞きなれた声が聞こえたのと同時に、すっ、と、アルテナの体が足先からゆっくりと地面に下ろされる。それも、とても優しく、気遣うように。

その流れに逆らう事無く着地し、数秒ぶりの大地の感覚を足の裏に踏みしめる。

刹那、『もうちょっとあのままでいたかった』ちょっと残念な気持ちが心の中に広がったが、それを表に出す事はしなかった。

そしてその人物の顔を見た時、アルテナの顔に浮かんだのは笑顔だった。ただ、目の端にちょっとだけ涙が浮かんでいるから、泣き笑いと言ってもいいかもしれないけど。

目の前にいる人物の性別は男、髪の色は青系。着ている服も青系で、アルテナにとってはもうお馴染みとなっている顔。

異常に長い右側の髪の毛。その下に隠された隻眼を持っている人物といえば―――該当する人物など一人しかいないではないか。

「―――デスヴィン…さん!」

故にアルテナは、意識せずともその名前を呼んでいた。

どうして此処にデスヴィンが居るのかという疑問は、心の中に浮かんだ『嬉しい』という感情の前に消え去ってしまった。

「…とりあえずこの場合は『こんにちは』…ではなく『助けに来た』でいいんだな?
 ここに来たのは初めてだったが偶然とはいえこんな事になっているとは…どう見ても、只事ではないらしいな」

依然変わらぬ冷静さを装っているデスヴィンは、この状況の中にあっても尚、常に周囲の、厳密には目の前の男達に対し警戒を続ける。

「――――おい、お前達は変態か?」

すっ、と、まるで舞台での出番を無言で待っていたかのような役者のようにデスヴィンはゆっくりと一歩を踏み出し、アルテナをかばうように立ちはだかる。

常に涼しげな表情を見せ付けているデスヴィンとは真逆に、男達は顔中に不満の色を浮かび上がらせている。

最も、これからお楽しみの時間だったというのに、それを突然の来訪者によって邪魔されては当然の反応とも言えるだろうが。

「何だてめぇはぁ?
 いきなり出てきて人を変態呼わばりしやがって。
 この俺のピュアな心が傷ついたじゃねーか。どうしてくれる。」

不機嫌さと怒りを微塵も隠そうとせずに、三人の中でもリーダー格と思われる男が苦々しげに口を開いた。

加えて、その発言がとてつもなく白々しい。一体全体どこをどうしてどうしたら『ピュアな心』なんていう寒気の走る言葉が出てくるのか。

ついさっきまでは野獣そのものと化していた癖に、随分と身の振りを変えるのがうまい人…と、アルテナは思わずにはいられなかった。

それはデスヴィンも同じなようで、心の中に浮かんだ確かな怒りを、冷静に振舞うことで覆い隠しているようだ。目つきが普段に比べて鋭いのが何よりの証拠である。

「通りすがりの者だ、それ以上でもそれ以下でもない」

まるでその台詞を事前に準備していたかのように、デスヴィンはさらりと答える。

もちろん、この台詞もまた演技のようなものである事に、男達は気づいていないようだ。

「ああ!?
 どこの世界にそんな通りすがりがいるんだよ。
 それに、本当に通りすがりだったらとっとと出て行ってもらいてぇなぁ。
 いい時に邪魔されるとホントむかつくんだ。俺達はデリケートなもんでよ」

今度は部下の方が口を開いた。やはり、リーダー格の男同様、その声には不機嫌さが混じっている。ついでに、最後の方には卑下た笑みも混じっていた。

「何を言う。どう見ても無神経・非常識・自制心無しの間違いだろうが」

「――ンだとてめぇ。
 俺達を『賢人会議』と知っての狼藉なんだろうな?」

男二人の怒りの視線が、デスヴィンに対して鋭く突き刺さる。

この二人のガラの悪さも手伝って、その迫力はかなりのものだ。

だが、デスヴィンはそんな視線などものともしていない。はぁ、という溜息と共に、間を置かずに返答する。

「―――全く、白々しすぎてため息しか出ないな。
 『賢人会議』の名前を出せば、誰もが恐れおののくと思っている―――今更、そんな奴がいると思うのか?
 そして何より、お前らのようなタイプは、自分より強い奴には決して手を出さない、で、相手が自分達より弱いと分かれば容赦なく襲い掛かる。
 …まるで畜生だな。そして、俺はそういう奴らが一番嫌いなんでな」

鋭い目つきで二人を睨み付けながら、かなりの誹謗中傷と思しき言葉も混じえて堂々と言い切った。

一瞬だが、男達が、ぐっ、といった感じで顔をしかめた。どうやら図星らしい。

あるいは、デスヴィンの気迫に気圧されたかもしれない。

だが、男達にも度胸というべきものは備わっていたらしく、次の瞬間には元通りの悪党面で言い返す。

「…そういや一つ聞いてなかったな…てめぇ、いつからそこにいた?」

「つい先ほど…そうだな『こりゃ上玉だ』の辺りからだな。
 すぐに出てこなかったのは、状況を把握するのに少しばかり時間が必要だったのと、下手にお前達を刺激してアルテナに被害が及ぶ事を恐れての事でな」

「…それってつまり、殆ど聞いていたって事かよ」

「そうなるな。
 だが…お前達のその目的は絶対に果たされないものである事が、この時点で確定している」

「…へぇ、そいつはつまり、俺達がてめぇに負けるという事か?大した自信家だな」

「それ以外に何がある?お前達では俺には勝てない。もしお前達と俺が争えば、結果として、倒れ伏すお前達の姿がただそこに残るだけだ」

「…んじゃ聞くが、てめぇがそこまでしてこの子を守る理由は何だよ?
 ていうかてめぇ、通りすがりにしてはやけにその子と親しくないか?」

「世間一般で言う人の道というものに倣うなら、寧ろ俺の行動は当然と言えると思うのだが?」

「テメェ!!下手に出てりゃいい気になりやがって!!」

三人の中でもっとも荒れた顔つきをした男は、怒りこそ露にするもののかかってこない。

おそらく、頭はヒートアップを起こしているものの、それでもデスヴィンの隙を伺うことを忘れていないのだろう。どうやら、真っ向からデスヴィンに勝負を挑む事は自殺行為であるという理解だけはしているらしい。

「下手…ね。
 少女相手に大の男三人がかりという典型的な軟弱者のやることを平然と行うお前達が言えた口か」

「せめて、数の暴力と言ってもらいたいな!」

「違うな、弱者の群れだ」

因みに、三人の内、先ほどのデスヴィンの裏拳を喰らった一名は未だに気絶してしまっている為に何も言ってこない。

「は、自慢じゃねぇがな、俺は可愛い子に対してなら、どこに居ようとも必ず見つけ出せるのさ!」

「ほう、鼻が利くな。きっと先祖はだな」

「ふっざけやがってぇ―――――っ!!!」

「てめぇ…キザに気取ってんじゃねぇぞ…いい加減にしやがれ…」

「ああ、失礼したな―――これでは象に失礼だった」

「てめぇはよっぽど痛い目を見たいらしいな…お前は俺達を怒らせた、謝っても許さねぇぞ!」

…それはどちらかというと正義の味方のポジションについた者が言う台詞じゃなかったのだろうか。まあ、男達にとってはその行動こそが『正義』になっているだろうから、指摘したところで全くの無意味に終わるのだろうが。

しかし、デスヴィンもいい加減に痺れを切らしたようだ。

おそらく、知っている人間の、つまりはアルテナの目の前だから我慢していたのであろうが、これ以上演技を続けても無意味だと理解したらしい。

それ故か、次に放たれた台詞は、辺り一面の空気を変えるものだった。

「まだ気づかないのか―――下手に出てやっているのはこっちだということに。
 それに、今この場だが言わせて貰うが…もしかしなくてもお前達は、先日、俺とアルテナが一緒にいる時に視線を送っていた奴らだな」

「!!」

「な!!」

「ええっ!!」

その発言に、デスヴィン以外の全員が驚いた。

男達は驚愕の表情で、アルテナは驚きの表情で。

男達はすぐに我に返り、叫んだ。

しかし、先ほどから連続して図星を突かれたのが効いているのか、その顔には先ほどまでの強気な態度が見られない。

「…てめぇ!!気づいていやがったのか!!」

その為に、それを言うのが精一杯だったようだ。

「あれだけ気配を丸出しにしている視線なんて珍しいから、逆に気にしないことにしたのだがな。
 それに、あの場でお前達を問い詰めても、証拠不十分で結局は無意味だ。
 だから、現行犯として行動を起こすのを待っていたわけだが―――こうも早くに仕掛けてくるとは予測できなかったぞ」

反面、デスヴィンは未だ冷静さを保てている。

その理由は、戦いが彼の精神を大きく成長させていた為である。デスヴィンとて伊達に第三次世界大戦を生き抜いたわけではないという事か。

それからたっぷり二秒後に、男の部下がおそるおそる口を開いた。

「…そうだ!兄貴!
 こいつ、何処かで見たことあると思っていたら…あの時、この嬢ちゃんと一緒にいた男だ!」

とても大切な事を思い出しました、と体現しているかのように、青ざめた顔で部下が告げる。

「…なんだと」

部下の言葉に、リーダー格の男の顔も少しずつだが青くなっていく。

「…まあ、そういうことだ。
 で、お前達は今、犯罪未遂をするところだった。と。
 そんな奴らには、相応の罰が必要だな。それに、いい加減、お前達の戯言やら何やらを聞くのに飽きが来ていた」

最初に比べると随分と大人しくなった男達の様子など無視して、デスヴィンは話を進める。

アルテナ自身、デスヴィンに同意するような形になるが、いい加減に男達の戯言やら何やらを聞くのに飽きが来ていたのだ。

それに、早くこの件を終わらせたいと思うのは、アルテナとて当然の事でもあった。

と、アルテナがそこまで考えた時、デスヴィンがアルテナの方を振り向いた。

「アルテナ――とりあえず、正当防衛の成立って事で、こいつらを始末していいのか?」

そして、極めて冷静にそう告げた。

始末、という単語に一瞬だけ驚くアルテナ。

確かに目の前の三人は、己の私利私欲によって動いているという弁護の余地もない程の悪人だ。

だが、だからと言って命を奪ってまでの制裁をして欲しいとはとても思えなかった。
故に、アルテナは考えるような仕草を取った後に、答えを告げる。

「あ、は、はい…でも、出来れば殺さない方が…」

「殺さない?
 あのままだったら君は女性としての尊厳を奪われていたというのに、何故そう言える?
 まさか、法による正当な裁きを下そうというのか?」
 
「…違います。
 あたしの望みは、もっと簡単な事」

一呼吸置いた後に、アルテナは続けた。








「…こんな平和な街で、血を流すような事を、デスヴィンさんにして欲しくないだけだから」







「…な、に?」

どうやら、流石のデスヴィンでもこの答えは予測できていなかったらしい。

「デスヴィンさんは言っていましたよね。
 第三次世界大戦に参戦し、その後は傭兵として戦後の十年を生きてきたって。
 でも、そのせいで、デスヴィンさんはたくさんの人達の命を殺めてしまった。
 …仕方の無い事だって言ってしまえばそうかもしれない。だけど、いいえ、だからこそ、これ以上殺してほしくなんてないの」

「…だが、俺は今まで大量の命を殺めてきたんだぞ。今更、たった一人や二人を生かしたところで―――」

「だから、始めるべきだと思うの。
 うまく言えないけど…せめて、殺める数を少しでも減らすことから…でいいのかどうか分からないけど、そこからやっていく事が必要なんだとあたしは思うの。
 どんな形でも、命って、そんなに軽いものじゃないと思うから…

しどろもどろになりながらも、その台詞を何とか言い切ったアルテナ。

「そうか…なら、そうしようか」

それに対しデスヴィンは無言で首を縦に振った。

刹那、今まで黙りこくっていた男達の顔に、改めて怯えの色が浮かんだ。

「…おい兄貴、こりゃ拙いんじゃないのか?
 今の話が本当なら、この男、あの第三次世界大戦を生き抜いたって…それじゃ、黒沢祐一みてぇなもんじゃねぇか」

「…俺だってそんな話聞いてねぇぞ…。
 そして、なんでこんな奴が、あの嬢ちゃんの知り合いなんだよ…。
 話が…話が違うじゃねぇか…」

「…こりゃあもう…逃げるしかないよな」

「――ああ、撤収だ!!」

どうやら、未だに玄関先で気絶している部下を放って二人で逃げる心算らしい。

男二人は踵を返し、一気に駆け抜ける。

だが、相手がデスヴィンでは、それは最早無駄に等しかった。











「相手を殺さない選択肢を選ぶのは本当に久しぶりだ…」

はあ、とため息を吐いて、青年は男達の背中に視線を向ける。

「せめてもの情けだ。お上に突き出す程度で済ませておいてやる…」

(I−ブレイン起動。『自己領域』発動。運動速度を通常の51倍、知覚速度を102倍に設定)

刹那、並の人間程度の肉眼には到底視認出来ない程の速度で、デスヴィンは疾走を開始した。









「―――ばわ!!」

「―――ひでぶっ!!」

次の瞬間にはごすっ、がす、どふっ、という鈍い音が、順番に男達の腹から響き渡る。

現実時間にして一秒足らずして、三十メートルも走りきらないうちに、男達は腹を抑えて地面に仰向けに倒れ伏した。














【 + + + + + + + + 】













街の治安部隊に詳細を話した後に男達を任せて、アルテナの家の玄関で、二人は並んで腰を下ろしていた。

いくら親しい仲といっても、デスヴィンが女の子の部屋に入るなんていう真似は出来ないし、アルテナとしてもそれを許さないだろう。

「――怪我はなかったか?」

「はい、デスヴィンさんが来てくれたお陰で」

「そうか、よかった…。
 君にもしもの事があったら、恭子にどやされてしまうからな…『あんたは一体何をやっていたのよ!!』とか容赦なく言われそうだ」

「ふふ、違いないかも。
 でもデスヴィンさん、どうしてここに来たの?
 確か、あたしが雑貨屋から出た時は、まだ恭子さんと話し合っていた筈だったんじゃ…」

「ああ、その件なんだが、恭子…さんから忘れ物を届けてくれとたのま…」

年長者であるが故に、恭子に対してはさん付けをしておいた。

最後まで告げようと思ったものの、その途中でデスヴィンは口ごもった。

思い出したのだ。戦いが終わってから、何としてでもアルテナから聞き出したいと思っていた事を。

無論、この街の住民にとってそれぞれの過去を詮索する事はタブーに等しいという話を、以前にアルテナから聞いている。

だが、デスヴィンの心の中に浮かんだ疑問にとって、そんなものは関係なかった。

そもそも、この疑問は第三者のとある発言から生まれたものなのだ。故に、真偽を確かめる必要性がある―――それが、彼女にとって封印したい事であったとしても。

加えて、I−ブレインに感じてしまているのだ―――若しアルテナが本当に………であれば、感知されるはずの無い反応が。とても、とても微量ではあるけれど。

そこまで考えると、自然と覚悟が決まった。

だから告げる。今こそ、それを告げる。

I−ブレインに感じる、この違和感の正体を突き止めるためにも。

「それより気になったんだが…」

「え?」

すっ、と瞳を細めて、デスヴィンははっきりと告げた。










「さっきの男達は言っていたな―――君が、『魔法士』だと…それは一体どういう事だ?」










アルテナの顔に一瞬の陰りが見えたのを、デスヴィンは見逃さなかった。











【 + + + + + + + + + 】











『………』

魔法士だと指摘されても、アルテナの心の中には、不思議とそれほどの驚きなど無かった。

予測は出来ていた。

あの時、デスヴィンが男達とアルテナの殆どの会話を聞いていたとなれば、当然、疑問に思うのも無理は無い。

男達ははっきりと『魔法士』だと告げたのだから。

勿論、この街にも幾人かの魔法士は居る。

しかし、それを知っても尚、この街の人々はそれについては特に言及しようとしない。

それは、いつの間にかこの街に課せられた暗黙の了解。

だが、アルテナは今まで『自分は人間だ』と名乗っていた。

魔法士であるという事を明かさずに、嘘をついていた。

きっとこれは今まで嘘をつき続けた代償なのではないかという考えが脳裏に浮かんだが、即座に打ちけす。

だが、そんな行動とは裏腹に、心の中では一つの、諦めにも似た感情が浮かんでいた。

そろそろ言うべきなのかもしれない。という考えと共に、その感情はどんどん大きくなってくる。

「…えーと、いわゆる『かまかけ』じゃなかったんでしょうかね?
 なんていうか、ああいう人達って言うのは、理由なんて何でもいいから、ただ、自分の欲望を叶えたいっていう思考の持ち主であるケースが非常に多いですから…」

…だが、それでも、目の前の彼には、まだ真実を告げたくなかった。

それ故に駄目元で告げたのは、一つの理論。それも、あの男達の精神状態から考えれば十二分に可能性があるものだ。

「そうか…」

アルテナの理論を聞いたデスヴィンは、顎に手を当てて考え込む。

ほっ、と小さく、本当に小さく安堵の息を吐いたところ――ちくり、という痛みが、アルテナの心に突き刺さった。

(…っ)

痛んだ胸を反射的に押さえる。

分かっている。

今のは嘘で、自分は今、デスヴィンに嘘をついたのだと。そしてこれは、その嘘に対する代償のようなものなのだと。

嘘をつく事には抵抗があったが、それでも、嘘をつかずにはいられなかった。

これは夢か何かだと思いたかった。きっと、この後アルテナはベッドの上で目を覚まして、今までの事が全て夢なんだという事にしておきたかった―――出来る事なら。

だが、先ほどの心の痛みの件で、これは夢なんかじゃないと認めざるを得なかった。

そして、代償はやはり支払われるべきものなのだという誰かの言葉が体現されたかのように、この状況の変化はその時に起こった。

アルテナの理論に対し考え込んでいた様子のデスヴィンが、突然口を開いたのだ。

「確かに、理論的には間違ってないな。
 だけど今、それを言っても誤魔化しきれない」

―――ぎくり、という音が、アルテナの心の中で聞こえた。

「誤魔化す…って。
 あ、あたしは嘘なんて言ってな」

アルテナの意見は、強い口調で告げたデスヴィンの意見によって途中で遮られる。

「いや、もう言い訳も何も通じない。その証拠に、俺のI−ブレインが反応しているんだ。
 初めて会った時にも、この前一緒に居た時にも気づけなかったが、こうやって意識を集中させると、本当に僅かながらだが、I−ブレインの微弱な反応を感じ取ることが出来るんだ。
 だけど、その力はとても小さい。だから、今まで気づかなかった。
 しかしながら、それでも確定している事が一つある…それは、君が魔法士だって事だ。
 …教えてくれ。どうして、それを隠し通してきたんだ?」

「…………」

もう隠し通す事なんて出来ないという事を、アルテナは悟った。










【 + + + + + + + + + 】











デスヴィンがその結論に達すると同時に、無言のまま、アルテナが顔を俯かせる。

辺り一面を気まずい空気と、物音全てが消え去ってしまったかのような沈黙が流れる。

五秒、十秒…互いに一言も言葉を交わさないまま、ただ時間だけが過ぎていく。

話す事が見つからないわけではない。話そうにも、話を切り出しにくい雰囲気になってしまったのだ。

言ってから『しまった』とデスヴィンは感づいた。

アルテナが魔法士である。それは、今や覆しようの無い事実だという事が判明している。

だが、それならば何故、アルテナは自分が魔法士だという事を明かさなかったのか…という一つの疑問が残る。

しかし、今、彼女に其れを問いただす事は、どう頑張っても出来そうに無かった。

―――ふと、会話を切り出す為の口実を思い出す。それは、先ほど言いかけて途中で言葉を濁した内容でもあった。

そもそも、デスヴィンがここに来る事になった本当の目的はこれだったのだ。予測しなかった事態のせいで、すっかり忘れていた。

大戦中や傭兵時代の頃には『こういった大切な事』は決して忘れなかった筈なのに、此処に来てから何故かそういった大事な事をついつい忘れたり、今まで体験した事のない事に対して反応に困ったりと、ある意味では新鮮な経験ばかりを積んでいる。

「あ、そ、そうだ。
 恭子…さんが君にプレゼントだって、俺にこれを渡してくれるように頼まれていたんだ。」
 ここに置いておくから、後で見てくれ…。
 そ、それでは、俺はこれで失礼する」

懐から小包を取り出してアルテナの隣に置く。それはまるで、アルテナとデスヴィンの間に壁を作るような事だという事に、その時のデスヴィンは頭が回らなかった。

続けてデスヴィンは立ち上がり、出口の方へと歩みを進めた。

これ以上、ここに居たくなかった。

この気まずい雰囲気から、空気から解放されたかったのかもしれない。

無論、デスヴィンは今までこんな状況下に陥った事がなかった為に、対処法が分からない。故に、下手に口を開くよりは、一旦話を切るという対処法に出てみたわけである。

だが、デスヴィンが立ち上がってから四・五歩ほど歩いたところで、

「…待ってください」

小さいけどはっきりとした声で、アルテナは告げた。

その声に反応し、ぴたり、とデスヴィンの足が止まる。

だけど、振り向けない。

体が氷付けになったかのように動かない。

アルテナの居る方へと振り向くだけという、普段ならとても簡単な事が、今は出来ない。

恐れている。

自分で分かるほどに、デスヴィンは恐れている。

其れは、背後にいる少女から『其れ』を告げられるという事に対する圧倒的な恐怖心。

じわりじわりとにじみ出てくる、嫌な冷や汗。

先ほどまではなんとも無かった筈の喉が、急にからからになったような感覚。

敵地潜入の時と同じ、いや、経験がない分、今回の方が遥かに重いプレッシャーとして感じられる。

「デスヴィンさんの言う通り、あたしは魔法士です。それは、絶対に間違っていません」

「―――っ!!」

次に放たれたアルテナの言葉に、反射的に踵を返すデスヴィン。

アルテナの言葉により、恐れによる呪縛が解き放たれたのだろう。先ほどまでは動かなかった体があっさりと動いた。

其れと同時に、心の中に何処かにあった『出来る事なら否定したい』という思いが打ち砕かれる。

「どうして、戦わなかった?
 …まさか、戦いに使うことの出来ない能力なのか?」

「その件については、あたしは答えられません。
 理屈なんて関係ない―――ただ、答えたくない…これじゃ、駄目なの?」

「―――いや、それだけで十分に理由として成り得るから、君が答えなくないなら答えなくてもいい。
 なら…」

「ごめんなさい。帰ってください」

『君は一体どこから来たのか』と言おうとしたデスヴィンの言葉は、アルテナによって遮られた。

強い口調で告げられたのは、強すぎる否定の言葉。

当のアルテナ自身はうつむいているのに、その体からは、圧倒的なほどの意思の塊が感じられた。

あらゆるものを拒絶するという、確固たる意思の表れ。

「帰って…ください」

「ッ!」

更なる拒絶の言葉――だが、それでもデスヴィンは動かない。否、動けない。

金縛りにあってしまったような、そんな感覚。

そんな間にも、空気は張り詰めていく。

頭の中がぐるぐるする。どういう行動を取っていいかわからずに思考していると、

「―――帰って!帰ってぇ!!!!」

とうとう、痺れをきらしたらしいアルテナの喉からヒステリックな声が発せられた。









―――やりきれない表情と共に踵を返したデスヴィンは、無言でその場を去った。

背後を降りかかる事は、どうあがいても出来そうに無かった。

ひっく…ひっく、という小さな声が、かすかに耳に入った。














【 + + + + + + + + + 】
















自分の『家』に戻ったデスヴィンは、ベッドに腰掛けてぼうっと考え込んでいた。

窓の外には既に暗闇が広がっており、脳内時計も『午後六時二分十七秒』を告げていたが、そんなものは今のデスヴィンにとってはどうでも良い事の様に感じられた。

―――何故だ。

ただそれだけの言葉が、脳内をめまぐるしく駆け巡る。

アルテナがどんな経歴を得てここに来たのかなんて、聞いた事も無かったし、聞こうとも思えなかった。

他者に興味が無いわけではない。今の関係を壊したくなかった。ただ、それだけだったからだ。

だが、今日のように、魔法士である理由も話したくないのなら、仮に聞き出そうとしたところでアルテナは答えなかっただろう。

その問いを口に出した場合の事を考えると、自然と、俯いてだんまりを保ち続けるアルテナの姿が脳裏に浮かぶ。

そうなると、アルテナに対する見方が少々変わる。

いつも明るくて、人々に笑顔を振りまく天真爛漫な少女という"一見した"イメージの中に浮かぶのは、外部からの疑問を、疑念を、問いかけの全てを頑なに拒む少女の裏面。

拳を強く握り締めて、全てから目をそらさんとばかりに俯く少女のその姿。

「――何故だ!!」

思考の中に入り込んでくる負の意識に耐え切れず、デスヴィンは叫んだ。

続いて、頭を振ってそのイメージを根本から否定する。

仮想とは言えそれを想像した瞬間、デスヴィンの心に否定の意思が生まれたが故の行動だった。








しばし時間を置いて落ち着いてから、いつもの冷静さを取り戻したデスヴィンは己の心と向き合い、対談する。

この件についてはそれほど深く考える必要など無いのだと己に言い聞かせる。例え其れが一時的な先延ばしに過ぎないと脳内で分かっていても、そうせずにはいられなかった。

さらに、この問題とは全くの別の方向で分からない事がもう一つある。

それは、デスヴィンの心の内に強く語りかける、自己に対する疑問だった。








…どうして俺は、アルテナにあんなにこだわるんだ?








全てが、その一言に集約されていた。

そこいらにいる一般人と変わらなかった筈の少女。

人は誰にも強制されぬまま、自分の意思で歩いて、動いて、死ぬまでのその時間を悔いのないように過ごす。

それは誰にとっても同じ事で、その根本的理論に違いなど無い。

だが、だからこそ分からない。

今まで、人間などみんな同じだと思っていた筈だった。死ねば皆大地に変えるだけだと、そう思う事で大戦を生き抜いてきた。

命を奪う事が普通だった生活。常に他人を犠牲にしてのし上がってきた自分。

そんな筈の自分が、どうして、たった一人の少女にここまでこだわり続けるのか――――――。













それは未だ答えの出ない疑念。

それは未だ答えの出ない疑問。

それは未だ消えない葛藤。

それは未だに漂う不快感。

それは未だに解決できぬ悩み。
















そして――――――最も答えの出ないものは、それを考えてしまうデスヴィン自身の『気持ち』だった。









この時、ここに来て『自分』が変わってきたと、デスヴィンは素直に認めていた。

『変わる』ことにより、以前には考える事の無かった疑問や悩みが生まれたのだ。

しかし、もとより新たな道に進むという事は、それ相応の新たな悩みに襲われるという事であり、それらを切り離す事など絶対に不可能なのである。

だからこそ人は、その度に新たな道を切り開き、解決策を生み出す為に思考錯誤し、何らかの形で結果を生み出す。それがうまくいこうがいくまいが、如何にかしてこの『現状』を変えようという『努力』を厭わない。

有史以降、ありとあらゆる物事の森羅万象に置いて常々に君臨し続けた絶対なる法則で、『人間』にしか出来ない事。

例え同じ人間であろうとも、そこに敵が居るから殺し続けるという、まるで『機械』の様な考え方をしている間には、絶対にたどり着けない境地。















―――そしてデスヴィンは、気づかぬうちに『人間』になろうとしていた。

殺すだけの無感情な『機械』ではなく、感情を持った『人間』へと。















「教えてくれ―――俺は、どうすればいい?」








常に物事を一人で解決してきた筈のデスヴィンの心にある今の感情。




其れは―――――――――求め。




この日、生まれて初めて、デスヴィンは誰かに対して『求め』た。

この心の中に生まれた悩みの、葛藤の、思いの、疑問の、その全ての意味を告げてくれるものの存在を。






























<To Be Contied………>















―【 おまけどころじゃない存在感になっちゃってるらしいキャラトーク 】―










ノーテュエル
「さぁて、前回休んだからすっごい元気!!
 前回は活躍できなかったけど、今回は喋るわよ〜!」

ゼイネスト
「…いっそ、ずっと休んでいた方が良かったと思うのは俺だけか?」

ノーテュエル
「うん、あんただけ。
 という訳で、さあ、誰でもいいから来ーい!!(ポチッ)」







聖騎士
「―――ここは」






ノーテュエル
「『聖騎士』光臨―――ッ!?」

ゼイネスト
「まさかこう来るとは、俺でも予測がつかなかったぞ…」

ノーテュエル
「いや、それ以前に『聖騎士』はまだ一話しか出てないでしょ!!
 それなのに出しちゃっていいのか作者!!」

聖騎士
「…これは随分と元気なお嬢さんですね。
 この滅亡へと向かう世界でこれだけの前向きな思考の持ち主は、正直、珍しいと思いますよ」

ノーテュエル
「お、おじょうさん………私が……おじょうさん……」

ゼイネスト
「…『聖騎士』と言ったか。
 それは褒め言葉か?それとも天然か?」

聖騎士
「褒め言葉と言われても…僕はただ、思った事を言っただけですが…」

ゼイネスト
「…ああなるほど。すまなかった。
 そういう口調をする奴は大抵がナルシストとがだったりするんだが…どうやら君は違うようだな。
 本当の意味での礼儀正しさを心得ている。この世界ではかなり珍しい部類の人間だな」

聖騎士
「分かってくれたのならそれで結構ですよ。
 後、僕は次の話で本名が明らかになるので、今回はこのまま『聖騎士』でいかせていただきますよ」

ゼイネスト
「こうしてみると、名前が分かってるって幸せなんだな…。
 そしてノーテュエル、いい加減に現実に戻れ」

(ぺしーん!!)

ノーテュエル
「―――いったーい!!
 なんで叩くのよ―――っ!!」

ゼイネスト
「お前はファンメイか」

聖騎士
「…ええと、無闇に女性の方の頭を叩くのはどうかと」

ノーテュエル
「わーい、庇われた♪」

ゼイネスト
「……(何か言いたいが言い出せない)」








聖騎士
「それにしても…とんだ奴らですね。
 女性一人に対して男三人で暴行未遂ですか…もしここに僕が居たら、問答無用でこいつらに引導を渡してますね」

ノーテュエル
「うわお、正義感が強いのね〜」

ゼイネスト
「…ちょいと質問だが、それは女性なら誰でも庇うとかいう事ではないよな?」

聖騎士
「ええ、例えるならふしだらな女性には手助けなどしません。自業自得・因果応報です」

ゼイネスト
「それを聞いてさらに安心した」

聖騎士
「分かっていただければ結構ですよ」

ノーテュエル
「それにしても…アルテナが魔法士だって予測できた人って何人居るんだろ?」

ゼイネスト
「どうだろうな…もしかしたら、どいつもこいつも目の色変えて驚いている可能性もある」

聖騎士
「ですが、おそらく彼女には、自らが魔法士であるという事を隠さねばならない理由でもあったのでしょうね。
 魔法士が普通に街を歩くこの時代に、魔法士と名乗っていても何の差支えも無かったはずです。
 デスヴィンが魔法士だって事を知ってもなお、街の人達は普通に接しているようですし」

ノーテュエル
「む〜ん、その理由は後々まで待とうって事でOKかな?
 …最も、それが只事で済んでくれればいいんだけど」

ゼイネスト
「堕天使シャロンの時といい、この物語は意外なキャラに意外な真実があったりするからな。
 それはアルテナとて例外ではないかもしれない」

聖騎士
「後気になるのは、デスヴィンの心境の変化ですね。
 ここに来て初めて、彼は悩み始めた―――それも、人間らしく」

ノーテュエル
「ていうか、アルテナの事が忘れられないんでしょ?
 それって絶対にだよぉ〜」

ゼイネスト
「…今想像してみたが、凄い凸凹カップルな構図が浮かんだぞ」

聖騎士
「まあ、今は予想だけにしておきましょう。
 実際どうなるかは、物語が進まないと分からない訳ですから」

ゼイネスト
「結局はそこに行きついてしまうんだよな。
 …と、聖騎士。
 君、随分と順応が早くないか?」

聖騎士
「これでも融通は効くつもりですから」

ノーテュエル
「うんうん、朴念仁じゃないとこがまたいい。
 何よりかっこいいしなぁ…」

ゼイネスト
「でもお前は本編だと既に死んでるから、カップリング成立は不可能だぞ」

ノーテュエル
「…それ言うなぁ;;」









聖騎士
「それでは、僕はこの辺で…実は、結構忙しいんですよ」

ノーテュエル
「あれ?もう行っちゃうの?
 まあ仕方ないか。次回で本名が分かるんだもんね。
 期待して見とくわよ。聖騎士さん」

ゼイネスト
「後、このキャラトークのお陰で聖騎士の性格が伝わってくれていれば幸いだな」

聖騎士
「違いありませんね…それでは」






ノーテュエル
「行っちゃった…か。
 さぁて、気になる次回は『かつての出会い、そして再会』―――みたい」

ゼイネスト
「それではみなさま、次回までさようなら」

ノーテュエル
「おやすみ―――」

ゼイネスト
「また寝るのかっ!!!」

ノーテュエル
「疲労回復にけちつけるの?」

ゼイネスト
「どれだけ疲れるペースが速いんだよ…」

ノーテュエル
「活躍してますから―――♪」

ゼイネスト
「ああ成程。
 だから脂肪が発散されて、シェイプアップに成功しているのか。主に胸囲の」

ノーテュエル
―――こ、殺す!!
 楽に死ねると思うな!!」←(凶戦士化)

ゼイネスト
(…またやっちまった。さて、次回まで何とか生き延びるかな…)























<こっちもTo Be Contied〜>




















(あってもなくてもどうでもいいような)作者のあとがき>










今回の展開は結構悩みました。
なんていうか、描写が。


暴漢に襲われる女性の気持ちなんて分かるわけないので、なんとか頭を捻って書くしかありませんでした。
こういうのは一歩間違えばそっち系の話に行っちゃうからなぁ。
漫画とかでもそういうシチュはあるけれど、ほぼ未遂で終わるのが当たり前ですしね。


とにもかくにも、アルテナも魔法士だった事が判明いたしました。
では、どうして彼女が魔法士だとばれなかったのか?
この時点でそれが分かる方がいたら素直に凄いと思います。


DTRに比べると、ほんと、色んなシーン書いてるなぁ
後はWBで最も大事と言われる食事のシーンあたりを書きたいんですけど、舞台が整ってくれてないという…。

…まあいいか、頑張りましょう。

それでは。





○本作執筆中のお供
マスカットティー







<作者様サイト>
Moonlight butterfly


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