くぐもった呻き声と共に、血まみれの男がうつぶせに倒れ伏した。
外傷こそないというのに、体中から鮮血が滴り落ちている。まるで、内部から血が爆発したかのようだった。
「…は、容易い」
それを見届けた外見年齢11歳位の少年が、やや高めの声で一言だけ呟いた。
2187年11月、シティ・ニューデリーからシティ・アフガニスタンへと送られた精鋭魔法士達二千人は、たった一人の魔法士によって全滅させられた。
『彼』の前では、たかだか二千人程度の騎士など敵ではなかった―――。
一瞬の間を置いた隙に半数が全滅し、白兵戦を挑んだ者達はことごとく返り討ちにされ、誰一人として彼に一太刀すら浴びせる事が出来なかった。
命からがら逃走に成功した者からの報告によると『まるで電子レンジのように、人間が爆発した』との事だった。
『彼』は、純粋に強かった。
誰がどう見ても、強かった。
彼の通った後には、さらに荒廃した大地と、勇敢にも彼に挑んだ者達の死体だけしか存在しない。
幾度の戦場において彼は鬼人の如き強さを発揮し、所属していたシティ・アフガニスタンと敵対するあらゆるシティとその魔法士達を苦もなく葬り去るその姿は、表向きには英雄と称され、裏では殺人鬼と蔑まれた。
本来、彼が生まれた場所は此処とは違う場所であったが、彼は生きる為にシティ・アフガニスタンに所属した。安定して食料や住居が手に入る場所に居た方が、様々な意味で都合がいいと考えたからだ。
そう、彼は英雄と呼ばれていた。
シティ・アフガニスタンを守る為の最後の砦となり、安定した生活の代償として、攻め来る他のシティの連中を返り討ちにする事を義務付けられていた。
だが彼は、英雄という薄っぺらな言葉の裏に隠された、人々の本当の気持ちを知っていた。
彼を称える人々の笑顔は上辺だけの偽りで、本当は、逆らえば自分も殺されるという恐怖心と、こんな化け物と一緒に居る事自体が不快だという意思を虚実に表していた。
それを裏付けるように、人々のほうから、年に接触してくることなんてなかった。
軍の人間が任務を与えるために接触する。それだけが、彼が他人と触れ合える瞬間だった。
いつの間にか世間からは『殺戮王子』などという汚名を着せられていたが、彼にはそれに反論する事などままならなかったし、反論する気すらなかった。
いつもそうだった。
どこにも、青年の居場所など無かった。
彼は戦場において、常に孤独な勝利だけを噛みしめる。
殺して、疎まれて、殺して、疎まれて。
永遠の回帰とも呼べる無限ループ。
おそらくは、彼が生きている限り続くであろう終わらない輪舞。
力だけでは、本当の意味でついてくる人間などいない。
頭の中では分かりきっていた事実なのだが、それでも、彼の心は常に憎しみに駆られていた。
力を持ったが故に彼は孤独となった。
己が憎い。
他人が憎い。
世界が憎い。
カミサマが憎い。
全てが憎い。
―――そう、彼はとうの昔に、全てを憎んで生きることを決意していた。
だが、そんな日々はあっけなく終わりを告げる。
シティ・ンジャメナの魔法士達との交戦中に、シティ・アフガニスタンの中心部のマザーコアが暴走を起こし、システムが耐え切れずに大爆発を引き起こした。
シティ・アフガニスタンの外壁の内側に、犯罪者の類が脱走するのを防ぐ為にと強固な装甲を備え付けていたのが逆に災いした。
それは、シティ内部の人々の非難を妨げる最大の壁となってしまったのだから。
人々を襲った破滅の爆炎と爆風はシティ内部だけにとどまり、全てを飲み込んだ。
建物も、街路樹も、シティ・アフガニスタンに住まう全ての命を一時間足らずで奪いつくした。
生存者は――――ゼロ。
円形状のドームに住まう億を超える人々と、いけ好かない軍の人間達は、全てが灼熱の炎に飲み込まれて死滅した。
同時に、シティ・アフガニスタンも地球上からその姿を消した。
だが、そんな事態に合っても尚、彼は何も感じなかった。
心の中にぽっかりと大きい穴が空いてしまったような、そんな感覚。
強いて言うならば、住まいが無くなってしまった事だけがちょっと残念だった。
そして、ただ一言、全てを哀れむように、蔑むように叫んだ。
その口に、にやり、と薄く笑みを浮かべて。
――――――――ざまあみろ。
その後もシティを転々とし、あらゆる場所で英雄と呼ばれ、あらゆる場所で殺人鬼と蔑まれた。
居心地のいい場所なんて、一箇所も無かった。
大戦によって彼の名が、彼の存在が少なからず広まっていたせいだった。
みんながみんな、上辺だけの言葉を並べてへつらうばかり。
真に彼を理解しようとする者なんて、一人も居なかった。
街を歩いていて、無邪気な笑顔を浮かべた子供が近づいてきただけで、その保護者と思しき者が駆けつけ『この人に近づくんじゃない』と言ってのける。
その後は加えて小声で『こんな殺し屋なんて、いなくなってしまえばいいのに…』といった類の言葉を小声で呟くのだ。
言い返すのも馬鹿馬鹿しかった。こういうタイプの人間は、得てして己の考えを曲げないという特徴を持つと知っていたから。
例え情報によって得た情報でも、己の考えも何も無しに自分の意見だと信じ込む。
人類の歴史に実在する存在からたとえを言わせて貰うと、20〜21世紀あたりの小学校のPTAとやらに頻出した、自分の意見を意固地になって通し、他人の意見なんて完全に無視する類の人間だ。
『この人に近づくな』
『そいつに触れるな』
最初のうちこそ、その言葉を聞くたびに、心に何か鋭いものがぐさりと何かが突き刺さるような感覚があった。
だが、既にそれに慣れてしまった今では、そんな事を言われても何も感じない。
もしかすると、心が麻痺してしまったのかもしれない。
だけどその時、これはいい、とすら思った。
自分はただの殺戮兵器。
意思を持つ殺戮兵器。
殺す事と、蔑まれる事。
この二つしか行えないまま、この世に産み落とされた存在なのだから。と、己に言い聞かせる為の口実が出来たのだから。
2188年に戦争が終結しても、彼を取り巻く環境は何も変わらなかった。
だが、死のうとは思わなかった。
ただ、生きねばならないと思っていた。
生きて、生きて、こんな自分を産み落とした科学者と、こんな力を必要とされる世界に対して、何らかの形で抗っていたかった。
全ては反逆。大嫌いな世界への、精一杯の反逆。
世界が自分を否定するならば、その否定に抗おう。
貴様らの思い通りになどなってたまるものか。こんな世界、こちらから逆らってやる―――。
だが、生きているならば、必ずしもどこかで『転機』が存在する。
それはよい意味でも悪い意味でも存在する上に、本人にとってどちらの意味での転機なのかは、実際に遭ってみないと分からない。
そして、今回の転機は――――――。
思い返せば、一瞬の油断が、命取りになった。
時は西暦2198年一月半ば、彼が二十三歳の時の事だ。
零下四十度の雪原を歩いていると、まさに唐突に虚を突かれて、何者かが振り下ろした剣戟をかわしきる事が出来ず、背中に鋭い一撃を貰った。
相手の速度は分からない。剣を使っていることから能力的には『騎士』だろうと判断した。
だが、第三次世界大戦を生き抜いた彼には、最初の一発こそ当たれど、それ以後の剣戟は一太刀とも触れることすら敵わなかった。
彼の能力は、近くに位置する人間を、只一人の例外もなく死滅させる能力なのだから。
しかし、彼もまた、その一撃から逃れる事ができなかったのも事実。
もしかしなくても、疲れていたのかもしれない。
長い戦いと放浪生活から来る疲労が判断力不足を引き起こし、その結果、彼の判断を鈍らせたのだろうと後々になって思った。
相手を一撃で葬ったものの、不意打ちによる最初の一撃で背中に負った傷はとても大きかった。
辛うじて臓器には届いていなかったものの、それでも、並の人間からすれば重症の類と判断できるほどの傷だった。
包帯と脱脂綿と消毒薬でで応急措置をした後に、痛みと出血でふらつく頭を押さえながら彼は歩き出した。
気がつけば、青年がかつては所属していたシティ・メルボルンにたどり着いていたからだ。
どこをどういうルートで辿ればシティ・メルボルンにたどり着くのかなんて、今更覚えてなんていなかった。が、おそらく過去の記憶がなんとなしにこの場所を選んだのだろうという事で結論を出しておく。そもそも、こんな時に小難しい事なんて考えたくも無かった。
そのまま仰向けに地面に倒れ付と、全身が脱力感に襲われる。
同時に汗が噴きだし、撫でるように吹いた風によってちょっとだけ涼しさを感じた。
応急措置で止血こそしたものの、出血は思っていたよりもずっと激しく、包帯で押さえつけた清潔な脱脂綿はとっくに真っ赤に染まっている。
(…おれも、もう終わりか)
わずかに残った力をこめて、手ぶらな状態の右腕を動かそうとする。左手は倒れながらも銃を握っている為に手ぶらではないし、例え死んでもこの銃を手放すわけにはいかないと決めていた。この銃は、今まで彼を支えてくれた相棒なのだから。
だが、いつもなら間単に上げることの出来た筈の右腕は、オイル切れのロボットのようにぎこちなく動き、結果、右手が目の先に見えるほどまで動かすには三秒以上もの時間を必要とした。
脳内のI−ブレインに異常はない。だが、相当な量の疲労率が蓄積しており、休憩なしではフリーズ・アウトの危険すらあるかもしれない。
さらに悪い事に、全ての基盤となる体にここまでのダメージが蓄積してしまってる今、体が思うとおりに動いてくれない。
痛覚を遮断する事も不可能な彼の『能力』では、痛みという感覚に対する処理をI−ブレインに任せきれない。
荒い息のまま、偽者の青い空を見上げる。
何も無いこの世界で生きたいと、嘗て、確かに思った。
やれるだけの事はやった。精一杯努力したつもりだった。
―――けど、駄目だった。世界は、世の中というのは非常なもので、希望を持つ者を絶対に逃がさない。
これが生まれながらの自分の人生だったとしたら、なんとつまらないものなのだろうか。
戦いの道具として利用されて、戦いが終われば捨てられる。
命が命として見られない世界で、最大限に利用されただけ。
(…は、つまんねぇ。っつーか、もう、どうでもいいよな、そんな事。参った事に、おれはここで終わりみたいだしよ)
そこまで考えて、思考を止める。考えたところで無意味だという諦めの心が濃さを増していく。
とうの昔にわかっていた筈だ。自分の考えを理解してくれるもの、覚えておいてくれるものなんて、この世にはいないのだから。
自分はこんな風に、ただ、一人寂しく死んでいくのが宿命だったのだろうから。
(…ああ、畜生。
目まで霞んできやがった。
なんでだよ…)
このまま朽ちて死ぬかと思ったその時に、視界の中に何かが写った。
一瞬、心が期待感に動いたが、どうせ、死ぬ間際に見るであろう走馬灯とやらに決まっている、と脳内で決め付ける。
(カミサマってのはどこまでも悪戯好きだな。
今から死ぬっておれに、幻覚までみせつ…)
「おーい、生きてるかぁ―」
…彼の耳に、確かな形で声が聞こえた。
「―――ッ!?」
ぼうっとしていた意識を振り払い、目をしっかりと見開く。
そこには、幻覚でもなんでもなく、一人の人間が、その大きな瞳で彼の顔を覗き込んでいた。
―【 おまけどころじゃない存在感になっちゃってるらしいキャラトーク 】―
ノーテュエル
「…誰?」
ゼイネスト
「何がだ?」
ノーテュエル
「だから、この話に登場した『彼』が誰かだって事」
ゼイネスト
「…さて、誰だろうな。
伏線に包まれまくっているせいで、俺にも分からん」
ノーテュエル
「だけど、そこからでも一つだけ分かることがあるわ。
…こういう登場方法をするキャラは、得てして物語に深く関わる存在であるということ。
あと個人的に思うんだけど…もしかしてこいつ、やみつか―――」
ゼイネスト
「…正直、俺もその線が強いんじゃないかと踏んでいる。
だがそれよりも、人々から恐れられる力があるっていうのが気になるな。
伏線の為に省いて表現しているようだが、普通、所属するシティの奴らにまで避けられるような能力なんてあるのか?」
ノーテュエル
「さぁて、ね。
いずれにしても、待つしかないわ。
『彼』が何ものなのか―――そして、最後に登場した人物は一体誰なのかということを」
ゼイネスト
「そうだな―――。
では、幕間という状況下らしく、今回はこの辺でさようなら、か」
ノーテュエル
「賛成〜。
あっと、最後に言う事が残っていたわ。
次回は…」
????
「ああ、次の話は『襲撃』だそうだ…それだけだけどな」
(そう言い残してさっ、と消える)
ゼイネスト&ノーテュエル
「誰だ今の!?」
<作者様サイト>
Moonlight butterfly
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