■■銀色様■■

「黒き涙は紅き翼に」
第一章 血に濡れる騎士は聖人の夢を見るか






木目調の古びた長テーブルの上に、粗の目立つ、明らかに安物のティーカップが二つ。
ペアカップなどにはとても見えない、それなりの客に出すそれなりの社交辞令。どこぞの
バーのグラス棚に並ぶカップの山から、無造作に引き抜いてきたようなそれだ。
白色の陶磁器は落とされたティースプーンに、からん、と澄んだ音を奏で、とうの昔に冷
めてしまったコーヒーは、琥珀色の波紋を僅かに広げて、何の余韻も残さずに消える。

「…なるほど、ね」

少年から青年への間、無理に大人びかせたような、それでも決定的に子供の声が、僅かな
バランスで保たれていた数拍の沈黙を破る。

「つまり大戦中、あいつをとっ捕まえたのはあんたってワケか」
「ああ」

祐一は、冷えたコーヒーを一口啜り、僅かに顔をしかめる。
良く言えば年季の入った、悪く言えば寂れた店内にはノイズ混じりの一世代前の曲(アンティーク)が流れ、
磨きこんだ古テーブルの木の香りと苦みばしった深煎り豆が混ざり合い、天井に設置され
た空気洗浄用の換気プロペラに掻き回されている。

スロバキア南部に位置する商隊の町に、祐一は駐屯していた。

「…しかし」
「驚いたな」と続きは口の中の呟きに押さえて、向かい合う少年に目をやる。

何度見ても、あまりに異様な容貌だった。
淡色を基本とした防寒繊維の装備に身を包んだ体は、典型的な白人男性のもの。
背も祐一より拳一つ半ほど低いだけで、日本では十分成人として見られる程度だ。
外見だけでは年齢すら図ることが出来ないのが魔法士。
だが、

「…あんまし突っ込まないでくれよな。それに、馬鹿な格好なのはあんたも同じだ」

此方の視線の意味に気付いた少年が、つまらなさそうな目で此方を見返して、息を吐く。
しかし、その視線は一本だけだ。
好き放題に伸びた髪はくすんだ銀色、右目を完全に覆い隠したまま3本の髪留めで強引に
とめられ、その上から眼帯、包帯を幾重にも重ね、内と外との視界を遮り、そして何を考
えたのか、最後の止めに小型のダイヤル式チェーンロックが少年の右目を封印している。
それが何を目的としたものかは分からないが、ただの趣味という訳ではないだろう。
だが少年の意見には概ね賛成。
当に崩壊したシティと機関の制服をなぞり続ける男など、やはり世間一般では馬鹿なのだ
ろう。

「…話を戻そうか」
「ああ」

「そーだったな」と、少年は苦く笑い、

「『刃魔』は死んじゃいねぇ。シティ神戸が消えた今でも、『大戦』を続けてる」






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10年前の大戦。一人の魔法士の引き起こした核融合炉の暴走は、アフリカ大陸の殆んどを
消し飛ばした。

そう、それは『殆んど』であって、全てでは無い。
暴走から逃れた一つの研究施設は、生き残った凍土の切れ端に身を寄せ、活動を続けた。
10年間誰にも気付かれることなく、一人の魔法士を保存し続けた。
一人の科学者の狂信と妄執の結晶を、ひっそりと守り続けた。

『天樹機関・第二情報制御研究所』…大戦の遺産は、今も吹雪の中で燻り続ける。





――『賢人会議(Seer's Guild)』の全シティへ向けての宣戦布告から1ヶ月。
ただでさえシティ神戸の崩壊により危機感の高まっていた各シティは、『賢人会議(Seer's Guild)』の居所
を割り出すべく躍起になった。
そんな中、シティベルリンは『独自の調査』により、宣戦布告以前に『賢人会議(Seer's Guild)』との接
触を持ったと思われる一人の便利屋の存在を探り当て、半ヶ月の時間を掛けてその潜伏地
をトレースした。

そして、問題はその場所だった。

南アフリカ大陸跡地。
『大戦』の傷跡を最も色濃く残す場所。
生き残りの氷の地平を氷の大海に囲い、全ての命を凍てつかせる『かつての世界』の欠片。

便利屋の反応を追った調査部の魔法士は、零下40度の大気の中に巧妙に存在を隠蔽され
た、研究施設を発見。
研究部より特例で借与されていた第一級(カテゴリーA)の魔法士は、「一度帰還した後での再調査」という
部の命令を無視して調査を開始した。





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光源を失い闇に包まれた高さ3メートルの隔壁通路を、視覚制御によって見渡し、シティ
ベルリン研究部特務三課所属、ウィリー・ジラルド少佐は、騎士剣『餓狼』を正眼に構え、
今だ捉えられぬ[敵]へとI-ブレインの全感覚を傾けた。




大戦前のものと思しき研究施設への潜入は、滞りなく成功した。
防衛機構はエネルギー供給が断たれて停止していたし、唯一残されていた網膜・指紋・遺
伝子パターンの多重認識型隔壁も、10年前の旧式だけあって手持ちの装備だけで突破出来
るものだった。
唯一気がかりなのは、軍の指令に背く形になってしまったことだが、そこは研究部の者達
が手を尽くしてくれる筈だ。


研究部からの最重要指令は、研究施設を調査部全体――いざというときは独自で調査し、
残されたサンプルを奪取すること。


賢人会議(Seer's Guild)』に関する調査など他のシティに対する建前。
実際の目的は劣化し続けるマザーシステムの打開策なのだ。

そして、無数にある戦前の各研究施設跡の中でも、
アフリカ大陸の成れの果てである『此処』を押さえることには計り知れないアドバンテー
ジがある。

――『天樹機関・第二情報制御研究所』。
情報制御理論の創生者の一人、天樹健三の
未知の施設に対して慎重になる調査部の意向は分かるが、シティにはもはやそんな余裕は
ない。神戸と共同で進めていた『天使計画(コードアンヘル)』が頓挫した今、限界のマザーシステムに成す
術もなく、機能は飽和状態にある。
一刻も早く何らかの成果を上げなければ、シティベルリンは確実に崩壊するだろう。

『もう、私たちには時間が無いんだ』

苦い言葉で自分を送り出した馴染みの研究員の顔が頭に浮かんだ。


そう、自分は一刻も早くこの場を収めて調査を遂行しなければならないのだ。




それなのに、

(攻撃感知、危険)

抑揚の無いI-ブレインの警告、攻撃方向は左32度上段、直進すれば此方の胴体に確実に命
中する位置。自己領域は間に合わない至近距離、回避運動は不可能――

――ならば、

瞬時に少佐は反応し、攻撃の軌道に合わせた『餓狼』を一挙動に跳ね上げて、

そして、それを見た。


始まりは影、闇を従える鮮麗なる白影。

続くのは光、闇を引き裂き貫く銀光。

従えるのは刃、闇を束ね抱える遥かな黒刃。


「がっ…!」

破砕音。 それは、手の中の質量、共に戦場を生き抜いた騎士剣が、砕け散る感触。

(右腕全壊、騎士剣『餓狼』とのリンクを断絶)

僅かに即死の軌道を逸れた攻撃が右腕を落とし、神経パルスを駆け巡る『損傷の情報』が
I-ブレインを焼き尽くす。

「…がっ…」 遮断し切れなかった痛みを堪えきれずに膝を落とした瞬間、I-ブレインが吐き出す絶望的な
攻撃予測。
半ばまで食い込んだ右抜きの斬撃が、右胸から左脇腹までを走り抜けた。

(損傷重大、蘇生措置不能。損傷部への血流をカット。残り起動時間912秒)

蘇生措置は不可能――死亡確定の重傷を得た魔法士のI-ブレインは、本人のコントロールを
無視してI-ブレイン(みずから)の延命を開始。
万が一『無事のまま』I-ブレインが回収されたときのために、入手しえた『敵』の情報を片
端から記憶領域に焼き付けていく。
その助けを失ったウィリーは攻撃の圧力をもって枯葉のように吹き飛ばされ、隔壁通路の
側面に叩きつけられ、

ゆっくりと闇へと傾いていく意識の中、頭蓋の奥でI-ブレインが冷徹に告げるのを聞いた。


(――…攻撃感知。)

それはつまり、終わりを


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気付いたら自分の服と、剣と、床が、返り血で真っ赤に染まっていた。
一瞬だけ綺麗好きだった父に怒られるかと身を竦ませたが、元よりここには自分以外誰も
居ないことを思い出して、後で掃除しておこう、とだけ結論した。

そう、『ここ』には自分以外誰も居ない。
『ここ』を襲撃に来た騎士の男は、最後の止めに放った『刃魔』に-ブレインを貫かれて、
それっきり動かなくなっていた。
額からI-ブレインを丸ごと刳り貫かれていること以外は、全く外傷の無い男の顔。
しかし、注意して見てみると、薄暗い通路の中でも男の顔ははっきりと青白く、I-ブレイン
の伝える熱量も僅か、しっかりと死後硬直も始まっているようだった。

それだけを確認して、ほ、とようやく息を付けた。

本当に、本当に強かった。
おそらくは第一級、装備から見るとシティベルリンの魔法士。
自分は上手くやれただろうか、と不意に心配になる。
何しろ、こうしてまともに戦うのは10年振りだ。
言っても自分は冷凍睡眠(コールドスリープ)していただけだから、頭の先から足の先、I-ブレインの設定まで昔
のまま。
戦中の最先端の技術を用いただけあって、『目覚めた』後の体の動きも滑らかだ。 だが、それでも自分が、10年間戦うことすらしなかったのは事実。



――戦うこと。

「あなたは何のために戦うの?」
そう聞かれれば、自分は必ずこう答える筈だ、「シティ神戸の家族を守るためだ」と。

ならば、あの騎士の男は何のために戦ったのだろうか。
自分のため? 家族のため? シティのため? 一体何の、誰の、どうして――

――僕は、この人を殺しても良かったのか?

認識した瞬間に吐き気に襲われ、壁に手を付いて死体の脇に盛大に嘔吐した。
胃の中身を全て吐き出し、それでも足りずに今度は胃液を吐いた。
吐き気が取れないままに壁から手を離すと、体から中身が無くなったような虚脱感。
堪えきれずに数歩よろめき、向かいの壁に背中から激突して、そのままずるずると崩れ落
ちた。
くぁ、とかすれた息が喉から漏れ、焦点の定まらない虚ろな目が倒れた男を捉えた。


男は動かない。

『刃魔』が、殺してしまったからだ。

――『僕が』、殺してしまったから。


「…ぅあ」

立ち込める血の臭いに今更気が付いて、震える自分の体をI-ブレインで必死に抑えた。
ワンサイズ大きな神戸シティの制服が、体の動きに合わせてかさかさと音を立て、その音
にさえ怯えてさらに身を振るわせた。

手の中から滑り落ちた『刃魔』が、ごとり、と鈍く大きな音を立てた。








<作者様コメント>

約半年のお久し振りです。
下らないことは書けるんですが、真っ当な文となるとからっきしの銀色です。
BBSの書き込みは余りの遅さで毎回話に乗り遅れるために、殆んど出来ていません。
きっと自分という無駄を脳の片隅に置いておられる方は居ないかと思いますが。
…えー、つまり卑屈な野郎です。好きなキャラは黒沢祐一唯我独尊!
熱意と愛で!これからもやっていきたいなぁと思っていますが、
やっぱりレクイエム様の改行は憧れです。

なぜか卑屈っぷリばかりが前に出ている気がするので、本日はこれにて逃走を図ります

それでは。何気に会員番号300番の銀色でした

<作者様サイト>
『なし』

◆とじる◆