しんしん、しん。

誰しもの上に雪は降り積む。死体の上にも。生きている者の上にも。聖者の上にも愚者の上にも降り積もり、
やがてはその痕跡を薄れさせ、消していく。

永遠に続いていくであろう降雪に馴染んでいる暇もなく、零下六十度の轟風が吹きすさぶ。
しかしそれでも、上空――黒灰の雲は揺るがず、時折雷鳴と、うねる乱雲の層を見せて蠢く。

凍てついた世界に、銀、白、灰色。それらは全て雪の色。誰もを消し去る罪の色。

降りしきるそのただ中へと走り始める。一歩一歩踏みしめて、消して外さず、狙い通りの軌道を進み往く。
戻れるかどうかも分からぬ不帰途の歩み(ウォーク)は、やがては宙に躍り出る舞踏(ステップ)となり、
空そのものを進む飛行(ラン)へと展開する。

そうして飛行艦隊の甲板から、フライヤーの上部から、数多に飛び立つ小さき影。
それらは全て人であり、全てが魔法士――騎士の一団だった。



<No return dancers>

ブーツの下で、論理回路を施された飛行艦の船体がこすれてきゅっと鳴る。
これが最初の一歩で、もしかしたら人生最期の旅路の第一歩かもしれない、
――そう思って、もう四回目の実戦だ。
慣れた訳では毛頭ない、けれど体の震えはもう収まり、やがては慣れていくのだろう、――人を殺すと言う事にも。
それはかなしいかな人間の適応力と言うもので、納得出来ない心は噛み殺して黙らせておく。
そうしなければ死んでしまうのだ。

息を、飲む。

思考ノイズ消去、状況はクリア、精神は白く。
握り構えた剣の重さは殆ど感じない。
再び、
――銘を何て言っただろうか、この剣。確か『流星』?いや『白鳳』?それとも『富嶽』?
形式は盗神の二式だけれど。研究者がくれた名前、一体なんて言っただろうか。
一秒の何千分の一かで過ぎ去る思考のメッセージ。
既に遙か遠くに通り過ぎた向こう側で、いや脳裏にもう一人いる本来の自分の中で、
内心の呟きは何もかも消費されて分解されて削除される。
全てが演算に振り分けられたI−ブレインの感界の中で、世界に無駄は一才なかった。
故に、完璧な運動曲線を描いて、万里は舞わった。

くるりと飛燕が如く逆回り、落ちる軌道は流星が如し。

――くるりくるり、すわ、ゆらあり、くるり……

光にさえ近づく様な高速で行われる動作は、しかし誰にも捉えられる事なく静かに、清かに。激しかった。

そうして幾度か避けたはち合わせを、ついに味わうその時が来た。

邂逅。

避けられぬ軌道の直線上から、敵と剣を交える事を、若い騎士達はこう呼んだ。
逃げられぬ定め、干戈を交え合わなければいけない相手との遭遇を、運命としてそう言い習わすのだ。

出会った相手は今宵の宿縁、踊らず帰る途も無く。

元より帰る路など無し。不帰途の果てにて出会うは運命の、


――甲高い音が聞こえる様な気がした。激しいぶつかり合う、剣と剣、白い軍服と黒の外套。



舞った。
舞った。
舞った。
幾度幾度と剣を交え、されども足りぬと互いに蹴り足、突き放し合い決着は付かず。
自己領域の消えるたった一瞬が、己の人生との永劫の別れになるかもしれない。
慮れど怯えず、考えれど思わず。全ての思考ノイズは消去され。

『風雲』。
走る風。轟く雲。走り抜け、何もかもを攫っていく、流れというもの。
そう名付けられた剣が、高鳴る。誰よりも速く。主人の何もかもを知らぬまま、全ての無駄を削ぎ落としていく。
純化された思索と演算だけを重ねて、たった一つの事実だけを万里に知らせる。

やがて、やがて終わりが来る。
それは知っている。
互いの自己限界が、予測演算の途切れが、たった一瞬の惑いこそが終わりをもたらす。
知っている。分かっている。だから何もかもを振り捨てて、心でさえも。
届かぬ、騒げぬ、ありとあらゆる曲線の、その果てへ。

――そして、終わりは、来た。

かっきりと正確に、怖ろしいほど鮮明に。
相手の首から上を打ち落として、宿縁も邂逅も遭遇にさえも、万里はピリオドの一点を打った。

けれど、未だ、万里の不帰途の果て、その終わりは来ない。

舞いは続く。剣と剣との出会いは続く。何時かは自分が撃ち墜とされる。
知っていて、舞踏(ステップ)は続く、歩み(ウォーク)は終らず、

――走行(ラン)は、まだまだ、果てどなかった。




<Noble spirits forever>

何も聞こえない。
時間は留まっている。あの時の宣誓、その時から、心は動けない。何時まで立っても。

――戦場に立つ。何時かは、誰かを   さなくてはいけない。

あの頃の自分は、そんな事知ってる、とうそぶいていた。この大うそつきめ。
飛行の恐怖さえも知らず、地を駆け抜けるだけの小娘が、一体何を。
怒っても、あの頃は何も知らなかった。分かっていなかった。何が、恐怖なのか。何が、正義なのか。
何が、一番強く自分を活かしてくれるのか。そんな事は、なんにも。

それでも、あそこが始まりだった。一番、最初の最初だった。


何も聞こえない、何も歌えない、――何も出来なくなった暗闇の中で、暁兆を待つ子供の様に、
アレクシーは過去を、遙かに遠い昔の様に思えるついこの前の話を、必死に思い出している。

暗く、徐々に靄がかって行く視界。
ゆらぐ銀霧に霞んだ、――、

バラバラになっていく感覚、世界の消えていく虚ろな余波、小さな死の前の一時を費やして、
アレクシー・ブライトレイは考え込んでいる。

守るべき何かを、戦場に立っていた事の意味を、一番強く自分を活かしてくれていた、その理由――誓いのその言葉を。

やがては消えてゆく思考、全ては無駄になった思索、もう、刻むことの出来ない演算のよすが、
過去のメモリを必死に探り、その、一番強い思いの欠片を、探っている。

体はもうぴくりとも動かず、動けないで、――そうしてやがては死んでいくのだけれども。
消えていく思いを繋ぎ止める碇として、手放さなかった右手の剣は、相変わらず、何にも一点染まらずに、
曇る事なく、ただひたすらに。
消えていった命と失われていく心を鋭利に思い出させ甦らす為に、その演算素子を過稼働させている。
動かない心、何時まで立っても色あせない何か、誓った思い、全ての始まりの位置にある、
己が刀身に刻み込まれた『言葉』を、もう手も動かせず目さえも見えない主人の代わりにそっと、
I−ブレインへと届けようと。銀色の制御中枢を輝かせ、白亜の演算素子を瞬かせ、

――刻んだ言葉を、思い出させている。


「 」

ぁ、と、彼女は声を上げた。
今、やっと、何かが伝わった。体中に衝動が流れた。止まらない。思いが、震えに置き換わった。
命の最期の震え、小さく走りぬける痙攣の動きの中で、

何かを、見た。




全ては銀色に煌めく、その光の靄の中で。

誓いは朝。何もかもが始まる、新しい時の暁。
支給された剣の白銀の輝きと、故郷の周囲の自然に立ち込める銀色の霧に心を躍らせて。

横たわった哀しい肉体、死んでいく誰か、悲しげな視線で、全てを忘れていく誰かの事を。
失い、こぼれ落ち、消え去っていく誰かの心を、救い出し、掬い上げる。

誰も失わない様に。
誰もがそんな悲しい死に方を、しない様に。
誰もがこうやって新しい朝を迎えられますように。
誰もが、――こうやって、心の中にある怯えを消し去り、弱さを抱えながら、たった一瞬でも―――

強い、意志の力をもって、誰かの英雄として、誰かを、守れる様に。



それが出来る、と。


……ワタシが、その――先駆けに、

誰よりも速く朝の訪れを知らせると。暁を鳴いて知らせるあの鳥たちの様に、皆にそれを示してみせると。

――誰よりも、……早く、

『NewWorld』。


暗く暗く。全ては拡散する、黒い光、白い虚無、灰色の無貌、失われていく思いと心の最中で、
アレクシー・ブライトレイと言う名の騎士は。

その誓いを、騎士の名乗りを、思い出して、誰しもの先駆けとして戦いを走り抜け、
銀色の、長い長い波打つ髪を振り乱し、汚して、弱い心を抑え付け、震え、それでも戦って。
たった一瞬だけ、輝いて。

――思い出した。

銀色の、新たな朝の銘を持つ、たった一振りの剣に、伝えた、刻んだ誓いの言葉だけを残して。

――ワタシの、……騎士の、誓い。


守れた、かなぁ……

そっと笑うと。
消えた。



<Noremember Nocry>

「よう」
「おー戦友。まだ生きてたかそりゃ良かった。んで次は何時だ、……そう言や何でここに居んの?」
馬鹿お前と一緒の作戦に出るんだよ決まってるだろ、と頭を叩かれて、
あーそう言やそうだったなぁと軽口で返す。お決まりのやりとり、お約束の一時、唯一の休息。
それでやっと、人心地が着いた。
先ほどまでの、まるで痙攣みたいな細かな震えも、いつの間にか止まってしまっている。
ああ良かった、と溜め息を吐いて、相手の顔を見直す。
明るい表情に曇りなどなく、だから多分自分の顔もあんな風に笑えている筈なのだ。
もしそうでなかったとしても、その事を指摘するような無遠慮な奴はここにいない。
皆、自分ではちゃんと笑っているつもりだから。
笑えてないと誰かから教えられれば、多分それだけで崩れてしまう程、
今の自分が危うい自覚が皆にあった。
だから曇ってないかわりに、目の下にどぎつく染みついた薄墨色の隈の事は見ぬ振りをして話を続ける。
「で、今度は北京と上海と合同か。お前と一緒なのはいいけど、……今度は神戸だろぉ?」
「それは大丈夫だろ。こっちにはあいつがいる。
 ……あの『紅蓮』とやって生き残る奴なんざ、頼もしすぎて涙が出るってもんだろ」
確かに頼もしすぎる。共和軍側の英雄――今や象徴とも言える存在となった騎士の顔を思い出す。
あだなは確か、『蒼天の軍神』。本名は忘れた。
自分とそう変わらない年ながら、戦功は絶大。
半年前、連合軍のシティ・ロンドン包囲網突破を皮切りに、
三ヶ月前、太平洋上空での艦隊戦で『紅蓮の魔女』と遭遇しながら生き残った。
それだけじゃない、あの魔女に傷を付ける事が出来た奴なんて、今まで聞いた試しが無い。
何処にだって英雄はいる。何処にだって天才はいる、と言うのが拝聴時の感想だった。
多分そいつ、『蒼天』にしろ『紅蓮』にしろ、実際は普通の奴とそう変わらないのは皆知っている。
けど、実際に殺したり殺されたりする世界の中にいると、
運悪く殺すのが上手な奴の事は特別扱いしたくなる。
そいつに頼りたくなる、……凄まじく重たい荷物をそいつの背中に背負わせたくなる。
と言うわけでありがたくそいつのご威光にすがって今回は何とかなると思う事にした。。
情けないが、何も信じずに戦うよりはマシだと思う。

誓いもせずに騎士になった魔法士のはしくれは、強い奴の戦いぶりでも見て勇気づけられるのがお似合いだ、と思う。
そう言うと、相手の顔には強い苦笑が浮かんだ。

「お前も、うちじゃ頼りにされてるよ。俺とかに。だから死ぬなよ」
「分かってら」
適度な重さの、それも知人からの荷物なら、逆に命綱になってくれる。
誰かと誰かの期待と命と憎悪を背負って人を殺さなくちゃいけない英雄になんて、死んだってなりたくない、と思った。


三時間ちょっとの仮眠が開けると、北京と上海、そして所属するトロントと、同盟国のモントリオールの合同作戦だった。
相手は神戸・ベルリン・ロサンゼルス同盟軍。最強で最悪、紅蓮の魔女と鉄血の騎士軍団の組合せ。
防刃素材の戦闘用スーツは着っ放しで寝ていた。
メンテナンスが終って戻ってきた騎士剣を腰に差すと、すぐ出撃態勢――飛行艦からフライヤーへ。
人形使いのハッキングも、騎士が乗っているフライヤーには効かない。どうせすぐに情報解体されるから。
気を付けなきゃいけないのは相手方の遠距離戦特化魔法士、確か『光使い』。
ロサンゼルスも厄介なもん開発してくれた、とぼやきつつ、
数十キロ単位で展開された飛行艦隊の布陣の端っこで、戦いが始まる時を待つ。
フライヤーのハッチを開ける。装甲の上、――――同じ様にして立っている奴らの姿が目の端に映る。
剣を抜く。薄い銀色の剣、シンプルな黒い柄、そこだけ鮮やかな水色の制御中枢。名前は『水星』。そのままだ。
構える。まだ。まだだ。
閃光。荷電粒子砲が空を焼いた。
灼けた大気の臭い――を感じるより早く、自己領域展開。
『紅蓮』が生んだ夢の繭。半透明の揺らぎ。重力変動。足下が宙に浮かぶ。
今だ。走り出す足下。先駆ける誰か。銀色の髪。
多分美人だ。生きていたら声を掛ける。

最初に見つけたのは人形使いだった。フライヤーの中、何処かの飛行艦にハッキングを掛けていた。
自己領域解除。一瞬のタイムラグ。身体能力制御起動。相手からの攻撃は無し。
情報解体を繰り返し、内部でまだ何が起きたかも気付いていない相手に向かって剣を振り下ろす。
空白。
刹那の後、自己領域を再展開。離脱――――上空から、騎士が飛び降りてきていた。
剣戟。受け流す。相手にする気は無かった。軌道を変えて離脱。
飛びながら辺りを見回す。情報制御の行われた位置を計算、人形使いを探す。
発見した。飛翔――到達。こんどは小型の飛行艦。甲板に着地して自己領域を解除、

(高密度情報制御を感知。危険。回避可能)

一閃。
とっさに体を捻る。何とかかわす。
黒い軍服、神戸軍所属のエンブレム。手に握られた冥王三式。同い年かそこらの顔。敵だ。
『水星』を振る。軽いのがウリだ。カッターナイフ程度しか無い重さは飛び抜けた速さを生む。
衝突した。剣先がかすっただけで剣がそれなりにダメージを負う。
――反応/知覚速度は相手の方が上、反射/身体速度なら自分が勝る。上等だ。

離れる。構えた。相手も構える。
後ろの方に倒れた女。仰向け。灰色の制服はモントリオールのもの。
流れ出した血。握られた銀色の剣。広がって流れる銀色の髪。さっきの女だった。
何も思わない。今の所は、だけど。
剣戟、蹴脚、拳撃。ぶつかり合い、軽いけれど脆くはない剣、重みは自体重で補う。一歩も引かない。
黒衣の騎士は強かった。でも、同等だ。少なくとも演算能力だけならば。
互角に戦える力ならある。膠着し長引けば、剣の重さの分、――才能の分。あちらが勝るであろうが。
直後、唐突に援護。氷柱が相手に突撃。仲間の炎使いだ。生きていたら何か奢る。
僅かに距離を取る。無闇に戦い続けたりしない。続けようとしていた相手の顔に僅かな歪みが走る。引き際は大事。
触れるか触れないかのギリギリで自己領域展開――ジャンプ。炎使いの所まで。
戦艦と違って捕捉されればおしまいのフライヤーで、こんな前線まで突っ込んできた。
馬鹿なのか勇敢なのか、多分前者で、そう言うのは良くない。
騎士は並大抵の事じゃ死なない。炎使いは死ぬぞ。
だから止せと言おうとして、自己領域解除、フライヤーに着地しようとして、直後に閃光が奔る。
ついさっきまで立っていた飛行艦の甲板を、細い荷電粒子砲が走り抜けた。
――光使いだ。
結論、とっさにフライヤーのハッチを蹴り開ける。中にいた炎使いを抱えると、脚力だけで上空へ逆戻る。
刹那、再び閃光。 直後に足下でフライヤーの爆散する音。乗組員が燃え尽きるのを察知する前に自己領域を展開。飛翔。

黒衣の騎士は追ってこない。甲板の上にも、もういない。離脱した――でも、まだ危ない。
あれは副官だ。
王将は誰、――答えはすぐに見つかる。紅蓮の魔女。千人斬り、連合軍の撃墜王。
あいつがいる空域で、これ以上飛んでいたくなんかない――祈り祈り祈り。

なるたけ後方の飛行艦を選んで着艦。甲板に炎使いを押しつけ、死ぬなよと念を押す――女だった。と言うより子供。童女。
生きてたら何か奢れ、と言うより前に飛翔。
騎士剣の調整はいらない。『水星』の刀身は自動修復する――何せ素材が水銀だ。
制御中枢がある限り、軽量化と固定強化と補助の論理回路を刻みなおす優れもの。盗神の新型――それは、どうでもいいか。

飛ぶ。今の所、敵はいない。光使いも、見あたらない。仲間はかなり死んだ。あいつは無事か、と思う。

お互いに数を減らした艦隊の上を飛ぶ。空には雲の天井。
防衛対象の自軍旗艦の上に着地。自己領域解除、身体能力制御展

―――轟
(……倍に定義。高密度情報制御感知。危険。回避不可能)

捻った体、左肘から先をごっそりと持っていかれた。剣を手放さなかったのは奇跡に近い。

(左腕部47%消失。危険――演算効率を最上限まで引き上げ。
 身体能力制御、知覚速度100倍、運動速度を80倍に再定義)

驚愕と焦燥を押し殺す。相手は女。
長い黒髪。黒い軍服。凛々しげな顔立ち。構えた剣。そこが問題だった。
燃え盛る炎みたいな柄、咲き誇る桜の花みたいな薄紅の刀身。世界で一番有名で、世界で一番凶悪な剣。
どんな物知らずでも、どんな子供でも知っている。地獄の炎の色の名前が付いている。その銘は紅蓮。

なんでこの女がここにいるのか分からなかった。
こいつは王将で、自分はせいぜいが桂馬、もしくはルークだ。間違ってもナイトにはなれない。
そんな端役に何故、こんな騎士の中の騎士みたいな女が斬りかからなくちゃいけないんだろう。
内心の疑問をよそに女は動く。まるで無駄の無い動き。巨大な剣をまるでもう一つの腕みたいに使いこなす。
生まれつき三本目の腕と魂の栄冠を抱いて育ったタイプだ。
つまりは天才――旗艦の上なんて、敵の防衛線を中央から突破しなくちゃたどり着けない。それで無傷だ。格が違う。
一撃目。避ける。片腕が無い分、軽い『水星』でまともにぶつかり合える相手じゃない。
そんな事したら剣が落ちる。それだけは避けなくちゃいけない。
段違いな知覚速度――回避した筈の剣戟が途中で組み替えられる、両腕がなければガードが出来ない。
無い左腕を振ったつもりで、剣と自分の隙間に隙間を入れる。体勢を下げる。
横へ飛ぶ、振り下ろされる剣は右の肩口をかすめる。削れる肉。骨が出なかったのはやっぱり奇跡だ。
組み替えられる剣戟、次は駄目かもしれない。剣を落とす訳にはいかない。
紅蓮の追いすがってくる横、とはまた別な方向から剣戟。黒い軍服。二対一はどうかと思う。
――ジャンプ。背面飛び。黒衣の一撃が脇腹をかすめる、紅蓮は無防備な胸へ、――目は閉じない。閉じられない。

空白。

何時までたっても、衝撃はこない。着地した。
どう言う事かと問う目線に、一つの応え。
青い、蒼い柄。もう失われたあの空の様な、淡い水色と深い群青のグラデーションの結晶。澄んだ銀色の刀身。
どんな英傑も、どんな梟雄も持つ事が出来ないような、この世に二つと無いその色。人、二天を戴かず。その銘は蒼天。

思ったよりも小柄な背中。
共和軍側の英雄は、共和軍側の聖剣を携えてそこにいた。

後ろ足に蹴り飛ばされる。
吹っ飛び、直後に閃光。自分がいた位置を完璧にねらい打った荷電粒子砲の一撃。
光使い。背が冷える。焦燥が収まる。体勢を整え、――そうして主戦場から突き放された事を知る。
「軍神」の戦いが見えた。隙の無い攻撃と運動曲線。
一目で分かった。理詰めで、無駄を極限まで排除「していったのだ」と言う事が分かる、その戦い方。
生まれつきではない。地を這いずり叩きふされて転げ回り、そうしてやっと掴んだ三本目の腕と魂の栄冠。
天才ではなかった。自力で掴んだ、努力とさえ言えない程の尽力の結晶がそこにいた。
英雄。そんな言葉は大嫌いだ。けれど、そうとしか呼べない、とも思った。

誰も他人を思いやる事なんて出来ない戦場で。自分一人さえまともに守れない様な戦場で。
助けてくれたのだ、と思った。
足手まといをどかしただけ、なんて言葉が、どうしても出てこない。
助けられたのだ、と。――そう、思いたくなってしまう。
その期待が幻想が、奴らの背中を重たくするだけだ、と分かっていても。



ぶつかりあう剣戟から、目を逸らした。

自己領域を再起動。
左腕を喪失した痛みは、数値化されて脳裏を踊る。
空中に飛び上がり、全力で飛翔。自分も、宙へ踊る。
近場の艦へ――北京の飛行艦隊、その中の一つを適当に選び降下する。
トロント、モントリオールの飛行艦はもう殆ど残っていない。
後方へ控えていた北京の飛行艦隊の半数と、挟撃を任されていた上海の飛行艦隊の半数がやっと無事だった。

甲板へ着地。自己領域を解除。走ってくる小柄な人影。腕から吹き出し始める血。くずおれる膝。
誰かに支えられて、また閃光に煽られる。爆散――視界の中、斜め前に位置していた艦が墜落していく。
足下が震える。艦体が方向変換する――速度が上昇。艦隊全部が一斉に散らばる。
急に強くなった風に煽られて震え、冷えだした体。支えてくれる誰かの体温が、酷く心地良い。響く泣き声。
子供の、それも少女のものらしい。
ああそう言えばさっきなんか助けたよなあ……そいつかなあ、とも思う。
直後、きんと走る頭痛――電磁場の広がり。不快なノイズ。上海艦隊から通信素子に一声。

――全艦至急所定距離まで離脱せよ。

何のことだか分からずに、ただ小さい手に支えられて。飛び出てくる担架を抱えた医療隊員に抱えられて。
ふと、また風が強くなる。今度は逆向きに。方向転換をしたらしい。――何が始まるのかと、思えば。途端、



光。




圧倒的な超電界。超磁界。弾けたのは、光の輪。走り抜けたのは天の裁きか。
新型魔法士の実験台になったらしい、ベルリン・神戸艦隊の三分の一が纏めて落とされる。




肌がぴりぴりと痛む――強力な電磁波が荒れ狂ってて危険、とか、医療隊員が呟いている。
網膜にあの光が焼き付いていた。強烈な、真っ白い光。目を閉じる。光。白。空白。薄闇がかかる。


暗転。















目を覚ましてみると、戦闘は終っていた。
史上まれに見る激戦、とかなんとか言う司令部の生存を褒め称える声と一つ昇級した階級章。
たったそれだけと大分減った戦友の数では釣り合わない。
戻ってこなかったものが多すぎる。死んだ人間も、殺した人間も多すぎる。
寝ころんだベッドの上、瞼を閉じる。
白い毛布に包まれて、慣れない神経接続義手の感触に戸惑いながら、考えた。
英雄と呼ばれる者の事、殺した相手の目線、白い光、何故か生き残った事。
事がすめば記憶は無駄に色褪せて美化されるものだけれど。
フィルムの断片みたくそこだけ切り取られて独立した記憶は、はっきりと事実を示すだけ。
そんな記憶の破片がぐるぐる脳裏を渦巻く中、なんとなく、ああそうは違わなかった、と思った。
向かい合った時、誰もかれもが人間で、普通の同い年の奴らだった。
ただ、ちょっと、縁が無かった。運も無かった。敵だった。それはお互い同じこと。
自分と同じ普通の奴らを、遠慮も躊躇もせずに殺して、生き残っている。
眠っている間に忘れてしまいたかった何時もの思考の連鎖。
破片と破片を数珠繋ぎにして巡る暗い思案は消える筈もなく、
相変わらずしっかりと脳裏にあった。吐き気がする程。
体は痛んで、左腕ももう無くて、けど死なせた事には釣り合わない。
背負うには重たすぎる。もう眠りたい、けど生きている、まだ生きている。
何と面倒くさくて、重たいんだろう、と思う。
けどそう言えば、助けられた人間が一人だけいるな、とも思った。
思い出せば、心が急に思案のループから浮上。
都合良く、そしてまだ生きていたい、沈みっぱなしでいたくない脳裏は、
たとえ近い未来に人間まるまる全部がいなくなるとしても、
これからまた沢山同い年の同じ人間を殺していくのだとしても、
それに意味が無いわけじゃないよな、と逃げ道の様に思い出す。
だから今だけは、あの少女と会って、助けられたものの重たさでも実感しよう、と、目を瞑った薄闇の中で考える。

病室のドアを誰かが叩いた。



<Brave No truth>


生き残る理由も殺す理由も見つからないまま、それでも戦って、
またこうして生きて戻った。

着艦する。空を、見上げる。
雲に閉ざされて、光無く、一片の色彩も無い、空。
こんな世界で。どうせ未来も無いのに。誰かを殺して戦う意味は、正直、分からない。

けど、と思う。

理由もない、意味もない、それでも。
それでも、逃げる事は出来ない。

ぎゅう、と掌を握る。
空に背を向ける。
歩き出す。



戦いはまだ続いたし、生きる事もまだ続いた。休んでいる暇は無かった。
――歩き続ける事だけが出来る事で、しなくてはいけない事だった。

口中でだけ呟く。

(――生きなければ、)

途(ラン)はまだ、果てどなかった。




























END























あとがき と言うか蛇足

初投稿。花見屋です。
なんかこう、12年前の大戦の話が書きたかったので、衝動の走るままつらつら書いてみました。
短編連作形式とでも言うんでしょうか。
がしがし戦ってがしがし死んでいった魔法士達の日常を断片で書いてみたのですが、
登場人物たちが騎士であると言う共通項以外に一貫したテーマは無い話なんで、
ざーっと駆け抜ける様に読み終わって貰えればそれで嬉しいです。
単にオチやヤマを付けるのが苦手だとも言うんですけどここはスルー。
ツッコミは大歓迎ですがもしツッコんで貰っても開き直るしかねえ!ハハハ  orz

何時か書きたいと思ってる長編のネタなんぞをそこここに盛りつつ、
ここに書いてる人物は全員共和軍所属だったりします。
私的にシティ神戸は連合軍側に付いてそうなイメージなので勝手に設定したのですが、
公式に何か設定てありましたっけ。記憶にないので捏造したんですがー。
それはともかく、一応設定があるので羅列。楽屋裏とも言えない程度の物ですが。

一節目:長谷川 万里(はせがわ ばんり)/
    シティ・トロント所属。騎士剣は盗神二式『風雲』。
    特殊能力等は特に無し。アフリカ消滅時に死亡。

二節目:アレクシー・ブライトレイ/
    シティ・モントリオール所属。騎士剣は神曲三節『新世界』。
    どうやらシティ外に住むアウターの家庭に育ったらしいとか。ゴビ砂漠上空艦隊戦で死亡。
    
三節目:ヒューバート・ジェス/
    名前未出。シティ・トロント所属。騎士剣は盗神四式『水星』。
    本作後シティ・北京に貸与。シティ崩壊時行方不明。彼が助けた炎使いはシンガポールにて生存。

四節目:???/
    名前は出てない方が空気が締まるので不明と言う事に。騎士剣は軍神五式改型『蒼天』。
    シティ・北京所属。『英雄』。生存。


並べてみると死人だらけ。
そう、この作品で書いた人間の殆どは12年後には生きてなかったりします。
魔法士と人の関係が変わり始めそうなWBの現在に彼らはもういませんが、
それでも大戦の事を覚えて戦い続ける祐一さんが生きてる内は、
彼らが必死で守ったり戦ったりしてた事はしっかり残ってるんだなーとか。妄言妄言。

そして騎士剣の名前は皆苦し紛れ。
盗神=ヘルメスに引っかけて水星とかはまだしも新世界は苦しかったかも。
書くと何だかんだ言って気に入るんですが。駆逐艦の名前から取るのも良いかも。やたら綺麗な名前ばっかで吃驚。
そしてありがとう、「ええい紅と緑が出てんだからなんかねえか青いもん!」と国語辞書を捲っていた
私の目に飛び込んだ某三国志漫画。そしてデュラララ。中国で蒼つったらあの漢文ですね。パクリ元がデカいなおい。
次回作(あれば)も騎士剣ネタかもしれません。世界で一番強い女の名前を授けられた不屈の剣、とか。


錯乱気味文章がますます錯乱してもう無秩序なのでここらで退散しますが、
読んでくださった方、もしおられたら本当にありがとうございました。んでは。