War Is Over






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――もはや誰にも忘れ去られたであろう、一つのファイルがある。
戦後残存した7つのシティ間で一時期だけ共有された、『大戦』に冠する膨大な記録ファイル……
終結直後の混乱に際し、一般市民に対する『公式記録』として発表された、
大戦に関する最初で最後の史料である。

が、当時から現在に至るまで公表することが出来ないとされた機密部分や、
各シティにより見解の異なる部分が多数あり、
『大戦』の概略を記した公式文書としては一応の完成を見たが、
しかし市民間に一般的な『歴史』として普及浸透することは無かった。

現在は一部シティの公文書館にて、限られた機関の人員にのみ閲覧可能とされているが、
あくまでも一般公表のために作成された文書であるため、
機密情報の記載された資料を必要とする軍などで利用されることはなく、
事実上死蔵された状態になっている。






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戦史録
第二十五巻第二章P.132/E〜F






エビナ=タカアキ/Ebina=Takaaki:
出身地:シティ・神戸
本籍:シティ・神戸→ベルリン(戦時移籍)
最終階級:ベルリン軍少佐
最終戦歴:アフリカ戦線
兵科種別:情報制御兵科−近接白兵戦闘特化型魔法士『騎士』
備考:
   I−ブレイン移植後三ヶ月で戦線投入。
   アフリカ戦線にて、シティ・カイロ消滅に巻き込まれ、
   行方不明に。三年を経て戦死認定。
   遺族はシティ・神戸にて祖父と妹が居住するも、
   祖父は終戦直後に死亡、妹は現在行方不明。










ボッロボロの戦線に水一滴。新人魔法士一人配置。
アフリカの砂漠はそんな無数の若い兵士達の命を悠々と吸い込んで、なお、乾いたままなのだが。
『紅蓮』が消えた。
『黒衣』が消えた。
二人の英雄は、無責任にも――そう、前線の兵士を置いてけぼりに、
退役する自由なんて微塵もない他の魔法士たちや普通の兵員を置き去りにして、消えた。
その穴を補うために無数の新人が配置されて消費されていっている。
海老名 貴秋もその一人だった。I−ブレイン移植後三ヶ月。アルイルク基地配属一ヶ月。
これ程の激戦地に配置されたのは初めての、実質無経験に等しい新兵君、と言うやつだ。

全く、あいつらも無責任に逃げてくれたぜと呟く司令部の絶望と疲労とやっかみで墨色の隈が染みついた顔を思い出す。

別にいいけど。

タカアキの思考の中で二人は、偶像視するほど遠くも無く、
さりとて実像を拝めるほど近くもなかった。知ってる。どうせ、シティ高官の両親を持つ紅蓮と、
その恋人である黒衣には、上層部だって扱いが甘くもなったんだろう。
そうでなきゃ、切羽詰まりきった戦争の、そろそろ終わりも――色んな意味で近そうなこの時期に、
退役なんか許したりしない。

幸せなんだよな、結局。

ちょっと思った。あの二人が泣きそうな位人を殺してその分味方を救った事は知っている。
けど、それは、皆同じだ。皆人を殺している。皆吐いてチビって泣きながら戦っている。
それでも逃げないのは、結局逃げられないからに過ぎない。
手が重たかった。人を殺した手は信じられないほど重たいのだ。夜も眠れなくなるほど重たいのだ。
帰っても忘れられないほど重たいのだ。
何時だって地獄で誰かが呼んでいるのを思い出させるほど重たいのだ。

だから皆帰れなくなる。皆待ってるのに。誰かが待っててくれていると知ってるのに。
でも、そいつらに合わせる顔も無いと思えるほど手が重たくて帰れなくなるのだ。
帰らせて貰えないのもあるし、帰りたくても仲間が居残っているのを知っているから怖くて出来ないと言うのもあるし。
それはあの二人だって、何にも変わりやしない事だ。

それを忘れられるくらいには、紅蓮と黒衣は愛し合っていたのだろう。それは実際、とても幸福なことなのだ。

世界は愛し合う二人にとって、きっとたぶん相手以外のおまけの風景くらいにしか意味がないと、
それくらいは何度か経験しているからタカアキにだって分かった。

幸せになればいい。何もかも忘れて。そろそろ終わりそうな凍えた世界の中でもいいなら。
だって今しかもう無いのだから。もうこない機会を逃して、幸せにならないままで終わるのは、むしろ罪悪だと思った。

「……寒ィの」
呟く。
アルイルク基地は今日も寒い。死なない程度には温かくても、心底あったかいところなんて何処にも無いのだが。
何だか目が冴えて、眠らない愚を知ってはいてもどうしようもなくて、
わざわざ基地の中庭とも言える場所に出てみた。無意味な空白。殺風景な場所。訓練場所でもある。

空を見上げた。

真っ黒い雲の天蓋は相変わらず。
気温制御の壁の向こう側で、ダイヤモンドダストが踊っている。
今日は聖夜だ。ハッピー・メリー・クリスマスと言うやつだ。戦場でなければ、きっとそうだったのだろう。
きらきらと踊る様は何だかやっぱりあつらえたみたいにファンシーな光景で、
隣に誰かがいればシティ内部でしたデートの様にも思いこめたかもしれなかった。

そんな相手、いないけど。今んところ。

泣きたい様な気持ちがする。神戸に置いてきた恋人とは縁を切ってしまった。
だって戦争で何時死ぬか分かんないひとを待ってたくなんかないって言うんだもんな。仕方無えよな。
泣きたい様に思いながら、元恋人の腰に来る胸元と脚部を思い出す。
ああほんとなんで別れちゃったんだろ俺。泣いてでも引き留めればよかった。
ぐすっと鼻を啜った。涙ではなく、持病の治らない鼻炎の所為だった。そう思いたかった。

「あーーーーーー、」

息深く吸い込んで、吐き出すついでに声を出す。
ああちくしょう、俺も誰かと一緒に逃げてー。こんな場所にいたくねーよ。
誰かと歌って踊ってキスして抱き合って、何も知らん顔して後ろっかわで生きてたい。

叫ぶような心は、声には成らずに途中で枯れた。
けっ、と笑って一つ息。それが白くならない程度には温かいのだ。救いなんてこれくらいかな、と笑う。
あー、誰か相手いねーかなー。上層部の名前知らないあの女とでもいい。
生命の危機が生む何とやらで飢餓感もちょっとだけ刺激されながら、
基地内にいる女性の顔を思い出していた。駄目だ、みんな相手いるのと猛者しかいねえや。
そうじゃないのは、酒保のデリラ?いっやあれは冗談じゃない、と思う。だって、彼女は皆のグランマなのだ。
流石に五十才は。優しくたって、ねえ。憐れみなんかで抱き合ってもねえ。
がくんと項垂れて、肩をすくめて、おどけて笑って両手の平を上向けて。
その拍子にずり落ちたメガネを指で押し上げ、ると、後ろの方で誰かの気配が生まれた。
「あれ、」
振り返る。自分で思ったよりも遙かに早く、反射神経の卓越した動きで振り返ってしまった。
こんな非日常の中で身に付いてしまった、殺意に満ちあふれた動きで。
「きゃ」
誰かがびくんと震えて、人影が派手に強化コンクリートの地面を滑って転んだ。
「わ、何、誰、――じゃない、所属は。あと名前」
自分でも馬鹿じゃないのかと思えるくらいこっちの方が狼狽して聞くと、
「は、はいっ、イングリッド・アナベルですっ、――ベルリン軍中尉っ、この度…!!」
そっちの方が馬鹿なんじゃないのかと思えるほどの狼狽で、人影はわたわたと尻餅をついたまま敬礼をした。
くそ真面目だと言うことが一発で分かる動作に、
薄闇に無造作なライト照影で光と影の差が激しい視界の中でも分かる、やわらかな金色のロングボブ。
同じく金色の瞳――どっちかと言うと琥珀色。
真っ白い肌。
天使かと思った。

新人だよな。ゲルマン系なのにゴツくない(ヨーロッパの哀しい現実ってやつは多い)。
しかも可愛いよ。

俺は何かアタリクジでも引いたっけ?と言う思考が走り抜け、急いでそれを消去して、
手をさしのべる。
「だ、……大丈夫?立てる」
無様なくらいの動揺はまだ収まっていなかった。声が震える。
と、娘はおずおず敬礼した手を降ろして延ばしてきた。
「だ、大丈夫ですっ、申し訳ありません……ええっと」
名前、知らねーのかよ。まあ、仕方ないよな、ここ、寄せ集めだもんな――
さっさと名乗る。
「エビナ・タカアキ。一応ベルリン所属。出身は神戸。戦時のトレードって奴でこっち側に来た。
 天樹機関出身。騎士剣は冥王四式『大鴉』、階級は大尉」
君は?――イングリッド?天使ちゃんでもいいけどね、と思う。
「は、はい、私は……えっと、インゲ、か、アナベルと呼んでくださいっ、」
ぎゅっと掴まえてくる手が、柔らかかった。
やばい泣きそう。ああほんとに、何であいつと別れたんだよ俺。思い出して泣きそうになる脳裏を、
全然知らずに天使ちゃんが立ち上がる。
ありがとうございます、と笑うと、ちょっと影のある表情で周りをきょろきょろと見回す。

どうして人がいるのかな、こんなとこに、って顔。

「ひょっとして、泣きに来たとかか!」
「へっ、え―――」
ぎくんと震える天使の顔が、一気に崩れた。どうして分かるの。なんで分かっちゃったの。そんな顔だ。
「た、大尉殿、あの」
「いいとこだぜ、ここ。誰もこねーもん、ほとんど。皆そう言う余裕ないんだよね」
ぺらぺら、無視して喋ると、天使がちょっと冷静さを取り戻した。伺う様にこっちを見た。
「あの――、大尉殿、も」
いや、俺は泣きはしないけど。
そんなピュアなこと、しないんだけど。
言う筈も無く、『どうだろうね?』と曖昧な笑みを浮かべて、見た。
天使が、ちょっと震える。
「いや、俺は寝れなくてさ」
そう言うと、戦場のヒサンさとか未来へのヒカンとか内面のヒツウさを押し殺した様な顔を頑張って作る。
ああなんでこんな必死なの俺。馬鹿みたいだけど。流石にとっては食わないよ、いや分かんねーけどさ。
何も知らない天使が、しゅんとした。肩を落として、潤んだ瞳を隠して、
「そ、う、なんです、ね……大尉殿、エビ、ナ」
「エビナさん。でいいよ。発音しにくかったら大尉でもいいし」
はい。何だかすっごく必死な返事。多分、内面もそのままな感じだろうと思う。

怖いよな。死ぬかもしんない。殺すんだ。皆死んでってるんだ。

でも、壊れそうなのが嫌だから皆の前では泣かない様にするんだ。

この子は一ヶ月前の俺だ、と思うと、なんだか急に内側の溜まりこんだ濃いピンク色の靄の渦が消えてしまった。
皆そうやって泣くんだ。どっかに隠れて、自分の部屋で、歯を食いしばって心の中で。
その代わりに吐いたり気絶したり誰かを殴ったり自分を傷つけたりして頑張るんだ。

そっから逃げちゃった奴がいるだなんて、知らない方がいいよな。君はそいつらの身代わりだ。
そいつらの幸せの代わりに購われた金色の子羊だなんて。
俺も、君も、あいつも、誰だってなんだって、英雄にもなれなかったけど、それなりに頑張って生きて殺してるのに、
逃げることだけは絶対に許してもらえない、兵士なんだ。弾丸なんだ。ここで死ぬんだよ。

どうして言えるだろう、と思った。そんなことは言えるわけがない。
逃げろ。逃げてくれよ、生きて、家に帰れよ。そんなこと告げられるはずがない。
生きてたってどうせ地獄だ。
(こんな世界だ)
だからってこんな所で死にたくだって無いんだ。
(どっかに逃げたいよ。インゲ。俺と、俺と――――)

俺は生きたい。帰って、生きたい。どっかでなんて死にたくないんだ。誰か、誰か助けてくれよ―――

「なあ、インゲちゃんっ!」
とびきり、明るい声が出た。
「は、はいっ、何でしょう、大尉殿――」
「踊ろうっ!!俺と!!ここで、一緒に」
お、踊る?自分でだって考えたことの無かった言葉に、天使の様な少女がびくんと震えた。
大丈夫かなこのひと。ひょっとしてわたし凄いまずいひとにつかまっちゃったんじゃ――
そう思っているような、そんな顔をしている少女の、繋いだまんまになっていた手を掴みなおす。
「泣いたって、仕方ないよ。どうにもなんない。なら、動いてた方がマシじゃない?
 どうせここ人来ないし、泣くよりはさ、お近づきの証に生産的なことでもしとこう、な?」
ぺらぺら第二弾。少しだけ間があって。言われたことを理解した少女が返事を返すよりも先に、動き出した。

片手を取って、優雅にステップ。強引に引っ張る様に、柔らかく彼女の体をターンさせる。
「大尉殿――」
いいから、と続けた。一回、二回、三回、横向きになって、両手を組み合わせて。
そこでやっと応えがあった。おずおずと握り返してくる手に、ちょっとだけ安堵する。

なあ、俺は、君と生きたくなるのかもしれない。
そんな暇だってないかもしれない。
どうせ今夜だけかもしれない。

明日になったら、君も、俺も、死んでるかもしれない。

けど、それでも、と思う。

一回、
二回、
三回。
ステップは続く。
少女が勢いに飲まれて、釣られて笑う。
横目で見た顔が美しい。
向かい合って手を取って。
お辞儀して、
くるりと回ってもう一回。
さようならなんて来ない様に。
ダンスが終わらない様に。
ワルツはスローテンポで。滑る様に続く。
そのうち、彼女が歌いだした。
よりによって、酷く美しいソプラノは、
『青い空があって、緑の草原があって、愛する人がいれば、それだけで世界は美しい。』と、滑らかなドイツ語で叫ぶ。
(俺は、君と生きたくなるのかもしれないね。うそっぱちかも知れないけど――)
インゲ、よろしく、と、言うと、
となりの少女は、何かを知って感じ取りながらも、少しだけ遠慮した様な顔で、はい、エビナ大尉、と返した。

ダイヤモンドダストが、きらきらと。
真っ黒い空だけが、何時ものままで。
どこか遠くと遠くで出会って話す事も、無かった筈の二人が隣で。
聖夜を二人で、隣で。
踊り合って、笑い合って、生きて、嘘をついている。お互いのための大事な嘘を、ついている。
これもデートかな、と思った。これは奇跡なのかな、と信じたかった。願った。祈った。

何時か、帰ろう。君と生きたいって言うより先に、何時か――

それが叶うだなんて信じずに、祈りながら笑った。










――――――

『 戦史録/第二十五巻第三章P.371/G〜I

  イングリッド=アナベル/Ingrid=Anabell
  出身地:シティ・ベルリン
  本籍:シティ・ベルリン
  終戦時階級:ベルリン軍少佐(西暦2192年現在、大佐)
  最終戦歴:アフリカ戦線
  兵科種別:情報制御兵科−近接白兵戦闘特化型魔法士『騎士』
  備考:
     I−ブレイン移植後三ヶ月で戦線投入。
     アフリカ戦線にて、シティ・カイロ消滅に巻き込まれ、
     所属していた部隊は全滅するも、ただ一人生存す。
     二ヶ月後、シティ・ベルリン自治軍に復帰。人員の減少により少佐に昇格。
     戦後の混乱に際し軍部、特に各地に散らばった情報制御兵科
     (2190年時にて、公式名称を『魔法士』に統一。
     各シティ内部で使用されてきた複数の名称を統一、
     以降の公式記録においては全て『魔法士』と記す)
     部隊を収拾。
     大戦終結から半年に及んだ残存シティ間での小規模な紛争の後、
     自治軍大佐に昇格。

     終戦後から用いられているシティ・ベルリン特殊部隊の隊章、
     『金色の剣(ゴルトシュベルト)』は、
     使用していた騎士剣盗神五式『金羊』をモチーフとす。

     編纂された2192年現時点において生存。
     詳細情報の閲覧権はシティ・ベルリン自治政府より認可された者にのみ存在す。 』







金の髪、暗緑色の軍服。
ベルリンに名だたる黄金の女将軍となったかつての金色の髪の少女は、
シティ・ベルリン第七階層北西部・総合文図書館(センタライブラリ)の窓際一人座って、
甦る若くも愚かで素直に笑っていた自分の姿と、顔の左半分を覆う火傷に走る幻痛と、
その男のおぼろげな輪郭に小さく溜め息を零し、
そして公文書閲覧専用の端末から呼び出されたそのファイルを閉じた。

エビナ=タカアキ。

ついぞファーストネームも呼ぶ事がなかったかつての『恋人』の名を、小さく呟きながら。






ende












――

あとがき
久々に作品を投稿させていただきました、花見屋です。
また大戦で短編です。しかもまたオチがない話です。
そんなのばっか書きたいあまりに、人名録形式で行ってみました。

大戦に関する公式文書って作りにくそうなことこの上ありませんが、
形式的には何とか作られてそうだなあと言う妄想でした。

無数の人の生きていたことを、たった数行ながらも収録することで、
縁者や家族ごと消えてしまった(恐らく遺伝的に血統ごと消えてしまった人もいるだろうと)、
かつての世界に生きていた人々のことを、
何とか忘れないでいようとする、と言う墓碑銘の様な意味合いを持つ文書かな、
と考えたんですが、こう言うことをしたとしても、結局忘れ去られてしまうのだろうなあー、と。
大戦終結後、連絡を取り合った各シティ間最初で最後の軍事以外の共有事業。けど殆ど失敗&徒労。
あと、作った後、シティ間の交流が断たれた後に何度か各シティの軍部に編纂されて、
シティごとの戦死者録にもなっている、けどやっぱり見る人はいない、とかそんな感じです。