■■闇鳴羚炬様■■

魔法士達の物語おとぎばなし〜第五幕 客星と覚醒〜


(西暦2198年 9月5日午前4時30分)
吹き荒ぶ雪。
窓の外は一面白く、眼下遥か遠く、積もった雪は途方も無い原っぱを形成していた。
雪の元は暗灰色の雲。正確にはそれによって遮断され太陽光がささなくなったが故の昇華現象。
雪とは本来昇華により発生する結晶だ。ヨウ素やナフタレンと同じ、気体から固体へ、固体から気体へと液体を介さずに状態変化した、六方晶系が主な結晶。
その結晶は美しく、しかし手で取ろうとするとたやすく融けて手の平を濡らす。掴んでも掴んでも手に入らない…まるで、誰かの希望のような儚さだった。
輸送艦上部ハッチから少し離れて小高くなっている部分。そこにその男は居た。
黒いジャンバーにブルーのジーンズを着ている。ラフな格好で雪の中に居るとは思えないほど顔色は良い。そもそも彼は雪を被っていない。
見渡せば真っ白だと言うのに、彼の周囲1mほどだけが本来の色を保っている。それは銀世界の中にぽっかりと空いた、やっぱり銀の空間だった。
彼は片膝を立て、その膝に腕を巻きつけるようにして置いている。もう片方の足は力なく投げ出したままだ。残った一肢もやる方なくだらんと下がっていた。
周囲には彼一人だけだ。白い世界の中に独り、彼は益体も無くただ座っている。
「………」
彼は沈黙している。元より言葉を発する、と言うのはあまり得意ではなかった。近頃おかしいくらいに喋っていた。
そのきっかえは何だったろう、と考える。しかし考えれば考えるほど、“近頃”が何時頃からのことを言っているのかわからなかった。
そもそも自分が言葉を発するのが得意でなかったと言う感覚は何故だろうとも考える。かなり小さな頃は言葉を発しなかったように思う。記憶にある一番幼い頃の自分は…無機質だった、としか印象にない。
見るところ全てが灰色だった気がする。でもそれは灰色ではなく、薄く赤がかっていた気がする。本当に薄く。
ぼんやりと、足元を見詰める。金属質の灰色をした外壁。これと同じような、しかし違うような、そんなものをどこかで見た気がする。
それは幼い頃だったか。それとも大きくなってからか。いや、その前提はおかしい。俺には幼い頃などない――――ない、のか?
(疲労蓄積3%)
少し頭痛がしたから、考えるのをやめた。一体何を考えていたんだろう。そんなことどうでもいいだろうと思うのに。
そもそも俺は何故ここにいるのか。誰かに会って、何かを言われて、軽い気持ちで来たような気がする。しかしその細部は全く思い出せない。
彼はさして気にも留めずにハッチに戻る。持ち手に足先をかけてそれを動かそうとすると、ぴくりとも動かなかった。
「………」
彼は少しだけしかめっ面になり、
(「身体能力制御」起動。運動係数を3に設定)
誰にも聞こえない声を脳髄に響かせ、足先だけでハッチを開ける。
穴の先には雪は入れない。空調整備によって20度に保たれているらしい艦内は、完全にI-ブレインを休ませることが可能だった。
(「身体能力制御」終了。「固定分子運動制御」起動。)
軽く体を浮かせ、一直線に落下。脇にある梯子などないものとするように、彼は落ちていく。
スタン、と静かな音を立てて着地。彼の頭上では、バタン、と何かに蓋をするような音がした。
(全工程終了。疲労蓄積4%。有効数字をコンマ00に再設定。疲労蓄積4.78%)
ふぅ、と息を吐く音がした。彼は周りを見る。吐息の主はとても近くに居た。
「…―?―、――――?」
それはこちらに気づいて何かを言った。それは男だった。少し頼りない黒髪を刈り上げにしていて、紺のロングコートに身を包んでいる。
眺める。相手は訝しげな表情で、こちらを見ている。
「―――?―――――?」
相手は未だに何かを言っていた。しかしそれは理解出来るものでは到底ない。元よりこの脳にはそのような機能は備わっていない。
「―――」
答えようが無かった。何を言っているのか分からない。何を言えばいいのか分からない…それ以前に、そもそも言語と言うものは存在しない。
「――、――――――?――――、ディー」
ディー、と、それだけが意識的に聞き取られた。懐かしい響きだ。今では誰も呼んでくれなくなった、とても懐かしいその名。
はて、自分には名などあっただろうか。そもそも自分は誰だろうか。言葉に意味はないが、名には意味があるのか。それは矛盾している。言葉が無ければ名など存在し得ないはずだ。
「…――、――――。―――――、―――」
また理解し得ない音が聞こえる。しかしそれは男からではなかった。男は口を閉じている。
どこからだろう、と思って、辺りを見回そうとする。しかしその必要はなかった。声は自分の口から出ていた。
「―――?――――――――。――――――――。」
相手はその音に納得したのか、軽く頷いて歩き去る。傍らにいた少女も全く同じ歩調で歩いていった。
今、自分は何と言ったのだろうか。理解できない。理解出来ないままに言葉を発したのか。しかしそれは自分の意思ではない。自分はそんなものなど知らないのだから。
途端、恐怖が競り上がって来た。自分への恐怖。理解出来ないものへの恐怖。自分が思い通りにいかない恐怖。あらゆる恐怖が弾けそうになるほど膨らんで、この脳内を満たす。
処理。余計な感情。戦場に置いて隙は絶対の勝機。恐れ慄くなど以ての外。処理。処理。処理。不処理。不可。演算が足りない。感情を覆すにはこの脳では到底足りない――
(思考ノイズ)
――――、
消え行く意識の中で、それは恐怖に足掻いた。

「…あれ、何してたんだ、俺」
唐突に意識が回復。ここは廊下のど真ん中だ。俺は一体どうしてここにいるのだろう。
ここに来た理由が思い当たらない。さっき誰かに会ったような気がするので、もしかしたらその人と待ち合わせでもしていたのかも知れない。
「ん?」
さっき会った、とは誰のことか。俺は今目が覚めたのだ。なら誰が誰と会ったのだろう。
「………?」
首を傾げる。しかしいくら考えても分からないことは分からないままなので、とりあえず歩き出した。
向かうはあてがわれた自室。おぼろげな記憶ではあったが、当初の目的であったような気がする「休む」と言うことを果たそうとしていた。

――眺めていた。
薄桃色がかった視界の向こうで、薄桃色の衣が動いている。
それを眺めていた。
それらはなにやら計器をいじっているようだ。表情は硬い。感情を疑うほどに殺された表情。
もう何日こうしていたか知らない。そもそも時間と言う概念は必要ない。自分にそのようなものは要らない。
意識はある。しかし意識などあってもどうしようもない。この脳内には既にプロテクトが刻み込まれている。このせまっ苦しい世界から抜け出すことは叶わない。
どこかで電子音が鳴った。それらは慌てて音源へと向かう。足音の後にもう一度電子音が響き、今度は声が届いてくる。
『―――、…――。』
その言葉は理解出来なかった。そもそも言語などと言う概念は存在しない。未だこの脳内にはそのようなものは存在しない。
『―――!―――――!!』
騒がしくなってきた。どうやら何か揉めているらしい。どうでもよかったが、煩いのだけはやめて欲しい。
しかし望もうとも何も出来ない。この脳では足りない。何も出来ず、何も理解不可。ただその代わりに何事にも干渉されない。
そこにあるのは無。ただ意識が在ると言う無。自分は無。規格に沿わぬが故に在り得ない。在り得ないものが在るが故に無。自分は存在を認められない。
やがて煩い音が途切れた。電子音と同時に足音が迫る。薄桃色の衣は1つ増えていた。
なにやらうごめいている。薄桃色のものたちが電子音を響かせながら計器を操作している。その度にこの脳内に不快なパルスが奔り、止め処なく自分を責め立てた。
初めてそれらを意識した。意識的に意識してそれらを見やる。それらはこちらを見ていた。そして目が合うと見開いた。
『――!!』
一衣が何かを叫ぶ。それに反応して全ての衣と目が合った。どいつもこいつも驚きしか見えない。それらが一つの塊のように見えた。
それらはまた足音を遠ざけ、電子音を響かせた。また怒号が飛ぶ。しかし先ほどとは少々ニュアンスが違うようだった。
慌てた足音が近づき、それらは唐突に目を合わせると、
『―――、―――?』
自分に向かって口を開いた。音は聞こえるが、全く以って意味は成さなかった。故に答えようもない。
別段困ることもない。ただ今までと同じように周りを聞いて、眺めて、ただ概念にない時が過ぎるのを待つだけ。
何度か口を開いては閉ざし、無駄な音を届けていた衣も、ようやくそうと知ったのか立ち去った。
その際、もう一度口を開いて他の衣たちに何かを命じた。雰囲気からして命令のような気がした。
衣たちはすぐさま行動を再開した。何度か電子音が響く。自分にはもう用はないのだろう。また無為な毎日に戻るだけ。
少しだけ、残念に思っている自分に驚いた。もし言葉が理解出来れば何か変わっていたのではないかと…密かに変化を望んでいた。
ふと、一際高い電子音が響くと、目の前から薄桃色のヴェールが消えた。同時に自分は何かの重圧を受け、地に足をつくしかなくなった。
体から何かが抜ける感覚。ひどい喪失感に襲われてとにかく何かを得ようと息を吸った。
途端、凄絶な不快感。たまらず咳き込み、自分の口からヴェールの一部が飛び出した。それでも不快感は収まらず、さらに何度か咳き込んだ。しかし不快感は拭えなかった。
『―――――?』
音がさきほどより明瞭に聞こえて、音源を見上げた。見上げた先には白衣。ああ本当は白かったのか、などと思った。
答えられずに困っていると、白衣は手を差し出した。それが意味するところを30秒ほど考え、おずおずと手を握る。
すると体が浮いたような感覚の後、自分の目線は白衣より少し上くらいにまで上がっていた。それが立つと言う行為だとも知らなかった。
白衣は手を握ったまま自分を何処かへと連れて行った。少々肌寒いと思ったが、握られた手は温かかったので我慢した。
長細いところに出た。光が点々としていて、その中を白衣は歩いていった。自分も手を引かれて歩いた。
白衣のカツン、カツン、と言う足音に対して、自分足音はひどく情けないものだった。ぺたぺたとしか鳴らない。何度か強くやってみたが、音が強くなっただけで硬い音はしなかった。
白衣は何処かの前で止まった。ちょっとだけへこんだところがあって、白衣が何かをするとそこに穴が出来た。魔法だ、と思った。
しかしそれに感動する間もなくその魔法の中に入れられ、自分は熱いものをかけられた。冷えた体にはちょうど良かったが、止まらなくて参った。
出た先では白衣が何か布を持って立っていた。白衣は口を開いて何か言ったが、こちらに通じないと思い出したのかそれを自分に渡した。
渡された瞬間に濡れた手から水分が失われた。それが水を吸い取るものだと理解して、体を拭く。
それが終わると、白衣はまた違う布を手渡してきた。代わりに今の布を渡す。
広げてみる。それは特殊な形状をした布だった。まず四角ではない。長方形にもっと細長い長方形が両脇についているような形だった。
と、ぱさ、と何かが落ちた。目を向けると、そこにも布があった。それは長い長方形を二つくっつけたような形だった。
どちらも白を貴重としてところどころモスグリーンのラインが入っている。手に持っていたほうの布の細長い長方形の片方は、そのほとんどがモスグリーンだった。
何をしていいのか分からずに戸惑っていると、白衣は大きな溜め息をついた。
『―――――――――――。』
そして自分には理解出来ない言葉を漏らし、その布で自分を包み始めた。抵抗はしなかった。何をしているのかは分からなかったが、白衣は自分に害をなさないと思ったからだ。
それが終わると白衣はまた手を引いて歩き始めた。さきほどの魔法は使ったようには見えなかったが穴はもとのへこみに戻った。
また足音を響かせて歩いていく。ふと、寒さを感じない自分に気づいた。この布はその為にあるのかと思った。
またしばらく歩いて、白衣はもう一度魔法を使った。出来た穴に自分はまた連れ込まれ、今度は何かに寝かされた。手足を止められたが、恐くはなかった。もとよりそんな感情は持ち合わせていない。
自分を残して白衣はどこかへ行ってしまい、自分はまた退屈な時を過ごすこととなった。以前と違うことと言えば視界に薄桃が掛かっていないことと、何かに圧迫されているような感覚があることくらいだった。
ふと、白衣がまた戻ってきた。手には何かを持っている。それを自分の体に差し込んだ。
(痛覚遮断)
初めて理解出来るものが頭の中で響いた。それと同時に何か文字が頭を駆け巡る。
しかし自分の意識はそこで途切れた。唐突に眠気が襲ってきて、意識を保っていられなかった。
闇に染まる意識で自分は思う。何故あの言葉だけは理解できたのだろうと。自分には言語など存在しないはずなのに――

彼に麻酔を打ち込んで、私はその場を後にした。これから少し大掛かりな手術を行うことになる。その為に少し休息を取っておきたかった。
廊下に出て白衣のポケットからタバコを取り出す。誰もいないことを確認して、火をつけて咥える。
疲れと共に息を吐き出す。廊下に紫煙が舞った。
これからのことを考えると頭が痛い。彼は不確定要素だ。それを確定にするためにも色々と手段を講じなければならない。
参ったものだ。昨日同じようなことがあったばかりなのに、こちらはもっと手間がかかる。昨日の子は自我もしっかりとあったし、I-ブレインも正常だった―――ただ、普通ではないだけで。
ふと、名前がないことに気づいた。名前がないと報告書にも書きようが無い。その場で名前を考える。
彼はまだ子供と同じだ。何時から覚醒していたのかは知らないが、その間にも特に学んだことは無いらしい。おそらくはもう1週間はああして一人でいただろうに。
ふと、ある単語が浮かんできた。何故だろう。この場で一番初めに浮かぶのは「child」が相応しいのに、それは違った。私はどうやら特殊らしい。
それを名前にしようと決めた。少し理不尽ではあるが、彼を象徴するには相応しい単語だ。名は体を表すと言うし。
それでは愛称はディーに決まりだ。今度からはディーと呼ぼう。そんなことを考えている間にタバコが尽きた。
携帯用灰皿に吸殻を捨て、IDカードを通す。ドアは静かにスライドし、そこにぽっかりと穴を作る。
さあ、始めよう――私の、一世一代の大勝負だ。
彼女は穴に吸い込まれるようにして入っていき、その背後でドアはまた静かにスライドする。
無機質なそのドアの中。シティ史上、いや、世界史上初の手術が行われようとしていた。

西暦2194年、4月14日。シティ・マサチューセッツのFBWの研究資料では、その日はこう記されている。
「世界初でありながら当局二番目の規格外、『ディフェクティブ2』誕生及びI-ブレイン埋め込み手術無事完了」と。
記録者はアイシア・ワシントン。世界で唯一「先天性魔法士に後天的I-ブレイン埋め込み手術を施した」として名を轟かす、それに関してはエリザベート・ザイン、アルフレッド・ウィッテン、天樹健三の三人を凌ぐ研究者だった。




願いなどありはしなかった

望みも無きに等しかった

ただあの時感じたものは

初めて触れた、温もりだけ



<作者様コメント>
どうも。闇鳴です。今回不明瞭な点多いです。
実力不足に悩んでます。数こなすのみでしょうけど…
さて次回は第六幕、「侵攻と深更」。
ようやく本編キャラたち登場と思われます。
皆様長らくお待たせ致しました…錬君頑張る。
でもまあ、能力模倣されたりしますが…
とりあえず、主人公に期待して下さい。

<作者様サイト>
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◆とじる◆