1.  「ヘイズのバカー!」  クレアは裂帛の気合と共にヘイズの鳩尾に“論理的に回避不可能な一撃”を叩き込む。ヘイズが呻き声とともに崩れ落ちるが、その脇を通り抜けFA-307へと駆け込む。  FA-307の管制アプリカント“ハーモニカ”にシンガポールに向かうよう指示し、生命維持槽に飛び込む。適温に調整された羊水が火照ったクレアの体を冷ましてくれる。モニカはクレアへの気配りを常に忘れない。  クレアは猛烈に怒っていた。ヘイズのデリカシーの無さに対して―ではない。風呂で鉢合わせるのは初めてではなかったし、着替えやトイレを覗かれた事もある。腹が立つのはクレアの“千里眼”が捉えたヘイズの鼓動に全く乱れがなかった事。自分でも論理的ではないと分かっていたが、この苛立ちを誰かに相談したかった。  FA-307と螺旋を描くべき真紅の船は、今は力なく地表へ向かっている。操縦者の気絶により機体が緊急着陸プログラムを作動させたらしい。  クレアを乗せて飛ぶ白銀の船は、FA-307改“Hyperion”―世界に3隻しかない星間航行船の1隻である。ニューデリーの“失われた技術(ロスト・アーツ)”により時速4万kmで大気圏外を飛ぶこの船でも、シンガポールまでは暫く掛かる。  いつの間にかクレアは眠り込んでいた。この先に待ち受ける試練をクレアは未だ知らない。 2.  クレアが最初に訪れたのは、シンガポールで学校の先生をしている弟とその恋人だった。事のあらましを話し終えるとセラは笑みを深くして話し始める。  「ディーくんならそんな事はしないです。この前ディーくんは…」  しまった、と思ったが時すでに遅し。ディーは苦笑するだけだ。どうやらいつもの事らしい。自慢の恋人の話を聞いてもらいたい年頃なのだろう。  その時、賢人会議に属するもう1人の少女の声が響いた。  「貴方は何を考えているのだ、真昼。大体私に断りもなくこんな計画を…」  それを宥める青年の声も聞こえてきたが、どうやら火に油を注いだだけのようだ。電磁場の変化を感知し、クレアはギョッとして振り返る。賢人会議の校長の少女は今にもナイフを投げ込みそうだ。戦闘型の魔法士ではないクレアには、その攻撃を防御する術がない。未だに独身を貫いている全権大使に助けを求めたが、彼は悲しげに肩を竦ませただけだった。 3.  次にクレアが向かったのはモスクワ―もう一人の弟の所だった。しかし、クレアを出迎えたのはいつの間にか孤児院に居付いてしまった双子の姉だった。奥から少年の苦悶の叫びが届いてくるが、彼の親代わりのシスターもいることだし、いつもの事と割り切って無視する事にした。絶対防御を誇る少年でも薬物のダメージは回避できないらしい。  クレアの相談を聞いた月夜は、意味ありげな笑みを浮かべて怪しげな液体を押し付けてくる。その正体を問い質したいのは山々だが、クレアは無言でモスクワを後にした。 4.  次にFA-307はロンドンに停泊していた。ヘイズの師にアドバイスを求めようと思ったからだ。だが、彼は「ヘイズもそんな年頃か」と呟いた後は満足気に微笑んだままだ。  その代わりにチャイナ服の少女が口を開く。  「それなら勝負でもしてみれば?勝負して勝ったほうの言う事を聞くの。」  その言葉を境に状況は一変する。彼女の側にいたエドの周りから突如としてワイヤーのような物―螺子が数百本も出現したからだ。咥えていた煙草を切り裂かれてリチャードが情けない悲鳴を上げる。  それを聞きつけて研究生や軍の中佐までが駆けつける。犠牲も大きそうだが、やっと有益な情報が手に入った。“勝負”の二文字を前にしてクレアの闘志は燃え上がっていた。 5.  最後にクレアが立ち寄ったのは旧神戸市跡。そこで未亡人の女性に助言を求めた。…のだが、「私のアドバイスは高いわよ」の一言にクレアは凍りつく。彼女に頭が上がらないヘイズの姿を思い出したからだ。  そんな空気を読まずに天使の少女が何気なしに言った。  「それなら私みたいに錬さんに抱きつけばいいんですよ。ほら、錬さん」  見ると悪魔使いの少年の腕が少女の背中の後ろを彷徨っていた。彼女の母親の前で理性の限界と戦っている少年に同情しつつ、クレアは病院から外へ出た。 6.  名もなき町からクレアは“塔”を目指す。そこには“墓守”の騎士がいるはずだった。そこでクレアの悩みを最後まで聞いた祐一は唐突に説教を始めた。「やれ練習が足りないだの、感覚がどうだの…」いつもの事だが祐一のお説教は続く。  聞き流していた説教に“プロポーズ”という聞き捨てならない言葉を捕らえてクレアは頭を起こした。どうやら100試合目でやっと勝負に勝った祐一は結婚を申し込んだらしい。急に笑顔になったクレアを祐一は不思議そうに眺めている。  勝ったら何を頼もうか。久し振りにお姫様抱っこでもいいかもしれない。クレアは一路ニューデリーへ帰っていった。 7.  頭痛からようやく回復したヘイズは新たな敵と対峙していた。“敵”は何とハリーすら味方に付けヘイズに攻撃を加えてくる。  「だいたいあんたにはデリカシーが足りないんだよ、全く。」  古のカメの魔物のように質量保存則を無視して無限にスパナを投げてくるサティを前に、ヘイズは必死に情報解体で防御する。理不尽な話だった。デリカシーと言われても、魔法士なら服の上から少女の体のラインを推測するのはた易い事だ。そもそも自分はもう少し年上が好みだし。しかも、あの新しい相棒はいつもヘイズの料理だけ失敗するし、なぜかヘイズにはすぐ怒るし、時々黙り込んでしまうのだ。その理由を推測しようとI-ブレインを走らせた事は何度もあるが、いつも“情報不足です”のError表示で終了してしまう。  そして、均衡が崩れる瞬間がついにやってくる。「黙りなさい」の一言とともに背後からドライバーが投じられたからだ。予測外の親娘の合体攻撃の前にヘイズは声も出さずに意識を手放した。  そして、どうしようもない鈍感男(フラグクラッシャー)を前に、3人はただ笑いあうだけだった。 8.  機嫌よく帰ってきたクレアを相手に、急に模擬戦をやることになった。クレアはなぜか気合が入っていたが、ヘイズは正直気乗りがしなかった。雲が晴れたこの世界で、今更誰と戦うと言うのだ。  そんなヘイズの気分を他所に、ハリーがテキパキと準備を進めていく。いくらやる気がないとは言え、負けてやる気はなかった。FA-307の主武装―荷電粒子砲ではヘイズの船には傷一つ付けられない。昨日は色々と不快な体験もしたことだし。  合図とともに放たれた荷電粒子砲を前に、ヘイズは驚愕することになる。―Hunter Pigeonの動きが鈍い。やはりハリーにも相棒と戦う事への躊躇いがあるのかもしれない。  「ハリー、手抜きすんな!操縦権をこっちによこせ!」  反論しかけたハリーからスピーカーの制御を奪い取る。そしてヘイズは、不敵に笑いつつ指を鳴らした。 9.  生命維持槽の中でクレアは唇を噛んだ。自分も成長したと思うが、目の前の相手は圧倒的だ。全ての攻撃を当然のように回避し、こちらへ荷電粒子砲を打ち込んでくる。どうやら手加減している様子さえ見て取れる。  勝てると考えていた訳ではないが、このままでは終われない。黒衣の騎士から教わった戦術を実行するため、クレアはFA-307に全速加速を命じた。 10.  Hunter Pigeonの操縦席でヘイズは我知らず微笑む。相棒の腕は以前より確実に上がっている。これなら自分の域に追いつくのもそう遠くないかもしれない。  その時、FA-307が予測外の動きを見せた。回避に入るのが数ナノセカントだが、予測値より遅い。マズイ、このままでは少女の船を撃墜してしまう。そんな躊躇いを見透かしたように荷電粒子砲が放たれる。何がここまで少女を突き動かすのだろう。I-ブレインの空き領域でそんな下らない事を考える。  そして、決着の時が訪れる。 11.  ゆっくりと降下を開始した船を追ってヘイズは全速力で地上へ向かう。「クレア様の生命には問題ありません。船殻が冷えるまでお待ち下さい。」との警告を無視し、虚無の領域で無理矢理船内に侵入する。  全裸のクレアがぼんやりとこちらを見上げてくる。どうやら薬品を服用しているらしい。宝玉のような眼をした少女をしっかりと抱え上げ、ヘイズは船へと戻る。その時クレアが何か呟いた気がしたが…。 12.  そしてHunter Pigeonの艦内には今日もクレアの怒鳴り声が響いている。  「あんたってバカね!」  終