「…………えっと……これどうやって登るんだろ……?」
目の前にはこれでもか、とばかりに倒壊した建物の山。
それを見上げて錬は思わず呟いた。
大きなナップザックを担ぎ、手の中にはジョウロやスコップなどがバケツに入って握られている。
「完全に倒壊しちゃってますね……」
横に並ぶフィアからも同じような感想。
エメラルドグリーンの目を丸くした天使の少女はどこか好奇心を除かせた表情で目の前を眺めている。
「しまったなぁ……。前来たときより崩れが激しくなっちゃってるよ」
頭をかきながらどうしようか、と思案する。
「ちょっとこれだけ崩れてると手が出せないかも。フィアはどうにかできない?」
「私でもちょっと……。地下一区画丸ごと崩れちゃってますし……」
「だよねぇ……。ラヴィスが派手に崩してくれるもんだから……」
「軌道エレベーターへ他の行き方はないんですか?」
「行くだけなら行けるけど、入り口が地下しかないんだよ」
「そうですか……」
フィアと二人、ため息をつく。
そう、今日の目的は軌道エレベータ内に作られた錬の花壇の手入れ。
世界樹暴走事件から『Id』の戦いに巻き込まれ、ここ数ヶ月全く手を入れることが出来なかったので今日こそは
と気合を入れてやってきたのだが、
「ゴーストハック……した瞬間に別のところが崩れそうだしなぁ……」
錬とフィアを待ち受けていたのは、先の『Id』の事件でラヴィスと戦った際に崩落した軌道エレベータへの道、
地下通路の崩壊した姿だった。
『夢想唄』
〜ガーデニング・デイ 前編〜
「フィアー! そっちはー!?」
「ダメです錬さん、どこも塞がってますー!」
瓦礫の山の隙間のところどころに首を突っ込みながら声を張り上げる。
うわんうわんと奇妙な反響が鳴り響いて消えていった。
「うーん、これは本格的に強行突破しか無い気が……」
舞い始めた埃に顔を顰めながら錬はそう独語した。
少し離れたところで同じく通れるところは無いか探していたフィアもお手上げとばかりにこちらへ帰ってくる。
さて、いよいよもって崩落覚悟で強引に突破するしか方法は無くなって来た。
しかし、
「…………既にぐらぐらいってるもんなぁ」
「災害跡地みたいですね」
「や、これ現在進行形で起きるって災害」
少し前にも錬はウィズダムとリューネと共にこの場所を訪れているのだが、その時はここまで酷くは無かった。
崩落していたということには変わらないのだが、まだかろうじて建物の形は残っていたし、無理をすれば通り抜けら
れそうだった。
が、今の状況は既にして崩落どころか崩壊寸前。
炎弾の一発でも打ち込めばたちまち連鎖反応的に瓦礫の土砂崩れが起きそうな勢いであった。
「どうしましょう?」
「んー、地上から向かうって最後の手段もあるんだけど、それで入れなかったら手間だし」
全長2万mにまで届く軌道エレベータを支える基盤骨格。
当然の如く情報強化はされているだろう。
一世代前の情報強化なので錬のI−ブレインなら強引にゴーストハックの支配下におけるかもしれないが、そうで
なかった場合は無駄足になってしまう。
当然、壊して中に入るなどという案は論外だ。
「横穴でも通路脇にあったらよかったんだけど―――」
もうちょっと奥が見えないかと瓦礫の山の一つに足をかけた。
瞬間、世界が一気に沈んだ
「―――へ?」
「錬さん!?」
フィアの叫びが耳に届く暇も有らばこそ。
錬は咄嗟に自らを「疾風使い」へカテゴリ変換。
足元の空気分子運動を制御、固定して宙に踏みとどまった。
一拍遅れて下から轟音。
恐る恐る下を見やると、綺麗に円形に陥没した、先ほどまで自分が立っていた場所があった。
「…………え、なに? 何が起こったの?」
連鎖的にこの辺一体が崩れ始めると思ったが、どうやらそれは免れたようだ。
「フィアー。大丈夫ー?」
「あ、はい。私は大丈夫ですー!」
空中から呼びかける。
フィアも天使の翼を発動させて空中に逃れたようで、ふわりと横まで浮遊してきた。
「にしても、何が起きたのこれ?」
「下に空洞でもあったんでしょうか」
二人してふよふよと現場上空から陥没部分を見下ろす。
と、砕け散った瓦礫の中に不自然なものを幾つか発見した。
明らかに押しつぶされたり崩されたりで壊れたようには見えない、異常なまでに穴の多い建材が多数。
「ん……?」
虫食いだらけの建材。
それはまるで手当たり次第に根こそぎ何かで削り取ったようであり、また散弾銃でも撒き散らしたようであった。
「…………イルとサクラのせいか」
どれだけここで暴れまわったのやら。
ラヴィスとの戦闘場所であったこの先の広場から貫通してきたのだろう。
よくよく瓦礫を眺めてみると、そこらかしこに散らばっているガラスの破片のような金属はサクラの投げナイフの
残骸だと分かる。
「はぁ、ラヴィスは物量系の人形使いってリューネから聞いてたけど」
「まるっきり戦争だったんですね……あはは」
……僕らの相手がセロでよかったような悪かったような。
フィアと二人、苦笑いを浮かべる。
そしてまた舞い上がろうとし、
「……ん? あれって―――」
「錬さん?」
寸前で踏みとどまって錬は一つの瓦礫の間に首を突っ込んだ。
「なにかありましたか?」
「あったあった。ほら」
後ろから覗き込んでくるフィアに危ないよと告げ、中を照らしてやる。
そこにあったのは有体に言って金属の蓋。
幾つもの溝が絡み合う奥の地面にそれはあった。
「マンホールだよ」
「人の穴?」
「や、えーっと、排水用の穴って意味だったかな」
きょとん、と首を傾げるフィアにマンホールがどういうものかを簡単に説明する。
「えっと……じゃぁこのまんほーるっていうのは」
「そ。ここから入り込めるってわけ」
ゴーストハックの腕でマンホールの蓋を引っぺがし、錬は黒々とした穴を覗き込んでにやりと笑った。
* * *
かつんかつんと、暗い排水溝の中を行く。
灯りは錬の作り出すマクスウェルの発光のみ。
長い間使われていなかったこの場所はもう水など流れていなく、ただところどころに堆積したゴミなどが垣間見え
るだけだ。
小型のフライヤーならば通れるくらいの排水路、その脇に作られた小道をフィアと二人、歩いていく。
「こっちは頑丈なんですね」
「地震がたくさんあった地域だったらしいからね。地下のものはかなりの強度があるはずだよって真昼兄が昔言っ
てた」
こんこん、と横の壁を軽く小突いてフィアの問いに答えてやる。
「地震……ですか?」
「そう、地震。今でも時々起きるけど、フィアは知らなかった?」
「はい」
まぁ知っててもいいことなんかないのだけど。
「地震起きると真昼兄と月姉の部屋がもうすごいことになって大変だったんだよ」
「本が多いですもんね」
「そうそう。月姉の部屋だと工具とか訳の分からない機械がもうこれでもか!ってくらいに飛び散っちゃってさ」
具体的には、こう、シティメルボルン跡地のジャンク山くらいに。
「おまけにそれでも月姉起きずに寝てるんだよ? 工具の山に埋もれたまま」
「あはは……月夜さんらしいというかなんというか……」
フィア、笑いたければ笑ってイインダヨ。
そう言おうとしたが、引きつった表情を浮かべるフィアのやさしさに免じて何も言わないでおいてあげようと決め
た。
「真昼兄は真昼兄で本の山の崩れた隙間に巧くいるしさ。もし地震が来ても倒れてこない位置にいただけだよとか
なんとか」
どんな計算してるんだろう一体。
下手な魔法士よりも演算速度があってもおかしくなさそうな真昼の笑顔を思い浮かべ、マクスウェルの炎を揺さ
ぶってみる。
ゆらゆら揺れる炎の光に照らされ、時の流れと共に風化しかけている壁や天井が垣間見える。
罅や亀裂は無い。
が、人の手が入らず、使われないものというのは徐々に徐々に消耗していくものだ。
論理回路を刻もうと、情報強化しようと、それを避けることはできない。
永遠に同じものなど無い。
「もうすぐ着くよ。足元気をつけてね、フィア」
「はい……きゃっ!?」
「言ったそばからー!?」
足を滑らせてひときわ深い排水管の中へ落っこちそうになったフィアをぎりぎりのところで抱きとめる。
「ご、ごめんなさい……」
「いいよ、ほら。いこ」
笑ってフィアの手をとり、歩き出す。
そう、永遠に同じものなんて無い。
だから、こうやって手入れしにいくんじゃないか。
あとがき
「ガーデニング」とは庭を手入れすること。
でも、手を入れるのは草木や花だけじゃないよなぁと、そういうお話。
その庭へ至る石の道にだって、手を入れてあげなくちゃ。
庭なんて出てきてないこの前編だけど、それでも「ガーデニング」なんだよと、それだけのお話。
next story→「ガーデニング・デイ 後編」
2008 5/24 レクイエム