「…………ま、まさか最後がロッククライミングだとは思わなかった……」

「はぁ、はぁ……ノイズメイカーがまだ生きてるなんて……」

天に向かって聳え立つ軌道エレベータの入り口。

そこを埋め尽くす瓦礫を掻き分け、息も絶え絶えに錬とフィアは地下からの脱出を果たした。

二人とも服がこれでもか、というくらい埃と泥で汚れてしまっている。

「……フィア、だいじょぶ?」

「なんとか…………」

そう言いながらも肩を大きく上下させるフィアの顔色は優れない。

それに肩を貸して引っ張り上げ、二人は揃って盛大に地面にぶっ倒れた。

「あー…………」

錬とフィアは汗と泥にまみれた顔で空を見上げ、二人揃って言った。



「汚れる予定の服でよかった」

「……ほんとですね」













『夢想唄』 

ガーデニング・デイ 後編













「…………やっと着きましたね」

「そうだねー……来るだけで疲れちゃったよ」

四季の花が咲き乱れる花壇。

錬が丹精込めて作り上げたその場所の前で、二人はぼけーっと立ち尽くしていた。

「ちょっと休憩しよっか」

「はい」

二人してちょこん、と花壇の石垣に腰を下ろす。

「あーあー、ちょっと来てないうちに雑草が伸びてきちゃってるよー」

「どこから生えてくるんでしょうね、ああいうのって」

「風に乗って種が飛んでくるって真昼兄は言ってたよ? こんな高いところまで飛んでくるのかどうかは知らない けど」

手近に生えていた小さな草をつまんで言う。

ここは高度2万m。

絶対とは言えないが、いくらなんでも地上からこんなところまで種子が飛んでくるとは思えない。

「空から飛んできたんじゃないでしょうか」

「そうだったらなんかロマンチックだねー」

そう言った後ではた、と気づく。

既に自分たちは空に浮かぶ空中都市、そこに作られた草原を知っているではないか。

空中都市ワイズ。

天蓋機関アルターエゴ。

ワイズはともかく、世界を周回していたアルターエゴならば、ここに種子をもたらしていっても不思議ではない。

「……まさか、ね」

「錬さん?」

「ん。なんでもないよ」

フィアに答えながらよいしょっと立ち上がる。

「さ、いつまでも休んでるわけにも行かないし、さくさくっとやっちゃおっか!」

「あ、はいっ」

わたわたとフィアも腰を上げた。

がさごそと持ってきた袋をあさり、取り出したるは水筒と噴霧器。

水筒の中には1世紀前のデータから錬が独自に考えた人口肥料が入っている。

それをフィアに渡し、さらに折りたたんで収納していた長い棒を幾つか取り出す。

「? それはなんですか?」

「これは蔓とかが巻きつけるように立てるんだよ。こことあそこと、あそこらへんに」

ぐさりと地面に棒を突きたて、骨組みでとある一帯を囲むように組み立てていく。

組み立てながら地面をゴーストハック、作業のしやすいように畦道を簡易形成した。

「不思議ですよねー。どうして棒があったらそっちに巻きついていくんでしょうか」

「光のある方に伸びていく、とかだったら分かるんだけどね。花も楽したいんじゃないかな」

「あはは、楽したいんだったら伸びないんじゃないですか?」

「む」

不可思議かな生命の神秘。

ともあれ慣例に則り、骨組みの設置は終わらせた。

「フィアー。水遣り終わったらこっち手伝ってねー」

「はーい」

三本ほど畦を離れた向こうで肥料をやっているフィアにそう言ってから、錬は今回の作業のメインとなる雑草取り と剪定を開始した。

「ここは空が綺麗だし、楽したくても伸びたくなるってもんだよね」










          *     *     *










「ふぅ」

額の汗を拭って一息。

傍らには引っこ抜いた雑草やら剪定した花々が山を作っている。

「養分が均等に行き渡るようにある程度のスペースを作ってやる…………?」

携帯端末に表示された、過去のデータベースから引っ張ってきた園芸知識を参照しながら作業を続けていく。

どうでもいいが参照するデータベースによって全く違うことをやれと書かれていたりして困る。

「というか僕が滅茶苦茶に植えちゃってるだけか」

四季の花全部だし。

朝顔の横にアジサイとチューリップがあるし。

金木犀の横にハルジオンや菖蒲が立ち並ぶというカオスな花壇。

勿論、まだ芽も出していないものや花をつけていないものも沢山あるが。



―――それでも、今はもう地上では見ることの出来ない花々なのだ。



「シティの中の公園も、花じゃなくて木々ばっかりだしね」

向こうで排水用の演算機関を調整しているフィアを眺めながら、そんなことを思う。

ある程度の気温・気象管理がされているシティ内部ならともかく、散在する町々では植物自体が先ず目に付くこと は無い。

精々がツンドラ気候に生育するような、背の低い草草ばかり。

もっと南の方の町へ行けばまだ分からないかもしれないが、少なくとも錬は緑が目に付く町に行ったことはない。

「シンガポールとか、結構まだ緑あったかもしれないなぁ」

『Id』の侵攻によりあのシティは壊滅してしまったが。

一度でいいから地上で草原というものを見てみたいと思う。

ワイズやアルターエゴのあれは表面1mだけの飾り物の草原だったから。

ここはこんなにも、太陽の光が届いているのに。

地上が灰色の雲に覆われていることを、ここにいると忘れそうになる。

スプリンクラーの角度から、あまり水が当たらずに硬くなってしまっていた地面を掘り返しながら、そう思う。

「錬さーん! こっちは終わりましたよー!」

そこで向こうからフィアの声。

この場所の気温などを調整している演算機関の整備が終わったらしい。

「ありがとー! こっち手伝ってー! ……ん?」

ぽつり、と頬に水滴。

なんだろうと思って上を見上げたその瞬間、



「あ」



何も言う暇も与えられず、錬は天上から散布されたスプリンクラーの水をまともにかぶって濡れ鼠になった。










          *     *     *










「―――ふぇっくしょん!」

「れ、れれれ錬さん大丈夫ですか!?」

「はーいはい、慌てない慌てない。ただの軽い風邪よ」

大きなクシャミが診療室に反響した。

ずず、と鼻をすする錬に、あたふたと慌てるフィア。

そしてここの主である弥生は腰に手を当てて呆れモードだ。

「まったく、花壇の手入れしきますーって行ったのにロッククライミングして錬ちゃんが風邪ひいて戻ってくるな んて思わなかったわよ?」

「う、ごめんなさい」

「ごめんなさい……」

しゅん、と小さくなる錬とフィア。

弥生は呆れ半分感心半分という表情で弥生は椅子に座りなおし、目の前の娘と手のかかる知り合いの弟を眺めた。



あの後。

フィアの誤操作により濡れ鼠と化した錬は、ものの見事に風邪を引いた。

早く家に帰ってあったまろうと、高度2万mから吹きすさぶ風の中へダイブしたのが原因と言えば原因だろう。

その話を弥生にした瞬間に頭を叩かれた。

曰く、「常識で考えなさい」ということ。

そうかなぁ、早く帰ってお風呂入りたかったから飛び降りたんだけど、ダメなのかなぁ。



ともあれ、家に帰り着いた後で急に寒気を感じ出し、コンディションチェックを行うと明らかな風邪っぴき。

慌てたフィアに弥生診療所へ引っ張られ、今に至るというわけだ。

「フィアも注意すること。いくら水かけたって錬ちゃんは急には育たないわよ?」

「ごめんなさい、おかあさん……」

「ちょっと待って弥生さんそれ酷くない!?」

今酷いこと言った! 絶対言ったって!

「はいはい病人は黙ってなさい。ほらこれ飲んで」

「むぐ……」

紙コップになみなみ入った水で渡された錠剤を飲み干す。

「ちゃんとシャワー浴びて、あったかくして寝るのよ? I−ブレインのコンディションチェックは流れを円滑に するだけで、病気を治しはしないからね」

「はーい」

おとなしく返事。

まだ体もそこまで体もだるくないし、一晩ゆっくり寝れば治ることだろう。

「ありがと、弥生さん」

「はいはい。これに懲りたらもうちょっと無茶は控えなさいね。ただでさえ錬ちゃんは自分のことに無頓着なんだ から」

「う」

耳が痛い言葉だ。

フィアからも何度も言われている言葉だけあって、気をつけるようにはしているつもりなんだけどなぁ……。

「あの……錬さん。私、ご飯つくりに行きますから!」

そんなことを考えていると、唐突に横からフィアが身を乗り出してきた。

「へ?」

「あらあら」

目を丸くする錬と弥生。

「えっと、風邪引いてるとご飯作るの辛いですよね……。だから、その……」

胸の前で手を組み、うつむき加減でしどろもどろに言うフィア。

……まずい、これ、可愛すぎる。

「や、その、フィア、あのね」

「ダメ……ですか?」

その上目遣いは僕を殺す気か―――ッ!

風邪が今での逆に悪化したような気がする。

明らかに火照ってきたであろう額を押さえてどうしたものかと考える錬に、弥生から救いの手が出された。

「はい、じゃぁ今日は皆でご飯にしましょうか」

ぱん、と手を打っての発言。

それでいいわよね?とフィアの頭を撫でて微笑む弥生。

「どうせ錬ちゃんあまりしっかりしたものは作らないんでしょ? しっかり食べてきなさい」

「あ、はい。ありがとう弥生さん」

その笑顔にちょっとだけ気おされて後ずさる錬。

フィアは弥生の横で顔を少しだけ染めてこっちを見ている。

まるでフィアの方が熱を出したみたいで、錬はちょっとだけ笑った。




その日の夕食。

弥生に何を教え込まれたか知らないが、フィアは「これであったまります!」と、大量のハバネロをシチューに入 れて出してきた。

錬は何も言わずにフィアの笑顔を守り通したのだが、それはまた、別の話。







あとがき

さて、いかがだったでしょうか? 夢想唄の第一話、「ガーデニング・デイ」をお届けしました。

今までのレクイエムの作品から考えるととんでもない短さのお話になりました。

夢想唄は短編連作というよりは掌編連作と呼んでもいいかもしれませんね。

しかしまぁ、これからはこんな感じで、一話を前後編に分けるカタチでさくさく進んでいきたいと思います。

ほのぼのほんわかちょっぴりシリアスとバトルも入りながら、大きなストーリーをお届けしていこうかと。

それでは、寒い世界の中、ひと時の安息を生きる彼らの物語をどうぞご堪能ください。



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2008 5/25 レクイエム