―――本には魂が宿ると語った人がいた。
全身全霊を込めてかかれた名作は文字通り不朽となり、たとえ幾星霜を越えようとも語り継がれ残される伝説になると。
ああ、それは確かに正しい。
言語の壁を越え、時代の敷居を越え、認めざるを得ない名作というものは数多く確かに存在する。
それらは読み手の心を捉え、脳を縛り、甘美な夢に浸らせる麻薬とも言われた。
……でも、だからって、こんなことになるなんてなぁ…………
『夢想唄』
〜本の虫・後編〜
「うわ」
「うぉ」
フィアの部屋に足を踏み入れた錬とウィズダムの口から短い驚きの声が漏れた。
それもそのはずである。
簡素な小さな部屋の中には一体ドコからかき集めてきたのか紙媒体の本が20冊ほど積み上げられていた。
さらに周りにはデータライブラリに接続されっぱなしの携帯端末が5つほど。
「こりゃまた」
「すごいね……」
まさかここまでだとは。
手近な端末を手に取り、内部データを投影展開させると、一覧を埋め尽くしていたものは世界各国の古い物語のオ
ンパレード。
「こっちは名作劇場かい。よくもまぁ」
ウィズダムも端末を手に取り、呆れ顔。
「同調能力でシティの図書館からちょっと見せてもらったんです」
「―――!?」
なんだって!?
流石に聞き捨てならない。
「え、ちょ、フィア?」
「大丈夫です。マサチューセッツの市民図書館ですから」
「や、あの、そう言う問題じゃなくてですね」
なぜか敬語に。
「知ってますか錬さん。昔の人は晴れの日に畑を耕しながら本を読んで、雨の日にも本を読んでたそうですよ?」
「……なんか違わない?」
「晴考雨読。晴れの日にゃ考えに耽り、雨の日にゃ本を読むってことだ」
「それもなんか違う気がするけど!?」
正確には晴耕雨読である。
「だからはい! 錬さんももっと本を読んでください!」
ずい、と突きつけられる五冊くらいの本の束。
一番上から順に「虚音の物語」、「海神の物語」、「仮面の物語」、「ペルソナ”うつめ”」、「戦う薬剤師さ
ん」
一瞥した感じだと、最後を除いて続き物のファンタジーっぽい。
「ウィズダムさんにはこれです!」
「あ? 俺もかよ」
ウィズダムにも何冊か手渡すフィア。
「「生命科学のための応用生体成分代謝学」……? おいおい、俺に医者にでもなれっつーのか嬢ちゃん」
「日々の勉強は大事だと思いますけど」
「I−ブレインにリードさせりゃすむ話じゃねぇか」
「そういうのはいけませんっ。いいですかウィズダムさん。雪の降りしきる中、蛍の光で本を読むくらいの努力が
必要なんですよ?」
「あ、それなら僕も知ってる。蛍雪の功、だよね」
「勤勉は美徳だが騙されてんぞお前ら。蛍の光なんぞで勉強したら目が悪くならぁよ。第一蛍の光は明滅が同期す
る。んなもんで勉強できるか」
誰も雪の中で本を読むことに意見しないのが恐ろしい。
「え、ええとフィア。気持ちは嬉しいけど僕ちょっと本は」
「これとこれのどっちかから読み始めたほうがいいと思いますよ錬さん」
聞いてないっ―――。
思わず頭を抱える。
他人に自分の趣味を薦める人間と言うのは往々にして人の話を聞かないものだが、まさかフィアがそうなるとは。
「え、ええとじゃぁこれから……」
抜き取ったのは「戦う薬剤師さん」。
戦場を越えて治療薬を届けるために戦闘訓練を受けた特殊な薬剤師のチームが世界を舞台に繰り広げるファンタ
ジーである。
まごつきながら本を開く錬を、フィアはにこにこと見つめている。
「……フィア? そんな見つめられてると読みにくいんだけど」
「あ、ごめんなさいっ」
というか最早身を乗り出してこちらと一緒に読もうとしているくらいだった。
フィアは頬を軽く染めて錬の横にちょこんと座り、自分も本を開くが、ちらちらとこっちを見てくる。
「…………あー」
どうしたもんだろうこれ。
目次のところで指を止め、向かいのベッドに背中を預けて律儀に「魍魎跋扈」というホラー本を開いているウィズ
ダムに視線を送るが、意図的に無視された。あんにゃろ。
「あれ、なんて読むの?」
「はい?」
「ウィズダムの持ってる本のタイトル」
かすれかけている上に字体が古くて読むことが出来ない。
ちなみに横においてある本は「iKILL」という英語なのかどうなのかよく分からない物騒な本だった。
「”もうりょうばっこ”だ。勉強が足りねぇぞ」
本から目を離さずに、ウィズダム。
その読み耽りぶりを見る限り、読書をよくするというのはあながち嘘ではなさそうだ。
身についた知識が日常に活かされないのがアレといえばアレだが。
「なんか言いてぇなら言ってみろや」
「や、なんでもないからっ」
「ハ、お前らの数十倍は教養ってモンが身についてんだよ。時を越え雲を越え戦を越え、積み重なった悠久の知識
が『Id』にはあったからな」
少しだけ、遠い目をするウィズダム。
「…………」
「これでも賢者を名乗ってんだ。お前らよりもナンボか長く生きてんしよ」
「そういえば、ウィズダムって何歳なの? 外見年齢じゃなくて、実年齢」
ふと、気になってそんなことを聞いた。
目の前に座っているこの男のプロフィールというものを、錬たちは全く知らない。
なぜだか今まで聞こうとも思わなかった。
作られた魔法士にとって、そんなものはあまり意味がないと思っていたのかもしれない。
横のフィアもそういえば、という顔をしている。
「さてな。俺もよく覚えちゃいねぇよ。魔法士になったときに体の成長を調整されてるからな。ガキん時に素体に
されたっつっても驚かねぇ」
「……そうなん、ですか」
それはつまり、魔法士になる前の記憶が一切無いと、そういうことなのか。
「リューネも同じようなもんだ。『Id』は無駄なもんを徹底的に切り詰める。こういった―――」
す、とウィズダムは情報端末を持ち上げ、世界各国の偉人伝のリストを表示させた。
古くは遥か原始、バビロニアの時代から天樹健三、エリザベート・ザイン、アルフレッド・ウィッテンに至るま
で。
滝のように流れ落ちて行く”歴史”を眺め、しかしウィズダムは笑い飛ばすように言い放った。
「記憶などは残さない。『Id』が欲したのは一つ、未知へと繋がる記録だけだ」
未知へと繋がる道。
たとえ待つものが閉塞の狂気であろうと、突き進んでいった学究の輩達。
寒気すら感じるその求道を、
「―――んだがまぁ、それじゃつまらなさすぎだろ」
己の生みの親を、ウィズダムはあっけらかんと否定した。
錬の手から本を取り、
「こういう娯楽なしにどうやってあんなとこで過ごせっつーんだかよ」
「……うん。まぁ、ウィズダムならそう言うと思ったよ」
フィアも苦笑している。
「アルターエゴにゃ全く面白いもんはなかったが、飛ばされたワイズにはまだ結構残っててな。出来損ないどもの
始末の傍ら、結構読み漁ったもんだ」
「ウィズダムさんは、どういうジャンルが好きなんですか?」
「ジャンルねぇ。どっちかってぇと俺ぁ乱読派なんだが―――まぁ、強いてあげるなら」
二秒ほど考え込み、
「一流どころも好きだが、どうしようもねぇ二流のSFや伝記が好みだな。どいつもこいつも現実を見ようとしな
い、くだらねぇヤツラが集まって馬鹿を貫く話が好きだ」
「ああ、確かにそれっぽいかも。フィアは?」
「私は……最初に読んだミステリーが」
「あ、なんか意外かも」
「ラブラブコメコメしたもんじゃねぇのか」
「コメコメってなに」
「擬音かなんかだろ」
「違うと思います……錬さんはなんなんですか?」
「僕? 僕は昔よく読んでたのは歴史小説かなぁ」
錬金術の錬。
真昼が名づけてくれたその名前の由来になったものがどういうものなのか知りたくて、データベースを漁った日々
を思い出す。
錬金。
完全な物質を練り上げる空想の学問。
どんなものにもなる。どんなものも作り上げるという賢者の石。
読んだ小説では、誰もがその生成に失敗した。
例外があってもそれは悪魔との契約であり、石はすぐさま持ち主の手から離れていった。
ならば、『悪魔使い』たる天樹錬は、それを掴む事ができたのだろうか。
―――『能力創生』。
この世におけるイレギュラーの一つ。
ありとあらゆる能力を学習し、再現できるという百錬千打の極み。
錬金術の名を冠する少年は、情報科学理論における賢者の石たりえたのだろうか。
「ほーん。てっきり絵本ばっか読んでるガキんちょだと思ってたが」
「……なんで?」
「9歳だろお前。今は10歳になったんだったか?」
……十分絵本は卒業している年でもあると思うが。
「わ、私は童謡とか大好きですよ錬さんっ」
それはフォローになっていない。
というかそんなこと言ったらフィア、君2歳でしょ。3歳だっけ?
「まぁ、桃太郎だの白雪人魚姫だのうそつきのロバの耳だの猿蟹法師だのはメジャーだからな」
「え? え、えーっと……?」
ところどころなんか混ざってない、それ?
「あ、私はウィルアム・テルのお話が好きです。弓で子供の頭のリンゴを撃ち落すなんてすごいですよね」
弓の名手の話である。
無理難題によって罪に問われた主人公、ウィリアム・テルは息子の頭に載せたリンゴを撃ち落すという刑を強要さ
れ、しかしそれを見事に果たす。
「昔の人はすごかったんだよ。弓とか、今で考えたら命中精度なんてこれっぽっちもなさそうなのにね」
創作であろうが、そういう名手の話は心が躍る。
楽しみ方が微妙に間違っているような気もしないでもないが。
「面白そうだな、今度やってみっか」
「やるって……弓を?」
「おおよ。ウィリアム・テルは子供を仕留めそこなったようだが俺はそうはいかんぜ」
「それ違う! 今一瞬で名作劇場が血なまぐさくなったよ!」
ええいこのバイオレンスヒューマンめ。
半目になる錬とフィア。
「かはは、生まれた以上は歴史なり物語なりに足跡を残したいと思うのが当然だろ」
大口を開けて笑うウィズダム。
「まぁ……そうかもしれないけど」
錬とて男の子。
そういう英雄願望は心の奥に根付いている。
たとえどんなに寂しい世界だとしても、それを忘れるのは向上心の停滞と同義であるのだから。
「だがよ、お前らはもう既に結構な大事件に関わってきてるじゃねぇか」
「そう、ですか?」
「ソウデスヨー。シティ・神戸の崩壊から世界樹、賢人会議、はてや俺ら『Id』との戦いに至るまで、相当なも
んだぜ?」
「ん……そう言われると、そうかもね」
「だろ? これはお前らの物語だ」
あの日あの時。
フィアと出会ったことで歯車は動き始めたのだと思う。
情報制御理論三傑の忘れ形見であった少年は、表舞台へその名前を表し、
ひた隠しにされていたシティの闇、マザーコアであった少女は生を拾って一人の魔法士になった。
あれが始まり。
あれこそが始まり。
「もう、一年近くも前なんだよね。フィアと会ったのも」
「一年も、なんでしょうか……。私は、まだ一年しか経ってないって、思いますよ?」
綺麗な笑顔で微笑んで、フィアは言った。
「錬さんと出会ってから、それこそ私にとって世界が変わったんですよ。おかあさんに真昼さんや月夜さん、ファ
ンメイさんにエドさんたち……”家族”と、”おともだち”が、できたんです」
「フィア……」
……そこで、七瀬静江の名前を出さなかったのは、何か思い入れがあってのことなのか。
いずれにせよ、その笑顔を浮かべることが出来るなら大丈夫だろと思い、錬はそれを聞くのをやめた。
「どうだ、結構なもんだろ」
何故か得意げに、ウィズダムは聞いてきた。
「そうだね。そうかもしれない」
祐一。
ファンメイ。
エド。
ディー。
セラ。
サクラ。
そしてウィズダムとリューネ。
これまでに自分は、なんという濃いメンバーと繋がりを育んできたのだろう。
一歩間違えれば、否、間違えなくとも顔を合わせれば切り付けあうような者たちと。
「人徳だかただの不幸だか知らんがよ、そりゃ確かにお前らが積み重ねた物語だろ?」
「はい」
「うん」
「――――――なら、よし」
おそらくは、初めてであっただろう。
ウィズダムがやさしく微笑を見せたのだ。
フィアも錬も、一瞬呆気に取られた。
普段のこの男の笑いはどこかシニカルで、人を小馬鹿にしたようなものか、あるいは大爆笑であった。
「大事にしていけよ。その繋がりの広さは、物語の選択肢の広さだ」
今、この目の前の男が、とても大きく見える。
威圧感ではない、包み込まれるような、父性とも呼べるような、そんな感覚。
「……うん。絶対に、大事にしていくよ」
「そうだな。それがいい」
「はい……」
ウィズダムはそこでまた普段のにやり、という笑いに戻り、
「その物語、名前をつけるとしたら、どうするよ?」
そう聞いてきた。
「名前…………」
「……ですか?」
「応よ。物語にはタイトルがいるだろう? 未完だろうとなんだろうとな」
フィアと顔を見合わせる。
一人の魔法士が一人の魔法士と出会い、それが広がって行く物語。
いつかあの空の向こう側へ届くように祈り、今を生きてゆくだけのストーリー。
「んーと」
「そうですね……」
腕を組み、こちらをにやにやと見ているウィズダムに向かい、錬とフィアは声を揃えて言った。
言うなればそのタイトルは――――――
「「――――――『ウィザーズ・ブレイン』」」
寒い世界を生き抜いてゆく、未だ未完の、物語。
あとがき
そんなこんなで第二章「本の虫」でした。
WB世界って紙媒体の本はどんなもん残ってるのかなぁ。
ハックの危険のある極秘書類とかだけ紙媒体になるという描写がどっかにあったから、多分新規に出版されることは多分無いと予想。
でも今までの本を全部焚書するとかそんなことは無いはずだから、一応あるところにはあるんじゃねぇかなぁと思いながら書いてました。
そんなわけで紙媒体の本は若干希少である、という扱いにしています。
やっぱデータを入力するだけは味気ないですよねー。世界兄妹も意外と本好きなのですよ?
最後の言葉は「Life goes on」と迷いましたが、結局本題を採用ということに。
どんな滅茶苦茶になっていようと、やっぱり「WB」のお話ですからねぇ。
さて、次章は新規キャラの登場。LGOでもちらりと出てきた”夜明けの炎”が表舞台へと戻ってきます。
―――良い物語を。
next story→「夜明けの炎」
2008年 7月4日 レクイエム