雪原を歩く女性が一人。
軍服にも似た服装に身を包んだ、銀の髪を持つ女。
年のころ、20歳前後というところだろうか。
大きな軍用のザックを背負い、降りしきる雪の中を一歩ずつしっかりと歩んで行く。
一体どこから歩いてきたのだろう。
幾ら装備を整えていたとしても、一人で、それも女がこんな行軍をするなど自殺行為も甚だしい。
されど、銀髪の女はそれを成し遂げた。
彼女の向かう視線の先、うすぼんやりと明かりが見える。
そこが彼女の目的地であるらしい。
女はザックを背負いなおす。
その拍子に髪が流れ、真紅の瞳が顕になった。
透き通るような宝石の瞳。
それはまっすぐに街の明かりだけを見つめている。
天樹錬たちが暮らす、その街の明かりを。
『夢想唄』
〜夜明けの炎・前編〜
―――その日、錬は朝から仕事の依頼状況の整理に追われていた。
仕事それ自体が多すぎた、と言うわけではない。
主に輸送系の依頼を請け負っていたのだが、相次いで依頼主から内容の変更が舞い込んできたのだ。
なんでもここ最近、悪質な賊が蔓延っているらしく、西ユーラシア一帯で多数の被害が出ているという。
そのためルートや届け方のプランの変更が相次いでいる。
「あーもう! 落ち合わせ場所まで変えるならいっそここまで来てよー!?」
携帯端末を覗きながら悲鳴を上げる錬。
「むぅ。そんな凶悪なのかなぁその賊って……」
既に変更で4件。キャンセルで3件。
はぁ、とため息をついたその瞬間にメールの受信音。
「……またか」
半目になりながらとりあえず目だけ通す。
書かれている内容は予想通り依頼のキャンセルであった。
曰く、「従来の空賊とは違い、魔法士の護衛が無力化されてしまう」というらしい。
「……無力化?」
その文章に眉を顰める。
魔法士を無力化する、ということは確実にノイズメイカーが使用されていることになる。
だが、そんなものは今までの賊も使ってきた手段だ。
今さら恐れるには値しない。
「…………」
略奪・強姦・そして殺害。
書かれているその”賊”とやらの為すことはある意味ではステレオタイプの惨劇である。
「なんか気味悪いなぁ……」
気をつけなくては。
曲がりなりにも達成率100%を誇る錬への依頼をキャンセルする件が出てきているくらいだ。
それ相応の注意を払っていて損は無い。
「ん……?」
地域別にメールを振り分けていた錬の手がふと、止まった。
「この被害……段々と東にずれてきてる?」
初めに被害報告がなされたのはヨーロッパ。ロンドン近辺で起きた隊商への略奪事件。
続いてシティ・パリ跡地にてジャンク機材を収拾していた10数人のチームが3人を除いて殺害。
ここでヨーロッパを根城とする世界最大の空賊が一、「蒼天行路」が調査・追跡に乗り出すものの、情報の少なさ
からロストしている。
そこから被害は旧カザフスタン、そしてチベットへと徐々に東の方へと続いていた。
おそらくは「蒼天行路」からの追跡を逃れるためだろう。
ヨーロッパ周辺の隊商はほとんど全てが「蒼天行路」と繋がりのある一枚岩であり、いかな方法を用いようといつ
かは足がつく。
「ユーラシア西半分を荒らして東上中、かぁ。……ちょっと気味悪いかも」
用心だけはしておかないといけない。
錬は眉を顰めながらメールの分別を終え、伸びをしながら立ち上がった。
「んと……今日はとりあえず川那さんとこで部品買っとかないとなぁ」
月夜と真昼がいない以上、今まで用意してもらっていたものは自分で作らなければ成らない。
あの二人には及びようも無いが、錬とて多少の工作技術は身に着けている。
が、部品から作ることまではできないので、ジャンク屋の川那に受注して作ってもらっているのだ。
「いーちにーいさーんしーぃご……っと」
部屋の隅にインテリアっぽく置かれている金庫から、海賊紙幣を何枚か取り出す。
物々交換の方が好まれる場合もあるのだが、それはあくまでも食料品や雑貨の場合のみ。
完全な技術嗜好の品物は紙幣で払われていることが多い。
手軽なクレジットが利用できないのはこの村がまだ出来たばかりということと、安全性の問題の二つが理由であ
る。
「さて、行かなくちゃね」
本当なら、こんなことはずっとないと思っていた。
でも、月夜と真昼がいないなら、やらなくちゃいけない。
二人が消えてから一度も開けていない二人の部屋を数秒見つめてから、錬は家を出ていった。
* * *
「あ、そういえば今日は隊商も来てたっけ」
家を出て数分。
路地を曲がった錬はそこに隊商のテントが幾つか張られているのを見て、あちゃぁと額に手をやった。
ヴィドの隊商ではないもう少し小規模な隊商。
軽く眺めていると、食料品と衣類系を中心に取り扱っている隊商だと分かる。
シティ・神戸崩壊の騒ぎで様々な機械部品・ジャンクパーツが豊富に揃っているこの街にそれらを求めてやってき
たのだろう。
街の人々も十数人が色んな物々交換に興じている。
「おーぅそこの坊ちゃん。菓子でも買ってかないかー?」
「んー、せっかくだけど今行くとこあるからまた後で――――――ってお菓子?」
人の良さそうなおじさんの売り文句を手を振って断ろうとした錬だが、その言葉に足を止める。
「お菓子って、……お菓子だよね?」
「そうだよ。ほれほれ、饅頭からドーナツ、ケーキまで色々あるぞ。買うていけ買うていけ」
「いや、じゃなくてどっからそんなものを……?」
菓子や珍味などの嗜好品に属する品は、たとえ食料といえども生産されることはほとんど無い。
ブドウ糖などの色んなものに使用できるものならともかく、今目の前に並べられている饅頭だのケーキだのスナッ
クだのは生産されるわけが無いのだ。
仮にどこぞの街の食料プラントが作ったとしても、何か街の中で行われるイベント用とか、せいぜいそんな目的だ
ろう。
外に出て来ることはまずありえないと言っていいのだ。
「ねえおじさん、こんなのどっから仕入れてきたの?」
はてな、と首をかしげながら聞いてみる。
「ん? ああ、ここに来る前に立ち寄ったところで交換したんだよ。すごい小さな街でなぁ、ここの四分の一もな
いくらいの」
「そんなトコに、こんなお菓子とかあったんだ?」
「いやぁ、私らも不思議に思ったんだがね。ひょっとしたらこっそり地熱食料プラントでもあったのかもしれない
なぁ」
まぁ、毒も入ってないし、事実美味しいから何も言わなかったがね、と笑うおじさん。
「ふぅん」
いいのかそれで。
「この街から30kmくらい北に行ったところにあるんだがね。ホント小さいよ。あれじゃぁ10人と暮らせない」
「え、何人くらい人はいたの?」
「私らが会ったのは背の高い爺さんが一人だったよ。70近かったそうだが、えらく元気な爺さんだったなぁ」
……ますますおかしな街だなぁ。
情報が増えるに連れて良く分からなくなってきた。
「今時タキシードってか、ありゃ執事服って言うんか? 妙ちきりんな服も着とったわ」
「そ、そうなんだ」
なんだか段々と都市伝説じみてきたようにも思えてくる。
「んと、ありがとうおじさん。帰りにまだやってたら買いに来るかも!」
「はいはい、待ってるよ」
まぁ、品質に問題がないと言うのならわざわざ藪はつつかないでおこう。
帰りにフィアのおみやげにでも買おうと決め、錬は当初の目的を果たすべくジャンク屋へと足を向けた。
* * *
「やぁいらっしゃい、錬ちゃん」
「こんにちは川那さん。頼んでたもの、できてる?」
金属と脂の臭い溢れるジャンク屋へ足を踏み入れる。
カウンターに頬杖をついていた店主の川那は、錬を見ると笑顔で片手を挙げてきた。
「ああ、できてるよ。ほれ」
机の下から錬がぎりぎり一抱えできそうな大きさの箱を引っ張り出し、カウンターに置く。
どずん、と重い音がした。
「うわ、重そう」
「重いともさ。部品だけならともかく、整備機材も入ってるからね」
「え?」
今回頼んだのはパーツのみだけだったはず。
錬が首を傾げると、川那は笑って言った。
「なーに、錬ちゃんこれから自分で整備しなきゃいかんだろ? あって困るもんじゃぁないよ」
「……ありがと。川那さん」
いいってことよ、と手を挙げるジャンク屋の店主。
月夜と真昼という強力なバックアップを失った錬は、これからの全てのことを一人でやらなくてはいけない。
それは技術的にも、精神的にも苦しくなることだけれど。
「…………」
街の皆が手助けをしてくれているなら、きっとやっていけると信じられる。
一人じゃない。
いつか、また家族揃って暮らせる日が来るまで、頑張ることができる。
「はい、お代」
「毎度」
海賊紙幣を数えて渡し、お釣りを受け取る。
そして箱を持ち上げようとし、
「重!? 川那さんこれ一体どんだけ入ってるの!?」
あまりの重さに指が攣りそうになった。
さっき軽々持ち上げてたけど、川那さん以外に力持ち!?
「いやいや、持ち方が悪いんだよ錬ちゃん。こんな仕事やってると結構な重さのものを運ぶこともよくあってね。
抱え方と重心の位置で、結構重いものでも持てるようになるんだよ」
「そうなんだ。で、僕はどうするべき?」
「頑張って持たなきゃ」
「……そうだよね」
こんなことでI-ブレインを使うのもなんだか負けた気がするのでいやな感じだ。
仕方無しに錬は腰に力を入れてジャンク箱を持ち上げた。
……うぉぅ、腰に来る。
微妙にふらつきながらもなんとか錬は箱を抱えて立ち上がり、
「それじゃぁありがと。川那さ――――――」
―――唐突に響き渡った爆音に、手を滑らせた。
「っだぁ――――――ッ!?」
足の甲の骨が砕けたかと思うような衝撃と痛みが脳天まで走りぬけた。
痛覚遮断をすることも忘れ、錬は飛び上がった。
「今のは―――、じゃなくて大丈夫か錬ちゃん!?」
「っだ、だだだだいじょぶ……!」
涙がちょちょぎれる。
錬は器用に両足を抱えてぴょんぴょん飛び跳ねながら涙目で川那に答えた。
「そ、そそ、それより、い、いた……じゃなくて今の音、何……!?」
「入り口の方から聞こえてきたように思えたんだが……。なんか変なヤツでも暴れてたりしないだろうな……?」
「っ見てくる!」
「あ、ちょっと、錬ちゃん!」
川那の静止も聞かず、錬は扉を開けて飛び出した。
このご時勢、自棄に駆られて馬鹿をしでかす人もいれば、終末思想に毒された人もいる。
あるいはどこぞの空賊の略奪という可能性もありうる。
(身体能力制御デーモン 常駐)
五倍の加速を以って錬は街の入り口へと通じる通りを駆け抜ける。
情報制御の波動は感知できなかったことから、おそらく先ほどの爆音の原因は魔法士ではあるまい。
川那のジャンク屋から街の入り口へは歩いて5分程度。
運動加速の疾走ならば30秒とかからない。
錬はI-ブレインをいつでもトップギアに入れられるように臨戦態勢に構え、霜を蹴立てて路地を曲がり、街の入り
口へと駆け込んだ。
そこで見たものは、濛々と上がる土煙の中、倒れ伏す数人の武装した男たちと、
「―――あ、すみません。お騒がせしちゃいましたー?」
土煙の中で尚映える、銀の髪と紅色の瞳を持つ、一人の女だった。
あとがき
夢を呑み 現に呑まれ 身を窶し
静かに静かに 種火は燃ゆる
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2008年 8月1日 レクイエム