声が聞こえる。

誰かの泣いている声。

子供の泣いている声。

意味もなさない言語とも呼べぬその声はしかし、何よりも明確に耳に入ってきた。

灰色の空の下。

閉じられた箱庭の中で。

ひたすらに訴える声が鳴り響いている。

何かを喋っているわけでもないのに。それは、



―――ここにいるよ、って。そう訴えているように聞こえたんだ。












『夢想唄』 

一日お父さん 前編














午前5時半。

天樹錬は目を覚ました。

「…………んぁ?」

ベッドの上に上半身だけを起こし、そのまま固まること十数秒。

なんでこんな早朝に目を覚ましたのかを思考し、

「……そうだ。今日はヴィドさんの荷降ろしを手伝うんだっけ」

さらに1分後、本来の目的を思い出した。

昨晩に知り合いの隊商の主であるヴィドから入った連絡。

なんでも今回は別の隊商を引き連れているとのことで、いつもより大規模な移動になっているらしい。

そこで普段の倍近くになった荷物を整理するためにこの街の何人かに声をかけたというわけだ。

「むぁ」

欠伸をかみ殺し、服を着替える。

まだ街の人は半分も目を覚ましていないだろう。

が、窓から外を見やれば何人かが歩いている。

もちろん、錬と同じく隊商の手伝いに借り出された人たちである。

「……ん?」

その中に、鮮やかな金色を発見する。

夜の明けぬ、このうす暗がりでも容易にわかる金の髪。

「フィア?」

窓を開けて、呼びかける。

「あ、錬さん。おはようございます」

「うん、おはよう。……で、なにやってるの?」

厚手のセーターにロングスカート。そしていつものストール。普段よりあったかめな格好に身を包んだフィア は、こちらの声に小首をかしげて答えた。

「? ヴィドさんのお手伝いにいくところですけど。錬さんもですよね?」

「…………ああ、うん、そうだよね」

フィアにまで声かけやがったのかヴィドさん。

と、こちらの表情を読んだのか、フィアは違いますよと手を振った。

「あの、私がお手伝いさせてくださいってお願いしたんです。いつもお世話になってますし」

「……まぁいいけど。眠くない?」

「……あはは」

そこは否定されなかった。

恥ずかしそうに頬をかくフィア。

「えーと、ちょっと待ってて。すぐ外出るから」

「あ、はい」

フィアを待たせて悠長に寝癖やらを直しているわけにはいかない。

錬は毛糸の帽子をかぶってごまかすことに決め、手袋とマフラーをして外へ飛び出した。

「ごめんね、行こっか」

「はい」

並んで歩き出す。

「いつもよりちょっと冷えるね。寒くない?」

「大丈夫ですよ。錬さんこそ、お仕事の疲れは溜まってませんか?」

「溜まってないって言ったら嘘になっちゃうけど……大丈夫だよ。うん、元気元気。心配してくれてありが と」

「―――そうですよ錬くん。疲れは知らないうちに溜まるものですからね?」

「だから大丈夫って―――うわぁ!?」

いきなり背後からの声。

驚いて飛び退こうとした錬だが、後ろから伸びた手に肩を押さえられて止められる。

細いがしっかりと力の込められたその腕の主は、

「ミ、ミーナさん……おどかさないでよ」

ブラウンのタートルネックにロングスカートという出で立ちのミーナだった。

「あ、おはようございます。ミーナさん」

「はい、おはようございます。いい挨拶ですねー。健康な証拠ですよ」

フィアの頭を撫でるミーナ。

続いてこっちに柔らかな視線が突き刺さった。

「…………おはよ、ミーナさん」

「まぁ、それで及第点にはしておきましょうか」

若い子はもっと元気でいるものですよ? と人差し指立てて言ってくる。

「ほら、もっとシャンとしないと。フィアさんの前ですよ?」

「いや、別に僕はそういう―――」

「あ、私の作った栄養ドリンクとか飲んでみます?」

「こっちの話最後まで聞かずに次の会話にいくよねミーナさんはッ!」

「れ、錬さんもう少し静かにしないとまだ寝てる人が起きちゃいます……」

ボルテージの上がってきたこっちの口をあたふたと押さえる素振りをするフィア。

やばい、その仕草かわいすぎる。

「ところで、ミーナさんも荷降ろしの手伝いに呼ばれたの?」

「結構自信作なんですけどねぇ。このドリンク」

「いい加減でこっちの話聞いてくれないかな」

半目を通り越して三白眼になる。

と、いきなり手に瓶を握らされた。

金属製の至って普通の飲用瓶。

紅白のラインが引かれており、なにやらよく分からない成分表示までついている。

「……なに、これ?」

「今言ってたドリンクよ?」

ああやっぱコイツ人の話聞いてねぇ。

「ミーナさんの自作……なんだよね。大丈夫これ飲んでも?」

「大丈夫ですって。ほら、成分も一般的なものがほとんどですし」

「”ほとんど”ってことは一般的じゃないのも少しは入ってるんだよね……」

そもそも、錬は栄養ドリンクなど飲んだことはない。第一見たこともない。

軍などでは戦闘の恐怖を無くすための興奮剤などが導入されているらしいが、そんなものとは元より無縁であ る。

そういった経口摂取の薬剤よりも、アンプルによる静注の方が遥かに効率がいいからだ。

無論、効率が良いだけで安全性の考慮は為されていないのだが。

「それはそうですよ。今のご時勢、地黄じおう芍薬しゃくやくなんてまともに手に入るわけないんですから」

「ジオウ? シャクヤク?」

なんですかそれ?と首を傾げるフィア。

「まぁ、薬草みたいなものです」

「……だったらまぁ、大丈夫なのかな。いただきますっと」

若干の不安を残しつつキャップを開けて飲み干す。

想像していた臭みはほとんどなく。どちらかといえば甘ったるい液体が喉を流れていった。

「あれ、意外に美味しいね。栄養ドリンクってちょっとくさいものばかりだと思ってたよ」

「ふふ、私の特製ですから。効果も滋養強壮、虚弱体質、疲労回復、代謝促進、食欲増進、美容健康、不老不 死」

「―――今最後なんつった!?」

マジ怖ぇ。

そんなバカ騒ぎをしているうちに、目的地に到着する。

街の正面入り口。

普通隊商の搬入は真正面からは行わないのだが、今回は運び込む荷物と入ってくる人数が倍近いため、最も大 きいこの場所を使用している。

普段は締め切られ、閑散としているその場所は今、100人近い人と山のように詰まれた荷物で埋め尽くされてい た。

「うわぁ」

「すごいです」

普段の二倍強はあろうか。

これではヴィドが助けを求めてくるのも無理はない。

よく観察してみると、隊商の人間はきびきびと動いて急がしそうに荷物を整理している者と、精気無く安堵の ため息をついて放心している者の二種類に分けられる。

前者がヴィドの隊商の人間。後者は、


「―――やっこさんら、途中で遭難しかけてるとこを見つけてな、なんとかここまで引っ張ってきたところだ」


疲れた声が、横からかけられた。

顔を横に向ければ、そこにいたのは大柄な白人の男性。

「あ、ヴィドさん。お疲れ様」

「お疲れ様です」

「錬ちゃんたちも悪いな。朝早くに呼び出して」

無精髭をさすりながら挨拶を返すヴィド。

「ううん、大丈夫だよ。でもすごい人だね」

「ああ……シティ・北京の北辺りで合流したんだがな。大変だったよ―――と?」

そこで、ヴィドは目を丸くした。

なにかあったのかな、とその視線を追うと、その先にはミーナの姿。

「はじめまして、エレナブラウン・ツィード・ヴィルヘルミナと申します。錬くんとフィアさんには、日頃か らお世話に」

「ヴィドだ。この隊商の取り纏めをしている。錬ちゃんたちとは古いつきあいでな。よろしく」

握手を交わす二人。

なんか大人の挨拶である。

「つい先日この街にお世話になり始めまして。こう見えても技術者の端くれです。なにかお手伝いできるかも しれないと、本日はこちらに」

……『Id』の技術だったら”端くれ”どころじゃぁないんだけどね。

「それはありがたい。うちの奴等はどうにも力仕事ばかりに向いていて整備をおろそかにしがちでな。お嬢さ んの力を借りることになるかもしれない」

にこやかに大人の会話をする二人。

ヴィドの意外な一面を見た感じである。

「それじゃぁ、来たばっかしで悪いが、早速手伝ってもらうとするか。錬ちゃんたちは荷卸したやつの選り分 けをお願いしたいんだが」

「了解。奥へ行けばいいんだね?」

「ああ。うちの隊以外のヤツも沢山いるから多少きついかもしれないが、頼む。それで―――」

「私も使っていただいて結構ですよ? 遭難した、というからには色々と整備しなければいけないものもある でしょうし」

「それじゃぁヴィドさん。いってくるね」

「助かる―――っと、いってらっしゃい」

ミーナとヴィドを残し、手を振って踵を返す。

意外にあの二人、気が合うんじゃないかなぁと、そう思いながら。








          *     *     *










「……はぁ、こんなとこかな? ありがとフィア。やっぱりフィアの能力だとすぐ終わるね」



1時間後。

携帯端末片手に人と荷物のひしめき合う街の正面入り口を縦横に歩き回っていた錬は、最後の荷物を検品し終 え、一息ついた。

「私は探して分類しただけですよ。運んだりしたのは錬さんや隊商のみなさんです」

お疲れ様でした、と飲み物であろう小瓶を渡される。

ありがと、とそれを受け取り、

「―――ぶふぉあ!? これさっきのミーナさんのドリンクじゃないか!」

不老不死になる!

「え、あの、疲れたときは甘いものがいいっておかあさんが」

「……や、そうなんだけどさ」

今確実に逆に疲れた気がする。

「違うんですか? こう、摂取したブドウ糖グルコースが解糖・TCAクエン酸回路を経て二つのシャトルを―――」

「あああそういう話は今はいいから! というか言っても僕分からないから!」

最近のフィアは弥生から色々と医学を学んできているので、時折こういう感じに語りだすことがある。

本人としては自分が知った新しいことを誰かに伝えたいという気持ちなのだろうが、正直そっちの学が一切無 い錬にとっては遠慮したい話だ。

そしてそういう教養はめきめきと身に着けているのにさっきみたいな常識を覚えていかないのはどうしてだろ う。

ちょっぴりしゅんとなっているフィアがかわいそうだけど、心を鬼にして断ち切っておくことにする。南無南 無。

「とりあえず一旦ヴィドさんのところにもどろっか―――」

くいくい。

「ん?」

服の裾を引っ張られる感触。


「どしたのフィア。そんなにショックだっ――――――ん?」


振り返った視界の先には一歩離れてフィアの姿。

裾を引っ張ったのは彼女では無いらしい。

ぽかん、とした表情でこっち―――の少し下の方を見つめている。

なら一体何が、とフィアの視線を追って錬の視線も下、つまり自分のほとんど足元の方へ向き、



「…………ふ、ぐ……うぇ……」



錬のコートの裾をしっかりと握り、今にも泣き出しそうな目でこちらを見上げているちいさな女の子と目が 合った。

視線が合うこと1秒、2秒、3秒。





「うぁ――――――ん!!」

「何事――――――ッ!?」





堰を切ったように泣き出した女の子と、驚愕のあまり叫んだ錬の声がこの場にこだました。







あとがき

おはよう。こんにちは。こんばんは。先月更新分をうっかり送り忘れて更新持続記録を逃した大馬鹿者レクイエムです。



2009 2/22追記

送りなおしていなかった……!

え、なにこの間抜け。↑の文章は4ヶ月も前に書いたもの……なんだ、けど……(一番下の日付参照)



とはいえまぁ、できていたのは前章の「昼飯を楽しめる日」だけだったので、量としてはしょぼっちいのですが

あれが回文台詞のみ、ということに気づいた方は何人いるか。気づいてくれないと寂しいですお兄さん

と、まぁそんなことはいいとして、今回のあとがきです。

ほのぼのモノにはある意味定番の短編でしょうね。”迷子のおかあさんを探す”ってのは

けれども舞台はWB。そんな体験をしたはずもなく、また接し方も分かりやしない錬と人生経験の圧倒的に足りないフィア。

二人がどういう風にこの子をあやすのか、どういう風に相手をしていくのか。

ここのところだれだれ雰囲気全開のレクイエム節にて、書いていきたいと思います。

では、後編へどうぞ。



next story→「一日お父さん・後編」



2008 10/30 レクイエム