それは、貴方から聞かされた小さな小さな物語。

涼しい風が吹く草原の中で

太陽の光をいっぱいに浴びて寝転んでいる恋人の逢瀬

私がいて

貴方がいて

それだけでこんなにも世界は美しい

―――さぁ、物語を始めよう。

掴み取ったつかの間の日常を生きていく、ただそれだけの物語を。

のんびりと、ゆっくりと、始めていこう。

夢は終わって朝が来た。

先ずは、目を覚まして一日をはじめよう――――――










『夢想唄』 

〜プロローグ・新しい日々〜










「ふぁ…………ぁーぅ」

大あくびを一つ。

ぼさぼさになった髪を無意識に手櫛で撫で付けながら、天樹錬はベッドから身を起こした。

寝ぼけ眼で辺りを見回すこと4秒と半。

まだ焦点の合ってない目をこすってもう一度あくびをし、

「…………起きよっか」

ぐでー、と。いかにも気だるげにベッドから飛び降りた。

むしろずり落ちた、と言ったほうが正しいかもしれない。

時刻は午前5時12分。

朝と言うには少し早い時間である。



(コンディションチェック・オールグリーン)



I−ブレインに命令を送り、健康状態をチェック。

血圧が若干低いくらい。問題なし。

頬をぱちんと叩いて意識を強制覚醒させる。

流石にちょっぴり眠いけれど、

「そうも言ってられないよね……」

ベッドの横の机の上の、情報端末のスイッチを入れて立ち上げる。

そう、今日は依頼が入っている日。

そのためにわざわざこんな朝早くに起きたのだ。

「んー……朝食どうしよう」

なんか作ってあったっけ。

そう呟きながらメールをチェック。

新規メールはメルボルン跡地のホストに作ったダミーに4件。

「えっと……うーん、これとこれは断ってこれは保留かな……」

錬のところに舞い込んで来る依頼は隊商や個人の護衛や、なにかしらを見つけてきてくれ、というものが多い。

今回の依頼は小さい隊商をロンドン付近の街からシティ・パリ跡地付近の街まで護衛してほしいというものが一 件。

これはスケジュール的な問題で却下。

とある規格の演算機関を見つけてきて欲しいという依頼が二件。

巧妙に偽装されているが、おそらくこの二件の依 頼主は同一だろう。

そして最後の一つは少し大きな依頼だった。

「…………これって、蒼天行路そうてんこうろ?」

メールを開いた錬の目が少しだけ見開かれる。

内容自体はさっきのものと変わらぬ、隊商の護衛の依頼。

しかしそこに記されていた依頼元の名前は、とても無視できぬネームバリューを持っていた。





―――『蒼天行路』

それは世界を四分すると言われる空賊、『四大天神』の一つ。

しかし実際は空賊ではなく、規模と影響力の大きさから『四大天神』に数えられた普通の組織である。

その正体とは西欧に根を下ろした巨大な隊商統括組織。

大戦後に隊商が安全に次の街へたどり着くためのネットワーク・移動手段を提供するというシステムを作り上げた ことで大成した世界最大級の組織である。






「そんなでっかいとこが何の依頼だろ?」

はてな、と首をかしげる。

曲がりなりにも一流のなんでも屋である”天樹錬”の名前はそれなりに有名だが、それでもわざわざ名指しで依頼 がくるとは思えない。

『蒼天行路』が行うのはあくまでも交通ネットワークの提供だけで、それ以上を求めはしないからだ。

「経営方針が変わったとか? あ、そういえばあそこ、最近リーダーが代替わりしたんだっけ」

丁度『Id』との戦いが終わってすぐのことだったと覚えている。

『Id』の侵攻によって何かしらの被害が『蒼天行路』にも出たのだろう。

それまで代表取締役を務めていた人物が引退、代わってまだ若い女の魔法士が代表になったと聞く。

確か名前は、

「ユ――――――、ってこんなことしてる場合じゃなかったんだ!」

いつの間にやら時刻は5時半。

依頼主との合流時間は0600であり、少し余裕を持とうと早めに体内時計をセットしたのにこれでは意味がない。

開きかけた『蒼天行路』からのメールを保留に戻し、錬は大慌てでリビングへと向かった。










          *     *     *










そして8分後。

大慌てで着替え、その辺にあったパンやらなんやらを詰め込み、寝癖を整えた錬は玄関のドアを開けて外に飛び出 した。



と、同時に、夜のうちに降りた霜で凍りついた地面に足をとられて思いっきりすっ転んだ。



「でぇいっ!」

しかしそこは世界最強の魔法士の一人。

錬は後ろに傾いでいく自分の体の勢いに逆らわず、そのまま地面を無理矢理に蹴飛ばして一回転。

バク宙の要領で体を丸め、無事に着地する。

「…………うん」

今の僕、なかなかかっこよかったかも。



「朝っぱらからサーカスかなんかの練習かァ?」



そこへ投げかけられる気だるげな声。

ぎぎ、と錬の体が強張った。

ロボットのような動きで後ろに振り返れば、そこにいるのは若草色の作務衣を纏った青年。

氷点下ではないとはいえ、二桁に達しないこの気温の中、自殺行為とも言えるそんなイカれた格好をするのはこの 町でもただ一人。



「……おはよ。ウィズダム」

「応。眠い朝だ」



半目で挨拶をすると、尚も気だるげに片手を挙げて答えを返してくる。






ベルセルク・MC・ウィズダム。

ついこの間からこの町に住居を無理矢理に構えた核爆弾級の危険性を持つ青年。

彼と妹であるリューネがこの町に住み着いて少し経つが、そのアクの強さはこの町に住む者全員に知れ渡ってい る。






「朝っぱらからそんなに急いでドコ行くんだお前。ああ仕事か、やめちまえ」

「なんでだよッ!?」

いきなり何を言い出すかこいつは。

「朝は寝るもんだ。仕事に行くようなもんじゃないぜ」

「……じゃぁあんたは何で寝てないのさ」

「いやなに、リューネに追い出されてな」

「大体予想できたけど、どうして?」

「そりゃなに、お兄様が愛に溢れた朝の目覚めを演出してやろうと」

「もういいよ分かったオッケー予想と完璧100%合致したから」

「そォかそォか。みなまで言うな、照れるじゃねぇか」

「今の僕の台詞のどこにあんたを褒める要素があったんだよッ!」

かんらかんらと笑うウィズダムに思わず声が大きくなる。

そろそろ目を覚ましている人もいるであろうこの時間帯、近所迷惑にもなりかねない。

と、



「朝から元気だねぇ錬ちゃん」



後ろから声。

振り返れば、

「あ、久川さん。おはようございます」

この町の一番の年寄り。

知恵袋として重宝されている久川老人がにこやかな笑みと共に立っていた。

朝の散歩の途中だったらしく、普段のガウンではなく多少なりとも動きやすい厚手の服に身を包んでいる。

「ウィズダム君も、おはよう」

「年寄りの朝は流石に早いな。久川爺さん」

久川老の挨拶に片手を挙げるウィズダム。

理不尽と傲慢と無茶苦茶が服を着て歩いているようなこの男だが、意外に小さな子や年寄りなどにはまともであ る。

「ははは、そういうあんたも早起きじゃないか。妹さんはまだ夢の中かい」

「猫になってるぜ」

まだ少しぎこちなさの残る会話。

この町に一番長く住んでいる人と、一番短い人の会話である。

それはなんだかとても喜ばしいことのようで―――

「ところでお前時間はいいのか」

「そうだった! ごめん久川さん、僕仕事あるから行かなきゃ!」

「ああ、がんばっといで錬ちゃん」

「なんだ、結局やめねぇのか」

「やめない!」

背後に言葉を叩きつけて走り出す。

時刻は5時46分。

錬は町の出口目掛けて全力でダッシュしていった。










          *     *     *










走る。走る。走る。

自己領域や身体能力制御を使わないのは、直に風を感じていたいから。

見知った路地を駆け抜け、ブロック塀を行儀悪く飛び越え、錬は身軽に道を行く。

とりあえず気分は晴れやか。

今日はいいことがあるかもしれない。

何の根拠もないけれど、そう思えることはいいことだって誰かが言っていたから。

「仕事終わったらフィア連れてどこか行くってのもいいかなぁ」

こういうときは、他愛もない空想に耽るのがいい。

それはきっと、今日も一日がんばろうという気持ちを生んでくれるものだから。

一歩ごとに一秒。

一秒ごとに一歩。

自らの足で前へ進んでいくという実感が、そんな他愛もない感覚がとても心地よい。

意識は既に完全覚醒。素晴らしきかな涼やかな風。

徐々に街の目も覚めてきているようだ。

すれ違う人々、ドアを開けて目が合う人たち手を振って挨拶を交わし、街の出口目掛けて駆け抜けていく。



おはよう。



おはようございます。



おはよー!



おはよっ。



口々に唱えられるその言葉は、一日の始まりを告げるもの。

他愛のない始まりを告げる、他愛のない言葉。

「さてとっ、今日も一日がんばらなきゃ」

そう思えるだけでいい。

そう思えたなら幸せだ。

「えーと、これから依頼人の人と合流して目的地へ向かって――――――」

今日の依頼は物資調達。

シティ・神戸跡地に残るとある貴重な素材を手に入れてくるというものだ。

軍の施設の最奥にあるとのことなので、普通の人間では侵入することができないらしい。

加えてあのときの騒動でその場所は土中に埋まってしまっている。

突入するならば人形使いと騎士が最低一名ずつは必要であり、つまるところ錬向きな依頼なのであった。

防衛システムの生き残りがまだあるかもしれない。

情報強化されてゴーストハックでは通れない場所があるかもしれない。

昨日のうちにそれらの対応は考えてある。

けれどもそれでも思ったとおりに行かないのが仕事の常。

つまりそこは依頼達成率100%を誇る天樹錬の腕の見せ所な訳で。

「よし、がんばろっ」

頬を叩いて気合一発。

時刻は5時52分。

合流場所はもうすぐそこだ。

さて、今日もまた一日をはじめよう。










          *     *     *










天樹錬が走っていった路地をしばらく見つめた後、ウィズダムはほぅ、と息をついた。

「くぁ〜、朝から元気なこった」

大きな欠伸もオマケに一つ。

「なに、若い子はああでないといかんよ」

眩しそうに錬が消えていった方を見やって、久川。

「ありゃ若いってかガキだろに。中身何歳か知らねぇが」

「だったら尚更じゃよ。子供が子供らしくしない理由などありゃぁせん」

「やァれやれ、こういうときの年寄りにゃ敵わんぜ」

嘆息交じりに肩をすくめるウィズダム。

踵を返して久川に背を向けた。

「まだ眠ぃ。俺ぁ帰って寝直すわ」

それだけを告げてウィズダムは去っていく。

久川は何も言わず彼を見送った。

1分ほどその場に留まり、何かを考えるような素振りを見せてから久川もまた歩き出す。

「さて、いこうかねぇ」

先ずは散歩の続き。

それから朝食。

後のことは、その間に考えるとしよう。

そして久川も歩き出す。

時刻は丁度6時。

まばらではあるが、街の目も覚めようとしている。

ところどころで扉が開く家々を眺めながら、久川は街の奥へと進んでいった。

残されたのはばらばらに違う方向へ向かっている足跡が三つ。

それもすぐに溶けて消えるだろう。

街の目覚めに伴い、街の気象制御システムが活動を開始し、気温が少しずつ上がり始めてゆく。

朝日は昇らず。

灰色の空の下で向かえる朝。

けれどもそれは確かに一日の始まりだった。

どんなに暗い世界でも。

どんなに辛い現実でも。

こうして何時も通りに朝はやってきて、人々は暮らしていく。

一日が始まっていく。

それでも生きなくては・・・・・・・・・・と、そう思いながら。



一日を、始めていく。










あとがき

お待たせしました! LGO三部作「生命讃歌」に続く新作「夢想唄」のプロローグのお届けになります。

前作とは形式を完全に一新し、本作は一話一話が独立した短編連作のカタチになります。

もちろん大きいスパンで見たストーリーはありますが、基本は一話完結の短編を綴っていく予定です。

一つの大きな戦いを終えた後の世界、ほんのわずかな安息の日々を生きる人たちの日常の唄をこれからお伝えしていこうかと。

その始まりとして、LGOより続く架け橋となるプロローグでした。

あの三部作で学んだことを胸に、錬やフィアたちが生きていく物語がここから始まります。

それでは、再び長らくのお付き合いとならんことを――――――



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2008 4/23 レクイエム