展示室

■■七祈様■■

彼女と彼の幕間劇

　――とにもかくにも、サクラは不機嫌だったのだ。

　理由はただの一点に尽きる。彼女の後方から五・六歩ほどの距離を、つかず離れずついてくる『彼』の存在。
　『天樹真昼』という名の青年のせいだ。
　青年は、白のタートルネックに赤銅色のジャケット。それと同色のスラックスに身を包み、肩には何かごつごつしたものでふくれた白い袋を担いでいる。
　その表情は笑顔――ただ笑みがあるだけ。しかし、それは「はりついた」というような類のものではない。至極、普通の穏やかな笑顔である。
　だが、そんな人好きのしそうな微笑さえも、サクラにとっては不機嫌を加速させる一因でしかなかったのだ。
　その加速もすでに臨界点にまで達し、彼女は彼へと振り返った。
「――天樹真昼。……警告だ。これ以上はついてこないで欲しい」
　紡ぐ口調に、断固とした意思をはらませたサクラの言葉。常人であれば、寸分のためらいもなく首肯を余儀なくされるであろう言圧にしかし、真昼は寸分も動じる様子がない。
　彼はただ、彼女と同じタイミングで歩みを止めただけ。にこやかな笑みをたたえたままでいる。
　サクラはため息をひとつ、つく。
「……貴方という人は。――これで何回目の警告だと思っている」
　対し、真昼はしれっとした声で返す。
「んー。……確か……、通算で九回目くらいだったと思うけど……、正解かな？」
「ばっ！？　――そういう意味でいったのではない！　……わざとだな。わざとそんなことをいうのか、貴方は！！」
「いや、それは心外。――僕はいつだって真面目そのものなんだけれどね。わかりづらいのだろうけど」
「……その口調と、その顔と、その行動に説得力が伴っていない」
　眉根をひどく寄せてみた険しい顔で、サクラは真昼を糾弾する。
　けれど真昼には一向にその効果はないらしく、彼はなおもしれっと言葉を継ぐ。
「ひどいなぁ……。ねえ、サクラ。――それが『二度』も危ないところを助けた恩人に言うセリフなのかな？」
「なっ？！　………………確かに一度目のときは……。だが！　その次のは――」
　そこでサクラは口ごもってしまった。うつむきかけた目の前には、「ん～？」と、含み笑いを浮かべて佇んでいる青年の姿。

　……ああ、一体全体、どうしてこんなことになってしまったのか。

　頭を抱えようとする手は、ただいま絶賛で使用不能状態に陥っている。
　その原因であり、今までの経緯のあらゆる原因でもある少女へと、サクラは視線を落とした。
　――『セレスティ＝Ｅ＝クライン』
　彼女はサクラが抱える腕の中で、すやすやと小さな寝息をこぼして夢の世界にいる。その容姿は可憐にして、今にも儚げに消え入ってしまいそうな眠り姫だ。
　その安らかな寝顔に、サクラは失っていた平常心を取り戻す。そして、そもそもこんな事態に陥ることになった、つい数時間前の出来事へ思いを馳せた。

　――私用で訪れていたシティ・メルボルン第一階層。そこでシティ・モスクワの工作員達に追われている少女――セラを、当然の成り行きからサクラは助けた。
　しかし、その直後に現れた第一級【カテゴリーＡ】の魔法士数人との戦闘に突入することとなったのだ。メルボルン最近の動向により、対魔法犯罪のために敷設されていたノイズメーカーの、固有ノイズパターンを敵側が利用していたこともあり、あわや窮地へと追い込まれそうになった二人。
　だが、そこへ颯爽と現れた天樹真昼の助力により、何とか事なきを得ることが出来たのであった。

（……それが一度目。……だが――）
　次に思い起こすのは、それからすぐ後のこと。

　三人で追っ手を振り切り、第六階層の偽装扉の向こう、細い連絡道をいくつか抜けたところで――
（文書【ｔｅｘｔ】：一般処理・『後方二ｍ。要庇護者の意識消失を感知』）
　サクラのＩ－ブレインが拾い上げた情報に、即座に振り向いた先で、
「――セレスティっ！」
　これまでの無理と疲労がたたったのだろう。今まさに、サクラの後ろについて歩いてきたセラが、その意識を失って倒れかけているところだった。
　幸いにして、サクラとセラの彼我の距離はそう離れていなかったため、Ｉ－ブレインによる運動係数の操作を必要とすることもなく、サクラはセラを抱きとめることに成功した。
　――が、
（警告【ａｌｅｒｔ】：例外処理・『頭上、亜空間領域からの、等加速落下質量を複数感知』）
　先の処理から連続して送られてきた警告文に、しかし、今度は慌てることもなく対応する。Ｉ－ブレインから送られてくる落下質量の数値データだけを把握して、瞬時に頭上へと力場を展開し――

「――っとと！　……驚いたなぁ……。これは『Ｄ３』かな？　……そういえば、セラは『光使い』だったっけ」
「なっ？！」
　いきなり頭上から響いてきた声。
　局地反重力磁場の展開を中断し、見上げた先には――
「ああ、サクラ。……悪いけどさ。僕、このままＤ３を落とすから、そこの白い袋を下で広げておいてくれる？」
　……頭上では、やはり笑顔の天樹真昼が、絶妙なバランスでもって、淡いブルーを灯す正八面結晶体――『Ｄ３』を合計十個、その腕に抱えていた。

（……それが『二度目』）
　事実はこうだ。
　セラが意識を失ったことにより、彼女が空間の裏側に収納していたＤ３――それが自由落下してきたのだ。そして、それをサクラが力場で跳ね返す前に、真昼が受け止めてしまったのである。
　サクラは、記憶の中で頭を抱える自分から目を逸らし、この日で何度目になるか分からないため息を吐いた。
　そして、吐いた息を深く吸いなおし、
「……あんなものが、助けたうちに入るのか？」
「あれま。重ね重ね、ひどい言われよう」
「まったく……。人間ができていないな、天樹真昼。そんな小さなことを気にさせるようでは――」
　サクラが高圧的に言葉を繋げるのへ、真昼はその頬に悪戯な笑みを浮かべ、
「小さなこと？　……ん～、そうだね。――じゃあさ。サクラも、僕のストーカー行為程度の『小さなこと』には目をつぶらないかい？」
「っ！！　ストー？！　……ぐ。……そうか。……そういう自覚があったのだな……」
　どどめ色をしたオーラが背に浮かび上がり、サクラの全身に言い表しようのない力がみなぎる。それを受けて、彼女の腕の中、セラが「ひぅっ」と小さな悲鳴をあげた。
　しかし、サクラはそれに気づくこともなく、
「ならばこれは立派な犯罪行為だっ！　私にとって迷惑極まりない！　………………これが最後通告だぞ、天樹真昼。――これ以上はついてくるなっ！！」
　それに対し、
「うん。……じゃあ、僕はこれから『たまたま』君と同じ方向に歩いていくことにするから♪」

　………………いけしゃあしゃあ、とはこのことを言うのか……。
　もはやサクラは、黙して先を急ぐしかなかった。事実上の白旗である。
　余裕の笑みを浮かべる真昼に対し、くるり、きびすを返すとサクラは、今までのあまり意味のない会話によって遅れた分を取り戻すべく、早急に足を進めて行った。
「………………」
「………………」
　迷宮のように入り組んだメルボルン第六階層以下の空洞路。その道なき道を、サクラは選んで最短ではない回り道を行く。
　その理由は、モスクワ軍の通信傍受のためであるが、もうひとつ、真昼に、これから向かう行き先への順路を特定させないためでもあった。
　もちろん、これまでの経緯から、真昼がどこかしらの間者でないことは明白である。だが、万が一、彼の身に何が起きるとも限らない。だからだ。

　――天樹真昼は、セレスティや自分とは違う。彼は一般人なのだ。
　今は時と場を同じくしていても、いつかは別れなければならない。そう、いつかは……。
　せめて彼が一般人ではなく、弱くても魔法の使える魔法士であったなら……。魔法士であったなら私は――

（？！　……何を？？　……私は今、何を考えて――）
　火急、そして過度にアルコールを摂取したかのように頬が熱くなる。
　もしもアルコールならば、血中に擬似システインを合成してアルコール含有のアセトアルデヒドを酢酸に分解するだけでいい。……しかし、これは断じて飲んでもいないアルコールのせいなどではなく……
（――まずい。これは……とにかくこれはまずい！）
　危ういところへ行きそうになった思考を修正すべく、サクラは勢いよく頭を振った。
　それにつられて、彼女の頭、その両側を括るリボンも揺れる。
　ようやく、落ち着きを取り戻したところで、今度は、後ろから混乱の元凶である青年の声が聞こえてきた。
「――リボン」
「？？」
　サクラは無言のまま後ろを振り返る。
「ん？　ああ。……初めて会ったときに、通信素子の向こうではつけていなかったからね、リボン」
「………………」
　それがどうした、と言わんばかりの顔で真昼をにらむサクラ。
　そんなサクラに、真昼はさらっと、
「うん。――かわいい、というより、かっこいい、かな？　……まあ、どちらにしても、よく似合っていることに変わりはないけどね」
「――っな！！」
　何を言う！　……と、思わず叫びそうになったのを必死にこらえる。
　だが、サクラには他にもこらえねばならないものがあった。
（？！　何だ？　……これは？？）
　全身の血管という血管が沸騰したように熱い。そして、それが下から上に逆流するかのように、顔が――特に頬がかっと熱くなる。
　鏡などなくても、それが紅潮であることがわかってしまう。両手でそれを隠そうにも、その両手にはセラが眠っていて……つまりはどうしようもない。
「くっ！」
　全力でサクラは真昼から顔を逸らし、深呼吸を繰り返すだけ繰り返して、再び落ち着きを取り戻そうとする。
「――まったく。……ストーカーのうえに女たらしだとはな……。貴方にはほとほとあきれるばかりだ、天樹真昼」
　それは、落ち着くための強がりから生まれた言葉。
　だが、真昼は何を気にするわけでもなく、
「んー。あきれられるのは別に構わないんだけれど……。そろそろさ。その『天樹真昼』って、人をフルネームで呼ぶのは止めて欲しいなあ。――『真昼』でいいよ」
「バカ者っ！！　私と貴方は、まだ今日初めて会ったばかりだぞっ！　人をファーストネームで呼ぶなど！　これはセレスティにも言ったが、愛称とは、二人の仲が……その、……もっと親密になってからと言うか……親睦を深めてからと言うかなんと言うか……その……」
　………………落ち着けない。落ち着きを取り戻せられない。
「んー。でも、僕は君のことを『サクラ』って呼んでいるけど、……それはいいの？」
　真昼の言葉に、はたと、サクラはそれまでの怒張をひっこめる。そして、少しだけ思案を巡らせてから、ふん、と息を吐いて答えた。
「それは……私には『姓』が無いからな。だから、それはいたしかたのないことだ」
「んー。……まあ、それもそうなんだけどねぇ……」
　相変わらず、食えない態度の真昼に、サクラは落ち着こうとする自分をかなぐり捨てるような強い口調で迫る。
「だからと言って！　『いい』と言ったわけではないっ！　……せめて、私のことは………………そう、セレスティと同じように『サクラさん』と呼べ」
「えぇっ？　……でも、君、……年下だよねぇ……」
　あごに手をやって、少しだけ考えるそぶりを見せた後、真昼はポンと手を打ち、
「あ！　じゃあ、僕はこれから君のことを、サクラちゃ――」
　ひたり
「――それ以上言ったら、どうなるか分かっているな？　天樹真昼……」
　いつの間にか、真昼の眼前に立ち、彼の喉元に投擲ナイフを突きつけているサクラ。その目はひどく座っていて、流石の真昼も押し黙るを得ないほどの迫力に満ち満ちていた。
　両手を挙げ、降参の意を示す真昼に、ふう、と息をついたサクラは、既にいつもの彼女に戻っていた。
　いまだ眠り続けているセラを抱えなおし、涼しげに光る眼差しを真昼に向け、
「余計な手間を取った。これ以上は危険だ。――先を急ごう」
　そのまますたすたと、空洞でできた道を歩き始める。
　が、数歩だけ歩いたところで、ふと、立ち止まると小さく、
「………………サクラ、でいい」
　少しだけ振り向いた彼女の頬には、ほんのり、桜の色が揺れていた。

（……やれやれ）
　真昼はＤ３の入った袋を担ぎなおし、それきり一言も喋らなくなった黒装束の少女を追う。
　彼女のその衣装は、その名前とは程遠い。
　しかし、
　彼女のその身にまとう風は、その名前の香りを乗せて流れる。
「――姓の無い『サクラ』、か……」
　そう呟く真昼の目は、追う少女の背を通り越し、はるか遠く、彼方の刻を見つめていた。

（――アルフレッド＝ウィッテン。……彼女は、貴方の『サクラ』なのですか……）

　――彼女が『サクラ』ならば、僕は――
　　

―　to be continue　～ＳＨＩＮＲＡ　Ｌｕｎｅ２　ＥＸ～

＜作者様コメント＞

以上、私的お気に入りペア№2・サク昼ペアのお話でした。
内容は、『Ⅴ』上巻のセラが気を失っている間に起きたであろうエピソードですね。
ですので、第四・五章あたりを事前に読んでいただけるとありがたいです。

……いや～。それにしてもマヒル兄さんはステキですね～。
めっちゃ好みですわな。無理矢理に押し倒されてぇっ！

……というわけで次回作は、
ウィザーズコマンドー外伝『すごいよ！マヒルさん』です（超嘘）。

＜作者様サイト＞

　―　ＬＮＳ　―　
http://www.geocities.jp/raharito/

◆とじる◆