■■nisiB様■■

世界樹の下で
−一時の平穏−

どこまでも広がる荒野を、風が吹き抜けていった。
空には鉛色の雲、雪がちらちらと舞い降りる。
大気制御衛星の事故、そして大戦によって大きく変わってしまった世界。
どこかのシティの外壁の更に外、零下四十度という世界に、二人の男女が立っている。
ソラともう一人・・・、金色の髪を腰まで伸ばした少女。
どちらも黒いコートを着込んでいる。
「・・・・」
少女が口を開いた。
黒色に、黄金が揺れる。
「・・・・・本当にそれでいい?」
目の前の少女は誰だろうか。
問いかけるも、声が出ない。
I-ブレインからの応答もない。
「・・・・そうだよね。君が自分で決めたことだから・・・」
知らない、覚えていない、だが、懐かしい。
しばらくして、少女は踵を返し、歩み去ってゆく。
ソラは唐突に不安を感じた。
大切な何かが無くなってしまうかのような感覚。
後を追おうと体を動かそうとするが、まったく動かない。
一体どうなってしまったのだろう。
そうしているうちに、少女が遠ざかってゆく。
叫ぶ、叫ぶ、だが声が出ない。
視界から消える寸前、少女が振り返った。
「さようなら、ラヴィスの炎使い」
小さく呟いた言葉は、届くはずのない距離を越えて、ソラに突き刺さった。
(無限ループ離脱。凍結を解除。覚醒)
途端、体が動くようになり・・・・。

「行くな!!」
ソラはベッドから跳ね起きた。
窓からは日光の代わりに天井に取り付けられたライトの光が差し込んでいる。
(現在時刻、九月十日午前十時十七分)
I-ブレインが時刻を告げてくる。
「夢・・・・」
変な夢をものだ。
頭を振り、意識を覚醒させる。
落ち着いたところで気がついた。
「九月・・?」
もう一度時刻を確かめる。
九月十日
自分が覚えている最後の記憶は・・・・。
八月十日
「・・・・」
参った。
どうやら一ヶ月近く眠っていたらしい。
記憶がないということはおそらくそうなのだろう。
いつの間にやら、灰色のパジャマに着替えさせられて、寝かされていたらしい。
考え込んでいるうちに、夢のことはすっかり忘れてしまった。
とりあえず、軽く身体チェックした結果、異常は見られないようだった。
一応軍の方に、目が覚めたという報告はしておいたほうがいいだろう。
あの白衣のメガネ親父に絶対に文句を言われるだろうが、仕方が無い。
ソラがそそくさと着替えを始めたとき、部屋のドアがノックされた。



世界に残る六つのシティの内の一つ。
シティ・ロンドン。
このシティには雨が降る。
空調設備に異常が発生したこのシティでは。
空気中に大量の埃や塵が撒き散らされることになった。
そのため天井部から水をまき、汚れを洗い流すシステムが作られた。
降り注いだ水は回収され、マザー・システムによって循環されることになる。
結果、決まった時刻になると雨が降ってくる。
今は放水中らしい。
街中にしとしとと雨が降っている。
そんな中、人通りもまばらな道を走る二つの影。
「早く早く、先生が話したいことがあるって言ったから・・・」
いかにも活発そうな女の子が、ソラの右手を引っ張った。
上下水色の服とスカート、肩まで伸ばしたストレートの銀髪が、頭につけた黄色いリボンの動きにあわせて揺れている。
白い肌に、青い瞳が印象的だ。
「わかってるってシリィ、ったく・・・こっちは病み上がりだっていうのに・・・」
今まで眠っていたということは、この一ヶ月の間、一切の食事をしていないということだ。
栄養剤などの投与は行われただろうが、それでもソラとしてはかなり腹が減っていた。
半分ぐったりしながら引きずられるように走る。
「でも・・・『先生』ねぇ・・・」
『先生』というのは、二年前、ロンドン自治軍の研究部に所属することになったある男のことだ。
それからというもの、任務が終わると、この『先生』に報告するという一種の決まりができてしまった。
I−ブレインの動作チェックや任務で負った被害状況を報告するためだ。
ちなみに、ソラはこの『先生』が大の苦手だったりする。
「何言ってるの?一ヶ月も寝てたんだから体力余ってるでしょ。とにかく急いでよね」
有無を言わさぬ口ぶりで目の前の女の子、シリィが言う。
振り返った拍子に、持っている水玉模様の傘から、雨の雫が四方に飛び散る。
この、どこにでもいそうな元気のいい少女もまた、魔法士である。
今から10分ほど前、ソラの部屋を訪ねたシリィは、報告に行こうとしていたソラの手を掴んで部屋から飛び出した。
着替える時間もろくに与えられなかった為、着込んだロンドン自治軍規定のダークブルーの制服は少々くたびれたものになっていた。
そのまま傘もささずに走っているのでかなり濡れている。
彼女曰く、
「急がないと先生帰っちゃうから・・・、ソラが寝てるのが悪いんだからね」
らしい。
どうやら『先生』は里帰りでもするようだ。
シリィはそちらのほうが心配らしい。
ちょっとはこちらの心配もしてほしいのだが。
でも、無事に帰ってこれたんだよな・・・・。
走りながらしみじみとしていると、お腹が鳴った。
なんだか急に悲しくなった。


通りを抜け、しばらく走り、やがて目的の建物にたどり着く。
「はぁはぁ・・・・」
息を切らせて入り口に駆け込んだが、かなり濡れてしまったようだ。
「早くしなさいよ人間乾燥機、そのままじゃ入れないわよ」
ふと見ると、シリィはほとんど濡れていない。
黙々と受付の端末を操作している。
「・・・・はいはい」
(分子運動制御開始、『炎神』極所展開)
脳内にメッセージが表示されると同時に、服が急速に乾いてゆく。
こういう時に便利だよな、と思いつつ作業を続ける。
しばらくすると・・・。
『シリィ様、ソラリス様、ゲートをお通り下さい、リチャード教授はB棟8階研究室群にいらっしゃいます』
端末から合成音声が聞こえてくる。
「さて、行くわよ」
服を乾かし終わったのを確認して、シリィが歩きだす。
ソラも慌ててその後を追った。


シティ・ロンドン自治軍。
司令部と軍隊、様々な研究部門を持ち、最高評議会と並んで権力を持つ機関である。
ソラ、そしてシリィも自治軍に属している。
一応、自治軍内のすべての研究部や機関に属していることになってはいるが、実際にお世話になっている機関は結構少ない。
そんな数少ない機関の中に、情報制御理論研究部がある。
ソラは大戦中期、2187年にここの研究棟の培養槽で生み出されたことになっていた。
もっとも、自分自身はどこで生まれたかなんて覚えていないし、周りの研究者も戦中と戦後では大きく入れ替わってしまった。
今では戦中からの古株はいなくなってしまっている。
結果、自分の経歴のすべては登録されたデータだけになってしまったわけだ。
だが、ソラ自身は過去や経歴にとらわれたことはない。
何も無かったのだ。
あるのはソラリスという名前と、この能力だけ。
生まれたのは戦中らしいが、ソラの記憶には、戦時中の記録は残っていない。
不思議といえば不思議だが、生まれてから目覚めるまでの期間がかなり長かったらしい。
生まれた瞬間から、五〜十数歳程度の外見と高い知能を有している先天性の魔法士の場合、培養槽から出てすぐに活動することができる。
だが、時々脳やI−ブレインの障害で生まれてからしばらく、培養槽からでてからも目を覚まさない者もいる。
そういった者達は、しばらく様子を見られる。
変化がないようなら処分されるだけのことだ。
ソラが目覚めたのは戦後になってから、2190年のことだった。
誕生してから3年もの間、眠っていたことになる。
最初の記憶は軍の医療施設のベッドの上だった。
担当の医師から聞いた話では、もう少し眠っていたら廃棄処分だったと聞かされた。
戦中、幾度と無くあったであろう廃棄処分を回避できたのは、先天性型の魔法士だったからだろう。
当時のロンドンでは、本格的な研究の開始された段階だった為、貴重なサンプルだったということだ。
目覚めの報告はすぐに研究部に伝えられ、その数日後、すぐに最初の任務につかされた。
初めての仕事は軍関係者の護衛らしかった。
忙しく動く軍人たちを見ながら、ソラが右も左もわからずおろおろしていると、軍の制服姿の少女が声をかけてきた。
「あれ?君、新顔?私シリィっていうの。よろしくね」。
ソラが驚くのを見て、少女はにっこりと笑った。
それが、ソラとシリィの最初の出会いだった。


シティ・ロンドン20階層、情報制御理論研究部B棟8階。
様々な実験装置が置かれた部屋の並ぶ区画。
リノリウム張りの廊下を走る二つの影。
ソラとシリィである。
「はぁはぁ・・・、何もこんなに急ぐことないだろ・・」
右腕をつかまれたままソラが言う。
「あれー?こっちであってるはずなんだけど・・・」
こちらの意見に取り合う気は無いらしい。
振り向きもせずに走る。
やがて、『喫煙室』と書かれたプレートが見えてきた。
どうやらそこに例の『先生』がいるようだ。
「あ、見えた見えた・・・・わっ!?」
突然、左前方から人影が現れた。
どうやら喫煙室の前の廊下はT型になっていたらしい。
急いで速度を緩めるも、間に合わない。
シリィはとっさにソラを前に突き出して、速度を落とそうとする。
「わわわ・・・どいてどいて!」
「ちょ・・やめ・・・シ・・」
二人の必死の抵抗も虚しく、
「・・・・ん?」
通路から歩いてきた白衣の男、リチャード・ペンウッドに衝突した。


「で、何か言いたいことはあるか?」
『ごめんなさい』
リチャードの問いに、ソラとシリィが小さくなって答える。
あの後、喫煙室に連れ込まれこってり説教を食らった。
「えっと・・先生がソラに用事があって、でも明日からいなくなるって言うから・・・」
「目覚めているかどうかもわからない奴を連れに行ったと?」
シリィの必死の抵抗を『先生』、リチャードは煙草片手に事も無げに切り捨てる。
ごもっともです、と小さくなるシリィ。
場に気まずい沈黙が下りる。
「でも、しっかり目覚めたぞ?それに体にも特に傷は・・」
沈黙を打ち破ったのはソラだった。
「ソラリス」
が、リチャードの言葉に、再び小さくなる。
気まずそうに視線をそらし、部屋の隅にある観葉植物を眺める。
「まったく、こちらの身にもなってもらいたいものだが・・・」
リチャードは、肩まで伸びたクセのある黒髪を、わしわしと右手でかきながらため息をついた。
「そ、それにしても、よく廃棄処分にならなかったよな、俺」
とにかく一番心配だったことを聴いてみることにした。
普通の魔法士ならば、機能不全で意識を失ってから最大で数週間で破棄される。
一ヶ月の間、こうして無事に寝ていられることはありえないのだ。
自分がいくら貴重な戦時中の先天性魔法士だったとしても、それは例外ではない。
戦時中ならともかく、今は代わりなどいくらでも製造できる。
リチャードは灰皿でタバコの火を消し、取り出した新しい一本に火をつけた。
「何故生きているのか?簡単なことだ。要は私たちが駆けずり回ったわけだよ。お前さんの廃棄処分までの期間を長引かせるためにな」
こともなげにさらりと言ってから、壁に埋め込まれたデジタル式の時計を見る。
時刻は十一時五分、もう少したてばお昼時だ。
「私も頑張ったんだからね」
得意そうに言うシリィを適当にあしらいつつ、さらに疑問をぶつける。
「はいはい・・・、で生かしてもらっておいて悪いんだけど、俺ってそんなに重要な人材だったか?今まで仕事はそこそここなしてきたけど、目だって凄い事はした覚えがないんだよね」
シリィが何か言いたそうな顔をしていたが、あえて知らんぷりしておく。
リチャードはタバコを揉み消すと、よれよれ白衣のポケットから一枚のディスクを取り出した。
そのままくるくると指で回し始める。
「これはお前さんの戦闘記録だ。上の連中がこれを見て大層驚いたそうだな。まぁ、当然といえば当然か。炎使いが一人で最新鋭の雲上航行艦と戦った記録など、そうそうあるものではない」
回す手を止め、ディスクをソラに向けて投げる。
ソラは嫌そうな顔をして、そのディスクを受け取った。
あの戦いから一ヶ月が経過しているが、今朝目が覚めたばかりの自分にとっては、まるで昨日のことのように思い出せる。
吹雪の中に舞う、白銀の翼。
全方位から襲い来る、白銀の螺子。
ほんの少しの間とはいえ、あれと戦ったことが、そして生きていることが、今になって不思議に思えた。
「時間にして数十秒だが、あれを相手にこの戦いができたのは、評議会の連中にとっては驚きだったようだな。何しろ、うちが全精力を注いで作り上げた最新鋭の戦艦だ。それに最強と言われた人形使い・・・。そこらの魔法士など数秒もたたないうちに戦闘不能になるだろうと予測していたようだ」
リチャードは苦々しい顔をして次のタバコに火をつけた
「つまり、評議会の人たちがソラのことを認めてくれたってこと。納得いった?」
シリィがにこにこと顔を覗き込んでくる。
なんとなく視線をそらしてみた。
シリィがむくれてそっぽを向く。
「まぁ、実際は後数日眠っていたら、廃棄処分だったぞ。私も今日からここを留守にするし、ほかの連中だけでは到底、議員どもを黙らせられないだろうからな」
そう言って、ため息とともに煙を吐いた。
ソラは黙ったまま話を聞いていた。
嬉しそうにもせず、むしろ怒りさえ含んだ口調で問いかける。
「・・・・自分がなんで生きてるのかもわかった。それで、評議会の連中は俺になにをさせたいんだ?まさか・・」
リチャードは三本目のタバコを揉み消した。
「ふむ、察しがいいな。評議会の連中からお前さんに令状が届いている。それが本題なんだが・・・・、っとこれだな」
白衣のポケットから取り出した小さなカードには、複雑な論理回路が刻み込まれている。
リチャードはそれを、机の隅に設置されている情報端末に差し込んだ。
ピッ、という音がして、何かの書面がソラの目の前に投影される。
そこには・・・・。
「ソラリス、お前さんには、人形使いエドワード=ザインと戦艦『ウィリアム・シェイクスピア』を捕縛する任務についてもらう。がんばれよ」
・・・・・・はぁ?
ソラが、そしてシリィまでが、口を開けたまましばらく動かなかった。


こうして、ソラは最強の人形使いを追うことになったのだった。





<作者様コメント>
前に投稿した物に加筆修正を加えたものです。
”。”がついてさらに読みやすくなりました(何
ここでリチャードさん登場です。
本編のキャラはあまり出さない予定ですが、ちょくちょくでてくるかもなのであしからず
次回は、追跡編です

<作者様サイト>
なし

◆とじる◆