■■謳歌様■■

 静かな風の音が響く。
「いい風だね」
 その風を気持ち良さそうに浴びながら、笑みを混ぜた少女の声も響いてきた。
「ああ」
 素っ気無い返事ながらも、響く声は思っていた以上に落ち着いたものだった。
 青い空があって、緑の草原があって、そして、そばに愛する人がいる。それだけで、世界はこんなにも美しい。

 たとえそれらが、人工のものであったとしても……。

砂上の奇跡



 
 

「静かだね……」
「ああ……」
 いつ寝入ってしまってもおかしくないような、まどろみに満ちた声だった。それが彼女にも伝わったのか、彼女は少し笑みを浮かべて、寝転んだこちらの頭を抱えて、膝の上に乗せてきた。
「このまま……」
 時間が止まってしまえばいいのに。
 声には発されなかったけれど、少年には彼女のその声を鮮明に捉えることが出来た。そのことに何か返事をしようかと思ったが、言葉は何も思いつかず、ただ、ありのままの気持ちを、伝えた。
「……今、幸せか?」
 唐突だったかな?とは思ったものの、彼女はこちらの額に愛しそうにこちらの額を撫でて、
「うん」
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

 シティ神戸崩壊から一ヵ月、生き延びた人々にも少しずつ余裕が生まれてきて復興にも一段落がついた。
「これなんてどうかな?」
 しかし、それで安住できる生活が享受されるかというと勿論そんなことは無く、働かざるもの食うべからずの真理の元、忙しい日々が始まりを告げた。
「報酬は……イマイチね。しばらく仕事もご無沙汰だし、少しランクの高い仕事にしたほうがいいんじゃないかしら?営業再開の宣伝にもなって一石二鳥よ」
 しかも我が家の財政状況は、件の神戸崩壊の騒ぎのためにここ近年ないほど逼迫するに至っていた。
「そうは言っても、あまり良さそうな話は無いよ。いかがわしさのレベルが最大限のならそれこそはいて捨てるほどあるけど」
 もちろん、財政状況などでは引き換えに出来ないほど大切なものが得られた。あるいは、失われずに済んだ。そのことを考えると、そうそう悲観するような状況ではない。
「ある程度の裏さえ取れたらそれで良いわよ。いつぞや程怪しげな依頼はないだろうし、一家総出であたればそうそう難しい話でもないでしょ」
 だから、この苦境を作り出した張本人が自分であることが明らかでも誰もそれを責めはしないし、自分でも多少の反省をしつつも、ことさら顔色を窺ったりはしない。
「……何か言い足したそうな物言いだね……。まあいいけど。それなら、これなんてどうかな?内容は二人の護衛。場所は……南アメリカからアジアまで。まあ報酬額やら機密レベルから考えるに、まさか旅行ってことはないだろうね」
 とは言え、協力してくれた家族に対して、自分も相応の誠意を見せることは人間としての最低限のマナーとしてわきまえていた。
「ふ?ん。内容の詳細は現地で、ねえ。まあ、いつもの通りに行きましょうか」
 だから、この流れはむしろ受け入れてしかるべきものであって、口を挿むような真似は控えていた。
「そうだね。いつもの通り、バックアップと実働とに分かれて、ね。じゃあ、早速承諾のメールを送るよ。錬も、良いよね?」
「……はい」
 しかし、その言葉にこもる落胆じみた感情まで制御することは、出来なかった。
 

 

「……で、どこにその依頼主はいるの?」
 問いかける相手がいないことは分かっているものの、辺りを占める沈黙と無人ぶりに、つい独り言をこぼしてしまう。
 一言の反論も出来ないまま依頼を受けてから一週間後、錬は姉の運転するフライヤーに乗せられて、依頼主が指定してきた場所へと赴いた。
 そこは、もう何年も前にゴーストタウンと化した廃墟だった。人の営みの名残は愚か、誰かが寄った跡すら残っていない、完全に死んだ町だった。
「依頼主さ?ん」
 I-ブレインの記憶を何度も確認してみるが、時間も場所も間違っていない。もしかしたら依頼主に何かあったのかもしれないし、そもそも騙された可能性も無きにしも非ずでは有るが、こちとら以来達成率百%の『悪魔使い』の看板を背負った身の上。こういった場合の対処法のノウハウも備わっている。
 取り敢えずとして、この町を一周するぐらいはしてみようかと思って足を踏み出したその瞬間、I-ブレインが抑揚無く叫んだ。
(情報制御、攻撃感知)
 その警告から一瞬の遅滞も無く、錬は速やかにI-ブレインを戦闘起動へと移行させる。
(『ラグランジュ』常駐。知覚速度を二十、運動速度を五に設定)
 次の瞬間、背後から振り下ろされた一撃を腰から引き抜いたサバイバルナイフで受け止める。続いて、通常の五倍の速度で何者かから距離をとって、さらにI-ブレインの起動状態を変更する。
(『ラプラス』、『マクスウェル』常駐。容量不足。『ラグランジュ』強制終了)
 減速する中、錬は『ラプラス』によって相手の動きを予測しながら、『マクスウェル』によって攻撃なり防御なりの体勢を整える。
 と、その時になって、ようやく錬は襲ってきた相手を視界に納めた。
 長いというほどではないが、おそらくは不精によって伸びたのであろう黒髪と茶色の瞳を持った、見た目12,3歳ほどの少年が、力のこもった、どこか野生の獣じみた表情でこちらを見据えていた。スータンと呼ばれる男性用の修道服である、襟元に凝った意匠の十字架の刺繍がされた全身を覆う闇色の服と、首から下げられた、これもまた凝った意匠の十字架のアクセサリーを身にまとい、その上に脹脛にまで届いている漆黒のコートを羽織って、自身の身長ほどの長さをした銀色の棒の様なものを手にしていた。 
 いや、よくよく見てみると、少年の手にした棒の先端にはナイフ程度の刃がついていた。錬は実物を直接見るのは初めてではあったが、それが何と呼ばれる武具であるのかという知識だけは持っていた。
 すなわち、槍、という知識を。
 錬がそれらのことを確認している間にも、相手は間断なく動き続けた。速度は、加速状態を解除したこちらのおよそ十五倍。『身体能力制御』の恩恵を受けていることは容易に想像できるが、その加速率は騎士剣を使用した最低ランクの騎士並。そこから類推するに、おそらく『自己領域』も有していないだろう。しかも、先ほどの一撃の際に受け止めた錬のサバイバルナイフに『情報解体』が行使されることも無かった。
 ……なんか、半端な相手。
 だが、I-ブレインの性能が優れていなかろうと、一瞬の隙が致命的となる魔法士の戦いにおいて油断は出来ない。
 少年が踏み込んできて、錬の身体の腹部目掛けて突きを放つ――だが、そこに突然生成された氷の盾によって阻まれる。
 その瞬間、少年の表情に微かに怪訝そうな表情が浮かんだ。おそらく、最初の一撃の際の錬の動きで、錬が騎士であると思ったのだろう。『悪魔使い』である錬にとっては見慣れた反応だ。
 そして、多少卑怯ではあるかなとは思いつつも、常のようにその一瞬の隙をついて錬は『マクスウェル』を全力で起動させる。
(「氷槍」起動)
 少年の前後左右、さらには上空と、少年を囲むようにして複数の氷槍が生成される。そして、それらは一斉に運動エネルギーを与えられて少年に向かって肉薄した。最強の騎士や人形使いならともかく、十五倍速程度の運動速度しか得られていない騎士には避けようの無い攻撃だ。
 一応急所は外しているけど、と錬が誰に対するでもない言い訳を心の中で呟いた瞬間――想定外のことが起こった。
 少年に向かって肉薄した氷槍が少年を貫くよりも早く、少年の突きを受け止めていた氷盾も含めて、少年の前方に生成されていた氷槍の総てが、錬の指令した方向とは逆である、錬へと向かって高速で飛んできたのである。
 ……何!?
 驚きながらも、しかし錬はとっさに斜め後ろへと飛んでその一撃を回避する――とそこへ、氷槍から逃れた少年が錬へと肉薄してきた。その速度はおおよそ錬の十五倍。体勢的にも相対速度的にも回避は不可能。
 ここは、残してあった手札を使って打破するしかない。
(『アインシュタイン』常駐。容量不足。『ラプラス』『マクスウェル』強制終了)
 『アインシュタイン』の起動とほぼ同時に、少年に弾かれた氷盾が空間の歪みに絡め取られて、明後日の方向へと飛び去っていく。さらに、錬と少年との間に形成されたその空間の歪みによって空間がいびつにねじれ、地面が爆ぜた。
 それに反応して少年が一歩下がると同時に、錬が自分の背後の空間を歪めて距離をごまかし、一足飛びで少年と五メートル近い距離を稼いだ。
 そして、さらなる攻撃に身構えようと錬がサバイバルナイフを構えてI-ブレインの起動状態を変えようとしたところで、それよりも早くI-ブレインが告げてきた。
(情報制御、解除)
「え?」
 見ると、少年は錬に向けて突きつけていた槍の穂先を地面へと向けて、戦闘体制を解いていた。
「突然のこと、失礼しました。……ナイフを収めてください」
 少年のものとしては低い、落ち着いた声色だった。そこには攻撃の意思だけでなく、おおよそ考えうる負の感情も込もっていなかった。
 その少年の声に、錬は戦う意思も、少年の言葉には従わないぞという不信の意思も無く、ただ問いかけた。
「あなたは、誰ですか?」
「僕の名前は、昂(こう)。あなたを雇った者です」

<作者様コメント>
 はじめまして、謳歌と申します。しがない物書きです。
 ……はあ。こうして、憧れだったウィザーズ・ブレインの世界に自分の足跡が作れるなんて、ああ!ああ!!……とか何とか書いておりますが、ひたすら恐縮の極みでございます。何しろ、性格か癖か運命か偶然か必然かあ〜その他諸々etcetc……かは分かりませんが、どうしても文を短く書きまとめる、ということが大の苦手でして、かなり読み辛い文をつらつらと書いているようなものですので……。
 と、気付けばコメントすらこんな無意味に長くなってしまいましたので、この辺りで失礼させていただきます。どうか、今後もチラッと、という程度で構いませんので、お暇がありましたら一読してあげてください、です。ではでは。
 謳歌

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