砂上の奇跡 〜小さな力の、大きな抵抗〜
「昂、希美……」
形を失って崩れていく仮想精神体の腕に見向きもせず、錬は現れた人物の名前を呟く。
「遅れましたが……後は僕達がやります」
(『数値情報制御』開始。思考速度を1500%、身体強度を1500%に設定。
強化機構発動。衝撃を500%に設定)
(『リキ・ティキ・タビ』起動)
錬の呟きに答えた昂が『神威』を構えて言い、I-ブレインを起動させる。さらに、その昂のI-ブレインに希美の能力による制御が加えられる。
「そうか……」
錬が納得の意を込めた呟きを漏らす。今行ったのは、予め希美が制御しておくことでファイに昂の能力を制御されないように構えたのだろう。いくら制御を奪う能力であったとしても、同じ能力で制御を奪っている以上、制御権の奪い合いとなり昂に対して致命的な隙を生むことになる。
「やはりそう来るか」
言い、ファイも能力を発揮して奪ったままの錬の『マクスウェル』による分子運動制御能力を発揮し、氷槍を二人に向けて放つ。
昂がその総てを高速で叩き落し、ファイ向けて肉薄する。槍を引いて駆け込み、ファイ向けて勢い良く突き出す。
しかしその一撃がファイを捉えるよりも早く、眩いばかりの紫電がファイより放たれ、『神威』を通して昂に直撃する。
「な――!?」
瞬時の判断で神威の抵抗値を上げて威力を抑えたのか、あまり応えた様子も無く昂は後ろに跳んで再度身構える。
「今のは……?」
「電磁気学制御能力。そう言えば分かるかね?そう。ここにいる私の元部下のものだ」
ファイが視線だけで足元の静華を示す。
「何故だ?何故、情報制御を行っていない魔法士能力を操れる?」
昂の疑問の声に、ファイは小馬鹿にしたような口調で答える。
「発動された情報制御しか操れない、旧式の能力と一緒にされては困るな。私のI-ブレインは、情報制御を行う存在そのものを操ることが出来るように改良されているのだよ」
「情報制御を行う存在?……I-ブレインそのものを操る……?」
「そうだ。……だから、このようなことも可能だ」
そう言った瞬間、錬、晶、怜治、静華のI-ブレインが本来の保有者の意思を無視して起動される。
錬の『アインシュタイン』によって空間が歪められ、一瞬前まで昂と希美がいた空間が穿たれる。さらに、回避行動に移った二人を追うように晶の『分子運動制御』によって生成された氷弾が二人に肉薄し、昂の神威によって防がれ、怜治の『ゴーストハック』によって生成された十近い仮想精神体の腕が回避行動中の希美をなぎ払い、静華の『電磁気学制御』による紫電が昂を打ち抜く。
昂の問いかけから始まったこの一連の流れの中、錬に分かったことは三つ。
一つ目は、希美の能力はI-ブレインそのものではなく、発動された魔法士能力を操ることしか出来ないということ。
二つ目は、静華の能力。あの妙に長い銃身を持つ銃と能力から考えるに、高速の銃弾は電磁気学制御によって簡易的なレールガンとして加速していたのだろう、ということも含めて。
三つ目は、ここに戦えない魔法士がいることは邪魔にしかならない、ということ。
……それなら!
「希美!僕の能力も操って!」
言うと、すぐさまその意を汲み取って希美が起動中の錬の『アインシュタイン』の制御を奪う。同時に4人もの制御を操っているファイよりも、昂一人分の制御しか操っていない希美の方が情報制御制御の能力が強く働くらしく、殆ど抵抗らしい抵抗も受けずに錬の能力がファイの手を離れる。
『アインシュタイン』を起動させたままの錬は、静華と怜治の間にある数メートルの距離を空間を歪めてごまかし、二人の腕を掴んで放り投げるようにしてこちらに引き寄せ、ファイの側から離す。
その錬達に向けてファイが紫電を放つが、それは間に割って入った昂の神威によって受け止められる。その期を逃さずに、錬はファイのいる空間を歪めて破砕する。その予兆を感じ取ったファイは寸前にかわしたが、そこに隙が生まれることまではどうしようもなかった。そこに付け入るように昂が走り、神威を一閃させる――が、晶の『コンチェルト』によって加速したファイは再度回避を成功させる。さらに、地より腕を、周囲に氷弾を生成し、こちら目掛けて放つ――。
……戦いにくい……。
一進一退を繰り返す戦況の中で、錬は思わず胸中で呟く。本来ならば、ここに錬、晶、怜治、静華が居なければすぐに片がつくはずなのに、こうして多種の魔法士が一同に会することによって勝負が決まらなくなっている。一番良い方法は昂と希美以外がここを逃げ出すことなのだが、自身を含めて三人が重傷を負っている以上それもままならない。
そんなことを考えながらも、戦況は絶えず動き続ける。分子運動制御、仮想精神体制御、電磁気学制御、数値情報制御、空間曲率制御……。多くの能力が飛び交い、しかしそのどれもが決定的な一撃足り得ない。もしこのまま戦いを続け、いずれ賊に見つかってしまうと錬達には不利だ。
……こうなったら!
覚悟を決め、I-ブレインに指令を出してそれを実行する――その一瞬前に、戦いに水をさす者が現れた。
「いつまで遊んでいるつもり?もう結果は出たでしょう」
突然の声に、全員が驚きの眼差しでそちらを向く。
そこには、白を基調にした、男性用の軍服を着た40代半ばほどに見える貴婦人が立っていた。睨むかのような切れ長の瞳でファイを見据えるその立ち振る舞いは、物理的な圧力すら錯覚させる威厳に溢れていた。銀の髪と青い瞳から、欧州あたりの人種であることが窺える。
「遊んでいるとは心外だな。これでも命がけの戦いをしていたつもりなのだがね」
「言い訳は不要。用件が済んだのなら早く約束を果たしなさい」
苦笑を噛み締めたままで返事をするファイに、女性は無情なまでに非好意的な返答を返す。
「そうだな……。今更君と談笑しようと努力するほど私も愚かではないさ。
……さて、とんだ邪魔が入ったが、私もこう見えても何かと忙しい身でね。ここらで退散させていただくとするよ」
「……僕達を捕まえるために来たんじゃないのか?」
昂の尤もな疑問を、ファイは簡単に否定する。
「それも考えてはいたが、私の能力の方が優れていると確認できた以上もう必要ない。作戦に君達は不要だ」
「……作戦?」
横合いから錬の疑問の声が上がる。
「そうだ。我々はこれより、シティ・モスクワを崩壊させる」
「……モスクワを?」
疑問の声は錬のものだが昂と希美も同じ疑問を抱いていた。だが、それは別段おかしいことではない。この話の流れは、明らかに突拍子が無いものだ。だが……
……あれ?
同意を求めるように視線を辺りに向けていた錬は、そのファイの声に疑問の表情を浮かべていない二人を捉えた。
それは、晶と静華だった。
「止めたければ止めに来い。だが、次に会ったときは見逃しはしない」
錬の問いかけに応えずにそれだけを告げて、ファイは今現れたばかりの女性と共に錬達に背を向けて歩き出した。
「ま……」
「待って!」
その二人を止めようとした昂の呼びかけは、同じく発せられた晶の声にかき消された。
「待って、母さん!」
果たして、晶の声に反応を示した女性は振り返りこそしなかったものの、その動きを止めて晶の言葉を待った。その女性の後姿に、満身創痍ながらも何とか立ち上がった晶が懇願するように言う。
「もう、止めようよ……。こんなことをしたって、誰も嬉しくないはずだよ」
だが、晶のその言葉に何の声も返さず、むしろ止めていた歩みを再開させた。
「待ってよ!」
晶が叫び、後を追おうとしたが、重傷を負った身体がそれを許さず、力なく地面に倒れ伏しそうになったところを何とか錬に支えられた。
「待ってよ……母さん……」
「晶……」
錬が心配そうに声をかけるが、晶はそれに応える余裕も無表情を装う笑顔も出来ないまま、力なく俯いたまま懇願した。
「……博士」
続いて呼びかけたのは、希美だった。女性に合わせて足を止めたファイに向けて、悲痛な表情を向けていた。だが、それ以上の言葉が続かないのか、沈黙の時間だけが訪れた。
そしてその沈黙を破ったのは、沈黙を生み出した希美ではなく、ファイの方だった。
「……言い忘れていたが、モスクワには黎を向かわせる」
「――!?」
「私は研究の総てを回収しに、あの場所へ向かう。……どちらを止めるかは好きに決めろ」
そして、今度こそ二人は錬達の前から去った。
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