砂上の奇跡 〜能動的な苦難〜
「お帰りなさい、錬さん!」
満面の笑みで自分を迎えてくれるフィアに、錬も笑顔で答える。
「ただいま、フィア。元気にしてた?」
「はい。私は元気でしたよ。錬さんは怪我はありませんでしたか?」
「あ、うん……。大丈夫だよ。少し疲れる仕事だったけどね」
放っておけば死んでいた怪我を負いましたとは言えないよな、と内心で冷や汗をかきながらも努めて何でもない風に装って言う。
昂と出会ってから既に一週間が経過している。あの戦いから数日間、はやる気持ちを抑えて怪我の治療に専念し、昂、希美、晶の三人はモスクワに。錬、怜治、静華の三人は、今すぐにでもファイの元へと向かいたいと言う怜治と静華を抑えて錬の住む町へと向かった。
この仕事のバックアップとして控えていた月夜に6人は一度日本へと送り届けられ、そこから二手に分かれた。その終始錬は月夜に「言いたいことが山のようにあるけど今だけは勘弁しておいてあげる」といった類の圧力をかけられ続け、日本の、錬の住む街に着いた途端怒れる姉から逃げるように目的の場所へと向かうこととなったのだが、まあそれは別の話である。
そして、その目的の場所である病院へとたどり着いた錬を、フィアは満面の笑みで迎え入れてくれた。
正直なところ、そんなに無垢な笑顔を向けてくれるフィアにその話をすることを躊躇わなかったと言えば嘘になる。死を受け入れてでも自分達だけで何とかするべきではないのか、との考えが脳裏を掠めたのも事実だ。
しかし、それでも自分が死んだ後、自分を取り巻く世界がどれだけ悲しみに包まれるのか、ということを考えると、自然と躊躇いは消えた。
「ねえ、フィア。少し話があるんだけど……ちょっと時間良いかな?」
「え?別に畏まらなくても大丈夫ですよ。何か大切なお話なのですか?」
普段の穏やかな声でありながらも、そこに込められた錬の真摯な思いにフィアは微かな不安を覚えて問いかけた。
「うん。とても……とても大切な話なんだ」
正確には『話』ではなく、フィアに同調してもらって三人の思考を読み取ってもらい、説明の代わりとした。
「……そうですか。そんなことが……」
同調が終わり、フィアが悩ましい声を上げた。
「……もう分かったかもしれないけど、僕と怜治、静華はこれからファイ博士を止めに行かなきゃいけないんだ。けど、ファイ博士を止めるには『情報制御制御』を抑えなきゃいけない。それが出来るのは、同じ『魔法士使い』である希美か……」
「『同調能力』を持つ、私だけなのですね……」
錬の言葉を継ぎ、フィアが言う。
希美のI-ブレインを解析した際に分かったことの一つに、『魔法士使いは魔法士使いの能力に相互作用を及ぼせない』というものがあった。『情報制御制御能力開発研究』の資料を見たことがある静華の話では、同調能力の改良を始める前に、同調能力にあった欠点『同調能力者が複数人集まるとゲシュタルトを形成して暴走する』というものを解決するため、相互作用が不可能なように能力を調整してから改良を始めたという。そしてその調整は元々が『同調能力』を基準に作られているため、フィアの『同調能力』にも作用できなくされているということだ。
そしてそれこそが、今の錬達に残された最後の付け入る隙であるとも言える。しかし……
「けど、僕はフィアに協力して欲しいけど、同じぐらい協力して欲しくないと思っているんだ。矛盾しているようだけど、これが本心。凄く卑怯なのは分かっている。けど、だからこそ、フィア自身に決めてもらいたいんだ」
「俺達の立場からの意見でも、協力して欲しくもあり、協力しないで欲しいという気持ちもある。そもそも俺達が招いた種で、本来君には関係のないことだ。ましてや、仕事上の、しかも最初は敵対する形で出会ったとは言え今や錬は俺達にとって見ず知らずの赤の他人でもないし、ここまで協力してくれた恩もある。その錬の大切な人を、危険で血生臭い世界に巻き込みたくないとも思っている」
錬と怜治の言葉に、フィアは沈黙を保ったまま静かに聞き入った。その間も、錬は自身に芽生えた迷いを必死に押えて、今にもフィアを置いて三人だけでここを飛び出したい衝動を抑えていた。
そして、そのまま数分が過ぎた頃、ようやくフィアが口を開いた。その表情に、穏やかな笑みを浮かべて。
「怜治さん、静華さん、それに、錬。ありがとうございます」
「……え?」
突然の謝辞に、錬はおろか怜治も静華も呆気に捕らえた表情を見せた。
「えっと……ありがとうって、何が?」
「私にこの話をしてくれたことが、嬉しかったです。私はきっと、自分が何も選ぶことが出来ないまま、知らないところで錬が、誰かが傷ついていくのをただ待っているだけということには、耐えられません。錬は私に選択させることを辛いことと言いました。確かに、辛いです。戦うことは、怖いです。でも、与えられるだけの生き方は、もっと嫌です。辛くても、苦しくても、自分で選んで生きていきたい。
だから、私に機会を下さってありがとうございます。私は、私の意志で、錬と共に行きます」
辛くても、それどころか正しくなくても、自分で選んで生きていく。それは、自分がフィアに教えた生き方。どうしようもなくても、「仕方がない」とは言わないために戦う。罪も、辛さも背負って。
永久凍土が支配する土地を、黙々と進む一隻のフライヤーがあった。搭乗員は、銀の槍を抱える少年、胸元で手を組み合わせて外の景色を見るとも無く見ている少女、そしてフライヤーの操縦者の三人だけだった。
「ねえ、目的地に着く前に少し聞いておきたいことがあるんだけど、質問しても良いかな?」
日本を出発して中国を横断している最中に、何の脈絡も無く唐突に操縦者――晶が、昂と希美の二人に向けて問いかけた。
「何?内容にもよるけど、答えられることだったら答えるよ?」
返事を返したのは、晶の後ろの座席に座る希美だった。日本を出てから今まで会話らしい会話をしてこなかったにも関らず、突然の問いかけにまったく気後れする様子を見せていない。
「ありがとう。とは言っても、これは興味からの質問だから失礼に当たっちゃうかもしれないけど――
黎、って、誰のこと?」
気を遣ったのか前置きをおいての問いかけに、しかしすぐに返答は来なかった。それは、答えられない、と言う意味での無返答ではなく、どう説明すべきか逡巡している、という類の沈黙だった。
結局、その問いかけに対する質問は、たっぷり五分ほど経ってから助手席に座る昂の口より返された。
「僕達が研究所を逃げ出した頃に開発が検討されていた、『魔法士使い』を改良させて生み出されることになっていた魔法士の名前だ」
『魔法士使い』の改良。それはつまり、先の戦いでファイが見せた能力のことだろうと晶は検討をつけてさらに言い募る。
「と言うことは、希美の能力は不完全なものだっていうことは予め分かっていたの?」
「う〜ん……。そうだと言えばそうなんだけど、厳密には少し違うよ。確かに改良を加えることはボク達が逃げ出すよりも前から話に上っていたけど、それが実現可能かどうかはまた別の話だったから。それに、改良を加えてどのような能力になるのか、とかの構想すら出来ていなかったし。
だから、その当時からしてみればボクの『魔法士使い』が完成形で、黎はボクの能力の改良が可能だったら生み出す、っていう扱いになっていたよ」
「ああ、成るほど。……けど、その黎って子がもう生み出されているってことは、ファイには『魔法士使い』を生み出すことの出来る設備や資金は揃っていたって言うことなの?」
晶が、ファイが『暁の使者』に助力を求めてきたことの時期を吟味し、生まれた矛盾を問いかける。
「それに関しては僕らでは正確な解答は出来ないから可能性が高いだけの憶測になるけど、それでも良いか?」
「構わないよ。教えて」
明朗な晶の返答振りに昂は一度後部座席の希美と視線を合わせて、どちらとも無く首肯を返してから言った。
「元々がシティお抱えの研究所だから、魔法士を生み出す設備そのものには不足していない。完全な『魔法士使い』の研究も、備蓄されていた全資金を投入しさえすれば何とかなっただろうよ。むしろ、そこで資金がなくなったからこそ『暁の使者』に助力を求めたのだと考えるのが自然か。実際、ファイ博士もこの間の戦いでようやく能力を試していた節があった。そのことから考えるに、ファイ博士自身にI-ブレインが埋め込まれたのは最近になってようやく叶えることができたとも考えられるし。
尤も、今人間にI-ブレインを移植する技術を有する者がどれほど居るかは知らないから、それが原因とも考えられなくは無いが」
大戦前には普及していた人間にI-ブレインを埋め込み後天的な魔法士を生み出す技術も、先天的な魔法士を生み出す技術の確立以来廃れており、既に公の場ではその技術が失われている。そして、『暁の使者』にはその数少ないI-ブレイン埋め込みの技術を有した技術者がいるのもまた事実だ。
「けど……どうしてファイは魔法士になろうとしたのかな?いくら魔法士と戦うのに必要だったとは言え、自身が忌み嫌う魔法士になってでも欲しかったのかな?」
それは、誰もが考えていながらも、しかし疑問に思うべきかどうかの根本的なところの疑問そのものが解消されなかったため、議題に挙がらなかった事実だ。実際、晶も疑問として口にしたのではなく、つい思っていることが言葉になってしまったという程度で、答えを求めてすらいない。
結局、その問いかけは何も答えられること無く終わった。そしてまた沈黙の時間が続くかと思われたが、今度は希美の方から晶へと問いかけが来た。
「こっちからも、一つだけ質問してもいい?」
「うん?別に構わないけど、何?」
操縦に集中しようと思った矢先のことだったため、少し虚をつかれたような表情を見せて晶が答える。と、希美は窺うような視線をフライヤーの進行方向に向けている晶に向けて言った。
「あなたは、『暁の使者』の、何?どうして魔法士なの?」
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