■■謳歌様■■

砂上の奇跡 〜選んだ覚悟

 

  

 

「随分と早い到着だな。そんなに慌てることも無かろうに」

 薄暗い研究室の中、出会ったときと同じような研究員の格好をして、気負いとは無縁のまま立っていた。その彼の周りには三人の魔法士が控えており、騎士剣を持った者が二人、拳銃を持った者が一人という戦力だった。

(フィアを守るように散開して)

 錬が四人だけに届くような小声で注意を促す。こんなところでI-ブレインの制御を奪われては致命的だ。錬個人の意見では乱戦ではフィアの能力は使いたくなかったのだが、この状況ではそうも言っていられない。

「フィ……」

「ところで、少し話をしようかと思うのだが、付き合う気はあるかね?」

 フィアに同調能力を使ってもらおうとした矢先、出鼻をくじかれるようにファイに問われる。

「……今更、こんなところで何を話そうというんだ?」

 この状況下で話し合いなどするのかというというファイの考えに警戒心を強めながら、怜治が応じる。今更時間稼ぎをしてもどうにもならないだろうという油断もあるのだが、話では怜治と静華にとってファイは生みの親そのものだ。何か思うところがあるのかもしれない。

「何、そう大したことではないさ。ただ、最後通告ぐらいしておいても良いかと思ってな。
 どうだろう。私に協力する気は無いかな?」

「……馬鹿馬鹿しい。それこそ今更だろう。今まで貴様を殺さなかったことこそが不思議なくらいなのだからな」

 はき捨てるように怜治が言う。だがファイはそれには動じた様子も無く、むしろ苦笑を持って答える。

「違う違う。君の意見はずっと以前から知っていたさ。私の方こそ、君が今の今まで行動を起こさなかったことを不思議に思っているほどなのだからな。
 だから、今の質問は君に向けたものではない。君ではなく……錬君、と、フィア君、と言ったかな?二人に対するものだよ」

 険しい瞳を向ける怜治を無視し、ファイは背後に立つ二人に視線を向けて問いかける。その問いが意外だったのか、錬とフィアだけでなく、怜治、静華共に怪訝な顔をする。

「何もおかしなことでは無かろうに。神戸シティが崩壊したことは想定外だっただろうが、君達が『マザーシステム』に反対した件は調べさせてもらったよ。もちろん、私とていずれ君達とも敵対しなければならないことは前提だが、それでも少しの間ぐらいは手を組むことは出来ないかね?」

「――!?

 その問いかけに一番大きく反応したのは、錬の後ろに控えていたフィアだった。神戸シティが崩壊してから二

ヶ月とて経っていない今、フィアにとって神戸シティ崩壊の出来事は思い事実としてのしかかってくる。

 

 それは、一人の少女を巡った戦い。

 深い愛情と、重い不幸の末、たどり着いてしまった悲劇。

 平和な日常が崩れ、優しかった世界が突然牙を向いた日。

 崩れる町と、その崩壊に巻き込まれ散っていく人々の命。

 一度は逃げ出しながらも、愛した女性の意思を無駄にしたくなくて一千万人の命を取った騎士と、

 誰かの犠牲を強いる世界が嫌で、愛する少女と共に生きていきたくて一人の命を求めた魔法士と。

 どちらも正しくなくて、けど、互いの正義のための戦い。

 

 それらを思い浮かべて、しかし錬は振り払うように思考を打ち切り、静かな声で答える。

「……無意味な問いかけだよ。僕は、あなたに協力することは出来ない」

「無意味、か。その理由は聞いてもいいかな?」

 それは、あたかもその返答を予期していたかのような受け答えだった。だが、その問いかけに込められた重みだけは、決してあらかじめ用意されていたような軽いものではなかった。

「……僕は、マザーシステムに反対したことだけを理由に戦ったわけじゃないよ。フィアと一緒に生きたかったからなんだ。もちろん、今目の前にマザーコアにされる人がいたら助けるかもしれない。けど、僕は総てのシティの行為に牙を向けるほど偉くもなければ傲慢でもないよ。
 僕は、誰かを犠牲に成り立つ世界が嫌で、そしてそれ以上にフィアが大切だったから、戦えたんだ。非人間的だと言われても、それでもシティに住む人達のために苦渋の決断をしている人達とは、戦えないよ。彼らの、誰にも言えないまま自分だけで罪を重ねても大切な何かを守り続ける覚悟を、何の覚悟も無いままで否定は出来ない。
 結局は僕のわがままだけど、彼らと戦うほどの正義は、今の僕には無いよ」

 言い終えてから、本当に自分はわがままで、傲慢ではないと言う権利なんて無いんだなと思ったけど、それでも、この言葉を否定する気にはなれなかった。

「『正義は無い』か。では、別段こちらにつくことも問題ないのではないかな?」

「そうでもないよ。言ったでしょ?『彼らと戦う正義は無い』って。だけど、昂、希美、怜治、静華、晶。この五人のために戦う正義は持っているよ」

 苦笑で答えるファイに、錬もまた苦笑で答える。感情や好悪から生まれた理論は、もはや論破するべき対象とはなりえない。本当に考え抜いた末にたどり着いた結論を持っている者は、当然としてそれに対する反論も考え付いているのが当たり前であるからだ。そういう相手に何を言おうとも、それは既に相手も悩んでいる最中に気付き、しかし熟慮の結果否定されているからだ。

 完璧な答えが無い以上、いくら反論を上げようとも相手が既に考え付いていることしか言えなければ、価値観の違いによって意見違いが起こされるのだから、その意見はその相手にとって正義に成り得ない。そして錬のそれも、ファイにとっては何ともできない事実だった。

「そうか……残念だ。そちらの君はどうかな?」

 続いてフィアにも問いかける。すると、フィアはその表情から悩みの色を消して、厳然たる意思を持って答えた。

「私も、あなたの力になることは出来ません。今、世界中で悲しいことが続いていることは分かっています。不幸の中にあえいでいる人達がいることも、知っています。けど、それでも、彼らも必死で生きています。誰もが自分の意思を持って、自分の敵と立ち向かって、必死に。そこに、同情や後悔、後ろめたさだけで足を踏み入れることはできません。それが私の傲慢から来る考えでしかなかったとしても、それでも私は彼らの生き様を、目を逸らすような形だけで否定したくありません。
 酷い押し付けなのかもしれませんし、危険な思想なのかもしれませんが、人々が力を合わせて、いずれ辿り着く答えこそが、本当の正しさだと思いますから」

 知らず知らずのうちに始まった手足の震えにも気付かないまま、しかしフィアは気丈に言った。もちろん、まだ言い切れるほど割り切れていないことは錬にもわかったが、彼女の意思だけは確かに本物であるということは、錬だけでなく、怜治にも、静華にも、ファイにも、この場にいる魔法士全員にも伝わった。

 だから、ファイはむしろ嬉しそうにその言葉を聴ききってから、どこか寂しそうな色をたたえたまま、後ろに控える魔法士と、対面する怜治達に向けて、いっそ心地よいとさえ思えるほど澄んだ声で宣言した。

「……では、始めようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(『ラプラス』、『ラグランジュ』常駐。知覚速度を三十倍、運動速度を十倍で定義)

 I-ブレインの起動よりも一瞬早く、錬は騎士剣を構えて怜治と共に走り出した。

 対する相手は、騎士二人と炎使い。周囲に氷の槍が形成される中、騎士がこちらに走りこんでくる。

「怜治は左を!」

 減速する世界の中、しかし錬の声は正確に怜治に伝わり、瞬時に二人は二手に分かれてそれぞれの騎士と相対する。

 錬が対する騎士は、運動速度が三十倍ほどの能力者だった。騎士能力としては中級で、先ほどの戦いの中には一級の騎士がいたことを考えれば、その騎士がどういう能力者なのかは瞬時に把握できた。

 ……『全統士』……

 それは、怜治が持つI-ブレインの型の暫定的な分類名。弱いながらも既存の能力を複数持たせるという、錬の『悪魔使い』に似て異なる能力者だ。

 ……けど、その系統はこっちが本家だよ!

 心中で檄を飛ばし、相手が振り下ろしてくる騎士剣をこちらの騎士剣で受け止める。いくら騎士の『情報解体』でも、同じ騎士剣を解体することは流石に不可能だ。

 一撃を受け止めつつ、錬はすぐさまI-ブレインの起動状態を変更し、『ラプラス』を解除し、代わりに『マクスウェル』を起動させる。

(『氷槍』発動)

 瞬間、騎士の周囲に数本の氷槍が形成され、そのまま騎士へと襲い掛かる。が、それらは床面より生成された腕によって受け止められる。

 だが、その瞬間を錬は見逃さなかった。相手も怜治と同じ『全統士』に分類されてはいるが、そもそも『全統士』の中にもいくつかの分類が有る。

 まず、怜治のように3つの能力総てを持たせるタイプ。これは、総ての能力が最低ランクでしか起動できないが、並列での能力発動をぎりぎりのところで可能としている。

 次に、3つの魔法士の能力のうち、2系統の魔法士能力を持つタイプ。その中でも、騎士・人形使いの能力を持つ者、騎士・炎使いの能力を持つ者、人形使い・炎使いの能力を持つ者、と言った具合に分類される。また、それらの能力者は並程度の精度で魔法士能力を発揮することが出来るが故に、能力の並列起動ができない。

 だが怜治と静華の話では、3つの魔法士のタイプを持つ『全統士』のI-ブレインは、その作成の成功する要素の9割を運が占めているほど困難なもので、今のところ怜治以外はいないらしい。

 そのため今錬と相対している敵も錬とは違い、並の魔法士能力を発揮することができる代わりに能力の並列起動ができないタイプだ。そうなると当然『火の鳥』のような合成は出来ないし、『ゴーストハック』を起動させた瞬間、『運動能力制御』も解除されてしまう。

 そこをついて、錬は腕によって阻まれない軌道上に、先ほどはギリギリのところで生成せずにおいた氷槍を生成し、騎士へと放つ――が、それは途中で後ろに控える炎使いによって生成された氷盾によって阻まれる。その防御を信頼していたのか、騎士はすぐに『身体能力制御』を発動させ、加速する。

 しかし、それをもよんでいた錬は危なげなく背後に跳んで騎士剣の一閃を回避する――そこへ、背後より放たれた紫電が騎士剣へと吸い込まれるように打ち込まれる。騎士は激しく痙攣し、怜治によって横合に生成された腕に何ら有効な対策も出来ないまま地面へと叩きつけられ、骨が複数本折れる嫌な音が辺りに響いた。

 その音が消えるよりも早く、錬は『マクスウェル』によって生成した氷槍を、絶妙なタイミングで援護をしてくれた怜治の援護のために放つ――相手は仲間がやられた動揺に一瞬の自失を許してしまい、その一撃をなす術も無く受けそうになって――しかし、寸前のところでそれは回避された。

(『氷槍』の軌道を――)

 それがファイによる『情報制御制御能力』であると瞬時に察した錬は、突然離反したI-ブレインを無理やり従えようとはせずに、落ち着いて背後の少女に呼びかけた。

「フィア……」

 その方を見ていなくても、気配だけでフィアが頷きを返したことを察した瞬間、I-ブレインがさらに起動状態を変更した。

(『ラプラス』、『ラグランジュ』常駐。知覚速度を三十倍、運動速度を十倍で定義)

 これは、予め打ち合わせしておいた内容だった。いくら相手の能力から逃れるためとは言え、フィアに三人のI-ブレインを同時に操作することは難しく、かつ直接攻撃や防御の手段となる能力は本人の意思との齟齬が起きる危惧も有ったため、複雑な操作のいらない能力のみを起動させることにしていたのである。

「ふむ?……成るほど。確かに『同調能力』の制御と私の能力による制御を同時に受け付けることは出来ないから、結果として制御権の奪い合いになるな。しかもこちらを倒すために、行為者と被行為者の両者が望まない限り取り込めないほど弱く『同調能力』を発動させ取り込む相手を制限した、か。無策で来ることは無いとは思っていたが、中々どうして。奇抜なアイデアを思い付いたものだね」

 こと『情報』の分野に関しては絶対的な影響力を持つフィアの『同調能力』だが、ではその能力が完全無欠なものなのかと問われれば、断言することは出来ない。何しろ、『同調能力』が発動されるよりも前に魔法士が情報防壁を強めておいた場合、いくらフィアでも全力を出さなければその支配下に置くことが出来ず、しかも一度同調してしまうと、同調支配に慣れた者であればフィアが同調支配を解除しようとしても思うとおりに支配から外すことが出来ないこともあるのだから。

 だが、今回はその非絶対性をこそ逆手に取った策とも言えた。要するに、まずフィアが全力の数割程度しか出さずに同調能力を発動させることによって、有る一定以上の情報防壁を持つ者は自然とその同調支配に抵抗してしまう状況を作りだし、その際、予めフィアの同調能力に対して支配下に置かれやすくなるように慣れさせておいた錬、怜治、静華の3人だけは同調支配を敢えて自分から受け入れたと言うことだ。

 だが、自身の能力が破られたというのにファイは慌てるどころかむしろ楽しそうに状況を把握し感想を述べただけに止まり、その表情に焦りに類する感情が浮き上がることは無かった。

「そう言うことだ。諦めろ。もうお前に勝ち目は無い」

 神葬を構え宣言を下す怜治に、しかしファイは少し困った様子の笑みを浮かべて問いかけた。

「今更止まれるほど私が素直な人間であると思うかね?そもそも、確かに私の能力の絶対性は崩れたが無力化されたわけでもないのだよ。
 それに……気付いているかな?その戦法には致命的な欠点があることを」

 その問いに、錬は憤りに己の唇を噛みそうになり、しかし寸前でとどまる。自分だけが傷つくならまだしも、自分の大切な人をこんなことで傷つけたくなかったからだ。

 そう。この戦いにおける最大の欠点。それは、相手を同調支配の中に取り込んでいないため相手を倒すことは可能なのだが、フィアが仲間に同調しているということだけはどうしても避けられない、ということである。つまり、この戦いで錬、怜治、静華の誰かが傷つけば、それは同時にフィアも傷ついてしまうということだ。

 これこそが、錬がフィアに協力を求めたくない最大の理由の一つでもあった。そのことを悩みに悩み、しかし他に術が無いという事実を前に、錬は苦渋の思いでフィアに総てを話し、結果として協力を求めたのである。

「……話し合いの時間は、もうとっくに終わったはずだよ」

 本当に自分のものなのか、と疑いたくなるようなほど平坦な口調で錬が言い無表情に騎士剣を構えると、ファイもそれに応じた。

「面白い。お互いに死力を尽くすとするか」

 

 


<作者様コメント>

 覚悟を背負っている人が好きです。仮令唯我独尊な考え方でも、迷い、悩み抜いて、目標を定めた人の行いが好きです。そういうわけで今回は、自分が好きなだけで世間からは叩かれそうなところが主軸の話となりました。
 当然といえば当然なのですが、私は物理力を伴う戦い、しかもその行き着く先が『命』に関る戦いをした経験がありません。どんな世の中のどんな時代でも、その社会情勢に応じた色々な形での戦いがありますが、「勝ってしまったら相手が完全にいなくなってしまう」という戦いはどんな時代にでも有る、というわけではありません。戦うための二つの覚悟、「死ぬ覚悟」と、「殺す覚悟」を持つと言うことがどれほどのものであるのか、と言うことが分かりません。
 ですから、根っこのところでは、錬達の立場の人達が持つであろう覚悟の程も分かりません。
 もしかしたら、自分はそれが知りたくて物語を読み、書いているのではないのかな、と思いながらお届けしました14話、「選んだ覚悟」でした。

謳歌

 14BGMROYAL HUNT よりWORLD WIDE WAR

<作者様サイト>

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