■■謳歌様■■

砂上の奇跡 〜積み重ねてきたモノ〜

 

 本当の望みが何なのか、見失って久しくなったと自覚することは何度もあった。自分の行動に矛盾を感じたこともあった。理屈によって行動を起こすのでなく、起こしてしまったことに、誰にとも無く理屈や言い訳を付けることも少なくなくなった。

 きっかけは何だったのだろうかと思い、懐かしい気持ちでそれを思い返した。

 

 幼い頃からの友人で、兄妹のように仲の良かった相手と添い遂げ、これほどまでに愛せるのかと自分でも驚くほど愛しい我が子を授かった。

 仮令時代が戦争の最中にあっても、澄み渡る青空と豊かな大地を奪われていたとしても、それだけあれば希望を捨てることは無いと確信さえしていた。

 いつもどこかで悲劇が起こっていたとしても、その希望を失わずにさえいれば、幸せになるために生まれてきたのだと言い続けることが出来た。自分以外の者をも幸せにすることが出来るのだと信じることが出来た。

 

 だからこそ、それが失われたときの絶望なんて、想像すら出来なかった。

 

 その知らせを聞いたとき、最初に感じたものは、無、だった。あまりのことに怒りも悲しみも湧かず、気が付いたときには一ヶ月もの月日が流れていた。

 その事実を何度確かめ、思い返してみても、誰に対する怒りも覚えることは無かった。周囲の人間は、その事故を引き起こした魔法士と自分が懇意であったからと錯覚したが、そんなことが理由ではもちろん無かった。ただ、感情の動かし方を忘れてしまっただけだった。

 だから、取り敢えず『こういう立場に立たされた者はこうするであろう』という世間の常識を模倣してみることにした。ただ、それなりに近い存在であったその魔法士個人を恨むことは感情が必要であったために難しかったので、『魔法士』という抽象的な存在を恨むことにしてみた。ついでとばかりに、情報理論の権威の三人も恨んでみることにしてみたが、それは上手くいかなかった。だから、その様な天才は、こういう場合どうするのだろうか、と思い、その背中を追ってみることにしてみた。
 ついでに、そんな天才だったならば、あの事故を予期することは出来たのだろうか、そもそも戦争を起こさずに済むような選択肢を持っていたのだろうか、という疑問を持ってみることにした。ただ、それすらも周りからは『情報理論の三人の権威をも恨んでいる』という風に映ったらしいが、訂正する気にならなかった。

 そしてその日を境に、その男は元あった名前を捨て、ファイ――『φ』、空集合――と、名乗り始めた。

 空っぽになった自分には、その名前こそがふさわしいだろう、と。

 

 そのまま模倣を続ける生活が十年程続いたある日、ようやく変化が訪れた。それは、それしかない、という熱心さの模倣と惰性の模倣が入り混じった意気込みの中で続けていた『対魔法士』プロジェクトの実験体一号が完成した日のことだった。

 その日の深夜、『気紛れ』と言う行為すらも無くしたファイは、気紛れであると演じて研究室へと足を運び、その実験体一号の眠る培養槽の前に立った。

 ――原因を挙げるだけならば、これこそがまさに、空っぽとなった男に変化をもたらしたものだった。

 培養槽の前に立った瞬間、ファイが感じたのは、長年の研究の成果が実ったという充足感でもなければ、いつも通りの『今からどの感情の模倣をしようか』という思考でもなく、過ぎ去りし日の、我が子が生まれた瞬間の感情だった。

 唐突に、その時の光景がフラッシュバックとして蘇り、気が付かないうちに、目尻には涙が浮かんでいた。

 

 出産の疲労が色濃く残りながらも、何より美しい笑顔で誇らしげに我が子を抱きしめる妻。

 母の腕に抱かれ、無垢なる表情で、無限の可能性を抱いたまま眠る息子。

 そして、その二人を前に、ただ涙を流すしかなかった自分。

 思い出はさらに加速し、これまでの――人間として生きてきた今までの光景が次々と浮かんだ。

 

 裕福ではない家庭だったが、愛情は溢れるほど、誇れるほど有った家族がいて。

 学校に入るよりも前の幼い頃、偶然、将来伴侶となる相手と始めて出会った日。

 例えば学校で、その後も二十年以上付き合いの続く友人と他愛無い喧嘩をして。

 子ども心の好奇心から夜の学校に忍び込み、恩師や親の世話になったこと。

 友人の恋愛話を華に酒を飲み、友人の失恋に渇を入れて酒を飲んだ日。

 仕事が失敗したときに、叱咤激励を入れてくれた上司がいたこと。

 研究が成功して、互いの手を叩き合って喜ぶ仲間がいたこと。

 いつも傍で支えてくれる、自分の築いた家庭があって、

 自分の総てをかけて守りたいと思える人がいて、

 それだけで、幸せだと思える自分がいた。

 

 それらを思い返して、しかしファイは、涙を流しているというのに自嘲の笑みすら漏れない自分に、悲しむことの出来ない自分に気付き、そして悟った。

 ああ、自分は本当に『ファイ』になってしまったのだな、と。

 だがそれでも、そうだからこそ、ファイは自分の矛盾を受け入れた。

 ただの道具として生み出したはずなのに愛してしまった二人目の我が子に、

 いつかその存在を否定し、自ら殺意の刃を向けることになると分かっていながら、

 そんな哀れな自分を、どうかその手で止めてくれと、願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 激しく、荒々しく。軽やかに、滑らかに。

 戦闘は、もはや誰も勝敗を予測できないほど入り乱れて展開されていた。

 相手の放った氷槍が怜治の騎士剣に叩き落される。その怜治を背後から切りつけようとした騎士が、横合いから放たれる銃弾に身を捩って回避する。その騎士に向けて錬が十倍速で騎士剣を振り下ろし、しかし刹那の間だけファイの能力にからめとられて減速し、相手に回避を許してしまう。

 四対三の中、しかし怜治と錬は己の強みである『選択肢の多さ』が、静華は『電磁気学制御』の能力そのものを封じられ、戦力は拮抗していた。さらにフィアも、錬、怜治、静華の三人を能力の制御下においているため、ほんの数瞬の一人だけに絞って強力に働きかけるファイの能力を完全に防ぎきることは出来ず、致命的な攻撃だけは的確に回避されていた。

 一応、怪我の度合から考えると錬達が押してはいるが、全体から見ると僅かにファイ側が押していた。

 戦闘が始まって十数分が経過しているが、その間に全員についた小さな傷は数え切れないほどとなっていて、自身も含めて四人分の傷を請け負うフィアは、もはや重傷とさえも言えるほど傷が蓄積されていた。

 ……焦るな、焦るな……。

 そんな情勢の中、危機感すら抱いたまま錬は必死で激情を抑えていた。

 ……大丈夫ですよ、錬さん。

 すると、同調し、互いに思考で意思疎通が可能となった中、フィアが安心させるように錬に思考を送ってきた。

 ……フィア……。

 ……焦らないで。私なら大丈夫、大丈夫だから。

 いくら言葉を尽くしたとしても、フィアの体のことは同調している錬にははっきりと分かった。フィア本人はそのことを知られまいと、さらに、自分の負った傷を三人にまで及ばせまいとブロックしているのだが、フィアとの同調に慣れている錬にはそれは通じていなかった。錬の本心としてはフィアが負っている傷をも同調したかったのだが、流石にそこまでは出来なかった。

 ……しかし、このままではいずれ消耗しつくしてこちらが負ける。

 その思考の主は怜治だった。感情を隠すことが難しい同調能力による意思疎通の中、怜治の強い焦りの感情も同時に流れ込んできた。

 ……分かってる。けど、どうすればいいのか……

 ……大丈夫。手は考えてあるから。

 苛立ちのこもった錬の思考を遮ったのは、同調の中でさえも冷静さを保った静華の思考だった。

 ……何か策があるのか?

 ……ええ。フィアさんと私で検証してみたけど、試してみる価値はあると思うわ。ねえ、フィアさん?

 ……はい。けど、これが策といえるほどのものかどうかは……。

 ……大丈夫よ。私を、私達を信じて。

 不安を隠しきれないフィアの思考に、静華は包み込むような暖かな感情でフィアに後押しをする。何だか仲の良い姉妹みたいだな、と場違いなことを考えながら、錬は言う。

 ……フィア、自信を持って言ってみて。大丈夫。僕達がついているから。

 錬の意思に何を感じたのか、フィアは嬉しそうな感情を乗せて、その策を提示した。

 ……成るほど。試してみる価値はありそうだな。

 ……ええ、けどこれは失敗したら二度は使えないわ。それに、こっちの防御を弱めることにもなるから、成功したとしても無傷では済まないことは覚悟しなきゃいけないわ。

 感心する怜治と、リスクを提示する静華。それらを吟味し、錬が宣言する。

 ……大丈夫。その案で行こう。

 その錬に込められた、自信と、何かしらの決意を秘めた意思に、三人、特にフィアは一抹の不安を覚えたが、それを問いただすよりも早く錬は行動を開始していた。

 ……行くよ!

 その合図に引きずられるかのように、フィアも怜治も静華も行動を開始した。

(起動状態を変更。『ラグランジュ』常駐。知覚速度を三十倍、運動速度を十倍で定義。
 『ヒルベルト』常駐。思考速度、身体速度を300%に設定)

 『身体能力制御』のコピーである『ラグランジュ』に、昂のI-ブレインを調べさせてもらってコピーした『数値情報制御』のコピーである『ヒルベルト』を上掛けする。これにより、加速した錬の速度を基準として300%の機能向上をさせ、運動速度を30倍、思考速度を90倍にまで加速する。系統の異なる、しかし同様の結果をもたらす能力を並列起動することによってその効果を飛躍的に高める、並列の処理を行える者だけが有する能力の発動型だ。

 まず、怜治が騎士と切り結び、その間に錬が後方に控えていた炎使いと人形使いの能力を有する魔法士に肉薄する。

 相手の魔法士も氷槍を複数生成し、錬に向けて放つ。それを30倍速の動きで捌こうとしたが――瞬間、世界が加速する。否、錬が減速した。

 ファイの能力によって10倍速で動く世界の中、それでも錬は騎士剣を振るう――と、背後より放たれた静華の銃弾が次々に氷槍を削っていく。しかし、静華の銃撃と錬の騎士剣でも捌ききれなかったいくつかの氷の破片が錬に降り注ぐ。だが、錬はそんなことには頓着せずに無理やり相手へと肉薄する。

 その錬の前方に、床面より生成された十数本の腕が錬を迎えた。だがその腕が錬に到達するよりもわずかに早く錬の元に魔法士能力が戻り、錬はそれらに対して30倍速で切り結ぶ。と、そこに再度ファイの能力が作用しそうになって――その瞬間、ファイの目前に怜治の姿が現れる。

「自己領域か!?

 ファイが驚愕の声を上げ、慌てて能力の矛先を怜治に向け、減速させる。

 その瞬間、ファイは確かに勝利を確信した。

 何故なら、怜治は今の今まで切り結んでいた騎士を差し置いてこちらへ来たため、手の空いた騎士が無防備な少女二人に向けて自己領域を形成して迫ったからだ。埋め込んだばかりでI-ブレインに慣れておらず、さらには目前まで迫った錬に気をとられたために先ほどは気付かなかったようだが、今度怜治が自己領域を形成しようものなら気付ける自信があった。

 しかし、そのファイの思惑は根本的なところで裏切られることになる。

 ファイは、先ほどの自己領域が誰の手によって発動されたのか、ということを失念していた。

 そもそも今の錬と怜治は、フィアが同調能力によって『身体能力制御をこの精度で発動しなさい』と意思に働きかけ、さらにそれを錬達の側が無条件に受け入れることによって魔法士能力を発動しているのである。そしてフィアが感覚で魔法士能力を使っているために、『分子運動制御』や『自己領域』の能力を精密に調整して複雑に扱うことは出来なくなっているのである。

 そう。『複雑に扱うことが出来なくなっている』のである。決して、『複雑だから扱うことが出来なくなっている』では無い。実際、先ほど怜治が形成した自己領域も怜治自身が形成したのではなく、本人の意思で魔法士能力すらも委ねられているフィアが形成したのだから。

 それを、ファイは失念した。慎重に進めるのであれば考慮して然るべきことなのに、戦闘が始まってから一度として錬達が他の能力を行使していないためにそれが不可能であると思い込み、その失念を招いてしまった。

 次の瞬間、フィアによって行使され静華より発せられた紫電、『雷竜』が騎士を打ち抜いた。フィアによる大雑把な行使のため、静華が普段やるように空気中に放電しないような精度では放てなかったが、相手の動きを殺ぐには十分すぎる威力があった。

 そのため、次の瞬間静華より発せられた五発の銃弾は、狙い違わずに騎士に致命傷を与えることに成功した。

 四対三でようやく互角であった中、一人分の戦力を削がれることは致命的だ。その埋め合わせをするには静華が後ろに下がっている今、錬か怜治のどちらかを戦闘不能にするしかない。

 ファイは瞬時にそう判断し、そしてその対象は錬へと向けられた。フィアが静華の能力を発動するために同調が甘くなっている隙を突いて、錬の『ラグランジュ』で自壊させ――ることは出来なかった。

 何故なら、錬のI-ブレインの中から、その能力が無くなっていたから。

 ……無い、だと?

 その際に訪れた自失は、僅か一瞬。しかしそれは、取り返しのつかない時間でもあった。

 次の瞬間、ファイの元へと飛び込んだ錬が『マクスウェル』で錬とファイの二人の間に氷槍を生成し、瞬時に水蒸気爆発を起こし、少し離れた位置にいた炎使いをも巻き込んで吹き飛ばす。さらにその瞬間には、自己領域を形成し上空に出現した怜治が騎士剣を炎使いに向けて振り下ろし――首を切り落とした。

 

 

<作者様コメント>

 生物が自分の子どもを大切にすることは、自覚的に行うことではない、という言葉を聞いたことがあります。自分の子どもを虐待できる生物は人間だけという言葉もありますし、「自分の子どもだから守ろう」とか思うことが出来るのも人間だけではないのか、と思ったりすることもあります。理由があるから行うことは、その理由こそが目的で、その行為そのものが目的ではない、とも言いますし。

 結局、人間は本質的にはそれほど強くは無いのだろうな、と思うことがたまにあります。
 けれど、強くなろうとすることも出来るのではないか、と思ったりすることもあります。

 人間は、本能や感情以外のものを判断材料に生きることが出来ますから。

 そういうわけで、第15話「積み重ねてきたモノ」でした。

謳歌

 15BGMGAMMARAYより、「One with the world

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