砂上の奇跡 〜同じ想いの、相容れない答え〜
「この町を守るためには、仕方が無いんだよ」
――
けど、何もお前がそれを引き受けなくても……
「駄目だよ。こんなこと、ぼく以外の人に背負わせたくない」
――
私だって、お前に背負わせたくない!
「けど、ぼくなら五年、いやそれ以上だって耐えられる。他の人よりも長く保つことが出来るはずなんだ」
――
そんなことを言っているんじゃないよ。
「いいや、これは、結局はそういう問題でしかないんだよ。より少ない犠牲で、より多くの人を救う。その正義に何の疑問があるの?」
――
それは間違ってないけど、正しくなんか無いんだよ。
「けど、ぼくはもう決めたんだ。急がないとこのシティそのものの機能が壊れてしまう。実験は明日にも始めるようにぼくから頼んであるから、もう行かなきゃ。……だから、最後の挨拶に来たんだ」
――
え?
「今まで育ててくれて、ありがとう。身体には気をつけてね、母さん」
――
……待ちなさい。
「ぼくは、生まれることが出来て幸せだったよ。……さようなら」
――
待ちなさい!待って!
実のところ、その結果はもっと以前から、マザーコアという存在を知ったときから予想していた。あの子が自ら望んでマザーコアになると言い出したときには感情に任せて反対したけど、心のどこかで、ああ、この子ならこう言うのだろうな、と諦めている自分がいることも自覚していた。
そう……自身から志願するほど優しい子であるということは知っていた。だからこそ、そんな辛い選択を突き付けられたことへの恨みは、歪んだ。歪んでしまった。
それは、こんな世界にならなければ、という思いではなく、マザーコアなんか無ければ、という思いでもなく、『魔法士』なんてものさえなければ、という形で現れた。
あの子が命を張って守ったというのに、そこに安住することに恐怖すら覚えた。むしろ、そんなものは壊れてしまえばいいのに、という思いに囚われ始めた自分がいた。
結局、我が子の命を犠牲にして得られた生で幸せを見つけられるほど――
自分は強くなどなかった。
ただ、それだけのことだ。
「ぼくとの話し合いってことは、この二人を行かせても構わないかな?」
「好きになさい。ただし、足止めが私だけという保障はしないわ」
第一級の魔法士を普通の人間が相手にするには不自然なほどの余裕さえ見せて答えるニーナに、昂も希美も先を急ぐことを躊躇ったが、晶の、
「悪いけど、席を外してもらえるとぼくとしても助かるんだ」
という言葉から、後ろ髪を引かれる思いで先へと進んだ。
「……さて。これでようやく一対一になれたね。母さんの周りにはいつも偉そうな人が控えていたからね。そのせいで、感情的な言動は一切出来なくなっていたし」
「それが人の上に立つ人の業よ。どこへ行っても何をしていても、誰かの何かを背負ってしまうということ」
二人きりになると、ニーナは僅かに雰囲気から険を取り除き、奥底に深い愛情を抱いたまま、晶と対面した。
「母さんは、それが辛かったの?」
「いいえ、と言えば嘘になるけど、逃げ出す方が苦痛だった。それだけよ」
「『仕方が無い』とは言わないんだね」
「ええ。その言葉は嫌いだから」
「どちらも選びたくないのに、それでもどうしても選ばなければならない二つの選択肢を突きつけられたときも、その信念を貫き通せたの?」
「ええ、もちろんよ。……仮令、歪んでしまったとしても、ね」
淡々と繰り広げられる言葉の中、互いに直接的な言葉で核心に触れないまま、しかし相手に核心を問い詰めてくる。
「あなたは、誰かを恨んだ経験はあったかしら?」
「ぼくは特に無いよ。それが出来ないことは母さんもよく知っているんじゃなかったっけ?」
「過去のあなたがそうだったことはよく覚えているわ。けど、それをどうにかしようとしてあなたを魔法士にしたのを忘れたの?」
「忘れるわけ無いよ。けど、もう諦めたものだと思ってた。ぼくは、相変わらずのままだよ」
「自分は不幸だと思う?」
「全然。それが、間違っているものだとしても、ね」
親子の愛を確かめるにしては言葉少なげで、敵対するにしては私的過ぎる応酬の末、二人は同様の笑みを浮かべて、言った。
「結局、ぼくはぼくのわがままを止めたくないし、」
「私は、私の破滅を止められない」
「母さんを愛しているけど、ぼくの正義とは相容れない」
「あなたを愛しているけれど、私の狂気は止められない」
「だから、殺し合おうよ。母さん」
「だから、殺し合いましょう。晶」
結果が分かっていても、正しくないことが分かっていても、後悔することが分かっていても、
それでも、二人が求めるのは、決して譲ることのできない道だった。
「晶さん……」
「信じる気持ちが少しでもあるのなら、心配せずに前だけを向こう」
希美のつぶやきに冷淡な言葉を返した昂だが、しかし心中は希美と同じだった。何の対策も無いままの普通の人間と、第一級魔法士との戦い。それは、すでに戦いの域に収まってすらいない、ただの死刑執行だ。
それを知りつつも、晶はそれを受け入れた。それは、話し合いで解決するという思惑から来るものなのか、単に、諦めてしまっただけなのか。
「ねえ、昂」
「……何?」
黙々と先を進む中、希美は消え入りそうな小声で昂に問いかける。
「どうして、こんなに悲しいことばかり起こるのかな?」
「それは、僕達が人間だからだろうよ」
不幸になるために生まれてきたわけじゃない。人生の中には、きっと、不幸と同じくらいの幸せがあって、今はただ不幸なだけなのだと。
だが、その言葉は結局昂の口から発せられることは無かった。その言葉が気休めでしかないと思ったからではなく、ましてや希美の辛さを少しでも軽くしたいという思いに変化があったわけでもない。
ただ、自分が、その言葉に耐えられなかったから。
その言葉を、信じられなかったから。
「――
昂!」
そんな思いの中、希美が切迫した声をあげる。
「見つかったか!?」
「うん。ここから二時の方向、距離は直線距離にして五百メートルほどのところ。あの子の力が発動してる」
希美の言葉に昂は瞬時にI-ブレインに記憶させた見取り図を思い浮かべ、そこまでの最短経路を割り出して、言う。
「……急ぐぞ」
晶は、捨て子だった。
貧しい生活を送る者にとって子どもは負担であるが、同時に貴重な労働力でもある。晶もそんな例に漏れない家庭に生まれたのだが、晶には生まれついてのちょっとした特異な体質があった。
それは、自閉症、という障碍だった。
晶の両親がそのことに気付いたのは、晶が二歳の頃だった。その頃にははっきりと発育の不全が現れ始めていた。
とは言え、それですぐに晶の不幸が始まったわけではない。その頃にも確かに資源の枯渇が深刻化していたが、人々の暮らしが明日をも知れないほど深刻になったわけではなかったのだから。
晶にとっての不幸は、三歳のときに起こった。
その年、大気制御衛星が暴走し、世界は極寒の地と化した。
それでもその後一年間は、晶は両親の庇護の下で生き続けていた。だが、障碍を持つ我が子を育てながら生きることが至難であると悟った両親は、罪に苛まれて生きることを受け入れた上で、晶を、ある教会へと捨てることを決意した。
しかし、そこで晶は奇跡が如し幸運に恵まれた。両親にとっては幸か不幸か分からないことだったが、ともかく、両親が晶を連れてその協会を訪れると、そこには一人の先客がいた。
その人は、晶とその両親の様子から事情を察すると、逃げ腰となっていた両親へと手を差し出した。その行為の意味が分からずに両親が怪訝な顔をしていると、その人は、苛立ちを隠さない口調で、
「捨てる命ならば私に寄越しなさい。悪いようにはしない」
と言い、半ば奪い取る形で晶を抱いた。その一連の流れに取り残されるように呆然と立ち尽くす両親を無視して、その女性は教会を後にした。
これが、晶と、ニーナ・ヴァシーリー・イヴァノワ・ブリューソワの邂逅だった。
ニーナが晶を拾ってから数年後、ニーナはある選択を前に懊悩していた。
「……本当に、晶が健常者と同じだけの能力を得られると?」
「いいえ、そこまではいきません。理論上、それに近い状況を作り出すことは可能かもしれない、と言うだけです」
「『理論上』は、『可能かもしれない』とは、当てにならない話ね。根拠は無いの?」
「根拠はあります。本来、人間が感覚レベルの無意識下で行うことをI-ブレインに制御させて、意識下で行うようにすれば、後は本人次第でどうとでもなります。それよりも問題なのは……
リーダーは、晶を健常者に近づけることをお望みなのですか?ということです」
鋭い指摘だ、とニーナは苦笑を隠さずに答える。
「尤もな指摘ね。けど、それに関しては私の意見は既に決まっているわ。
是、よ。理屈や言い訳なら山のようにあるけど、一つ二つ聞いてみる?」
「いいえ、遠慮しておきます。しかし、そこまで決まっているのでしたら何を迷います?I-ブレインと言えば確かに迷いを生じてしまうでしょうが、この辛苦の世界で生き抜くために必要な努力は惜しまない、があなたの身上でしょうに」
言われ、その通りだと答えた。
そしてその翌日、晶は『炎使い』となった。
唯一つ、想定外だったオマケがついて。
「相性?」
「はい。魔法士能力の優劣を決定するのはI-ブレインそのものの性能と、魔法士の脳とI-ブレインとの相性です。どれほど優れたI-ブレインでも、相性が悪ければ高い機能を引き出すことが出来ません」
I-ブレイン移植後、晶の容体を見るように仕事を割り当てられていた研究者の一人の突然の報告に、ニーナは真意が読めないまま聞き入っていた。
「それぐらいは知っている。それで、それが晶とどう関係が?」
その問いかけに、研究員は僅かに言いよどんでから、躊躇うように続けた。
「その……リーダーは、晶がどういう子どもであるかは知っていますか?」
「知っている。アスペルガー症候群ね。……それが何か?」
「いえ、それはそうなのですが……それだけではなくて、その上でさらにもって生まれた特徴の方は、ご存知ですか?」
奥歯に物の挟まった言い方をする研究員に、ニーナは不本意ながらも苛立ちがこもり始めるのを自覚したが、それを隠さないままに言う。
「何?晶には何があって、それがどう関係していると?まずそれをはっきりと、手短に結論だけ言いなさい」
ニーナの怒りを感じ取ったのか、研究員は意を決して、勢いだけは叫ぶかのように言った。
「晶は、サヴァンです。それも、いくつかの絶対能力を持った『鬼才のサヴァン』なんです。その能力に応じた体質を持って生まれた晶ですから、本来ありえないほどのI-ブレインとの相性を示しているんです」
障害者、その中でも特に自閉症を伴って生まれた子どもの中に、稀に普通では考えられない能力を持って生まれる子どもがいる。
例えば、七千冊の本を一字一句丸暗記し、アメリカ合衆国の総ての街の名称、市外局番、郵便番号、主要道路の名称、各鉄道・バスの発車時刻……等、多くの知識を完全に暗記し、しかも絶対に忘れない、という能力を持って生まれた子どもの例がある。
他にも、十四歳のその日までピアノを学んだことすらない子どもが、あるクラシック曲のピアノ演奏を見て聞いただけで、その演奏者が弾いた曲を完全に真似して弾いたり、その後も二千を越える曲を完全に暗記し、機械仕掛けで動いているのではと錯覚するような精度でピアノを演奏したりした子どもの例もある。
また、一度見た光景を完全に暗記し、しかもその光景を完璧に描いて見せたり、見た物体を彫刻で完全に再現したり、どんなときでも、秒単位で正確な現在時刻を言い当てることが出来たりした子どもの例もある。
そういった子どもたちは、『サヴァン』、日本語訳で『学者』と名付けられている。
だが、そういった『サヴァン能力』を備えた子どもたちの能力は一様にある種の欠点を抱えてもいた。
例えば、学者がある本を読み聞かせる実験をした際、ある一行を誤って飛ばして呼んでしまったため、一度読み終えてからもう一度、今度は完全に読み聞かせたところ、その子どもは学者が飛ばしてしまった箇所を違えずに飛ばし、一度読み終えてから再度、今度は完全に朗読した、という例がある。それ以外にも、例えばピアノを完全に把握してしまう子どもの演奏を聞いたプロの音楽家たちは『機械仕掛けの音を聞いているようだ。到底人間が弾いているような温かみを感じない』といった感想を述べたという。また、それは絵画や彫刻の分野にも現れた。
つまり、その子どもたちにとってそれらの能力はただの『作業』でしかなく、意思のこもった『行為』足り得ないのである。その子どもたちはむしろ感情豊かな子どもであることが多いのだが、その能力の発現だけは、正確なプログラムを備えた機械による行為と非常に似通っているのである。
ところで、ここで魔法士に埋め込まれるI-ブレインの機能について考えてみる。I-ブレインは、正確に外界を認識し、かつ完全に記録する。また、攻撃を感知した際や魔法を行使する際、I-ブレインの予測通りの動きをするために、ある程度肉体を操作する機能も備わっている。その極端な例は錬が持つ身体の自動操縦なのだが、そこまでいかないまでも、I-ブレインの予測を実現するために、ミリ、あるいはそれ以上に細かな単位での行動が再現できるのは事実だ。
つまり、それらの能力を大きく分類すると、『絶対的な把握能力』、『絶対的な記憶能力』、『絶対的な再現能力』の三つに分けられる。
そしてサヴァン能力も、対象を正確に読み取る『絶対的な把握能力』(分かりやすい例では、健常者が後天的に手に入れたものよりもずっと精度の高い『絶対音感』や、いついかなる時でも正確に時間が分かる、などの能力がある)、莫大な知識を完全に記憶する『絶対的な記憶能力』(その中でも、視界に入ったものを完全に記憶する能力は、別名で『直観像記憶能力』、あるいは単に『直観像』とも呼ばれている)、そして、自身に取り込んだ情報を完全に再現する『絶対的な再現能力』に分けることが出来る。
尤も、サヴァン能力者がこれらの能力を総て持つわけではないが。
前述したが、サヴァン能力者は障害者の中に現れるもので、サヴァン能力を備える代わりに、日常生活を送るには致命的な弱点を抱えていることが常だ。例えば、一桁の算数の計算が出来なかったり、コミュニケーション能力に著しく欠いたり、あるいは視力、聴力を有していなかったり、などである。
だがそれらは、サヴァン能力を有するがゆえに背負った、あるいはそれらを補うために代わりにサヴァン能力が備わったとも言える。つまり、身体が違った形に適した構造を備えた、ということで、そこに総合的な能力基準で見る健常者との優劣は無い。単に、相対的に見て社会で生き抜くには不利だ、というだけだ。
ここでの結論となるのは、晶はその一例で、『完全に把握』し、『完全に記憶』し、そしてそれらを『完全に再現』する能力を有していた。それはつまり、身体・脳の構造そのものが、そういった能力に適した形を有して生まれてきた、ということも出来る。そして、I-ブレインはそれらサヴァン能力と同じような機能の集大成でもある。
結果として、そういった機能に特化した身体を、脳を持つ晶が、他の人達とは桁外れにI-ブレインに適していたとしても、何ら不思議なことではなかった。
|