■■謳歌様■■

砂上の奇跡 〜最後に求めるもの

 

  

 

 昂自身はその希美の叫びで何かに気付いたというわけではなかったが、希美の焦りを信じ、黎の元へと瞬時に駆け寄り、その頭に手をやった。

 と、その瞬間、昂は黎の尋常ではない様子に気付いた。茶色の瞳には意思の光が灯っておらず、どころか、身体が小刻みに震えて、あたかも死を目前に痙攣しているかのような様態をしていた。

 ……何があったんだ?

 だが、そんな問いかけをしている暇は無いと瞬時に判断する。

(調整機構発動。対象の対衝撃性能を10%に設定)

 情報防壁の高さから、相手の魔法士に直接情報制御を行うことが出来ない、という大前提に昂の『数値情報制御能力』は属さない。理由は至って単純で、昂の能力は『情報を無理矢理書き換える』という類ではなく、ある意味においてその逆の『その情報であることが世界にとっての普通である』という形で書き換えるためだ。そのため、むしろ昂の能力が発動されている間は本来の数値に戻ることにこそ抵抗がもたれてしまう、というわけだ。

 そして、昂はその特性を利用して黎のI-ブレインの強度を操作し、冷酷なほど正確な軌道で黎の頭部を左拳で打ち、強度を下げられたI-ブレインにとっては十分な衝撃を与えて強制的に機能を停止させた。すると黎の身体から痙攣が収まり、昂の腕の中でぐったりと力を失った。

「何が起きたんだ?」

 大事そうに黎を抱きながら、昂は振り返って希美に尋ねた。すると、希美は今にも倒れてしまいそうなほど蒼白な顔をして、答えた。

「……今、あらゆる情報制御体に対して自壊させる命令が走ったんだよ。……一瞬で収まったけど、マザーコアにも届いた……」

――!?

 それがどれだけ危険なことなのかを瞬時に把握し、昂も色を無くす。

 魔法士にはどうやっても防ぐことが出来ない能力が発動されたとは言え、それが普通の魔法士が対象であれば、そうそう問題は無い。何故なら、その能力が行使されてI-ブレインが自壊プロセスを起動しても、それが一瞬で完了するはずも無く、昂が黎のI-ブレインをすぐに止めたことによって一瞬後に制御を取り戻した魔法士は自らの手でその自壊を防ぐことが出来るからだ。

 ただ、それがマザーコアとなってくると話は変わる。何故なら、感情除去手術を施され自意識を失ったマザーコアは危機感を覚えることが出来ないため、何らかの指令が下されればそれを止める意思を発揮しないからだ。マザーコア用に用意されているであろう防御プログラムも、I-ブレインそのものを制御するという最上級から下される命令には当然のように敵対反応を示さない、どころかむしろそれを止めようとするものこそを阻もうとするため、マザーコアを管理している者達が直に対処するしかなくなる。しかし、その対処が完了するまでに数分程度は時間を要するはずである。その間、どの程度マザーコアの魔法士のI-ブレインにダメージが蓄積されるかは神のみぞ知る、だ。

 希美の能力を基準で考えるならば、『リキ・ティキ・タビ』の有効範囲はおよそ半径5キロ。もちろん、範囲内に収まっていても何百人と魔法士がいれば無差別にその総ての能力を操ることなど出来はしないのだが、暴走覚悟でなら数秒は操ることが出来る。今昂達がいる場所からマザーコアまでの距離は、二次元的に見ればわずか3.5キロ。三次元的に見ても5キロと無い。その危険性に気付かずにいた自分を殴りたい衝動に駆られつつも、しかし昂は冷静に希美に告げる。

「……今は気にしていてもどうしようもない。それよりも、ここから逃げることを優先するぞ」

 葛藤が無いわけではない。しかし、それ以上に大切なことを犠牲に出来るはずも無く、昂は希美を促して脱出経路へと急ごうとする。そうでなくとも、脱出できる可能性は皆無に等しい――否、皆無なのだ。ならばこそ、ここでゆっくりとしてはいられない。

 そのことを悟ったのか、しかし希美は躊躇いがちに昂に返す。

「けど、ボク達だけじゃ無理だよ。せめて、黎が自分で逃げることが出来ないと……」

 言われ、昂も惜しい時間を使って考え込む。辺りを見渡す限り、こちらの仲間になってくれそうな人は皆無。今ある戦力は昂と希美の二人だけだ。

 ……せめて、晶がいてくれたら……。

 言葉にはしないながらも、しかし昂は切実にそう思い、つい数時間前に行った会話について思いをはせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで君達は、どうしてその『黎』っていう子を止めようとするの?」

 『暁の使者』のフライヤーに乗り込んですぐ、晶はまるで世間話でもするかのように二人に尋ねてきた。今までも聞く機会はあっただろうに、何故か晶は三人になってから急に他人の事情を気にするようになっていた。最初は錬をはじめ、むやみに他の人には聞かせないように気を使ったのかと思ったのだが、そう一枚岩ではないということはすぐに分かった。だが、ではその真意は何かと問われてもそこまでは分からないのだが。

「それは……」

「その前に」

 躊躇いがちに答えそうになる希美を制するように、昂が口を挿む。

「その前に、晶の事情に聞いていいか?こちとらあまり気軽に話せることではないんでね」

 無礼と言えば無礼な物言いだったが、それでも晶は気にした風も無く先に答える。

「いいよ。何を聞きたいの?」

「君の母親、ニーナと会った後、君はどうするつもりなんだ?」

 回りくどさを省いていきなり核心を問う。言下に、答え次第ではこちらも相応の対応する、という意思も含めて。

「出たとこ勝負、かな?もし母さんが改めてくれるなら、ぼくは母さん達と一緒にシティを出る。ただ、母さんがどうしてもモスクワを狙い続けるのなら、母さんを殺して……
 その後のことは、何も決めてないよ。ただ、君と敵対するつもりは無い。これだけは言い切れるから安心はして欲しいな」

 相変わらずの笑顔で、何でもない風に答える。昂にはそこに込められた感情を知ることが出来ず、どう答えるべきか僅かに迷ったが、しかしすぐにその迷いを振り払って言う。

「じゃあ、僕達は互いに目標を目指すだけでことさら協力するわけではない、という当初の関係は変わらないのか?」

「そうなるね。もちろん、力を貸せる限りは貸すし、貸してもらえるところは貸してもらうよ。そうだねえ……言うならば、ぼくは母さんのことを優先するから、母さんに会えたら、もうそこでこの関係も終わりだと思ってくれたら良いよ」

「……はい。けど、ボクからも一つだけ聞いても良いですか?」

 今度は希美が問いかける。何か思うところがあるのか、焦りか、あるいは不安を滲ませて晶の応じる意思を聞く前に口を開く。

「晶さんは、もしお母さんと戦うことになって、殺さなければならなくなった後――
 死のうと思っていたりは、しないよね?」

 だが、晶はただ笑顔を見せただけで、何も答えようとはしなかった。

 それが肯定を意味するのか否定を意味するのか、あるいは不明を意味するのか。もしここに錬がいれば分かったのではないかと、切実な思いすら抱いた。

「それじゃあ、次はぼくからの問いに答えてくれないかな?」

 ただ、その次に紡がれたその問いを口にする時の、笑顔ではない笑みを見せる晶に、昂も希美も、それが不遜なことであると分かっていながらも、深い憐憫を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……それはもう済んだ話だ。思い返すのは止めよう。

 昂は自分にそう言い聞かせて、無理やり思いを断ち切った。

 だが、実際誰かの助力でもない限りどうしようもない状況にいるということだけは十分承知している。先ほどまでは昂達よりも先に侵入した『暁の使者』への対応に追われていたシティ自治軍も、『暁の使者』が全滅したことによってこちらへと矛先を向け始めている。その総ての人員が魔法士であればむしろ楽なのだが、自治軍の残存兵力の99%は一般兵で、その数も万を下らないほどだ。さらには、ニーナ達を慌てて追いかけてきた形の昂達に脱出も含めた綿密な作戦を立てる暇など無かった。

 今尚昂達が捕まっていないのは偏に『暁の使者』のおかげでもあった。侵入した者達はもちろんのこと、予め大掛かりな攻撃があるという情報をシティに流しておき、主力を引き寄せてシティの外東におよそ百キロ離れた場所で今尚戦闘を繰り広げているからだ。もちろん、一空賊とシティの軍が渡り合えるはずも無く、出来てもマザーコアに辿り着くのまでの足止めがせいぜいだろう。つまり、何とかシティを脱出したところで、今度はモスクワに戻ってきている外に出た軍からも逃げなくてはならないことになる。

 結果として、今はほぼ絶対絶命の事態を迎えていると言っても良かった。昂も希美も外面上は平然としているが、実のところ肉体もI-ブレインも疲労は深刻なところまで進んでいた。一応、策と呼ぶにはおこがましいが、それでも昂も希美も全く何も考えずにここに来たわけではない。しかし、自分たちが囮になっているうちに黎に逃げてもらう、というその策を実行するには最低でも黎が自分で動けていなければ適うことではない。

 そうなると、出来ることと言えば必然限られてくる。そのため、成功する可能性は1%とて無いということは分かりつつも、これ以上考え続けることは元々成功率の低い唯一の策を失敗する可能性を高めることに繋がると判断し、昂は冷徹に言い放った。

「ここは僕が囮になるから、希美は黎を連れて逃げて」

 希美とてそれが成功することなどありえないということは分かっているだろうが、それでも現実問題としてそれ以外に出来そうなことは無いことも分かっているはずだ。だから、躊躇いはするだろうが了承するはずだ。

 しかし、希美から言われた言葉は、その昂の考えを裏切る、おそらく現状で最も愚かなものだった。

「嫌だよ」

「……希美。分かっているのか?もう僕達にはそれ以外に出来ることは無いんだ」

「それでも、ボクは嫌だよ。それだったら、三人で一緒に行こうよ」

 それが魅力的な提案だと思わずにいられようか。本心から言えば、昂とてその考えに賛同したかった。しかし、それでもまだ生きること――生き延びてくれることを諦めることは出来なかった。

「駄目だ。いくら成功する可能性が低くても、僕は希美と黎に生き続けて欲しい。そのために出来ることだったら、どんなものでも実行したいんだ」

「……繰り返すよ。それでも、ボクは、嫌だよ。昂と、離れ離れになるのは、嫌だよ」

 一言一言を噛み締めるように、希美ははっきりと昂に言う。

 言われなくても、その気持ちは昂にも分かる。それが正しいものではないとしても、昂が希美を、希美が昂を愛しているという事実だけは厳然と存在するのだから。

 仮令破滅しかなかったとしても、他の手段があると知りつつも、それでも間違った選択を選ばせてしまい、さらにそれを間違ったものではないと思わせてしまうほど――

 こんなにも、確かな形で。

 それ以外のものがあろうか?それ以上のものがあろうか?

 だが、だからこそ、昂の葛藤は拭えなかった。

 愛しているから、生き延びて欲しい。

 愛しているから、そばにいて欲しい。

 どちらも確かなもので、同時に譲れないものでもあるのだから。

 だが今はそんな葛藤している時間さえ惜しい。

 迷った末、何も考えがまとまらないうちに、時間にせかされるように昂の口が開く。それが否定の言葉か肯定の言葉か、本人にも分からないまま言葉が紡がれようとして――

「君達のためではなく、事のついででいいのなら、ぼくが手を貸そうか?」

 突然、背後から聞き慣れた声がかかった。

「晶……?」

「晶さん!」

 そこには、相変わらず終始絶えない笑みを浮かべたまま、晶が立っていた。

 

 


<作者様コメント>

 『選ぶことが出来る立場』というのはとても辛いものであり、だからこそ尊いです。結果は重要です。結果を導くための過程も大切ですそしてそれらと同じように、ある方向を見据える、ということは欠かしてはいけないことです。

 そういうわけで、20話「最後に求めるもの」でした。世界は大きく強く、運命はただあるがままに流れます。その中で一個人の想いなどは一顧だにされないのカも知れません。けれど、自分と、その周りにいる人たちに、ほんのわずかにでも影響を与えることが出来るのであれば、それで十分なのではないでしょうか?

謳歌

 20BGM MASTERMINDより、「Never Say Never

<作者様サイト>

◆とじる◆

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