■■謳歌様■■

砂上の奇跡 残されたモノ、託されたモノ

 

 

 

 柄にも無い、と言うことはなく、むしろ、らしい、と思われるような態度だったが、それでもこれ以外はするべきではないと思ったのだろうな、と錬は思い、感謝と、楽しさと、偽りが混じった笑みを浮かべていた。

「さあ!これで我が家も一気に安泰よ!流石私の弟ね!」

 強がりがあることを気付けないわけが無く。強がりがあることを気付かれないわけが無い、ということを気付かれないわけが無く。互いに騙されることを望んで、錬も応じた。

「そう思うのなら、これで僕一人だけが家事担当は解除してね。月姉もたまには家事をしないと、貰い手がいつまで経っても現れないよ」

 I-ブレインを有する錬をしても避けられない何かが込められた拳が錬の頭頂部に振り下ろされ、いっそ心地よい音が部屋に響いた。

「うるさいわね!子どもがナマイキなことを言ってるんじゃないわよ!」

「じゃあ大人の僕が改めて言えば良いってことっとお!」

 横槍を入れた真昼に向けて放られたスパナが一瞬前まで真昼のいた空間を時速百キロで通過し、およそ金属のスパナと木製の壁がぶつかったとは思えない劇的な音が響く。

「何か言ったかしら?真昼。今のはちょっと聞き取れなかったから、今度はちゃんと聞くわよ?」

「いやあ、双子の僕から見ても月夜は最近綺麗になったなあって思った、って言っただけだよ?」

「……真昼兄の裏切り者……」

「まあまあ、錬さん」

 姉弟で繰り広げられる漫才に、苦笑と微笑とが7対3で構成された笑みを浮かべたフィアが錬の頭を撫でて慰める。

「錬、不景気な面してないであんたはたくさん食べなさい。大きくなれないわよ?」

「べ、別にしたくて不景気な顔をしてる訳じゃないよ!何さ?大きくなれないって」

 あまり触れられたくない劣等感全開の話題に、錬が過剰気味に反応する。姉がそれを楽しんでいることは分かっているのだが、こればかりは反射的なものなのでどうしようもない。

「言葉どおりの意味じゃないかな?錬は牛乳が嫌いだからねえ」

「あれ?錬さんは牛乳が嫌いなんですか?いけませんよ、好き嫌いは」

 真昼の追い討ちとフィアのたしなめにぐうの音も出ず、錬は唸るようにして黙る。錬としてはあまり喜ばしい話の流れではなかったが、それでもこの時間が愛しくて、大切にしたいと強く思った。

 『暁の使者』によってシティ・モスクワが襲撃されたという、公にはされなかったものの、裏世界では大々的に報じられた事件から三日。錬とフィアは、昂にも希美にも晶にも怜治にも静華にも会わない、会えないまま、静かに元の町に戻って元の生活を取り戻し始めていた。

 しかし各地から集められる情報を検証する限りでは、モスクワの被害は決して軽くなかった。特に半ば暴走させられたマザーコアの魔法士の損傷は致命的で、本来ならばマザーコア用に調整されたI-ブレインを持った魔法士を起用していたためもう数年持ちこたえるはずだったが、もう一年も持たないだろうと言われ始めるほど大幅に寿命を縮められたという。そのため、何も準備が出来ていないうちに代わりのマザーコアの確保が急務になったということだ。

 そんな並々ならぬことが起こった今回の概要を真昼と月夜が見逃すわけが無いのだが、それでも錬もフィアも、誰にも事の成り行きを話していない。心配をかけた家族には話すべきだとは思っていたが、どうしても出来なかった。だが二人をその一件に巻き込んだ責任と、錬とフィアのことを思って、今日ヴィドが天樹宅を訪れて真昼と月夜、弥生に説明をした。

 そして、事情を知った上で三人は以前と同じ、普段と同じ生活を送るように心がけてくれた。真昼と月夜がフィアを誘って夕食会を開いたのも、その現れであることが分かった。

 だから、錬もフィアもそれに精一杯応えて、普段どおりに日々を送ることを決心した。

 あの日々を、昂達を忘れたわけではない。ただ、むやみやたらと騒ぎ立てるようなことだけはするまい、というだけだ。本心では今すぐにでも5人と会いたかったのだが、その当てが無かった。

 ファイの一宮 洸博士の元に残った怜治と静華が今どうしているのか。

 モスクワへ義母を追いかけた晶が、最後にどういう決断を下したのか。

 そして……

(情報制御感知)

 物理世界への影響が極々わずかな、I-ブレインでさえ捉えきるのが難しいほど微かな情報制御を感知する。だが錬は敢えてそのことに対して過剰な反応を示さないようにして、食事が終わり、今からティータイムに移るという状況に目をつけて自然な風を装って席を立つ。

「何か、軽く食べられるものを買ってくるよ」

「え?何もこんな時間に……」

「よろしくね。あ、今日は珈琲はやめて紅茶にするから、それに合うのでよろしく」

 流石に不審に思った月夜が問いかける前に、真昼が遮って錬を促す。

「了解。……すぐ戻るよ」

「はい。気をつけてくださいね、錬さん」

 気付かなかったわけが無いのに、それでもフィアも何も言わずに錬を送り出す。表情は笑みを浮かべているが、必死でついていこうとする本心を抑えている心の葛藤が錬には手に取るように分かった。

 ……何だか、晶みたいだな。

 そのことに軽い笑みを浮かべて、錬は外へと繰り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一人で来たんだ?ちょっと意外だったけど……ぼくとしても、錬としても、その方がありがたかったのかな?」

「うん。悪い意味だけではなく、ね。フィアにはまだ、何の用意も無いまま総てを話して受け入れさせるのもどうかと思ったから」

 数日振りに会う晶は、相変わらずの笑顔で錬を迎えた。紺色のスーツから覗く手や首元にいくつかの包帯が巻かれた姿ではあったが、笑顔には翳りも無い。

「……そっちの子は?」

 錬が視線で示した先、晶の傍らには晶の胸元辺りの背丈の人物がフード付きの漆黒のコートを着て立っていた。

「ん?ああ、約束でね。半年ほど預かることになったんだよ」

 そう、と吐息と共に吐き出し、錬は近くのベンチに腰を下ろした。

 ここは、町の中心地にある公園だった。辺りも氷に覆われてはいるものの、極寒に耐えられるように品種改良された、あるいは自ら進化した植物が群生しており、ちょっとした遊歩道にもなっている。

「それで……最近はどうしていたの?」

「取り敢えず、傷の手当てと追っ手から身を隠すために真っ先に日本に来て、ちょっとしたところで世話になっていたよ。モスクワから逃げる際に『暁の使者』殲滅に動いていた軍が戻って追撃に来なかったから、何とか逃げ延びることが出来たしさ」

「……そう。それは運が良かったね」

「運?運なんかじゃなくて、ただ友達に恵まれていただけなんじゃないのかな?」

 それには何も応じず、錬はただ視線だけを晶に向け、一瞬後に外した。

「……それで、今日までは怪我の治療のためにそこに厄介になっていたんだけどね、もう動けるようになったから出てきたんだ。のんびりとしているのは性に合わないし、早い内に錬に渡しておきたいものもあったからさ」

「僕に?何を?」

 錬が問いかけると、晶はズボンのベルトに、刀を差すように差されていた細長い布袋を外し、錬に渡した。

「……何?これ」

「開けてみれば分かるよ」

 要するに開けてみろということだろうと解釈すると、錬は応じて布袋の中身を取り出す。

「これは……ナイフの刀身?」

 それは、錬の持つサバイバルナイフと同じぐらいの大きさの刃だった。ただ、刃以外には鞘も柄も無く、無造作に袋に収められていた。

「いいや、槍の刀身だよ。とは言っても、ただの鋼ってことはもちろん無いけどね。錬も何度か見たことがあるはずだから分かるんじゃないかな?確か、『神威』とかって名前だったはずだけど」

!?

 よく見てみると、刃の付け根の辺りに澄んだ蒼色の結晶体が組み込まれていたし、刀身にも細かな論理回路が刻み込まれていた。

「どうしてこれを、晶が……?」

「モスクワで最後に昂と会ったときに頼まれたんだよ。そのデバイスの使い手は錬しかいなくなるだろうから、渡して欲しいってさ。少し形を整えればナイフの刀身にも出来るだろうからっても言っていたよ」

 使い手は錬しかいなくなる……。

 それは、言葉どおりの意味だろう。後から知ったことだが、元々昂と希美はモスクワシティから生きて脱出することを考えていなかった。そもそもが何の準備も無い突入だった上、何が何でも黎を生き延びさせるために自分達が囮になると決めてさえいた。

 ただ……もし錬が、『暁の使者』とモスクワ軍を同時に壊滅させるということをせずにまっすぐにモスクワシティに向かっていれば、昂達の援護に行くことができた。結果が変わるかどうかはともかく、少しは生き延びる可能性をあげることは出来た。

 だが、それは昂達の方が望んでいなかった。

 その理由はいくつかある。例えば、助かる見込みが極めて薄い場所に錬とフィアが来ること、『マザーコア』に特化した能力者であるフィアが、元々はモスクワ軍に狙われていた錬がシティの記録に残り、指名手配になること、等を望まなかったからだ。それはつまり、錬とフィアを気遣ってのことだった。

 さらには……二人が、死をこそ望んでいたから。

 もちろん、錬だってそれら理由だけでは助けを止めようとは思わない。しかし、昂と希美の気持ちを思えばこそ、出来なかった。また、シティの外で『暁の使者』とモスクワ軍をどうにかすることも絶対に必要だったのも確かだった。

 だから、ギリギリの助けとしてそれを行った。昂と希美が、錬とフィアに人殺しを重ねて欲しくない、という思いも持っていたことも知ってはいたが、そこまでは譲れなかった。錬自身が辛い思いをすることも、フィアに人殺しの咎を背負わせてしまうことも分かっていたが、それでも、譲れなかった。譲りたくなかった。

 ……昂……。

 刀身だけとなった『神威』を見つめ、立場も、思考も、未来も定められたまま、それでも尚嘆くことも無理をすることも無く、共に歩む少女とただ精一杯生きた少年の姿を脳裏に浮かべた。

 ……昂には、似つかわしくない能力だったな。

 思い、苦笑する。

 ファイの、否、一宮博士の『対魔法士』の一環として生み出された『数値情報制御』能力。この能力は『魔法士』ではなく、魔法士というものを生み出すことを許した『世界』に対するあてつけのものだった。

 魔法士が持つI-ブレインは、その性能ごとに世界の認識の仕方が違ってくる。

 例えば『炎使い』は分子の運動、つまり『熱量』で世界を知覚し、『光使い』は『質量』で世界を知覚する。

 そして『数値情報制御能力者』のI-ブレインは、『数値』で知覚する。だから、一宮博士はこの能力を望んだ。魔法の能力などはどうでも良く、ただ『数値として世界を知覚する』ということだけを目的として。

 その目的の元、『数値情報制御』は、他の魔法士能力のように分子の運動や身体の能力を書き換える、つまり『制御』することで能力を発揮して物理世界に間接的に影響を与えるのではなく、結果そのものを世界に『押し付ける』という方向性で能力が発揮されるようにした。

 それは、あまりにも容易い世界への蹂躙であり、非常に不安定な存在の顕現でもあった。

 例えば、今錬が座るベンチに密度を百倍にする演算を施した場合、密度はその通りに百倍となり、硬く頑丈になるし密度が増えた分重くもなる。しかし分子量が増えることは無く、演算されている間だけ、質量、密度、体積の3つの関係が崩れることになる。炎使いが同じように窒素の盾や槍を作る際に周囲の大気中からかき集めることによって成すその作業を、ただ『情報としてそうさせる』ことによって物理的にも成し遂げるのである。

 つまり『数値情報制御』はその制御の間、情報と物理の二つの世界に矛盾を発生させ、極論では世界そのものを崩れさせる。それは幾多にも存在する魔法士能力の中で最もあやふやで不安定な能力であり、世界の不安定さを強調させる能力でもあった。

 だが、そのオリジナルの能力者は、もういない。

「……じゃあ、希美は?怜治は?静華は?」

「……」

 晶は、無言だけで応えた。

 悲しくない、と言えば嘘だ。今にも泣き出しそうなくらい悲しい。だが、こんなことには慣れている、というのも確かだ。

 『何でも屋』といえば格好よく聞こえるかもしれないが、実際にその世界で生きることの辛さは生半可なものではない。親しい者が失われることも、それまでの生活を捨てなければならなくなることも、常に念頭においておかなければならないのだから。

「じゃあ、ぼくはもう行くよ。モスクワではっきりと顔を見られて結構大掛かりに指名手配されているから、一箇所にゆっくりとしていられないし」

「え……ああ、そうだね。……どこへ向かうの?」

 一瞬、止めたい思いが言葉になりそうになったが、必死にその衝動を抑えて、努めて何でもない風に問いかける。

「特に決めてないよ。ただ、ぼくもこの子もモスクワに睨まれているから、モスクワの近くってことだけはないと思うよ」

「そう……。それで、結局この子は誰なの?」

 そこで、ようやくその子が何者なのかが気になり問いかけてみると、晶は首を傾げて応じた。

「あれ?まだ気付かないの?てっきり気付いているから聞かないだけなのかと思っていたけど……」

「や、そりゃ今回の件に関係している子だってことは予想がつくけど……『暁の使者』で育てていた子ども?」

 その錬の問いに、むしろ晶は納得したかのような反応を示し、少し楽しそうに言った。

「成るほど。そういう考えがあったから思いつかなかったんだね。錬らしいよ。
 この子が、黎だよ」

「……え?黎って……」

 驚きよりも戸惑いを顕にする錬の前で、晶はその子がかけていたフードを外し、希美と同じくらい茶色い瞳と、昂に勝るとも劣らない漆黒の髪を持つ十歳ほどの少年の素顔を晒した。その表情は人形のように無表情で、物でも見るかのような視線を錬に向けていた。

「じゃあ、この子が……」

「そう。一宮 洸と一宮 望の子どもの細胞から生み出されたクローン。つまり、遺伝的、立場的には――
 昂と希美の子どもだよ」

 

 


<作者様コメント>

 長い長いお話になってしまいました。最初の頃は、「1巻〜3巻の間の期間の話を、本作と矛盾が無いように作ろう」と考えて作ろうとしていたのですが……結果的には独自路線を走ってしまいました。少なくとも、錬が能力を創生した時点でアウトでした。
 時期的には間違っていませんし、もし錬が新しい4つの能力と『神威』を持っていなければ、それ以上本作に影響を与えるものは残していないつもりなのですが……。

 言い訳をするならば、錬というキャラクターの特性を最大限に生かすには、やっぱり『能力創生』は欠かせませんから。

 ……さて、とうとうエピローグへと入ってしまいました。いつか物語りは終わりを迎える、とは言いますが、やはり多少なりとも名残雄雄しいです。
 願わくば、この物語が、読んでくれた方の何かに変わってくれたら、と思います。

 

謳歌

 最終BGMARTENTIONより、「Story Teller

<作者様サイト>

◆とじる◆

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