■■謳歌様■■

過去よりも尊く、夢よりも儚く 

プロローグ

 

   

 このような感情に身体を支配されたのは、いつ以来のことだろうか……。

 軍に入り、もう十年以上が過ぎている。今まで、特に若い頃はそれこそ何でもやってきた。反乱軍の兵士を数百人単位で殺したし、テロの可能性が有るというだけで、実際のところは何一つ悪いことをしていないかもしれない人を殺したことも有る。男も女も、老人でも大人でも子どもでも、赤子でさえも容赦せずに。

 いつの間にか、人を殺すという行為に慣れすぎてしまい、人殺しを何の躊躇いも無く行えるようになってしまった自分が出来上がったことには気付いていた。だが、それを悲しいとか思う自分さえも、すでにいなくなっていた。だからこそ、極一部のものだけが知らされているマザーコアについても知る立場にまで立つことが出来、そこの警備部隊に配属されたほどだ。だが……

「中尉……?」

 傍らで呼びかけてくる副官の声にさえ何も反応することが出来ず、ただただ、その光景に自分の中の何かが決定的に奪われてしまったまま、見つめ続けることしか出来なくなっていた。

 それは、一組の男女の姿だった。いや、男女というには若過ぎ、少年と少女という方が相応しい二人だった。先ほどまでは数千の兵士を前に大立ち回りを繰り広げ、第一級の魔法士すら赤子の手を捻るように打ち倒していたのだが、今ではあちこちに傷を負い、もはや虫の息であることは明らかだった。発見しだい射殺せよ、という命令も何の障害も無く行えることは想像に難くなかった。

 だが、どうしてもそれを行うことが出来なかった。

 何なのだ?と、その理由を考えてみるが、そんなことは一々自問するまでも無く明らかだった。

 ……あの二人を……撃つのか?……殺すのか?

 その行為に対して、底知れぬ恐れ、いや、畏れを抱いてしまったのだ。死を目前にしているというのにその二人に浮かんでいる、満足そうな、この上なく無垢で、幸せそうな表情に。

 

 本当に殺すのか?自分が引き金を引いて。あるいは、自分が命令を下してあの二人を殺すのか?

 本当にあの二人は、死ぬべきなのか?生を否定されるべきなのか?

それを、自分が当事者として行うのか?

 

 それは、敬愛な信者が心から敬愛する神に死を突きつけるような、自分の存在そのものを否定されてしまうような、そんな、畏れ多い行為でしかなかった。その様な光景に出くわすぐらいならば、自ら命を絶ってでも逃げたいと考え、実際に実行したとしてもおかしくない程の。

 そのような思いに囚われたのは自分だけでなく、その場にいる数十人の内大半の者が同じような畏れを抱いていた。そのため、知らず知らずのうちに銃を構える腕が震えていたり、噛み合わない歯を打ち鳴らしたりしている光景がそこかしこに見受けられる。そんな中、聞き慣れた、しかし珍しいことに必死に感情を押し殺した声が聞こえてきた。

「……中尉。何も考えずに、『一時的にお前に権限を譲る』とだけ仰ってください」

 だが幸か不幸か、自分の副官はその大半の内に入っていなかった。

「何も、考えずに?」

 まるで自分が赤子か何かにでもなってしまったかのように鸚鵡返しに問いかけると、副官は頷いて言った。

「はい、何も考えないで下さい。……私自身正気を失いかねませんので、急いで」

 ……正気を、失う?違うだろ?……この上なく正常な正気になってしまいかねない、だろ?

 皮肉でも確認するでもなくそんな考えを覚え、しかし、言われたとおりに何も考えないように努め、その思考も無理矢理途切らせた。

 何も考えず。それが副官の気配りであるということは何となく察したが、では何故それが気配りなのか、ということさえも考えることをやめ、棒読みのような口調で継げた。

「権限を、一時的に、お前に譲る……」

 それは、銃撃を開始する権限を譲るための措置だ、ということまで考えることは出来なかった。それを察してしまえばすぐさま止めてしまうであろう事は想像に難くなかったが、それよりも早く副官の声が――

「撃――

「ちょい待った」

 響く一瞬前にそんな声が割り込み、その場にいた全員が、特に畏れに身体の自由さえ奪われていた者はある種の縋るような感情を込めて、視線を声の主へと向けた。

「あなたは……」

「悪い悪い。急なんやけど、撃つのはちょい待ってくれへんか?」

 あちこちが破れ、血に染まったモスクワ軍の制服を着た、銀髪にサングラスのその男は気軽そうに言い、軽い足取りで現場へと足を踏み込んできた。

「しかし、あの二人には発見しだい射殺するよう命令が……」

 その『射殺』という言葉に、その場の大半のものが動揺の声を漏らす。だが、現れた男はそんな者達に苦笑に近い表情を向け、言った。

「ああ、確かにそないな命令も聞いた覚えはあるんやが、ほれ、今は何者かが通信設備とかを滅茶苦茶にしてくれたもんで連絡取れんくなっとるやろ?」

 言われ中尉は、耳に収まっていた通信素子からは雑音しか出ていないことをようやく思い出した。つい数時間前に何者かの襲撃行われるとすぐに通信の類が一切使えなくなり、今では各部隊の独自の判断と、人の口を使った伝令だけで大局が動いている状況にあった。

「そやから、つい今しがた入ってきた情報も伝わっとらんかもしれんと思ってな。言いに来たんやが……まあ、間に合って何よりや」

「……何かあったのですか?」

 男の台詞から不吉なものを感じ取った副官が、焦りをにじませて問いかける。すると、男は言いにくそうに告げた。

「それがな……なんや、マザーコアがえらいことになっとるらしいわ。人によっちゃ、もう使い物にならんようになったんとちゃうか、とか言う奴も出てきとる始末やで」

――!?

 先ほどまで畏れに囚われており、未だにどこか呆然とした表情をしていた面々も、告げられたその言葉の重みを瞬時に察し、すぐに表情を改めた。

「それは一体どういうことですか?」

「いや、詳しいことはよう分からんのやが、マザーコアのI-ブレインが何やされたらしくてな。とにかく、非常事態になっとるんやわ。でもって……何されたんか調べるためにそこら中に仕掛けたカメラを解析しとった研究員が、そこの二人が関係しとるんちゃうか、みたいな事をいうてな」

「では、当事者のあの二人から事情を聞けば、対処法が分かる可能性が――

 言いつつ、今すぐにでも二人を拘留しに走ろうとした副官を、しかし男が止めた。

「いや、確かに何かを聞けるっちゅう可能性も期待しとるんやが、ちょいちゃうねん。あいつらは当事者やのうて、むしろその何かが行われた時にいち早く止めてくれて、結果として最悪の結果は免れたんとちゃうか?みたいな話らしいわ。正直、こっちの味方してくれるための行為なんかどうかは分からんし、そもそも何者なんかも分からんのやが……まあとにかく、その辺も確かめんといかんからあの二人を殺すんは取りやめや。
 それより、お前らはすぐに外に向こうてくれへんか?」

「外……?何故ですか?外ならすでに賊の討伐に出払っている部隊があるのでは?」

「それがな……通信が死んでて確認できとれんだけで単なる杞憂なんかもしれんが、ついさっき、その部隊から最後の通信が来た付近でとんでもない爆発が起こったらしいわ。……見に行ったってくれへんか?念のために言っとくが、これは正規の命令やない。一応責任はおれが取るからその辺の安心はして欲しいが、建前は、そないな不安な話を聞いて、そこから転じて『見に向かうべきっちゃうか?』みたいな話が出て、それが命令と混同された形で伝わってもうた、って形で処理されることにするが、結局はおれの『お願い』にすぎへん。
 ……どやろ?」

 男が困ったような表情で頼み込んでくるが、それを聞いた中尉は、すぐに視線を部下達へと転じて命じた。

「この場での作戦活動は終了だ。次の命令に従い、我々はモスクワを出て東へと向かう。行動開始!」

 ためらい無く告げられ、さらにためらい無くその命令に応じる声が返り、部隊は一糸乱れぬ姿で速やかにその場を立ち去った。その際、兵士達は男の側を通るときに、一人の例外すらなく、軽く、しかし重い礼儀を込めたお辞儀をその男にした。

「なんやなあ……そんな礼までされてまうと、善意を利用したみたいな気になってまうやないか」

 男はそう一人ごちて、血まみれの二人の下へと歩み寄った。

 どう好意的に見ても致命傷だ。普通の治療ではまず助からないだろう。

 けれど、軍お抱えの治療設備を使えば、2割ないし3割程度の確率は保障されるはず。後は、本人の意思次第だ。

「まあ、まんざら嘘やないし、お前らをみすみす殺させる訳にもいかんのも紛れもない事実やしな。この際勘弁願うで」

 言い、男は12,3歳ほどの二人を、まるで大男が軽々と米俵を担ぐかのように抱え、わずかもふらつくことなく歩き出した。

「しかし……驚いたで?どないな能力かは知らんが、おれに普通に攻撃できる奴に会ったんは初めてやわ。それに、あのちみこい奴を逃がすために囮になるなんて、そないな馬鹿に会うのも久しぶりや」

 言いながら何かを思い出したのか、男は唇の端を上げて微笑みを浮かべた。

「もしかしたら、お互い腹割って話できたら、良い友人になれるかもな?」

 

 


<作者様コメント>

 お久しぶりです。『砂上の奇跡』執筆後、またこうして作品を書くことが出来るとは、実はあまり思っていませんでしたので、こうして登校させていただきます段階になりましても、何か実感がありませんが……
 是非、『砂上の奇跡』よりも良い作品をここに誕生させることが出来れば、そして、皆さんとこのサイトを盛り上げていくことが出来れば、と思っております。

 それでは、またよろしくお願いいたします。

 

謳歌

 最0話BGMTHE STILLSより、「Still In Love Song」

<作者様サイト>

◆とじる◆

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