過去よりも尊く、夢よりも儚く
〜暁の使者〜
人が半年の間に出来ることは、どの程度なのだろうか。
人々が半年の間に出来ることは、どの程度なのだろうか。
例えば、半端なノウハウしか有していないのに辛苦の世間に放り出されて、その今まで培ってきた半端な経験を生かした仕事をして大成する、ということに対しての半年という期間は、果たして十分といえるのだろうか。
人にある向き不向きの理論で行けば、上手く良く人は上手くいくだろう。つまり、上手くいかない人は上手くいかないもので。さらに、特に向きでも不向きでもないどっちつかずの者であっても、やはり半年という期間で、全く新しい生活を始めて充足を得られる環境を整えることは難しいことだ。
だから、金が必要だった。コネが必要だった。
そのためには、多少危ない話であっても覚悟をしなければならなかった。
「参ったなあ……」
とはもらしてみるものの、それで状況が改善されるはずが無ければ諦められるわけもなくて。
結局、その言葉を漏らしたのは実感による感想ではなく、単なる癖のようなもので。つまり、あまりどころか一切合財意味の無い言葉で。
いや、一切合財というのは言い過ぎかもしれない。もしかしたら、この言葉を初めて言ったときはそれなりに実感を覚えての感想としてこの世に響かせられたのかもしれない。もしそうならばそれ以降に癖になったとしても、そのときの感想も些少ながらも残っているのかもしれないのだから。
「……いや、やっぱりそれは有り得ないか」
そこまで考えてから、そんなことはありえないという事実を前に苦笑のこもった笑みを浮かべる。まさか、自意識もはっきりとしているかしていないか分からないような幼いときにそんな言葉を使ったとは思えない。むしろ思いたくない。
だがそんな風に過去を回想しながらも、生来の往生際の悪さを発揮して無駄とも思える作業を続ける。
依頼の内容は、それなりに高レベルのものだった。達成は十分可能な範囲ではあるものの、やはり危険が付きまとう。けれども、その件を受けるとかなり厄介な事情を抱え込むことになってしまい、下手をすればその後の生活に影響が残る可能性のある話でも有った。
『モスクワからマサチューセッツへと輸送される、とある魔法士を連れてきてもらいたい』
それが、このぼく――蘇我
晶に課された依頼内容だった。
これを受けるということはつまり、晶がシティと敵対する姿勢を明確化するということに他ならない。よほどのことが無い限り他のシティからも敵対の視線を向けられ、当然の如くシティからの依頼というものが激減してしまうことになるだろう。
もちろん、「金次第でどんなの仕事でも請ける」という中立の何でも屋は多いのだが、人は自分の主観というフィルターを通して世界を、人を見てしまうものである。そのため、仮令その意思がなかったとしてもこの仕事を請けるということは、世界を『シティ派』と『アウター派』という二分した場合の晶の立ち位置を明確にしてしまうということに他ならない。
ましてや、自分の元の所属を考えれば、これによってシティとの確執は絶対的なものとなってしまうことになる。今までであれば「組織の一員として否応無くシティと敵対していた」と寛容な目で見てくれる人も希少ながらもいただろうが、今回は完全に個人的な決断でシティと対するのだ。もはや修復は不可能だろう。
「ま、そんなことどうでも良いんだけどね」
そう一人ごちて、無意味な思考を打ち切る。忍び込んだ船内は慣れ親しんだ−40度の外気とは違って暖かく、油断すると今にも眠ってしまいそうだった。けれど眠っている暇なんかあるはずも無いので、今日何度目になるのか分からないあくびをかみ殺して作業を続ける。
件の魔法士を乗せた輸送船内に忍び込むことそのものはそれほど難しくなかった。極秘にしたいためか数隻しかなかったが、それでも護衛艦を引き連れて飛ぶ姿は、まるで騎士に守られるお姫様のようで苦笑を誘ったが、まああながち間違ってもいないかと思い直す。
だがそんな苦笑を誘うことなどどうでもよく、今は輸送船に気づかれないようにハッキングをかけ、件の魔法士がいるであろう場所の特定を急いでいた。船がマサチューセッツに着くまでにはまだまだ時間が有り、その点に関しては慌てる必要は無いのだが、予め計画してある逃走ルートを通って逃げるためには目標としている地点で行動を起こさなければならない。そして、その目標地点までは1時間を切っていた。
既に、この時点で行動は遅れ始めていると言っても良かった。船の見取り図は無く、護衛の戦力も不明。さらに、対象となる魔法士の名前は分かっていても姿は不明ときている。
その原因は、準備を怠ったとか手を抜いた、とか言うわけではない。この依頼はつい先日に急に来たものであり、準備に費やす時間がほとんど無かったのだからむしろ不可能だったと言える。
では何が問題であり今何で困っているのかというと、晶に課せられた属性の一つである『機械音痴』という一言で言い表すことが出来るだろう。
「けど、そもそもぼくに機械を扱えって言う方が土台無理な話なんだよ」
愚痴をたれてみるが慰めの言葉は返ってこない。代わりに返ってきたのは、晶の敗北を象徴付けるかのような一言で、
「出来たよ、姉さん」
その一言と共に、弟の手に良いように操られていた小型端末がこの船の見取り図を映し出した。
「はあ……流石、あのマッドサイエンティストの息子だね……」
敗北を認めるかのように自分の小型端末をしまいながら、知らず知らずのうちに、けれども自分以外の誰にも聞こえないような大きさで声が漏れた。
この弟――正確には義弟。名前は黎――が機械を扱いだしたのはほんの一ヶ月ほど前からだ。最初は面白半分、役に立ってくれたら儲けもの、という中途半端な期待半分で扱わせ始めたのだが、中々どうして、驚きという感想すら通り越して呆れてしまいそうなぐらいの天性の才能を見せた。少なくとも、晶では太刀打ちできない、ということは誰の目にも明らかな程に。
そのため、今日までの何でも屋家業においてコンピュータ関係のことはほとんど黎が受け持っていたのだが、よせば良いのに時々姉としての威厳というか僅かな矜持というかそういうものが邪魔をして、つい苦手なのに自分だけで何でもしようとして……今回のように結局空回りをしてしまう。しかも、時々とんでもない失敗をしてしまってその尻拭いを弟に任せることさえ有るのだから、もはや威厳も何もあったものではない。
けれど、お世辞にも表情豊かとはいえないこの弟が、視線で「褒めて褒めて」と訴えてくるのならまあこれもこれで良いか、とか思ってしまう。
「えらいぞ〜♡」
威厳とか矜持とかを考えていた自分はどこにいったのか、ある意味感情表現が非常に難しい性質を持っているはずなのに、弟の頭を撫でている自分はとても良い表情をしていることだろう。
ああそうさ。姉馬鹿と言いたければ言いなさい。
それはともかくとして、残り1時間(未満)にしてようやく準備が整った。後は計画通りに魔法士の身柄を確保、ないしは同行をしてもらって、その後逃走するだけだ。
そのためにも、船内での行動ルートの選定は重要だ。数秒ほど画面とにらみ合い、I-ブレインの補佐も受けて最良のルートを見出す。
「……目標はここだね」
表示されている構造を元に、最も可能性の高い位置を割り出してみせる。
当たりをつけたのは、コックピット等の重要な施設から離れており、かつその周囲の通路が一本だけ、という部屋だ。近くには通気口等の人が通れるスペースすらほとんど無く、そこへ行くにはどうしても兵士の詰め所の前を通らなければならないというオマケまで付いている。
今自分達が潜んでいる通路上の通気口から見るとかなり離れた部屋で、何の障害も無く向えても数分はかかる距離だ。隠れたまま到着するのは難しいだろう。どこかに陽動を用意したほうが良いかもしれない。
「そのためにも……」
適当に、いかにも賊が狙いそうな対象を探す。つまり、今回は『魔法士を確保する』ことだけが目標なのだが、依頼ではなく金銭目当てで自分たちが襲撃を書ける際に良く標的にする『機密情報』とかをターゲットにしている、と相手側に思い込ませることで注意をそちらに向けるというわけだ。
「良い?ぼくが目標の部屋まで向かうから、その間に黎は『機密エリアの制御を奪おうとしている』って思われるような形で、相手に気づかれるようにハッキングをかけて。それで、ぼくが目標の魔法士と合流できたらまたここで合流するから、その後脱出ね。ただし、ぼく達の合流地点はそのときの状況によって流動するから、一応ぼくのこともモニタしておいてね」
「はい、姉さん」
打てば響く、とでも評すべきような返答が返ってくるが、あまり表情が豊かではない弟であるので、いい返事が来たからといって必ずしも自信があるという訳ではないので注意が必要だ。実際、この半年間で慣れたことによって感じられるようになった弟の不安が、かすかながらも感じられる。
……まあ、ぼくと別行動を取ったことは今までにもあまり無かったからね。
弟の不安の原因が分かるだけに、頼られているようで嬉しいような、もう作戦も何も無く一緒に行動しようかなという誘惑が首を擡げてくる。が、それをなけなしの自制心で落ち着かせて、弟の不安に気づかなかった振りをする。
だが、黎の感じる不安というのは、実は晶自身も感じているものでもあった。
というのも、半年前に突然出来たこの弟は自分と同じく魔法士なのだが、その魔法士の能力が非常に特異なものであるため、どうしても自分と行動を別にするということが出来ないでいるからだ。
もし晶が黎と戦えば、万が一にも晶に勝ち目は無い。それどころか、どんな魔法士であっても黎に勝てる者はいない。それは強い弱い以前の問題で、そもそも『魔法士能力』によって黎が傷つくことは有り得ないためだ。もちろん、I-ブレインが機能を停止していたらその限りではないが、通常状態の黎のI-ブレインはそれを可能にしてしまう。
しかし、だからといって黎が最強であるかといえばもちろんそんなことは無い。むしろ、魔法士ではない者と相対するとなればその他の最下級の魔法士よりも非力だ。そして、人口比率的に見ると魔法士よりも一般人の方が圧倒的に多い。それは、軍という特殊な組織内においても同様だ。
そのため、いつも晶が黎を護衛していた。ましてや、黎はまだ生まれて間もないため世間をあまり知らず、そういった意味でも大抵の場合目の届く範囲にいるようにしていた。だから、仕事の最中に別行動をしたことなんてほとんどなかった。
だから、黎の不安は当然のものとも言えるし、それを責めるのも筋違いというものだろう。けれど、だからといって、ただでさえ少ない人員を贅沢に使うことなど出来ない。
……そもそも……ぼくは、黎の本当の姉じゃない。
どこまで手を貸していいのか。どこまで甘えさせれば良いのか。どこまで甘えさせてもらって良いのか。
それが分からない。頭で分かる必要は無いのだと理解できても、どうしても考えずにはいられない。
自分は彼とどう接して良いのか。
自分は彼にどう接して欲しいのか。
自分は彼の何を期待しているのか。
自分は彼に何を期待されているのか。
自分は彼とどう向き合えば良いのか。
自分は彼にどう向き合って欲しいのか。
自分の希望を優先させたいのか、黎の希望を優先させたいのか。そもそも、どうして自分は黎と『姉弟』という形で接しているのか。接しようとしているのか。接しようと思ったのか。
愛情の注ぎ方を知らないわけじゃない。愛情を注がれた経験が無いわけじゃない。愛情の大切さを知らないわけじゃない。
けれど……自分と黎がそういう関係になることに、『何故』という疑問が入り込む。疑惑が芽生える。
理由は分からない。分かる必要が無いのかもしれないけど、分かりたいという気持ちがある。
にも関わらず、今まであえて考えないようにして答えを保留させてきた。だから――
「さ、もうあまり時間もあんまり無いし、ちゃっちゃと終わらせちゃおうか」
今回も、目をそらして、答えを保留した。
(ノイズを検出。I-ブレイン動作状態低下)
……警報機の一つすら鳴ってないのにノイズメイカーを作動させてるなんて……迷惑な話だよ。
I-ブレインの享受を受けないことには生活に支障をきたす晶にとって、I-ブレインは常時起動が当たり前である。だから、ノイズメイカーによる影響は普通の魔法士よりも深刻なものがある。少なくとも、頭にちりちりとした違和感を抱えながら作戦行動を実行するというのは喜ばしいことではない。
……まあ良いか。そんなことよりも……こっちだったかな?
通気口やら整備用通路やらを駆使して、晶は記憶した経路を思い浮かべて隠密に進む。まっすぐ通路を通っていけば数分程度で到着できたのだが、こうして進む以上時間を食ってしまっている。作戦開始時間までに所定の位置に辿り着けるかどうかはきわどいところだ。
というのも、晶が想定していた以上に詰め掛けている兵士の数が多く、当初の予定以上に慎重にならざるを得なかったためだ。
……常時起動のノイズメイカーに、ちょっと大げさなぐらいの兵士の数。それに、急に決まったらしい魔法士の輸送計画。……少し、軽率だったかな?
もちろん、依頼を受けた時点で危険なヤマであることは分かっていた。そのための覚悟もしてきたつもりだ。それでも、こうして実際に関わってみると、その危険の度合いは想定していた以上のもので無いのかという不安が首を擡げてくる。けれど、その理由に心当たりがないわけではない。むしろ、それしかないのではないか、というぐらいの予想がついてさえいる。
……やっぱりこれって……
晶がそう考えた瞬間、突然艦内に警報機の音が鳴り響いた。と同時に艦内放送のスピーカーが起動し始める。
「黎!?」
思わず小声で叫んでしまうが、幸いその声を聞きとがめたものはいなかった。それ以前に、それまで通路内を歩き回っていた兵士たちが一目散にどこかに――おそらくは緊急時における自分たちの持ち場だろう――向かいだしており、そんな声一つを聞くような余裕があるようにも見えなかった。
そして、そのスピーカーから発せられる放送の内容を聞き、晶は自分が不幸のさなかにいるのか絶好の機会に恵まれているのかの判断に迷いつつ――次の瞬間、黎の元へと駆け出していた。
『敵機より被弾。総員不時着に備えよ』
それが、放送の内容だったからだ。
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