過去よりも尊く、夢よりも儚く
〜現実の情景と、現実の感情〜
モスクワの軍艦が襲われるよりも少し前、ジュールとティーレは目的の町へと到着した。
ティーレがジュールの元を訪れてから2日間、ジュールが使える限りのコネを駆使して情報を集めた結果、ほぼ壊滅したはずの『暁の使者』の残党が今でも空賊活動をしている、という情報にたどり着くことが出来た。そしてそれを結果報告としてティーレに伝えたところ、その人物に会って話を聞こうということになり、こうして出向くことになった。いや、なってしまった、だ。
わざわざ空賊活動をしているような人物に会わなくても、とはジュールの反論だが、それ以外の構成員の手がかりを調べる間もなく、また多少不自然なぐらい強固にティーレがその人物に会うことを主張し、さらに強引に行動に移したため、ジュールも引きずられるようにして行動に移ることになってしまったためだ。
そうして辿り着いたこの町は、『暁の使者』の生き残りであり今の二人の目的とされている人物――晶が少し前に立ち寄り、つい数時間前まで滞在していた町だ。晶を追いかけてきた二人にとって、ようやく追い付く手前まで辿り着いた、ということの出来る場所でもあった。
「意外と近かったッスね。こんな町で何をしていたんスかね?」
「さあな。大方シティから逃げ回っている最中なんじゃねえのか?お世辞にも価値のある町には見えないしな」
人目も憚らずにそんな失礼極まりないことを言う二人の眼前に広がるのは、その二人の言葉を聴いても一言も文句を言える余地の残されていない程の劣悪な環境だった。
まず、町の敷地内に最低限の暖すら確保されておらず、屋外全域が極寒だ。また、ある程度町としての体裁は整えている……というよりは整えられていたであろう跡は見えるのだが、そもそも人が住めそうな家屋は十軒に一軒あれば良い方に思えてしまう程あちこちが破損している。また人の気配が異常に少なく、同時に非常にか細い。
総合すると、この町はもはや『廃村』と言っても過言ではない。二人の言葉の通り、何か価値があるものを見つけられるとは到底思えない町だった。
その原因は、とジュールが意識して辺りを見渡してみると、それが真っ先に目に入った。
それは、かなり大掛かりな発電施設だった。地熱か風力か水力か、何を利用するものなのかまでは分からなかったが、かなりの発電量が期待できる施設であるということは素人目にも分かった。その発電所こそがこの町の要になっていたのであろうということも。
そして、その発電施設がそう遠くない過去に使用不可になってしまったであろうということも。
「残っている人達は、どうしてここを逃げなかったんスかね?」
それらのことはティーレにも分かったのだろう、声に悲しそうな色を乗せて、答えを求めたわけではなくただ思いついたことを自然をとこぼしているような感じで問いかけてきた。
「俺には『逃げられなかった』って見えるがな。体力的にも、愛着的にも……手段的にも」
よくよく集中して残った町の人達に気を配ってみると、老人が多く、若者の姿が少ない。危機的な状況になった場合、女子どもに続いて体力の少ない老人が優先して安全を確保するのが理想的な判断なのだろう。けれど今のこの状況を見る限り、それが適応されない何かしらの理由らしきものがあったに違いないことは分かる。そして、ジュールはその『何かしらの理由』というものについて、既に察していた。
滅びに瀕している今の世界において、『弱者救済』という理想は叶わないことの方が多い。むしろ、将来性のある若者の命を優先して、個人ではなく『人類』という単位で将来へと望みをつなごうと考え、実行することの方が当然というほどになっている。
そして、それがこの町でも適応された。そういうことだろう。残された者達は、運びきれなかった資源を消費して、確実に来るであろうそう遠くない死の未来を僅かに引き伸ばしているだけだ。
果たしてそれは、『生きている』ということの出来る命なのだろうか?価値がある生き方なのだろうか?喜べる人生なのだろうか?
そんなことを考えているジュールの傍らで、ティーレが何かを諦めるような重いため息を吐いた。が、これ以上この町の話をしようとはせず、吹っ切るような、無理に肩の力を抜いているようなぎこちない声で問いかけてきた。
「それで、これからどうするんスか?引き続き追うッスか?それとも、少し休むッスか?」
「本当なら休もうと思っていたんだが、そんなことが出来そうにもないだろ。すぐに足取りをつかむから少し待ってろ。さっさと進むぞ」
当初の予定が狂わされたのが気に食わないのか、ジュールがため息混じりに言ってI-ブレインを起動させる。その様子を眺めていたティーレは、少しでも暖のあるところへと行こうという判断からか、何も言わずに近くに止めてあったフライヤーへと一足先に乗り込んだ。
……そうッスよね、こんなことで一々嘆けるほど、満足した生活が出来る世界じゃないッスからね……。
より多くを救うため、ひいては人類の未来のために何かを切り捨てなければならないという生き方は、ティーレにも経験がある。いや、経験の無い者の方が少ないだろう。
どう考えても全てを賄うことが出来ない。そんな場面に遭遇したとき、より有意義なものを選出し、劣るものを犠牲にする。それは、この世界においてはどんなことにも付いて回る至極当たり前の現実だ。
例えば、今回ティーレはある目的をかなえるために、それまでの自分を支えてきた隊商の仕事を辞めた。それは、どちらか一方しか得られない場面であるため、より優先順位の低い『隊商という生き方』を犠牲にして選んだ生き方であると言える。
金銭を消費して商品を手に入れるという売買という行為も同じようなものだ。それはその商品よりも金銭の方が価値が低いと判断したからこそ、その交換を行い、商品を手に入れて金銭を失うのだから。
どうあがいたところで、人は日常的に何かと何かの価値を比べ、より価値の低いものを犠牲にしてより良いものを得ている。一人一人物の価値が違ってくるが、その生き方が自然だというのはもうずっと大昔から続いている。
昔、『何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない』という言葉を聞いたことがある。ティーレにはその言葉が絶対に正しいとも間違っているとも言い切ることは出来ないし、言い切るつもりも無い。けれど、
……何かを犠牲にすれば何かを得やすくなる、って言うのだけは、事実なんスよね……
ということは、紛れも無い事実だとは思っている。否、経験で事実だと思い知らされている、という方がより的確な表現だ。
それも、決して等価交換ではない。何かを失うということは、同等の得を得ることが『可能』というだけだ。そして、失うものと同等の得を得られる、というのは「最も得をした形」であり、得られるものの方が著しく劣っている、ということもざらにある。
それも……失った当時には大したものでは無いと思っていたのに、後でとても大切なものだと気付く、という形で等価交換が崩れてしまうことだって、いくらでもある。
大切で大切で大切で……けれどそれに気付かなかったというだけで、
必死に探して切実に求めて……けれど取り戻すことは決して叶わなくて、
後悔して懺悔して過去と今の自分を責めて……けれど諦めるより他は無くて、
仮令それが、必然によってもたらされた損失であったとしても、
逃れられない流れの中の一事象に過ぎなかったのだととしても、
過去においてでも変えることの出来ない運命であったとしても……
失いたくないものを失った。その後に得たものがどれ程大きなものであったとしても、決して対等とは思えないほど大切なものを。
だから、だから自分は――
「足取りを掴んだぞ」
死に瀕した町を見据えて物思いに臥せっていたティーレは、ジュールのその声に驚きながら面を上げた。ジュールが何かを探すということに関して非常に優れているということは分かっていたのだが、それでも早かったように感じたためだ。
「もう終わったんスか?もうそんなに経ったッスかね?」
「いや、すぐに足取りをつかめただけだ。どうやらあちらさんもここに長居する気は無かったらしく、すぐに移動したらしい」
ということは、せっかく追いつけそうになったというのにこの町ではあまり距離を詰めれ無かったのか。そう思ってティーレが落胆した表情を見せると、しかしジュールが笑顔で言った。
「安心しろ。もうほんの一歩ってところまで追いついてる。あいつらがここを出たのはほんの数時間前のことだ」
「数時間前?ってことは、その辺りにいるってことッスかね?」
思わぬ朗報にティーレが表情を明るくさせて身を乗り出してくる。ジュールもようやくこの捜索が終わりそうだという楽観から表情を明るくさせて、晶たちが向かったほうに向き直り、
「ああ。どうやらあっちの方に行っ……」
そこまで言ったところで、その視線の先、つまり二人の進行方向となったばかりの方角で、爆発音が響いた。
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