過去よりも尊く、夢よりも儚く
〜鳩と暁〜
北京シティ跡地に近い町でのことだったはずだ。計画通りにシティの輸送船を襲い、この上なく上手く作戦を終わらせたと思った時に、思いがけない不測の事態が発生した。
まだ『暁の使者』に入って間もない少年が撤退中に、シティの軍人に背後から撃たれ……それをかばった義母――ニーナが代わりに撃たれてしまう、という事態が発生した。
その場は何とか逃げおおせたものの、その怪我は深く、とてもではないけれどシティの追っ手たちと戦いながら『暁の使者』の本拠地まで運ぶことは不可能だった。
けれど、そのシティの軍が『暁の使者』を追って集まり始めており、ここにそのままとどまり続けることも不可能な状況になっていた。
そして、ニーナが出した結論は、『総員撤退』の一言だった。
その命令を素直に聞けた者は一人としていなかったが、いくら『暁の使者』と言えど一シティの主戦力と真っ向から戦って勝てるほどの戦力は有していないし、また軍が探している中で大勢とどまることはむしろ自分達の存在を示しているのと同じであったため、しぶしぶながらも命令に従い、ニーナを置いて撤退することとなった。
けれどその際の折衷案として、護衛に数人残すことだけは認めさせた。
当然のように、晶もその内の一人として加わった。
「ヴァーミリオン?」
確認するように呟いてみてから、晶は、自分のその声に対してこちらを振り替えった赤髪の男の姿に、予想が正しかったことを確信した。
「……暁の……?」
そして相手も自分の存在に気づいたようで、呆然とした様子で呟いてきた。
けれどその呆然とした様子と言うのは、単に自分と言う存在を認めたからと言うだけではないように晶には映った。何か根拠のようなものがあるというわけではないのだけれど、その様子は驚きと言うより――恐れとか、後悔とか、そういった感情と近しいものによって引き起こされているかのように感じたためだ。
「……誰?」
と、ヘイズと晶が互いに呆然と見つめ合う中、黎が小首を傾げながら問いかける。
その瞬間、二人は示し合わせたかのように同じタイミングで、弾かれるように動く。
ヘイズは、倒してしまった少年を抱えてファンメイの傍まで後退する。そして右手の中指と親指を合わせつつ左手に握った銃の銃口をこちらに向け、
晶は、黎を抱えて不時着した艦の屋根の上へ上がることでヘイズよりも高い位置を確保し、『カノン』の演算を開始して、
「黎、『Through
my Words』!」
その腕に抱える黎に言う。
(『Dream
Theater』起動。稼働率を60%に定義、『Through
my Words』発動)
高密度の情報制御を感知した瞬間、互いの動きが止まった。それは晶にとって見れば当然の結果であったのだが、事情を知らないヘイズは、今度こそ純粋な驚愕を顕にしている。
I-ブレインと意識とのアクセスを切断する『Through
my Words』は、魔法士能力はおろか戦闘予測や脳内時計、予測演算すら出来なくする処理だ。突然訪れた処理落ちと同等の結果に驚いているのだろう。
「抵抗は無駄だよ。今は別にあんたの命を狙ってるわけじゃないから、大人しく退いてくれないかな?」
そのヘイズに向けて、晶は静かに告げる。いくら『Through
my Words』とはいえ銃弾を防ぐことは出来ないので、いざというときのための警戒は続けながらだ。
しかし、晶に問われた形となったヘイズはそれどころでは無いと言いたげに、右手の構えを解いて傍に倒れていた少年を抱え上げ、出血を続けている右手に対して処置を始める。
「……あれ?もしかして無視された?」
一顧だにされず放置される形となった晶は困った風に呟き、黎に問いかける。すると、黎も少し困った風に、
「あの人だけで良いの?」
問いかけてきた。
「あの人だけって、何が?」
「『Through
my Words』。……あそこにいる三人とも、魔法士」
言って、ヘイズとファンメイ、それにヘイズの処置を受ける少年に視線を向ける。
「三人とも?……じゃあ、これはあの三人の仕業?」
言いつつ、眼下に広がる倒れた兵士の山を見下ろす。が、それに対する答えは予想外のもので。
「違う。誰か一人があれをやって、その後に来た二人が、その一人を倒した」
黎は『魔法士使い』と区分される極めて特殊なI-ブレインを有する。その能力は『情報制御制御能力』と呼ばれ、他者のI-ブレインを操る、という、これまた極めて特殊な能力を持つ。
そのため、黎はI-ブレインを有する魔法士の存在を察知することに非常に長けている。それは、I-ブレインが機能停止でもしていない限り近くにいるだけで他の魔法士の存在を察知し、またその行動を察知することさえ可能とする。
その事実を知る晶は、目の前で行われている行為を前に考える。
今唯一立っているヘイズ。兵士を倒した魔法士を倒した魔法士がいるというのだから、彼が兵士を倒したわけではないのは確実だ。そして、彼が件の魔法士を倒したのであろうことも容易に察せられる。
そのヘイズの傍らに倒れる少年と少女。彼らの内のどちらか一人が兵士達を倒し、もう一人はその魔法士に倒された、というところだろう。
では、その倒れている少年と少女のうちのどちらかは、ハンターピジョンの仲間ではなく、しかしこの場にいた、ということになる。
ハンターピジョン――晶が『暁の使者』の一員であったころの商売敵が何のためにここに訪れたのか、正確には分からない。けれど空賊のやることといえば大体の予想がつく。まさか艦の護衛というわけは無いだろう。いくらハンターピジョンが何でも屋家業を営んでいた時期があったとはいえ、軍が何でも屋に護衛をさせるということ自体からして滅多に無いだろう。しかも、ハンターピジョンを指名手配した当のモスクワがハンターピジョンを雇うなどということはまず有り得ない。
となれば、自分達と同じ、あるいは近い目的でここに来ているということは分かる。
そして倒された魔法士というのは、何故かこの場に居合わせ、何故か兵士達を全滅させたということだ。
何故か。多少都合よく解釈しているという自覚はあるが、それでもそれが一番妥当な推理を積み重ねれば自然とある結論にたどり着く。
「黎、あの子だよ。あの二人の内のどっちかが、ターゲットだよ」
言葉と同時に、晶は黎を抱えてヘイズの傍まで飛び降りた。ヘイズもそのことを気づいていたようだが、特に何か抵抗するというような姿勢を見せることも無く、隻腕となった少年の治療に専念していた。
「ヴァーミリオン。あなたの連れでは無い方の身柄を預からせてもらうよ」
「……こいつをどうする気だ?」
治療を続終え、ヘイズが屈んだ状態から立ち上がりつつ問いかけてくる。どうやらこの少年がターゲットらしく、ヘイズは特に止めようという態度を示さずに、傍らに倒れる少女を担ぎ上げた。
「ぼくの目的はその子なんだよ。その子を連れて逃げて欲しいって頼んできた人がいるからね。けど……」
ヘイズに抵抗の意思が無いと判断したものの、念のため晶は黎をヘイズから離れた場所で待たせて自分だけが少年の下へと近づく。よくよく見てみると、少年とはいえ黎よりは多少年上のようだった。晶は少年の傷口が凍傷に犯されないように分子運動制御で暖めながら、少年を担ぎ上げた。
「ヴァーミリオンは、どうしてここに?この子が狙いって訳じゃないよね?」
久しぶりに旧友に会った時のように親しげに、けれど長年の宿敵にあったときのように警戒して問いかける晶の視線は、さらに問いかけるようにヘイズの抱える少女の方へと向いていた。ヘイズはそれには何も答えず、少女を抱えたまま晶に背を向けて歩き出し――
『ヘイズ、すぐ戻って下さい』
突然、少し離れた晶にも聞こえてくる程の大きさで通信素子が叫んだ。
「どうしたハリー?まさかもうモスクワ軍が来たのか!?」
『はい。けれど、モスクワの軍だけではありません。マサチューセッツもです。しかも、全方位から囲まれています』
「何だと!?」
『これが罠だったのか、単に相手が慎重だったためかは分かりません。けれど、包囲網が狭まる前に強行突破をする必要があります』
「雲の上には逃げられないのか?」
問いかけつつも、ヘイズは既にファンメイを抱えてハンターピジョンに向けて走り出していた。
『間に合いません。ヘイズが艦に到着するより、第一陣が到着する方がわずかですが早いです』
「――!?まだ発見したばかりなんだろ?相手はそんなに速いのか!?」
『いいえ、よほど高性能のステルスを展開していたのでしょう。こちらも戦闘中でしたから発見が遅れました。気がついたときには既にかなりの接近を許していました』
「クソッ!!しくじった。とにかく、そっちに急ぐからすぐに出せる準備をしておけ」
言いつつも、これ以上の問答を続ける時間も惜しんでヘイズは全力で走り出した。いや、走り出そうとした。その時――
「走ったって間に合わないでしょ。付き合わせてもらうついでに送るよ」
晶の言葉と同時に、ヘイズの身体が抱えたファンメイごと空に浮いた。晶の『物質運動制御』の能力である『ディヴェルティメント』だ。晶、黎、ヘイズ、ファンメイの4人を抱えているにもかかわらず、普通に走るよりも十数倍速い速度で空を駆ける。
「何の真似だ?暁」
「ひどいな、ぼくの名前は『蘇我
晶』であって、『暁の使者』は組織名だよ。
まあそんなことはともかくとして……軍艦が大量に投入されたんじゃぼくも部が悪くってね。悪いけど、世界最高峰の戦闘機ハンターピジョンのお世話になろうと思って」
「……正気か?オレは別にお前を助ける義理も意思も無いんだぞ?」
「義理人情の話じゃないよ。ヴァーミリオンは急いで船に戻らないといけないんでしょ?それに、『炎使い』の能力は対艦戦にも多少は役に立つよ。……それとも、ぼくの協力はいらない?その子と一緒に命の危険を晒す?」
卑怯な台詞というのは意外と簡単なものだ。特に、相手がお人よしであればあるほど。
案の定、ヘイズは多少の逡巡の後、晶から視線を外して前にのみ意識を向けた。全力で賛成するわけではないのだろうが、受け入れるという意思表示だろう。
「さて……それじゃあ黎、『Through
my Words』を解いて『Lifting
Shadows off a Dream』を。……飛ばすよ」
(高密度情報制御感知)
(『ディヴェルティメント』展開率上昇。300倍で定義)
警告と共に、4人は一気に加速をした。
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