過去よりも尊く、夢よりも儚く
〜蚊帳の外の蚊帳〜
「……で、これが今日の結果か?」
「そうです。情けない話ですが、それ以外のことは何も分かりませんでした」
渡された資料に目をやりながら問うイルに対して、その資料を渡した当人の研究者は落胆と申し訳なさを込めた声で答えた。
魔法士のI-ブレインの調整や検査をするための部屋の一角に、イルは20代半ばの研究員とともに数枚に渡る資料をもてあそんでいた。部屋は10畳くらいの広さで、門外漢のイルには用途の分からない機械などがあちこちに置かれている。その中には、不注意でぶつかったりしてしまっただけでムンクの叫びが完成してしまう程高価な機械も混じっているのだが、二人が気にしている様子は無い。むしろ、イルとの間に挟んだ机に備え付けの椅子に座っている研究員はともかく、イルなんかは平気でその用途不明な機械に背中を預けているぐらいだ。
「何回調べたんや?」
「7回です。それぞれ違うアプローチから検査したのですが、掠りもしません」
イルに手渡された資料。そこには、つい数時間前にI-ブレインを使ってのリハビリを終えたばかりの昂と希美のI-ブレインを解析した結果が記されていた。
昂と希美が、建前だけでなく、本心から言っても歓迎すべき相手であるというのはモスクワ軍全体の意思であるのだが、だからといって二人に対して何の情報も集めない、というわけにはいかなかった。特に、モスクワのマザーコアを危険な状態に陥れた『情報制御制御』という能力の解明は研究員にとって必須のものとなっており、そのヒントとなるであろう希美のI-ブレインを調べない、という選択肢は元から存在しなかった。
しかし――
「大安売りやな、これは」
「はい。言い訳にもなりませんが、おそらくそのI-ブレインを作った人間は紙一重の存在だと思われます」
「んなもんはな、I-ブレインを作れるような人間になる最低条件やで。こんだけ技術レベルの下がった世界ではそうでもないと、新しいタイプのI-ブレインなんぞ作れてたまるか」
言うところの『新しいタイプのI-ブレイン』というのは、到底口外できそうに無い事情から生み出された自分自身にも当然当てはまる。そのことを皮肉っての言葉に、研究員は哀れみとは違う、気軽な苦笑を返した。気楽な話題だと思っての反応ではなく、重々しい雰囲気になるのを嫌うイルを気遣ってこその対応だ。
「しかし……このままではあまり良くない状況になりかねません」
「んなもんは分かっとる。けど、相手は恩人には違いないんや。余程のことでもない限り滅多なことはせえへんやろ」
深刻そうに呟く研究員にイルは気軽に言ってのける。それは別段気休めのためだけのものではなかったし、ここまでの流れから行けばそれほど間違った考えであるともいえないものであった。
しかしその予想に反して、研究員はイルの言葉を深刻な表情で否定した。
「いいえ、そうとも言い切れませんよ。……あなたは、最近の上層部の様子をご存知ですか?」
「上の?いや、何も聞いてへんな。そもそもおれのような外部のもんにはそうそう話は流れて来うへんやろ。何かあったんか?」
「ええ、実は……今はまだ噂の域を出ないのですが、二年ほど前から、上が魔法士開発に異様なまでに積極的に取り組んでいるらしいのです」
「まあそうやろなあ。今回のことを別にしても、マザーコアの耐久限界がそれほど先のもんでもなかったんは分かっとったことやろ?既に一度交換してるわけやし。それに、そんなんどこのシティでも行われとるぞ?」
当時のことをそれほど詳しく知っているわけではないのだが、モスクワシティのマザーコアが一度交換されたということはイルも知っている。そもそもがマザーコアのために生み出されたイルにとって、仮令本来の所属とは別のシティであろうとも知らない方がおかしいぐらいの話題だ。
しかし、研究員は再度イルの言葉を否定する形で言った。
「いいえ、そうではないんです。確かに『マザーコア用』の魔法士の開発はシティ稼動時から行われていて、年を負うごとに活発になっています。けれど、今流れている噂は別のものなんです」
その言葉を言う口調に含まれるのは、焦燥と、疑問と、縋るような色で。イルは話にきな臭さを覚え、慎重に先を促す。
「……どういうことや?魔法士の開発は行われてるのに、それが『マザーコア用』の魔法士の開発やないってことか?じゃあ何を開発しとるんや?」
そこから導き出される結論は多くない。というより、軍人であるイルに分からない問いかけではない。けれど、先走る愚を犯さないようにするためにも、イルは研究員からの答えを待ち――
推論を否定されること無く、告げられた。
「開発に力を入れられているのは、『戦闘用』――いえ、『殲滅用』の魔法士です」
「――以上で、報告は終わりですわ」
気だるげに吐かれた台詞が口から空気に広がり、沈黙していた初老のおっさん――否、男性に吸い込まれる。
「そうか、ご苦労だったな。下がって良いぞ」
すると、おっさん――否、男性は抑揚無く呟き、退室を促してくる。もうちょい可愛げ――否、親しみのある言葉で扱ってくれても良いのに、とは思わなくも無いが、今のところはまあこれでも良いか――否、満足だ。
だからイルは、むしろ安堵のため息を吐きそうになるのを辛うじてこらえておっさん――否、男性の言葉に素直に従って会議室を後にした。
「……いかんなあ。おれともあろうもんが混乱しとるとは」
まとまりのつかない思考に愚痴を漏らすも気分も混乱も一向に晴れず、イルは明らかに気落ちした様子で自室へと向けて歩き出した。
モスクワの輸送船が急襲されて半日が過ぎ、モスクワシティに帰り着いて少し間を置いてから報告をさせられたのだが、はっきり言ってそれは体裁を保つためだけのもので、報告する側も報告を聞く側も話半分もまじめになれず、事実を伝えるだけ伝えて――否、あること無いことを伝えて、何の問い返しをされることもなくさっさと終わった。
……おれのときだけは、な。
心中で呟き、更に気落ちするのを自覚して、心なしか肩を落として歩みを遅める。
分かっている。自分に何を言ってもらいたくなかったのか。モスクワの人間に原因があるわけではないけれど、モスクワのえらいさん達も、今はマサチューセッツに対して立場が低くあるため従わざるを得なくてそうしている、ということも含めて。
……やっぱりあれは……『あの時』に会った姉さん、なんやよなあ?
おかしな二人組みを追い詰めた先でであった女性のことを思い返してみる。
日本の着物を着て、あの時とは別人みたいに落ち着きをまとってはいたが、やはり見間違えでは無いだろう、と思い返すたびに確信を強めていく。
『あの時』――幼いイルが研究室を抜け出し、シティ内を逃げ回ったあの日に偶然出会った、処刑を宣言された身で囚われていた自分の姉。怒りを抱き、嘆きに潰され、絶望を纏わされた、自分のきょうだい。
その人物が、生きていた。そして、自分に敵対してきた。
それも、元々はイルを殺すために子飼いにされていた立場を嫌って、そこから逃げ出すために敵対してきた。
それはつまり、彼女が運命に従っても抗っても、結局はイルに刃を向けることに変わりは無くて。
「何やねん。おれはどうやってもきょうだいと敵対するしか出来ん星の下に生まれたんか?」
間違いなく自分を恨んでいて、自分に対して真正面から啖呵を切ってきた別の姉のことを思い浮かべ、苦笑――にすらならずに嘆息を吐く。
覚悟は出来ていた。自分が選んだ道というのは、自分と敵対する者は自分の感情がどう思おうと戦う必要があれば戦う、というものだ。自分の中で行動を決める基準を作るということは、感情を度外視してしまうということで。
シティを守ることが、自分の仕事だ。
シティを守ることが、自分の喜び、というわけではない。
必要ならば……きょうだいでも、殺す。
そのぐらいの覚悟は、とっくに出来ている。
「せやけどなあ……」
「どうしたの?」
思わずもれた呟きに声が返り、ようやくイルは、自分の目の前に二人の人物が立っていることに気づいた。
今声を発したのはその二人のうち、腰まで届く茶色の髪と、髪と同じ茶色の大きな瞳が印象的な12,3歳ほどの少女だった。見た目年齢の割には落ち着きが備わっているように見えるが、それは多少複雑な事情によるためだ。
「どうかしたのか?イルが帰ってきたと聞いて探してたんだが、疲れてるのか?」
続いて心配そうな声で問いかけてきたのは、どこか野生の獣じみた表情をした、黒髪と茶色の瞳の少年だった。見た目の年齢は少女と同じぐらいで12,3歳ほどだが、やはりこちらもどこか年不相応な落ち着きを纏っている。
「ああ、お前らか。……まあ、今回はちっと厄介なことになってもうてな。多少参ってるんや」
少年の問いにイルは苦笑を漏らしながら答えて、更に言葉を繋げようと思い口を開けて二人を順に視線に収め……別な種類の苦笑を漏らして口を閉じた。
先天的な魔法士は、血のつながりではなく『製作者』によってきょうだいが決まる。あるいは、製作者が違っても同じ計画の下で生み出されれば、やはりきょうだいと分類される。
そういう意味では、今イルの前に立つ二人もきょうだいに分類できる。製作者が同じで、生み出されてから共に過ごした時間は、共に過ごさなかった時間よりも長いぐらいにいつも一緒にいる。典型的な『きょうだい』の体現と言える。
だから、イルはつい先ほどまでに起こったことを、具体的な内容を伝えることは出来ないまでも例え話として言い、何らかの意見を聞いてみようかと思ったのだが……
「何?今ボク達に何か聞こうとしなかった?」
イルが吐き出すつもりだった言葉を飲み込んだことに気付き、少女が小首を傾げながら問いかけてくる。それが純粋に自分に気を使ってのことであると分かるからこそ、なおさらイルは口を閉ざした。
「いや……何でもあらへん」
何しろこの二人――昂と希美は、『きょうだい』ではなく、『夫婦』なのだから。生まれながら……否、生まれる前からの。
この二人がモスクワシティで生活を始めてから、そろそろ2ヶ月が過ぎようとしている。当初こそ互いに距離を測りかねてうまく意思疎通が出来なかったりもしたが、今となっては時間という壁すら取り払ったかのように、昔ながらの友人のように接している。
社会的な立場で言えば、二人の立場は『客』だ。具体的には、二人は『イルの客』として軍内部で扱われている。勿論、そんなことが簡単に通るはずも無く、いくつかの条件も課せられているが、それでも平穏と言えなくも無い暮らしが保証されている。今も、致命傷を負い3ヶ月近くも治療を続けていた二人のために用意されていたリハビリを終えたところだ。
「そんなことより、お前らはもう大丈夫なんか?昨日辺りからI-ブレインも使ってのリハビリが始まったんやろ?」
上部への報告の前に立ち寄った研究室で、今日のリハビリの成果兼I-ブレインの解析結果を見たため目に見える問題は生じていないことは分かっていたが、それでも話題転換の意味も込めて敢えて問いかける。また、一応問題は報告されていないが、この二人がI-ブレインを使うのは数ヶ月ぶりということもあるので、思わぬ不具合が生じていないとも限らないという不安も有ったためだ。
「特に問題は無かったよ?身体のリハビリでも十分お世話になってたからね」
半ば無理やりの話題転換だったが、希美が嬉しそうな返答をしてくれたおかげでスムーズに移ることが出来た。そのことに内心で感謝しながら、昂の答えを待つ。
「そうだね……。使い慣れたデバイスが無いから戦いにくさは少し気になったけど、まあこんなもんだろう、という程度には動けるよ。研究者とイルのおかげで」
言下に「ありがとう」を据えたのは、おそらく直接言うのが気恥ずかしかったからなんやろうな、とイルは思いつつも、自分自身真正面からそんなことを言われるのは照れるので、その昂の心遣いは素直にありがたかった。
けれど、昂は言葉の後ですぐに話題を変えて、
「それで?イルには何があった?不景気な顔してるけど」
見事な切り替えしやなあ、と思って、どう説明したものかと視線を数秒間だけさまよわせてから……
「いや、ちょっとばかし面倒なことになってな……」
言いかけ、しかし再度思考の内にこもった。
どう考えても、『客』の身分である二人に軍の内情を軽々しく話すことは許されるものではない。イル個人の考えでは、この二人は十分に信用に値するので話しても良いと思えるのだが、話を聞いた以上無理やりにでも今回の件に関わらなければならなくなる可能性も有る。この二人のことを思えばこそ、下手に話すまねは控えた方が良いだろう。
「……それは、ぼく達が聞かないほうが良い話なのか?」
そんなイルの葛藤を察したのだろう、昂が遠慮がちにそんなことを聞いてきた。見ると、昂の隣に控えている希美すら、こちらを伺うような視線を向けてきていた。
……そういや、この二人は人生『経験』の『知識』だけは豊富やったな。
とある人物のクローンとして生み出され、可能な限りその元となった人物の記憶を受け継がせられた二人を前に、イルは己の失策を認め、かつ甘えることにした。
「まあそんな所や。意味の無い軍の規律ではあるが、一応体面ってもんもあるからな……」
別に、イルは『規則は破るためにある』と言うつもりは無いが、それでも規則規則で雁字搦めにされて何も出来なくなることは望んでいない。その場その場の、現場での臨機応変さが重要だとすら思っている。けれど、だからといって無理に反発して他人に迷惑をかけるつもりだけは無かった。更に言うなら、二人を信用しているからこその言い切りだったのだが、それでも二人に対して罪悪感じみたものを感じずにはいられなかったのは、これはもう性分というしかないだろう。
だから、次に口をついた言葉は、単なる自分を慰めるためのものであり、かつ話題をそらそうという逃げの気持ちから来るもの以外の何者でもなかった。少なくとも、イル自身はそれ以上の成果は求めていなかった。
「ところで、お前らはそれなりに長い間何でも屋をやってたんやよな?ちょっと聞きたいことがあるんやが、構わんか?」
「何々?もしかしてイルも何でも屋に転職したいの?やってみると結構楽しいからお勧めするよ。あ、勿論大変なところもあるけどね」
イルの問いに真っ先に反応したのは希美だった。どうやらイルが話を途切らせたことに対してそれなりに気落ちしていたらしく、変に過剰に話に乗ってこようとする意思が垣間見えた。
……何っつーか……完全に『前世』の記憶の有る昂と違って、昂の前世からかき集めた記憶を植え付けられただけの希美は情緒が安定してへんなあ。
『洸』のクローンとして、洸自身から『昂』として生み出された昂は、幼いころから大人までの洸の記憶をほとんど全て受け継いでいる。ところどころ抜けている所もあるが、それは洸が故意に省こうと思った他愛も無いことや、単に昂が忘れてしまっただけのものだ。だから、後天的な所で多少の違いが出てきてはいるが、先天的な性格は洸と類似していて、人格も洸と似たところで安定している。
けれど、『望』のクローンとして洸から『希美』として生み出された希美は別だ。望本人が他界していたため、夫婦とはいえ洸ですら知らない望のことに関しては記憶として植えつけることが出来ず、子ども時代から大人までの成長の過程が所々抜けており、洸の覚えている時期が偏っている大人の時期の記憶が集中して植えつけられている。その結果、記憶の積み重ねによる人格形成が行われず、『希美』としての人格が先天的にも入り込む余地が生まれてしまい、希美自身の年相応にも見える若々しさと、望としての齢を重ねた落ち着きの、二つの性格が交じり合って希美の人格が生まれてしまっていた。
そのため、普段は外見年齢相応の活発なところや人生を謳歌しようとする気概が見られるのだが、時々、外見年齢不相応の落ち着いた、どこか何かを諦めているような、あるいは世の不条理を知ってしまったような、そんな表情を見せることが有る。
そういうアンバランスなところがあるからこそ、イルは希美に対してこそ迂闊なことを言わないでおこうと思っている。何故なら、比較的落ち着いている昂に対しては一々意識せずとも自然と慎重になれるのだが、天真爛漫な希美には警戒心が薄れてしまうからだ。
「いや、そういう訳や無い。俺が聞きたいんは、ちょっと変わった魔法士の能力に関してなんや」
「変わった魔法士能力?どんなどんな?」
「どんな言われても仕組みまではよう分からん。タイプとしては、壁に大穴空けてたから多分人形使いなんやろうな。ただ……異常に高い情報強化が施された壁にすら能力を行使しでかしてくれてたからな。それが出来た理由がよう分からんのや」
作戦が終了し、帰ってから報告をするまでの間に、イルは研究室へと向かってなじみの研究員に会い「あの輸送船に使われていた材質に対して人形使いが能力を行使できるのか」という質問をしたのだが、答えはイルが予想していたとおり「不可能」とのことだった。
「……それは、本当に人形使いだった?」
イルの問いかけに応えたのは、さっきまで応えていた希美ではなく昂だった。何か思うところがあるのか、視線には鋭い輝きが宿っているようにすら見える。
「さあ?そいつが能力を使ったんはそん時だけやでな。けど、別な奴と戦ってるときに援護もしてこうへんかったし……もしかしたら人形使いやないかもしれへん」
「壁に穴を空けた、って言ったよね?そのとき、壁に近づいてた?」
「ああ、確かに直接壁に触っとったな。それが何か?」
思いがけず、昂の方が興味を持って話に参加してくれていることに、イルは戸惑いすら感じ始めていた。
この二人はこのシティに馴染み始めている。そのことに嘘偽りは無い。けれど、昂という人間が心のそこからここに心を許しているかというとそうではない。
イルの見立てでは、『希美』というたった一つの例外を除いて、昂は何に対しても完全に心を許すことなどありえないのだろうと思っている。いや、心を許す許さないの話ではないのだろう。その唯一の例外を守るために、常に警戒心を保てるだけの余裕を確保しようとしている節があり、その余裕を得るためにも、何に対しても一歩だけ距離を置いて構える癖が付いている、というだけだ。
だから、昂がここまでこの話に乗ってきてくれているというのはイルには不自然に映った。ある事象が希美に対する危害として機能しない限り、その事象に対して積極的に踏み込むことなど無いように思っていたからだ。だから――
「明言することは出来ない。けど、その能力に関して、ぼくなら分かるかも知れない。いや……ぼくも、協力させてくれないだろうか?」
その申し出には、はっきりと狼狽の色を浮かべてしまった。
|