過去よりも尊く、夢よりも儚く
〜一段落と一悶着〜
今思い返してみると、そのときの自分は二人――
一人と一隻――だけで殺伐とした空賊まがいの何でも屋を続けることに、極力殺しはしないが人を傷つけるという行為に、虚しさや寂しさの類が募っていた時期に入っていたのかもしれない。そんなにナイーブな人間ではないとは思うのだが、いつでも何に対しても余裕綽々と振舞う、という生き方が出来るほどに成長できていなかったのは確かだろうと思う。
苛立ったまま酒場を出てから、食べるつもりだった夕食を食べていなかったことに気付いたが、もう一度酒場に戻るという選択肢は取りたくなかった。だから適当な店で食べられるものを買って、泊まっている宿に戻って食べようと思って町の中を歩いた。主に資源採掘で賄われていた町だったため、それほど良い食べ物は売られていなかったが、それでも腹を満たすだけならば十分だろうと思えるものは買えた。
だから、そのまままっすぐ宿へと戻ろうとしたのだが……
思えば、自分の不幸に巻き込まれやすいという人生は、ここから加速し始めたのではないだろうか。今になってそう思える。
「ここは、どこかの研究施設跡か?」
「当たり。ここは、元々は神戸軍に従軍していた人の研究所だよ」
所々に、長い年月の風化を感じさせる寂びれが見られる通路を進みながら放たれたヘイズの問いに、晶が一同を先行しながら応える。
「神戸?確か、7つだけ残ってたシティの一つだよね?」
「……7つ?今、シティは6つ……」
「うん。今年の2月22日に神戸シティは消滅しました」
続いて響いた声は、順にファンメイ、ジヴーク、黎のものだ。何気なさを装いながらも、すぐさま戦闘体勢に移れるように拳銃と右手の位置を常に意識し続けているヘイズとは違い、この3人は気楽そのものの様子だった。
尤も、『気楽』と評することが出来るのはファンメイぐらいのもので、黎は相変わらず晶の傍で付き従っているだけだし、ジヴークに至っては焦点が定まっているのかいないのか分からないぼんやりとした様子のままだったが。
命がけでモスクワとマサチューセッツの軍から逃げ、何とか一息つける状況に落ち着いたはずのヘイズ達が何故こんなところにいるかというと――
「それで、本当にここでなら修理も出来るのか?」
「嘘じゃないよ。設備だけは整ってる。材料の有無までは知らないから、その辺はまた確認しておいてよ」
軍から逃げ切ることは出来た、ということに間違いは無く、追っ手も振り切り安全な状況に落ち着いた、というのも間違いは無い。間違いは無いのだが、軍と一戦やらかしておきながらハンターピジョンが無傷ですんだかというと当然のごとくそんなわけもなく、「借金まみれのオレが修理に出せるわけが無いだろ」というヘイズの一言を元に、助けてもらった恩もあることだし、ということで晶がここを紹介したのである。
「けどヘイズ。ヘイズって、船の修理なんか出来るの?」
「オレには出来なくてもハリーの指示に従えばそれなりには可能だ。空賊になりたての頃はそれで食いつないで来たしな。ただ、早く済ませるには人手は要るがな」
「……手伝い、要ります?」
「ああ、手伝ってもらえるのなら遠慮せずに頼む。そう難しいことは押し付けないつもりだ。
っつっても、専門的な機材とかが必要になるとそう上手くいかないんだよな」
ジヴークの発言に応えたヘイズがそう漏らすと同時に、ヘイズはハリーとつなげてある通信機器を起動させる。
「どうだ?損傷の具合は分かったか?」
『ええ、まだ完全ではありませんが大体は分かりました。不幸中の幸いと言いますか、今までヘイズ自身が手がけたことのある作業だけで修理が可能です』
「そうか。で、何が必要なんだ?」
『それに関してですが、少々厄介なものが必要になるかもしれません。また後ほど一覧をメールで送ります』
「そうか。それじゃあ頼んだぜ」
言いつつ、通信をきる。ハリーの言葉通り、ヘイズ自身で修理が可能だったというのは不幸中の幸いというべきなのだろう。思わず嘆息が漏れる。
何しろ、馴染みの修理工房にすら法外な修理費を請求されてしまうような世知辛い時代だ。二ヶ月前の馬鹿げた仕事の依頼のこともあるし、下手に他人を当てにするとろくな目にあわない、というのが最近のヘイズの信条になってしまっている。
と、そんなことを考え、視線を再度前方に向けると、前を歩いていた晶がこちらを振り返っていることにようやく気付いた。
「どうした?」
「ううん。別にどうしたってことでもないんだけど……やっぱりヴァーミリオンの相棒って変わってるよね。本当に人工知能なの?」
「よく言われるが、ハリーは紛れも無く人工知能だ。多少アクが強すぎるところはあるが、有能だぞ?」
「それは認めるよ。身をもって体験したからね……何度も」
晶が言った瞬間、傍目には分からないほど微かにヘイズの右腕が動いた。けれど、それはほんの一瞬の、ほんの数ミリのことだけに収まり、ヘイズはすぐさま別の話題を口にした。
「それで、結局ここは暁にとってどういうところなんだ?本拠地としては研究室研究室しすぎてるようだが?」
「ん?別にここと『暁の使者』との直接的な関係は無いよ。ただ、ちょっとした知り合いのつてでたまに利用させてもらってるだけ。一応、一ヵ月後ぐらいにここで一度集まろうって話にはなってるんだけど……まあ、それは今は関係ないから良いよね?
さて、すぐそこが居住区間だよ。ハリーから必要な材料の一覧が届くまでは一休みしておこうよ。どうせ色々話さなきゃいけないことも有るだろうし」
「……ってことは、お前は依頼でその『マインド』とかって奴を迎えに行ったは良いが、人違いをしたって訳か」
「飾らずに言ったらそうなるね。言い訳をすると、まさかあの場所に、その『マインド』っていう人以外にも拘束されている魔法士がいるなんて思ってもみなかったんだよ。油断してた」
眠気覚ましの効果を増すために神をも恐れぬ味にしました、とでも言わんばかりに不味そうなコーヒーと、数世紀前の喫茶店よろしく水と氷だけが入ったお冷を前に席に着いた5人は、ともすればややこしいことになりかねない現状を打破するため、それぞれの事情が開示されることとなった。その一番手となったのは晶と黎だ。謎の人物から『マインドNo.11』という人物を連れて来るよう依頼を請けたことから始まり、どうやら人違いでジヴークをつれて来てしまった、ということまでの簡単な説明がなされた。
「けどさ、ヘイズ。それじゃあわたし達が探していた『莫大な資金を投じられて開発されたもの』っていうのが、ジヴか、あるいはそのマインドっていう人になるのかな?」
「かもな。詳しいことは分からんし、もしそうであったとしてもオレは人身売買には手を染めないから空振りには変わりないがな。
大体察しはついてるだろうが、オレ達は先日モスクワの軍人からこの輸送の話を聞いて、そいつをいただこうとしたんだが、そこを、そいつとお前に邪魔されたってわけだ」
ファンメイの言葉に答えながら、ヘイズがジヴークと晶の順で視線を向ける。「邪魔された」と明言する割りにその視線に悪意に類するものが込められていないのは、負けた身の者として、生き延びさせてもらえたことを感謝している気持ちもあるからだろう。
「……予定では、マサチューセッツに貸与されるはずになってた。マサチューセッツの魔法士何人かと引き換えに」
最後に、ジヴークが言い、ここに全員の事情が出揃った。その結論は――
「ジヴさんが逃げ出せれた、という得をした以外、姉さんとヴァーミリオンさんは外れを引いた、ということですね」
それ以外に言いようも無くて。晶とヘイズは目に見えて明らかに落胆の息を吐いた。
「せっかく覚悟を決めて大仕事に望んだのに。依頼主になんて言われるかな……」
「船の修理の分だけ損かよ。モスクワだけでなくマサチューセッツとも敵対したってのに」
だが、二人ともそんなことを言いつつも、表情はそれほど暗くない。その理由としては、二人とも自分の望まないところで人生に絶望させられかけ、しかし思わぬところで救いの手が差し伸べられた、という経験を持っているためだ。そのため、ジヴークという一人の魔法士を助けられたことを決して軽いことと見ていない。
「まあ、どこの誰とも知らない依頼主のことなんかどうでも良いか。それよりジヴ、君はこれからどうする?何なら新生『暁の使者』に歓迎するよ?」
「暁は魔法士を反対している空賊だろ?そんなとこよりは、オレが適当に住める町を探しても良いぞ?」
むしろ正にこれこそを望んでいたとでも言わんばかりの勢いで二人ともがそう提案するが、しかし肝心のジヴークは二人の言葉を聞く余裕も無く、
「ねえねえ、ジヴも黎も魔法士だよね?どんな魔法士なの?」
「……魔法士のタイプ……呼び名は特に決まってない」
「『魔法士使い』と呼ばれています。ファンメイさんは?」
「わたし?わたしは『竜使い』。対騎士用の魔法士なんだって。けど、騎士と戦ったこと無いから分からないんだけど。二人は騎士と戦ったこと有る?」
「……ある。二度だけ」
「数人と戦ったことがあります」
「え?本当に!?二人とも会ったことあるんだ?どんなだった?」
いつの間にか年少組みの3人による談笑が始まっており、途中参加も途中退場も出来ない状況が既に出来上がっていた。
「……まあ、仲が良いことは良いことだよね?」
「そうだな。……ところで、ジヴってのはジヴークのことか?」
「そうだよ?一々君とかさんとかつけて呼ぶのも面倒だから愛称の方が良いかなと思ったんだけど……。そういえば、ヴァーミリオンは他人の名前を愛称で呼んだりはしないよね?」
「別にそういつもりでもないんだが、オレはお前らと比べるとかなり年上だろ。だから、愛称なんかで呼ぶのはかえって変だからな」
「ふ〜ん。年上も大変なんだね」
変な同情するなよ、とヘイズが思わず返そうとしたとき、ヘイズの通信機器が着信を伝えてきた。相手はハリーからだ。
『ヘイズ、一覧が完成しました。メールを送りましたので確認してください』
「ああ、早かったな。……で、何が必要なんだ?」
ハリーに応えながら、ヘイズが携帯端末のメールを覗き込み……難しい顔をして腕組をした。
「……どうしたの?何かまずいことでも?」
その様子を見かねた晶がヘイズに問いかけると、ヘイズは黙って携帯端末の画面を晶に向けた。
「参ったな。さっき確認した限りでは、ここにある材料じゃ足りてないな」
『ああ、やはりそうでしたか。少し希少なものが対象になったのでどうかと思っていたのですが……』
「希少……っていうか、今時珍しいもの使ってるね。もしかして、ハンターピジョンってそれなりに古い船だったりする?」
一覧に目を通していた晶が感心した様子で言う。この場合の『古い船』というのは、何も旧型の悪い品、という意味ではない。戦後技術レベルの低下した世界において、むしろ昔の船の方が余程高性能なものであるためだ。
「大戦よりも前に出来た船だからな。だが、それだけに材料とかも面倒になるのが玉に瑕なんだが」
「豪勢な船だね。人工知能のレベルも高いし。けど、それならどうするの?やっぱり修理に出す?」
「ありえないこと言うなよ。とはいえ厄介だな。確か、この間見た隊商がジャンク品として扱ってた気はするんだが……」
『2ヶ月程前のあの隊商ですか?確か、あの時は中国にいましたね。3ヶ月ほど前まで日本にいてそれから来たと言っていましたから、時期的にそろそろこちらの方へ向かっているのではないでしょうか?』
ハリーが自分の顔の画像の代わりに世界地図を表示させて言う。中国の北東部、ロシアとの国境付近に赤い点滅の点が表示されているのは、おそらく2ヶ月ほど前に会ったという場所なのだろう。
「そうだね。けど、メルボルンとかに向かう可能性も無くは無いけどね。その隊商の行動範囲とかは聞いてないの?」
「別にその隊商と懇意って訳でもなかったからな。話半分にしか聞いてない。日本を中心に活動しているってことは聞いたながな」
『それでしたら、もしかしたら今頃日本に戻っている可能性もありますね』
「まあ、取り敢えずはアジアで聞き込みだね。ハンターピジョンは後どれくらい飛べそう?」
『通常飛行には問題ありません。ただ、最高速度が7%程度ダウンし、雲上航行が不可能になっています。また、装甲的にも万全とは言い難いでしょう』
「それだけなら十分だ。取り敢えず、どうせ他にやることも無いしその隊商を捕まえてくるか。……お前も来るか?」
ヘイズが携帯端末をしまいながら晶に問いかけてくる。否、形としては『問いかけ』の体裁をとってはいるが、そこには有無を言わせない迫力が込められていることは晶にも容易に察せられた。
「そうだね。お子様達には留守番をしてもらって、さっさと行ってこようか。……黎!」
ヘイズの態度に晶が応じ、黎を呼ぶ。ファンメイを中心に賑やかしく話に花を咲かせていた3人はその晶の声で話を中断し、一斉に晶とヘイズの方へと向き直った。
「何?姉さん」
「実は、これからぼくはヴァーミリオンと一緒にちょっと出なきゃいけなくなってね。で、その間の留守番をお願いしたいんだ」
「留守番?……分かりました。どのぐらいで戻りますか?」
内心の葛藤を必死で抑えたのだろう。明らかに気落ちした様子で、あるいは何かを期待するかのように黎が問いかけてくる。
「そうだねえ……。まあ、早ければ半日、かかるとなると3日ぐらいはかかると思うよ。けど、出来るだけ早く終わらせて戻ってくるから、待っててね?」
「……はい」
不承不承頷く黎の頭を撫でてなだめようとする晶を尻目に、ヘイズも自分の連れである少女を呼ぶ。
「ファンメイ、聞いたな?オレも出るからお前はここで留守番をしていろ。何かあったときはこいつですぐに連絡をするんだ。良いな?」
「え?ヘイズと晶が?何しに行くの?」
ヘイズから渡された携帯端末を受け取りつつファンメイが問いかける。こちらは黎ほど不満を表していないが、その分状況について来れず混乱している節が見受けられる。
「船の修理に足りない材料を調達して来るんだよ」
「そうなの?けど、それならわたしも一緒に行くよ?」
「いや、お前はここに残るんだ。ジヴークの怪我もまだ完治してないのに無理をさせるわけにいかないだろ。だから、お前は残ってジヴークの面倒を見るんだよ」
途中からはその場で思いついたただの言い訳でしかなかったのだが、それでもファンメイには効果が合ったらしい。ジヴークの世話という明らかな役割を与えられ、すぐさま首肯を返してきた。
「うん、分かった!ジヴと黎のことはわたしに任しておいて!」
「頼んだからな。
ジヴーク、何かあったらこいつを自由に使っていいからな。遠慮はするなよ?」
話の流れが分かっているのか分かっていないのか、周りで繰り広げられる会話に参加することも無くぼ〜っと眺めていただけのジヴークは、ヘイズの言葉にただ首肯だけを返した。
「よし、行くか、暁」
「そうだね。……黎、本当にすぐ戻るからね」
「……はい」
そう答えつつも、母親においていかれるのを嫌がる子どものように晶の服の裾を掴んでいる黎に、晶は苦笑して身を屈めて黎と同じ視線の高さに合わせ、そっと、額に口付けをした。
「大丈夫、必ず迎えに来るから。約束する」
すると、黎はようやく表情から不安の色を消して頷いた。
「さ、行こう。ヴァーミリオン」
|