過去よりも尊く、夢よりも儚く
〜二人の空賊……1〜
リンゴだったか梨だったか。そのままかぶりついていた、という事実から常識的な思考を巡らせるとリンゴなのだろうが、八つ当たり気味に梨を齧っていたのではないか、という気がしないでもない。どちらにせよ、腹の足しとしては大した期待は持たせられないが、船へと向かって歩きながら珍しく手に入った果物を齧ったときのことだ。ふと、目の前の十字路の右角から、12、3歳ぐらいの女の子が飛び出してきたのが視界に入った。
ハッキリ言って、第一印象は『貧相な身なり』だった。そのときのヘイズの心が荒んでいたということもそう思ってしまった原因にあるが、大本の原因は、その少女の左半分の顔を隠すかのように黒色の布が巻かれていたことだった。それが、あたかも傷口を隠すための包帯のように見えて貧相そうな感想を煽っていたためだ。
けれど、その間違った印象を除外して観察してみると、どこにでもいる普通の少女だと思ってみることが出来た。だが、肩口で切りそろえられた髪と華奢な外見から少女だと分かったが、着ている服は子ども用の男物のスーツで、さらにそのスーツにはそれなりに良い布を使っていることが、盗品を売りさばく立場にいるヘイズには容易に察せられた。そこから察するに、その少女は到底『貧相な身なり』ではなく、しかも『どこにでもいる普通の少女』という訳でもなかった。
「何?ぼくの顔に何かついてる?」
ヘイズが少女に関してそれだけのことを確認していると、いつの間に傍まで近づいていた件の少女が小首を傾げながら問いかけてきた。そのときになってようやく、ヘイズは少女の容姿を確認している間中視線を向け続けていたと言うことに気づいた。
普段のヘイズならば、何でもない風を装って、無難な返事を返してそれきりでさようなら、という態度を取っていただろう。実際、このときはヘイズ自身も自分がそういう対応をしてくれるものだと思っていたのだが、そのとき口をついた言葉は自分自身の予想すら裏切り、
「ああ。街中とは言えこんな極寒に子どもが一人うろつくってのはどういうつもりなのかと気になってな。保護者はどうした?」
と、思いも寄らない問いかけをしていた。それがヘイズの本心の問いかけなのか、ただその場で思いついたことを口走っただけなのかは分からなかったが、問われた少女は純粋な問いと思ったのだろう、特に警戒した風も無、むしろ笑みの表情さえ浮かべてヘイズに返事を返してきた。
「お母さんは今伏せってるんだ。だから、何か身体に良さそうなものを探しに来たんだけど」
このとき、病気か、とヘイズが勝手に予想をつけたのは無理からぬことだった。おそらく、ヘイズでなくとも、少女にそんなことを言われて本当のところを予見するというのは不可能だっただろう。
だからヘイズが何も考えずに、手にしていた食べ物のうち果物だけをより分けて少女に渡したとしても、それは常識的な親切でしかなく、根は優しい空賊の当たり前の一面でしかなかった。
「……これは?」
何も言われずに果物を押し付けるように渡された少女は少し戸惑った風に聞いてくる。まさか果物というものを知らず、これは一体どういう物体なのか、ということを聞いてきているわけでは無さそうだったので、ヘイズは気だるげに言う。
「伏せってる母さんに食わせとけ。糖分は多いが身体には良い……らしいぞ」
あまり食べ物に頓着しないヘイズの本音が少しだけ垣間見えたが、少女はそれには気付ずに言う。
「あ、ありがとうございます。幾らですか?」
「オレは物売りじゃねえ。それに、ガキのお使いで買えるような額なわけないだろ。拾い物をした、とでも思っとけ」
そのせいで自分の夕食が更に貧相なものになり、かつ貴重品である果物の代金分懐が痛んだが、正直それほど悔やむ気持ちは芽生えなかった。
『……ですので、この周辺にいるとすれば、その三箇所のいずれかにはいると思います』
「ふ〜ん。けど、その隊商がいたからと言って目的のものが手に入るって保障はどこにも無いんだよね?」
『はい。けれどそれを言い出しては何も出来ません。ただ、手に入れることだけを考えるのでしたら、シティ神戸跡地へと向かえば確実に手に入りますよ。最も、手に入れた後で組み立てるには誰か技師を探さないといけなくなりますが』
「それは遠慮願いたいなあ。黎が待ってるし。……それに、神戸って彼の住んでる町の近くだし」
ふと気がつくと、何度も聞いて聞き慣れた声と、あまり聞いたことは無いくせに聞き慣れてしまった声が何か話をしていた。そのことで、今自分はハンターピジョンの操縦席で眠っていたのだと意識を気付き、意識を覚醒させた。
「ハリー。オレは何分ぐらい寝てた?」
『三十分ほどですね。目的地まで後二時間はかかりますから、まだ寝ていてはどうですか?』
「航行中に船長に睡眠を提案する船の人工知能ってどうなのさ……?けど、ヴァーミリオン。眠いのだったら寝てきて良いよ。その間ぐらいならぼくが見ていてあげるからさ」
突然かけた声にも特に驚いた様子も見せず、それまで話をしていた二人が反応を返す。人工知能であるハリーはともかく、少しも驚いた様子を見せずに話しかけてきた晶にヘイズはむしろ自分のほうが驚きかけて……ギリギリで思い返す。
……そういや、こいつにまともな人間のリアクションを期待するのは間違ってるんだったよな。
だから、ヘイズも敢えて何でもない風を装うことにした。それが微かな対抗意識から来ると言うことに自覚が無いままに。
「いや、大丈夫だ。そもそもオレに寝るつもりは無かったしな」
「それじゃあなおさらだよ。不意の眠りに陥るほど疲れがたまってるんじゃないの?例えば……慣れない子守りとかに」
ヘイズの言葉の真意を正確に捉えてくるのは、昔からの晶の特徴だ。そのことに、そんなにオレって分かり易い人間なのか?と考えさせられたのも一度や二度ではないが、それはともかくとして、こういう場合には素直に助かると思える。
「そうだな……。子守りしながらの空賊家業なんぞ少し前のオレだったら理解できなかったが……事情が事情だ。それに、仕方が無い、って言えない程度にオレの招いた結果でもあるしな」
「自主的なの?珍しいね。いや、ヴァーミリオンにとっては珍しいことじゃないのかもね。根っこは良い人っていうところなんかは特に。
けど、だからこそ不自然なんだけどね。ぼくも人のことは言えないんだけど、子どもに空賊だなんて危ない橋を渡らせるなんて」
晶の言葉から数秒ほど、艦内を沈黙が支配した。ハリーは、晶が話題をこっちの方向に持っていった時点で気を利かせたのか沈黙を保っているので、それを破るのは晶かヘイズか、そのどちらかでしかなかった。
そして、昔からの経験として、こういう場面において先に折れるのはヘイズの役目だった。
「……良いだろう。多少長い話になるがな」
「長くても構わないよ。どうせぼくも長くなるだろうし、目的地に着いてからの帰路もある。その間を潰すものといえば会話しか無いし」
相変わらず、「それが一番理想の選択肢ですよ」と言わんばかりに色んな理屈を持って来る癖は変わってないなと思いつつ、今年最大の不幸である巨額の借金の始まりからヘイズの話が始まった。
「要領の悪さが犯罪的なのは相変わらずだね。尤も、今回もそのおかげであの子を助けられたみたいだから、結果オーライになるのかな?」
諌めついでに呆れているのか表情どおりに笑っているのか、相変わらず笑顔しか見せないため分からない。けど、悪意じみたものは殆ど感じなかったからまあいいか、と思い悩むのを辞める。
「犯罪的な要領の悪さ、か。それはお前にとってのことか?」
けれど、気がついたときにはそんな皮肉げな言葉を返していたところを見ると、図星を突かれて苛立ったのかやはり嫌味として捉えてしまったのかのどちらかなのだろう。
「さあ?そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないよ?そもそも、誰の何でも『外的要因』の一言で勝たすことが出来るからね。何せ、結局ぼく達は徹頭徹尾、他組織の空賊でしかないんだから。個人的な関係と組織としての関係は別物。そうでしょ?」
口癖と言うわけではないのだろうが、ヘイズは晶がそう口にするのを存外聞いているような気がする。それは、もしかしたらヘイズに言うためだけでなく自分に言い聞かせているためではないのか、とは昔から思っていたが、確かめたことは無い。どちらにせよ、その言葉が間違っているわけではないのだから。
「それで?暁は何をしてたんだ?半年ほど前に壊滅したと噂で聞いてた割には、お前は相変わらず空賊をしているし……それに、あの子どもは誰だ?どうしてお前以外の魔法士が暁にいるんだ?」
だから当然、それを問いつめることはしなかった。そこに何の意味も見出せなかったし、もし問いかけることで何か意味なり意義なりが生まれるのも嫌だったから。
「同時にいくつか聞かれても同時に応えることは出来ないよ。とりあえず一通りのことを話すから、質問は最後にまとめて受け付けるよ
……それで、歩きながら話す?それとも、行くのは話が終わってからにする?」
晶が言うと同時に、船が着地する。目的の町に着いたことを示すかのようにディスプレイに周辺の地図が表示されるが、相変わらずハリーは沈黙を保っていた。
「暁の好きにしろよ」
「そう。それじゃあ行こっか。あの子達をあまり待たせたくないし」
肩をすくめながらのヘイズの言葉に、晶は早速席を立ちながら言う。そんな晶の様子は、どこか話したがっているような様子に見えたが、オレがこいつの感情の機微を察せるわけも無いか、と思い直す。思い込む。自分にはこいつの感情を完全に把握できるわけが無い、ということを強調するかのように。
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