過去よりも尊く、夢よりも儚く
〜二人の空賊……4〜
一人で街中をうろついたことをニーナは多少諌めたが、それでも見舞いの果物を喜んで食べてくれた。まだ起き上がることも出来ないニーナは、晶が世話をすることを認めてもくれた。それが遠回しに自分を無闇に街中をうろつかせないためであることはすぐに分かったが、それはある意味では願っても無いことであったので従順に従った。
けれど、自分達がこの町に隠れていることがシティの人間達に気付かれたらしく、日に日に緊張感が町全体を覆い始めていた。そのため、数人の護衛の内、中年の男女と偽りの家族を装って晶も街中で様子を伺うこととなった。尤も、この場合晶はその男女が動き易くなるためのピースでしかなく、晶そのものに何らかの役割を求めたわけではなかったのだが、それでも晶は意気込んでその役目を引き受けた。
「母親の容態はどうだ?」
お使いを装って――装うまでも無く必要に迫られての実際の行動でもあったが――街中を歩いていた晶は、背後からかけられたその声に小首を傾げながら振り返った。それが自分に向けた声だという保障はどこにも無かったのだが、その声に聞き覚えがあったためだ。
「あ、あの時の……。あの時はありがとうございました」
そこにいたのは、数日前に果物をくれた青年……あるいは青年を間近に控えた少年だった。依然あったときと同じ赤色のジャケットを羽織って、あの時と同じように紙袋を手に携えて立っていた。
「ああ、あんまり気にするなよ。一年に一度歩かないかってぐらいの気紛れだからな。……で、今日は何だ?またお使いか?」
「ええ、もうお母さんの容態も良くなったけど、ぼくだって家事の手伝いぐらいするから」
感心するな、とその人は言った。言葉通りに感心していることは分かったけど、そんな臆面も無く言われると戸惑ってしまう。この程度の家事手伝いぐらいは誰だってやっていることなのだから。
「そうか、まあ元気になったようで何よりだ。……ところで、お前はこの町の生まれか?」
自然さが装われた話題の変換だったが、晶はその質問の際にその人の気配が少し変わったことに気付いた。もしかしたら自分達の正体が疑われているのかも、というのは流石に考えすぎなのだろうが、それでも迂闊な答えが出来る質問でもない。
「最近来たばかりだよ。以前住んでいた町のプラントの機能が低下しちゃったからね」
「そうか……どのぐらい前に?」
ここまで来ると、流石に先ほどの考えも『考えすぎ』ではないのではないかと思えてくる。この人は明らかに何らかの意図を持ってその問いかけをしている。それが自分達に向いたものであるのかどうかは分からないが、それだけは確かだ。
「それほど前のことじゃないけど……どうしてそんなことを聞くの?」
「いや、大したことじゃない。俺もここに来たのはつい最近なんだが……こんなに住人以外の人が多い町ってのはあまり見たことが無いからな。いつもこんなものなのか?」
それは多分軍の兵士達のことだろう。表立って身分を明らかにしていないが、隊商や何でも屋、移民を装って多数の工作員がこの町に入り込んできているからだ。自分達――『暁の使者』を捉えることを目的に。
と、そこまで考えてから違和感を覚えた。この人は話を信じるならばつい最近この町に来たばかりだと言うのに、どうして街中を歩く人達の中で住人以外が多数いることに気付いたのだろうか?
「え?そんなことも無いよ。言われてみると確かに最近は人通りが多いような気もするけど、気になるほどのことでもないよ?町の人達もそんなに気にしてる様子も無いでしょ?」
「ああ、そりゃそうだな。悪い、変なことを聞いたな」
そうは言ったものの、その人は明らかにまだ何かを気にしているかのように、人通りの多い町並みに視線を向けていた。
堅気じゃない。そんなことは一目見た瞬間から分かった。
この人は、動作が一々正確で無駄が無い。歩き方、呼吸の仕方、体勢の取り方、その他もろもろの一挙手一投足が非常に効率良く、まるで機械で測ったかのような動作をしている。おそらく、身体を効率よく動かせる訓練――主に戦闘訓練等――を相当積んだが故のことだろう。それは晶にも言えることではあるのだが、晶はその辺りの『不自然に思われない立ち振る舞い』を、その筋のプロ中のプロであるニーナから叩き込まれているので、気付ける人間は殆どいない。その点、この人は純粋に身体の使い方だけが慣れているだけで、その辺りの偽装に関してはそれほど修練を積んでいないことが分かる。
「そうですか。……ところで、あなたの名前は何て言うんですか?あ、ぼくは晶って言います」
けれど、とにかく堅気でない人間は身体の立ち振る舞いからして常人とは変わってくる。そしてそれは、見抜ける目を持った人には見抜けてしまうものでもある。
もしかしたらこの人もその目を持っていて、兵士達の動きを悟っているのではないか。そういう結論にたどり着いたとしてもそれほどおかしなことでも突飛なことでもない。
「ヴァーミリオン・CD・ヘイズだ」
これで確実に倒せる、という、期待と確信があった。
基本的に、炎使いや人形使いは同レベルの騎士に勝てない。むしろ自己領域を形成することが出来るレベルの騎士に対しては、多少炎使い側が優位であっても勝てない。
それは、いわゆる「相性」の問題であり、個人の努力では中々埋めることの出来ない差でもある。そして、魔法士戦というのは綿密な計算の元、可能な限り無駄を排除して行う戦いである。そのため、魔法士戦においては『油断』というものが存在しない。
けれど、だからこそ、戦い方は似通ったものになりがちでもある。『対騎士戦』用の戦い方とか、『対炎使い戦』用の戦い方とか、マニュアルじみたものが存在し、実際問題として、そのマニュアルどおりに戦われたら、どれだけ奇策を講じようが中々戦況をひっくり返すことが出来ない。
その点『規格外の魔法士』にはそういったマニュアルが存在しないため、いわゆる『必勝の型』というものが無い。さらに、一見普通の炎使いに見える晶は、炎使いの欠点である『飛行出来ない』や『高速運動が出来ない』などの欠点をついて攻めてこようと思って戦況を展開する相手に対して非常に有利に戦況を展開することが出来る。
だから、不慣れであるはずなのにビェーシャヌイが空中戦へと誘い込まれた時点で己の優位を知り、当初の目的である騎士剣を破壊したことで敗北の可能性が殆ど無くなったことを感じ――
本来は絶対的に騎士の方が有利であるはずの『接近戦』における最強の力を行使したことにより、勝利を確信した。
晶の周囲を、細かな窒素結合の破片が飛び交う。その速度は秒速百メートル程度で、それでもその破片の存在を視覚で確認できる程度に大量でもあった。飛び交う範囲は、晶から2メートル程度離れた位置まで及んでいる。そして、その範囲のほんの数センチ離れた位置にビェーシャヌイの姿があり、晶に向かって接近してきている。正確には、少し斜め上の位置から晶目掛けて降ってきている、という方が正しいのかもしれない。その身は今まさに自己領域を解除したばかりで、最大加速である40倍の速度を維持している。晶が、狙った絶妙なタイミングを掴んだ結果だ。もしビェーシャヌイが『剣の舞』の存在を感知し、瞬時にI-ブレインの起動状態を変更して自己領域を形成し『剣の舞』から逃れようとしたとしても、わずかに手遅れ。そんなタイミングだ。
この、晶が有する最高の攻守一体の能力『剣の舞』を前には、騎士であっても切り抜けることは出来ない。むしろ、接近戦以外の攻撃手段を持たない騎士にとっては手出しすることの出来ない能力であるともいえる。
実際、『剣の舞』の展開の一瞬後にその範囲に入ったビェーシャヌイは、なす術も無く体中を切り刻まれることとなった。
まず、左腕に無数の貫通創がつく。更に、左の肩が範囲に入る頃には左腕は途中で千切り取られ――ず、しっかりと握りこぶしを形作った。
……え?何で……?
晶が驚愕に動きを止める中、ビェーシャヌイは更に剣の舞の範囲内に入り込み、左腕だけでなく身体全体が切り刻まれ、更に切られた箇所から凍りつき――しかし、I-ブレインの収められている頭部だけは無傷のままだった。
破片の勢いが足りずに傷つけられないと言うわけではない。何かに迎撃されている、と言うわけでもない。ただ、ビェーシャヌイの頭部に触れた破片は一つ残らず分解してしまっただけだ。
……あれは『情報解体』?まさかこの人、自分の身体が――
そのことに気がついた瞬間、物理的に見ればとっくに千切れているはずのビェーシャヌイの左の拳が高速で晶の腹部に吸い込まれ――間に氷盾を挟んで勢いの8割を殺したものの、残り2割でも十分な破壊力に押されて空中から叩き落された。
銃弾と『破砕の領域』を駆使して、ヘイズが何とかビェーシャヌイへのけん制を行っている中、晶は自身に走った痛烈な衝撃を何とかなだめて立ち上がる。骨の一本ぐらいは折れているかもしれないが、とりあえず戦闘続行は可能。けれど、接近戦を行うにしては受けた衝撃が強すぎる。また、あの相手に接近戦では勝算は殆ど無い。
それらのことを確認し、即座に氷弾を放つ。数は数十発程度だが、それでもヘイズの援護としての効果は得られたらしく、一旦仕切り直すかのように接近戦を挑んでいた二人が互いに離れる。が――
「――!?駄目だ、ヴィー!」
思わず一息ついたヘイズの目の前に、自己領域を展開したビェーシャヌイが現れる。そのまま振り下ろされる右の拳を掠めながら何とか回避し、背後に下がりつつ腹部目掛けて発砲――避けも受けもせずに直撃するが、ビェーシャヌイは一向に応えた様子も無く更に接近し、発砲したばかりのヘイズに更に左の拳を振り上げ――二人の間に形成された氷盾が一撃を受け止める。
「何なんだコイツは!?」
「騎士だよ!けど普通じゃない!戦闘予測するなら今までの騎士の常識を捨てて!」
ヘイズの困惑と怒声に晶が的確に答える。が、その間にもビェーシャヌイの猛攻はとまらず、何とか二人で凌ぐ。
ヘイズの本来の持ち味である『圧倒的な予測演算』を生かした『理論的に回避可能な攻撃は全て回避する』というものは、その対象となる相手の情報が必要不可欠である。それでも、今まで戦ってきた経験と知識を元に騎士の動きを予測することなど簡単なことだ。けれど、ヘイズの経験や知識の中には「騎士剣を用いずに40倍の加速を得る」とか「怪我をものともせずに動く」とかいった化け物じみた相手の情報など無い。そのため、中々予測演算が上手くいかず、避けられそうな攻撃を避けることも出来ないでいる。
「どの程度騎士の常識から外れてるんだ!?」
「能力の行使に騎士剣がいらないこと、ダメージが実質的な戦闘力低下に直結していないこと、話を聞けるほどの意思が感じられないこと!
情報収集にどれぐらいかかる!?」
「後1分だ!」
叫びながらも意思疎通を完成させる二人に、しかしビェーシャヌイはただ戦闘を続けるだけで何も反応を返さない。それはあたかも戦闘のための機械になったかのようで。
……こんな化け物がモスクワシティにいたなんて……。けど、この間の襲撃の時には出てこなかったよね?ってことは、よほどの機密扱いなのか……あるいは、使えない理由でも?
ギリギリの防戦を繰り広げながらも、晶は相手の観察を止めない。それは戦闘を有利に持ってくるというだけの理由ではなく、単純な好奇心からだ。
「止せ!ヴィー!止めるんだ!」
と、そこにヘイズでも晶でもビェーシャヌイのものでもない声が割り込んでくる。けれどその声に反応できたのは、意思の感じられないビェーシャヌイでも避けるのに手一杯で他に何をする余裕もなくなっているヘイズでもなく、晶一人だけだった。
声がした方を見ると、最初にビェーシャヌイから紹介された、確かクークォとかいう名前の男が必死の形相で叫んでいた。その様子から見ると、どうやら自分達が接戦を繰り広げている間にも叫び続けていたのだろうことは分かったが、悲しいかな、誰一人として気付いていなかったらしい。
「もう止すんだ!『躯骸屍鎧――くがいしがい――』を解除しろ!これ以上能力を使い続けると――」
「暁!」
その瞬間、クークォの声にかぶさるようにしてヘイズの声が響く。クークォの台詞に気を取られていた晶は一瞬反応が遅れたが、これ以上クークォの方にばかり気を取られている場合でもないと思い直してヘイズに応じる。
「予測は完璧になった!?」
「十分だ!」
短いやり取りの中、けれども二人とも十分な意思交換を済ませる。
「2分だけ時間を稼いで!丁度2分後から数秒の間に、そいつをぼくの元へ!」
言いながら、晶は氷盾の演算を終了して別な演算を開始する。ヘイズの意思確認をしていないが、そんなものを悠長にしている暇は無い。
(分子運動制御開始。境界範囲を設定――『葬送行進曲』発動準備)
それが仮令、一歩間違えれば――否、成功したところで、誰彼構わずに死を招く諸刃の剣を抜くことであったとしても。
(レベルシフト:2→3――『生体デバイス』:オン、起動:安全機構解除。
稼働率:180%。展開:『躯骸屍鎧』
レベル4到達可能性:32%)
『森羅』と名づけられた剣がある。世界で二番目に強い騎士のために考案された騎士剣であり……完成間際になって廃案にされた、まだこの世界には誕生のしたことの無い騎士剣でもある。
その『森羅』には、『自己領域』のような固有の能力がそなわっている。それは、『確実に使用者を勝利に導く』ためのものだ。そのための能力として、身体の不備を補い常に最高の戦闘状態を与える、というものがある。
ビェーシャヌイが晶との戦いの最中に用いたのはこの能力だ。『剣の舞』を目前にしたとき、自身の敗北を知り――けれど、せめて相打ちはと思い実行した。それによってダメージによる戦力低下を抑えることに成功し、『剣の舞』の中を突き進むことさえ可能になった。
けれど、だからといって自身が傷つかないかというとそんなわけはない。すでに、ビェーシャヌイは遠からずに死ぬことを自覚している。『情報解体』によって頭部へ、正確にはI-ブレインへのダメージを防ぐことは成功した。けれど、全身についた傷はすでに致命傷だ。内臓はバラバラになっており、骨も数だけで見ると数十倍にまで増えていることだろう。ポケットにしまったビスケットを叩くが如く。
だからこそ、ビェーシャヌイは戦いを止めなかった。彼にとって恐ろしいことは自分の死ではなかったから。
自分が死ぬであろうことは前々から分かっていた。この戦闘に参加させられた時点で、上層部の思惑が自身のレベル4到達にこそあるということも分かっていた。
けれど、逃げ出す訳には行かなかった。自分にはやらなければならないことがあるから。守らなければならない者がいるから。
ここで、自分は死ぬ。それは戦う前から分かっていたことだ。相手が二人しかいなかったことは予想外だったが、ここで自分とクークォの二人で戦わなければならない状況に追いやったのも自分だ。本来ならばあいつもここにいるはずだったから。そしてその場合、あいつだけは何としてでも殺さないように戦うためにも自分が負けなければならず、自分が負ければクークォが退いたところで何の疑問も抱かれないだろうから。
けれど、ここにあいつがいないのなら、申し訳ないがこの二人にも道連れになってもらう。そうすればクークォはわざわざ逃げなくても済むようになる。問題なのは戦闘終了後の自分の身体だが……おそらく、姉が何とかしてくれるだろう。そのぐらいには信頼の出来る家族だ。
(稼働率:200%超過。『最適運動曲線描画』:開始
レベル4到達可能性:91%)
だから――レベル4に到達するかもしれないという恐れは無かった。それによってどうなってしまうのかということが分かっていても。戻れなくなるということが分かっていても。
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