過去よりも尊く、夢よりも儚く
〜二人の空賊5〜
ドン、という馬鹿でかい音から始まった。
まだ夜も明けきらない未明の時刻だった。いつものように静まり返った町の中で、突然そんな音が立て続けに響き、夜の闇に閉ざされていたはずの町が一斉に明るくなった。
それが、建物の燃える火によってもたらされる明かりだということは、すぐには気付くことが出来なかった。音にたたき起こされて飛び起きると同時に、外を一目見た時点で気付くはずのものであるのに、すぐには気付けなかった。
何故なら、炎は町を囲むように全方向から上がっており、町の中心辺りのみさながら台風の目のごとく日が上がっていないという、そんな状況だったからだ。
「――ハリー!!」
『マサチューセッツ軍の攻撃です。どうやらしびれを切らしたようですね』
呼びかけに答えた声は奇妙なぐらい淡々としていた。だからこそ今の状況が余程切羽詰ったものであると理解する。
「……作戦内容を探れ。今すぐにだ」
『すでに始めています。ヘイズは町の東口へと急いでください。……ちなみに、単独で逃げるだけならば南口がお勧めかと』
それがどういう意味の言葉であるのかは問い返すまでも無い。ここまで大掛かりな、徹底的な数の暴力による破壊活動。それが意味するところなどそう多くないのだから。
……クソッタレ。町そのものを消すってか?そこまで追い詰めたい相手なんかね?その『暁の使者』ってやつは。
怒りというよりは苛立ちの思いで地を駆ける。I-ブレインの動作確認は既に終え、愛銃もすぐに抜ける状態へと整えて。
突然、ビェーシャヌイの戦闘が苛烈になったことは分かった。晶に予測演算は完璧だと豪語したが、もしそれが事実でなかったとしたらあっという間にやられていたであろうことは想像に難くなかった。
……何なんだ、コイツ。いきなり動きに無駄が無くなりやがった。
ヘイズがそう思ったのは、ビェーシャヌイが『最適運動曲線描画機構』という、『森羅』という名の騎士剣に組み込まれるはずであった能力を使ったためだ。『使用者を必ず勝利に導く』ための能力であるその『最適運動曲線描画機構』は、敵・味方の戦力、周囲の環境、地形等々を把握し、『最も効率の良く相手を倒すための運動の軌跡』を描く能力だ。その能力と対するということは、能力者に致命傷を負わせたところで、その牙を向けられた対象の死だけは確実なものとなる。
けれど、ヘイズはそれを間一髪のところでやり過ごしている。仮令圧倒的な戦力差が有ったところで防ぐことが困難、否、理論的には描画された時点で防ぐことが不可能な『最適運動曲線』を前にして、だ。
それが出来る理由はただ一つ。ヘイズによる規格外の予測演算によって、ビェーシャヌイの『最適運動曲線描画機構』による戦力把握によって導き出される戦闘予測がどのような予測をするのか、ということを予測するという、『最適運動曲線描画機構』による戦闘予測を上回る予測に基づいて、それを避けるための行動をしているためだ。
つまりそれは、世界でただ一人ヘイズだけが可能な『最適運動曲線描画機構』の回避方法。
しかも『最適運動曲線』は、一度引かれれば戦闘終了まで導いてくれるはずのものである。だからこそ、ヘイズによって予測を外される毎に新しく計算をし直して曲線を描かなければならなくなり、そのわずかな間だけ、身体の動きの全てを『最適運動曲線』に合わせて自動で動かしているビェーシャヌイの動きが止まってしまい、40分の1の速度しか有さないヘイズにも何とか切り抜けられる間を与えてしまう。
そもそも、『最適運動曲線描画機構』に従うということは『最も効率の良く相手を倒すための運動の軌跡』を描くのであるから、その行動の読み易さは普通よりも楽になる。さらに、曲線の再描画という手間を含むために40倍の速度を活かしきれていない。その二つの条件が無ければ、ヘイズには手も足も出ない相手であることは想像に難くない。逆に言うと、その二つの条件が揃っているからこそ、ヘイズでも対抗することの出来る状況が作り上げられている、という皮肉な状況であるとも言えた。
つまり、もしビェーシャヌイが普通の騎士能力だけでヘイズに向かってきていたとしたら、今頃へイズは死んでいるだろう。
けれど、そういった偶然から命を永らえているヘイズであるけれど、普通人程度の戦闘能力しか持たない以上、疲れも怪我も一顧だにしない、しかも超加速能力を持つ騎士と相対し続けるのは非常に困難なことだ。疲労も溜まるし、集中力にも限界がある。徐々に追い詰められていっていることはあえて自覚するまでも無い。
……それにしても、コイツ等は本当に何なんだ?異常に情報強度が低い魔法士と、デバイス無しに能力を使う魔法士って。
そもそも……青紫の軍服を着てるってことは、やっぱりあの特務隊のことなのか?
ヘイズが『青紫色の魔法士』の話を聞いたのは随分昔のことだ。別段親しくなかったが今ほどモスクワと敵対していなかった時期、ふとした拍子に聞いただけの、日常に埋もれるだけの話題のはずだった。
それは、簡単に言うならばモスクワが抱える『特務隊』の一つのことだ。それも、受け持つのは『戦闘』でも『守備』でもなく『殲滅』ただ一つだけで、しかし実践投入されたことは無く、実在するのか否かすら怪しいと言う。
だが、そんなことは今のヘイズにとっては大した問題ではない。今はただ、目の前の敵を倒すために時間を稼ぐことだけを考えていればいい。
蹴りを避け、拳を拳銃で受け止め、体当たりをされるよりも前に横に避ける。その際、反撃は一切しない。それが無駄になることは分かっているから。だから、反撃することが可能な余裕さえも次の一手を避けるための動作に惜しみなくつぎ込む。
……後十秒。
それと同時に、一瞬の狂いも無いように時間を計る。晶の指定した時間に何が起こるのかは聞いていない。また、その時間になったとき、ビェーシャヌイを晶の元に向けさせればいいとは聞いたものの、その間自分が何をしていればいいのかも分からない。それ以前に、元々大掛かりな攻撃が主体となっている炎使いによる、不死身ともいえるビェーシャヌイを倒すための攻撃と言うのが、果たして周囲に破壊を撒き散らさずに行われるのだろうか。自分達が巻き込まれると言う可能性は無いのだろうか。
……八秒。
疑問点と言うか不安要素を挙げていければきりが無いだろう。だから、ヘイズは心配することを止めた。晶を信用しているわけではない。けれど、信頼はしている。どのような過程を辿ろうと、結論だけは最適のものを導くだろう、と。
……六秒。
「数年前もそうだったから」。そんな薄い根拠でも、ヘイズはそれを否定する気が自分に無いことを知っていた。また、それで裏切られるようなことがあったとしても傷つかない程度には信用に足りていないのも知っている。人間的な不信ではない。
『結局ぼく達は徹頭徹尾、他組織の空賊でしかないんだから』
彼女自身が言っていた、その台詞が所以だ。
……四。
晶が指定した時間が近づくにつれて、周囲の状況が少しずつ変わっていっていることには気付いていた。高密度かつ大規模な情報制御が感知されているが所以の感覚だけでなく、それによって引き起こされる物理的な影響が周辺環境に影響を与え始めているためだ。
……三
だから、晶が今からやろうとしていることがとんでもなく大掛かりなものであると言うことはすぐに知れた。そして、それであれば仮令ビェーシャヌイであろうともひとたまりも無いであろうと言うことを。
……二
だからヘイズは、安心はしていなかったが、信頼をして、任せた。
「暁!」
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