■■ 謳歌様■■

 

過去よりも尊く、夢よりも儚く 

 

〜二人の空賊7〜

 

人喰い鳩 ( Hunter Pigeon ) ね」

「ハンターピジョン?」

 ニーナの声に鸚鵡返しになるように晶の声が返る。

「有名な空賊よ。尤も、有名だったのは今のハンターピジョンよりも前、メルボルン自治軍に殲滅される前のことで、今の一人と一隻の状態のことではないわ。今では何でも屋と名乗っているけど、その名前のせいで、空賊まがいの仕事しか依頼が来ていないらしいけど」

 空賊には空賊の情報網があり、そこに引っかかる程度には有名な空賊と言うことか、と納得した声を返すと、ニーナは諌める口調で、

「そんな相手と気軽に会うことは感心できないわね。最初は偶然だったかもしれないけど、今後は注意しなさい」

 反論も許さないままに言い切る。別にその考えには全面的に同調できるから反論する余地はむしろ無かったのだが、それでも一度芽生えた好奇心はそうやすやす消えるものではない。

「分かってるよ。けど、少し彼に興味有るな。粗野な感じはしなかったし、けど紳士っていうには気が抜けてたし……そう、凄く自然体だったんだ」

 面白い人だな、と思った。失礼な評価だとは自覚しているけれど、それ以外に的確な言葉は思いつかなかったのだからどうしようもない。

「興味を持つのは結構。けれど、今の状況を考えればたった一人と一隻でも敵を増やすことは感心しないわ。それに、今でもハンターピジョンは手強い」

 母に「有名な空賊」とばかりか「手強い」とまで言わせる空賊――同業者がいるとは驚きだった。別に『暁の使者』が世界最高の空賊だと夢想する気は無いけれど、それでも一人と一隻の空賊にそこまで言わせる実力が備わっていることは純粋に驚くに値する事実だった。

「そこまで言うのなら。でも、ぼくだって彼とは戦いたくないな。戦力的な問題だけじゃなくって、個人的にも」

 それに、彼と戦っても勝てるかどうか怪しいし、とは付け加えなかった。それを言うということはむしろ「戦ってみたい」という気持ちを遠回しに告げているようにも捉えられるからだ。

「そうしなさい。けれど……厄介ね。私達が動くよりも早くハンターピジョンが動いてくれればいいのだけれど……」

「多分、彼も足止めされてるんだと思うよ。この辺りは兵士達でいっぱいだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビェーシャヌイがヘイズに向けて拳を振り下ろすも、一瞬早く背後に下がっていたヘイズはそれをギリギリで回避する。

けれど、通常の40倍で動くビェーシャヌイはヘイズが後ろに下がりきるよりも早く体勢を立て直して拳をヘイズの頭部目掛けて放つ――強い衝撃と共に軌道をそらされた拳は、ヘイズの鼻先三寸のところを素通りする。予めヘイズが放っていた銃弾が拳を弾いたがための成果だ。

同じように、蹴りを放とうと左足を軸に身体を回転させる――よりも一瞬早く、ビェーシャヌイが踏みしめる地面が抉れ、体勢を崩す。『破砕の領域』によって地面が分解されたためだ。

 けれど、地面は削れてもビェーシャヌイの足には傷一つつかない。普通の魔法士であれば防壁を予め構築しておかなければ損傷を受けるというのに、それすらない。

 けれど、そのことに誰かが懸念を抱くよりも早く、先ほどまで防戦一方だったヘイズが動く。

「暁!」

 そう叫ぶと同時に、ヘイズとビェーシャヌイの周囲の地面が爆ぜる。予め七秒前に放っておいた数発の手榴弾が一斉に爆ぜたためだ。ビェーシャヌイはその勢いになす術も無く晒されるが、やはり見た目の傷が増えただけで戦力低下にはつながっていない。

 けれどその瞬間から、視界が大量の土煙に塞がれる。ビェーシャヌイは苛立たしげにあちこちに拳を振るうが、ヘイズを捉えられることなく虚しく空を切る。自分の40倍速の攻撃すら回避するという今までの実績から、ヘイズがこの状況を予め予想していたということはビェーシャヌイもすぐに分かっただろう。自分の位置が割り出されるまでそれほど時間的な余裕は無いはずだ。けれど、ヘイズは内心の不安を押し殺して土煙の中に身を潜める。

 すると、ビェーシャヌイは姿を見失ったヘイズの姿を追って周囲を見渡し――唯一土煙の立ち上がっていない方向にいるその対象を見つけ、そちらに向けて駆け出した。

 その対象――晶は、自分に向けて駆けて来るビェーシャヌイの姿を捉え、しかし少しも慌てることなく、それどころか身じろぎ一つすることなくビェーシャヌイの到着を待った。既に作は発動されている。決着は後数瞬のうちに着く。そしてそれは、ビェーシャヌイが晶と触れるか触れないかというギリギリのタイミングでだ。

 もし、一瞬でもI-ブレインに不調が走って処理能力が低下したら、ビェーシャヌイよりも一瞬早く晶は死ぬ。正直に言うならば、ビェーシャヌイが晶に向かいだすのをもう1、2秒ぐらいは遅らせてもらいたかったところなのだが、今それを言ったところでどうしようもない。

 果たして、ビェーシャヌイは晶の目前までたどり着き、無防備な晶の腹部に右の拳を叩き込む――が、ギリギリのところで氷盾で防ぐ。しかし次の瞬間には氷盾は情報解体によって分解させられ、無防備となった晶目掛けて更に左の拳を振り上げて振り下ろす――その一撃が晶に到達する一瞬前に、ビェーシャヌイの動きが止まった。否、凍りついた。右腕の動きも、全身の体組織も――

 

命の鼓動さえも。

 

 次の瞬間、どこからともなく一発の銃声が鳴り響き――凍りついたビェーシャヌイの身体を粉々に撃ち砕いた。

(分子運動制御終了。境界範囲を破棄――『葬送行進曲』終了)

 けれど、晶はその成果を見届けるよりも早く、急いでI-ブレインの能力を解除する。こうしている間にも自身の身体が凍り付いているのが分かるからだ。

(分子運動制御開始――『炎神』発動)

 次いで熱量を付加して、絶対零度に引き込まれようとしている周囲を少しずつ暖める。

「……何とか、生き延びられたみたいだね」

 周囲が暖まり始め、人心地がついたところで晶が安堵の息と共にそう漏らす。

 晶が行ったのは、そう大した理論に裏付けられた能力ではない。単に、自分の前方の半径2メートル程度の一定空間内をとある分子の固体で満たし、霧状にして散布しておいただけだ。

 

 その分子というのは、水素だ。

 

 炎使いが氷槍や氷盾の材料として主に窒素を使用するが、それは大気中のおよそ8割を占めていることから来る入手の容易さの他に、比熱容量が1042 J/(kg·K)と比較的低く熱量操作が容易であるという利点のためだ。

 身近なものの中で比熱が低い物質と言えば、何よりもまず『金属』が上げられ、比熱の高い物質といえば『水』が来るだろう。それもそのはずで、例えば鉄の比熱容量は444J/(kg·K) なのに対して、水は4186 J/(kg·K)という、鉄の10倍近いという莫大な数字になっている。これは普段の生活の中でも日常的に感じられることでもある。

 そして、水素はその水の3倍以上と言う14304 J/(kg·K)もの比熱容量を有している。それは窒素の約14倍の数値であり、それだけ温度の変動が小さいということである。

 つまり、窒素が8割を占める大気を絶対零度にしたところで――それでも人体を凍らすには十分だが――人が入り込んだ場合は人の体温によって暖められ、徐々に温度の搾取のスピードは鈍り、余分な時間を要してしまうことになってしまう。

 けれども、それが極端に比熱容量の高い水素であった場合、その比熱容量の莫大さから温まる速度は遅く、相対の温度差が大きければ大きいほど熱量の移動が早いという性質によって、より早く対象の熱量を奪うことが出来る。

 更に、質量を増やすために密度を上げ、絶対零度まで冷やして固体とする。これによって、極端に熱されにくく、かつ質量も多い物質が漂う空間が作り出される。尤も、対象――この場合はビェーシャヌイ――が空間の中に全身で入れるようにするため霧状にするしか無く、その分質量は激減したが、それでも彼がその空間に一歩は言った瞬間から凍結は身体の表面から始まり、40倍――彼の運動能力が時速30kmであった場合時速1200km……秒速333m――の速度で動く彼が対象空間内に入ってから晶を仕留めるよりも一瞬早く、その身体の隅々まで完全に氷像へと変えることを成し遂げた。

 

 

「……生き延びた、か。そりゃまあそうだが……オレは離れていて正解だったらしいな」

 晶の独り言に応えたのは、ビェーシャヌイにとどめの一撃となった――ではなく、既に死亡していた彼の亡骸を野ざらしにさせないために銃弾を放ったヘイズだ。手に持つ銃のスライドが下がったまま戻っていないところを見ると、さっきのが最後の一発だったのだろう。その、相変わらず完全な予測をして戦うヘイズらしい様子に晶は笑みをこぼして……ふと気付いて問いかける。

「あれ?最初にヴァーミリオンと戦ってた奴は?もしかしてもう倒しちゃってた?」

 問われてようやく気付いたのだろう。ヘイズも周囲を見渡し――自分達以外の存在を確認できないことを知る。

「いや、そんなことは無いんだが……逃げられたみたいだな。追いかけるか?」

「そんなつもりは無いよ。そんなことよりも、早いところ必要なものを手に入れて研究所に帰ろう」

 ヘイズの問いに晶が間髪いれずに返答して、すぐにI-ブレインを起動する。

「そうだな。オレも同意見だが……そう焦るな」

 ヘイズの予測演算は、何も戦闘予測にしか役に立たないかと言うとそうでもない。それを示すかのようにこの上なく的確な指摘をしてくるヘイズに、しかし晶は何も応えずにヘイズを抱えて町まで飛んだ。

 

 

 

 

<作者様コメント>

長らく続きました『二人の空賊』が、ようやく終わりました。戦闘シーン一つでここまでかかってしまうなんて流石に予想外だったのですが、まだまだ本筋での戦闘が残っている以上、今の段階で「長い!!」などと言っていてはやってられないような気もするのですが……

とにもかくにも、これにて『過去夢』の20話をお送りしました!

 

 

「基本、WB本編に出てくるキャラが強くない?」(相方)

「それはほら、世界最高の魔法士って設定だし」(私)

 

謳歌


 
20話BGMRHAPSODY OF FIREり、「The Black Halo

<作者様サイト>

◆とじる◆