過去よりも尊く、夢よりも儚く
〜消去法的な乱戦〜
気が付いたときには、薄汚れたコンクリート張りの部屋にいた。装飾と呼べる類のものの無い無機質な部屋で、自分が今寝ているベッドと、薄明かりに照らされている机と椅子、そして椅子に引っ掛けられているのかよれよれの白衣があるのみで、他にはこれといって何も無かった。
いや、よくよく見てみると白衣は椅子にかけられているわけではなく、椅子の背もたれぐらいの高さに肩がある人物が袖を通さずに肩に引っ掛けているだけだと気付けた。
目が覚めたばかりでぼんやりしていた、というのは確かにあるだろう。けれど、その人物の存在に初め気付かなかったのは、その人物が持つ人としての気配があまりにも希薄で、むしろ椅子や机、もっと大きなところではこの空間に、人間の尊厳すら溶かしてしまっているかのように程馴染んでしまっているためだろう。
「目は覚めたようだね」
あなたは誰なのか、とか、ここはどこなのか、とか、そういった当然の疑問は浮かんでこなかった。ただ、こぼれるように一言、
「振り向いても無いのにどうして分かったの?」
という疑問だけが、ぼんやりと浮かんだ。
実は、舞衣の能力に関してはティーレもよく分かっていない。説明は受けたのだが、そういった理論的なことを理解する能力はあまり持ち合わせていないという自覚もしている。自慢ではないし、そもそもあまり他言したいと思えることでもないが。
けれど、ジュールや並の騎士による加速に比べたら劣るものの、高速で突然ジュール目掛けて飛び込んできた黒い影、その正体である少女と対している姿に純粋な頼もしさを感じることは出来た。
「とりあえず……あの子達に説得を試みるッスか?」
「一応言ったつもりなんだがな。無駄だった……のか?よく分からんが……あの二人を前に説得を試みても無駄だと思うのは俺の気のせいだろうか?」
あの二人――高速で戦闘を展開する舞衣と少女を見て、ティーレは嘆息を一つ吐き、
「それじゃああんたにはあの自動小銃の子を任せたッスよ」
ジュールの返事も待たずに走り出す。相対すべき二人の少年――この際面倒なのでイヤホンの子と黒髪の子、と分類しようと心に決め――の内、黒髪の子に向けて走る。見たところ、イヤホンの子がもつ小銃のような、特にこれといった武器を持っている様子は見えない。だが、おそらくは魔法士だろうという予想ぐらいは出来る。その能力が分からない限り迂闊な手出しは禁物なのだが、それでも先手必勝の型に従って銃を構え――
(『文字情報制御』開始。対象設定完了、対象情報『拳銃』認定。『削除』処理――失敗)
「――!?」
突然のI-ブレインの言葉に驚いて、思わず足を止めてしまう。
……何?あたし、今I-ブレインに命令を送ったッスかね?
けれど、特にこれと言って何も起こらなかった。それもそのはず。ティーレの魔法士能力は、一言で言って「何でも有り」なのだが、その何でも有りという特性こそが最大のネックとなって能力の顕現を阻害しているのだから。
ティーレのI-ブレインの特性は『文字情報制御能力』と呼ばれる。その能力は言葉通りのもので、対象の情報を何らかの言葉として捉え、それを操作することによって物理的にもその言葉通りの状態に強制的に変更してしまう、というふざけたものだ。
例えば、今ティーレが右手に持つ物体を『拳銃』として捉え、それを『壊れた拳銃』と書き換えると、実際に拳銃は壊れてしまう。その壊れ方はティーレのイメージに左右され、内部構造が狂って銃としての機能を果たせなくなるになる、という壊れ方もすれば、バラバラに分解される、という壊れ方もする。それは、能力を行使したときのティーレの気分次第で千差万別の結果を生み出す。あるいは、何かを何かに作り変える、という処理をするまでも無く、その存在をかき消してしまうことも可能だ。
けれど、勿論その能力にもいくつか制限がある。例えば『拳銃』を、全部書き換えて『剣』と全然違う物体にしたりすることは出来ない。それどころか『狙撃銃』と、種類は同じであるが形が著しく違う物体への作り変えも不可能だ。つまり、対象の大元の属性を大きく変更することは出来ない。けれど、『鉄製の拳銃』として捉え『銀製の拳銃』とすることならば可能だ。あるいは、『閉じている扉』を前に『開いている扉』として、扉の開閉の動作をさせることなく状態を変化させることも可能である。
とは言え情報制御と言うのは決して万能ではなく、常識で考えればこんな馬鹿げたことは出来ない。何故なら、仮令思考能力の無い物体であってもわずかには情報に対する耐性がある。そしてそれが、魔法士に対して『情報解体』が通じないことや、炎使いの熱量操作で魔法士の身体の熱量を操作することが出来ないことと同じ原理で、その処理を阻害する。何故なら、そのティーレの処理はあまりにも大掛かりな、それこそ対象の根本から覆してしまう処理なため、ほんのわずかな抵抗でも処理に失敗してしまう原因となるからだ。
けれど、無理矢理ながらもそれを行使させるための方法がある。
例えば、騎士が使う『自己領域』。これは、領域内の『物理法則』を書き換えてしまう。それは空間だけに収まらず、その空間内に存在する人間も同様だ。自分――というよりは『人間』が不利になる法則で自己領域を形成する騎士がいないため見落としがちだが、これは恐ろしい処理でもある。何故なら、自己領域に取り込まれたとき、その領域内の法則――本来の空間とは違う法則になる、という情報処理を、何の抵抗も無く受け入れてしまうのだから。
人間の身体が正常に機能しているのは今の物理法則に従っているからであって、それがおかしな形で崩れたら人間の身体は簡単に壊れてしまう。例えば『重力は互いの質量の積の一万倍に比例する』という物理法則が支配する空間を形成し、人間をそこに取り込んだらどうなるか。考えるまでも無く、抵抗の余地も無いままに、身体を構成する60兆にも及ぶ細胞が互いを潰し合う。そこには、『空間の法則を書き換える情報処理に抵抗する』という情報強度の入り込む余地は無い。本来の空間においては『重力は互いの積に比例し、距離の2乗に反比例する』というはずなのに、情報制御によって書き換えられることによって、それを享受する魔法士も抵抗の余地無くその処理を受け入れてしまうことで。
つまり、あらゆる物質が有する『情報強度』とは、『その空間が支配する常識に反する状態に引き込まれそうな情報処理に抵抗する強さ』であって、その空間においての常識にはむしろ従順に従う。だから、その空間においての常識が書き換わってしまうと、情報強度は働かなくなってしまう。
ティーレが能力を行使する際に絶対必要となる『情報強度突破』という処理は、まさにそこを突いた処理であり、『ティーレが行う処理こそがその空間における常識』であることをその空間に示すことによって、対象の情報強度を無効化してしまう、というものだ。
それは、ティーレと、ティーレの弟だけが有する特殊な処理であり、同時にティーレはそれを使わなければ能力を実際の役に立たせることができない。弟がそうであるように『情報強度突破』を無いままに能力を行使することも出来なくは無いのだが、前述したように、弟のように炎使いや人形使いが行うのと同レベルの処理を行うならまだしも、ティーレはあまりにも大掛かりな変化をもたらす処理しか出来ないため、仮令『情報強度突破』を使わずに能力を行使したところで、対象の情報強度に弾かれて何の影響も及ぼすことが出来ない。
また『情報強度突破』は、能力を発動させようとする箇所――外部デバイスを持たないティーレは主に手を使う――を中心に、ほんの数センチ程度の距離までしか届かせることが出来ないため、実質的にティーレが能力を使うには『対象に触れる』ことが必要になる、という欠点も抱えている。尤も、その対象の認識の仕方によっては、大きな対象の一部分を範囲内に収めていればその対象全体が変化の対象となるが。
それらを踏まえて考えると、ティーレが能力を行使するためにクリアしなければならない条件は、
1、能力だけでなく『情報強度突破』も行使すること
2、対象の大元の属性を犯さないこと
3、対象に触れること
の3つとなる。そして、先ほどのティーレには自覚の無い能力行使においては、2と3の条件はクリアしていた。けれど、能力は行使されなかったのだから、当然1の条件がクリアできていなかったことになる。
もしさっきの情報制御が何らかの弾みによる無意識な行為だったとしても、そんな失敗をした状態で能力を行使するようなことは無い。能力の行使に『情報制御突破』を行使するのは癖のように慣れてしまっているのだから。
……まさか、さっきのはあたしの意思じゃない?
おかしな推論が立つが、それでもティーレに言わせて見ればそれこそ納得のいく説明だった。ティーレの持つI-ブレインを、突然与えられた誰かが使おうとした場合、そのまま行使しようとして失敗してしまうことだろう。何しろ、『情報強度突破』などという処理は誰でも知っているものではないのだから。
では、誰の手によるものかとなると……
「君ッスね」
視線を向けた先にいた黒髪の少年が、なにやら不可解なものでも見るような視線をティーレに向けていることに気付くと、ティーレはそう呟きながら止めていた足で再度地を蹴った。
……どんな能力かは知らないッスけど、気付かれる前に――
「馬鹿!止まれ!」
思考の中にいたティーレは、その叫び声と同時に後ろから何者かに抱きすくめられる。その次の瞬間、いつの間にそこに移動していたのか、ティーレの進行方向に立ちはだかるイヤホンの子が放つ銃弾をジュールが受け止めていた。
「あ、ありがとう……って、あの子の相手はあんたじゃ無かったッスか?」
「知るかよ!お前が勝手に決めただけだろ。それに……あいつの方が俺より速い」
ジュールはそう悔しげに言いながら、舞衣に貸したロッドの代わりに拳銃を右手に携える。けれども、やはりジュールの主武装はロッドなのだろう。拳銃の扱いに慣れたティーレの目には、ジュールの拳銃を扱う動作が素人染みているようにしか映らなかった。
「速いって、あんたの30倍速よりも?そもそも、あのイヤホンの子の能力って何なんスか?」
「イヤホンの子……ってあいつのことか?区別には楽かもしれないが、もうちょっと他の表現は無かったのかよ」
ぎこちない動きで発砲するジュールと、慣れた手つきで発砲するティーレに圧され、イヤホンの子が退く。けん制目的丸出しのジュールはともかく、真面目に狙っているティーレの銃弾をも難なく避けてはいるが、流石に打ち返してくるような余裕は無いらしい。
「じゃあ銀髪の子で。ちなみにもう一人は茶瞳の子ッスよ」
「何で髪と目なんだよ!?色が違うんだから髪で統一しろよ!」
「黒髪ッスか?それだと有りがちに成りがちッスよ?」
「有りがちでも成りがちでも某でも構うか!有りがちOK有りがち万歳!」
「そうッスか。それじゃあ銀髪と黒髪で……って何暢気なこと言ってるんスか!?今の状況を分かってるんッスか?」
「人のせいにするなよ!お前だって乗ってきただろうが!」
「あんたが素直に教えれば良かっただけの話じゃないッスか!ってそんなことよりも、結局あのイヤホンの子と黒髪の子の能力って――」
結局また『銀髪の子』から『イヤホンの子』に戻ってるじゃねえかしかも聞く対象が銀髪一人だけから銀髪と黒髪の二人に増えてるじゃねえか!
と叫ぶ余裕があるはずもないまま、ティーレの銃が弾切れになった瞬間にイヤホンの子の反撃が始まり、ティーレとジュールは別々の方に散って銃弾を回避する。その別々に散った二人の内、ティーレを追いかけるように銃弾の嵐が走る。
「相手変更ッスか!上等ッスよ!」
I-ブレインが不調を来たすような相手よりはマシ、と前向きなのか後ろ向きなのか良く分からない意気込みを込めて拳銃をイヤホンの子に向ける。ジュールの話では30倍速のジュールよりも多少速い移動能力を持っているということだったから拳銃程度で仕留められるとは思えないけれど、相手の獲物も銃である以上、いずれ弾切れを起こし肉弾戦へと移行する可能性もある。そうなった場合、ティーレが圧倒的に有利だ。
……要は相手の銃撃を避けながら、こっちも応戦することで無駄弾を撃たせれば良い訳ッスね。
大雑把に戦略を練り、早速一発放つ。あまりにもけん制の意味が強すぎたためか、相手は通常速度のままで回避してみせる。I-ブレインの予測を使えばそれほど驚くに値しないことだ。同じように、ティーレもイヤホンの子の銃撃を回避する。先ほどは気付いていなかったため不意の一撃をくらいかけたけれど、I-ブレインの解析と余程の集中力を生かしていれば30倍に多少勝つぐらいの速度も反応できなくは無い――
「気を付けろ!そいつの能力は――」
と思ったが、見事に見失った。いや、I-ブレインは相手が高速で動いていると解析しているのだが、ティーレの目には何も映らない。確かにいるはずなのに見えず――
(攻撃感知、回避――)
いつの間にか後ろに回っていたイヤホンの子が放つ銃弾を回避……かと思ったら、銃弾は来なかった。代わりにとでも言うか、その子の口が開いて――
「La……」
(――不能、防御不能)
「――音だ!!」
ジュールの声が届ききった頃には、ティーレの身体は地面に向かって倒れこんでいた。
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