過去よりも尊く、夢よりも儚く
〜二人〜
「また来たのか?」
誰にも来ない場所、と自分の中では銘打って秘密基地と認定した場所に、しかし二度も他者の訪問があったのは子ども心にショックだった。よく考えてみると、ここのことを知っている人物なのだから何かの折に来ることになってもそうおかしなことではないのだが、やはりジュールはそこまで頭を働かせることは無かった。
「ああ、ジュールナールか。また邪魔をさせてもらうぞ」
反射的に出かけた「嫌だ」の台詞が出なかったのは、そいつを前に感情をむき出しにすると非常に子どもじみて捉えられると思ったためだ。いつも過保護な姉に子どもどころか下手すれば赤子扱いすらされるので、せめてこういった場ぐらいは大人の対応を取りたかった。
「……好きにしろよ。だが、何でこんなところに侵入して来るんだ?この辺りは魔法士が押し込まれているだけで、研究資料とかデータとかは保管されて無いぞ?」
「だからこそここに来るんだ。友達と会うためにな」
友達、と聞いて、それがどういう関係なのかがイマイチ分からなかったが、それでも伊達や酔狂でこんな危険なところに入り込んだりするような者はいないだろうことは分かったので、諌めの言葉は控えた。
「好きにしろよ。けどな、気をつけた方が良い。もしかしたら、お前のことはばれてる可能性があるからな」
それは、別にそいつに警告しようと言うお節介の感情が故出た言葉ではなく、単に社交辞令のようなものだったが、内容そのものは単なる思い付きや嘘と言うわけではない。薄いながらも根拠があってこその言葉だ。
「……それは本当か?」
「確信は無いがな。前にお前と会ったのと同じ時期に少し警備体制に変化があった、という話を聞いた。世界で72番目ぐらいには信頼に足る話だろ」
「聞いた?誰にだ?」
「そんなもん誰にだっていいだろ。けど、そういうわけだ」
まさか素直に「姉に聞きました」とは言えない。そんな意見では根拠は薄いだろうという懸念とよりは、まだ姉の世話になっているのか、と思われるのはあまり面白いことではないという理由からだが。けれど、そもそもそいつは自分の姉のことを知らないのだから、名前を挙げようと挙げなかろうと同じことだ。
「そうか、忠告は受ける。が、それはおそらく間違いだろう。私が入手した情報では警備体制等には何の変化も無い」
どこからそんな自信が来るのか不審に思わなくも無かったが、現にここまで来れているということは余程優れた情報収集能力を持っているのだろうと判断できるので、何も言わなかった。
実際、そいつの能力は決して低くなかった。けれど、ジュールとそいつが会ったときには既にそいつの動きは軍部に筒抜けで、背後関係を押さえるために泳がされていた、という事実が分かったのはずっと後になってからのことだ。
警告の声が一瞬遅れたのは分かった。馬鹿な話なんかせずにすぐにあいつの能力を伝えておけば間に合ったのだろうけど、そのときには実はまだ『悠盟の流』で解析中だったため分からなかっただけのことだ。しかし、
……分かったからと言って、防げるものでもないから結果は変わらんか。特にティーレでは。
というのも事実だった。
あの銀髪の少年の能力は、ティーレに警告したとおり『音』だった。正確には『振動』なのかもしれないけれど、それはどちらでも同じなのだから、その辺りは区別する人によって違うだけのこと。
とにかく、銀髪は音に属した魔法を使用する。例えば、自分の身体を音に変換する処理を行うことで時速1100km(通常の35倍程度)の速度を発揮し、しかも物理的には存在しない――つまり現実の視覚には映らずに移動することが出来る。ちなみに、ジュールの『昂徹の魁』は、通常の30倍の加速を得ることが出来る。それは、ジュールの最高速度が時速30キロだとするとおよそ時速900km程度の速度を得ることが出来る、ということになるので、銀髪の移動速度よりも劣っている。
また、先ほどティーレを倒した一撃は『共鳴』と呼ばれる現象によって、身体に強い衝撃を発生させたものだ。
音叉、という道具がある。楽器の調律で使用される道具で、楽器の音を鳴らしたとき、その音叉が発する音と全く同じ高さの音が奏でられた場合のみ、共振して音を奏でるというものだ。その原理は、どのような物質でも必ず有している固有の振動が他のものから発せられた場合、自身も音を発する、というところにある。それは非常に強い衝撃となって発生させることも可能で、例えば強化ガラスなどもこの共鳴現象で割ることすら可能としている。
また、人間の身体は基本的に、強固に『守られている』。その筆頭は骨であり、身近なところでは皮膚であったりする。けれど、人間の身体がそれなりに丈夫なのはそういった守ってくれるものがあってこそであって、それが無ければ非常に脆い存在である。例えば、ボクシング等では顎に一撃を加えることができると、その衝撃が脳を揺さぶり、数発同じ箇所を殴るだけで倒すことが可能となったりする。それは、拳そのものは骨で止められるもの、衝撃が頭部に走り、それが脳を揺さぶるためだ。
つまり、この共鳴現象によって身体全体が揺さぶられると、身体が備える守りが役に立たず、重要な器官が直接攻撃を受けてしまうことになる。また、攻撃が『音』によって引き起こされるという性質上、防ぐことも困難である。しかし――
……自分の身体を音に変換……なんて出来るものなのか?
という点がどうしても理解できない。
魔法士が行う情報制御は、どんなものであってもその能力を行使しようとする対象がもつ情報強度に阻害される。それは、騎士が有する、自身の身体能力を操作する『身体能力制御』もそうだ。I-ブレインの性能的な限界もあるが、それだけでなく身体が持つ普通の状態を守ろうとする処置が働くことによって、その能力の限界値はI-ブレインの性能だけで算出される限界値よりも低くなる。もっと分かり易い例は竜使いの『身体構造改変』で、後付された黒の水よりも、本来の肉体部分として使用していた黒の水の方が強固である、というものがある。本来の肉体部分の方が他者による情報解体の類の攻撃を受けにくく、また竜使い自身も制御もしにくい、というものだ。
つまり、仮令情報制御の対象が『自分自身に向けられている』であったとしても、抵抗無くどこまでも制御できるということは無い。例えば自分自身に『情報解体』を行ったとしても、他者に行うのと同じで情報強度による抵抗が能力を阻害する。
その点を考えると、『自身を音に変換する』などという制御が成功するとは、とてもではないけれど考えられない。身体そのものの存在を全て書き換えるなど不可能だ。
……いや、まさかとは思うが……コイツは……
戦闘中ということもあって、『悠盟の流』による把握も完全なところまで行えていない。そのため銀髪の能力も完全に把握できているわけでもないし、何より――
(展開:『昂徹の魁』→『境戒の筺』、対称面:1面)
突然、進行方向に『境戒の筺』が形成されて進行の邪魔をするが、その面が何かの攻撃を防いだりすることは無い。単に邪魔なだけだ。当然、そんなものを自分で形成するほどジュールは馬鹿ではない。
……あいつか……。
先ほどからずっと困惑するような表情を見せ続けている黒髪を憎々しげに見やる。相対したかと思った瞬間から、何故か魔法士能力が上手く使えなくなってしまい……というより、明らかに自分の能力に自分が邪魔をされ始めている。何がどうなっているのかを調べようにも、思うように『悠盟の流』が起動しないためそれもままならない。
けれど、ここまでされて黒髪の少年がどういう能力を持っているのか気付かないほどジュールは鈍くない。つまり、
……信じられない話だが……俺の魔法士能力を制御してやがる。
ということだ。それが具体的にどういうところまで出来るのかは分からないが、とりあえず現状が非常にヤバイ状態であることは確かだ。
「面倒な……」
愚痴をはきつつ、黒髪のいる前方とは違う向に向けて銃を放つ――倒れこんだティーレの前に立つ銀髪は、再度自身を音に変換することによってその一撃を回避する。その移動先は――
……右!
I-ブレインのものではないジュール自前の予想で、自分の右側、その少し低い位置を目掛けて発砲し――I-ブレインが正常に機能しないジュールにとっては突如としか形容出来ないタイミングで出現した銀髪の左足を打ち抜く。
……思った通りか。あいつの高速移動は……
欠点が多い。油断できない状況のため無理矢理思考を切ったが、ジュールの確信はその答えへとたどり着いていた。
自身を音へと変換して移動する能力は、『音となって自由に動き回る』というものではなく、『指定した一点まで自身を音に変換して移動する』というものだ。つまりその能力は、予め到着点が定められ、『現在の自分の位置』と『到着予定位置』をどういうルートで結ぶのか、というルート設定することによって実行される。そのため、移動中の意識的な行動が不可能なように出来ている。
それもそのはずで、そもそも自身を音に変換するということは思考するための脳も物理的な存在から乖離されてしまうということで、当然機能しなくなってしまう。むしろ到着点を指定せずに下手に能力を発動すると、物理的な存在を取り戻すことが出来なくなりかねない。
しかも、移動中は思考することが出来ないため、到着と同時に何をするか、ということを予め決めておかないと移動終了後の状況に一瞬反応が遅れてしまうことにもなる。それどころか、到着後に音から物理的存在に戻るためにほんのわずかな時間を要する――尤も、その間は視覚出来ないためI-ブレインの解析能力に頼るしかなく、I-ブレインが正常に働かない今のジュールでは突くことができないが――。それに、高速で移動するといってもたかだか通常の35倍程度。騎士が50倍の速度で追いつき、視認出来ないながらも存在する箇所目掛けて『情報解体』を発動させれば、物理的な存在を失っている銀髪はあっさりと分解させられてしまうことだろう。
……いや、わざわざ音になってるところを突かなくても、俺の予感が正しければあいつは――
(展開:『境戒の筺』→『
冥諦の宴――めいていのうたげ――』――)
思考を途中で放棄する。自分のI-ブレインに走った命令を考えれば当然の反応だが、
「――ちょっと待て!それは洒落になら――」
(稼働率不足。展開失敗)
不幸中の幸いながら、展開に失敗する。よくよく考えてみればレベル2で使える能力ではないのだから当然のことだった。それが、『不幸中の幸い』の内の『幸い』の箇所。
そして、そのことに気を取られている内に、いつの間にか起き上がっていた銀髪が小銃をこちらに構えている、というのが『不幸』の箇所で――
……っつーか不幸も何も、撃たれりゃ死ぬだろ――
発砲された弾丸は、前に立ちはだかった人影が全て受け止めた。見てみると、いつも左肩に引っ掛けたままで一度たりとも袖を通したところを見せていないジャケットで、だ。
「……無事だったのか?」
「んな訳ないッスよ!」
言いながら、その人物――ティーレは反撃のために拳銃を手に取り、銀髪に向けて発砲した。
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