砂上の奇跡 〜大きな流れの中で〜
それは、自分以外の何かが自分の内側に入ってくるような、錬にとって馴染みの深い感覚だった。
ただ、嫌な感じはしないものの、普段感じているような心地よさは無かった。
錬がそんなことを考えている間に、戦場は一気に静まり返っていた。高速で動いていた騎士はその加速を剥ぎ取られ、炎使いが操っていた氷槍は動きを止められ、銃を構えていた少女は銃を構えていた腕を下ろして戦闘体勢を解除していた。
「これは……」
……同調能力?
この世で一人しか有しているはずが無い絶対的な能力の名前を思いつき、しかし、錬は即座にその可能性を否定した。
何故なら、同調能力とは違い、違和感は身体全体ではなくI-ブレインだけに感じられたからだ。
「久しいな、『銀槍』、『魔法士使い』」
その声は、いち早く戦闘行為を収め希美と昂の方を向いた騎士だった。
「やっぱりあんたか。……もう来ないものかと安心していたんだがな」
答えたのは、槍を油断無く構えたままの昂だった。
「その認識は大筋では間違ってはいない。だが、まだそこまでは至っていないだけだ」
「……どういう意味?」
「もうすぐ、君の考えている通りになるっていうことよ」
怪訝そうに問い返す昂。その声に答えたのは、銃をホルスターに収めて戦闘意思がないことを示しながらこちらに歩み寄ってきていた少女だった。
すっかり取り残される形となった錬は、しかし、ある程度の事情を察した上で沈黙を保った。
……多分この二人が、昂と希美が言ってた、日本を出る原因になった襲撃者。
「今回は少し話があって来た。報告と警告が一つずつだが、互いのためになる話だ。信じる信じないはともかく、聞く価値はある。……聞く気はあるか?」
騎士の言葉に、昂は黙ったまま希美と視線を合わせる。おそらく、答えに迷ったのだろう。何しろ、今まで襲撃してきて、こちらから調べようとしたところで何でも屋の一人を再起不能なまでに叩きのめしたような連中の言うことだ。どれだけ慎重になっても慎重過ぎることはないだろう。
「参ったね」
昂と希美が答えに迷っていると、そんな声が聞こえてきた。錬が声のした方を向いてみると、炎使いの少年と視線が合った。彼はこの状況に特に動揺した様子も無く、遊び疲れた少年のように屋根の上に胡坐をかいてふてぶてしく座っていた。
「話には聞いていたけど、まさか本当にこんな能力があるとは思わなかったよ。『魔法士使い』ねぇ……。本当、言い得て妙だね。そうは思わない?」
独白なのか同意を求めたのかはわからなかったが、少なくとも最後の部分だけは疑問系だったので、取り敢えず錬も返事を返してみる。
「僕には何が何だか分からないことだらけだよ。君の能力も、昂の能力も、希美の能力も、あの銃を持った女の人の能力も、あの時突然起こったゴーストハックが何だったのかも、色々とね。だから、今日は分からないことだらけで何も答えられるものなんて無いよ」
つい愚痴っぽくなってしまった錬の言葉に、炎使いの少年は無表情の笑みではない笑みを浮かべて、錬に言った。
「ぼくにも分からないことは多いから全部には答えられないけど、そのうちの一つだけは答えを教えてあげるよ。君を吹き飛ばしたゴーストハックだけど、あれはそこの騎士……ううん。『全統士』がやったことだよ」
「……え?」
理解不能な少年の言葉に錬は問い返そうとしたが、それよりも早く、炎使いの少年の方から意識を外した他の面々が別の話を始めた。
「……話だけなら聞くよ。ただし、総てを信じるとは言わない」
昂はそう言いながらも、手にした槍の矛先を相手から外すことは無かった。だが、相手としてもそんなことは些事なのか、気にした様子もなく言葉を紡いできた。
「ではまず、結論から言おう。後数週間より以後、俺達は今後一切君達に手出しをしない」
いきなりの確信に、昂が何とも言えない表情を見せる。鵜呑みにするには迂闊すぎるが、相手の意図を読むことが出来ない、といったところだろう。
「その理由は、俺達がシティ神戸の軍の一員だからだ」
「とは言え、俺達が神戸軍の一員だということは君も薄々察していただろう?そして、今やシティ神戸は無くなり君達を追う俺達の活動も消滅寸前だ」
「……それを信じろと?それ以前に神戸軍が消滅しようとも、その研究を受け継いだ組織の存在や、あるいは別の組織に転身する者がいないと言い切れるのか?」
そう言う昂の声は疑問や批難といったものではなく、むしろ不安の表れの様な色がこもっていた。
「それは言い切れない。そして、それこそが警告だ。君達は今俺達とは違う組織からも狙われている。そしてその組織は、今まで俺達がしていたような、生死に関わらない類のものではない襲撃をしてくるだろう。……だが、俺達は君達を守るために戦うこともやぶさかではないと考えている」
奇妙な申し出に昂はさらに困惑を深めた。無下に断るにしては騎士の話は大きかった。もしそれらが総て本当であった場合、話を蹴るのはあまりにも惜しい。
しかし、だからこそ、嘘である可能性が高く感じられる。また、嘘であった場合の代償も決して軽くは無い。
リスクとリターン。それらを天秤にかけ、昂は一つの結論を弾き出した。
「……僕達の行く手を遮らないで欲しい。それで十分だ」
言うと、あたかもその答えを予想していたかのようにあっさりと騎士は承諾の意を表した。
「分かった。しかし気をつけろ。君達がここにいるということを知る者は多くいる。例えば、そこの少年のようにな」
そして視線を、昂と騎士の話を無表情の笑顔で聞いていた炎使いへと向けた。
「何者かは知らないが狙いは明らかだな。……言え、お前達は何者だ?」
本来ならば昂がして然るべき質問は騎士によって発せられたが、しかし誰もそのことには疑問を挟まず、炎使いの少年の答えを待った。
「待ってました……かな?ようやく意識をぼくに向けてくれたね。もしかしたら問答無用で殺されるんじゃないかと心配になっちゃったよ。
……で、何だっけ?ああ、そうそう。ぼく達の正体だけど、格安の金額で雇われただけのしがない傭兵の集まりだよ。依頼内容は『魔法士二人を生かして捕らえる』ってもの」
あっけらかん、という表現が似合う、むしろそれ以外の表現方法が思いつかないような物言いだった。錬を含め、炎使いの少年以外の全員に不審の色が灯る。
「やけにあっさりと話すんだな。傭兵ってのはプライドが無い奴らの集まりなのか?」
厳しい批判の言葉は昂のものだ。真意の分からない少年の言葉に対し、挑発して真意を窺おうという心積もりなのだろう。
「別にそんなつもりは無いよ?ただ依頼には『普通ではない騎士能力を持つ騎士と拳銃にてサポートする女が現れたら一つ残らず吐け』って内容も有るから、それを実行しているだけだよ。むしろ、命の危険を晒してまでここに残って契約を守る仕事への義理堅さを褒めてよね」
咎めるような言葉だが、子どもが拗ねただけのように深刻さが含まれない咎めの響きだった。
……普通ではない騎士能力と、拳銃でサポートする女の人って、もしかしてこの人達?
錬は奇妙な成り行きに囚われ始めた流れに、敢えて一歩引いて静観に努めることにした。
「成るほど。けど、今君が話していること総てが嘘であったならば成り立たない話だが、根拠はあるのか?」
慎重にいくよりも、ずばりと確信を突いていくことを選んだ昂がはっきりと問いかける。
「有るよ。って、ぼくからしてみたら全然根拠足りえない根拠なんだけど、『少なくとも当事者二人にとっては十分根拠足りえるから』って言われてるから、多分大丈夫なんじゃない?」
奇妙な物言いだった。そもそも『当事者二人』というのが昂と希美のことを表すのか、それとも騎士と女の人のことを表すのかも分からない。
「……言ってみろ」
それについては錬と同意見なのか、昂が先を促す。
「って言っても、ぼくには何が根拠のあることか分からないんだけど……。
取り敢えず、依頼内容は言ったよね?で、今回襲撃に参加したのはぼくを含めて20人程度で、雇われた人数も全体で2,30人ぐらいだったと思うよ。あ、ちなみに依頼人は、ファイっていう初老の研究者。必要なら魔法士が使う外部デバイスとかも格安で売ってくれるって言ってたけど、そもそも契約金が前金……」
そこまで言ったところで、炎使いの少年は騎士に胸倉を掴まれて地から足が離れた状態になっていた。こうしてみると、騎士の少年の身長は170台半ばぐらいで、炎使いの少年より15,6センチメートルほど大きいことが分かった。
「今何と言った?もう一度言え」
そう言う騎士の表情には、どこか焦りの様なものが含まれており、完全に当事者である昂を放り出してしまっていることにも気付かない様子だった。
「今言ったことって言われても、結構多くのことを言ったんだけど……。何を聞きたいの?」
「名前だ」
言いつつ、騎士は炎使いの少年を前後に揺らす。相手が体格的に小柄とは言え楽にできることではない。よほど力が入っていることが窺える。
「名前?ぼくの名前なら蘇我
晶(あきら)って言うけど?」
「違う。お前の名前じゃない。依頼人の名前だ」
ひょんなことから炎使いの少年の名前を知ることになったが、その時に錬が思ったことは、やっぱりまた性別を判断する材料にはならなかったな、ということだけだった。
「依頼人?それならファイって言ってたよ?契約書に書かれていた名前を見た限り綴りは無くて、変な記号で……」
晶はさらに説明を続けようとしたが騎士はそれ以上聞こうとせずに晶の胸倉を離し、昂へと向き直った。
「どうやら、状況はあまり良くないらしい」
突然そんなことを言われても、錬はおろか昂にだって何が何だか分からない。問いかけて理解を深めればいいのだろうが、分からないことが多すぎて何を聞けばいいのかすら分からないほどだ。
「そうは言われても、僕には何が何なのか分からないよ。説明してくれないか?どうして君がそんなことを断言できるんだ?」
「それは――」
昂の問いかけに、騎士が何かを言い返しそうになった瞬間、その場にいた全員が一斉に空を仰ぎ見た。
正確には、西の空よりこちらに向かってくる、飛行艦隊の姿を視界に納めていた。
「あれは……」
「ファイ!」
騎士の少年の叫び声をかき消すように、10キロ以上離れたところから荷電粒子砲が打ち込まれ、地面が爆砕した。
「あれは君の仲間じゃないの?」
「傭兵での『仲間』って言葉がどれだけ限定的かつ短命か知ってる?後、ぼくが『元』仲間だったってことに期待するのも楽観主義が過ぎると思うってことも予め言っておくよ」
攻撃の瞬間、それぞれが回避のために散った中で、錬は偶然同じ方向に退いた晶と共に戦線を離脱していた。
「それにしたところで、ここで襲撃することを決めた段階では仲間だったんでしょ?どうしてこんな問答無用に……」
「いや、こんなシナリオは予定されていなかったし、多分、ぼく達には秘密だったけどぼく達が求められていた役割そのものがこれだったんじゃないかな?結局あの騎士と女の人に邪魔されちゃったけど、ぼくが命をかけて君達と敵対したら、護衛だけにでもそれなりに怪我を負わせて逃げる足を遅くすることは出来ていたはずだからね。というより、実はぼくの仕事は護衛に傷を負わせるってだけだったんだよ。君に邪魔されちゃったけどね。もしかすると、彼らにとっては、ぼく達が生きているということ自体計算に入ってないんじゃないかな?それにいくらなんでもぼく、いや、魔法士が『魔法士使い』に勝てるはずが無いんだから、むしろこれこそが唯一の勝つ手段だって言われたら納得も出来るし」
妙に饒舌なのは、錬と同じく重傷一歩手前の手負いの中逃げるのに必死でいるためだろう。だが近くに焦ってくれる人がいると自分は逆に落ち着くもので、錬は奇妙なまでに冷静な頭で、今の晶の台詞の中で気になる点を問いかけた。
「あの騎士も言っていたけど、結局その『魔法士使い』ってのは何なの?」
その問いに、晶は何とも言いがたい、強いて言うならば不思議そうな顔を見せた。何か変なことを言ったかな、と錬は自分の問いを反芻してみるが、特におかしなことを聞いたわけでもおかしな聞き方をしたわけでもないと思い直す。
と、その錬の問いをどう思ったのか、晶は逆に問いかけてきた。
「君はそんなことも知らないであの二人の護衛をしていたの?まあ、ぼくも最近聞くまで知らなかったし、神戸軍が最高機密にしていたから知名度も極端に低かったけど……」
晶の言葉の後半の自分に言い聞かせるようなつぶやきに、錬は何だか、自分が非常に大切なピースに気付かないままジグソーパズルを組み立てる一員にされてしまったかのような感覚を覚えた。
いや、むしろ自分自身がそうとは気付かずにパズルのピースにされてしまったかのような感覚すら覚えた。
「まあその辺りはいいや。けど、見たところ君も東洋の、それもぼくと同じ日本人だよね?それなら、アジア地域における都市伝説の類の噂話ぐらいは聞いたことが無い?」
『都市』=『シティ』≒『国』という公式が成り立つこの時代においては、『都市伝説』という言葉は既に死語だ。錬が分からない顔をしたことに晶は数秒間だけ考えて、例を出して言う。
「根も葉もないけど、妙に真実味を帯びていて捨て置くことが出来ない噂話とか聞かない?ほら、有名なのでは『賢人会議』とかさ。知らない?」
さらに知らない単語が出てきて、錬は迷わず首を振る。晶は「困ったな」と苦笑を浮かべたまま呟き、背後から繰り返される砲撃――錬達の方へは威嚇程度のものしか撃ってこないが――を避けながら言う。
「状況が状況だから簡単に言うけど、三年ほど前から一年ほど前まで、アジアを中心にちょっと話題になった何でも屋がいたんだ。とは言っても、東洋人で最も有名な『悪魔使い』とかと比べるとそれこそ無名にも等しいんだけどね」
期せずして出てきた自分の名前に、錬は自己紹介ぐらいした方がいいかなと思ったが、晶の言葉を止める気になれなかったので何も言わなかった。
「まあそれはともかく、その何でも屋に会った人達はそろって『奴らは魔法士の天敵だ』って感じの言葉を口にしたらしいんだ」
「『魔法士の天敵』?ノイズメイカーでも持ち歩いていたの?」
「う〜ん。『異能ならざる双子』とか、実際に魔法士じゃない人は移動用の乗り物とかに積んでその戦法を取っているらしいけど、そういうのじゃないんだ。何て言うか……ほら、魔法士は魔法を使えなくなっても普通の人間と敵対する上では互角、それどころか身体の鍛え方次第では魔法が使えなくなったからってどっちが勝っても不思議じゃないよね?」
問われ、錬は頷く。姉に鍛えられ兄に身体の使い方を叩き込まれた錬は、肉弾戦でも毎日鍛えている軍人にすら劣らないほど強いからだ。
「そういったどっちが勝っても不思議じゃないっていう、言わば『互角で戦える』って言う意味での天敵じゃないんだ。それどころか火と水の様に勝敗が決まっているようでいて、けど圧倒的に火の方が多かったとか場合によっては勝敗がひっくり返るような『圧倒的に有利』って言う意味での天敵でもないんだ」
では何なんだろうか、と錬は考えてみる。魔法士対ノイズメイカーを用いた一般人でもなく、人形使い対騎士の様なものでもない天敵。
「う〜ん……。こういった『勝敗が決定されている』って形での天敵って例えられるものが中々無いね。……こんな例でちゃんと伝わるのか不安だけど、ほら、光と闇。あれって、絶対に光が勝つよね?」
勝つも何も、闇は、光があるからこそようやく存在できる、否、むしろ光が無いからこそ存在できるものだ。遠過ぎたり弱過ぎたりして光が目標に届かないことがあっても、それは光の方に問題があるだけで、闇が何かしらの手立てを打った結果起こることではない。つまり、ある意味において闇は光に対して『何も出来ない』存在だ。
「あれみたいなものだよ。その何でも屋と敵対した魔法士は、例えば世界最強の騎士であっても、直径十キロを情報面から分解できるような能力者であっても『勝つ』という未来が存在し得なくなるって言われているんだ」
直径十キロを分解できる能力者。それだけで随分規格外の化け物じみて思えるのだが、それでも勝てないような能力。
一体、それはどんなに馬鹿げた能力なのだろうかと錬は想像してみるが、もちろんそんなものがすぐに思い浮かぶはずも無かった。
「けど、だからと言ってその『魔法士の天敵』がとんでもない能力を持っているかというと、実はそうでもないんだ。むしろ、その能力は普段においては非魔法士と同等だよ」
ますます訳が分からなくなる。それでどうして、世界最強の騎士すら勝つ可能性が0になる、という状況を作り出すのだろうか?
その錬の疑問は、畏怖や羨望のような、ある種の激情が込められた晶の言葉によって答えられた。
「暫定的につけられたその能力の名前は、『情報制御制御能力』。つまり――
他者のI-ブレインが行う情報制御を制御する能力」
「まさか、一個師団にも匹敵するような戦力が向けられるなんてな」
「シティ神戸は無くなったはずなのに、どうしてあんな戦力が?」
昂が希美を抱きかかえた状態で、二人は錬とは逆の方向へと走っていた。もちろん、逃げる当てなどあるはずがない。あったとしても、そんなところを目指す余裕はないだろ。今や、なりふり構わずに逃げざるを得ない状況にいた。
「おそらく予想通りだろう。常識で考えても、総司令が反対していた中でここまで戦力を集められるなんてありえない。だからと言って他のシティの軍がこんなに派手に動くこともありえない」
「……あの人は、まだ後姿ばかり追いかけているんだね」
何かを思い出すように、それでいて、その何かを忘れたいと思っているかのように希美は呟いた。
「……そうだな。けどあの騎士の話から類推するに、もう組織も維持できなくなるんだろうから、もう少しの辛抱だ。そうすれば、僕達も追われることが無くなる」
「けど、それであの人がいなくなるわけじゃないよ。あの人は、どんなことがあっても戦い続けるよ」
それこそ、戦う相手が誰なのかを見失っても、戦う相手がいなくなってしまったとしても……。
その言葉は発せられなかったが、希美の気持ちが分かったので昂は黙る。そんなことは言われなくとも身に染みて分かっているのだが、つい口にしてしまう希美の気持ちも分かったからだ。
「ねえ、昂……」
「何?」
情報制御によって、昂は希美も含めて二人ともを15倍の加速で包み、かつ自分たちの周囲の空間における時間の流れを通常の百分の一にした中で、希美の声に応じる。
「やっぱりボク達は……」
「希美」
何かを続けようとした希美を、昂が反射的に遮った。そこから先の言葉は、軽々しく言わせるわけにはいかないから。
そのまま、しばらくの間二人とも一言も話さなかった。いくら相手が航空機を持ち出そうとも、客観的に見て通常の1500倍の加速を得ている昂の走る速度は希美を抱えていようとも時速2万キロを超えており、その姿を捉えることは困難を極める。その能力を使えば、街中に逃げ込む姿を相手が捉え続けることは不可能だ。
しかし、だからといって安心が出来るものでもない。肉眼ですら10を超える飛行艦隊の姿を捉えることが出来るし、何よりその執念は長年の間に嫌というほど思い知らされてきたのだから。
取り敢えず、手頃な廃屋の中に入り身を潜める。どうやら相手は徹底的に探すことを決めたらしく、半数近くの航空機を地上に下ろし、そこから何十、何百人もの銃器を片手に武装した集団が姿を現した。
「……全員、魔法士じゃない。一般人だよ」
「希美狙いは明らかか……。せめて錬が一緒にいてくれたら千人はさばけるのに」
悔しそうに昂が言う。昂の魔法士としての能力の高さも非凡ではあるが、やはりどれだけ強力な魔法が使えようとも、それを使うのが人間である以上、体力が続かなければ最終的な成果にはつながることは無い。
「せめて、少しでも魔法士がいてくれたら……」
普通の魔法士としての能力が使えない希美は、悔しさと無力感に唇を噛み締めた。だが不幸中の幸いとでも言うべきか、相手が一般人であるならば、巻き込んでしまった錬にとってはさほど脅威というわけではないだろう。
「錬さん、無事かな?」
「……分からない。無事だとは思うけど、こんなことに巻き込んでしまうなんて……。やっぱりヴィドさんだけでなく、錬にも総てを話すべきだったのかもな」
「けど、最初の時点では信用できるか分からなかったんだからどうしようもないよ。それに、ヴィドさんの話を聞く限りでは止められる可能性もありそうだし……。だから、言うことなんてできないよ」
希美の言葉に、反論が思い浮かばずに昂は黙り込んだ。
「……辛いね。追いかけても届かない背中を追い続けるのは」
その希美の言葉は昂に宛てたものではなく、受け取り手がいないまま、空気に溶けて消えた。
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