砂上の奇跡 〜不倶戴天〜
「I-ブレインの反応があるから来ては見たが、どうやら当てが外れたみたいだな」
そう言って、言葉の内容とは裏腹に面白そうに笑みを浮かべる初老の男を視界に納め、錬は鞘が無いため地面に突き立てていた騎士剣を手に取り、油断なく身構えた。
その初老の男の傍らには、傍から見ても意識を失っていることが分かる怜治と、その怜治を抱える静華の姿があった。
「さっきファイって言ったけど、それってもしかして……」
錬がすぐ傍に立つ晶に、相手には聞こえない程度の小声で問いかける。
「うん。あの男がぼくを雇い主にて……昂と希美を生み出した研究者、かな?」
晶も錬と同じように小声で答える。相変わらず無表情な笑顔が張り付いてはいたが、押し込めきれない強い負の感情が錬には見て取れた。
……この人が……。
錬はその事実に驚きつつ、思わず値踏みするような視線で見てしまう。
痩せぎす、とまではいかないものの、健康的とは言い難い体つき。安そうな銀縁の眼鏡の奥からのぞく、常に何かを追い求めているような切れ長の瞳。さらに、これは彼なりのジョークのつもりなのか、こんな極寒かつ戦闘下においてまで羽織っている白衣が否応無く『研究者』というイメージの最終的な印象付けをしている。ファイという名前から白人を想像していたのだが、外見はどう見たところで東洋人のそれだった。
だが、相手がそんななりをしていても、錬は決して相手を戦闘の相手として軽くは見なかった。
彼の足元に倒れ付している怜治。彼を直接倒したのがファイであるという保障は無いのだが、少なくとも怜治を抱える静華が一切抵抗の意思を見せないところから判断するに、その可能性は低くないとみて問題ないだろう。
「何しに来たの……って聞くのは野暮だよね。あの二人を探してどうするつもり?連れて帰るの?それとも……殺すの?」
晶がファイに向けて一歩踏み出しながら問いかける。
「君は……そうか。こんな奇遇なこともあるものだな。いや、目的を考えればむしろ当然のことか?……まあ、どうでもいいことか」
だが問いかけられた当人はすぐには答えることはなく、一人で何かを納得しているようなそぶりを見せてからようやく晶に言った。
「まさか、雇ったコマの中にいたとはな。思ったほど役には立たなかったが、まあ足止め程度にはなってくれたな。生き残ったのなら契約通り、残りの金は振り込んでおいてやろう」
到底好意的とは言い難い口調でファイが言い募る。
錬も何でも屋としての生活が長いので何度か経験したことがあるのだが、金で雇われて何でもする何でも屋は、一般人、時には依頼主からさえも負の感情で見られることが多い。錬は依頼内容を選別しているのだが、同業者の中には金のためならどんな汚い仕事でもするという者が少なくないので、そういった感情を抱かれやすくなっているためだ。
だが錬には、ファイのその非好意的な口調には相手を見下すような感じとは違う、もっと根深く、どこか極端な嫌悪感じみた感情があるように見えた。
だが錬がそのことに対する解を見出すよりも早く、晶は動いていた。
「いいや、今更お金なんか要らないよ。そんなものより……
あんたの首をもらう!」
(『カプリッチオ』発動)
発動準備もしないまま、予備動作も十分に演算をする時間も無くただ感情に任せて、言葉と共に周囲に百近い氷弾を生み出し一斉にファイ向けて放つ。一応気を遣っているのだろう、怜治と静華に向けての軌道を持つ氷弾は無かった。突然の攻撃に走った晶に怪訝な気持ちを抱きながらも、錬は素早く晶との連携を成り立たせるために騎士剣片手に相手に駆け込む。既に錬のI-ブレインは『ラグランジュ』と『ラプラス』が常駐しており、ファイの傍らにいる怜治と静華を救い出すように動き始めている。だが……
「駄目!二人とも逃げて!」
氷弾が放たれてから着弾するまでの数秒と無い間に、静華の叫び声が放たれる。だが静華がその忠告を言い終える頃には、二人の魔法士の動きは止められないところまで加速されていた。
百近い氷弾が肉薄し、十倍速で駆ける錬が怜治と静華に向けて手を差し伸べたところで……
二人のI-ブレインが異常を発した。
(『ラグランジュ』起動状態を変更。右足の運動速度を100倍で再設定)
「な――!?」
錬が驚きの声を発するよりも早く、異常な加速を与えられた右足が地面を蹴りつけ、しかしその勢いに耐え切れずに毛細血管のみならず神経や靭帯、重要な血管もところどころで断裂する。
そして、その右足で地面を蹴りつけた反作用に身体のバランスを崩し、半ば殴りつけられたかのような勢いでファイ達がいる方とは少しずれた方向へと身体が宙を舞い、何とか受身だけは取りつつも地面に叩きつけられる。
……何が!?
突然のことに状況把握が追いついていなかったが、それでも今が戦闘中である以上隙だけは見せまいと瞬時に左足を軸にして立ち上がると同時に、走り出す前の位置までバックステップで戻り――
その光景を見た。
「晶!?」
百近い氷弾を生成しファイに向け放ったはずの晶が、しかし自分が生成し放った氷弾に身体を打ちぬかれて今にも地面に倒れ伏そうとしていた。
「こんなものか?呆気無いものだな」
晶に向けて駆け出した錬の背後から、ファイのものと思しき失望の声が上がった。それによってようやくこの状況はファイが作り出したのだと理解したが、それでも何が起こったのかまでは錬には理解できなかった。
それでも、晶が今にも倒れそうになっていることだけは否定しがたい事実であり、錬はすぐに晶に両手を差し出してその身体を抱き支えた。
「晶、大丈夫!?」
「くっ……何で……」
錬の問いかけに返事をする余裕すらなく、晶が痛みと驚きに無表情の笑顔を消して、苦痛の表情で問いかける。錬には分からなかったのだが、どうやら晶は何が起こったのかを正確に把握したらしい。
「どうしてあんたが、ただの人間のあんたがその能力を――
『情報制御制御能力』を使える!?」
「!?」
晶の言葉に驚愕を覚えつつも、しかし錬はこの状況にようやくの納得を覚えた。
『情報制御制御能力』。それがどの程度の能力であるのかまではまだ分からないが、その名の通りに考えるのであれば、情報を制御する魔法士の能力を制御するものだろう。そうであるのならば、錬が使用していた『ラグランジュ』による身体能力強化の情報制御を制御したり、晶が使用していた分子運動制御能力による氷の銃弾に運動量を付加する情報制御を制御したりしたのだと納得できる。
「何故だと?そんなことも分からないのか?何も魔法士は先天性の者ばかりではない。外科手術さえ受ければ後天的な魔法士を生み出すことも可能だということは知っているだろう?
そう、蘇我
晶。お前と同じようにな」
「……どうして、ぼくのことを……?」
さっきまでの威勢はどこへやら、晶が弱々しく問いかける。その瞳に浮かぶ焦燥感に、錬はファイに次の台詞を言わせるべきではないと瞬時に思い至ったが、しかし錬にはそれを止める手段は無かった。
「簡単なことだ。お前の育ての親であり、『暁の使者』の頭目から、今回の件に猛烈に反発して出て行ってしまった義子が現れた場合は殺さずに連絡をしてくれと言われていたのでな」
その事実に、しかし錬は意外なほど驚きを覚えなかった。ただ、どうして晶が強固に錬達に協力を持ちかけたのかという疑問が解けてすっきりした、という感覚の方が強かった。
その間にも、ファイの言葉は間断なく続く。
「尤も、本来ならその程度のことを一々覚えてなどおかないのだが、中々面白い素性の持ち主でもあったから私個人としても興味を持ってな。
本来は少数の分子を操ることしか出来ない『炎使い』の能力を大幅に上回らせる、I-ブレインとの異常なまでの相性の持ち主。その辺りの詳しい記述は無かったが、予想ぐらいは出来ている。おそらくその理由は……生まれたときの身体特性に関係しているものだな?」
ファイが言い終えると同時に、周囲に数本の氷の槍が生成されファイに向けて放たれる――が、それらはすぐに力を失ったかのように失速し、やがて宙で分解される。
――「魔法士の天敵」――
相手の精神的な隙をついての攻撃すらも無駄に終わったのを見届けると、晶から聞いた言葉が錬の中で思い返される。その詳しい説明を聞いたときも十分に納得したのだが、こうして敵対するとその言葉が持つ意味の重みが伝わってくる。
「ナイト気取りの子どもがまだ残っていたか?だが丁度いい。外の戦況を見る限り、只者というわけではないのだろう。この力を試す実験台になってもらおう」
……?
ファイの言葉に疑問を覚えつつも、錬は倒れないように肩に手を回して抱えていた晶を、敢えて地面に横たわらせて、右手に持ったままだった騎士剣の切っ先をファイに向ける。
「錬、無理だよ……。今ならまだ逃げられるから、ここは大人しく退いて……」
すると、晶が苦痛に顔をしかめながらも錬に忠告をする。『何でも屋』としての錬もその意見には賛成だ。しかし『天樹
錬』個人としては、ここで3人を見捨てて逃げることなど出来ない。
(情報防壁を強化。容量不足。全プログラムを強制終了)
I-ブレインの総ての能力を情報防壁に割り当てる。その途端痛覚処理すら出来なくなり、体中についた傷の痛みに両手で体を抱いて少しの間身を屈める。
もちろん、こんな重傷を負った上に魔法士能力を使わずに勝てる自信があるわけではない。しかし他に方法が思いつかないし、下手に能力を起動して相手に制御を奪われるよりはマシだろうとも思う。しかし――
(起動状態を変更。『マクスウェル』起動)
「え?」
その驚きの声は、しかし驚愕の度合いとは裏腹に弱々しく出た。
それはあたかも、次の瞬間生成された、錬を取り囲む氷槍を前に平伏すかのごとく。
……こっちが情報制御をしていなくても、I-ブレインを操ることが――!?
その思考は、飛来する氷槍を前に強制的に打ち消される。致命傷を与える軌道の氷槍は叩き落し、後は多少の傷も覚悟して回避によって対処する。
たったそれだけの応酬で、元々傷だらけだった錬は満身創痍となった。両手は力なく肩からぶら下がり、右足はすでに身体を支える機能を失い、左足の膝も笑っている。腹部から流れる血も、手当てをしないことにはいずれは死に至るほどのものだった。
相手に制御を奪われ手いる間の錬のI-ブレインは、思い通りにプログラムを起動できないだけでなく、簡単な戦闘予測すらもしなくなっていた。今の一撃の中で致命傷をもたらす攻撃をかわすことに成功したのは、偏に錬の実力によるものだ。だがそれも計算によって算出されるわけではない感覚的なものなので、何度も繰り返せばいずれぼろが出てくる危険な回避行為だ。
「これは、ちょっと以上に参ったかも……」
冷や汗をかきつつ、誰に言うでもなく呟く。もし今ファイが能力を解除してお互いに肉弾戦だけで闘うことになったとしても、今の錬では勝てるかどうか分からない。むしろファイを倒したところで、未だに外を走り回っている『暁の使者』の賊員を何とかしない限りまだ勝ちとは言えない状況だ。
しかしそれでも錬は、ファイによってもたらされるであろう死の可能性から目を逸らさないまま対峙を続けた。勝てる何かの策があるわけでもないが、ただ自分と仲間を守るために立ち止まるわけには行かなかった。
……フィアの同調能力とは違って、こっちのI-ブレインの制御総てをのっとるんだ……
いくら情報に対する防御を強めようとも、その防御を強めるという処理そのものを操られるのだから無意味なあがきにしかならない。別の方法。例えば相手が反応できないほどの超高速で命を奪うという方法も、I-ブレインの処理速度を前には百倍速の加速を得られる騎士であったとしても不可能だろう。また、例えば銃撃のように魔法以外の方法による攻撃もこちらの能力が奪われている以上簡単に防がれてしまうだろう。そうなると、残された手段はそう多くなく――
(『ラグランジュ』『チューリング』常駐。知覚速度を三十倍、運動速度を十倍で定義。ゴーストハックをオートスタート)
容量の限界まで能力を使い、錬はファイに向けて駆け出す。だが――
(『ラグランジュ』起動状態変更。運動速度を0.1で定義)
瞬間、世界が加速する。さらにその加速した世界の中、数本の腕が錬に向けて拳を振り上げる。ラグランジュの能力によって十分の一の速度にされた錬にはかわすことなど到底不可能な攻撃の中、しかし今にも千切れてしまうんじゃないかという痛みを無視して、錬は左手を懐にやって、十分の一の速さでも十分だと思えるほど滑らかなクイックドローで拳銃をファイに向けて発砲する。その斜線上には、錬が位置を計算して生成しファイに制御を奪われた、ゴーストハックによって生成された腕も無く、ファイに向けて一直線に開いている。
錬はその一撃に必殺を確信し――
しかし、斜線上に出現した氷盾によって呆気無く防がれてしまう。
……しまった!これは晶の!
相手にI-ブレインの制御を奪われ、他者の情報制御を感知できなくなってしまったために気付かなかったが、ファイは倒れ伏す晶の能力を使って錬の銃弾を防いでいた。晶がやられた最初の攻防の際に、ファイが複数人のI-ブレインを操ることができるということは分かったはずなのに、今戦えるのは自分一人しかいないため、どこかで一対一で戦っているのだという意識を持ってしまったことが災いした。
十分の一の速度の中、高速で迫る仮想精神体の腕が錬に肉薄し――
直撃の一瞬前で、その動きが止まった。
「どうやら、遅かったようですね」
その声は、心地よい響きを含んだ女声だった。
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